はてなキーワード: 独り言とは
そうだね。あくまで表紙買いとかして「自分が思ってたのと違った!見る目がなかった」っていう自虐の言葉だったのに、他人に対して「地雷止めてください」っていう攻撃の言葉になってしまったのは不幸だ。あくまで自分でマインスイーパーをプレイしていての独り言のはずだったのだ。
心に引っかかったことがなかなか忘れられないほうで、たまに思い返しては瞬間的に後悔する。
あの時なんであんなことを言ってしまったんだろう、学生時代の妙に刺々しい言動、変に自信満々で家族に宣言したこと、仕事の大事な場面で緊張してうまく言葉が出なかったこと、変に食生活を乱してちょっとした病気になったこと。
特に後悔の度合いが大きいのは、無意味に人を傷つけたように思える場面。その時は反射的に、瞬間的な反応として言ったことが、後々どんどん自分の中で重みを増して、時間をかけて後悔になった思い出。
こうした記憶の相手は、大体が既に連絡を取り合っていない相手で、連絡を取ろうと思っても簡単には取れないような相手だったりする。そうすると後悔の言葉は行く当てもなくて「ごめんなぁ…」みたな独り言になるしかない。
独り言を何度言っても誰にも届かない。こういうことを解決するために、神が発明されたのではとも思う。誰にも届けられない言葉や思いの受け取り先として。
twitterはふぁぼもリプも貰えることがほとんどない、ほぼ独り言なんだけど(自分をROMってる人が何人かいることは把握してはいるが)、増田は返事がくる確率がtwitterより高いから滞在時間が長くなりつつある。誰でもいいからおしゃべりしてたいだけなんだろう。20年前からそれは変わってない。イヤホン塔はtwitterでもっと絡みたいんだけど。知らん人でも絡んでいいタイプと「なんやこいつ」ってドン引かれるタイプがいるじゃないですか、相手がどっちタイプなのか怖くて話しかけられん。バスで落し物ひろった増田と同じで。
ブクマついて注目リストに入ると少しうれしかったりする。承認欲求が少しだけ満たされる。
が、40代月収8万円フォロワー1万人イラストレーター婚活の話を思い出してしまう。
SNS影響力って虚しいものなんだな、その影響力・知名度でたとえばYouTubeで1000万円稼いでますとか、自分の書いた増田記事が国会答弁で参照されましたとかならいいんだろうけど、そんなのはごく一部の上澄みレアケースだし。SNSのフォロワー自体はあてにならないし意味がない。ブクマ付いたから年収が増えて結婚できるわけでも全くない。しかし虚無の承認欲求は満たされる。砂上の楼閣で殿様になったような。砂上でもいいから殿様気分でいたほうがいくらかマシなのだろうか。
父
田舎の農家から上京してきて、30くらいでレストラン初めてチェーン15店くらいできた社長 ← この後半らへんが私の物心ついた時
20年くらいたったあと、業績がひどい事になり倒産 ← ここらへんが私の思春期
とにかく頭が悪くてブサイクだったけど、社長の時期はとても謙虚で腰の低くて毎日遅くまで仕事してる人だった。
それが倒産してからひどくなった。癇癪持ちになって人に肩をぶつけまくったり近所迷惑なのに騒音をながしまくったり、
よく独り言で「なんなんだよっ!くそっ!」とかどこでも叫び始める、よく電車にいるやばい人になってた。
「育ててもらった縁はあるけど、人間としては無理」な典型的な親になっていった。
今思えば昔から上昇志向とプライドは高いけど、自分に自信がない人だったのかもしれない。
会社がうまくいってる時はプライドが保ててたから腰が低かったけど、倒産して人が離れてってブサイクな自分しか残らなかったから本性が出たのだろう。
自分自身非常に迷惑というか痛み分けを被ってきたので、施設の人と相談して、学校を中退して離れて住むこととなった。
そこから先の父とは2回しか会わなかったのだが(絶縁あるあるで、やはり10年くらい経つと滅茶苦茶心配になるときが来るのである)、
そのときもやはりプライドの高いのと癇癪持ちは治ってないのが見え透いていたので、関係が修復する事はなかった。
葬式行く気がなかったけど今の夫が「まぁお父さんいなかったら僕たち出会わなかったし、気が向いたら行ってきたら?」と煽ってきて、
