はてなキーワード: お姫様とは
私はOfficial髭男dismの『115万キロのフィルム』に酔っ払っている人が苦手だ。
とだけ述べると意図を曲解される可能性が大いにあるため、まず前提を箇条書きする。
・Official髭男dismのファン全般への批判でもない
・あくまで「『115万キロのフィルム』に酔い切っている人」が苦手であるという話
これらを踏まえて読んでいただければ幸いだし、前提の時点で不快感を覚えた方は他の記事を楽しんでほしい。
Official髭男dismは私も好きなバンドであり、なんなら仕事柄よく聴く方だ。
今回匿名でこの記事を書いているのも、仕事上の公平性を保つ必要があるためである。
昨今のインターネットはとかく極論に取られがちなので、念入りに書かせていただいた。よろしいだろうか。
ロックバンドOfficial髭男dismの人気曲で、カラオケはもちろん結婚式などで頻繁に使われている。
「僕」の一人称視点で語られ、恋愛や人生を映画に喩えた世界観に仕上がっている。
あまりの人気曲である故か、この曲に苦手意識を感じる人間などこの世に存在しないと信じ切っている者たちである。
こちらが「あまり好きじゃない」とでも言おうものなら説教する勢いでこの曲の魅力を滔々と語り、散々論点をズラした挙句「お前がひねくれてるせい」で締めることが大半。
3.「『115万キロのフィルム』に酔っ払っている人」は歌詞を冒頭から終わりまで語りたがる
酔っ払いがこの曲について語るとき、たいがい当然のように歌詞の「僕」=自分だと思っている。
曲の構成上それは構わないのだが、厄介なのは聞かされる側に「君」への感情移入を半ば強制することだ。
「こうされたら嬉しいだろう?」「こんな喩えをされたらときめくだろう?」、聞かされるたびにこちらは凄まじい同調圧力に「ソウデスネ」と答えるほかない。
このプレッシャーと並行して、なぜか酔っ払いは歌詞の「うまいこと言っている部分」をあたかも自分の手柄のように振りかざしてくるのだが、このコンボ効果がこちらの疲労を促進する。うまいこと言っているのは酔っ払いではなく髭男である。
更に、その場がカラオケであった場合は最悪の状況を想定しなくてはならない。心を込めてこの曲を歌われた日の夜、私は自室で爆音のバカサバイバーをループしながら頭まで布団を被って寝ることになる。
私は世間一般でいうところの「非恋愛体質」にあたるだろう。人付き合い自体はそれなりにするが、恋愛対象として接されると途端に回れ右してしまうタイプだ。
多くの場合、恋愛とは相互干渉の状態を指す。心を尽くした分リターンが欲しいという恋愛人が大半ではないだろうか。もちろんそうでない人もいるだろうが、私は毎回「期待されるだけのリターンを与えられない」ので交際そのものを長らくしていない。
そんな考えの人間が『115万キロのフィルム』を聴くと、置いてけぼりになるのである。
ここからは歌詞を抜粋して追いながら、具体的に[]で心情を綴っていく。
これから歌う曲の内容は僕の頭の中のこと
主演はもちろん君で[脳内で主演にされていたことに慄く] 僕は助演で監督でカメラマン[少なくとも「僕」が3人いる撮影現場を想像して慄く]
くだらないなと笑ったんなら[ついていけていない] 掴みはそれで万事OK![ついていけていない]
呆れていないでちょっと待って きっと気に入ってもらえると思うな[「気に入ってもらえる」から既にリターン圧を感じる]
ここまでのダイジェストを少しだけ見せるよ[もうダイジェスト版があるんだ…]
初めて喧嘩した夜の涙[のっけから喧嘩シーン] 個人的に胸が痛むけれど[心の準備をする予告編がほしかった]
ほら ここで君が笑うシーンが見どころなんだからさ[「ほら」で自分の顔を見せられるのか] ah[ご満悦なところ申し訳ないが]
どれかひとつを切り取ってサムネイルにしよう[やめてほしい] とりあえず今のところは[助演の顔に挿げ替えてほしい]
きっと10年後くらいにはキャストが増えたりもするんだろう[出産前提の圧を感じる]
今でも余裕なんてないのにこんな安月給じゃもうキャパオーバー![だから助演で監督でカメラマンを一手に担っていたのだろうか]
苗字がひとつになった日も[どちらの姓を前提にしているのだろうか]
今 目を細めて恥じらいあって永遠を願った僕たちを すれ違いや憂鬱な展開が引き裂こうとしたその時には[どう解決するのだろう]
僕がうるさいくらいの声量でこの歌何度も歌うよ[??!!!?!!!?!?!!?]
