はてなキーワード: 席替えとは
「給料が仕事に釣り合ってない」の項目がないため仕方なく「給料が安い」を選んでいる場合が多い。
実際に求めているのは給料に釣り合う仕事であり、それは「業務量が少ない」「ストレスが少ない」「同僚が真人間」「社風がまとも」「無駄な席替えがない」「ブルシットジョブが少ない」といったことで構成される。
つまり、「こんなに仕事がヤバイならそれ相応の給料を払え」と口にする時、本当に問題としてるのは「仕事がヤバぎる」なのに、それにふさわしい設問が用意されてないと仕方なく「給料が安い」を選んでいるというわけだ。
そもそも多くの人間にとっては1日8時間労働でも多すぎるぐらいであり、フリーターではなく正社員として働くために仕方なく8時間以上働いてる人が大部分だ。
小学生の頃に知的障害の男の子が普通級に通ってて、卒業の年に同じクラスだったから周りの子供目線で書くよ〜!!!
先に言っとくと内容的には本当に不愉快だから当事者とかそのご家族の方は読まない方がいいと思うよ。
その子は男の子で、身長もデカいしはっきり言ってデブで、あと汚かった。鼻くそほじってたりヨダレを飛ばしたりするので、席替えで隣になった子はガチで全員机を離していた。これもイジメなんかな〜って今は思うけど、みんな必死だった。
だって嫌でしょ、知らんやつの鼻くそとかヨダレが自分の机につくの。その机は学校の所有物で別に自分の持ち物じゃないけど、毎日自分が使うものだから本当に嫌だった。掃除の度に、みんなその子の隣の机はきっちり少しだけ離して置いてあげていた。
やたら性的なことに興味があったっぽくて、クラスの違うかわいい女の子の後ろをつけて家まで行ったりしてた。これは伝聞じゃなく、実際私の友達の女の子がこのつきまといの被害にあっていたので、私は学校と家との中間地点にその子の家があったこともあり、たまに一緒に帰ってあげたりしていた。一緒に帰っている時、何度か姿を見かけたことがある。確か家は全然違う方向だったはず。
あとは生徒会的なのに投書できる箱があったりしたんだけど、その役員の子がお好みだったらしく、何通も投書を入れていて、お返事コーナーみたいなのはその子の投書で埋め尽くされていた。
はっきり言ってキモかった。まだ性的なことに対して未熟な子供だからこそ、自分たちより大きな体で、生々しい欲を持って接してくるのがありありとわかってすんげーキモかった。
その子のお母さんは毎日廊下に椅子を置いて授業を見学していたんだけど、純新無垢な私たちクラスメートがこんにちは!と挨拶したとて一度も挨拶を返されたことがない。ただ亡霊のように座っていた。私たちは学習して、その後は無視するようになった。本当にいるだけだった。
授業を邪魔するタイプではなかったのが救いだけど、自分を賢いと思ってるタイプだったのか、やたらと人のテストの点数を当てたがったりした。私もやられたことある。「増田さんは〇〇点でしょ?(笑)」みたいなかんじ。
普通にそれより点数良かったのではぁ?となり、穏やかに無視できてよかった。
総合して、マジで支援学級に行ってほしかった。うちの小学校は特別支援学級あったし、その教室は少し離れたところにあったので、私たちはそこに誰がいるのか知りようがなかったし、あえて知ろうともしていなかった。ただそこに通う子達が何人かいて、授業を受けてるんだな、くらい。虐めようとかする子もいなかったと思う。そんな感じでちゃんと支援学級もある学校だったのに、なんで普通学級に通わせようと思ってたのか全然わからない。
