はてなキーワード: 矯正とは
悪いが否定する。
まず強弱の二極で分けているのが問題だが、それは置いておいて優しくなれるかなれないかの話。
成り上がると今までの恨みを晴らすかのように以前の自分に似た境遇の他人を目の敵にする人間はあまりに多い。
弱者になったからと言って他人の痛みを想像するとは限らないし、一部は『弱者様』『被害者様』『被差別者様』と揶揄されるように立場を盾に他人を攻撃し続け、足を引っ張る傾向すらある。
これはどうして起こるかというと、現実には社会の成員は強弱で立場が決まるのではなく、適応に有利か不利かで決まるからだと思う。
分かりやすく簡単に書けば、左利きが圧倒的に多い社会では右利きが弱者になるのは火を見るより明らかだよね?
それが矯正できるかどうか、時間経過とともに緩和されるかどうか、他の有利不利の条件とどう関連するかでも変わってくるけど、指の本数が多い、少ないといった話でもどちらが多数派かでやはり変わってくる。
つまり、
>~社会は社会的強者によって作られていて、社会的強者が圧倒的に生活しやすい世界~
なのではなく、世界は、多数派が作った社会に適応し辛い人間を弱者と呼ぶ、のが正しい認識だと思う。
強者が作った社会ではなくて、社会ができて、不利になる少数派を“社会的弱者と呼んでいる”だけの話。
子育てコミュニティにおいては女性は圧倒的強者だし、妊娠、出産、授乳の能力を持たない男はある面では絶対的弱者(と言うより無能力者)でもある。
何らかの環境変化で遺伝子変異が起き、殆どの人間に先天的に“足”が発生しない社会になればインフラは車椅子を前提に構築され、奇形である二足歩行者は交通の妨げになるので排斥され、“目”が発生しなくなればそれに頼って働く人種は職を失い、四六時中“視える事”による他者への配慮を求められる。
注意力、集中力、記憶力等のソフトウェア的な差異でも同じで――、まぁキリがないからやめるけど強弱で考えるのをまず考えなおした方がいいんじゃないかな、と。
その上で共感力を以前より獲得した事で他人の痛みを想像できるようになった貴方はその面で強さを手に入れたと思ってもいい。
訓練とまでは言わずとも、そうした教育や考え方が大切なのは同意するし、それがなければ前述のように強くなれば、或いは多数派になれば、他者を足蹴にする事を防げはすると思う。
だからナニ? って言われると、まぁ具体的にはどうしましょうとかって一人で言っても仕方ないんでみんなで考えて行けるといいですね、って話です、ええ。
ステマっていうかさ。
これが何の資格かっていうと、脱臼をはめたりとか骨折を骨接ぎしたりとか。
それぞれの整骨院の人が独自に勉強または創始した謎の民間医療なのね。
あなたが近所の整骨院で受けたサービスで体調改善したならそれは良かったけれども、
それ読んだ別の人が行く整骨院はその人の近所の別の整骨院だから、
ていうか厳密に言えばあなたが受けたサービスすら良いものだったのかわからない。
科学的に何も検証されてない民間医療だから。資格とかもなんにもない。
たまたまあなたの身体に合っただけで、他の人には効果なかったり悪影響だったりする危険性すらある。
あなたの体すら、プラシーボで治っちゃったという可能性すらある。(意地悪に言えばね)
通ってる人ですらよくわかってないことが多いので書いた。
客は損しないから深く考えないんだけどね。
まあだから、
あなたが通ったその整骨院を友達や家族に薦めるのはアリだと思うけど
「整骨院っていいよ」という薦めかたは成り立たないわけ。
父親と父方の祖母が高血圧で、祖母に関してはくも膜下を2回やってる。
私(女・30代前半)は20代後半から徐々に上130↑・下90↑が普通になって、健康診断とかで病院行くと上150の100↑とか出たりした。
健康診断で父と祖母が高血圧で…て話をしても「まぁ140超えが普通になったらアレですね」と言われるし、今のうちにこれ以上上がんないように予防を…と運動を始めてみたりしたのだけど、去年くらいまで前述の数値が普通だった。
が、今年に入ってこれが下がってきた。
高くても120台/80台になった。
ご飯は基本自炊だけど三食きっちりしっかり食べてるわけではないし、食事内容をガラっと変えたわけでもない。
むしろお菓子だけで1日過ごしたりとか不健康な食事内容の日も結構ある。
運動も始めて4年くらい経つけど回数自体は始めた頃よりも減っている。
なんでだ?なんでだー?と去年と今年の違いを考えてたら今年から整骨院通いを始めてた。
仕事柄肩こりがひどくて、たまに1時間3000円とかのマッサージ行ってたりはしたんだけど、いよいよ頭痛がするまでひどくなってきたので、思い切って整骨院で矯正プログラム始めたら、肩こりはラクになるし姿勢もよくなってこの歳で身長がちょっと伸びた。
始めた頃は週3通いだけど今は週1通い。体はラクになったけど出費が増えた。痛い。
でも去年の私と同じ感じの血圧数値の人、もしお悩みだったら矯正プログラム受けてみてほしい。
改善するかもしれんよ!
