はてなキーワード: 積極性とは
要するに主人公は、JKであるアイちゃんに能動的・主体的には性的な関わりを持とうとしない公徳心と自制心を持っている「きれいな男性」だけど、
・アイちゃんの積極性(主人公に好意を持つ、関心を持たれたがる、はじけた胸ボタンをお守りとして渡すなど)
・両者の関係やシチュエーション(痴漢から守る役を頼まれ密着するなど)
・偶発的な状況(アイちゃんがしゃがんで胸が股間にすれるなど)
時には明らかに勃起していることや、それをアイちゃんも承知していることが仄めかされたりする。
「自分は一切責任を負うことなく、JKとのエロの方が勝手に向こうからやってくる」というストーリーの構造になっている。
ラッキースケベは主人公を免罪するが、そのようなご都合主義的なシチュエーションを意図的に組み立てて提示しているのは作者だ。
比村奇石という男性作者が、都合よくそういう世界を作り上げ、それを主には男性読者が、良心の呵責を感じることなく都合よく消費できている。
そういう卑怯な構造を無視して、「胸が大きいことをコンプレックスにしていた女性が、
『月曜日のたわわ』およびそれに近い作風の創作物に対する分析で、以下のようなものがあった(ほぼ原文)。
「男性キャラは顔すら描かれていない。自分の意思と関係なく振りかかってくるラッキースケベに耐えるだけの無抵抗の存在なのだ。そして、逆に女性キャラは無自覚に(もしくは意図的に)ラッキースケベを提供するばかりの存在である」
「男が主体的に「悪いことをしよう」という意思を持っているものとして描かれるが、その後ろめたさすら放棄して「俺は一切悪くないのに」と被害者ポジションでスケベ要素を享受するのが『月曜日のたわわ』」
「男が被害者ポジションで女子の方がちょっかいを出してウザがらみしてくるというのがここ数年散見されます」
大雑把にまとめると、「女の側からエロを提供してくるから男は被害者だ、という作品が最近多いよね!」ということである。
……ここからが本題だが、このような「女の側からエロを提供してくるから男は被害者だ、という作品」の人気は、現実世界の女のせいでは? と私は考えている。
このようなコンテンツを好むであろうキモオタは、性欲を表に出すことを怖がっている。
自分のようなキモオタがアプローチをしたら、拒絶されるに違いがないから。
そしてキモオタが拒絶を恐れるようになったのは、女たちがキモオタを実際に拒絶したからにほかならない。
直接告白しようものならキモがられるし、SNSでアプローチをかけたら拡散される……。
それを見た他のキモオタたちはこう思ったはずだ。俺はこうなりたくない。自分の性欲を抑圧しなければ……と。
このようにして積極性を失ったキモオタたちが、自分からアプローチをする男主人公に感情移入できるだろうか?