「おーじゃあ行ってきてやるよ!怖いもんなんてねぇしな!なんかお土産買ってくるわ」くらいの感じで行ってきた。
行ってみたら、式を開いた母と、父が死んだことを連絡してきた兄以外、誰もいなかった。
母いわく結構な人を誘ったらしいが誰も来なかったらしい。
それを聞いて私が思わず「まぁ自分ももし赤の他人だったらこんな奴のために来ないよなーw」と少し笑って言ってしまった。
(さすがに怒るかな?)と思ったら、母も「まぁね〜」ってなんかツボにハマったらしく、5秒くらい笑いが止まらなくなって、20年ぶりにあった兄も「ふふっ」って笑い出した。
思えば、今この場にいるのは父の死体と母と兄と私だけなのだが、家族水いらずでこうして集まったのは実に30年ぶりなのである。
そして家族から笑顔が消えたのも自分が小6の時以来で、なんというか、こうして自分と母と兄が笑いあっている今この瞬間がとてもエモく思えた。
まぁ父の顔は見たくないので、母にお金だけ渡してサッとそのあと帰ってきたのだが、「なんだかんだ行ってきてよかったわ」と夫に言ってちょっぴりホッコリした。
なんだかんだ父が死ななかったらこういう事もなかったので、
最後の最後に父に、30年ぶりくらいにありがとう的な気持ちが芽生えて、心がじんわり温かくなって「あー仲いい親子って毎日こういう気持ちを感じてるんだろなー」とかふと思った。
おわり
エンジニア歴の浅いヒヨっ子だけど、めっちゃわかるって思って泣いた。
自分は文系だけど一応大学は出てる。世間的には頭悪くはないかもしれない。
基本情報の勉強は楽しかったし知識詰め込むタイプの勉強は得意だった。
そもそも「頭が悪い」ことがITを理解できることに直接関係していないことはわかってる。なんというか、モノを理解できないときに「頭が悪い」っていう表現をするのはちょっと雑すぎると思う。
いろいろ考えた結果、「頭が悪い」って表現が適してる気がする。
1. 作りたい処理を自力で実装できなくて同僚に質問して教えてもらうところ。でも教えてもらったやり方は知っているやり方で、ドキュメントでも読んだことあるやつ
2. (技術的ではない)問題が発生したとき、簡単な解決法ではなく手間のかかる解決法しか思いつかなくて、「こうしたらいいじゃん」と言われて「冷静に考えればこうしたらいいのは当たり前だな、なんで思いつかないんだろう」と思う
3. 日本語の文章読んだときも、ライブラリのソースコード読んだときも、とにかく理解が遅い
4. 理解しないと覚えられない
1つめは、やり方の存在は認知してるけどそれを使うことができないから自力でできないんだと思う。
思えば自分は数学が苦手で、単純に計算ミスが多いのもあるけど、習った公式を使って応用問題を解くのができない。どの公式使ったらいいかわからない。エンジニアとしては致命的かも。
2つめは、よくわかんないけど解決策を精査し足りてないのではと思っている。まあでも時間かけたって思いつかないものは思いつかないと思う。
でも上司はいつだって最短経路で最適な解決策を導き出す。それは経験なのか、知識なのか、能力なのか、どれでしょうか。
3つめが、最も自分が「頭が悪い」と思うところ。何度も同じ説明されて、それを何度も聞いて/読んで脳内で噛み砕いて、理解したと思って自分から「つまりxxってことですか?」って質問して違うと言われたりしてまた確認して、それを何度かやってやっと理解する。
ちなみにそれは大抵、しばらくして同じもの読んでも「あれこれってどういうことだっけ」となってまた同じ説明聞いて同じ質問する。
質問すること自体は悪くないと思うけど。要領が悪い、頭の回転が遅い、とかが表現としては適切そう。だけど総合すると「頭悪い」んだなと思う。
4つめは、「理屈はわからんけど記憶する、使う」ができないのが問題。昔から自分は理屈を理解しないとスッキリしないし、応用することができない。公式がどうしてそういう公式として導かれたのかを理解しないと、応用問題で使えない。
元増田でも誰かが言ってたかもしれないけど、ライブラリの中身を完全理解しようとせずにただ「使用者」になるべきなんだけど、理解できてないとドキュメントの写経しかできない。
あと基本情報では「どういうこと?」ってなった分野は全然覚えられなくて正解率低かった。
