はてなキーワード: 助長とは
今回の騒動、日本版#MeTooというハッシュタグも含めて、私ははあちゅうの行動の全てを支持できないでいる。
理由は主に3つあり、
1. なぜ裁判と言った公正な場で戦わずに、ネットで晒すという卑怯な手に出たのか理解できない。
2. 男性の性に踏み込むキャラを自分で作っておきながら、逆の立場に置かれることは許容しない
3. 自分に否定的な意見をする人間を徹底的にブロック。そもそも議論する気がないのに問題提起の声だけでかい。
(補足. セックスの話題を使って仕事をしている女は、同じ女に対して害悪だと思っている)
特に1.については絶対的な悪だと考えていて、実名を晒してああ言う書き方をすれば、(はあちゅうの言ったこと内容が対して検証もされず)見た人たちが感情的なネットリンチに走ることは容易に想像できたことだし、そこまで考えられないのに言葉を仕事にしているのは失格だと思う。
どういった被害を受けたのであれ、私刑に走るのは最低だと思う。
2.については、『あーこいつもかー』と思った部分。
男性からすれば理屈の上でおかしい、と感じるかもしれないけど、女性からするとこう言う女性を少なくない頻度で目にするのでうんざりしてる。
自分から男性の性に踏み込んだ話題を振る割に、自分の性の話になると拒絶反応を示して、後で女だけの会話になったら『あいつセクハラ。最低』という女。
男性の性について会話の中で踏み込んだ時点で、自分の性についての話題を振られる間口を開けてしまっているのだから、
そうされることを拒絶すれば一方的なコミュニケーションになるし、男性から『なんだこいつ』と思われるのも当然じゃないかと思う。
私はそう言う女が正直言って面倒くさい。性についての話題は、自分の性だろうが他人の性だろうが、一切NGとするべきだと私は思っている。
3.ははあちゅうの子供じみた行動が、言葉を仕事にしている人間として不適格だと感じている点。
過去何度も炎上させる度に、反対意見を持つ大量の人をブロックリスト送りにしているけど、不特定多数が目にする自分の意見(文章)に対して責任を持つという最低限の事ができていないこの行いは、もっと追求されるべきことだと思う。
そう言った、『特定意見しか受け入れません』という態度を取っているにも関わらず、未だに支持者がいることも理解できない。
手のひらを返すように意見を変えた瞬間、支持してる側だと思っていた人がブロックリストに送られることだってありえるのに(と言うか今回沢山起きてますよね)。
女性が自分のキャリアのために、女性の性を使う必要はありません。
40代の私は過去数え切れない回数のセクハラを受けてきました。だからこそ、性に触れることを自分の言動のなかで行うことは避けようと思っています。
セクハラ問題においての唯一の特効薬は、性について(自分の話題であろうが、人の話題であろうが)、一切公で触れてはいけないという風潮を作り出すことだと思っています。
私が仕事をしているアメリカでは十数年前からそういった風潮が完成しており、今問題になっているのは密室で行われたセクハラです。
アメリカの女性たちが密室で行われたセクハラを告白することで、アメリカからついにセクハラが無くなるのではないか、という期待あってのムーブメントです。
日本はまだ、公に行われる軽いセクハラが許容されていると感じています。
これは女性側の言動にも責任があると思っており、『女らしさ』や『女性性』といった言葉でヴェールをかけていますが、結局のところネットやTVで目にする性の話題は、女性の側から男性に対して会話の間口を開いているにすぎません。
セクハラ撲滅の第一歩のためには、女性自身が性に触れることはセクハラのある風潮を助長することだと自覚し、公で話題にしないという意識の徹底が必要です。
はあちゅうの童貞いじりや、恋愛やセックスについての話題は、男性が女性に対しても同じ話題を振っても良いと勘違いを助長してるにすぎません。
そう言ったポジションを仕事の上での強みの一つにしているので、はあちゅうは特に悪質です。
彼女自信がこういった自分の悪質さに気がついてくれると良いのですが、残念ながら2.の通り、自分に対する否定的な意見は無視を決め込んでいます。
そうなれば私達が取るべきアクションはたった1つで、はあちゅうを無視して孤立させる他ありません。
“「批判はあるけれど、一方でOKとされている」なんて事例は、この現代社会に存在しない” いや、それが大半でしょ。その上で、多様性として受け入れるものもあれば、セクハラのように排除すべきものもあるって話かと
こういうブコメがサラッと出るの、さらに少しでも星がつくの、怖気が走るよな。
自分が楽しむものは「多様性」として受け入れて、自分が嫌なものは「セクハラ」と切って捨てるわけだろ?
