はてなキーワード: 小児性愛とは
理解してないな。
問題はあなたの奥さんがまったく罪悪感を感じてないように見えることだよ。
ファッションペドファイルで、成人男性と結婚していて、ショタ最高〜wとか言ってカジュアルに虐待をジョークにしている。
本当に小児性愛傾向に苦しんでいて、絶対に子供に危害は加えない、大人を愛したいと苦しんでる人に対してもその苦しみや罪悪感を理解してなくてとても侮辱的だと思う。
下の記事に出てくるような人を見てどう思うのか。
https://www.bbc.com/japanese/amp/features-and-analysis-41812774#click=https://t.co/eyqivpexK4
18歳未満との性交を擁護してる人は人でなしだと思うけどそんな人いる?
増田の指摘通り、結局あなたも小児性愛という性指向と18歳未満との性交をごっちゃに考えてる人か。
イスラム教徒とテロリストが別の集団であるように小児性愛者と18歳未満との性交した人は別の集団なんだけどっていうのわかる?
でもお前は
犯罪を容認する過激派ロリコンは普通に批判されてるし、そんなやつほとんど見たことないけどお前みたいなやつは同一視してるよね。
流石にブーメランすぎてこれくらいは書く前に気づかない?
と言っても今までの人生で歳上の彼氏はいたし、歳上の俺とも結婚した訳だが(俺の精神的な部分にショタ要素を見出したらしい)
だけど今でも妖怪大戦争を観て12歳の頃の神木隆之介くんに性的にハァハァしてるし、たまに保育園や幼稚園の側を通りがかるとタマラン萌えると言ってる。
性的に誑かしたいとも発言してるし、その他ここで書けない事諸々。
他にもサディストなので男の人を拷問したり苦しめる描写に興奮もしてる。
でも、本人は犯罪おかさずに世の中で一般人やれるよう頑張ってるし、俺も妻に罪は一切無いと思うのよ。
表に出して人に迷惑をかけない限りね。
【追記】
これってツリーにぶら下げても本人だと解らないんだね。ごめんなさい。
下記にコピペ貼るけど、
なんか勝手に「夫は妻の事を全部理解できてるか論争」が始まってるけど、そういう論争にはあんま興味ない。
俺が妻の事を誰よりも理解してるなんて思っちゃいないんだけど、「性癖がガチなのかファッションなのか」くらいは俺にも判るよ。
俺が妻の性癖について「こうだ」と語ってるのは思い込みではなくて、ここに書いてないエビデンスが沢山あって(憚られるので書かないが)、
今まで我々夫婦がお互いの性的嗜好について明文化して散々話し合ってきたからなんだけどね。
特殊性癖の人間同士で結婚すると、自分の性的嗜好を相手に正確に理解してもらわないと地雷を踏み抜いて大喧嘩に発展するから、話し合わざるを得ないんだよね。
(逆に、ひた隠しにして我慢して夫婦続けるパターンもあると思うし、いろんな夫婦がいるんだと思うけど。)
男と女は分かり合えるとか合えないとか、そんな話してないんだよなぁ。
妻の口から実際に聞いた事しかここには書いてないし、「一緒に暮らしてる俺が一番良く知ってる」って書いたのは、今までセックスの仕方で細かな所まで、あれは嫌だこれが良いなど、夫婦間で離婚寸前のガチ喧嘩を何度もしながら方向性の擦り合わせをしてきた経緯があるから。
「夫と妻は解り合えるかどうか」については、家によって物凄く差があるんでないの。
俺だって妻のことは生理的には理解できないけれど、こと性嗜好に関してはお互い擦り合わせをしないとそもそも夫婦の営みが成り立たないでしょ。
それから「奥さんが苦しんでるように見えない」のは、当人が自分の欲求と向き合って現実と折り合いつけながら前向きに生きてるからって事にしといてくれ。
公的機関ならともかく、私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできないので、あらゆる差別を禁止することは不可能で、どの区別が禁止されるべきで、どの区別が禁止されるべきでないかの検討が必要。
増田の「本人の責任ではなく、また変更も困難なもの」というのはかなりいい基準だが、それが犯罪と本質的に結びついているときには、社会的な扱いが異ならざるを得ない。ここで「本質的に」というのは、「ある人種は犯罪率が高い」みたいな話じゃなくて、「今まで普通に話していた人を突然切り裂いて血を浴びる以外に喜びを感じられない」みたいな、犯罪以外に達成不可能な性質をさす。児童性愛は残念ながらそのカテゴリーに入る。
