はてなキーワード: 感情移入とは
昭和のベタベタな人情物アニメを平成初期にちょっとすっきりした絵柄でやった感じ
ちょー久しぶりに再読
たまーによむといいもんだなって
本編中はなんとも思わなかったけど、番外編のネコの話でちょっとうるっときてしまったわ
小学校の幼馴染クラスの男勝りのかわいい女の子と大学で出来ちゃった婚とかまじで
大工っていうのも親がそうということをさしひいてそういうタイプの人間だもんなと思うし
腹いせにその女の子のエロ画像でもさがそうとしたけど主人公のクソガキのショタ画像とペットの子犬のエロ画像しかみつからないというとんでもねー魔境だった
まあアニメみてもエロ画像かくとかそういうタイプのマンガじゃねえことはわかるけど
ライジンオーとかはわりとみつかるのになー
マンガの話戻すと、表情の書き方ふくめてマンガがすげーうまいなって思った
ピアノの森だとストーリーとかキャラに合わせたんだとは思うけど、
みんな同じような顔してていまいち感情移入しにくかったんだよなー
PLAN75という映画、話題なので見に行って見たけれど着想だけなら面白いと思ったけれど
とにかく本筋とは違うところで気になって、結果的にはいまいちだったなーという印象になった
河合優実という若い女優が演じるキャラクター、予告では初っ端から出てきて目立っていたが実際の映画の中では1時間を過ぎてもまだ出て来ない
いつ出てくるのかなーと思いきや後半になって突然出てきて、主人公に対して異様な共感を示し、あまつさえ二人きりで会うという誘いに乗ってしまう。有り得ないでしょ、リアリティなさ過ぎ
全体的に淡々としていて登場人物が他人に無関心な映画の中で、悪い意味で彼女だけが浮いている
職場の指導役が、他の職員に対して躊躇する利用者を安楽死に導くようにと教え諭す場面でも、河合優実だけが良心のある真っ当な人間なんですよと言わんばかりの過剰演出で浮いている
酷いのは河合優実がどのようにしてこういう考えに至ったかとか、主人公ミチの誘いに乗る事を決めたのかとか、そういうバックボーンの描写が皆無なんだよね
ただただ優しくて感受性豊かな聖女なんですと言わんばかりの薄っぺらい描写
もう一方の行政側の主要人物である磯村勇斗演じるヒロムの方は、叔父との再会をきっかけに制度への疑問を持つ様子が描かれているから感情移入のしようがあるんだけど。
とにかく河合優実が浮きすぎで、その一点だけでもこの映画は駄作だと思った
何つーか、映画というものはあらすじ自体のみならず、構成や演出も大事なんだなとつくづく思った
河合優実の存在が余計なノイズ過ぎて、安楽死の是非とか高齢化社会への対応とかそういう事を考えるのもバカバカしくなってしまった
https://happinet-phantom.com/plan75/
公式サイトのトップを見ると映っているのは主人公のミチ、男性市役所職員のヒロム、外国人介護士のマリアの三人だけなので
あくまで映画の主軸はこの三人なのか?なら河合優実の役は完全に削った方が良かったと思う
高齢女性の貧しい一人暮らしながらも一人で丁寧に食事を作り、部屋を整え、
ホテルの客室清掃という地味な仕事だが職場のロッカーに文庫本を置いている点や仕事を辞める日にロッカーを拭いて丁寧にお辞儀をする点などに
このような主人公が夫も孫や子もなく一人暮らしである理由の一端は後半で彼女自身の口から語られるのだが
その場面が河合優実演じる成宮瑶子に電話越しに身の上話をする場面だというのが本当に残念
とにかく河合優実が要らない本当に要らない
『平家物語 犬王の巻』とか『きのう何食べた?』とか数冊の本だの漫画だのと平行して読んだので、すごく時間がかかってしまった。最近、年のせいか集中力が続かなくなってしまってなぁ。でも集中力が衰えたからといって本を読む気力がなくなったわけではなく、好奇心旺盛な性格は変わってないお陰で、複数の本をかわるがわるちょっとずつ読むことで気分転換が出来るので、いいんだけど。