みんな何も言わなかったけど、それは幼いながらも「何も言っちゃいけないんだろうな」って我慢してただけで、何も問題がなかったわけじゃない。付きまとわれてた私の友達は、「気持ち悪い、どうしよう」って泣きそうになってたのに、先生には言わなかった。私も言わなかった。何事もなく卒業できて、その友達も今は遠い場所にいるけど、それは本当に結果論でしかない。あの時何かあったら、それは誰の責任だったんだろう。
参加費の男女差が約10倍というエグさに申し訳無さを覚えつつ1000円でお釣りが来てしまう金額を支払う。
前日夜に更新された募集状況で察してはいたが、最終的に男6女4の小規模な会になった。
好きなアニメなどを記入する欄があるプロフィールシートを見せ合いながらぐるぐる席替えしつつ全員としゃべるシステムだった。
人当たりも良いしそこそこイケメンなのになぜこんなところに…という人から初手タメ口の部屋着か?みたいな服装のナメ腐ってるやつまで様々いたが、私は友人らにいつも愉快と評される自負もあるので全員とわりと楽しくしゃべった自信はあった。
最後にマッチング、気に入った相手の番号を書いて提出しもし両思いなら◯印がついて返ってくるというものがある。
この番号欄が第三希望まであるのだが、ここで思い出してほしい。
女の参加人数はたった4人である。3枠埋める男性陣も逆に大変だろう。
これでマッチングしたところで意味はあるのか…?と思いつつ、人当たりと顔の良いこんなところに8000円も払って来るべきじゃないイケメンくんを第一希望、あとはよく笑っていた人と今思い出そうとしても何も印象にない無難な人を書いた。
無難さんは残りがアレだったので消去法だ。6人から選ぶのでも消去法が発生するのに4人から選ぶ男性陣はもっと大変だろう。
そして返却された紙を見て我慢できずにちょっと笑ってしまった。
まじで1個も◯無かった。
3/4書かれるのに!?!?この全員に消去された1人が私ってワケ!?!?!?エッ!?!?ヤバいウケる
私が書いた3人がそうなのだから残り3人にも消去されている可能性が高い。
おそらく私と◯付け係の人しか知ることもないので世界でふたりだけが知っている街コン最下位確定の女が爆誕してしまった。
何があかんかったんじゃろ!?愉快が全面に出過ぎたか!?アロハか!?夏のイチオシカワイイ私服だからしゃーないじゃろがい!!!!でっけぇ花のアロハ、かわいいのよ…
公式二次会も参加希望者不足により中止となり、ヤベウケる〜のまま解散を迎えることとなった。ちなみにあとから知ることになるがおそらく全員誰とも連絡先交換をしていない。なんの実りもない会である。
それでは準備ができた方からお帰りください〜のアナウンスとともに隣のテーブルは秒で帰っていった。あっけなさすぎウケる。
さて帰るか、と立ち上がったところで動いたのはイケメンくんだった。
「公式の中止になったけどせっかくだし二次会やりませんか?」と残った面々に声をかけたのである。ますますなんでこんなところに8000円も払って来たのだろうか。もっと良い場があるよきっと。
そしてさすがいまいち盛り上がりに欠けた会、みんなどうする…?と互いの出方を伺っている空気でグダグダの予感がすごい。
お前らこの…ッ!なんの実りもない会をちょっでもどうにかしようとしたイケメンに敬意を払え…ッ!!
この場で私が(少なくともこのイケメンくんには)一番求められていない最下位ということだけは確定しているのだが、このグダグダが続くよりは絶対マシだと思ったので元気よく「行きま〜す!」した。誰か行くって言ったら流れでみんな行くでしょう。テーブルが違う女性陣とは一言も話せていないしそことも交流してみたい。さぁ乗ってこい!
