はてなキーワード: ハラスメントとは
私はコーネリアスこと小山田圭吾の熱狂的なファンだ。中学生の時、たまたまフリッパーズギターの「シングルス」を手に取ってから、それからずっと小山田圭吾が好きだ。彼の曲も、佇まいも、ファッションも、生き様も、ずっと尊敬し、参考にしてきた。ツアーも幾度となく参加した。好きすぎてメールアドレスにもしていたし、待ち受けも「POINT」のアー写だった。
もちろん今回の大炎上の元ネタになっているQJも知っている。というか、15年以上前に件の記事を知って、本当にこんなこと書いてるのか?とあちこちの古本屋を巡って手に入れた。現物は実家の棚にある。
そんな彼が東京オリンピックという"失敗が約束された"イベントの音楽を担当すると聴いた時は心躍った。ようやくオリンピックを(一部だけでも)肯定することが出来る!見るという動機が出来る!と、とても嬉しく思った。
彼のイジメについての記事は2chの古くからコピペとしても存在していた。彼のスレッドが立つたびに連投され、また、いじめについてのスレッドが立つたびに書き込まれていた。誰の執念かは知らないが、そんな書き込みが広がるにつれ、「ウンコーネリアス」と呼ばれていたことも知っている。熱心なアンチの賜物。しかし、そんな揶揄など、まだ可愛いものだった。
東京オリンピックの「失敗」を心のどこかで願う人々が、政治家や運営者ではなく、彼を次のターゲットにした。そして、火がついた。
このオリンピックをどうにかして失敗させたい人、イジメに対してどうしても許せない感情を持つ人、コーネリアスのアンチ、運営に女がいないと叫ぶフェミニスト、菅政権反対派、反自民、自分が参加予定のイベントが潰された人達、自称人権派の方々、話題に乗っかりたいだけのご意見発信人、ガヤツイッタラー、ストレス発散したいだけの暇人などなど、SNSの標的が彼になった。色々な理由を付け、「イジメ反対」という大義名分を掲げると、1番叩きやすいのが小山田圭吾だった。
私は、ネット上で燃え盛っていく炎を見て「なぜ?」と思った。なぜ彼が40年も前に行ったイジメでこんなに叩かれなければならないのか。贖罪をしてない、謝ってない、気分が悪い、嫌な気持ちになった、という意見も散見された。いやいや一体何様のつもりなんだ?と。知る必要もない情報を得て勝手に嫌な気分になる。嫌な気分になったらその当人を匿名で叩く。いじめられた当人でもなく、その場にいたわけでもなく、30年前に雑誌に語った40年前のいじめの話をぶり返され、人格を否定され、そして作品をも否定される。
叩いてる人達がやっていることは彼が過去個人に行ったイジメ以上のリンチだ。
謝罪文を載せると「辞任しろ」の嵐。謝っても許されないSNSのリンチ。「イジメ反対」という大義名分を盾にしていとも簡単に行われるハラスメントの数々。海外メディアへのチクリ。
日本中の人々が叩いてる相手は、ただ1人の日本人だよ。ただ1人のアーティストだ。正論や論破は1番簡単な暴力だと誰も気付かず、いや、気付いてないフリをして自分の意見を通すために叩き続けた。正義感という名の拳で何万という人達が1人の男を殴り続けた。
そして先ほど、小山田圭吾がオリンピックの音楽担当を辞任した。
良かったね。
もう誰も正直に生きることの出来ない世の中が、オリンピックの後に待っているよ
「年齢差の問題については、極端な例示は間違いだったとして、
その後本多議員は「18歳と15歳の表現をしている」としてはいるが、
依然として「小児性愛的」な性的な視線のありようには疑問が呈されている。
つまり、そこには男性特有な性的な視線、無意識に未成年者にも向けられる性的な視線や、欲望がありはしないかということである。」
ベテランの議員は受け止められても、誰もがそういうわけにはいかない。」
バカというか何というか…
同じくらい酷いいじめ、暴力、ヘイト、ハラスメントはどの時代、どの世代にもある
元増田の語るのは、なぜ90年代はそられが雑誌で否定されずに取り上げられる時代だったか、という話に過ぎない
私は本多氏に関する報道を聞いた当初、率直に言って問題の多い発言だと思った。
しかし、先日公開された調査報告書を読み、まったく印象が変わってしまった。
https://cdp-japan.jp/files/download/DHOD/ohYK/HBoz/eMbq/DHODohYKHBozeMbqNI5kKNf4.pdf
「ハラスメント防止委員会」が、なぜこのような政策提言を行うのか?
