これすごくよくわかるんだけど、俺はこれちょっと前の過去の話になっていることに気づいた。
インターネットが助長している節はあると思うけど、人類の叡智の蓄積を享受してきた人間(例えば、図書館に通う人)は昔から誰でも至った境地であり、つまり程度問題であり、そしてコミュニティに発散しないで世代に収束する一過性の問題、いわば中年病なんじゃないかな。
元増田はしんどいだろうけど、俺はこの気持ちを止めないでもっともっとこじらせた先にあるものを見に行く方が良いと思うよ。
人類の叡智の大部分ってさ、「〇〇しちゃいけない」っていう禁止事項だと思うのね。
でもこれってポジショントークも多くて、その辺考えないでフラットに取り込むと、自分は何にもなっちゃいけない、何もできない巨大なものになるわけ。
そして同時に、これって絶対的な真理というよりは、提唱した人の趣味の問題だったりするわけ。
趣味みたいな話に圧倒されて自分が押し殺されるなんてばかばかしくない?
情報量に圧倒されるのに慣れたら、それぞれの情報の重みを観察してみるとおもしろいよ。
川でたとえるなら、流れには強いところ弱いところのムラがあるんだ。
強さと弱さをどのように選ぶか、その選択に自分の個性が端的に現れるんだよ。
あと人間って、残念ながら現時点では蓄積された叡智にいつでも誰でもアクセスできるわけじゃないのね。
たとえ過去に誰かが発した冴えたアイディアであっても、大した理由もなく埋没して、運が悪ければこの世から消えてしまう。
本屋に行くとそれがよくわかる。できれば自分の書いた本が並んでいる方が実感しやすいんだけど、どれか1冊を自分が書いたと仮定してネット上の体験記から執筆〜出版の間の具体的な苦労を想像するんでもいいかな。
自分が1冊書くんでもそうとうな思い入れと苦労があったのに、そういう本が本棚に数百倍、数千倍並んでいて、それでいて絶望的なのは本棚に並んでる本の大部分は自分には興味が無いものなんだよ!
自分の本はすごく価値があると思うのに、なんかくだらない理由とかで埋没して人類には届かないかもしれない。クッソーくやしいな〜。
っていうことはさ、他に並んでる本ももしかしてそうなのかも、良い内容であってもみんなが絶対知ってるなんてことはなくて、折々拾い上げないと行く行くは人類の損失になるのかもしれないよね。
メタ的に情報を俯瞰できる人は、その構造を知ってアクセスできる権利を与えられた人なんだと思うよ。他人のフンドシな情報でまったくけっこう、自分をただのメディアとして情報を厳選し再発信するだけでも自己が投影されるよ。あなたが良いと思えた言葉を、メッセージボトルに入れてあてもなく流すのを趣味的にやってみたらどうかな。
これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブの若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。 情報技術...
これすごくよくわかるんだけど、俺はこれちょっと前の過去の話になっていることに気づいた。 インターネットが助長している節はあると思うけど、人類の叡智の蓄積を享受してきた人...
インターネットを捨てよ町へ出よう 町も街もつまらんな おしまい
海へ出よう。冒険が、はじまる。
それは貴方がすねかじってぬるま湯の中で生きてるから。 自立してみれば?もっと現実を実感して生きられるよ。
それを指す言葉はとっくの昔に、1970年代当時からあるんだよ。「モラトリアム人間」っての。
ちょっと待って。 「中年職歴なし引きこもりすねかじり」って十分に「何者か」じゃないですか。 社会の底辺、穀潰し、生ける人間粗大ゴミ。 あまりいい個性とは言えないですが、立...
いや、正にそういうのを世間一般には「何者でもない」とか「何者にもなれなかった」と評するんだよ。
これのどこが空虚なんだ 空虚気取りの変人 単に固定したキャラを持ちたくないだけで、その実強欲という強烈なキャラを持っている
強欲だし強烈なキャラではあるけれど、その強欲自体が空虚だし、また、この強烈なキャラ自体が空虚なものではなかろうか。 それとも、あなたはこういうキャラを評価したいという...
ピンドラの時も思ったけど何者かってなんだよ 私が私以外の何者かになることなんてあるのか わからないのは私の社会性が低いせいかな
有名になったり、金持ちになったり、クリエイティブな仕事をできたり、尊敬される立場になるとか、そういうことがないってことなんじゃないの。何者にもなれないって。
いや、私自身以外の何者かになるという話ではなくて、私自身として何者かになるという話では? たとえば、教師になるとか、どこかの企業の社員になるとか、自分の店を持つとか、職...
会社だったり趣味だったり 何らかのコミュニティ単位で確固としたアイデンティティを獲得することが「何者かになる」ことだと思うよ
個人的には下記のような人が何者にもなりたくたい症候群(社会的役割を演じたくない人)になりやすいと考える。 1.映像や音声から得られる情報と実経験を混在してしまっている人 2....
物事を相対化、客体化することは、すべてが平等=無意味であるという思想につながりやすいけど、だからこそ、「自分」が主体的に意味を決めていけるはず。 時間、空間によらず全員に...
でもポリコレ的にはそんな主体的価値観に基づいた判断基準は格差と差別の源であり 自由と平等の妨げなんでしょ?
元の話はもっと個人の内心の話なので、ちょっと脱線気味だけど。 そもそも、「全てが等しく同じ価値・同じ評価・同じ権利であることが良い」というのが主体的な価値判断なんだか...
不自然なまでに縦につながる(笑)
何言ってるか分からねえのでだれか解説よろしく
要するに自分は何者になれるか列挙しちゃう選手権症候群ね どれにもなれないんだからなりたくないいわんでもええやん それ「まんじゅうこわい」ゆうねんで