はてなキーワード: 感情移入とは
少年誌のうちは読者の成長に従ってめまぐるしく読む漫画誌の対象年齢が変わっていく
子供のうちは生活環境や心の変化が大きいから出版社として自明な対処なんだろう
少女漫画なんかりなチャより上の層の漫画雑誌なんかすごい数だろ
それが高年齢向けとなると対象年齢という観念がざっくりしてくるんだよな
子供に対して1年刻みだったのが5年から10年ぐらいのきざみになる
でも還暦前と還暦後じゃリタイアして生活環境とか大きく変わるんだから、せめて60歳以上向けの雑誌は必要なんじゃないかと思うわ。
高年齢向け漫画は4,50代向けを最後として、それ以降の読者は全て現行の一番の対象年齢が高いその高年齢向け漫画を読んどけって態度はちょっと雑すぎるだろう。
ま、80~100歳以上の期間での心の変化なんか微々たるものだから、この年代層に対して対象年齢を細分化してきめ細かにいろんな対象年齢向けの漫画を出すっていう必要もないだろうけどな。
あとは対象年齢と作品の主人公の年齢も比例してる傾向があるはずで、これは読者が感情移入できるかということに考慮したことだと思うけど、還暦向けだから中年や前期高齢者風に登場人物の容姿を描くっていうのはどうもあまり受けがよくない気がする…。
ロシアの黒海海軍の旗艦モスクワが沈められた話ではてサのブックマークコメントが
ロシア軍の気持ちも考えろみたいなコメントだらけで頭を抱えてしまった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718953508520360002/comment/cha9
ロシア国民の間で厭戦気分が広まるのはそれだけ和平に近づくので、平和のためには良い事。
ウクライナ側もロシアで厭戦感情が広まる事によって少しでも終戦が近づくことを期待して発表したのだろうし、こういう人はロシアが戦争を継続していくのが望みなのか?
それにミサイル巡洋艦であるモスクワはミサイルで沿岸の都市を破壊し市民を虐殺していた。
自分の言ってることが「祝、原爆投下!。これで日本の降伏も近づいたね!」(当時の一部米国人)と同じくらい酷いつう理解はないんだろうな。とはいえ多分「祝・原爆投下」にはマジギレだろうが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718953508520360002/comment/bogus-simotukare
韓国国民の間では植民地解放のシンボル。これは韓国アイドルグループBTSが原爆Tシャツを着ていたこと事からもわかる。
さらに言うと一般人を標的にした戦略核攻撃と軍人しかいない軍艦を沈没させるのは違うので詭弁という他はない。
むしろ一般市民を空爆などで虐殺しているのはロシアの方なので彼らのほうにはマジギレしないんだろうか?
まさにプーチンロシアとか、或いは影響下のトランピスト等々各種のマチズモ集団て、「他者の感情を思いつく限り害するムーブ」の殊更な顕示が、集団内で同調確認する儀式になってんだよな。酷いこと言える奴が偉い
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718953508520360002/comment/Gl17
これって「公立学校は動物園」みたいな発言がスター集めるはてサでもそうだよね。
「反省」が好きな彼らはココらへんどう思ってるんだろうか?
