はてなキーワード: 弊害とは
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ロマンティックラブ+一夫一妻式の結婚モデルの弊害というのは確かに色々あって、そうではないモデルを提示することで一部の人の生き方に何らかの救いを与えよう、みたいなコンセプトは分かるんですよ。でも、どう考えても森林さんの役割分割モデルのほうがやっていくのが非常に難しいのは自明で、なんでかっていうと、人間にはカラダは一個しか無いからなんですよね。
家庭のパートナーとして掃除洗濯する必要のあるとき、育児授乳する必要があるとき、一方はそれをやってて他のパートナーと乳繰りあってるような状況にも、逆に自分のことを抱いて欲しいのに無関係の家のトイレ掃除を優先されてるような状況にも、多くの人は耐えられないんですよ。
恋愛をするにもセックスをするにも家庭をやっていくにも、リソースが必要で結局そのリソースの根源は「この私のカラダ」なわけで、そのリソースの分配の管理はとてもたいへんでどうしても契約や約束ごとが絡んできてしまう。揉めないために議事録とりましょうみたいな。いや、完全にみんなが個人として独り立ちしてたらっていう人もいるんだけど、それはもうすでに結婚観の話ではなく、独身で各々好き勝手やっていこうという身も蓋も無い話になり、結構、現代で採用されちゃってて少子化してますよ。
あとこの手の話で思い出しちゃうのが宮台真司という先生で、色んなロマンティックラブ以外の恋愛観や結婚観を唱えてたりしてて、森林さんとかよりも学者っぽい概念とか使って説得力もそれなりにあったりなかったりだったんだけど、割と歳をとったときに自分の好みの性格のすごい若い奥さん貰って結婚しちゃったんですよね。そんでウェブサイトに娘の写真あげるような子煩悩なパパになっちゃった。彼の今までの理屈からすると、今でも外に女がいるかもしれないし、いてもいいと思うんだけど、やっぱり表立って外に女いるとは言わないし、そういう性のモデルを実践せよと言う理屈はトーンダウンしちゃたよね。ポロっと口説かれたとかってバラしちゃう女の人が数年前にブログ書いてた気がするけど。
何が言いたいかというと、若いとき、元気なとき、性欲やカラダのリソースが有り余ってるとき、男の人は自由恋愛のロジックを組んで披露して実践するわけです。でも、年をとったらどんどん撤退していく。なんでかっていうと、そもそも結婚というのは恋愛のためでもセックスのためでも無くて、家庭を作るためのものだからです。生活のセーフティネットを作った上で繁殖する場だからです。恋とセックスはおまけみたいなもんでしか実は無い。リソースが無くなっていったらセーフティネットを作ろうと巣を作りはじめるのはとても自明なことで、宮台先生みたいに性欲兄ちゃんがいいパパになっちゃうような人の話を何人分きいてもダメで、森林さんが60歳になっても同じこと言って同じ生活して沢山の女を抱いて生きていたら、もう一度話を聞いてみてもいいかな、と思いました。
あと、恋愛とセックスと家庭を一致させるのって、それらを分割させた上でリソースマネジメントするよりはるかに楽ですよ。十人の人を口説くより、昨日まで好きだった人をずっと好きでいたり、また好きになったりするなるほうがはるかに簡単なんじゃないでしょうか。
本当の「正解」とか「正しさ」ってのは存在しないって知ってるんだけど、ただ知識として覚えているだけでまだ実感が無い。無いって知ってるはずなのに、心の奥底では「いいや、そうは言っても何かそんな感じのはあるに違いない」って信じてるな、って気づいた。
あー、そっかぁ、無いのかぁって、漠然とした不安がある。寄る辺の無さを感じる。
自分は人間始めて間もないので、知識とか経験とかが全然足りてない。自分が今見てる世界はめちゃくちゃ狭いこととか、世の中の価値観が急速に変わっていってることとかを中途半端に知ってしまってるので、尚一層そう思う。
もしこの先自分なりの「正解」を確立できたとしても、もっとその先の世の中では通用しないんだと思う。今のオジサンオバハンを見ててそんなことを考える。あの人達だって、「これが正しい」と思ってずっと生きてきたのに、急に「いいや、それは間違ってる」って言われたら、そりゃ拒否反応起こるよな、と思う。可哀想だなと思う。拒否反応というよりかは、対応できてないってことなのか。
その時その時に対応して変わっていけば良いんだろうけど、未来の自分が対応しきれるのか、分からない。
今だけですか、こんなに色々変化する世の中は。過渡期ってやつ?いや、世界史見てると結構劇的変化ってのはまあまあな頻度であるよな。そも、百年後に日本が存在してるのかすらもハッキリしない。そもそも、自分程度の人間が生きていけるのかしら。
やっぱり、生き方とか考え方とかに絶対の「正解」がないことに不安を感じる。自由からの逃走!
