2022-04-11

月曜日のたわわ』みたいな作品が人気なのって、現実の女がキモオタの性欲を抑圧したせいだよな

月曜日のたわわ』およびそれに近い作風創作物に対する分析で、以下のようなものがあった(ほぼ原文)。

 

セクハラするのは女性側なので(男の方に)責任も生じない」

男性キャラは顔すら描かれていない。自分意思関係なく振りかかってくるラッキースケベに耐えるだけの無抵抗存在なのだ。そして、逆に女性キャラ無自覚に(もしくは意図的に)ラッキースケベ提供するばかりの存在である

「男が主体的に「悪いことをしよう」という意思を持っているものとして描かれるが、その後ろめたさすら放棄して「俺は一切悪くないのに」と被害者ポジションでスケベ要素を享受するのが『月曜日のたわわ』」

「男が被害者ポジション女子の方がちょっかいを出してウザがらみしてくるというのがここ数年散見されます

 

大雑把にまとめると、「女の側からエロ提供してくるから男は被害者だ、という作品最近多いよね!」ということである

 

……ここからが本題だが、このような「女の側からエロ提供してくるから男は被害者だ、という作品」の人気は、現実世界の女のせいでは? と私は考えている。

 

このようなコンテンツを好むであろうキモオタは、性欲を表に出すことを怖がっている。

自分のようなキモオタアプローチをしたら、拒絶されるに違いがないから。

そしてキモオタが拒絶を恐れるようになったのは、女たちがキモオタを実際に拒絶したからにほかならない。

 

直接告白しようものならキモがられるし、SNSアプローチをかけたら拡散される……。

それを見た他のキモオタたちはこう思ったはずだ。俺はこうなりたくない。自分の性欲を抑圧しなければ……と。

 

このようにして積極性を失ったキモオタたちが、自分からアプローチをする男主人公感情移入できるだろうか?

それよりかは、受動的なポジションのままエロにありつけるジャンルを好むに違いない。

 

そもそも男の性欲が抑圧されていないのなら、ラッキースケベが頻発するタイプ漫画は生まれていない。わざわざラッキースケベを待たなくても、能動的にレイプでも風呂覗きでもなんでもすればいいのだから

このような作品が広く愛されていることこそが、キモオタたちが自分の性欲を抑圧しなければと考えていることの証左なのだ

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