情報系だがプログラミングは苦手、脳みその回転が人より遅いし物覚えが悪い
「ディープラーニングやりたい」って思ってゼロから〜の本1冊終わらせてそれっきり
「ゲーム作りたい」って思ってUnityRoomに2週間ゲームジャムだかなんだかのゲーム1本投稿してそれっきり
「モデリングしたい」って思って自分の好きな性癖詰めたキャラ1体作ってそれっきり
「絵書きたい」って思ってペンタブ買って1ヶ月練習してそれっきり
「RubyonRails触ってみたい」って思ってRailsチュートリアル1章やってそれっきり
就活ってこれまでの人生で何やってたかが白日の下に晒されるクソイベントなんだな
これまで全部中途半端にやってきたから(やってきた、なんて言えるレベルじゃない)後悔の念が止まらない
劣等感で潰される
とか言いながら明日になれば山のような課題をやることで現実逃避、「自分は課題を終わらせないといけないからインターンシップには行けない」なんてクソみたいな理由をつけて自己防衛に走る
こんな無能を働かせるな
だれか助けてくれ
という者がいるが、それは何の救いの言葉にもならない。
要は「容姿をカバーできるほど他の要素で巻き返せ」という意味なのだろうが、
これら伸びに伸ばせという話なのだろうが、
それができたら苦労はしねえだろという話なのだ。
むしろ「ブサイクに恋愛は無理」と言ってもらった方が、圧倒的に救いなのだ。
というか世の中「中身は外見以上に矯正しようがない」という真理に目を背けすぎていると思う。
twitterのフォロワー、Aさんがセラミック歯列矯正を考えているらしい。Aさんとは相互フォローだが今までリプライのやり取りをしたことがないし、そもそも男なのか女なのかすら分からない。単に同じジャンルのオタクとしてゆるくつながっている、そんな関係だ。
ご存知の通り、セラミック歯列矯正というのはビタミンC点滴でガン治療を謳うくらいの悪徳自由診療である。こんなものを矯正と呼ぶべきではない。Aさんにも忠告したいが、かなり前向きにセラミックして綺麗になるぞモードのAさんに冷水浴びせることにならないか、上から目線のクソリプと思われないか、失礼にはならないか、チキってしまって言えない……かと言って悪徳自由診療のカモにされるのを黙ってるのは心が痛い
まぁ箸の持ち方、正しいと思ってる人も微妙に変だったりするからタチが悪い
手が大きい人にありがちな動かす時に親指の第一関節まで動いてるやつとか
手が小さい人、指の短い人にありがちな握りこみが強いやつとか
小指が伸びてるのとかは厳密には正しい箸の持ち方じゃないので
もっというと箸先に強く力がかかりやたら重いものでもつまめる場合は
じつは正しくない可能性が高い
箸の持ち方の悪い人間は育ちが悪いので関わらない方がいいという話に
「発達障害や運動障害、はたまた病気で箸が正しく持てない人もいる」
という反論が出ているのを見かけたがこれらは全く反論になっていない。
箸の持ち方程度の日本のルールにすら沿えない人間の“異常さ”に対してなのだから。
育ちという言葉が出てくる時点でそのくらいは汲んでほしいと思っている人も大勢いるだろう。
仮に箸の持ち方が正しくない人が何らかの障害を持っていたとしても
正しく箸を持てる人間としか関わりたくない人間にとってはそれらは全く考慮に値しない。
はっきり言ってしまえばこうだ。
親が外国人で日本のルールを叩きこめないような家庭に育った人間とは関わりたくないのだから。
でも箸を正しく持つ事が出来る育ちがいい人間たちはもちろん本音を言わない。
「初歩的な躾、マナーの問題について語っているだけですからもちろん障害者や病気の方は除外していますよ」
と表向き言うのである。
箸の持ち方はひとつの例で汚い歯並びや左利きだって同じことだ。
「箸の持ち方は努力で何とかなるのだから生まれつきの歯の大きさや骨格に左右される歯並びとは違う」
そもそも箸だって上記の通りどういった理由で上手く持てないのかは外から見るだけではわからない。
なんなら診断が出ていない限り本人だってわかってないケースもあるだろう。
ついでに言うと歯並びも大概は努力でなんとかなるわけだが。
「育ちの悪い人とかかわりたくない」という言葉を解体するとこうなる。
そのみっともない歯並びを恥じもせず口を開けて笑う人間に、
左利きはみっともないと直してくれなかったような親に育てられた人間に、
左利きを矯正しようとしたら吃音が出るような脳の作りの悪い遺伝子を持つ人間に、
自分の仕草の一つ一つが右利きの人間から見れば酷いありさまである事を恥じない人間に、
発端のツイートに嫁にいけないと出ていたがこれは象徴的な事だと思った。
端的にいえばそんな今日本にあるルールに沿えない、普通といわれる性質を持たない遺伝子を持つ人間には
子孫を残す資格はないですよという社会のひとつの答えなんだよ。
この考えに何を大げさなと思う人は何もわかっていない。
育ちの悪い人間は育ちを良くみせる努力を死ぬまで続ける運命だ。
箸が上手く持てないなら飢え死にしろ。
なによりフォークやスプーンしか使えない人間が子孫残す必要、あります?
