はてなキーワード: ラベリングとは
最近なにか二次元の女が露出したり必要以上の巨乳になったとき、すぐ「女性蔑視」だの言う奴がいるだろう。
何故なら女である自分が蔑視とかなんだとは思わず、その二次元を楽しんでいるからである。
最近流行りに乗じて鬼滅の刃を読み始めたが、例えばあのいかにもお色気女子っていう恋柱の子がいるだろう。
あれなんか大好きだ。
ただ現実にあの女がいたとしたら間違いなく確実に、ドン引きする。そもそもあんな女はいない。
このように二次元にいれば好きですらあるのに、もし三次元に同じものが居たら受け付けない。こういうキャラクターは多い。
勿論これは女性キャラクターに限らず、男性キャラクターも同様だ。
特に女性をターゲットにした作品であればあるほど、男性像はフィクションに近づいていき「こんな男はいない」になってくる。
自分は物心ついたころからそこに既に二次元があった世代だ。テレビをつければ何かしらのアニメは放送していた。
そんなアニメネイティブな世代だからこそ、二次元と三次元が全く別物である事を理解している、いやせざるを得なかった。
ソースが周囲だが、アニメネイティブ世代はかなりの割合一度はアニメの登場人物に憧れた経験がある。
プリキュアや仮面ライダーに変身してみたかった。遊戯王のカードでモンスターを召喚してみたかった。ポケモンを携えて旅をしてみたかった。
少女漫画みたいな恋をしてみたかった。少年漫画の特殊組織の一員になり厨二な武器を持って夜を駆け抜けてみたかった。
しかしどこかの段階でそれが現実で出来ない事に気が付くか、あるいは実際に起こったところでそれ程良いものかどうかの疑問に直面する。
二次元と三次元は違うものなのだ。神の視点から見ているだけで、実際の世界と重なる事はない。
冒頭の女性蔑視の話に戻る。
フィクションの女性が三次元の女性蔑視と結びつく、まず二次元と三次元を混同する事が、自分には感覚的に理解できないのだ。
現実に程近い所にあるフィクションばかりを見ているという事なのだろうか。
それともドラマのような恋が現実的ではない事にまだ気付いていないのか。
フィクション女性が巨乳であるとき、何故現実の女性は傷付かなくてはならないのか?
同じ女に歩くポルノとしてラベリングされるのだろうか。それこそ失礼では?
そこに自分のコンプレックスや胸に対して何か言われた過去のエピソードは、本当に計算に挟まっていないか?
自分も女性なので、男性からの加害を気に掛けるのはとてもよく理解できる。
でもそもそも「フィクション女性を性的に消費している男性」と「性犯罪など実際に危害を加えてくる男性」は本当にイコールだろうか?
被る事はあるかもしれないが、イコールではないと思う。
むしろ現実に行えない事の捌け口として、フィクション女性が実被害の身代わりになってくれている事はないだろうか?
二次元にしか興味のないオタクであれば、それとどこもかしこも全く違う三次元の女性に同じ事をしたいものだろうか。
長々と御託を述べたが、結局言いたかったのは「てめーらは二次元と三次元の区別もつかないのか」という事である。
胸が大きく、非常に性的な言動をするフィクション女性がいたとして、それは一体三次元の女性のどこと重なるのだ。
もし重ねて襲ってくる馬鹿がいるのなら、まず二次元にとやかく言うよりも、そいつを捕まえて罰する方法を考える方が先ではないか。
二次元の女が好きだ。胸丸出しの明らかなお色気キャラも水着回も好きだ。
女が二次元の女を性的に消費する事は事はいけない事なのか。ちなみに同性愛者ではない。
いけない事だともし言うのであれば、フェミニズムとはそれはそれは女にとって窮屈な考え方だと思う。
返信の仕方間違えてました。
やっぱりおっさんずラブって地獄コンテンツなんだということがわかりました。
こんなつまらない文章にもかまってくださる方がいるんだなと感心しました。
”私”は、LGBTQへの配慮の有無でOLを好ましく思ったことは一度もないですよ。
同性愛を取り扱ったからとか関係なく、ドラマを見たときは単純に面白くて素敵な作品だなと感じました。
"あなた"は、まず、ファンをひとまとめにラベリングされるのをやめたほうがいいんじゃないかと思います。
ここに書き込んでいるから、相手を配慮したり大事に思ったりしながらやりとりすることもないのかもしれませんが、
あなたが一部の過激なS1ファンによって傷付いたなら、わたしは申し訳なく思います。
ですが、ほとんどのS1ファンで離陸できない組は自主的にSNSで自衛して、話題を見ないようにして、批判も何もせず、ただ悲しみながら黙っているファンの方が多いです。
画面の向こうに人がいることも想像できないような言葉遣いをされてて、とても悲しい思いをされたんでしょうね。
わたしは諸悪の根源は公式だと思ってますので、この状況を生んだ公式こそ非難される馬鹿だと思ってます。
あなたのような突っかかってくる態度だと、おっさんずラブは関わらないほうがいいコンテンツということを自ら証明されているようなものだと思います。
駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
「普通の人」でいいと思うよ?
