はてなキーワード: 理研とは
世の中には飛び級で修士や博士を取る猛者もいるけど、研究のペースなんて人それぞれなんだから、自分のペースで納得いく研究をした方がいいよ。
私の周囲には、ボスが厳しくて5年在籍して博士号がやっと取れた人や、妊娠出産などライフイベントがあって4年で取得した人、定期的にメンタルがやられて4年で出た人、などなど3年以上在籍で博士号取った人がたくさんいるので、在籍年数はさほど大きな問題ではないと思ってるよ。
増田のように、研究の遅れに加えて経済的な事情もあって、1年休学して翌年に取得した人もいる。1年働いてお金を貯めて、休学中に論文書いていた。多少の実験であれば、ボスのはからいで許されていたらしい。国立だったので休学中の学費は免除されていた。
研究計画性が最も重視される研究機関(理研とか)に就職したいのでないなら、在籍年数よりも研究の内容を大事にしよう。アカポスの面接は研究者なんだから、研究内容の面白さを重視する人が多い。だからこそ論文は在籍年数よりも優先順位が高い。
私の周囲にも、ボスが放任過ぎて、博士課程に6年在籍したのに博士号取れなかった人がいる。彼はうちのラボに来てテクニカルスタッフやってたけど、再就職もうまくいって今は他大学でベンチャーの職員をしているよ。
アカポス以外の道もたくさんあるよ。DC1取ったけど、その後にアカポス行けなくて、弁理士の資格取って働いている人もいるし、アカデミアは肌に合わないから数年でやめて、ラボの共同研究先に就職した人もいるよ。
才能がある人が多い世界ではあるけど、凡才だけど研究が楽しいから続けてる人もいるよ。あと一部の突出した才能の持ち主以外、アカポスにつけるかどうかは運。
今、増田は疲れがピークに来ているから、人生について悲観しちゃうと思うの。1週間でも1か月でも休んで、疲れをとってくれ~~
・ルイボスティー なんかイグサの匂いがしてなつかしくなる。完璧にカロリーなしでホットがうまいやつ。フレーバーつけてるやつは知らん
・麦茶 カロリーはちょっとあるがコーヒーとかわらない。ミルクポーションなどを入れるとほぼコーヒー飲んでる味になる(すっぱみやコクはない)のでなんかふしぎ。ポーションにカロリーはたいていある。
・しょうが湯 市販のお刺身用のショウガの小パックを湯にとく。カロリーはちょっとある。アスパルテームとかいれると甘くもなる。 おなじように小袋でわさび湯、レモン湯もできる。わさびはたぶん目がつーんとするからやるな。レモンはしらね。
・ほうじ茶 焙じて茶色く焦がしてある。過程でカフェインは大部分は揮発しているはず。だが完全にゼロじゃないかも。アルコールフリービールみたいなもん。
「そしてその時ではもう遅いのだ。」 http://www.asyura2.com/sora/bd11/msg/691.html
「右翼、民族派の人たちが統一教会・原理研・国際勝共連合のことをどう思っ
ているか書いて下さい」と『朝日ジャーナル』の記者に言われた時には正直い
って気が進まなかった。
たしかに右翼の連中の中には「反共の同氏だ」と思っている人はいる。また、
「原理はウサン臭くて嫌いだが勝共は仲間だ」と公言する人も多い。警察の公
安や公安調査庁の人間だって反共なんだから仲間だし、日本に共産革命が起き
たときには一緒に決起してくれると信じている<純朴>な人も多いこの業界だ
しかし、少なくともわれわれ民族派、また新右翼といわれる若い人間にはそん
な混同を起こす人間はいない。だから、『朝日ジャーナル』の記者の話を聞い
て、何を今さらと思ったのである。それに、右翼全体なんてどうでもいいとい
う気もあった。多くの右翼が原理・勝共を反共の味方だとおもっているのなら、
それでもいい。何もおせっかいをして、原理・勝共の実態はこうなんですよと
<告げ口>することもあるまいと思っていた。
ところが、筑紫哲也氏の「原理不可解な右翼の沈黙」(本誌一二月十四日号)
を読んで少し考えが変わった。その種の挑発にはやはり乗るべきだと思った。
それに、『世界日報』事件で追放された副島嘉和、井上博明両氏が『文藝春秋』
に書いた内部告発を読んだ時の衝撃も忘れられない。原理とは大学時代からの
原理運動が初めて日本に入って来たのは二十五年ほど前だというが、本格的に
やり始め、世間の耳目を集め出したのは、それからしばらくしてだと思う。原
理運動のことを直接にしったのは、僕が昭和三十八年、早稲田に入ってからだ