クランクアップがいつなのか僕らには決められない だから[またうるさいくらいの声量でどうにかしたらどうしよう]
風に吹かれていこう[……?] (風に吹かれていこう)[誰?!]
フィルムは用意したよ (フィルムは用意したよ)[3人の「僕」でやっているのか?すごい絵面だ]
一生分の長さを ざっと115万キロ[80年分もフィルムに先行投資するから安月給でキャパオーバーしたんじゃなかろうか]
撮影を続けよう この命ある限り[先80年分のリターンを見積もって胃が痛い]
5.結論
何も否定していないのに、一方的に捕まえてこちらの考え方をなじってくる酔っ払いが多すぎる。
恋愛体質でない人間に当然の感動を強制するのは、あまりに楽曲任せで無責任だ。
『115万キロのフィルム』の「僕」と「君」が成立するのは、二人に明確な信頼関係が確立している場合のみである。
もっと言えば、夜景もディズニープロポーズもバラの花束もフラッシュモブもお姫様扱いも、万人が喜ぶ演出ではない。
大切なのは相手の好き嫌い・性質を把握することであり、ロマンティックな演出も独りで酔っていてはまるで意味がないのだ。
Twitterでプチ炎上してた「婚活で結婚したけど相手のことを性的には全く思えない」みたいな話に男が知ったらさぞショックだろうみたいなリプが沢山ついていて、今も結構驚いてる…。
いや恋愛結婚ならともかく、婚活でしょ…?もはや生活のパートナー探しに近いわけで、恋活じゃないんだよね?「結婚相手」を探してるんでしょ?
ときめきより生活の安定感、人として信頼ができるか否かのほうが重要って割り切り、自分もその観点で婚活してたけどそんなにおかしいと思ってなかった。
世の中の人は結婚のメリットを受けたい(これは「子供が欲しい」も含む)から婚活してるんだと思っていたので、衝撃がすごい…。
そんな、恋愛的に燃え上がるようなときめく相手探してたら一生終わらなくない?言い方悪いけど売れ残り市場じゃん、婚活って…。
そこで今更ドキドキする運命の王子様お姫様なんか大半は見つかるわけないと思うんだけど。
恋活してるならそりゃあときめいてほしいとか思うのは当然だと思うんだけど、婚活に一足飛びで飛んでる時点で割り切ってる人もそれなりにいると思っていたのでとにかく吃驚してる。
特に婚活している男性ってそんなに婚活相手の女性に性的に興奮できるのか、っていうのが本当に吃驚したんだけど、直球な話、婚活女性とエッチしたいなって思うことはある、ってこと?
自分が性欲薄い(というか、性欲が他人に向かない)タイプだからなのかもしれないけど、お見合いしても一回もそんなこと感じなかったんだよね。
もちろん性格が合う、良い人はたくさんいたし、そういう人から交際相手を選んだけど、ドキドキするかなんか全く基準にすらならなかった。
結婚生活に求めてる像が合ってないというか、恋人的に仲良しなのではなくて、この人が60歳になってもやっていけそうか?という方が大事だと思ってた。
完全レスとなると困るのかもしれないけど、恋愛結婚みたいなイチャイチャ新婚生活とか求められてもそれも困る。あーんして、とかやるかボケ現実見ろと思ってしまうと思うし…。
婚活女性ってそんなに気持ちが(恋愛的に)盛り上がるものなの…?全然盛り上がらなくてもまあいいか!人間的には嫌じゃないしヨシ!では、だめなんか…?