暴力団の有力幹部・韮崎が何者かに殺害された。事件には暴力団同士の抗争の痕跡がなかったため、単なる殺人事件として本庁捜査一課が担当することとなった。
事件当時の状況と推定された凶器から、プロの殺し屋の仕業とは考え難い。捜一の係長・麻生龍太郎警部は韮崎の周辺を捜査にあたるが、その過程で韮崎の企業舎弟・山内練と再会する。練は十年前、麻生が担当した強姦未遂事件の犯人だった。
当時は気弱な大学院生でしかなかった練が、なぜヤクザの片棒担ぎに堕ちてしまったのか。麻生は韮崎殺害事件を捜査していくうちに過去の因縁に翻弄されてゆくのだった。
同作者の『RIKO――女神の永遠――』から始まる「緑子シリーズ」のスピンオフ作品。約670ページ、しかも2段組みで細かい文字がびっしり。鈍器のようにずっしりと重い……読む前に見た目に心を折られそうになった。本編よりも分厚いスピンオフってなんなの。でも読み始めてみると、かなりのページターナーぶりで、本の厚みなど気にならなくなる。きっと二十代の頃に読んでいたら徹夜で一気読みしたことだろう。
前半は練ちゃんの章と麻生の章が交互になっていたので、韮崎殺害事件そのものよりは練と麻生のBLがメインなのだろうかと思ったらそうでもなく、ちゃんと骨太サスペンス小説。事件の重要参考人が登場するごとに謎が謎を読んで、なかなか推理のし甲斐のあるストーリーだった。
登場人物の心理描写が巧み。特に、麻生が慣れと惰性から無意識のうちに練ちゃんに自白を強要してしまった事に長年気づかず、担当弁護士から指摘されてもプライドが邪魔をして認められないという所がリアルだった。
練の冤罪事件に関しては麻生はかなりの悪人ぶり。主人公なのにこんなナチュラルに悪い事してていいのかよ……と思いつつも、文章が共感ベースというよりは理解ベースというか、登場人物をちょっと突き放した書きっぷりだから、共感できない事が読書のストレスにならなかった。へぇー、なるほどなるほど。お前はそんな風に思ったからそうしてしまった訳ねー、と他人事として読めるというか。こういう感情移入のし難い主人公も、ありなんだなあ。もし文章が下手な人がそういう主人公を描いたら、ただのイラッとするキャラになるだけなんだろうけど。
女性の登場人物がとても魅力的。麻生の恋人の槙や、韮崎の愛人の皐月、捜査一課の静香など。特に静香は若い女性らしい真面目さと潔癖さと甘さがいい。著者が女性だからなのか、女性の描き方が単純な可愛さやお色気の枠にはまっていない。
しかし一方で、男性の恋愛心理が微妙にリアルじゃないなと思う所もあった。恋人に裏切られたときの男の反応なんかは馳星周の小説の方がいいな。よりバイオレンスだけど。
後半は、韮崎殺しの真犯人は誰なのか、見当がつくくらいにいい案配で小出しに情報が与えられるので、犯人が解らなさすぎて嫌んなったなんて事にならなくてよかった。ラストの犯人との対決シーンも緊張感があってよかった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e20a16978e32eb5e77ec419cac5de769aa0244e
「男性は2回の訴訟を経て昨年11月に許可を獲得。特別な機械を使い、自分で薬品を投与した後、家族が見守る中で亡くなったという。 」
…って、正直めちゃくちゃ羨ましい
年齢的にもちょうど日本の就職氷河期世代と重なるだけに、感情移入した人も多いのでは?
今日本で問題視されている少子高齢化って要は老人が多すぎるって事だから
無理に子供の数を増やそうとしなくても老人の数を減らす事で対応出来るじゃん?