「この後用事があるので…」
「帰ります〜…」
いっそ面白くなってきた。意地でも二次会を開催してやろう。ほかの女性陣が全員帰宅してもイケメンくんはまだ残りの男性陣に声をかけていたのでとりあえず最下位のアロハ女しかいなくても嫌ではないようである。ノリと勢いと愉快で生きてきたのでここから巻き返して楽しむ自信もある。
そして最終的に生き残ったのがタメ口部屋着マンと人間とのおしゃべり1年生のような最年少くんである。
おもしれーじゃん。楽しんでやるよ。
二次会カラオケ、地獄のオタサーのアロハ女になってやるからな。
あわよくばイケメンくんと仲良くなっておこう。30分しゃべっただけの人よりはそのあと3時間カラオケを楽しんだ人のほうがまぁなんか、いい感じに思い出になるでしょう。
どういうことだ。
タメ口マンと私が同い年、間にイケメンくんを挟み最年少くんは6個下、となると知ってる曲が結構ズレるのでなんだかんだあれ知ってる、これ聴いてた、と盛り上がったのは私とタメ口マンである。好きなバンドも被ってたりしたので案外仲良くなれるのかもしれないがタメ口マンは店員にもタメ口だったのでやはり人生をナメ腐っていた。
が。
カラオケを出て駅までの帰り道、イケメンくんとタメ口マンがすっかり意気投合してしまっていた。ふたりでやたら楽しそうにしゃべっている。三次会の話までしている。飲み屋街に繰り出す話をしている。
最年少くんとうしろを歩きながらふたりで「なんでそこがマッチングしてんの!?」「付き合ってる距離感じゃないですか?」(タメ口マンにアルコールが入っているため物理的にやたら距離が近い)と野次を飛ばすもそれすら気づかず二人の世界である。
そして我々の目指す駅の少し手前で最年少くんは別の路線のため離脱することになった。私をこのふたりのもとに置いて行かないでくれ。
でもコミュニケーション1年生の最年少くん、ここまで一番口数も少なかったのに、最後の最後で「連絡先交換しませんか?」とここまで(街コン本編から)誰一人言い出さなかったことを言った。実は一番しっかりとこの会を実りあるものにしたのは彼だったのだ。
まぁ二次会は普通に楽しかったし誰も渋ることなく交換をし、でもきっとこのあとも連絡を取るようになるのはイケメンくんとタメ口マン間だけなんだろうな…と思いながら、一応3人分の連絡先という戦果は得て帰路についた街コン最下位エンジョイアロハ女なのだった。
ご清聴ありがとうございました。
物心ついた頃から、「自分は子供を産んだらいけないタイプの人間だ」と感じてきた。
小中高職場すべてで虐められてきた。
(因みに自分のスペック→フリーター、低学歴、一重、貧乳、顔デカ、陰毛ヘア、発達障害(手帳持ち)、学習障害、家事能力なし、運動神経なし、アル中。)
父親はおおよそ社会適応できてる人だったけど、母親は仕事が長続きしないタイプで(大体が3日もたなかった)、近所で噂話される程度にはヒステリックで変人だった。
私も弟も、小中高すべてで不登校になった。もう遺伝子から弱者なんだなと幼いながらに実感したものだ。
どうやら自分は目を二重にして陰毛ヘアを直毛にすれば、何とか擬態できるベースを持ち合わせていたらしい。
整形したら、恐ろしくイージーに理解のある彼くんが生えてきた。
(整形前は生える気配は一切なかった。学生時代は自分が給食当番でよそったご飯を受け取ってもらえなかったり、席替えで隣になると気持ち悪がられた。バイトでは初日から従業員にブスだと言われたり、客からも暴言を浴びせられた。世の中の全女がイージーモードだというのは流石に主語がでかいと思う。)
便宜上理解のある彼くんと書いたが、多分定義からははずれると思う。
他に本命がいたし、金を貢がされてたし、暴言と暴力を振るわれてたし、寝てる時に犯されるなど、合意のない性行為も多々あった。
ある時、妊娠した。正確に言うと、流産してから妊娠していたことを知った。
流産した時、真っ先に「よかった」と感じた。
私の血が入った哀れな子供が生まれなくて本当によかったと、心の底から思った。
その子が生まれ育つ想像をしてみたが、可愛いとは全く思えなかった。