もしも小児との性行為が犯罪であることをもって小児性愛を犯罪だというのであれば、同性との性行為の一部は犯罪になりえるのだから同性愛も犯罪的だし、異性との性行為の一部も犯罪たりうるのだから異性愛も犯罪的な性指向である。
大多数の同性や異性との性行為は合法だが、小児との性行為はすべて違法だ。比較が不適切。
小児性愛=男性 、という図式ばかりフィーチャーされがちだが、実は小児性愛の問題は男性に限ったものではない。
むしろ、隠れた小児性愛の問題は「女性」の側にこそ潜んでいる。
男性が若いアイドルばかり追いかけまわしていると思っているようだが、実は女性もまた、若い男性アイドルを追いかけまわしている。
例を挙げると、ジャニーズJr、神木隆之介、羽生結弦・・・etc (実際にはキリがない、というのもこの世には「男児」の水着イメージDVDなるものもあるからだ。)
彼らがまだうぶな少年だったあの頃、あのあどけない笑顔を性欲丸出しでおっかけていたおばさん達の表情を自分を決して忘れない。自分の息子を見つめる母親のような顔で彼らを応援するが、常識的に考えて"赤の他人"であるはずの男児にあんなに大挙して群がるはずがない。あの頃の自分は詰めが甘かった。
なぜ将棋の藤井聡太に若き日の羽生結弦ほど女性ファンが集まらないのだろう。単に将棋に興味がないだけだと思っていたが、しかし奴らはフィギュアスケートのルールすらほとんど知らないのだ。(もちろんマナーも)
はなはだ疑問である。
彼女たちは自分の汚らわしい性欲に過ぎないものを、まるで母性であるかのように"正当化"するのだ。
そういえばこの間も、ある成人女性が小学生男子との淫行で逮捕された事件があったが、普通に考えてあれは立派な"虐待"だ。
アホなネット民たちは「うらやまけしからん」などと笑い話で済ませていたが、本来ものの分別のない小学生に性行為を強要した場合、精神医学的に考えてどんな傷害(トラウマ)を残すかわかったもんじゃない。
世の中には一定数の"ショタコン"女がいるわけだが、もし自分に小さい息子がいたとして、そんな奴らが大勢いる保育園に子供を預けるわけにはいかない。ここは安全な男性に預けたいところだが、どういうわけかどの保育園も潜在的ショタコン欲求を持つ女性の保育士ばかりが大勢を占め、未だ男性は排除される流れになっている。(われわれは一体どこに愛する息子を預けたらいいんだ!)
自分は昔、母親と風呂に入っていた時に、母親にペニスを触られたことがある。あの時の母親はただ笑っていたが、今考えると鳥肌が立つような不快な体験だった。あれ以来母親を憎悪するようになり、自分は母親を徹底して忌避するようになった。自分はその時のことを誰にも何も言わなかったが、言えば性的虐待の件数としてカウントされたのだろうか?また、同じような経験をした男性は、潜在的にどれほどいるのだろう。性的なものであれ、お受験教育的なものであれ、それは等しく"虐待"ではないのか。
(考えてみれば、母親と恋人関係のような息子がたびたびテレビで報道されるが、あれも考えてみれば母親の"支配下"におかれ、もはや抵抗する気力を失った(無気力な)憐れな息子に違いない)
現実と妄想のつかないのはむしろ女性の方で、彼女たちはむしろ現実の男児に加害をなす恐れがあるのではないか、という問題をここに提起しておく。
「成人男性→幼女」の構図ばかりを心配していたら、気が付いたら女がショタを苦しめていたではないか。
願わくば彼女たちが、主にショタドールなどの現実の人間ではない架空の"物体"や、または腐女子のような高度な妄想技術を磨いてその危険かつ屈折した性欲を日常的に解消してくれればいいのだが……。
(追記)
どうせ興味ないだろうけど自分の子供時代の話をもう少しだけするが、自分は母親のせいで異性との付き合い方が分からなくなったと言っても過言ではない。小学校4年生のとき、女子からバレンタインチョコをもらい、その日母親に隠していたが、いつの間にか鞄を漁ったのかすぐに食卓の上に置かれていた。
中学の卒業式の夜、学ランの第二ボタンがないことを上目遣いのいやらしい目で家の暗い廊下で問い詰められた。