「育ちが悪い人とは関わりたくない」
大前提:クチャラーなどと違い箸の持ち方が違うからといって誰かに迷惑をかけるものではない。他の人の権利と衝突しない個人の自己決定権の範囲。
じゃあなんで、箸を「正しく」持たないといけないという規範があるのか。
育ちが分かるから、って多いけど、それは箸を使う文化圏出身でない両親のもとで育った家庭の人にもそれを言うん?多様なアイデンティティを尊重するんじゃないの?それって差別じゃない?
(もちろんそういう人は過剰適応して、綺麗に習得する人も多いと思う)
付き合う人間の幅が狭まるって言う人いる。
でも、単純に考えて、箸の持ち方を気にする人より、気にしない人の方が多くの人と付き合えるよね。
他人のお箸の持ち方を気にして付き合う人間の幅を狭めているのはあなたなのでは。
今の箸の持ち方はある程度合理的だし、ツールの使い方を教えると言う点で学校教育で教えるのは賛成できる。
でも、そこにお箸の持ち方で人間を判断していい、という教育がはいるのはマズいだろう。
育ちなんて本人の責でもないことで、人間を判断します!なんて臆面もなく言う人がこんなにいることにドン引きしてしまった。
それはそれでいいけど、そんな考えでリベラルとか名乗らないでくれ。
矯正は難しくないので、自己責任という人の多さにびっくりした。
自分は発育過程で(?)、綺麗かは知らないけど、ふつうに箸を覚えたので、大きくなってから矯正するのがどれぐらい大変かはよく分からない。
でも、箸の使い方で人を判断しない、という価値観を変える方が矯正より容易なのでは。
あなたが綺麗に箸を使えるなら、箸で人間を判断しない人間になろうよ。それが「人付き合い」の幅を広げるのでは?
あと、自分はたまたま日本で生まれ、日本人の両親のもとで育ったが、「名前を隠して楽しい日記」なのにナチュラルに「日本人なら〜」ってコメントする人、怖い。
神戸の増益はイニエスタなどによるもので、一番大きいのは観戦チケットを大幅値上げしたことだろう。主収益はチケット収入である上にノエビアスタジアムはキャパが限られてるのでチケット収入には上限がある。
一方で、ちょっと負けが込むと監督をクビにして低空飛行、なんてサイクルを繰り返してたら、ロートルのスター選手が居なくなった後にはぺんぺん草しか生えないだろうな。チケット値下げしなおさなきゃいけなくなるかもしれない。
そもそもバルセロナのサッカースタイルは「バルセロナスタイルのサッカーが身に染みてる選手」が11人揃わないと上手くいかない。イニエスタを、ビジャを生で見りゃ一目瞭然だが、そもそもボールの持ち方が違うしボールを受ける体の向き、顔の向きも他の選手よりタイミング2つくらい早い。神戸が上手くいってないのはこのタイミングのずれが大きなところで、前後が分断したサッカーをしているように見える。ちょうど欲しいタイミングでボールが来ずにイライラするポドルスキを(そして鳥栖では諦め顔のトーレスを)、1試合のうち何度も見ることができるわけだ。
神戸が安井に変えたら上手くボールが動くようになったり、鳥栖が豊田を前線で使ったら得点できるようになったりという現象の原因は同じで、日本でサッカーを習った選手とスペインでサッカーを習った選手には決定的な差があるんだろうと思う。指導者経験が無いから分からんが、俯瞰で見てる限りだと選手間の小さなタイミングの問題が起きてることが分かる。あとボールの受け方が本当に、天と地ほどの差がある。
ハイラインサッカーをやるには増田が指摘する初手の奪取力、球際の強さもさることがら、奪取の仕方の差が大きい。タイミングひとつ相手より抜きんでるために、どうやって「より速いタイミング」を蓄えるかということだ。
この「より速いタイミング」を作り出すために、川崎や横浜は「向き」から入ってるのに対し、鹿島と東京は「強さ」で優越を取ろうとしてるのが少し違う。