も〜〜〜ね、ええ、知ってますよ、こんなのは学校教育の弊害ってやつです。早く大人になれば良いのです。酸いも甘いも味わえば良いのです。何も手元に情報がないうちに推理するのは、三流探偵のすることですからね。
…そ〜〜〜なんだけど、ね!!!!!
わーーーん!「正解」が無いって、本当なのかよーーーー!!!
\ホントウダヨ!/
野党はアベノミクスの金融政策評価すべきって言うはてなーがちらほらいるけど
有権者に選択肢を示すためには有力与野党が同じ方向性目指すべきじゃないと思うが
海賊版サイトの蔓延を受けて、ダウンロード違法化の対象拡大が検討されている。
今回検討されている対象拡大は、画像、文章も含めた全ての著作物が対象になっているため、
表現の自由を侵害する恐れが強いことから、反対の声が巻き起こっている。
朝日新聞が社説にも載せるなど、積極的に取り上げているのは、社説に
海賊版対策の名の下、憲法の人権規定や丁寧な議論を軽視する政権の体質が、サイト遮断に続いてダウンロード規制でもあらわになったといえよう。
とあるように、安倍政権批判に結び付けたいからだろうが、大きな疑問がある。
何故、ダウンロード違法化の対象拡大について、土壇場になって紛糾し、軌道修正が図られたのか?
安倍政権が海賊版サイトの接続遮断を実施したいなら、検討会で反対意見が続出しても、強引にゴリ押しするはずだ。
じゃあ、どうしてなのか?
それは、安倍政権が自ら手を汚してまで、表現規制はしたくないからだろう。
(なお、ここでいう「表現規制」とは、漫画やアニメ等に関する規制の事を指す)
児ポ法改正案の審議が行われ、民主党の枝野現立憲民主党代表や、社民党の保坂現世田谷区長が、
結局、衆議院解散により廃案になったが、それは「俺たちの麻生」神話に動揺が走った瞬間であった。
下野した当初こそ、表現規制をする動きを見せたが、政権奪還後は児ポ法改正案から、
漫画等の規制を検討する条項を削除するなど、表現規制に対して慎重な動きを見せている。
青少年健全育成基本法案も、出版を軽減税率の対象にするための有害図書指定も、握り潰されていった。
そして、ネット世論を操作するには、表現規制「しない」ことが重要なのだと気付いたのだろう。
麻生政権の児ポ法改正案審議の直後に、民主党に政権を奪われたため、
自ら手を汚して表現規制すれば「悪夢の民主党政権の再来になる」というぐらいの、過大な恐怖心を抱いているのかもしれない。
明らかに大げさに思えるが、トラウマというのは、それほど強力なものなのだ。
だからこそ、彼が現職の議員の時から、官邸は頻繁に取り込みを図ってきた。
「取り込みたい」というのは言い方を変えれば、「敵に回したくない」ということだ。
山田太郎が表現規制で成果を挙げてきたのは、そういった思惑を相互利用してきたことが背景にある。
しかし、そう言うと、安倍政権に批判的な人から、あくまでも「安倍政権は規制推進派だ!!」と言いたがる人は少なくない。
ただ、それはお前らの願望にすぎない。
それに、「安倍政権は表現規制をしたがらない」と「安倍政権は表現規制をしたがっている」は
「自ら手を汚してまで」だからな。
逆に言えば、自らの手が汚れない表現規制はやるということだ。
具体的に言えば、「忖度」させたり「左翼」にやらせたりするというわけだ。
事実、安倍政権が表現規制しないでいるおかげで、規制反対派の怒りの矛先は、
Twitterで頻繁に発言するフェミに向いてるじゃねえか!?