高校生になっても通学の自転車を漕いでいると母親が車で自分を見つけ、「誰と話してたの?」と頓珍漢な詰問にあう。
学校で女子に話しかけられてもどうせ深い付き合いになれないし、女友達になるにしてもそんなものが成立するとも思えない。
しかしこの頃から自分の母親と、学校の女子というものが、同じ「女」であることを強く感じ始める。
同級生の女子もまた、男子という人間に対して同じ女同士の友達とは違う対応を明確にとり始めるわけだが、その下心のようなものがどうも見え透いて自分でもなぜか分からないが拒絶反応が起こり始めた。
どうにも自分の母親と、目の前で気さくに声をかけてくれる女子の猫なで声が頭の中で共鳴し、嫌な思い出を引き出すのだ。
これは一体誰の責任なのだろうか?俺の心の問題なのか?俺の心が女性の侵入を許せばただちに問題は解決して、今頃、子供を作り幸せにやっていたのだろうか?分からない。しかしそんなあっさり心の問題を解決してしまえるような奴が子供を幸せにできるとも思えない。俺の精神の成長を止めたのは誰だ?俺か?俺だけなのか?あいつ(母親)は関係ないのか?猫なで声で接してきた同級生の女子は関係ないのか?じゃあ人間が一人で成長できるなら他人なんか要らないな。相変わらず都会のワンルームアパートで孤独にこんな匿名記事で愚痴を吐き出すしかできない。
ミソジニーなんて言葉があるが、どうせモテない奴の僻みだろなどと世間ではいうが、女性嫌いになるのはいろんなパターンがある。自分の場合はそれだった。一般的なこととして当てはまらない、統計的にマイノリティだ、だからこれとこれは別の話だというのかもしれない。
じゃあフェミニズムって一体何のためにあるんだ?
フェミニズムとは一人一人が固有の体験において様々な問題について打ち明けることのできる思想だったんじゃないのか。
では俺の場合は何に当てはまるのだろうか。俺は男性だ。男性のためのフェミニズムってあるのか?少なくとも自分は知らない。少なくとも多くのフェミニストはそんなものは無いと言うだろう。
自分がもし、女に産まれてきたとしよう。そうすると多分、今度は自分の父親に性的虐待をされていたんじゃないかと思えてくる。多分99%そうだろう。パソコンの履歴に「ロリコン 動画」などと検索するような奴だ。おまけに頭もものすごく悪い。まったく自分は男に産まれてきてよかった。じゃなきゃ今頃、風呂場で体中をまさぐられていたことを、今でも時折思い出しては発狂していただろう。いや、しかしこれも仮定の話に過ぎない。というのもそれを想像している自分はあくまで男だからだ。あんな父親に性的虐待されてる自分なんてゾッとする。多分訴訟沙汰になっていたかもしれない。でもどうだろう、それでも女の子だった場合の自分は、それでも無理やりにでもその時自分は愛情を感じていたのだと心を誤魔化し続けていたのかもしれない。
もしそんな自分がいたとしたら、男がいうところの論理的思考なんてできないまま大人になり、ひょっとするとメンヘラになるか過激なフェミニスト気取るか高いところから飛び降りていたかもしれん。男にモテてもモテなくても多分まともな人間関係が保てなかっただろうな。(この場合父親によって男性嫌いになっていることになっているが、もちろん母親との母娘関係においてまた別の問題が生じ、異性関係に支障をきたしたことだろう。あの母親はそういうやつだ。みんなは俺の両親については何も知らないかもしれないが、俺は"よく知っている"。奴らはそういう人間だ。どうせ互いの見た目(ルッキズム)だけで何も考えず結婚したのだあの馬鹿どもは。)
しかし今現在男である自分にとっての問題は、結局未だ母親によって受けたトラウマが癒せず、女性というものを理解できず、成熟した精神というものの内在しない二次元のアニメキャラにしか興奮できないということだ。
特に幼女のような見た目のキャラか、どっかで献血のポスターになってそうなありえないくらい異常に発達した巨乳の童顔キャラかだ。自分もまた父親とまったく同じ種類の性的快楽を感じているのだろうが、それが自分に向けられた性欲ではなく、男同士で連れションしている感覚で、そこには男同士の明確な暗黙ルールに基づいているためにこいつは全く自分とは別の人間だと安心できるのだ。五感も精神もすべてが何一つこいつに同調しない。