5つめはそのまんま。ある作業中に他の仕事頼まれたら、あとでやるか今やるか判断するためにどんな内容なのか見る。内容の中で気になることがあって調べ始める。そこでメールの通知がくる。メール読んで返す。
ここで急に「そういえばあれやらないといけないんだった」と思い出す。やり始める。定時になって元の作業は全然進んでない。
あとちょっと似てるけど、アプリケーションのソースコード読んでてAの関数がわからなくて、その定義元を見る。するとその中で見慣れないBという関数が出てくる。
Bの定義元を見る。Bはライブラリの関数だった。Bの中身を読んで理解した時にはなんで今自分がBの中身を読んでたのかわからなくなってる、というのも悩み。
前にADHDのエンジニアのブログ読んで完全に自分だと思った。ADHD詳しくないけど。
プログラミングに才能は関係ないという。けどここまで来るとエンジニア向いてないかもしれない。
厄介なのが好奇心があって、現代日本でなくてはならない存在となったIT技術がどうやって実現されているのか知りたいし気になること。(元増田も好奇心あるタイプに思う。)
あとはものを作ったり、書いたコードが動いたり、技術で問題を解決できるとすごく嬉しいし楽しい。
けどそれ以上に自分の頭の悪さ、無能さに絶望することの方がつらい。耐えられない。頭が悪いせいで仕事もろくにできなくて周りにお荷物と思われてると思う。
正直今仕事楽しくない。転職する夢ばっかり見る。他の職種の方が向いてるかもしれない。前職はサービス業だけどもはや向いてるものなんてないかもしれない。頭悪いから。
でもなんかそれって「出来ないことを克服せず、耐えられなくて逃げた」ことになる気がして、変なプライドのせいと、度胸ないせいで別職種への転職は決断できない。
金を稼ぎたいと思う気持ちだけでは心がついてこない。
日頃、仕事したくないって独り言ばっか言ってるのにそんな目標なんて叶えられ気がしない。
ーじゃあ、別の目標を立てるのか?
仕事が終わらないと頭がすっきりしない。
そんな事を考えるのは疲れる。
本当はもう何もしたくない。
チャットも連絡も夕方から宿題を投げるに仕事投げてくるじゃないか。
…視野が狭くなる一方だ。
その先が崖に見えてしまう。
生きる事に意味を感じなくなってきてる。
寝た方がいいのか?
都内の職場で恋に落ち、しばらくして同棲し、時々どちらが皿を洗うかでケンカしながらも、それなりに暮らしている。
1人で抱え続けるのも少し疲れたのでちょっと聞いていって欲しい。
兄弟姉妹に障害を持つ人がいる人のことをきょうだい児と呼ぶらしい。
私は2人兄妹で、5歳上の兄が生まれつき軽度〜中度の知的障害を持っている。
簡単な読み書きは出来て、なんなら私より綺麗な教科書通りの字を書く。
電車が好きで、休みの日には色鉛筆を駆使して私鉄の電車の絵を描く。
普段は一般企業の障害者雇用枠で働いていて、実家から毎日電車に乗って通勤して、多くはないが毎月給料を得ている。時々会社から製品の割引クーポンが送られてくると家族に分け与えてくれる。
父とサッカー観戦に行き、(隣以外には聞こえない声で試合と無関係な独り言をぶつぶつ言いながら)観戦しては帰ってきて手洗いとうがいをこなす。
家族に対してすらめったにボディタッチをしてくることもないため、危害を加えられない限り他害はしない。
様子だけ見るとちょっとコミュ症なだけに見えるのだが、会話してみるとかなり幼さの残る受け答えや落ち着きの無さが如実に現れる。
"ちょっとのんびりした子"どころでは無さそうだぞ?と気付かれるわけだ。
まぁそれでも親や親戚、ご近所さんや支援級の他の親御さんに可愛がられながら、アラサーになった。
彼は自称"お兄ちゃん"だが、私にとっては今でも"落ち着きのないデカい弟"である。
さて、先述した「きょうだい児」で検索すると「きょうだい児 結婚」というのがサジェストされる。
世のきょうだい児は、結婚において大きな不安を抱えているのだ。
自分たち家族だけで暮らしていくならこれまで通りの暮らしが続くだけだ。
しかし結婚となると話が変わる。バックグラウンドの全く異なる結婚相手とその家族が登場する。
「家族に障害者がいるんだ」と言った時にまず恋人はなんと言うだろうか?