読めば読むほど恐ろしい文書に思えてくる。
実際、この文書に対し、立憲民主党内部からも批判は上がっているようだ。
私はそれを聞いて安心したが、一方で、組織としての立憲民主党に対する不信感が生まれてしまったのも事実。
私は、本多氏が言うような「50歳と14歳の真剣な恋愛」というのが仮に存在したとしても、性的関係が法的に制限されるのは仕方がないと思う。
一方で、「20歳と20歳の真剣な恋愛」であっても、実態としては「加害者」と「被害者」が生まれる関係もあるだろう。
そこに過大な差異を認めることは、「20歳と20歳の真剣な恋愛」の中でトラブルに巻き込まれる人々を周縁化しかねず、危険な発想だと思う。
「20歳と20歳の真剣な恋愛」が存在しうると認めるなら、「50歳と14歳の真剣な恋愛」もまた存在しうると認める必要があるだろう。
性的同意可能年齢の引き上げ自体には私も賛成だが、上記の前提も含めて、「法令として、どのような要件で実現するのか?」という部分で大いに議論があるのは当然のはず。
「『50歳と14歳の真剣な恋愛』のような例外的状況をどう扱うのか?」という議論はあっていいだろう。
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
立憲民主党は13日の常任幹事会で、性交同意年齢の引き上げを議論する党会合で不適切な発言をした本多平直衆院議員=比例北海道ブロック=への対応を協議した。
発言は「党の名誉、信頼を傷つけ、党運営に著しい悪影響を及ぼすもの」として、1年間の党員資格停止とする処分案を党の倫理委員会に諮ることを決めた。
本多氏は既に次期衆院選の北海道4区の公認が内定しているが、処分が確定すれば取り消される。
会合後、福山哲郎幹事長は記者会見で「性暴力被害者の皆さまを大変傷つけたことについて、心からおわび申し上げたい」と陳謝した。
本多氏は5月10日の党会合で「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」との趣旨の発言をした。
その後、本多氏は発言を謝罪し撤回。福山氏は本多氏を口頭で厳重注意したが、与野党からは「極めて不見識」(公明党の山口那津男代表)などの批判が噴出したため、立民は「ハラスメント防止対策委員会」で発言内容の調査をしていた。
そもそも性交同意年齢は現在は13歳なんだから、「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても」ってのは合法なんだよ。それ忘れてない?
たしかに個人的には13歳は低すぎるだろって思うけど、人によって考え方は違うんだから年齢引き上げに異論を唱えたら即アウトってのはありえないだろ。
法改正のために合意形成をしようって話なんだから、合意形成の過程でいろんな意見が出てくるのは当然で、それを「あってはならないこと」って言うんだったらすでに合意形成は終わっていないといけないでしょ。
(たとえ合法であっても倫理的にアウトなことってのはあるよたしかに。でもそれはやはり倫理的にアウトであるっていう合意形成が必要なのよ。)
諸外国では常識とかって言うけど、日本では常識じゃなかったから法改正が遅れてたんで、それを常識にするための合意形成をやっていこうって話じゃないの?
それなら異論を唱える人間を排除したり社会的に抹殺するんじゃなくて、ちゃんと順序立ててていねいに説明して納得してもらうべきなんじゃないの?
「ここでいう「同意」っていうのは日常語じゃなくて同意能力のことを言っていて、14歳がたとえ外形的に同意してもそれはかくかくしかじかの理由で同意とみなすことはできない、と考えるのが妥当だ」「この法改正の法益はそもそも性犯罪に対して「同意があった」という言い逃れが多すぎる問題を改善するために~」とかってちゃんと説明すればよかったんじゃない?
これ、大人がローティーンと性交したい、とかいう単純な話じゃないよ?同意能力とはいかなる概念か、とか、本件の法益は何か、とか、刑罰による人権侵害を含む不利益と法益とのバランスは適切か、とか、自己決定権の尊重と性被害防止とのバランスは適切か、とか、難しい問題がたくさんあるんだよ。議論すべきことはいっぱいあるんだよ。そんなに簡単にはいかない。
たとえばさ、性交同意年齢を28歳にしようぜ、って話が出たらどうする?