男向け二次ポルノを排除したら、BLも排除されたってショック受けてた女子も居たが、当たり前だろって話なのに、こうして「BLはたよーせー」って思ってる輩が多いんだよ。
(ブコメの人がそうだと言いたいわけじゃない、けどBL排除にショック受けた女子は似たような感覚だったはずだ)
もちろん、「本当に酷くなったら排除」という人もいるだろう。
「社会的影響力」ってな言葉で、それを助長するからと、本来だったら「たよーせー」レベルの酷くないものまで、排除されるだろ?
はあちゅうさんの件で、どうしてもモヤモヤするのでここに吐き出す。
最初に書いておくと、
セクハラ、パワハラについて、している人やしていた人が非難される
のは当たり前だと思う。
モヤモヤするのは、はあちゅうさんは、岸さんを利用しようとして
想定外に外道だった岸さんに「利用料」として体や人脈やプライド諸々
を差し出す事になった訳で。
勿論セクハラやパワハラは問題だし、された事は事実のまま処されれば
いいのだけれど、なんと言うか真っ当に、ただ同じ職場にいたというだけで
性的な関係を強要されたり、単なるいじめのようなパワハラをされている
人たちと同じ視点で、はあちゅうさんを見る事が、どうしても出来ない。
「車や電車と同じスピードで走ってみたいから、走っている車や電車に手を
掛けて指が飛ぶ」
ことと
「普通に歩いていたら車に接触されて、指を切断する事になった」
ことの違いというか。
この場合は「早く走って見たい」ことに対してのアプローチの仕方が
根本的に間違っていて怪我をした訳で、正しい方法は書くまでもない。
彼女の場合は「社内での扱いを(自分の望む形に)良くしてもらいたい」ことに
対して取った方法が「イケテル奴に気に入られる」という方法で、これが
長くなっちゃったんで端的に言うと、彼女の事を「被害者」というより
「結果は気の毒だけれど馬鹿な人」としてしか見る事ができない。
正直、はあちゅうという人のことをあまり知らないが例の謝罪文を読んでこれはだめだ、と思った。
いろいろとよくない点はあると思うが、一点だけあげるとしたら、「無自覚性」あるいは「非悪意」を主張している点。
セクハラしてきた男性側も好んで用いる論理だが、この点がセクハラを助長してきたのではないのだろうか?