この人なら受け入れてくれそうだと思っても、その瞬間を想像するだけで内臓が口から全部出てきそうなぐらい緊張感が高まってしまう。
どれだけお互い愛し合っていても、そのリアクション次第で2人の関係が終わってしまうかもしれないのだから。
もしかしたら相手は「そうなんだ!どんな性格?」なんて"普通の"きょうだいの話を聞くみたいに受け止めてくれるかもしれない。
しかし、そうでなかったら。
「えっ?あ、そうなんだ…」なんて言われたらもうおしまいだ。
近いうちに別れ話をすることになる。というかその日のうちに別れ話をされたこともある。
でもこれは仕方がないことだ。
相手の育ってきた環境によって培われた価値観はそう簡単に塗り替えられるものではないことを私たちは知っている。
もしかしたら何か危害を加えられたことがあるのかもしれないし、そうでなくても困らされたことがあったのかもしれない。
異性の、あるいは同性のでも他人の介護をする可能性があることに不安感がある人だって当然いる。
きょうだいの存在をカミングアウトする事は、両親に結婚相手を紹介するときの何倍もリスキーで、何倍も恐ろしい。
偏見かもしれないが、中高年の世代は若い世代に比べて差別意識を隠さない人が多いように思う。
差別しているという意識がそもそもない人もいるのかもしれない。
ゆえに大切に育ててきた我が子の恋人にそのようなきょうだいがいると知った時、おそらくショックを受ける人が多いだろう。
「孫に遺伝するのでは?」「両親が歳を取ったら夫婦できょうだいの面倒も見なければならなくなるのでは?」「今は良くてももし関係ない人にも迷惑をかけるようになったら…」など、たくさんのネガティブな想定が頭に浮かぶはずだ。
きちんと両親ときょうだいの老後のプランを考えてプレゼンすれば納得してくれるかもしれない。
それでも、叶わぬ恋になってしまうことは往々にしてある話だ。
「きょうだいに障害があることで恋人を振るような相手ならその相手の存在がきょうだいにとって良くないものなんだから別の相手を探せばいいじゃないか!」という意見を見たことがある。
そういうことではない。そういうことではないのだ。
自分のきょうだいのことを好きな人も嫌いな人もいるが、その恋人との将来について考えているのは、自分の将来について思い悩んでいるのは、まぎれもないきょうだい児本人なのだ。
障害があろうとなかろうと、子の面倒を見るのは親のはずだ。決してきょうだいではない。
自主的にケアをしようとする場合以外は自分自身の将来のことだけを考えれば良いはずなのに、どうして本人の結婚にきょうだいがこんなにも影響するのか。
どうして自分が産まれたのかについてかなり悩んだことがある。なんなら今も悩んでいる。
もしもそうだったら、私は結婚せずに実家にいて、家族が全員旅立つ日まで世話をし続ける想定だったのだろうか?
まだ怖くて親には聞けていない。
まぁ聞いても本当のことは言わないだろうが…
親が年老いた後も障害を持って産まれた我が子の面倒を見てくれる存在がいれば助かる。
我が子が"普通に"成長していく姿も見てみたい。
まぁ、なんというか、そういうことなのだろう。
私って何のために産まれたんだろう?
実は、恋人には「良い奴なんだけどちょっとトロくて話し下手な兄がいる」ということしか伝えていない。
そろそろ話さなければと思ったが勇気が出ないのでここに吐き出した。
正直に言うと同居して面倒を見たりするつもりはない。もう若くない両親が裕福ではない実家で面倒が見切れなくなったら、グループホームか施設で暮らしてもらう予定だ。
私とケンカしながら暮らすより、それなりのお金を払ってスタッフにケアしてもらったほうがきっと彼も生きやすいはず。
もちろん、兄にも兄の人生がある。
ずっとそばで見守ってはあげられないけど、できる限り楽しく生きていて欲しい。
子供がいる友人たちは「産めば可愛く思うようになるよ」と言っていたが、私のように苦しむ子供はこれ以上増やしたくない。
何十年か後になって、これまでの苦しかった気持ちが癒されたら、「それでも子供を産んでおけば良かった」と思うのだろうか?