自分がもし、古代ギリシャのスパルタのような男だけの社会で厳しく育てられていたらすべては解決したのだろうか。
昭和の価値観でマッチョでホモソーシャルな奴らと共につるみ、「女なんて適当にあしらって子供だけ産ませときゃいいんだよ」とアドバイスされ、それに付き従い悪く言えば適当だが、良く言えば寛容な心で 結婚→出産 までのコースをサクッと潜り抜け、子供も5人ぐらいサクッと産ませて国家安泰って感じでよかったのだろうか。しかし今は何もかもがセンシティブだ。(コロナでわかったことは、一人の人間の命が昔に比べて遥かに重すぎるということか。)
自分は現実の女に興味がない。本当に電車での痴漢冤罪が怖い。そんなに男が嫌いなら、男の前に姿を現さないでほしい。
願ったりだ。そんな人間も当然のようにいる。しかしそれでももし、男だとか女だとかレッテル貼らずに一人の人間として対等に向き合う覚悟があるのなら、話ぐらいは聞いてやる。そしてそういう奴の言うことは、大抵「もっともだ」と自分は頷くだろう。
全ての問題は、男も女も、異性にしろ同性にしろ互いをモノとしてしか見てないところに原因があるような気がしている。
つまり自分が様々な問題を混同しているように見えるのだろう。確かにそのことについて自分も常に考えている。
しかし被害者とはそういうものだ。論理性などない。自分の感情をまとめることなど自分一人で到底できない。
あらゆる問題を混同したまま巻き込み、感情だけで片付く問題ではもちろんないが、論理だけで片付くとも到底思えない。
また、論理と感情を上手く整理できる人間がいるとも思えない。すべての問題は置き去りにされたまま勝手に次のステージに進む。いつだって冷静なふりをしている人間は次のゲームに乗り遅れる。ここからが心臓でここからが肺だとか、冷静にメスを入れることのできる奴だけが偉ぶって問題を"上"から片付けようとするが、現役のスポーツ選手にとっての実感はどれも等しく見分けがつかないほど連動しているってことだ。皆様は自分こそが上手に魚や牛を捌けるとマウントを取り合っているようだが、今自分のポジションはそのまな板の上の魚や牛で、あなた達が捌こうとしているものは実は"人間"で、そしてそのまな板の上の"人間"は自分なのだ。あなた方は私の身体の中身を知っているようでいて知らない。もちろん私にもわからない。私にわかるものは私が知っているものすべてであり、それを経験しているのは私だけなのだから。当然私はカウンセリングにも行ったし、いろんな人の話も聞いた。しかし結局誰にも共感できない心の構造を持っているのだ。なぜなら「この私」の経験は「この私」だけのものであり、経験していないものとそもそも共感などできないのだから。
だからこそ私は二次元の女の子を性的に愛する。あるいは精神が未熟な「ショタ」や「ロリ」や「犬」や「猫」に同情するし、共感する。
なので自分が男だからという理由だけで「ショタ」の立場だけに立つなどと勝手なミスリーディングはしないでほしい。
「ロリ」の苦しみは「この私」の苦しみだし、「犬」「猫」の苦しみも「この私」の苦しみだ。
ぶっちゃけると、男だろうが女だろうが、ショタだろうがロリだろうが犬だろうが豚だろうが誰が何に性欲を感じるかなんてもはやどうでもいい。等しく等価だ。性欲はただの性欲であって基本的に汚らわしいものだ。
そして現実の生き物に迷惑かけたくないから、自分は二次元に逃げた。
そしていつか大量の幼女ドールと巨乳ドールを専用の部屋に集めて飾ってやる。
白人と黒人の問題にせよ、どこからが白でどこまでが黒か奴らに分かっているとも思えない。
各々が各々の定義を持ち出して、勝手に"冷静に"まとめようとするが、どうせまた数十年後に奴らは同じような原因でデモをするだろう。
そもそも論理性だとか合理性だとか、そんなものが現実にどこまで通用するか、またそのようなものの合意もあるようでいて実は無い。なぜならそんなものは感情的な動物と化してしまったものには理解できないからだ。
ちょっとした軽い気持ちでこの文章を書き始めた自分だったが、結構数稼げたんじゃないかと思う。
君たちはこの文章をちゃんと読んでいるのか?それとも部分的に自分が反応するところにだけ反応しているだけなんじゃないのか?しかし実際のところ、多分そういう読み方しかできないような構造が出来上がっているのだろうなとも思う。