左派の市民団体の方が右派の団体よりも活発に行動していたことからも、そんな印象があった。
それも、自民党政権が表現規制の動きを見せることにより、それをかき消していった経緯がある。
ただし、安倍政権が表現規制の動きを見せなければ、怒りの矛先は「左翼」に向き、
ネット上で、安倍政権に対するポリティックエネミーに対する敵愾心が煽られ、
かつて自民党政権を嫌悪してきた人たちも、安倍政権支持に転向していった。
そして、そうした空気の変化による「規制推進派=サヨク」というイメージの固定化した空気に耐え切れず、
それがますます「規制推進派=サヨク」というイメージを強化していく。
いずれにせよ、ここまでは俺の推測に過ぎない。
私は半年前からGUCCIの大きなチェリーがついた財布が欲しかったんです。
ボーナス入って買おうかと思ってたのですが、ちょうどその頃インスタで模倣品? インポート商品とその記事では紹介されていたけれど、明らかにGGがないだけの模倣品が宣伝されていたんですよ。それを見たらもうダサくってさあ……。
初めて見た時から大人っぽいとは言えないと思ってはいたんだけど、天下のGUCCIだから大人でも持てるチェリーなんじゃないかって錯覚してただけだというのを思い知らされた。
ブランドネームが外れたら、一気に中学生向きみたいな見た目になった。
もちろん中はまるで違うみたいだったしそもそも素材も違ったけど、大事なのは表面から受ける印象だから。
大学で聞いた話だと模倣品を野放しにすると模倣品で満足する人が出て正規品との価格差を単にブランド価値だけだと誤認するみたいな内容だったと思うんだけど(記憶違いだったらごめん)、それどころか魔法が解けるという弊害もあるなと思った今回の話。
もっと言うと”差別的なセーター”の件で、今まで気にも留めなかった高級ブランドのトガりすぎてダサくなってるアパレルを冷静な目で見てしまい、ブランド全体からおしゃれなイメージがなくなってしまったというのもあるかも。
これからブランド品を買うときにはブランドロゴが外れて5000円で売っていてもそれを買うかどうかを基準に買い物しようと思います。
小学生の時にとある女の子に恋をして、想い続けてそろそろ12年が経ちそうで自分で若干引いてます。干支1周しそうだけど。したけど。
んでその子に告白して見事に玉砕してそろそろ6年経ちます。振られても尚その子に対しての好意が一切消えることも無く燃え続けてそろそろ嫌になってきたので匿名で書き殴っています。
上の文見るとその子(以下A)は幼馴染か何かと勘違いされそうなので言っておくとそんなことは無いです。小中高は一緒だったけどな。小四の頃にAがいる小学校に私が転校して出会いました。んで一目惚れです。たかが小学生の一目惚れと侮るなかれ、それを12年引き摺ってんだこっちは。
色々ありましたが仲は良好だったと思います。相手に恋愛的な好意はなかったにしろ良い友人関係は保ててたと思う。