…多分思わないと思う。
来年発売のBSX (BUREI STATION X)店頭1次予約がBEPPU CAMERAで行われると聞いて前日夜から並ぶことにしたのだった、1次予約で抽選券を手に入れ、抽選に当たれば2次予約として晴れてBSXを買う権利が与えられる、今年は疫病が流行っていて転売屋を並ばせるとあっさり全滅することは確実なのでこのようなシステムが採用されたらしいが、ネットでの予約とは別に店頭での予約枠が別にあるという噂が流れ、力技で早くから並べば、機械的な手段で瞬時に予約を決める業者に惑わされずにBSXを手に入れられると目論んだ、のだった、失業保険も今月で切れるから少しでも収入につながればと思い、並ぶことにした、のだった、もう雪が積もってきているのでまさか徹夜で並ぶ馬鹿はいないだろうと思って前日の22時にBEPPU CAMERAの前に行くともう3人いずれも黒い上着を来た男が並んでいたから馬鹿はいたのかと思った、が馬鹿は一体誰なのだろうかと思い自分も並んだら、数分後に背後にもう一人爺さんが立った、爺さんは作業服の上にボアのジャンパーを着て、手に持った大きなビニール袋からは乱雑に畳んだ新聞紙や傘や黄色くなったビニール袋がはみ出していたからバイトなのだと思い、なるべく関わらないようにしようと思ったが爺さんは暇そうにしていて、いーっさみいなあとかいって話しかけたそうに独り言を言うから、いつの間にか話すことになって、適当に相槌を打っていたら、爺さんはまんじゅうが食べたくなったから場所を取っておいてくれという、わかったといったら爺さんは新聞紙を地面の上に置いて、向こうに見えるコンビニに入っていく、数分経って戻ってきた爺さんは手にまんじゅうを2個持っていて1個を自分にくれる、つぶあんの入ったまんじゅうはとてもあたたかく、道路に氷が張りだした空気の中で体に染み込むような旨さだったからじいさんが一気に好きなってしまった、からお互いに身の上話などしながら夜が明けるのを待っていたら、ますます気温は下がる、じっと立っていると膝が震えてくるくらいになる、爺さんはこんどはコーヒーが飲みたくなったからまた場所を取っておいてくれというから、わかったというと、また新聞紙を地面に置いてコンビニに行く、とすぐに別の男が2人やってきて列に割り込み、新聞紙を踏みつける、すいませんそこは、としか自分は言えなかった、男の一人はガンをつけてきて、なんだよ誰もいないあいてる場所だから入ったんだけど、という、いやそこはすぐに戻ってくるんですよ、というが聞き分ける様子がない、そのうちに缶コーヒーを2個持った爺さんが戻ってきて男たちを見かけた途端に甲高い声で怒鳴りつける、男たちと爺さんは小競り合いになるが、2人にかなうはずもなく爺さんは殴り倒されてアスファルトの道路に転がって、男の一人が、るぁとかいってそこへ蹴りを入れると、ボクンと骨を打つ音がして爺さんは動かなくなる、いつのまにか警察が5、6人来てその場を取り囲む、BEPPU CAMERAから警備員が出てきて警察と話す、救急車が来て爺さんは運ばれていく、男たちは警察に連れて行かれる、自分はその場で事情聴取を受ける、なんで並んでいたのかと聞かれて、BSXの1次予約を店頭でするためだと説明すると、そんなことはやっていないと店側はいっているぞと警官に言われる、いやまさか嘘だろう、店に聞いたのかというと、店側が言っているんだから早く帰ったほうがいいと言われる、いや嘘だろう、嘘じゃない、という問答を繰り返しているうちに列にいた他の人々はどんどん帰っていったから、ようやく本当らしいと思うようになる、事情聴取を終えた頃には他には誰もおらず、夜が明け始めていて、BEPPU CAMERAのシャッターは閉まったままで、そのまま帰ろうにもあまりにも手持ち無沙汰で、ひどく腹も減っていることに気づいたから、周りに店を探してもこの時間に空いている店などなく、ようやく見つけたのはタクシー運転手や警備員にそばやうどんを早朝から出す店でカウンターしかなくて、朝からそばかよと思うと、壁のメニューにじゃんぎ丼があったからとりあえず注文して、出てくるものを掻っ込むと飯が熱くて、肉は甘辛くて、あっという間に食べ終わって外に出ると帰るしかすることがないことに気づいて、帰っても自分を待っているものは何もないことに気づいて、
クソ。