それよりかは、受動的なポジションのままエロにありつけるジャンルを好むに違いない。
そもそも男の性欲が抑圧されていないのなら、ラッキースケベが頻発するタイプの漫画は生まれていない。わざわざラッキースケベを待たなくても、能動的にレイプでも風呂覗きでもなんでもすればいいのだから。
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
しかし現状で結婚して子どもがいて23区内駅歩10分圏内に戸建てを持っている。
運がいいと言っても、宝くじでめっちゃ当たったみたいな極振りではない。
まず運が良かったので顔がそこそこ良い。
・身長が平均未満
・積極性がないので告られ待ち
・無口なので話をふらない
・金払いも悪い(女性とは割り勘)
というデメリットがあってもそこそこモテた。1年に1回くらいは女性から誘ってもらえて2人に1人くらいはそのまま付き合う感じだった。
努力をしないので受験勉強はせず高卒後適当に専門に行って、就職氷河期にも関わらず運よくホワイトな感じの会社に就職した。
その会社がとても運よくそれなりに業績を上げていって、俺はただのお荷物社員だったがほんのちょっとの仕事をしているだけでそれなりにお給料をもらえた。
会社内ではほぼほぼヒマだったのでそれが苦痛だったが、近年テレワークになったので日中は漫画やアニメを見て過ごしている。
子どもは欲しかったので妊活していたが相手に問題があってなかなか産まれなかった。
そのうち妻が30歳を超える頃、もう諦めて家を買うことにした。実家が社宅だったから俺はずっと団地住まいで、戸建てに憧れていたんだ。
3階建とかいう団地みたいな戸建てはクソだと思っていたので2階建てにこだわって探したら築浅の中古物件が運よく出てきた。
妊活に忙しくて妻はパート年収200万になっていたが、俺がそれなりにお給料をもらっていたのと20歳から仕事していて貯金があったのでそれなりに頭金を入れて35年ローンで買えた。
買って引っ越してしばらくしたら妻が妊娠し、そのまま無事に成長し産んでくれた。最近第二子を妊娠したので無事に産めるよう神頼みしてきた。
子どもがいない時に買ったので部屋数にはこだわらなかったが、買った戸建ては運よく4LDKだったので部屋は2人までなら大丈夫そうだ。
当然誘われ待ちだが子どもが産まれる前までは月に1回くらいは誰かと遊びに行っていた。今は子どもを放っていけないので3ヶ月に1回くらい妻にお願いして遊びに行っている。
妻を結婚したと紹介したら仲良くなった友人がいて、その人らは子どもとも遊んでくれる。2ヶ月に1回くらい家まで来て子どもと遊びつつ談笑して帰っていく。気のいい奴らだ。
子どもももう5歳なのに産まれた時からの付き合いなのでめっちゃ懐いている。友人が来る日は駅まで迎えに行ってはしゃいでいるくらいだ。
なお、この運の良さなら俺行けるんじゃね?と思っていくつかの個別株に手を出したところ、上がっても下がっても売り時がまったくわからず死蔵することになった。
1回、なんかの株がめっちゃ上がった時やったぜと思って売ったらまだまだ上がってありゃーと思ったんだ。
それ以外の株は今は買った時より下がってるか微増程度なので、運ではなく才能の世界なんだろう。
この増田を読んで、変わったのか装ってるだけなのか分からないけど、思ったことがあるので書いてみた。
https://anond.hatelabo.jp/20220112133845
元々友達といえるのは年に2~3回会う小中学校時代の同級生が3人だけ(うち1人が幼稚園から一緒の幼馴染)。
高校や大学の友人もいるけど年1ぐらいでしか会ってなくて、さらに自分以外のメンツは定期的に会っている様子を感じるから自分はあくまで珍味キャラなんだろうなあという感じ。
疎外感がないといったらウソになるが、まあ小中の友達もいるしいいかと思っていた。
就職して2年ぐらいたった時に、ふと自分が同期から孤立していることに気付いた。
もろにハブられてるわけじゃないが、同期や歳の近い同僚同士はプライベートな時間を共有しているそぶり(飲みとか旅行とか)があるのに、自分は大きい規模のイベント以外で一切声がかからなかった。特に同性だけの極小規模な飲みに一回も誘われたことがなくて少し気にしていた。
上司からも「円滑なコミュニケーションをしてほしい」とふとした時に言われたことがあり、自分っておかしいのかなと思った。
(一応言い訳させてもらうと、マジでやべーやつって訳ではなく普通にユーモアをまじえた会話ぐらいわしていたし、日常的な御礼や謝罪はしていたので嫌われてるってわけではなかった…と思いたい)