Metoo運動の最終的な目標は世の中からセクハラをなくすことだという風に理解しているが、
この論理を許してしまえば、その目標は達成されることはないだろう。
「セクハラの構造問題が議論されるべきなのに、被害者同士の殴り合いで発散していく地獄」
https://note.mu/fladdict/n/n666b0d9aaa4f
童貞騒動のせいでMetoo運動が破壊されてしまうのではないかという指摘だが、Metoo運動を発展させていかなければならないという視点を持つのなら、
はあちゅうの謝罪文を見過ごしてはならないのではないだろうか。むしろ、この謝罪文にこそまさにセクハラの構造問題が内在しているように見える。
この謝罪文をたたき台にして議論することでMetoo運動がより深化していくのではないだろうか。
「さすがに#MeeToo運動を吹っ飛ばしてまで主張したいことでもない」として終わらせてMetoo運動を支持するというのは、私には無理だ。
年休取って昼間にゲームしてたのね。そのゲームはサバイバル系のゲームなんだけどVC(ボイスチャット)ができるのね。で、ゲームが始まった途端に「こんにちは〜」とか聞こえてくるわけ。どう聞いても小学生男子なわけよ。「この時間にゲームやってるって学校はどうした?」って聞くと無言になってチームを出ていきやがったのね。こんなのが今日だけで何回もあったわけよ。
いやね、何が言いたいかというと、ひきこもりや不登校が都市伝説だというのは言い過ぎだとしても、小学生男子にスマホやタブレットを与えてゲームさせていて、ひきこもりや不登校が治るのかって話。親がひきこもりや不登校を助長させているだけでしょっ、てこと。
もうね、ひきこもりや不登校を産み出した親達は処罰を受けてもいいと思うの。だって日本が衰退していくのは政治的な理由ではなく、他ならぬ家庭が産み出しているんだから。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.uyKYgqKXA#.jsmOYWnBd
まつりさんもはあちゅうさんも、告発がここまで話題になったのは彼女らに容姿端麗だとか学歴だとかネームバリューだとかがあってのものだ。
まつりさん事件の時にもブコメなどで言われてたけど、これが男性だったら話題にもならない。
今回のハラスメントが事実でなくても、こういうパワハラまがいなものは特に体育会系周りでは当たり前のようにある。
某電力会社が賠償を回避するために「個体の脆弱性」という言葉を使っていたが、
彼らにとっては男性の被害者はまさに脆弱な個体だから仕方がないと自責の念に駆られることはなく、
同じような間柄の友人たちと酒の肴の一部として消費される。
男女間だけでなく、男男間、女女間の不合理で非条理な負荷を強いる行為は殲滅すべきだ。
もちろん、体育会系的な、人間の欲望に集中したカタギじゃないやり方をしないと関係を築けない間柄は未だに存在するし、
企業間だけじゃなくて国家間でそれが必要とされていることはあるだろう。
が、それをましてや仲間内で強いるのはマクロでみれば社会の損失になるだろうし、生きづらい日本の生きづらさを助長する罪にならない悪事である。
こうした被害が発生するのは蔓延った空気、ナメられてはいけないという虚栄心によるものだ。
綺麗な女を抱いたやつがすごい、金があるやつがすごい、影響力がある方がすごい、楽して儲けたやつがすごい、
人を傷つけても動じないメンタルの強さ(?)がすごい、逆らったら怖い俺がすごい。
まるで中学生の延長のようなメンタリティに思うだろうが、これが社会の中でまだまだ中核を席巻しているのは事実である。
対策としては、こうした原始的な欲求に対し名前をつけ、それがカッコワルイという社会的風潮を作ることだろう。
ヤンキーだって中二病の1種であることを広めることでその文化は廃れていった。
たくさんの大人に肩パットを入れさせたり、車を所有することが一人前だと思わせたり、過剰なルッキズムを形成したりと、
文章にすれば狂気に思えることを成し遂げられるのが彼らの仕事だ。
お金を払ってライターに書かせたインスタント文章で謝罪を表明する、表層的な謝罪ではなく、是非とも行動で示してほしい。
自分には「仕事」しかできないから「仕事」で社会に還元していくなんていう精神的負荷が低く、実質なんの埋め合わせもしていない活動ではなく、
「みにくいおひめさま」という外国人作家の絵本が書店にあった。
「感動」「世界中で人気」「絶版」といったキャッチコピーとそのタイトルに惹かれ思わず手に取った。
お姫様は美しいもの、女の子は美しくあらねばならないものという規範にどう斬りかかるのか?みたいなことを期待しながら。
結果は、がっかりした。
お姫様は顔もブスなら性格も悪く、性格が改善されるにつれ顔もよくなっていき、美しくなったお姫様は王子様と結婚して幸せに暮らしました…。
ブスがブスのまま幸せになる絵本ではないばかりか、ブスは性格も悪いという偏見すら助長させかねない内容だった。
これじゃ、陰キャブサメンが陽キャで海の似合うイケメンになるのを肯定する日向市のPR動画とどこが違うのか?