講師の人によると化粧をしないで外に出かけるのはパジャマで出かけるのと一緒だそう。だから化粧をしなければならないと。一生分かり合えない。
私はメイクをするとさらにブスになる。でもこれは主観なので側から見ればメイクした方がマシなのかもしれない。でも鏡を見た時メイクしてない自分の方が好きだと思う。時間をかけて最悪の私になって就活するのかとおもうと悲しくなってくる。
アイライナーを引かないのはNGだし口紅の色もコーラルピンクじゃないとダメらしい。
吐きそう。
男の人はメイクする人もいるよねぐらいなのにどうして女の人はメイクをするのが常識なんだろう。やりたい人だけやればいいのに。
毎月毎月月経もあるし、足の痛い靴は履かなきゃならないし、どうして女になんか生まれてきたのか。私はなぜ生まれてきたのか、なぜここにいるのか、誰が生んでくれと願った。
社会の空気を読んで黙って従えない私が悪いし、自分を貫くほどの勇気もない私が悪い。
でもやっぱり嫌だ。
嫌なものは嫌だ。
死にたい。
「何をやるか」こそが重要であり、「誰とやるか」という人間関係については今まで軽視してきた。最近の若者の典型かもしれない。
しかし、色々あって人間関係の大切さに気づいたので記しておく。
私は地元(地方)のとある企業に新卒で入社した。中小企業で業界内でも強い方ではないため、スキルを身につけられる環境かといわれれば微妙である。
大手の子会社ではあるが、給料は高くなく年齢で見れば平均くらい。管理職になってもそんなに上がらないらしい。一応そこそこの大学(偏差値60〜65くらい)を出ているので、同窓生の多くには収入で負けるだろう。
将来を危惧して、転職活動に手を出した時期もあった。しかし結局は転職せず、暫くはこのままでいいやと思っている。
今いる部署は人間関係が非常に良い。歳が2つずつ離れた先輩と後輩、そして40代の上長という小さな部署。先輩と後輩はともに穏やかな性格でとても優しく、話もそこそこ合う。上長も同様で、指示は丁寧で過干渉してくることもない。
色々と大変な仕事が降ってきた時期もあったが、部署のメンバーに何でも相談できるし励まし合うこともできたので、辛さは感じなかった。
ちなみに、一つ前の部署は真逆で人間関係が良くなかった。会社を辞めようと思ったこともあるし心療内科にも通った(休職まではしなかった)。
最近は転職市場が盛んだと聞く。また、副業を勧める風潮も強い。これからの時代、会社が身分を保証してくれる可能性は低いので、スキルを身に着けて個として強くなる必要があるのだろう。
それはそうだが、人間関係という観点で見ると、新しい職場の人間関係が必ずしも恵まれるとは限らないし、馴染むためにコミュニケーション力が求められる。そもそも私のような一般人がスキル一本でやっていけるのか。
そう考えていくと、現状に多少の不満があったとしても、転職には中々足を踏み出せない。
これが万人に当てはまるかは知らない。
今の設計だと特定のパターン時にデータがゴミ残りするけど別に業務には影響ないし、考慮しないでいいよね
どうせ気づかれることもないし
瑕疵に気付くような有能なら俺が今こんなに苦労してるわけないし
もうこれでokにしていいよね
荷主は芸能関係のグッズを扱う販売会社で、荷物は某アイドルの限定版DVD。DVDは辞書くらいのサイズの箱に入っていて、そいつをひたすら緩衝材で包んで段ボールに詰め込む。
佐川が荷物の発送だけじゃなく梱包まで請け負いますよというのが表向き。実際の梱包作業は人材派遣会社に丸投げし、時給1000円で雇われた私たちがシコシコと手を動かす。
現場における指示は派遣会社の人間が出す……という建前になっている。もしも佐川の人間が陣頭指揮を執ってしまうと、偽装請負になるからだ。
今日の現場で私たちにあれしろこれしろと指示を出していたのは派遣会社の兄ちゃんだったが、兄ちゃんのすぐとなりにはピタッと佐川の人間が貼り付き、小声でボソボソと指示、ゲフンゲフン、独り言を口にしていた。
こんな風に書くと「佐川許すまじ」と憤る人もいるかも分からないが、私は別に何とも思っていない。佐川はまだマシである。
私は以前、東電で賠償業務に従事していたことがある。3.11の被災者が送ってくる書類を受理し、賠償金を被災者に払う仕事だ。
聡明な人なら「あっ……(察し)」となると思う。そう、東電自身はこの賠償業務をしない。
業務はすべてトッパン・フォームズという凸版印刷のグループ会社に丸投げされていた。