さらに、同じ時期に幼馴染と姉に「親しき中にも礼儀ありだ」と本格的にキレられたのが大きかった。
・「まあ」「いや」「要は」「だから」を文頭に使わない
話し始める時にこれらを文頭につけないようにする。
えらそうに聞こえるらしい。
・強すぎる言葉を使わない
「〇〇は不要じゃないですか?」「〇〇する必要ありますか?」みたいに言わない。
「〇〇なしでもいけそうです」「〇〇なしでやってみてもいいですか?」みたいにいう。
・シンプルすぎる返答はだめ1
「わかりません」「できません」だけ答えて終わりだとダメ。
「よく分からなかったのですが、〇〇についての話で合ってますか?」みたいな少しでもコミュニケーションが進む返しをする。
「わからない」とか自分の感想だけだと会話のキャッチボールになってない、壁当てだ。(って実際言われた)
・シンプルすぎる返答はだめ2
「はい」とかだけで終わらせない。
「はい、やっておきます」とか「はい、わかりました」とかをつける。
・謎にため息をつかない
「もしかして原因は自分!?」…と、周りの人が困惑するからだめ。
どうしてもため息したい時は口をとがらせて「ハァ…」じゃなくて「フ〜〜〜〜」って感じでやる。
以下は幼馴染と姉に怒られて変えたこと。
・いきなり用件に入らない
「冬休みっていつから?」とかいきなり用件だけLINEしちゃだめ。
「お疲れ様。ちょっと聞きたいんだけど、冬休みっていつからか知ってる?もし知ってたら教えてくれると助かる〜」みたいに送る。
要件だけ送ると「おめえには用事があるからLINEしただけだ!」って感じで尊重されてない感じがする。(らしい)
・相手まかせにしない
決める労力をいつも相手にまるなげしない。
提案や自分の都合とセットで送る。「明日は16時に用事が終わるので、17時に〇〇でどう?」とか。
相手が先に提案してくれた場合も「了解」とかじゃなくて「ありがとう!では明日!」みたいにする。
・テキトーな相槌はだめ
例えば居酒屋探してる時に「ここでどう?」とか言われて「うん」「はい」「いんじゃない」みたいな返答だめ。
「いいねいいね!」「いこういこう!」みたいな積極性?のある言葉とセットで使えと言われた。
提案や決定も労力だから、手札を出してくれた相手の気持ちを尊重した方がいいらしい。もちろんお礼も。
最初に前述のことを指摘された時は、正直「は?」と思った。
他人のこと悪く捉えすぎ、気使いすぎ、めんどくせえーなにを気にしてるんだくだらねえ…と思った。
が、幼馴染と姉に「周りのみんなはどうやってコミュニケーションとっているかちゃんとみてるか?理由もないのに、自分だけが個性的な(尖った)コミュニケーションになっていないか?特にこだわりがないのなら、まずはその尖ったところをどうにかしろ」と言われた。
自分の中で「周りを見てみろ」と言われたのが結構衝撃で、それがすごく自分を変えてくれたと思う。
実際に少し意識してみると、周りの人は自分よりもかなり丸い言葉?というのかな、遠回しな言い方をしていた。
例えば仕事でも「ちょっと今質問いいですか?前と同じような質問になってたらあれですがちょっと聞きたいんですけど〜」とか言ってからやっと本題に入ったりとか。
同僚に長文のチャットを送る際は文頭に「お手隙の時に確認お願いします!」みたいにつけたりとか。(急いで読まなくていいんだなとぱっと見で分かるから、確かに気にする人にとっては親切だなと思った)
もしかしたら周りの人は、自分の想像以上に相手を思いやっているのかもなと思った。
それで自分も周りの真似をしていたら、だんだんと打ち解けられるようになって(話しかけられることが増えた)以前より親しくなることができた。
しかしそんなこんなしているうちにコロナでリモートに入ってしまい、今は全然飲みにいったりしてないんだけどね。
ただ気付きがあったおかげでリモート下でのコミュニケーションも円滑にできるようになったし、実際上司からも、幼なじみや姉からも変わったねと褒められた。
同僚ともちょっとした個別チャットや電話での無駄話などできている。
あと気付いたのは、やはり周りから好かれている人はとにかくムードが明るい。
「今日のみに行こうか」と言われて、自分だったら「はい」とか「いいねー」しか返せないところを、好かれる人は「打ち上がりたいと思ってたんですよー!!」とか「めっちゃ話したいことあるんですよー!!』とか相手の好意を倍返しするような気持ちいい相槌?をしている。