本当にこれが世界中で人気なのか?
「モンスターは奇形で、奇形は怖い」……これは生理的な感覚であり、本能に近い。
だとすれば当然「奇形の人間は怖い」……これも本能だということになる。
本能(生理的な感覚)を書き換えることは難しいし、それを万人に強要すべきでもない。(「お前の感性は誤りだ」と責める行為もまた差別的だから)
重要なのは、本能を書き換えることではなく、本能よりも上位に理性を置いて本能のままに行動しないよう抑制を利かすこと。
「怖い。だから忌避する(攻撃する)」……という短絡的な思考に至らないよう理性のリミッターを働かせることが、差別の是正のためには肝要である。
「怖い。けれど忌避(攻撃)してはいけない」……と考えられるようにならなければならない。
身体が欠損したり、変形したりすることを本能的に避けようとするメカニズムが、動物の生存に優位に働くのだろう。
モンスターを攻撃対象として肯定するゲームは、確かに「怖い。だから忌避する」という短絡的な思考回路を繰り返しなぞらせて強化する作用を持つかもしれない。
しかし奇形に対して「怖い。だから忌避する」という反応を示すこと自体は、生物にとって、むしろ真っ当な所作であると考えられる。
これがもっと直截的な(例えば四肢が欠損しただけの普通の人間を化け物と表現してモンスターと同等に扱うような)ケースであれば、確かに倫理的な問題を孕む可能性もあるが、問題を無節操に一般化して「怖い。だから忌避する」という思考を促す表現のすべてを「差別を助長する表現」と捉えるのは、上述の「お前の感性は誤りだ」と責める行為に類する別種の差別に繋がる思考であると考えるのが妥当だろう。
2、しかし奇形の人間に対しては、恐怖心を理性で押し殺して、他の人間と同等の関係を築くよう努めるべきである。
世の中にはこの2つの理屈を切り分けることができず「怖い→忌避する」「怖くない→忌避しない」という単純な原理でしか行動のできない者も存在していることは事実である。
そのような人々が、ゲームを通じて「怖いものは無条件で忌避(攻撃)しても良いのだ」と安易に誤認する可能性も否定はできない。
しかし、だからといって1の「奇形を恐怖しても良い」という前提をひっくり返して「奇形を恐怖してはいけない」と感性否定に走ることは避けるべきであり、時間は掛かっても2の理屈を啓蒙することで適切な差別の撤廃を推し進めていくことが本筋であろう。
小中高とそれなりにうまく人間関係を築けていたと思う。
店長に呼び出された。
えええええええええええ
ひっくり返りそうになった。なんの話だよ、
ミミミちゃんは俺の2つ歳下だがバイトでは一年先輩の女の子だ。
むちゃくちゃ可愛い。先輩だが俺の中ではバイト中の癒やしであり天使だ。泣かすはずがない。
店長によるとミミミちゃんは俺に説教をしたのだがそれが伝わってないことが悲しくて(?)悔しくて(?)泣いたそうだ。
俺は本当に反省してたし誠意を込めて返事したつもりなのだがミミミちゃんには俺が聞く気がないように見えたらしい。
まじか。何だこの食い違い。
・相槌が下手。
イントネーションに加え俺は相槌が下手らしい。「はいはいはいはいはい」とはいを連呼しながら頷くのが俺の相槌のデフォ。これは相手から見たら全然話を聞いてないように見える。
店長「増田君、こないだクレジットカードのタイプミスが多いって話し合ったよね。あれ自分のことだよ。ほらこれ、商品券のぶんもいれてるでしょ」
俺 「おおっ!なるほど!!!」
普通は「すみません(ションボリ」とならないといけないらしい。このションボリというポーズは反省しているという意志が相手に伝わるので実はとても重要だという。今回の俺の相槌は相手によってはかなり怒らせてしまうだろう。なるほどて(笑)
・増田君には仕事を教えても伝わってる気がしない。たぶん訛りのせい。返事の元気は良いが全体的に会話が雑に感じる。普段の仕事ぶりがそれを助長している。コミュニケーションはポーズが大事で、例えば、ビジネスではメモを取っていなくても取っているフリをするのは常識。
そういや終礼では何度か「バイトの新人がメモを取っていない!」と話題が上がっていたなあ。
あれ俺のことだったのかあ。
俺、メモ取ってましたよ(泣)
ただ人前では取ってなかったなあ。一旦、先輩の話が終わった後にメモを付けてた。
だって、小学校でもノートは先生が話区切ったタイミングで取ってたじゃん!話してる時は相手の目見なきゃじゃん!