高校1年の終わりに、文理が別れる都合上何があってもクラスが分かれるので最悪振られても気まずくなんなくて済む、ここが好機やと告白。見事「友達だから…」パターンで玉砕。そっから疎遠になり進学して今に至る。一応TwitterやらLINEやらでは繋がっているのでお互い生きてるってのは把握してる 簡単に馴れ初めと現状を語るとそんな感じです。
たかが1回振られた程度で当時6年間燃やし続けた好意が消えるはずが無いんですよね。今もそうで、現状私はAのことが相も変わらず好きなんです。自分でも引くレベルで大好きなんです。未だにあの日のことを思い出しては1クールに1回位はメンがヘラりかける程度には恋の炎がガッツリ燃えています。
その弊害か何か知りませんがあの日以来全くもって他人に対して恋をしていません。振られたのが高校1年なのでそっから6年、大学に進学して周りの人間も一新されているのにも関わらず0。確かに可愛いと思う女性とは何人も出会ったしウマが合う人もいました。しかしあの日感じた「恋」という感情を感じることは1度もなく。これはいよいよAに対する感情をどうにかしないと人間として色々終わるなと思ってきた次第。
なんなんでしょうね、これ。恋愛したい願望はあるんですけど、Aへの思いは変わることなく。
今のところ私が救われる可能性はもうAのことを忘れられるくらいの恋をするくらいしかないのですが前述の理由よりその可能性はほぼ潰えているので詰みです。誰か助けてくれ。俺はいつまでこの呪いと付き合えばいい。
隣国の歴史に無教養な大衆は知らないかもしれないが、韓国軍なんて民主主義を弾圧して1990年あたりまで独裁やってたクソオブクソ軍だろ。それがほんの30年前だよ。
それでいて大した反省もしてないし、全国民の若者をこき使える徴兵制の弊害もあってやりたい放題で、韓国国内でもパワハラとかめちゃくちゃ問題になってるわけよ。
もともとろくでもないところなんだけど、ただ北朝鮮と向き合うっていう極めて重要な役割を引き受けてるからアメリカ側陣営の味方ということ。
だから今更嘘ついたからあいつらがクソだってことがわかったとか騒いだってどうしようもないし。制裁とかしようにも北朝鮮を利するだけなわけ。
日本が独力で北朝鮮と対峙する気がないんだったら韓国軍の解体みたいなことはできっこない。
今一番できることとしたら韓国軍と自衛隊との上位指揮にあたるアメリカ軍に頼って(日本側の主張を納得させて)仲裁してもらうことだと思うんだが日本政府はちゃんとやってるんだろうか?
それができなきゃ万が一撃ち落とされてもいいように哨戒機をもう1機買うしかない。無人機の導入を検討してもいいと思う。最初から信じない姿勢が大事。
ツイッターでは多くの賞賛を浴びる「HUGっと!プリキュア」。通称ハグプリ
ツイッターをやっている人なら一度は目にしたことがあると思う。
テーマは「子を守る母親」「ヒロイズム」「子育て」「お仕事」。
シリーズ15周年の記念の作品で、過去のプリキュアも登場すると銘打ったそこそこにデカいプロジェクトだった。
半年前から早く終わってって念じてたけど、ようやく終わるのめっちゃくちゃ嬉しい〜〜!!!!ありがとう月日!待ってた!