なんでかって言うと正しいから。
役に立ってないんじゃなくて、極端に偏らない為に冷笑するのは世の中として正常な事だよ。
それがないと極端な人とそれに賛同する人と、無反応な人だけになっちゃうだろ? それ、めちゃくちゃヤバいから。
影響を受けたくもないし、騙されたくないし、そうかって共感できないけど『専門家』に太刀打ちはできないなら冷笑くらいしかないんだよ。
政治を語る人って「無関心は悪!」みたいに時々言うから、いやいや耳を傾けさせられて巻き込まれるのが正直ウンザリって人は多い。常にかどうかは別だけどね。
主張をする側には嫌な存在だろうけど、気に入らない反応をラベリングして圧殺しようとするなら政治的な発言や思想を語る以前の問題だから考え直した方がいい。
冷笑される理由を考えて、それを捌けるようにならない限り自分達の主張なんか通らないよ。
増してや、誰の反応もない発言なんかそれこそ役に立たない。賛同者しかいないなら発言する意味もないしね。
とにかく、気に入らないからって他人を黙らせようとするのはどうかと思うな。
がんばってよく考えてね。
おっす、オラキモオタ!!
オラ、でーすきなエロい表現をこの先もめちゃくちゃたくさん見てえって思ってし場所を変えてでも出来るだけ今のままの表現がそのまま使われてっと嬉しいと思ってんだ
んでよぉ、ちょっと前まで話題になってた宇崎ちゃんとかよぉ、オラ、わざわざ責められる場所にそういうん出すんじゃなくてよぉ、喜ばれる場所だけにおきゃーいいと思ってんだけどどうやら、燃え方を見てっとそういう事じゃないらしいんだけどおめーたち、そういうオタク外にそういうの見せてえタイプなんか?
オラは好きなものが叩かれんのみんの嫌だと思ってる、だから同じようにエッチなんも別にそれが好きなやつが見れれば良いと思ってんだ。
だから別に例えばToloveるみたいなんもうるせーやつに見つかってごちゃごちゃ言われるくれえならいっそ18禁にして思いっきりシコれるもんを作ってくれればいいと思ってんだけどよ
そういうエロ文脈って言うんかな?それを正しくエロく見るために規制して問題だと思う層はなんなんかな?
オラみたいなんにも分かるように教えてくんねえかな?
結局、基準が無い(制定が難しい)のでむやみに規制すべきじゃねえってのが行きつく結果っぽいな!
当たり前だけど正解のねえ議論だからよ、難しいしオタクコンテンツが好きな奴の中でも色々な意見が出るよな。
オラ的にはハッシュタグ?みてえなノリで好きなものにアクセスしやすく、嫌いなものは避けられるようになればいいのになと思ってっぞ!