子供が生まれないで済んだ喜びはあれど、子供が流れた悲しみは1mmたりとも感じなかった。
そしてこの時に、「自分には子供を産みたくないという本能がある」と確信した。
多分、マジョリティの「本能」は、子供が欲しいというそれなんだろう。
でも、世の中にはマイノリティの「本能」もあって、それは弱い個体を生み出したくないというものなんだと思う。
ちなみにその後、本当に理解のある彼くんとも出会ったが、子供を求められた為にお別れした。
私の本能論も話したが、理解不能だと言われた。今はお互いの「本能」が一致したお相手と子供を作って、幸せに暮らしてるらしい。
蛙化の人や友人が蛙化の人のを読んだけどHSPと自称する人にまともな人がいたことがない
子供のクラスにも以前HSCと呼ばれる子が4月から転校してきて保護者から自己紹介があった
真逆のタイプの我が子には強めに、あなたが何とも感じないことに傷ついたりする子もいるんだよ
M田さんはとても心が優しく傷つきやすい子なんだって、だからあなたも優しくしてあげてね
と我が子に伝えたらわかった!と言って新学期が始まったのだけど
蓋を開けてみたらM田はただのワガママで繊細でも何でもなかった
自分の好きじゃないことはやりたくない、気に入らないと癇癪を起こし、自分の思い通りにする
他人に失礼なことをするのに相手に何か言われた大騒ぎしM田の親からクレームが入る
小学生が言われたら言い返す当たり前のことがM田にはしてはいけなかった
席替えもそうだ、平等にくじ引きをしようがM田がその席を気に入らなかったら配慮しなければいけない
ならいっそ最初にM田に好きな席を選んでもらい、残りのみんなでくじ引きをすればいいと思うのだけどHSCだからそれは許されない
学校側はおそらく知っていたのだろう
今思えばあの時の我が子のクラスはM田を抜いたらとてもいい子たちで構成されていたし担任も人気の先生だった
うちの子だって愚鈍だけど人に嫌なことをするタイプではなくポジティブで明るい優しい子だと思う
先生のことなら教育委員会などに持ち込めても子供のこと、更には自称特性持ちの弱者には保護者は非力なものだった
私達ができたことは来年以降M田と同じクラスにはしないで欲しいと訴えるということくらいでそれすら確約がない
HSCは障害があるわけではないから通級送りにも出来ない(こちらからしたら十分障害だと思うけど)
保護者が言うには好きでそうしてるわけじゃなくて性格だから仕方がないと言うものだった
本当にHSCって厄介だと感じた1年だったけどHSPの蛙化の記事を読んで当時を思い出して死ぬほどイライラした
「席替えで隣の席になった女子からキモいと言われた」だけならまあ同情するんだけど
そこに「泣かれた」が加わると、あーーこいつは女からの拒絶を加害として受け取るんだなと、歪んだ自意識が見て取れて同情する気も失せるんだよな
ていうかそもそも話を盛ってるか完全な嘘なのでは?とすら思う
何度も言うが女にとって男を拒絶する事は当たり前だ、それがデフォルトだ。別に攻撃でも暴力でも何でもない。自らにとってのプライベートゾーンを維持したいという、当たり前の権利を主張しているにすぎないんだ
子供時代に男子からされたスカートめくりがトラウマになっている女性に対して
席替えで隣の席になった女子からキモいと言われて泣かれたって話を引き合いに出すのはおかしくない?
だって泣くってスカートめくりと違って別に能動的な行為でも何でもなく、当人の意思とは無関係に生じるものなんだからどうしようもないじゃん。
「キモい」と言ったならばそこだけは作為だが、そもそも「キモい」と本当に言ったのかも定かではない。
「泣く」を入れずに「キモいと言われた」だけを語るならばまだ分かるんだが、そこでわざわざ「泣く」を加害行為としてカウントしているという事は
男は女が自分達を受け入れないというただそれだけの事を攻撃として受け取っているという認知の歪みが露わになっていると思う
多分、その女の子が黙って泣いてても同じように被害者面してたでしょ?