大きく分けてハグプリの嫌いなところが3つくらいある。
1つめはジェンダーの取り上げ方のド下手さ
3つめはシリーズを通した穴
1つめのジェンダーの取り上げ方のド下手さ
若宮アンリはフィギュアスケートの選手で、自分に似合う服を着る。それは女物であろうと男物であろうと関係ない、と本人も述べている。
男の子らしいとか女の子らしいとか、そんなのくだらないというジェンダーレスな考えを持っているという印象だった。
若宮アンリにつねに突っかかってくる男がいた。これが愛崎正人。彼はジェンダーレスという考え方がないというよりは、規則に則った服を着ない若宮アンリを心底毛嫌いしていた。愛崎正人はこれはこうあるべき、それはそうあるべきなど、一般的な固定概念に強く縛られがちな人間で、右向け右、大衆には溶け込むべきといった考え方を持っていたはずだ。だから若宮アンリが持つ個性的な感性を理解することが出来ず、あいつは変だ。頭がおかしいなど決めつけ、蔑んでいた。これは妹のえみるに対してもそうだった。
ある事件がきっかけで、彼は考えを改め、アンリの考えを認める。
とまぁ文面上はこんな感じなのだ。
ただこれだけのことなんだ。なのになんか、描き方がマジで気持ち悪い。
まず若宮アンリ、途中からキャラブレし始める。女の服装も男の服装も、どっちだっていいじゃん自分に似合うもの着ればという認識のはずだった。それがなんか知らないが途中から若宮アンリは女子っぽい格好しかしなくなる。
別にダメじゃないんだけど、それは若宮アンリに似合う格好というより、制作意図としてアンリくんは女の子みたいな格好もできちゃう子だから…みたいな裏の思考が見えてきて違和感しかなかった。結局女の子になりたかったの?でもそんな表現してないよね?お前僕は僕だっつったろ?
あと、若宮アンリがどっかで「お前の勝手な考えで、僕のことを縛るな」みたいなセリフを切羽詰まった状況で叫ぶ。これはね、私はいいセリフだと思う。ただね、若宮アンリ、めちゃくちゃ自由に生きてるじゃん。自分の好きな格好をしてるし、自分は自分他人は他人みたいな生き方をしてる。縛られたことっていつ?
このセリフ実際に縛られて長年苦しんだ奴の言うことでしょう?いままで散々好きに生きといて何逆ギレしてんの?って思った。
いやそりゃ好きに生きててもいろいろ縛られることはあるだろうし苦しんでるって表現あったでしょ!って言われたらそれまでだけど、それ悪者に捕らえられてから判明しただけで今までそんなそぶりみせてないのに急に理解しろよ!は勝手だろ…お前の勝手な考えで視聴者解釈を縛るなよ。
まぁ若宮アンリまでならギリギリ許容範囲で許せるんだけど愛崎正人、こいつの立場がもう最悪。最初右へ習えしか出来なかった子が、他者の違いを認めていくって流れだけならいいのに、なんか変に若宮アンリにベタベタし始める。え?今までの友達どこ行った?怖いくらい若宮アンリに盲信しはじめる。別にここまで急激にキャラ変する必要ある?私の目からしたらもう友情という範囲を超えて、恋慕や愛情の域まで行ってしまったのだ。言い方が悪いかもしれないが若宮アンリが自分の虜にしてしまう、つまりは愛崎正人×若宮アンリのカップリングみたいな状態に落ちてしまった。
愛崎正人は嫌いだった人間の個性を認めた、という範囲で話を収めておけばいいものを、愛崎正人は愛情を持って若宮アンリの個を享受したみたいなとこまでいってしまった。
だって結局トランスジェンダーやLGBTの問題って、これはこう、それはそう、みたいなステレオタイプ人間が、自分が理解できない範囲のことを理解できないからいろいろと弊害があるはずなのに、それを個として認めました、じゃなくて、愛を持って接すること、こちらの世界に引き込めば彼らもわかるでしょみたいな話にすり替わっちゃったみたいにみえるんだけど?