さらに驚いたのがこれ。
ミミミちゃん「増田君、今日遅れてきたよね。Aさんに謝った?」
俺 「謝ってないです。」
俺はただ謝っていなかった事実を述べただけのはず。
だがミミミちゃんは、俺は謝る気無いぞと意思表示したように受け取ったらしい。
まじかよ。どこの漫才だよ。
店長曰く、ペコリと頭を下げ「まだ謝ってません。後で謝ります」と言うべきだったね(苦笑)と。
こういう俺の反応や相槌がバイト先の一部ですこぶる不評らしい。
そんなこんなで、俺は無自覚にミミミちゃんを泣かしてしまった。
女を泣かすやつは人類の敵。
まじかー。
いやー、まじかー。
確かに俺は遅刻だったりミスしたり若干抜けてるけどさ、自分なりに頑張ろうともがく真面目な男の子だよ!?人生初アルバイトで四苦八苦してるわけさ。おっちょこちょいが偶にキズなのは認めます。
でも俺、遅刻しそうになったときは2500円かけてタクシー乗ったんだぜ。時給850円で4時間しか働かないのにさ。しかもこれが二回あるんだ。みんな知らないけどさ。
ここじゃ俺より出来の悪いやつなんかいない。でも君らが思ってるような悪者じゃないんだぜ?
俺がそんな愚直な人間だとわかってたのは店長と副店長と齢を重ねた一部の主婦層だけだったらしい。
若手社員やアルバイト、特に歳下勢からクズと見られていたみたい。
つーわけで、アルバイトをやめることにした。誤解溶けぬまま。
収集付かなそうだし、こんな風に書いてるけど俺も店長と話してる時はショックで泣いたんだ。
店長は真摯に話してくれたが、ところどころニヤニヤしてた。俺には申し訳ないが、面白くて仕方無いらしい。
反省すべきなんだろうけど、今の俺は事実と解釈の差にただただ驚愕。
というか俺ってそんな誤解を招く奴なんだ・・・
さっき食ったハンバーグが実は豆腐だったって聞かされて嘘つくなって心持ちだ。未だに信じられない。
あまりよろしく思われていないのはわかっていたがここまでだったとは。
あ、ミミミちゃんの泣いた理由が正確にわかる人いたら教えてださい!
あとミミミちゃんがなぜ説教中に俺の目の前で泣かなかったのか(耐えていたのか?)も教えてください!
これすごくよくわかるんだけど、俺はこれちょっと前の過去の話になっていることに気づいた。
インターネットが助長している節はあると思うけど、人類の叡智の蓄積を享受してきた人間(例えば、図書館に通う人)は昔から誰でも至った境地であり、つまり程度問題であり、そしてコミュニティに発散しないで世代に収束する一過性の問題、いわば中年病なんじゃないかな。
元増田はしんどいだろうけど、俺はこの気持ちを止めないでもっともっとこじらせた先にあるものを見に行く方が良いと思うよ。
人類の叡智の大部分ってさ、「〇〇しちゃいけない」っていう禁止事項だと思うのね。
でもこれってポジショントークも多くて、その辺考えないでフラットに取り込むと、自分は何にもなっちゃいけない、何もできない巨大なものになるわけ。
そして同時に、これって絶対的な真理というよりは、提唱した人の趣味の問題だったりするわけ。
趣味みたいな話に圧倒されて自分が押し殺されるなんてばかばかしくない?
