『月曜日のたわわ』およびそれに近い作風の創作物に対する分析で、以下のようなものがあった(ほぼ原文)。
「男性キャラは顔すら描かれていない。自分の意思と関係なく振りかかってくるラッキースケベに耐えるだけの無抵抗の存在なのだ。そして、逆に女性キャラは無自覚に(もしくは意図的に)ラッキースケベを提供するばかりの存在である」
「男が主体的に「悪いことをしよう」という意思を持っているものとして描かれるが、その後ろめたさすら放棄して「俺は一切悪くないのに」と被害者ポジションでスケベ要素を享受するのが『月曜日のたわわ』」
「男が被害者ポジションで女子の方がちょっかいを出してウザがらみしてくるというのがここ数年散見されます」
大雑把にまとめると、「女の側からエロを提供してくるから男は被害者だ、という作品が最近多いよね!」ということである。
……ここからが本題だが、このような「女の側からエロを提供してくるから男は被害者だ、という作品」の人気は、現実世界の女のせいでは? と私は考えている。
このようなコンテンツを好むであろうキモオタは、性欲を表に出すことを怖がっている。
自分のようなキモオタがアプローチをしたら、拒絶されるに違いがないから。
そしてキモオタが拒絶を恐れるようになったのは、女たちがキモオタを実際に拒絶したからにほかならない。
直接告白しようものならキモがられるし、SNSでアプローチをかけたら拡散される……。
それを見た他のキモオタたちはこう思ったはずだ。俺はこうなりたくない。自分の性欲を抑圧しなければ……と。
このようにして積極性を失ったキモオタたちが、自分からアプローチをする男主人公に感情移入できるだろうか?
それよりかは、受動的なポジションのままエロにありつけるジャンルを好むに違いない。
そもそも男の性欲が抑圧されていないのなら、ラッキースケベが頻発するタイプの漫画は生まれていない。わざわざラッキースケベを待たなくても、能動的にレイプでも風呂覗きでもなんでもすればいいのだから。