どうやら君たちのいうところ、自分は何らかの「被害者」のようだ。なので言わせてもらうが、自分のような「被害者」は実はどこにでも潜んでおり、たまたま自分が上手く言葉で説明できたに過ぎない。目に見えない自分のことを、どこまで真実を言っているのかわからないかもしれない。しかし今回の黒人のデモにおいて思うのは、発端となった殺害された黒人も、案外"不注意"だったのかもしれん。というのも奴が問題を起こさなければ(例え正しかろうが間違っていようが)このような全米を巻き込んだことにはならず、平穏に暮らし、コロナに対する犠牲者の数をいたずらに増やさなくても済んだのかもしれない。
自分がもし黙って何も投稿せずにいたら、ひょっとすると「ショタ」の問題などそもそもどこにも存在していなかったのかもしれない。
「被害者」は1人もどこにも存在せず、「ロリ」だけが被害を受けていることになっていたかもしれない。などと考えるのはただの自惚れかもしれん。しかし実際会ったことのないやつらに同情されても、結局同情という言葉だけが一人歩きするだけで、自分の情動に何のリアクションも起こさないのだ。この記事はただの自分のメモ帳みたいなものだ。ひょっとすると、本当は何の虐待も受けていなかったのかもしれない。すべては俺の誇大妄想で、あの時の自分の母親は彼女なりに自分に尽くそうと不器用に振る舞っただけだったのかもしれない。戦争体験者の証言もそうだが、いつも当事者の体験が一体どんなものだったか分からない。お前は「被害を受けたのだ」とレッテル貼られても、それでどうしろというのだ。金は動くが心は何も変わらない。
しかし冒頭を読み返すと女を煽ってるような気がする。奴らにも辛い経験が当然あったわけで申し訳ないと思うが、しかしいずれにせよ人間はそれを「乗り越え」ねばならんのだ。(これでまとめた感を作ってみました)
このような追記に追記を重ね、よくわからんただの歪なだけの文章を取り出して、それこそお前の精神構造を表しており、お前という人間の真理(心理)の一側面を表しているだなどとなんと精神科医とかはほざきそうなもんだが、ここまで書いてみて、君たちを鏡のように使ってみても、全然自分という人間がわからない。自分の母親だけが、自分に影響を与えていて、それだけで自分を構成しているとも到底思えない。とはいえ自分は結構いろいろなことも経験してきたからだ。
チャイルドマレスター(児童性虐待者または小児性犯罪者):実際に子供に害をなす人間
そして「ペド」と略されることで小児性愛なのか小児性愛者なのかごっちゃになるという。いやそこはちゃんと書こうよね……。
ネットで子供のエロ妄想とか創作とか書いてる人の多くはおそらくペドファイルではないと思うんだよなー。非子供のエロも普通に楽しんでそうだし。
話題になるのは「合法レ〇プ」「ハイエース」「処女ビッチメスガキ」とかで、これペドファイルってよりチャイルドマレスターで、だから批判が出るんだけどなんでペドファイルの話になっちゃうんだろうね。
いきなりそんなこと言ったら警戒して普通じゃない?
逆に、「言いにくい話なのですが、私はどうしても性的嗜好がノーマルではなくて」というふうにきちんと説明されたら小児性愛でも理解はできるだろ
自分語りするなら、私個人の見解としては小児性愛(主に、性的接触なしに性的満足を得る個人的行為について)もまた守りたい対象だし、そういう議論にも普段から参加しているのだが、少なくとも「児童型ラブドール」の話は「そういう話ですらない」んだよな。その点で、ネット上の「フェミvsアンチフェミ」に論点を引っ張られすぎたと思って今反省してるところ。
「小児性愛の権利」なんて過激なものを持ち出すまでもなく、「児童型ラブドール」が許されるのは自明なんだよ。対象がラブドールなんだから。児童も何もない。本件の論点はそれ以上でもそれ以下でもない。
そんなことより、実在成人との性的接触を取り締まった方がよほど性犯罪対策になるだろう。対象が人間なんだから。成人も何もない。
ヴィーガンがフェイクミートを食べたからと言って肉を食べるようにはならないよ。牛肉や豚肉を食べる人間はいずれ人肉を食べるようになるのかね?