情報量に圧倒されるのに慣れたら、それぞれの情報の重みを観察してみるとおもしろいよ。
川でたとえるなら、流れには強いところ弱いところのムラがあるんだ。
強さと弱さをどのように選ぶか、その選択に自分の個性が端的に現れるんだよ。
あと人間って、残念ながら現時点では蓄積された叡智にいつでも誰でもアクセスできるわけじゃないのね。
たとえ過去に誰かが発した冴えたアイディアであっても、大した理由もなく埋没して、運が悪ければこの世から消えてしまう。
本屋に行くとそれがよくわかる。できれば自分の書いた本が並んでいる方が実感しやすいんだけど、どれか1冊を自分が書いたと仮定してネット上の体験記から執筆〜出版の間の具体的な苦労を想像するんでもいいかな。
自分が1冊書くんでもそうとうな思い入れと苦労があったのに、そういう本が本棚に数百倍、数千倍並んでいて、それでいて絶望的なのは本棚に並んでる本の大部分は自分には興味が無いものなんだよ!
自分の本はすごく価値があると思うのに、なんかくだらない理由とかで埋没して人類には届かないかもしれない。クッソーくやしいな〜。
っていうことはさ、他に並んでる本ももしかしてそうなのかも、良い内容であってもみんなが絶対知ってるなんてことはなくて、折々拾い上げないと行く行くは人類の損失になるのかもしれないよね。
メタ的に情報を俯瞰できる人は、その構造を知ってアクセスできる権利を与えられた人なんだと思うよ。他人のフンドシな情報でまったくけっこう、自分をただのメディアとして情報を厳選し再発信するだけでも自己が投影されるよ。あなたが良いと思えた言葉を、メッセージボトルに入れてあてもなく流すのを趣味的にやってみたらどうかな。
世帯で課税というのを見て、単純に不公平が解消されたと思った。
日本では累進課税を取り入れているので、同じ世帯収入1,000万円でも、夫500万円、妻500万円と夫1,000万円、妻0円では世帯収入が同じであっても課税額が全然違って不公平だと思ってた。どれくらい違うかは計算してみればいい。
https://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/2260.htm
ちょっと前まで格差拡大が騒がれ、格差の拡大がいかに社会不安をもたらすかが取りざたされていたけれど、配偶者が高額所得者であってもやすい税率で計算した手取りがもらえることになるので、配偶者の稼ぎに関係なく安い所得税が惹かれた手取りを得て、世帯間の格差を助長すると思ってた。
配偶者控除は世帯収入に対して影響を与える制度で、世帯収入額が同額でも働き方で課税額が変わるという不公平さで暴動が起きないようにするための黙らせ役だと思ってた。
配偶者控除を廃止するというのは増税になるから嫌だという思いは多少あるが、世帯で課税するとなるとこの不公平感が解消されるので、納得感がある増税になっていると思う。
情報を募るためにテレビに出すのであれば全然かまわないと思うのだけど、相手方の身元はもう明らかになっているようだし。
あとは法に則って粛々としかるべき処置を受けていただくことが決まりさえすれば、ニュースとしての価値はもうそれでおしまいなのではないか。
なにより被害に遭われた運転手の方の心身のケアを会社や公的機関がきっちりやることが一番で、それさえ叶うのであれば事件に直接関係のない一般庶民としては何も言うことはない。
テレビ局が「ハイ、加害者をこれからみんなで叩きましょう」と視聴者の前にエサをぶら下げるのは昔から行われてきたリンチの一形態ではあるしネットでも日常的に行われていることだが、そういうふうな大衆のもっとも醜い側面を助長するような報道の仕方はいい加減やめようよ。
こういうことを書くと「テレビに今更何の良識を期待しているのか」といったコメントが必ずつくが、自分は言い続けるのをやめないよ。
もうしばらくはテレビは年寄りの娯楽でかつ重要な情報源であり続けるのだし、誰も何も言わなくなったらますます悪くなるだけだよ。