それから二,三年して早稲田で全学ストライキがあり、それが全国の学園紛争に
火をつけて全共闘時代の幕開けとなった。それに刺激され対峙する形で民族派
学生運動も出てきたし、一時は全国30大学自治会を握り、「民族派全学連」
を結成しようというところまでいった。その学生運動の嵐が起こる前から、原
理研は駅前で黒板を出して演説したり、個人をオルグをしていたが、大学に入
りこみ、サークルをつくったりして組織的、全国的に活発にやりだしたのはこ
全共闘と民族派と原理。この三つの違った運動があの早稲田の一点から、ほぼ
同時期に生まれ、全国に広がり燃えさかっていった。換言すれば、全共闘に刺
激され、全共闘を反面教師としながら民族派も原理も、己の組織化を急ぎ、全
国的な広がりをつくっていったのである。われわれもそうだったが、原理研が
今やっている大学でのサークル、学内新聞づくり、自治会奪権闘争……などは
完全に全共闘から学んだものである。逆接めくが、今の原理運動も民族派の運
動もある意味では「全共闘の遺産」なのである。全共闘との付き合いについて
はこれまでも書いたことがある。今回はもう一つの原理について書く。
はじめに、「何を今さら」といったが、われわれ、戦後体制打倒をめざす「一
水会」の機関紙『レコンキスタ』(スペイン語で”失地回復”の意味)でも何
度か原理についての批判をしてきたし、原理運動研究家の第一人者である茶本
繁正氏を招いて一水会事務所で勉強会をしたこともある。その時のテーマは「
勝共連合は愛国者なのか」であったし、彼らは民族派の味方ではないこともわ
れわれは明らかにした。
また、われわれの仲間には何人か原理にオルグられたり、「合宿」に誘われて
行ったことのある人間もいる。二年前、そんな一人に「私はこうして”原理研”
が治った」という体験談を話してもらい『レコンキスタ』に載せた。当時は「
こうして新左翼が治った」「べ平連が治った」「アナキストが治った」といっ
た体験シリーズをやっており、それら左翼運動と同次元で原理も考えていた。
さらには、われわれ一水会と連帯している統一戦線義勇軍の機関紙『義勇軍報』
でも原理・勝共との戦いを呼びかけており、事実、一水会や義勇軍は他の民族
派と共闘して彼らとの闘いを展開していた。
小さいながらもこうした反原理・反勝共の闘いをやってきたが、これは右翼全
般からは不評で、「思いつきでやってる」とか「勝共は仲間なのに」「敵を利
する」などと批判された。しかし、大学時代からわれわれは彼らを一度も味方
だと思ったことはないし、民族運動の同志だと思ったこともない。学生の時、
早大で知ってた彼らは決して右翼ではなかったし、反共でもなかった。「天皇
なんて関係ない。文鮮明師がすべてだ」「憲法なんてどうでもいいし、興味は
ない」と、正直にいっていた。われわれとは立場は違うが、宗教団体としては
それも当然だろうと思っていた。ところが最近、急激に「右傾化」した。「天
統一教会・原理研と勝共連合は別だと言う言い訳は通じない。やっている人間
は同じなのだ。なぜ、急に右旋回し、豹変したのか。その右旋回は本物なのか
どうか。すっと疑問に思ってきた。最近の派手な言動に幻惑されて、即「味方
だ」と思ってる右翼に同調できない理由もそこのある。そんな疑問に答えてく
れたのが副島、井上両氏の『文春』のレポート「これが『統一教会』の秘部だ」
だった。そして、『原理講論』をはじめて通読し、両氏の告発が嘘でも誇張で
もないことを知った。
イエスが再臨する「東方の国」は韓国であり、韓国語が祖国語となって世界は
一つになるという。なぜ、「東方の国」が韓国かというと、中国は共産化した
からサタン側の国であり、日本は「代々、天照大神を崇拝してきた国として、
韓国のキリスト教を迫害した国」だから、これも「サタン側の国家」だという。
また、「第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国
家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン側国家との対戦であった」
という。
これは、『原理講論』にかいてある通りである。そして、韓民族がいかに「サ
タン」の日本によって、侵略され、迫害され てきたかがこれでもか、これでも
かと書かれている。『文春』の告発レポートでは、さらに驚くべき事実が書か
れている。韓民族が選民であり、他民族に優越しており、再臨主とは、すなわ