なんで反転できないかっていうと、小児性愛と同性愛で規範抵触度合に差異があるからでしょ
仮に小児性愛が人道に対する規範抵触度90、同性愛が規範抵触度20として、規範抵触度90の行為と規範抵触度20の行為を入れ替えても論理が成立しないのは当然、と思ってるわけでしょ
だとすると指摘されてるのは論理の正しさじゃなくて小児性愛の規範抵触度を暗黙の前提に論理を組み立てる事を指摘されてるんだよ
「成人男子を見てセックスしたいと反応してしまう男と女子児童を見てセックスしたいと反応してしまう男のどこに違いがあるの?」と聞かれてる事も理解できないのかしら?
もしも小児との性行為が犯罪であることをもって小児性愛を犯罪だというのであれば、同性との性行為の一部は犯罪になりえるのだから同性愛も犯罪的だし、異性との性行為の一部も犯罪たりうるのだから異性愛も犯罪的な性指向である。
全てが犯罪である志向と、一部は犯罪になりえる(が殆どは合法な)志向を一緒にするのは詭弁だよ
前者は全てが批判されるが後者は犯罪になりえる志向だけが批判される、ってだけ
小児性愛を内心の自由うんぬんで論じるべきではない、という「子供を性的にみる内心の自由はない」(anond:20200609071250)の冒頭部分はそのとおりだ。
これは性指向に基づく差別に反対という話であって、本来は内心の自由とか表現の自由とかは二の次の問題だからだ。
たとえば、この記事を読んでみてほしい。
LAタイムズの小児性愛についての記事を翻訳しました | 包帯のような嘘
読むのがめんどくさいという人のために説明すると、小児性愛は生まれつきのものであり、多くの小児性愛者はそれを変えられずに苦しんでいること、それでもなんとか現実と折り合いをつけて生きていこうとしていることが書かれている。
つまり、小児性愛は、それを持って生まれた人にとっては変えがたい性指向だということだ。
性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて人を差別することは許されない。
小児性愛者を治療しろ? 百年前に同性愛者も同じことを言われていた。小児性愛者は性的モンスター? 「ゲイが同じチームにいたらロッカールームでケツを掘られる!」というのとどう違うのか?
もちろん、小児、すなわち性交同意年齢に達する前の子供と性行為をおこなうことは許されてはならない。あるいは、実在する子供を性的に虐待することで生み出されたコンテンツは、厳しく規制されるべきだろう。
だが、それはあくまでも行為であって、性指向の問題とは別だ。性指向が子供に向いていなくとも子供を性的に虐待することはありうるし、性指向が子供に向いていても実在の子供の人権を侵さずに生きていくことは可能である(架空の子供を描いたイラストや漫画、あるいは今回問題になっているようなラブドールを消費している分には、実在の子供の権利は損なわれない)。
性指向に基づく差別に反対することと実在の子供の人権を擁護することはまったく矛盾しない。
増田は「同性愛」と「同性間での性行為」を、「小児性愛」と「小児との性行為」を混同している。
同性愛も小児性愛もその人の持つ性指向の問題であり、それ自体が犯罪となるような性質のものではない。
逆に、性行為を問題とするのであれば、同性間での性行為に同意が伴っておらず強制性が存在した場合、当たり前だがそれは犯罪である。同性愛のすべてが犯罪でなくなるわけではない。たとえばゲイが嫌がるノンケを押し倒して事に及べば強制性交罪だ。
もしも小児との性行為が犯罪であることをもって小児性愛を犯罪だというのであれば、同性との性行為の一部は犯罪になりえるのだから同性愛も犯罪的だし、異性との性行為の一部も犯罪たりうるのだから異性愛も犯罪的な性指向である。唯一犯罪と無縁でいられる性指向は無性愛しかない。
「ある性行為が犯罪である」ことと「ある性指向が犯罪である」はまったく同一ではないことが以上の例示でわかるだろう。
幼少時に性的虐待を受けた可能性がそれなりにある人たちに向かって、別に本人たちが興味があるわけでも、知識があるわけでもない、児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。