「男子からスカートめくりされた女子」に対応するのは「女子からズボンをずり下げられた男子」だし
「席替えで隣になった女子からキモいと言われて泣かれた男子」に対応するのは「席替えで隣になった男子からキモいと言われて泣かれた女子」だよ
私の事好き?嫌い?っていきなり言われるようなもんだぞ。
これがChoromeのデフォルトの通知ならまだ小さいから別にいい。放置して記事を読むだけ。
なんか独自のポップアップで画面の1/4を占めるぐらいのスペースを確保してきたらもう無理。
日本人は決断が出来ないとはよく言われるものこんなちょっとネットサーフしたぐらいで決断せまられても困るのよ。
これが嫌なもんだから通知の確認はOFFにしてたんだけど、先程新しく導入したiMacの設定とか操作の確認のために調べ物しただけで至るところで決断迫られて未だにこんな不毛なことやってるんだなってなった。
知らない。俺はちょっとわからないこと調べただけでおまえのことが好きかどうかなんてわからない。
「私の事好き?」
「なんで?」
「ずっと私のこと見てたでしょ」
今ならわかる。これは女側の気を向かせるテクニックなんだ。確かに見てた。目で追ってた。
「うん。見てたけど…」
「好きなんでしょ?」
内定が決まったばかりで童貞の俺は沈黙した。女に慣れてないからだ。彼女としてはこういった駆け引きをしてそんなに盛り上がらない合コンを自分なりに楽しもうとしてたんだ。
確かに好きだったのかもしれない。その当時は山ガールみたいなちょっとラフで動きやすい服装が受ける感じだったのか4人中3人がそういうファッションのところ、一人だけ気合いれたふわゆる系の服を来ていたので童貞の俺は目で追ってしまっていたんだろう。
「ファッションは好き」
それだけ言う。
「じゃぁファッション以外は嫌いってこと?」
「なんでそうなるの」
ほんとなんでそうなるのかわからなかった。
「私は君のこと良いと思うんだけどなぁ」
と言いながらさりげなく腕を組まれる。童貞の俺の脳内で「ヤれるぞおまえ今日卒業」という声と「アホバカおまえ冷静にアプローチしろ」という声が鳴り響く。
だが俺がとった行動は沈黙だった。目の前にあるお酒を飲みながら沈黙を選ぶ。
「ねぇねぇ話そーよ− 休日とか何してる?」
そういって彼女は少しでも盛り上げようと話しを降ってくれる。でも仕方ないのだ。大学4年間ずっとバイトと勉強しかしてなくて遊ぶ暇があったらネトゲしてた陰キャだから。
そのまま何もなく。好きも嫌いもなく席替えが行われ、その後となりに来た女性が同じネトゲしてたことで意気投合してゲーム内で遊ぶぐらいの友達にはなった。付き合うことはなかった。
わかるか?つまりいきなり「好き?嫌い?」じゃないんだ。
「女の恋は上書き保存」などと言われるが、私はこれまで好きになった人たちの誕生日すら忘れていない。
30年間で12人。片思いや失恋がほとんどだが全て良い思い出だ。
今更誰かに話せるようなものでもないが、自分の中だけに留めておくのも勿体無いのでここに放流しておく。
幼稚園年中〜年長のころ
一人称が「オレ」なのがかっこよくて好きだった。
小学校に上がる際、親の転勤でどこかへ行ってしまい、好きと伝えることはなかった。
小学校1年生〜4年生のころ
顔がかっこよくてスポーツ万能で、いわゆるカースト上位の男の子だった。
小学校2年生の頃に仲良しの女の子に彼のことが好きだと内緒の恋バナをしたところ、翌日には本人にバラされてしまいとても嫌だった思い出がある。
そのときは「もう好きじゃない」などと言って誤魔化したが、結局クラス替えで離れるまでずっと好きだった。
小学校5年生のころ
クラスで1番可愛い女の子も彼のことが好きで、どうやら両思いのようだったのでそのまま好きでいることがつらかった。
このころ、自作のホームページに彼をキャラクター化した絵を載せていた黒歴史がある。
小学校6年生のころ
ガキ大将タイプで少し粗暴な、学内カーストトップの男の子だった。