ち文鮮明氏のことであり、文氏によって世界は統一され、必然的に韓国は世界
の中心となり、韓国語が世界の共通語となる。こう説かれているという。
また、われわれ民族派としては見逃せないこととして「敬礼式」についても『
文春』に書いている。これは文鮮明氏をメシア、王の王とみなす象徴的な儀式
だそうで、本文から引くと…・・。
「統一教会が四代名節と呼ぶ記念日には、早朝五時からの敬礼式があり、そこ
では聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝
礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカ・ニューヨーク州の
イーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗
煥大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれの国の教会幹部が担当し、
文教祖一族に拝跪して全世界の主権者が文教祖に拝礼したという儀式を行うの
である。日本の天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長の久保木
氏なのである。何とも奇妙で、そして国民の象徴として天皇を上にいただく日
全くもってひどい話である。文鮮明氏の精神は、信仰の王国ではなく、現世の
王国を夢み、その独裁者たらんとする。これはまるで弓削道鏡だ。「彼らは反
共だから味方ではないか」と言っていた右翼の人々も、これを読んだら、とて
もそんなことはいえないはずだ。実際、「許せない」「こんな反日集団は敵だ」
と激高していた人が多くいた。僕としても前から、その性格は漠然とは知って
いたが、これだけ証拠をつきつけられては改めて愕然とする思いだった。
これを見ても分かるように、原理・勝共は決して右翼、民族派ではない。では、
一体何なのか。
まず第一に、これは裏返しの共産主義である。「原理研が治った」青年も言っ
ていたが、反共を唱えてはいるが、内部の生活はむしろ共産主義だという。人
生について考えている青年や悩んでいる青年をオルグってきては「合宿」につ
れ出し、何日もロクに眠らせずに「洗脳」をする。はじめは「そんな馬鹿な…
・・」と心の中で抵抗していても、しまいには疲れ果てててしまい、批判し抵
抗することも面倒になって全面的に受け入れてしまうという。「思想的強姦」
である。また、洗脳の途中で頭の回路が外れて気が狂ったりした人間も多いと
いう。さらに自由を許されない共同生活、文氏の決める人と結婚する集団結婚
式。本場の共産主義国家、ソ連や中国でも、ここまでは共産主義化していない。
自分たちの内部生活は共産主義で、外部に向かっては反共を唱えている。その
反共も本心かどうかは分からないが、本心だとしても、日本の民族主義とは一
切無縁のものである。さきほど見たように、これはソウルを中心とした反共イ
ンターナショナリズムである。初期の共産主義がモスクワを中心としたインタ
ーナショナリズムだったのと同じ構造である。共産主義と同様に、この原理・
第二に、その「反共」すらもが本当かどうか怪しい。「統一教会・勝共連合の
宗教活動、愛国運動は『文鮮明氏』の野望を実現することを目的とした方便な
世界の王になるためには、ます韓国の王(大統領)にならなくてはならない。
韓国は反共バリバリの国である。文氏は日本の人と金を湯水のように使って、
全世界的規模での反共活動の「実績づくり」をしている。そのための反共であ
り、韓国→世界の王に向けての手段である。反共運動の全部が全部、仮面とは
言えないにしても、原理運動と世界の王になることが第一の目標であり、反共
また、反共活動をいっしょにしている自民党や体制派文化人にたいしては、勝
共連合に入るように勧めるが、統一教会、原理研には入れようとはしない(な
かには一部の例外もあるが)。原理運動をしている人間は想像を絶するストイ
ックな生活をしている。物欲でこり固まった自民党や体制派の人間をストイッ
クに改造はできない。反共という衣をつけて、ハナから利用するためだけに近
寄っているのだ。あるいは、そうした金と物欲に目がくらんだ自民党サイドの
人間に対し、「いつか必ず自分たちの前に拝跪させてやる」と復讐の念を燃や
しているかもしれないが。
第三に、これは全体主義である。茶本氏は「ファシズムへの道」だというが、