小児性愛者と児童虐待者はイコールではない。仮に性指向が成人に向いている人間であっても、「身近にいて、非力で、手を出しやすい存在」である子供に性的虐待を加えることは十分に起こり得る(これは児童虐待を論じる上での常識だ)。
児童への性的虐待は痛ましく、許されてはならないことだが、それは小児性愛者を差別する理由にはならない。
そもそも論として、児童への性的虐待が小児性愛者によって行われていたとして、それは一部の小児性愛者の行為にすぎず、それをもって全体を犯罪者と罵るのは典型的な差別主義である。
あなたは9・11テロの犠牲者の遺族に向かって、イスラム教を擁護する言葉を声高に発することができるのか? もちろん声高に発するべきであり、遺族の気持ちを慮って差別主義に屈するのは間違いだと言わなければならない。たとえ遺族の気持ちを傷つけたとしてもイスラモフォビアには反対すべきである。それが市民としての倫理的な義務だ。
人でなし? それはこちらの台詞だ。私から見れば、変えられない性指向に基づく差別を正当化する連中の方が、よほど人でなしに見える。
犯罪を好む特殊な性癖を持っている人たちの権利を擁護したいのであれば、自分の言葉が多数の性的虐待被害者を傷つけることを理解した上で、それでも主張したいことを、十分に勉強した上で注意深く主張すべき。
性指向に基づく差別を正当化したいのであれば、自分の言葉が性指向に基づく差別で苦しむ性的少数者を傷つけることを理解した上で注意深く発言すべきだ。というか、少なくとも自分が差別主義者であるという自覚は持ってほしい。それはそんなに難しいお願いだろうか? だって言ってることは一昔前にホモフォーブが言ってたこと――あるいは今も言ってること――と同じじゃないか。
私は、「性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて」人を犯罪者予備軍扱いしたり(それ自体が誰の権利を侵害しているわけでもない)オナニーの道具を取り上げようとするのは差別だと思うんだけど、それは差別じゃないって言いたいのかな?
差別主義者はいつだって「これは差別じゃない」と言う。どれだけ明々白々な差別をしていたとしても。
子供の姿をしたラブドールでどう子供の安全が脅かされるんだ……?
そんなに子供の安全が気になるなら、小児性愛者よりも先に家族に目を向けるべきではないか。児童への性的虐待は見ず知らずの小児性愛者によってなされる事例よりも家族・親族あるいは見知った大人によってなされる事例の方が多いのだから。
小児性愛者を怪物に仕立て上げたところで、子供が安全になりはしない。それで安全を得たと思えるのなら、それは本当の安全ではなく心理的安全に過ぎない。あなたがラブドールを愛好する小児性愛者を槍玉に挙げる横で、今日も義理の父親が義理の子供に性的虐待を加えているかもしれないのだ。
内心は誰にも分からないけど、欲求を公言したら批判や忌避される対象となるのは仕方ないと思う。/ 臨床現場で現在ペドフィリアに行われている治療は、薬物療法のほか、認知行動療法やグループミーティングが中心。
前段。同じことを同性愛にも言えるか? 仕方ないとか寝ぼけたことを言ってないでそれが差別感情だと認めるべきだろう。差別感情を認知しなければあなたは一生差別主義者のままなのだから。
後段。それって性指向を変えるような治療じゃなくて、性指向を抱えたままでこの社会に適応できるようになるための治療ですよね。
彼らが法を犯さないように生きていくためにその種の助けが必要であるなら助けを求めればいいと思うけど、そもそも論として社会が彼らを差別しなければ彼らの社会適応への苦しみはもっと軽減されていたはずだろう。自分の性指向を公言したら差別され排斥される社会で自分の性欲との適切な距離の取り方を自然に見つけられるわけがない。
そういう人は一定数この社会には存在していて、そのセクシュアリティは実行に移されない限り誰にも否定されるものじゃない、あなたたちはこの社会の一員だ、と啓蒙していくことが必要なはず。LGBTと総称される人たちに対してはそういう啓蒙が徐々になされるようになってきて、彼らの悩みを軽減して社会の一員として包摂する流れになってきているのだから、同じことを小児性愛に対してもすればいいだけ。