○ご飯
朝:なし。昼:ミートソースカルボナーラ。生ハムとルッコラのピザ。サラダ。ヨーグルト。夜:トマト。素麺。ポッキー。
○調子
○浅倉秋成の六人の嘘つきな大学生
就活で選ばれる側の学生が選ぶ側に立つことになった奇異なグループディスカッションで起こった事件を描く第一部と、それから数年後当時を振りかえる第二部からなる青春小説。
パズラーの文脈でミステリ以外のジャンルを描こうとしていて、序盤に登場するフェアという言葉を何度も使うキャラがいることからも、所謂「フェアプレイ」の概念を主に置いている。
しかし、この作品がミステリ一辺倒ではなく青春小説の面も持っているが故に、ここでいう「フェアプレイ」は作者から読者へ向けたミステリ的な意味だけではない。
一般社会における人間関係においてのフェアな精神とはなんなのか? それを問うようなお話だった。
はてなブックマークやTwitterである側面を見て断罪するインターネットのジジババ共へ向けたわかりやすい教科書でもあり、就活という奇祭に向かわなければならない若者へのエールでもあった。
就職活動中のグループディスカッションをクローズドサークルに見立ててフーダニットするという構造自体が入り口百点。
伏線の狙撃手とかいう異名が際立つ、もはや恒例になったラストの方で今までの伏線文章をピックアップしながら真の意味を解説するくだりは、マジでこの変なあだ名が無ければ楽しめる。(伏線の狙撃手て……
テーマであるフェアを巡るやり取りも、就活に苦しめられてきた自分の過去を思い返して感情移入できた。
ただ、こんだけ無茶なシチュエーション自体へのサゲがないことだけは少し不満足かも。
イジメ加害者への復讐のために殺人を決意して部屋に忍びこむもすでに相手は死んでいた。
そんな冒頭から始まる、タイトル通り殺人犯VS殺人鬼のサスペンス。
クローズドサークルなのでフーダニットものかと思いきや、まさかのサプライズ。
叙述トリックの可能性は疑いなら読んでいたものの、まさかこんな方向からのサプライズが来るとは予想外だった。
たまたま同じ日に読んだ上で紹介した浅倉秋成の六人の嘘つきな大学生が、いたって真面目な社会派なホワイダニットを綺麗に描いていたもんだから、尚のことこの作品のホワイダニットには脱帽してしまった。
古い批判を蒸し返すけど「本格ミステリは人を書けていない」と評するのはあまりにも簡単。
それだけに、いやはやまさかの衝撃だった。
キャラが事件にとってのコマでしかないという批判をこれほどまでに朗らかに明るく肯定する作風は、あの当時の妙な熱を思い出させてくれた気もする。
日々の仕事で疲れてメンタルが逝きそうになってる中、疲労に反比例して性欲だけが増しており、エロ同人でも読んで抜くかと思ったところ思っていた以上に感情移入した作品に出会った。
これはレビューでも書くべと思い立ったがFANZAのレビューは1000文字までらしく大幅にオーバーしたのでここに供養がてら記す。拙文たれ流し申し訳ない。
https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_216128/#area-link-review
世の中にギャルと致すエロ漫画は多数あれど、その中で本作のどこが抜きん出ているのか、その魅力を説明したいと思う。本作は、エロ漫画としてセックスシーンが多く、ヒロインのキャラも絵も魅力的ではあり実用性は非常に高いが、それが本作の魅力ではない。
本作の一番の魅力、それはエロ漫画としての文脈ではなく、恋愛漫画または青春マンガとしての文脈がメインを担っている点にある。
ヒロインの阿川さんはクラスでも目立つ可愛らしいギャルだ。明るく、気さくで誰とでも打ち解ける雰囲気を持つ。しかし、教師を始め、乞われれば誰とでもヤるという噂も流れている。またモブの容姿と比較すると彼女以外に金髪は見受けられず人当たりのいい性格とは裏腹にやや孤立している様子も見受けられる。
そんな彼女に優しくされ、一目惚れした陰キャである主人公が話の流れから彼女で童貞を捨てさせてもらうというのが大まかな流れである。背景やモブは大雑把に書きつつヒロインの阿川さんは丁寧に描かれ、セックスに至るまでの期待感をコミカルにしかしリアルに描いている。
さて、連載のエロ漫画と同人のエロ漫画の違いはなんだろうか?それは行為の濃淡ではないだろうか?連載のエロ漫画は少ないページの中でその行為を描かなければならないという制約がある。行為に至るまでの過程を丁寧に描くほどリアリティは増し没入感も感じられるが肝心のエロシーンが希薄になってしまう。そのため連載のエロ漫画の大半はエロシーンに配慮した結果どうしてもリアリティが無くなるといった問題が生じる。もちろん、それが一概に悪い訳ではない。ヒロイン自体の、またエロシーン自体の魅力、フェチズムでエロ漫画は十分別の魅せ方が可能であるし、連載を通して複数の話でキャラクターの核心にせまることも可能ではあるからだ。その点同人のエロ漫画に制約は無い。その結果生まれるのがリアリティの差である。本作におけるリアリティとはオナニーが恋愛に至るまでの過程である。