その通りだ。文氏は、いわはヒットラーであり、『原理講論』は、さしずめ『
マイン・カンプ』である。『マイン・カンプ』の中には徹底した日本人軽視、黄
禍論があったが、日本語板ではそれを削除し、ヒットラーの力の前に幻惑され
て日本は手を結んだ。それと同じように韓民族が選民であり、世界の中心だと
いうことは、日本語板の『原理講論』では意図的に削除されてきた(最近は居
直って日本語板にも出しているが)。これと同じ過ちを日本の体制側、そして
一部の右翼は再び犯そうとしている。
第四に、この狭量なストイシズムは宗教としては光輝いて見えるが、世俗的権
力の奪取、文王朝の建設を目指すという政治の世界には入るや、必ず悪い結果
になるということだ。ロベスピエール、カルヴィン、松平定信…・・と、その
ツヴァイクの『権力とたたかう良心』によると、宗教改革に成功したカルヴァ
ンは、他人のどんな小さな過ちも許せない狭量、厳格な人間で、徹底した恐怖
政治を敷き、「罪ある者が神の裁きをまぬがれるくらいなら、むしろ罪のない
者が処罰される方がいい」と公然と告白したという。また、カルヴィンやロベ
スピエールはそのいい例だが、「禁欲と苦行のひとというのは、いちばん危険
それをもっと推し進めればカンボジアのポル・ポトになる。古い体制、古い倫理
観の人間は殺して、殺し尽くした。人口の半分も殺したというが、国民の半分
を殺して達成しなければならない革命とは一体何なのか。地獄のカンボジアを
実際に見てきたある新聞記者はこんなことを言っていた。古い体制の人間を殺
す尖兵は、少年たちだったという。その少年兵たちの目は、人間の生死はもと
より、もう何事にも感動を示さないし、 いわば<ゾンビ人間>の目だったとい
う。そして、その目はしょうど原理研の人たちの目に似ていたという。未来を
暗示するようで、何かゾッとする話だ。
第五に、彼らもまた、<狼>だ。これだけでは何のことか分からないだろう。
僕は十年近く前、三一書房から『腹腹時計と<狼>』という本を出したが、そ
の爆弾事件の<狼>とあまりに似ていると思うのである。個人的なまじめさに
おいて、また、日本の戦争に対する贖罪意識の余りの強さにおいて・…。両者に
とっては先の戦争はまさしく原罪である。日本は韓国や中国に侵略し、残虐の
限りを尽くしたひどい国だ、と教えられ、一途に信じ込む。だから、再び、そ
うした国に経済侵略してゆく企業には爆弾を投げるという<狼>。彼らの中に
は「自分の祖父や父は兵隊になって侵略したから自分はその贖罪のために新左
それに対し、侵略した「サタン側の国」(日本)からは、いくら金をしぼり取
り、人間を消耗品のようにつかってもいい、という原理・勝共。朝鮮人参、印
鑑、大理石のツボ、花売り、街頭カンパ等、ありとあらゆる方法で日本から金
をかき集める。詐欺まがいの商法で、ピンク産業以外は何でもやっているとい
う(もっとも統一教会としては、上からの指令はしていないと逃げているが)。
末端の会員ですら月に100万円のノルマを課せられ、日本全国からは月に2
0億円、年に240億円もの金がアメリカの文鮮明氏の元に送金されていると
いう。合法、非合法を問わない強引なやり方で「サタンの国」からは徹底的に
金をしぼりとり、文王朝のために日本人は手足として使い、使い捨てにすれば
いいという考えだ。
会員もそれに甘んじている。これは日本の戦争に対する韓国側の復讐なのかも
しれないが、日本人会員にとってはそうすることによって「侵略戦争」の贖罪
ができると思っている。<狼>クループ同様、屈辱的な贖罪史観、敗戦コンプ
レックスを色濃く引きずっている。
第六に、文王朝建設のために日本人の<献身の美徳>が最大限に利用されてい
る、ということだ。いつの時代にも、他人のため、世界のために体をかけて働
いてみたいと願う正義感の強い青年たちはいる。方向性は違っても、戦前の青
年将校、在野の右翼運動、日本赤軍…・・。そして多分、原理運動に飛び込ん
STAP細胞の研究は、マウスがないと成り立たない、マウスの権威は若山教授しかいない
若山教授は最初から意図的に偽のマウスを小保方氏に提供したのではないか?と疑う
小保方氏が若山教授から受け取ったマウスは本物なのか偽者なのかは若山教授しか分からず、小保方氏は信じるしかないのではないか?
もし、最初から若山教授がマウスに小細工をしちゃったら、全ては狂ってしまうのではないか?
そして、小保方氏をはじめ、理研の全員が騙されてしまうのではないか?