と同時に、容姿がどうのこうのってジェンダー論の本筋じゃないような気がするね。
ただ、世の中がどんなにかわっても、結局、男性が女性を評価する、という構図だけは大きく変わってこなかったとは思う。
男性視点だと、お姫様的な価値と嫁としての価値が伝統的な二大価値、かなと思う。単純化すればですよ、もちろん。
そこに、80年代、バブル期にキャリアという価値が新たに追加された。
キャリアウーマン価値は今再放送している東京ラブストーリーに象徴されるトレンディドラマにみられるように、女性にお姫様でも嫁でもない新たな価値を見いだせると夢と希望を持たせたものの、
結局男性社会を固持する組織風土が根強く、男性に伍して働くことが強制された挙句、ガラスの天井が待っていた。女性を失望させたのがこの40年。
男女雇用機会均等法で頂点に上り詰めたのはほんのごく一部。そもそも嫁価値も求められながら、職場では男性に伍して、という条件はあまりにもハンデだ。
一方、家族構造は戦後、大きく変化して、嫁的な価値は低下。強制的に嫁を教育し、家にそぐわなければ排除も辞さない、子供を産めないなら出ていけという、そんな社会ではなくなった。
なので、そんな時代を反映したおしんや、ふぞろいの林檎たちといったドラマはリアリティを失っていく。
日本社会は、この男性目線で最後に残ったこの価値も何かぼんやりとしたものになってしまったのではないか。テレビドラマの傾向をなんとなくみての感想だけど。
トレンディドラマは、お姫様価値+キャリア価値で、美男美女をおしゃれな職場に登場させて、視聴率をゲットしてきたが、うそっぽくなってしまった。
韓流ドラマはトレンディドラマの潮流を直球で引き継いで、朝鮮半島の男尊女卑の文化を背景に、お姫様価値を全面に打ち出してヒット。いまだにトレンディドラマ路線でいける。韓国では嫁的な価値がいまだに高いので、トレンディドラマにホームドラマをミックスさせたのが韓流となった。
しかし、日本の製作者(男性)からみると、トレンディドラマ自体が空々しいものになってしまって、方向性を見失っている気がしている。
そもそも、お姫様価値なんて、男性からすると嫁的な価値を得るためのジャンプ台のようなもので、嫁的な価値が低下した今、女性にあんまりお金をかける動機付けがなくなってしまった。
しかし、女性からすれば、キャリアもだめ、嫁的な価値も不要ということになれな、お姫様価値を磨く以外に、自分の価値を高めるすべがない(もちろん極論)。
そんな時代は、女性からすれば、不安なんじゃないだろうか。存在論的に、というか承認欲求的にというか。
そんな不安な時代だからこそ、お姫様価値にますます神経質になり、
という「恐怖」に結びつくんじゃないだろうか。
タイトル通りです。
コロナ禍になってから海外の人とデートする機会がなかった。なので今回海外で働くことになって、現地の人との交流が楽しみだった。
どこまでもいたり尽くせりで、お姫様になった気分。お会計もさらっと済ませたり、目的地まで送ってくれたり、常に顔色を伺ってくれて私が楽しんでるか確認してくれて。
数年前海外で色んな人とデートしてたときはこの感覚に完全になれてしまっている自分がいたので、初心に帰った気分だ。
もちろん日本人男性でも同様にしてくれる方はいっぱいいる。だけども同族フィルターと外国人フィルターはどうしても私の中でかかってしまうらしい。
たぶん私は外国人専なんだろうな。
数年間失い続けていたこのトキメキという感情を取り戻せてよかった。
このドキドキを感じながら眠りにつくの最高すぎる。
よし。
女性キャラクターを設定するときに、遅かれ早かれプロポーションを決める事になる。
果たしてバストサイズはどのくらいにするか。Bカップにするか、Cカップにするか。
というのも、「読者から見た」キャラ性がバストサイズで変わってくるからだ。
髪型・目付き・背の高さ、などの他のパラメータとも連動するので、一概には言えないが。