まぁ、それも結局ラベリングするやつの主観が入っちまうから難しいんだけどよ。
AIがその辺どうにかしてくれねーかな、読後に個人が本に対するハッシュタグを設定できるようにしてよぉ、データを見てAIが判断!みてえな…それでもマイノリティは置いてかれるし荒らしとかに対応出来るんかな?とかは疑問だけどな
みんなオラの疑問に付き合ってくれてサンキューな
昔、そこそこ仲の良かった男子が結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった
グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった
彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って
もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。
彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった
「宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分を省みることが出来なくなる
叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい
「叱る」とはどうあるべきなのだろう
鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子が中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽な男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう
クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う
前者の場合「先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ
本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団に不公平感を生む
教室のような閉じた、それでいて壁のないオープンな集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい
そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える
しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料の作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う
一対一での指導、は多分ロリコン教師を欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間で上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ
職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)
保健室で「厳しい担任の先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室の先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う
仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう
これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう
しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ
「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか
職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか
我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ
個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。
生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。
勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンドが必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラと対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。
主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも、動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである。動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係を再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟に表現することで「自分は真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しかし演者時点が自身の演技に呑まれる可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)
社会性動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。
人間の感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限の可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手の気持ちを思いやり、共感できるのだ。
「宿題やったの!?」という言葉が子供時代の私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情のパターンが類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。
というように、人間の感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化は可能ではないだろうか。
「優しく諭す」というコマンドは相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。
「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。
前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情に共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割のキャラクターである。
「叱る方と叱られる方」という絶対的な上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情の暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神的負担を減らし、自分を省みる余裕を与える。
無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分のコマンドが相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽で悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易なパターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。
※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解な大人に失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格のパターン化による把握が必要かもしれない。
このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動を予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。