スパコン富岳の世界一 起点は「2位じゃだめですか」|NIKKEI STYLE
日本のスパコン開発の、ターニングポイントになったのが2009年に行われた「事業仕分け」だ。蓮舫参議院議員による「2位じゃだめなんでしょうか」の名セリフは、多くの人がご存じだろう。
当時の民主党が科学技術への理解がなかったことの象徴のように捉えられているこの発言だが、実際にはそういったものではなかった。
理化学研究所(理研)が中心となり、NEC、日立製作所、富士通が共同開発していたが、事業仕分けの半年前にNECと日立が開発から離脱していた。リーマン・ショックの影響による業績悪化が表向きの理由だが、両社が担当していた「ベクトル部」の性能が上がっていないということも背景にあった。
さらには米国での次世代スパコンの開発状況や、急上昇していた中国の状況から見ても、世界一を取るのは厳しいと思われたのだ。
蓮舫議員の発言は1位を取れなかったときに、このプロジェクトの意義がどこにあるのかを聞こうとしたものだった。1位でなくても企業が利用しやすいものであれば役に立つのではないかと、むしろ助け舟を出していた。
結局、政治的判断で予算は復活し、残った富士通と理研が開発した京は世界一になったが、蓮舫発言は、富岳の開発にも影響を与えている。
一つには「世界一」を目標としなかったこと。もう一つは使いやすさや、アプリケーション開発を重視したことだ。
富岳の開発目標に「世界一」という言葉は入っていない。「京の100倍」という性能目標はあるが、ランキングを決めるベンチマークテストでの100倍ではなく、実アプリケーションでの性能が100倍という目標である。
ごくごく稀にうまく言ったやつを持ち上げておいて、そいつらこそが素晴らしい。真似ろと言って。
実際に道の途中にいるやつや、途中で失敗したやつに石を投げる。だって能無しのくせに素晴らしい起業やイノベーションの道を歩んだのだから!。
それはそれは素晴らしいものしかない世の中になることでしょう!!!!
そんなの生まれない?アホをおだてればいいんだ!起業教育だ!一歩歩みだせば必ずうまくいくかですか。
川にかわいそうな人間を大量に叩き落とせばイノベーションが生まれるですか!
本当に日本は腐ってるね。
理研の雇い止めの労働団体だとか、仙人計画で叩かれた服部先生や、科学不正の一方で大学の構造問題に取り組んでる榎木先生に御高説を述べたら、、、と思うが、彼らのじゃまになるような愚劣な存在はまず黙ってるのが良かろう。
イノベーションやってるすごい人ーなんてのは昔からいくらでもあったのに、子供のイノベーションがバズったのは子どもたちが攻撃されてるからなんて話がついたからか。
外野がどう思おうが正直どうだっていいし、振り切るぐらいで当然だが。
しかし、時間も金も与えずにそのくせしばき倒すのは盛んなのはどうしようもない。理研の雇い止めとか、大学ファンドに対して、儲けを必ずしも前提とせず幅広くなんて声がここしばらく強かったからな。
それに対して「子供のイノベーションが壊されてる」っていう演技を作ったのか。本当のイノベーションの敵はふわふわ思いついたネタがすぐGAFAになるんだ!そうなる餌をくれ!餌となったのなら俺にゴミクズみたいに扱わせろって腐った連中なんだが。
なんか理研で600人退職とかで「技術力の低下がーーー」とか言ってるの理解できん
研究所と名の付く場所で本当に研究してる人なんて本当の本当に一握りで
面白そうだからビジネス化しようとしたらなんだかんだ理由つけて断ってくるし
面倒ごとは嫌で自分の好きな内容だけやって給料貰えて自己肯定感が得られればそれでいいような人ばっか
大学も似たようなもんだけど一応は教育機関だから優秀な学生を輩出してる分には好きなことやってていいんじゃないの?という気はしてる
(教育のイロハを体系立って教わったことが無い人達ばかりなので教育できてるか怪しいもんだけど)
日本の産業が付加価値を付けられなくなったのは研究力の低下じゃなくて開発力の低下だからな
開発力の低下はITリテラシの低下がウェイトとしては大きいんだよ
企業の人間も教育に関しては素人の集まりだからまともな教育なんて出来ないし
そんで2000万とか3000万とかの年収渡したら山ほど税金で取られるし補助金関係全部なくなるし組合には反発されるっていう、終わってる国なんですよ
なので結果的には無能を大量に抱え込んで安い給料の代わりにたいした成果も求めないっていう状態になってる
そんな状態の人員をクビ切っても技術力は低下しません(もともと低いだけだけど)
浮いたお金でベンチャーキャピタルやって5年とかの長期投資した方がよっぽど健全だわ