バストサイズが大きいほど包容力・自信・迫力、などが増して見える傾向にある。
モチロン、実は引っ込み思案だったり、わがままだったりするキャラもいるけど、その場合はギャップを狙ってそのように設定するのさ。
マンガのようなエンターテイメントは、現実世界に属する読者のステロタイプを利用して情報伝達を効率化する。
母親のような優しさをもつ安心感のある女性、というのを違和感のない文章で伝えるのは難しい。ストーリーを通じて小出しにするしかない。しかし、マンガでは垂れ目で胸元を隠した巨乳にすれば一コマで完了だ。
最近話題になったんだがディズニーの映画で、アニメでは白人だったお姫様を黒人のキャストに変えた事件があった。
これが炎上したのは、多くの観客にとって、黒人か/白人か、はキャラクターのアイデンティティに関わる重大な設定だという証拠だ。黒人か白人かはプラガブル(取り替え可能)な属性ではない。それらを入れ替えるとキャラに抱く印象が変わってしまうのだ。
この事実は、世界中の数多のフツウの視聴者の心の中に、普遍的に、差別的偏見が存在してることを意味する。
フィクションメーカーのフロントランナーであるディズニーは、もちろん現実を把握している。その上で敢えて、挑戦したんだろう。映画作りを通して、差別的偏見はただの偏見に過ぎず、実際は黒人の白人も何も変わらない同じ人間だよ、と教えたいのだ。
大体昔話自体が
・賢い、または優しいけど貧しい若者が
・道端でボロボロの汚い老人を助けたら
・なにか道具をくれる(大抵は3つくれる)
・もらった道具を使って3つの試練を乗り越えて
こんなんなので
ちな努力要素のあるハリウッド映画といえば、ぱっと思い浮かぶのXMENですかね
XMENはエグゼビア教授のミュータント学校で学んだ精鋭たちですから
でも努力要素が作中で明確に描かれてるのはファーストクラス(邦題はファースト・ジェネレーション)、あとはアポカリプスくらいかな
ウォーゲーム、何故か反知性映画扱いしてるブクマカもいたけど、主役はコンピューターオタクでハッカーだし別に反知性ってほどかな?
元増田は年齢も性別も書いてないのだが、勝手に元増田は30歳を過ぎた女で相手は同年代の男と決めつけて書く。
男が自分に愛情表現をするのは当然だが、自分から相手に愛情表現をするなんてありえない。自分は男をジャッジする側の存在だから男が自分に合わせるのは当然だが、自分が男の気持ちを考えたり男に合わせたりする必要はない。そういう考え方が本当に読んでいてキツいと思った。ある種の女が恋愛に対して示すこのような態度を私は「お客様気分」と呼んでいる。お客様気分で恋愛をする女は、若いうちの遊び相手としては良いかもしれないが、年を取れば価値を失うし、結婚相手としては「地雷」である。
10代や20代なら、相手の気持ちをまったく考えなくても若い女の性的魅力だけで男を引き寄せて繋ぎとめることも可能だっただろう。30代でも同じことを続けることは可能だろうが、当然のことながら女の性的魅力は年齢とともに衰えていく。40代50代で同じことを続けるのはかなり難しい。元増田が今の相手と結婚するのであれば、加齢とともに相手の態度が冷たくなっていくのを感じるだろうし、今の相手から別の相手に乗り換えるのであれば、加齢とともに相手に要求する容姿や身長や年収などの条件をどんどん下げなければいけないという状況に直面するだろう。
同性婚カップルや同居しない夫婦や子供を持たない夫婦といった多様な夫婦のあり方も存在するとはいえ、一般に結婚とは、男女が互いにセックスの相手としての地位を独占し、生活空間を共有し、互いに責任を持って家庭を運営し子供を養育するための契約として認識されている。元増田と結婚する男は、加齢とともに性的な魅力が低下していく元増田との盛り上がらないセックス以外を禁じられ、お客様気分で自分の世話をすることを要求する元増田をお姫様扱いし続ける生活を、離婚しないのであれば半世紀近くにわたって続けなければならない。