一昔前のイギリスでは同性愛は犯罪で、アラン・チューリングは犯罪者扱いされたすえに自殺に追い込まれた。今、イギリスでは同性愛者は堂々と街を歩き結婚もしていて、彼らに対して侮蔑的な言葉を発した者こそが差別主義者として非難される。隣国アイルランドでは同性愛者が首相になりさえした。彼らは胸を張って通りを歩けるのだ。
小児性愛者には愛する人たちとの結婚はできないが、せめて堂々と胸を張って歩く権利くらいあってもよいだろう。
持って生まれた性指向で批判されても仕方ない、なんて、これほどおぞましい主張があるだろうか。私は成人を対象とする異性愛者だけど、思春期からお前の性欲はおかしいと言われ続けていたら発狂していただろう。そんな酷い扱いを受けてしかるべき存在なんてこの世のどこにもいない。いていいはずがない。性指向に基づく差別は間違っている。
公的機関ならともかく、私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできないので、あらゆる差別を禁止することは不可能で、どの区別が禁止されるべきで、どの区別が禁止されるべきでないかの検討が必要。
私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできない? 別に小児性愛者と友達になれとか家に上げろと言っているわけじゃない。侮辱するな、迫害するな、彼らの権利を奪うなと言っているだけ。それってそんなに難しいこと? 他人をいじめないと社会生活を営めないの?
子どもは圧倒的に守られなければいけないのがなあ。/「われらの権利を擁護しろ」と少し大きな声で言うことは、純粋な「内心」から少しはみ出してしまう行為で、小児性愛の場合はそこに多くの人の目が行ってしまう。
子供を守ることは誰も否定していないのだが……小児性愛者を差別するなと言っているだけで……
というか、思春期に入ってはじめて自分が小児性愛者と気付き苦悩する少年は守るべき子供じゃないの? 18歳になる前に自分の性指向に気づいた小児性愛者のことは守らなくていいの? どうして守るべき「子供」から小児性愛者を無条件で除外できると思えるの? それが差別意識ってやつなんじゃないの?
これは余談というかお気持ちだが、昨今の小児性愛者をめぐる議論において本気で悲しいのは、かつて私に差別とは何なのかを教えてくれた進歩主義陣営の人たちの多くが、小児性愛者への差別を扇動する悪質極まりない差別主義者に成り果てている姿を見てしまったからだ。
あなたたちから教わった差別の考え方であなたたちを叩き斬らなければならない日が来るなんて考えたくなかった。
J・K・ローリングがトランスジェンダーへの差別に加担している姿を見ることも辛ければ、反差別を訴え続けてきた人が小児性愛者へのヘイトを垂れ流している姿を目にすることも悲しい。かつて私の蒙を啓いてくれた反差別陣営が、こんな露骨な差別に加担している光景なんて夢か何かだと思いたい。
憲法19条の内心の自由とネット民の言う内心の自由がズレているとか
性被害にあった子が小児性愛者の内心の自由を保証する声に傷つくというのはそうだろうけど
それが何でタイトルの「子供を性的にみる内心の自由はない」に繋がるのか分からない
これでタイトルが
「どんな理屈をこねくり回そうとロリコンは最低だしそんな奴らの内心の自由を主張するお前らは何なの」
だったらまだ繋がるけど(賛同するとは言っていない)
あと"犯罪を好む特殊な性癖を持っている人たちの権利を擁護したいのであれば"という文に物凄い危うさを感じる
性欲を内々で発散する分には完全に無害なのに、同じ嗜好というだけで、なぜ内々で発散できなかった人たちの業を背負わせる?
宮崎勤なんかがその例だが、子供レイプする人って必ずしも小児性愛じゃないのよ。大人の女は知恵が回ってレイプがやりにくい、誘拐するにもデカイから一人じゃ無理、などあって、より弱い存在として小さい子に向かうわけよ。
小児性愛に男が多いというより、レイプ犯に男が多い事象野園長かと。レイプ犯に男が多いのは一説ではホルモンの関係と云われてるね