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad284e4bc778d27fa7469e0bdb92c2052353c6c6/comments
2022年の時点で、海外の研究所にも行けない無能な研究員ばかりが残っている理研で、
これ以上雇用を続けても、何の成果も生み出せないだろう。
日本の理系がおかれている研究環境がやばい。これは当事者の困っている人々ではなく、外部の有識者でもなく、隣人たる文系博士予備軍からの心からの叫びである。
自分はこの春、国から月15万の生活費と年間数十万の研究費を支給された文系後期博士課程である。
(ここから次の()までは心の赴くまま書いた日記なので読まなくて問題ない。)
恥ずかしながら研究費というものを貰うのは初めてなので、あの専門書買っちゃおうかな、アドビ―サブスク契約は規約的に大丈夫だろうか?などとウキウキであった。当初に申請した金は二万弱。大学が募集期間を10日間しかもうけてくれない異常事態だったので、必死で捻りだしたいま必要な専門書を買う為のお金である。担当教授にはもっと交通費とか機材代とか申請すればよかったのにと言われたが、必須でないものを買うのは気が引けたし、正直通るとは思っていなかったのもあった設定であった。
運よく選考を通過し、晴れて生活が楽になる!と生活費支給に喜んだのもつかの間、なんと研究費二十万近く以上増えていた。どうも、申請した金額のほかに基盤研究費というものを貰えるらしい。うれしいが、正直使う当てがない。しかし事務によれば、使い切らないと怒られるし来年から後輩が予算を減らされて困るのだという。とりあえず、何が有意義に使おうと教授に相談したところ、タブレットでも買えば?とのことだ。いやいや私がパソコンで使うのは検索とワードエクセルパワポ位であり、タブレットは必要ない。さらに言えばパソコンだってまだ使えるので必要ない、事務に怒られますよ、といえばそんなの誰も気にしないよ、とのこと。担当教授いわく、大学では「とりあえず買ったパソコンやタブレットを積む教授」が常態化しえいるそうだ。そして、それはなにも教授特権ではなく、学生も当たり前にしていることだという。それはをきいた時は、研究費というものの実態に目が回った。結局、コピー紙やインク等を管理できる量だけ買って、あとは英訳した論文の校正費用にあてることにした。
(ここまで日記)
少なくとも私がいる文系学部の教授は、年度末になると「研究費を使い切らねばならない」という命題の為に、生協に走るのが恒例行事だという。そこで売られている、業者おすすめの最新パソコンを買う為に。
とよくネットで叩かれている、性能が落ちる割に重くてごつく、壊しやすい大学生の為の無料修理保証つきでも高いといわれるアレである。
会議の時、同じ生協のパソコンがずらりと並び苦笑いすることもしばしばだという。
ミーハーではない、ガジェットオタクでもない、転売ヤーですらない。その証拠に、すぐ飽きたとさえいえない、教授たちの部屋には開封すらしていない、そもそも買う時もスペック確認されていないパソコンが積んである。
うちが特殊なのかと他大の教授たちに軽くきいたところ、研究室に埋もれる生協パソコンの群れはあるあるだと笑っていた。それもこれも、文系も理系も平等に研究が配られ、使い道もしっかりと精査されないからだ。
理系がお金がなくて仕方ない時に、同じ大学の中でこんなことが起きているのだ。もちろん文系だってお金がいくらあっても足りない研究は沢山あり、有意義に使われている事例もたくさんある。
国が金を出せという主張はある意味では正しいが、無い袖は振れないというのがあるのも正しいだろう。
金が研究費に流れないってのは、産業利用につながらないというのがある。
単一要因ではなく、複数の理由が絡み合っているのだと推測する。
仮説の1つとして、メディアや日本に住む人の関心がないことが挙げられるのではないだろうか。
Webに移行してきたが、アクセス数が稼げない記事は価値が少ないのが1つ。
難しい話をしても誰も読まないというのもあるだろう。
毎日世界のどこかで起こっているセンセーショナルな出来事を提携している海外メディアやSNSから探してくる方が楽なのだ。
日常的に伝えられないので、それをウォッチし、活用する方法がないかを考える人がいない。
(例えばGAFAからどう守るか、利用するかばかりだ。どうやったらなれるかについてはビジネスモデルが違うのでなれない)
そもそも国内に詳しいというのはステータスにならない。海外製品をどれだけ持っているかがステータスだ。