セックスとはもちろん快楽を伴う行為であり、互いを求め合う行為でもある。オナニーとの違いは相手がいることだ。そういう意味では、阿川さんがいままで相手にしてきた男(教師、他の同級生)は阿川さんを気づかうというよりかは、阿川さんをオナニーの道具として使い、阿川さんも同様に相手をオナニーの道具とみなしている。阿川さんが興味があるのはセックスであり恋愛ではないからだ。主人公が初めて彼女とセックスをする際、彼女の中で、最初は主人公とのセックスはオナニーの一環であっただろう。主人公の中でも憧れの女性ということはあるがこちらも行為自体がメインであっただろう。しかし、このセックスを通じてオナニーではない、相手のいるセックスとしての良さをふたりが薄っすらと体感したように思う。
セックスでは相手が嫌がるようなことはすべきではない。主人公は生来の臆病さもあるだろうが、一度セックスをした以降、1ヶ月ほど彼女に話しかけられずにいた。これは自分なんぞがまた話しかけても迷惑に思われるのがオチだと気遣い半分、否定されるのが怖いという臆病さが半分であると思う。
その後、友人の後押しもあり、彼女ともう一度話すことになるが、その際、迷惑だと思ったので話しかけられなかった≒オナニーの道具としてではく自分を気遣ってくれていた主人公に対し阿川さんに初めて恋愛感情が湧く。これは、奇しくも、陰キャの自分にも屈託無く話してくれた阿川さんに惚れた主人公と同じ構図であり、これをもってエロ漫画の文脈は完全に恋愛漫画の文脈に置き換わる。この辺り、なぜか、映画エレファントマンのワンシーンで「こんなに美しい人に優しくされたのは初めて…」というシーンが想起された。
以降は互いを求め合うセックスに没頭する二人だが、それ故に失敗し、困難もつきまとう。その困難に立ち向かうシーンでは恋愛漫画から青春マンガもしくは青春映画に鞍替えしたのかと思ったほどだ。若いうちの失敗などどうとでもなる。若さと無謀さで是非とも乗り越えていってほしいと思った。
最後に、自分は童貞ではないが、いつまでも自分が童貞であるかのように感じている。それは、高校時代、大学時代と恋愛と無縁の生活をしていたからではないかと思う。こういう恋愛がしたかった、そして恋愛に当たり前の様に存在するこんなセックスがしたかったと強く思わせてくれる作品だった。私は、セックス≒オナニーがしたいのではない、セックス≒恋愛がしたかったのだ。
ファンタジーの世界にも現実に寄せるべきところとそうでないところがあると思っている。
物理法則なり魔法なり容姿なりはいくらでもファンタジーを描いてくれて構わない。
でも人の特性にリアリティが無いととたんに糞つまらない駄作に見えてしまう。
何もしていないのに主人公だけあれよあれよと成長していくとか、
さっきまで目の敵にしていた敵が突然友好的になるとか、
傍若無人でヘイトを撒き散らしているやつが何故か好かれるとか、
話が進むにつれ性格がまるで変わるとか、
魔法の世界になってもどんな未来になっても人の性質ってものは根本的には変わらないはずだ。
そこにリアリティがないと感情移入もできないし作品の世界観に入り込むことはできない。
作品を上げるとするとSAO、リゼロ、転スラとかだ。あれは特に酷くて見るに耐えなかった。
それはある。
BL漫画の主人公は、結局のところ女性が感情移入ための存在なので、良くも悪くも女っぽい。
告白したいイケメンコワモテの男子に対して、怖くて話しかけることができない、でも好きなの……
だとかね。
現実的に考えたらヤンキーに話も出来ない男とか女々しい以外の何物でもない。それに男が感情移入=同化するとなれば、それは自分が女々しくて弱くて何もできない劣った男になることであり、まあ支持はされないよ。
でも中には確かに男が読んでも支持できるBLはあって、それは「性的ではないから」ではないんだ。
例えば世界観がファンタジーしてて、主人公がバリバリのバトル派って形で進んでたり(しかもシンプルにバトルが面白い)
作家の男性心理理解が素晴らしくて、妙な女性らしさとかを感じさせなかったり、
全体的に雰囲気がブンガクしてて、描写の空白が多いから、読者がおのおの好きな感情を想像できたりするやつだったり。
そういうのだと思う。
基本的にラブコメというのは(特にコメの割合が少ない場合だと)、「最後に相手を選ぶ」というルール付けがシナリオのキモとなる
その選択というゴールに向かい、各種イベントを配置してその積み重ねたイベントの数や感情の大きさにより最後の選択に納得感を出す、というのがラブコメの基本となる
この仕組みは、ミステリにおいてよくある「真犯人あて」というのと同じである