(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)
叱る、は上手くいけばとてもポジティブな効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教や正論は気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれてしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉は大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手の気持ちを考える、それだけの事だ。
人材育成、教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャートを作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験し調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉を演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。
教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師のマニュアル依存、なんてニュースが流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキな装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセットが人生の基本になるのだ!←楽しそう)
まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手の情動を予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブしやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しかし実践はクソムズイ。人生手強いね!
(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)
獺祭を作っているメーカーは旭酒造という会社名で、山口県東部、岩国市にある。
地元が広島の私はUターン(Jターン?)就職も視野に入れて、旭酒造の会社説明会に行った。
内容は至って普通の会社説明会で、会社の事業内容やこれからの選考予定の説明を受けた。
桜井氏は社長にしてはかなり若々しかったので驚いた。スーツのよく似合う、カッコいいおじさまだ。
桜井社長は、売上げが伸びているので給料に反映していること、ニューヨークで酒蔵を作っている話などを語ってくれた。
事業説明を聞いているときはかなり魅力的に感じており、ぜひともこの会社で働きたいと思っていた。
ただ、旭酒造では10日間にわたるインターンに参加することが選考の条件らしい。
正直なところ、大学の近くの大阪に住んで他の会社の選考も受けている私にはかなりスケジュールが難しい。
その選考スケジュールを聞いた時点で、自分には無理かな、とは思っていた。
「毎年、女性の採用が1、2名ですが、女性は不利なんでしょうか」と彼女は質問した。
パンフレットを見ると、ここ数年は男性を10名以上雇っているにも関わらず、確かに女性は1人か2人だった。
「メーカーで力作業もありますので、男性が多くなる傾向はあります。ただ、私は女性の能力は男性と同等、特に差別することなく活躍できると考えております。」
どうせ女性を差別するなら、そんなタテマエを言わない方がよっぽどマシだと思った。
長時間の労働ができるか、という意味での体力ならば、性差よりよほど個人差の方が大きいだろう。
腕力で雇用を絞るのが合理的なら、東京医科大は数十キロのバーベルを持ち上げられることを入試基準に入れてしまえばよかったのだ。
「緊急時、患者を搬送する必要があるため」とでも理由をつけて。
全ての業務に腕力が必要なら、そういった能力主義も許容することができた。
しかし、旭酒造で女性が働いていないのかというと、決してそんなことはない。
私が工場を見学した際には、たくさんの女性が段ボールの箱組みやラベリングを行っていた。
昔、獺祭を特集したテレビ番組内(がっちりマンデーだったと思う。うろ覚え)では、品質管理を行う女性の姿を見た記憶がある。
杜氏のカンではなく、計測可能な数値で味を保っているとかで、そのデータ取りを行っていたのはパートの女性だった。
要するに、どうしても腕力の必要な力作業があることを理由に、正社員には男性を採る。たとえ、管理職になってからの仕事には腕力が必要でなかったとしても。
彼女たちは重要な業務を任されてはいても、それ以上のキャリアアップも給与のアップも望めない。
正社員の給与は引き上げたのかもしれないが、パートの給与は最低賃金に毛の生えたような、普通の時給だった。
もしかしたら、パートになるよりない当事者の主婦たちにとっては、旭酒造は働きやすい会社なのかもしれない。
でも、力の必要のない業務を全てパートの給料で済ませてしまえば、そこに正社員の女性が入社する余地はない。
この話は数年前のことなので、今は体制が変わってきたのかもしれない。
最近、世間で「女性が働きやすい会社」と呼ばれるものが、子育てに女性だけが時間を割くことを前提としていたり、時間の都合がつきやすい代わりに夫の収入無しではとても成立しないような薄給だったり。
そんなことが多くて絶望したので、今更のように思い出してこれを書いている。
獺祭を作っているメーカーは旭酒造という会社名で、山口県東部、岩国市にある。
地元が広島の私はUターン(Jターン?)就職も視野に入れて、旭酒造の会社説明会に行った。
内容は至って普通の会社説明会で、会社の事業内容やこれからの選考予定の説明を受けた。
桜井氏は社長にしてはかなり若々しかったので驚いた。スーツのよく似合う、カッコいいおじさまだ。
桜井社長は、売上げが伸びているので給料に反映していること、ニューヨークで酒蔵を作っている話などを語ってくれた。
事業説明を聞いているときはかなり魅力的に感じており、ぜひともこの会社で働きたいと思っていた。
ただ、旭酒造では10日間にわたるインターンに参加することが選考の条件らしい。
正直なところ、大学の近くの大阪に住んで他の会社の選考も受けている私にはかなりスケジュールが難しい。
その選考スケジュールを聞いた時点で、自分には無理かな、とは思っていた。
「毎年、女性の採用が1、2名ですが、女性は不利なんでしょうか」と彼女は質問した。
パンフレットを見ると、ここ数年は男性を10名以上雇っているにも関わらず、確かに女性は1人か2人だった。
「メーカーで力作業もありますので、男性が多くなる傾向はあります。ただ、私は女性の能力は男性と同等、特に差別することなく活躍できると考えております。」
どうせ女性を差別するなら、そんなタテマエを言わない方がよっぽどマシだと思った。
長時間の労働ができるか、という意味での体力ならば、性差よりよほど個人差の方が大きいだろう。
腕力で雇用を絞るのが合理的なら、東京医科大は数十キロのバーベルを持ち上げられることを入試基準に入れてしまえばよかったのだ。
「緊急時、患者を搬送する必要があるため」とでも理由をつけて。
全ての業務に腕力が必要なら、そういった能力主義も許容することができた。
しかし、旭酒造で女性が働いていないのかというと、決してそんなことはない。
私が工場を見学した際には、たくさんの女性が段ボールの箱組みやラベリングを行っていた。
昔、獺祭を特集したテレビ番組内(がっちりマンデーだったと思う。うろ覚え)では、品質管理を行う女性の姿を見た記憶がある。
杜氏のカンではなく、計測可能な数値で味を保っているとかで、そのデータ取りを行っていたのはパートの女性だった。
要するに、どうしても腕力の必要な力作業があることを理由に、正社員には男性を採る。たとえ、管理職になってからの仕事には腕力が必要でなかったとしても。
彼女たちは重要な業務を任されてはいても、それ以上のキャリアアップも給与のアップも望めない。
正社員の給与は引き上げたのかもしれないが、パートの給与は最低賃金に毛の生えたような、普通の時給だった。
もしかしたら、パートになるよりない当事者の主婦たちにとっては、旭酒造は働きやすい会社なのかもしれない。
でも、力の必要のない業務を全てパートの給料で済ませてしまえば、そこに正社員の女性が入社する余地はない。
この話は数年前のことなので、今は体制が変わってきたのかもしれない。
最近、世間で「女性が働きやすい会社」と呼ばれるものが、子育てに女性だけが時間を割くことを前提としていたり、時間の都合がつきやすい代わりに夫の収入無しではとても成立しないような薄給だったり。
そんなことが多くて絶望したので、今更のように思い出してこれを書いている。