小学生なのに「女子」ではなく「女の子」と言うところが好きだった。
このクラスではくじ引きで席替えをしていたのだが、先生のくじの作り方のクセを見抜き毎回必ず隣の席か同じ班になるようにしていた。しかしそれで仲が深まるということは特になかった。
高校生の頃、風の噂で彼が薬物か何かで少年鑑別所に入ったことを知り、少し切ない気持ちになった。
中学1年生〜2年生のころ
ある日廊下であくびをしている姿を見かけた時にキュンと来て好きになった。人生で唯一の一目惚れだった。
とにかく人望があり良い話ばかりを耳にするので、その度にどんどん好きになっていったが、ほとんど会話をすることもできないまま「憧れの人」で終わった。
高校1年生〜3年生のころ
同級生とは違う大人の落ち着きや優しさに惹かれて好きになった。
先生に気に入られたい一心で毎日勉強をして、定期テストや模試は常に学年トップだった。
勿論この恋が成就することはなかったが、たいして進学校でもないのに難関大学に合格することができたので、人生を変えてくれた恩人だと思っている。
大学1年生〜4年生のころ
サークルの同期。
とにかく話が面白く、顔が筋肉痛になるほどずっと笑わせてくれる人だった。
趣味も合いとても仲が良かったが、友達以上になる方法が分からず、彼氏がいる期間を除いてぼんやりとずっと片思いをしていた。
大学4年生の頃、クリスマスとバレンタインを二人で過ごせたにも関わらず何もすることが出来ずに終わり、ようやく諦めがついた。
大学2年生のころ
はじめてできた彼氏だった。
付き合って4回目のデートでTシャツから胸毛と背毛がはみ出ているのを見て、さーっと冷めてしまい別れた。
当時は「未成年の女子大生を狙う社会人男なんて気持ち悪いし別れてよかったよね!」などと思い体毛ごときで冷めた自分を正当化していたものの、4回デートしてもキスすらしなかったのでそれなりに誠実な人だったんだろうなと今となっては思う。
大学2年生〜3年生のころ
この人には私がいないとダメだ、と思わせるようなところが好きだった。
1年間付き合ったものの、色々なことがうまく噛み合わずお互いに疲れてしまい別れることになった。
納得して別れたつもりだったが、かなり引きずった。食事がほとんど喉を通らず、風呂も入らず、歯も磨かず、毎日泣いていた記憶がある。半年ほどで落ち着いたが、未だにほんのり未練がある。
今ならもう少し上手く付き合えただろうなあなどと思ってしまう日がたまにある。
社会人1年目のころ
会社の同僚。
かなり変わった人だったので告白をされてから少し悩んだものの、見た目が良かったのと猛アタックしてくれるのが嬉しくて付き合った。
愛情表現をたくさんしてくれるので私も出来る限り尽くしていたものの、日々重くなる愛に辟易し1年と経たずに別れた。
その後少ししてからメンタルを病んでしまったらしく、長期休職後に退職していた。私も原因のひとつだったのかもしれないと思いやや責任を感じている。
社会人1年目〜3年目のころ
会社の同僚。
頭が良く明るいので会話が楽しく、一緒にいて居心地が良かったので好きになった。
付き合ってから徐々に相手の気持ちが離れていくのを感じ、それを繋ぎ止めるのに必死だった。
結局1年ちょっとで振られたものの諦めがつかず、その後も1年ほどセフレの座に甘んじていた。
本気で婚活をしようと思い立ったタイミングでようやく断つことができた。
社会人4年目〜今
婚活を始めてからは「恋愛」よりも「結婚のための条件」に重きを置いて出会いを求めていたが、結局好きになってしまったのでふつうに恋愛をした。
同棲するとなったときにお互いの個人情報を共有したところ、仮に「結婚のための条件」だけで相手を選んだ場合でもきっと夫を選んでいただろうと思うくらいの人だと分かった。大好きな人にオマケで好条件までついてきて、私は大変運が良かったと思う。
ここからもう増えることはないと思う。