本編中に証拠を積み重ね、その証拠の積み重ねによりトリックやアリバイを崩して、最終的に真犯人となる人間を選出していく
少々ルール違反であるが双子である場合もあるし、その事件(恋愛)にかかわった全員が「犯人」となる選択もあり得る
ただこの辺りは基本が「選択は一人でなければならない」という前提を用いたメタ的なトリックと言えるが、やはり選択をすることには変わりない
つまり、ミステリとラブコメの本質は似通ったところにあり、「イベントや動機・証拠を積み重ねていって最後にそれらが集合した結実として選択をし、その選択への驚き、そして納得により読者の心を動かす」ところにある
そう、つまりは読者に対して最後の選択を驚くべきものにしつつ、かつ納得できるものにしなければならないのだ
例えばあからさまに正妻フラグを立てているヒロインが一人いたとしてその子とくっつくのが目に見えている場合、読者は納得するにせよ、他のヒロイン(容疑者)は当て馬のように思えてしまう。これはミステリにおいて最初から怪しいと思っていたやつが犯人でしたという話であり、見せ方にもよるがあまりにも当たり前すぎて驚きがない
逆に全然フラグが立ってないぽっと出のヒロインとくっつく(終盤に出てきたヒロインとくっつく)というのだと、驚きはあるにせよ、納得はない
これは最初の登場人物(容疑者リスト)に並べられていない中で実は裏に犯人がいましたーと言っているようなものなので、まあミステリにおいてはノックスの十戒をあげるまでもなくともすればルール違反と言われても仕方ないところがある。
(だから、主人公たちのあとから追加される後輩キャラは不遇であるし、選ばれないことが多い。ちなみに私はいろはすが好きである)
つまり、ミステリにせよ、ラブコメにせよ「最初期から出していて、フラグを地味に立てつつ、しかし本編ではあまり目立つことなく、なんなら選択肢の範囲外ともいえる立ち位置(なんなら主人公の親友や友人ポジション、味方になってくれそうな立ち位置)にいる候補」というのが、読者を驚かせつつ、かつ、納得のしやすさがあるものになっているわけである
よく幼馴染が不遇であるのはこの辺りが理由で、過去を共有している以上「正妻候補」として最も目立つ立ち位置にあり、ともすればエンディングがありきたりになりがち(これも積み重ねのせいではあるのだが)なのが原因である(詳しくは幼馴染 負けヒロインで検索されたし)
さて、ここで難しいのが、では作者が本編で最後に選ぶとしたヒロインの出番や露出はどれくらい出すべきか問題が出てくる
作者本人はヒロインを最後に選ぶことをばれたくないので、できるだけ隠そうとするわけだが、そうすると、他のヒロインのお当番回は本編中増えていく
逆に他のヒロインのお当番回が増えれば増えるほど、読者は他のヒロインに感情移入して、よりシナリオへの没入度が増していくのである
だから、最後に選ぶヒロインは目立たず、一見供給がそこまでないように終盤まで見せないといけない
これをバランスを崩した状態でするとどうなるかというと、ひどい場合だと「作者があたかもキャラが嫌いだからあんまり出さないようにしている」とみられる事態に陥る
作者としても不本意ではあるが、この辺り情報の押し引きにはかなりの作者のシナリオの力がいるところである
この辺り、読者の想定と作者の想定がずれると不幸になるなあ……とこの歌を聴きながら少し思った
https://anond.hatelabo.jp/20220523225431
それはさておきミステリの構造の埒外のラブコメというものも存在する
特にハーレム前提ラブコメではハーレム前提なので選択の面白さというのはなく、主人公がいろいろな意味でヤバイスペックで強者を落としていくというシチュが多く、それに惹かれて集まってくるヒロインという名の「仲間」を集める面白さになる。水滸伝とかワンピースの序盤とかキン肉マンとかそういう類の面白さである作品も近年増えてきた
男性ってどうなんでしょう。
男性が、わざわざ女子スポーツの方を好んで見る理由は何なのかな。
それって、性欲とは違うのかな。
女性が、同じ属性である女性選手に共感して、感情移入しやすいから、女子スポーツを観る。
かつて男子高校生だった成人男性が、高校野球を観るように。それは解るんよ。
そこに異を唱えたいわけじゃない。疑問の声を上げるつもりは無い。
「男性が女子スポーツを観るのは、性欲があるため。」これは確かな真実と考えていいかな?
女子陸上で、お腹が露出しているのを観て、(ちょっとは)よろこんでいると捉えていい?
(男子陸上では、お腹は露出してないから、女子たちの格好はスピードが目的でないのは明らかだと思う。)
性欲を、例えばスポーツ鑑賞を楽しむ人たちと会話するときとかの、当然の前提としていいかな。
それとも性欲とは無縁の、別の理由があるんだろうか。