向き、というのは、どういう体(顔)の向きでどちら側に向かってボールを奪うか、その方向の決定が周辺にいて前につなぐ役割の選手と共有できているか、ということだ。これには体の扱い方(ザックジャパンの頃はしきりに体幹体幹言われていた)や球扱いはもちろん、個々の選手がピッチで起きてる状況を把握でき、複数の改善方法(どこを埋めればいいか←どこで受ければいいか←どこに向かって蹴ればいいか←どこで奪取すればいいか←どこを埋めれば(以下ループ))の中からその瞬間に最善の策を選手間で共有して対応できるか、ということで、これには体幹、技術に加えて、フォーメーションの引き出しがいかにたくさんあるか、ということが大切になる。(これを具体戦術図に落とすと最近流行りの5レーン理論とか言われるようなものになったりする)
実は過去の歴代「お雇い代表監督」は全員、この3点について日本サッカーに苦言を呈し続けてる。つまり日本のサッカー指導はどこか根本的なところで圧倒的に足りないというか全く手を付けられてない教育分野があるのではということだと思う。(これについては今治で社長をやってる岡田さんが話し出すと止まらなくなるほどの問題意識を持ってて、とても興味深い)
川崎が強くなったのは風間八宏の力が大きかったが、川崎で、風間が代打教祖となり革命を始めたシーズンは散々な結果だった。横浜については今のポステコグルーが方向転換したようでいて実はその以前のシティフットボールが入ってきてから徐々に選手の教育スタイルを変えてる。それでも去年はあわや降格のラインに足を踏み入れてたが。
川崎、横浜、あとは大分や札幌もそうだが、こちらのスタイルは、選手のボールの取り扱い(というかボールに向かう向きやピッチのどこを見るかなど含めた取扱い)から矯正しているので時間がかかる。時間はかかるが一度そういうサッカーが身に染みてしまえば強い。多くの局面で先手が取れれば、簡単にワンサイドゲームになる。去年の横浜のお笑いサッカーは、まだスタイルが身に付いてない選手たちを連れてやらざるを得なかった分、GKが通常より数メートル前、更にCBがサイド領域までカバーするという色んな意味でオモシロサッカーだったが、降格圏に居るのになぜかたまに酷いワンサイドゲームで勝ったりしてた。
風間は今名古屋でも2シーズンちょっとやってるが明らかに名古屋のサッカーが変化したから、解説者時代は陰気くさいけど的確な好事家向けのニクイタイプだったが、指導者としては相当実力が高い。さすが教祖だと感服する。仙台の渡邊監督は意欲やヨシなのだが、イマイチ指導力というか指導ノウハウに追いついていない部分があるのではと思う、仙台はあと、まぁやりたいだろうなと思われるサッカーと選手の構成がちぐはぐなのもあるのだが、まぁこれはまた別の話か。
一方で鹿島や東京はハリルホジッチがイメージしてたような方向というか、日本サッカーの現在の実力を踏襲して強度による奪取力を高めたもので、川崎・横浜(大分広島)型と、似ているようでかなり違う。どちらも面白いサッカーだ。みんな違ってみんないい。プレミアのペップ・シティvsクロップ・リバプールみたいなバチバチのやつをJリーグでもぜひ見たい。
一方で、日本代表を見る目戦で言うのなら現状のリソース踏襲型の強度でギャップを作る方向性を進めていっても、W杯でベスト8を勝ち抜くのは無理だろうなという予感がある。ACL、アジアでNo.1は上手くすれば取れる、ただ対ヨーロッパだとあるレベル以上の国には全く歯が立たない。それは上記で述べた、選手が体現できる戦術の数や種類が圧倒的に違うからだ。
なので、神戸に関しては、スター選手を連れてくる以前に、三木谷を羽交い絞めして監督の首を切るのを止めさせるのが一番手っ取り早いと思う。ベンゲル連れてきても面白いとは思うが、ベンゲルおいさんもチーム作るのに時間がかかるし何より年だ。ポドルスキをはめるならリージョよりベンゲルのが上手いかもしれないが…、でもアーセナルですでにアウトオブデイト感が出まくってたわけで、金の使い方が分かってねえな…という感じである。