さらに驚くべきことに、トッパン・フォームズも実際の賠償業務はしない。もう一度投げるのだ、人材派遣会社へ。私はその人材派遣会社の人間として賠償業務をしていた。
ピンハネである。血税を2回もピンハネしていたのだ。原発やIT業界で日常的に行われている多重請負と構造は同じ。
ちなみにここまで書いてきたことは全部嘘である。そういうことにしておかないと私が怒られて……おや? こんな時間に誰か来たようだ……
その頃の記憶は曖昧でよく思い出せない。16年も経っているのだ。
面接はなし。登録の手続きもすべてネットで完結する。電話すらない。16年前は登録会があったように記憶している。
朝食は摂れ、時間は守れ、ピアスはダメだ。かなりの社会不適合者を想定したビデオをブラウザ上で見せられた。
バックレはしないでくれというお願いメールも就労前日に何通か来た。相当なやばみを感じる。
仕事は某アパレル大手の自社物流拠点での仕分け作業。時給1000円。Twitterでお金をばら撒くのが好きなおっさんが社長なのだが、そんなことしないで従業員の給料を上げてほしい。
千葉県内某所で待ち合わせ。そこから派遣会社のバスで京葉工業地帯にある物流拠点に向かった。道行く途中、何度も「Z○Z○」と書かれたバスとすれ違った。羽振りが良いのか手広くやっているのか、そこらへんのところはよく分からない。
物量倉庫に着くと、控室的なスペースに集められた。簡単な朝礼。昨日バックレが5人も出たから勘弁してくれとの話が出る。20人ほどで回している現場なのだが、5人は多すぎる。
サイズの合わないヘルメットを被り、サイズの合わない安全靴を履き仕事を始める。
私はベルトコンベアで運ばれてきた荷物をカゴ車に詰め込む仕事を任された(カゴ車が何であるかは重要ではない。とにかく単純労働だ)。
伝票番号がナニナニのものは弾けとか、大きな荷物は別の場所に置けとか、細かい注意事項をベテランと思しきおばちゃんから教わる。
このおばちゃん、案の定というか不安が的中したというか、まともな人ではなかった。極度のコミュ障でボソボソと独り言のようにしゃべるから何度も聞き返さないといけない。頭も酷く悪く、話の内容が意味を成していない。こちらとしては断片的な単語・情報から話の主旨を推量し、「つまりこういうことですか?」といちいち確認を取るしかなかった。おかげで仕事が終わる頃には喉がガラガラになっていた。
単純労働をしながら、私はずっとおばちゃんの属性について考えていた。どんな人がここで働いているのだろうか、と。
1日の実働は8時間。手当などないから日給で8千円にしかならない。月20日働いて16万円。そこからお上が税金や社会保険料を差っ引いて手取りは10万と少し。とても生活できる額ではない。
学生や主婦なら分かる。しかし明らかにそういう感じではない人が多数だ。瞳が濁っているというか、同じ現場を駆け回るヤマト運輸の正社員とは顔付きが異なる。うまく表現できないのだが、ポリティカル"イン"コレクトに言えば、社会階層が違う。
全身が痛い。とりわけ腰が強く痛む。こんな労働を連日続けるのは私には無理だ。ますますどういう人があの現場で働いているのか分からなくなる。
私が組んだシフトでは翌日と翌々日が休み、明けて月曜日からは別の現場で仕事だ。もうあの現場では働きたくないという思いがある一方、働き続ければ別の世界が見られるんじゃないかという期待もある。
コロナで無職になった人のブログを読んで自分の今のなんとなく人恋しさがすごくちっちゃいことと思い知らされた。
ただ、運が良かった、と人には言うけどここまで来るのにどんだけ苦労したか。
ブラック企業でも働いたし、派遣切りも解雇も内定取り消しも社内のいじめも全部経験して、何度も転職するはめになって。
お金ないから靴下も買えなかったけど、学費だけは無理やり捻出して勉強を続けたから。
結局目指した職業にはつけなかったけど、やりきったから納得して今の仕事について、これがいま自分の天職だと思ってやってる。
この職歴は完全に自分のせいだと思うし、コロナで酷い目にあってる人たちに凄く同情する気持ちもあるけど、一瞬申し訳ないと思いそうなったの思い止まった。
相手にもものすごく失礼だし、私は自分の努力に対しても申し訳ないと思った。
ここまで来るのに10年かかったよ。
そんなこと今苦境の中にいる人に言えないけど独り言でここに書かせてもらった