愛崎正人は若宮アンリに対してあんなに盲信的になんなくても、一友人としてそこそこの距離を持ってれば説得力も増すのに、いやそうじゃなくない?って違和感が凄まじい。
そしてツイッター上ではその違和感に触れる人があんまりいなくて、声でかい人が「正人の愛」とかいうから…地獄が…広がり…
子を守る母親という軸、[はぐたんを守るはな、さあや、ほまれ]という枠に当てはめるべきなんだろう。けど、普通そう見せかけといてバックボーンでは[はな、さあや、ほまれと3人の母親]の構図、それぞれの家庭環境と支える母親を見て、プリキュアの3人がどんな母親としてはぐたんを育てていくのか、みたいな描き方するんじゃないの!?全然違うからびっくりしちゃった!笑 所々でしか出てこない母親たち。えみるの母親なんて放任主義のご家庭!って見せてるつもりなんだろうが、あれは放任主義なのではなく【放置】でしかない。見守っていないと感じた。そんなことねーよ!って意見があるかもしれないが、そんな熱心な視聴者でもない私にそう思われてる時点で脚本が死んでると思う。ただ、いじめにあったはなに寄り添った母親の図は良かった。良かったんだが、それ以上何かが活かされることがありませんでしたね笑笑 肝心の[はぐたんを守るはな、さあや、ほまれ]の図も普通に怪物から抱っこして守ってただけだったね。
あと子育てとかいってるけど子育てにおいて大変そうな夜泣きとか周辺環境との確執とか全部ハリーがやっときました!みたいな感じになっててはなたちなんもしてないように見える。ただ適当な時間にやってきて3時間くらい「はぐたんきゃわたん♡」って言って大量に写真撮ってキュアスタグラム?にあげて帰ってくってどんな毒親だ?ゴミ屋敷と〇〇プードルと私じゃねーんだぞ
3つめシリーズを通した穴
本当はもっと突っ込みたいところがいっぱいあるのだが一つ一つ触れてたらキリがないが、とにかく全体を通した流れが悪すぎる。
だいたいどのシリーズも、〇〇プリキュアといえばなんだった?と聞かれたらこれかな、って言い表わせることができるが、ハグプリは一体なんだったのかわからない。
というかキャラクターによって存在感の薄さがひどい。さあやとか認識してる女児ちゃんといるのだろうか?パップルさんのほうがよっぽど存在感あった気がしてならない。本来ならばスポットを当てなければならないキャラクターに全くスポットが当たらず、前述したジェンダー、LGBTの他、企業タイプの悪役、結ばれぬ恋、アンドロイドと父親の絆、未来人との友情など、俺が描きたい最強の〇〇みたいなのを全部詰め込んだ同人誌がハグプリなのだ。残るものが何もないどころか、ツイッターで出回った名言(笑)以上に得られるものがなーーーーんにもないのだ。最近のでいうとえみるが声を失ってしまうというえみるとルールー回、えみるが実際に声が出なくなってしまった期間が本当に3〜4分くらいしかなかったから、声を失う必要性があったのかよくわかんなかった。短すぎて伝わらないプリキュア脚本選手権か?多分2話に分けてりゃもうちょい効果あったかもだけど、時間なくてできないなら部分切るべきだったと思う。同人誌じゃないんだから取捨選択くらいしてくれ。仕事でしょ!本当にあれ止める人いなかったんだろうか。寒いしつまんないし本当苦痛だった。一年も観てきて、主人公野乃はなという人物のこと、ぜんぜんわかんなかった。こんなこと初めてで悲しくなった。
最近の方のプリキュアで酷評されていたので私の記憶にあるのはハピネスチャージプリキュアなんだけど、もはや酷評すらも跳ね除けて逆にあれはあれで評判良かったんじゃないかと錯覚するほどまだネタにできるタイプの酷さだった。当時神死ねって思ってたけど神のおかげで逆に楽しめてたみたいなとこあった。ありがとうな神。もーーハグプリ、よかったところがマジ全編通して良かったとこが作画安定くらいしかない。
最後にだけどツイッターで「プリキュアでは企業の悪役、初めてなんです!」っつってドヤってたやつマジでふざけんなよ
今回のシーズン、あまりに酷すぎて最後まで見た自分のこと褒めたい。よく見通した!えらいぞ!よーやく終わってくれるHUGっと!プリキュア!!!嬉しいー!!!!!楽しみだなぁ〜トゥインクルプリキュア!