正直上記のような反応が主流のサイトって、もうニコニコ動画反ワク親ロシア動画のコメントとか、橋下徹とその支持者のツイッターくらいなんだよな。
細田守監督といえば「時をかける少女」や「サマーウォーズ」で有名だし、
近年でも金曜ロードーショーで何度もリバイバルされたり、サブスクで定期的に見放題になるので知っている人も多いだろう。
私は細田守監督作品が好きだ、出会いは1999年の劇場映画「デジモンアドベンチャー」(20分映画)、
それに続く2000年の「ぼくらのウォーゲーム!」(40分映画)だ。
どちらも非常に短い上映時間にも関わらずそれを感じさせない魅力が多く、本当に大好きだ。
「サマーウォーズ」は「ぼくらのウォーゲーム!」のセリフリメイクとして、デジモンアドベンチャーを見ていなかったひとにも勧められる高品質な映画として大変嬉しかったし、絶対に映画館で観続けてやるぞと思うようになった。
しかし、「おおかみこどもの雨と雪」を皮切りに、細田監督はスタジオ地図という独立スタジオを立ち上げて映画を作るようになったのだが、どうにも様子がおかしい。
様子がおかしいというのは語弊があるかもしれないが、なんだか「感動路線」や「国民的映画」というのを意図して作り出そうとしている印象を受けた。
そして「バケモノの子」「未来のミライ」といった映画を世に送り出したわけだけれど、クレジットを見ると「時をかける少女」〜「おおかみこどもの雨と雪」まで脚本を担当していた奥寺佐渡子氏の名が消え、細田守氏が直接脚本を書くようになっていた。
おそらく観た人の評判から「未来のミライ」のことはご存知の方も多いと思うが、その他も脚本の質としてはかなり低品質に思えた。
具体的には登場人物の感情曲線が支離滅裂で、動機と行動に一貫性がなにもない。
作りたい展開を作りたいように継ぎはぎしている。
そういった印象を受けた。
そして、満を辞して公開された「竜とそばかすの姫」は極力期待しないようにして公開日に劇場へ足を運んだ。
だが、自分は少しは期待していた、なぜなら舞台が「ネット上の仮想世界」ということで、原点回帰のような面が伺えたからだ。
独立後は自然派やファンタジーに寄った作品が多かったので、監督のオタク的心理を取り戻してくれると少しは期待してしまっていた。
しかしいざ観た内容は、「時をかける少女」と「サマーウォーズ」を足して薄く引き伸ばして再生産し、モヤモヤっとしたまま〆て終わりのような作品だった。
最後のスタッフロールで全国の日本テレビ各局番宣スタッフが長々と列記されている部分だけが色濃く脳裏に残っている。
もちろん、場面の絵作りとしては高品質なところもあるし、単純にミュージックビデオとして見ればそう悪くない場面もあることはあった。
しかし、それらを踏まえても、一本の映画として観た場合に違和感やモヤモヤばかりを劇場の外に持ち帰る脚本はいただけないなと思った。
「感動路線」「国民的映画」を目指しているそぶりは続いていたが、感情移入できるキャラクターも「観てよかった」「おもしろかった」と太鼓判を押せる要素も消え失せていた。
TVシリーズのエヴァへの感想として、大人の視聴者へのサービスとして女子中学生の性的な描写が多いのは異常だ、という意見を見たんだけど
エヴァって(少なくともTV放映時は)子供向けだったんじゃないの?
子供向け、というか大人の世界に憧れて背伸びしたい小中学生向けかな
だから最初のアニメの時点では女子中学生のセクシャルな描写がある事自体は同年代の子供に向けたものとしてそんなにおかしくなかったと思うんだよね
自分は普通に見ていたしレイやミサトに感情移入しながら見ていた
問題はそれが一旦は映画で完結した筈なのにまた復活してダラダラと続いてファンの大多数が中年になってまで続いた事の方であって
少なくとも子供を主人公にしたアニメはそうで、それを大人も見ていたからといって子供向けである事実は変わらないというか
すごくブクマが付いている『さよなら絵梨』を読んでみたが、個人的に全然面白くなかった。
まずコマ割りが単調な上、似たような構図が連続していて絵的につまらない。
スマホで撮った動画が前提の話なのにフィルムってところがなんともミスマッチ。
で、ストーリーとしては結局どこまでが映画なのかが分からなかった。
登場人物の言動もどこまでが映画を撮るにあたって指示されたセリフなのかが曖昧で、どんなにいいセリフがあっても
「・・・っていう映画なんですよー」という夢オチ的などんでん返しを警戒してしまい、感情移入もできないし、物語に入り込めない。
最後に至っては「は?これで終わり?」と思わずにはいられないひどい投げっぱなし。
『月曜日のたわわ』およびそれに近い作風の創作物に対する分析で、以下のようなものがあった(ほぼ原文)。
「男性キャラは顔すら描かれていない。自分の意思と関係なく振りかかってくるラッキースケベに耐えるだけの無抵抗の存在なのだ。そして、逆に女性キャラは無自覚に(もしくは意図的に)ラッキースケベを提供するばかりの存在である」
「男が主体的に「悪いことをしよう」という意思を持っているものとして描かれるが、その後ろめたさすら放棄して「俺は一切悪くないのに」と被害者ポジションでスケベ要素を享受するのが『月曜日のたわわ』」
「男が被害者ポジションで女子の方がちょっかいを出してウザがらみしてくるというのがここ数年散見されます」
大雑把にまとめると、「女の側からエロを提供してくるから男は被害者だ、という作品が最近多いよね!」ということである。
……ここからが本題だが、このような「女の側からエロを提供してくるから男は被害者だ、という作品」の人気は、現実世界の女のせいでは? と私は考えている。
このようなコンテンツを好むであろうキモオタは、性欲を表に出すことを怖がっている。
自分のようなキモオタがアプローチをしたら、拒絶されるに違いがないから。
そしてキモオタが拒絶を恐れるようになったのは、女たちがキモオタを実際に拒絶したからにほかならない。
直接告白しようものならキモがられるし、SNSでアプローチをかけたら拡散される……。
それを見た他のキモオタたちはこう思ったはずだ。俺はこうなりたくない。自分の性欲を抑圧しなければ……と。
このようにして積極性を失ったキモオタたちが、自分からアプローチをする男主人公に感情移入できるだろうか?