子供が生まれれれば状況は更に悪化する。当然のことながら子育てはお客様気分ではできない。親と乳幼児の関係では、お客様扱いされるのは後者の方だ。腹が減った、眠たい、おむつを替えろ、親にはそういった子供の要求にいつでも対応することが当たり前に求められる。親ががんばって作った料理を食べることを子供は平気で拒絶したりする。お客様気分で子育てをする親は、自分の思い通りにならない子供にむかって癇癪を起こし虐待に走る。なぜなら家庭においてお客様気分でいる権利を持つのは本来は乳幼児なのだが、親がお客様気分でいる家庭では、親が乳幼児と同じレベルにまで下りてきてしまっているからだ。乳幼児と同じレベルに下りた親は、子供が何か気に入らないことをすると、大人の体格と声量と腕力で、子供のように怒鳴り暴力を振るう。
元増田に必要なのは、男女関係において男女は対等なのだという当たり前の事実を認識し、自分の性的魅力は年齢とともに衰えていくという事実と向き合い、お互いに親密さを表現しなければ数十年単位で一緒に生活していくのは難しいだろうということが理解できる程度の想像力を持つことだ。とはいえ人間はそう簡単には変わらないので、相手の男の方は元増田に期待せず全力で逃げるべきだろう。「そういうことを私ちゃんからもやってほしい、言って欲しい」というのは、今のような「めんどくせ〜」という中二病じみた態度の元増田と数十年単位で一緒に生活していくのは苦痛に満ちたものになるだろうという当たり前の想像から出てきた要求だと思う。しかし断言するが90%以上の確率で元増田は一生このような恋愛観のまま生きていくのだろうし、このような女と結婚しても数年後には結婚生活は冷え切ったものになるだろう。子供が出来る前なら離婚すれば赤の他人に戻れるが、子供が出来た後では難しい判断が待っているだろう。DV男と結婚する女が幸せになれないのと同じように、お客様気分女と結婚しても男は幸せにはなれないのだ。
※思いつくままに書いてるので読みづらいと思います。
なんだかんだふんわり触ったりたまにログインしたりしてたけど
イベントやストーリーに盛り上がるより愚痴ばっか出てくるようになっちゃって
自分が辛くなるばかりなので思い切ってやめた。
運営が想定してるユーザーに当てはまってないんだろうな〜〜〜〜〜ってのは
何となく感じてはいたしそもそもゲーム下手くそでメインストーリー進めるのにも
一苦労だったし、難しい戦闘突破しても「やっと一つ終わったよ」っていう
育成も大変だし戦闘にもストーリーにも魅力感じなくなってきちゃって
でも悪いゲームでもなかったと思う。
元々好きだったFateのこともっといっぱい好きになれたし、新しい推しにも出会えたし、
知らない英霊のこと知れたし、1.5部のアガルタぐらいまではワクワクしながらストーリー読めたし。
オケアノスとかアガルタみたいな冒険してる感じがすごく大好きだった〜
アガルタとかね。小学校の頃読んだ冒険物語思い出して凄く楽しかったもんね。
2部からはなんか…あんまりこう…色々と合わないし難易度も高いと言うか
これからもサービスは続いてくだろうし、いっぱい遊んでる人たちいるだろうし、
遊べたら良いなと願っています。
文句ばっかり言ってたけどやっぱり好きなゲームだったので遊んでる人たちは楽しんで欲しいよ。
謎目線だけど。
サイコパスの気持ちがわかるのはサイコパスだけ!みたいに自慢されても
まあサイコパス増田がそういうならサイコパス教師の動機はそうなのかもしれないけど
「「自分だけがトラブル解決できる万能感」だけほしがって実際のところ万能どころか無能な人間」が職場にいることを許したら
生産性なんて紙切れより軽くなるじゃん
職場ってのはお姫様・王子様にお仕えする場所じゃねえんだよなぁ
ましてスタッフが優位にたちたがったところでシステム上お客様のほうが神様だろ
そういう社会の秩序がわからないサイコパスはどれだけ秩序を乱しても許される北の独裁者の妾から生まれなかったことを一生後悔してればいいと思う