それよりかは、受動的なポジションのままエロにありつけるジャンルを好むに違いない。
そもそも男の性欲が抑圧されていないのなら、ラッキースケベが頻発するタイプの漫画は生まれていない。わざわざラッキースケベを待たなくても、能動的にレイプでも風呂覗きでもなんでもすればいいのだから。
悪口として使うこともあるし、現実の問題と創作をリンクさせてヘイト吐いてる人とかサイゼ燃やしたような手合いとかが使ってるから印象が悪い
今後の使い方を見て導入するか決めようと思ってるけど、
悪口として使われてるのをけっして少なくない数見てきたので…
そういう使われ方を認知してるくせ不快にさせる自覚なく正しい呼び方だって浮かれてる人間はあんまり近付きたくない
話したことある人がそうだったんだけど、自分の範囲内の人間と自分の心地よさしか見えてなくて視野が極端に狭い脳の作りをしてるタイプで、他人に善意ある振り払いにくい指摘マウントするタイプの方で…
自分の考える「正しい世界」しか見えてないタイプでモヤモヤしたしなんか変な人だったんだよね
他責目線の強い過去の愚痴を漏らして不穏な空中リプライもするタイプでみるだけでストレス溜まった
そういうとこからもなんかなー自分の狭い世界の心地よさしか見えない独特な脳のつくりの持ち主だから自分の境界線無視して感情移入しちゃうマイノリティの悲しみってとこばっか注視して根本的なまずいとこを見れないんだなあと思った
その人はこれまでもそうやって生きてきてトラブルいっぱい起こしてきたっぽかったし、「なんかつっかかられる~変な人だったよね」て言ってて、世間的には浮いてるんだろうな~って変であることも他人に責任を押し付けてる認識っぽくて"本物"って感じだった
そういうこともあってなんか苦手意識強いなあ
だから使ってる人も視野狭窄が過ぎる傾向が強くて言葉尻にばかり流されて怒ってる人が多い気がするし関わりたくないかも
今後もクソヘテロって呼んで叩く手合いが出てくるなら自分が導入することはないだろうしね
これだけで関わりたくないって判断するのは乱暴だとはおもうんだけどね、
今の時代になっても個人の範囲であってもあまり導入されないのを「差別意識だ」って決めつけて燃え上がってるだけのオタクが多い気がするから、その時点でちょっと近付きたくないなあ…
悪口とか変な使い方されてないかとかあらかじめ調べてから使うもんだと思うからその時点でリテラシーが低い印象を受ける。
悪口として使われてるの見たら「押し付けるのはきついな」って思うもんだと思うんだよ
BLって言葉そのものを悪口として使うことないのに、異性愛はヘテロを悪口として使われてるのはスルーしていいって考えてるその人としての足りてない感じが…なんか無理なんだよなあ…
BLを悪口や自虐として言い表す時はホモって言う人が多いだろ、もともとヘテロもNLをめちゃくちゃ嫌ってる層が悪口として言い表してたからもともと男女CP好きな人間からしたら印象悪いんだよな
あと使ってるのに40↑のネット慣れしてない世代か、成人してない極端に若い世代に多いんだよな…
ネットリテラシー低くて、表記以前に危ういところが多くて触りたくないな…という趣味と合わない人間性の苦手意識がある。似非フェミ傾向も強い手合いの印象だし…
だからオタクとして付き合いにくい、性格や視野の極端さ、他責傾向が強い人間か判断するための指針として自分はへテロを使ってるか否かを判断基準にしてる
今後もジェンダー意識の高まりだかどうだかでどんどん悪口として使われていくんだろうなー
もちろん自責として変える人もいるのは分かるんだけと、声高に変えてくださいって主張する方は他責ぎみな印象…
以下簡単に箇条書きで