でさ、どっかの議員が「50歳近くの自分が27歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」って言ったとして、それに対して今回みたいなリアクションはまず無いよね?
なんでかって、それは「50歳近くの自分が同意の上で27歳の子と性交する」のはまあ本人同士がいいって言うならありなんじゃね、っていう合意があるからだよね?
28歳は極端だけど、20歳、19歳、18歳って下がっていくと意見分布がどんどん変わっていくよね?
「ありなんじゃね」から「場合による」になって、「まずありえない」になるよね?
うーむこの増田の方が元増田より要点が纏まってて話が分かりやすい
売れるからだと思う。かっこいいし。主人公として成立させ易いし。ただ、例えば女に執着する奴、過去に縛られてる奴、ライバルにコンプレックス持ってる奴、普段は頼りない奴など、100%の男らしさじゃなく数%の弱さ・ダメさが魅力の肝なんだと思う。
これを「男性作家は、実は同時に、男らしくあれない男性主人公のダメさも描いている」とは見れないかな。ユリアユリア言うてるケンシロウとか、グリフィスグリフィス言うてるガッツとか、流川と春子さんを気にしまくってる桜木花道とか、めちゃくちゃ女々しい(問題ある表現)よね。
例に出すとジョジョの奇妙な冒険の空条承太郎は「男らしくなさ」が欠片も無い正に「男らしさの体現」的な硬派な不良だったけど
「男らしさ」に憧れる男性読者からだけじゃなくてジョジョの女性読者からも絶大な人気を誇るキャラクターの一人である事は興味深い
地獄先生ぬ~べ~や冴羽リョウみたいなスケベなお兄さんやキン肉マンみたいな普段は駄目駄目な奴も「やる時はやる」タイプだから弱さ・ダメさが人間的魅力や人間臭さになって人気に繋がってる感じかな
2.男性の描く「男らしくない男」像
のび太くんは正にそうだと思う、逆にジャイアンは普段は粗暴で性格の悪いいじめっ子だけどそういう嫌な所も時々見せる良い所も含めて基本的に「男らしい」キャラクターとして描かれているかな
「弱い事=男らしくない」なのか「弱い=自分らしく生きられない=男らしく生きられない」なのかは考えた事も無かった、後者みたいな考え方もあるんだね
幽遊白書の蔵馬とか、一見すると女性と見間違えられるような端正な容姿の男性キャラクターも「男らしくない」と思われがちで男性と女性で人気が大幅に変わる印象がある
逆に女性に嫌厭される所謂「厳つい不細工顔」なんかは男性はそこまで気にしないしむしろ男らしくない、女っぽいと受け取られがちなキャラクターよりは人気が出る傾向にある気がする
3.男らしくない事による「生き辛さ」とは
昔の少女達は手塚治虫、横山光輝、赤塚不二夫など男性漫画家に提供された少女漫画を特に不満も無く楽しんでいたそうな…むしろリボンの騎士あたりは直撃世代の女性にこそ熱狂的なファンが居るかもしれない
時代もあるけれど、現代の価値観で育った女性が男性漫画家の描いた黎明期の少女漫画を読むと「何だこれ、女性の理解度が全く足りてないしジェンダー感が古すぎる」って反感を持つのだろうか
「中身がおっさんの女子校生におっさん趣味やらせてるだけ」は実際事実だろうしもうおっさん達もそれを一種のギャグにしているからハラスメントしている女性をあまり見た事が無い…
「亭主元気で留守が良い」とか、「お父さんの服は汚いから一緒に洗濯しないで」とか、今やったら世の男性達が怒るだろうなと思ってしまうのは、やっぱり「男らしさ」が徐々に薄れてきたのもあるのかなぁ…
「中身がおばさんの男子高校生におばさん趣味やらせてるだけ」の作品に対する持ち上げ振りは本当凄いよね、何なんだろうねあの人達
ことあるごとにこの記事を思い出す。(この社員と女性社員はその後うまく仕事はできてるのだろうか)
・性的な話をしていない。
・性的なアプローチをしていない(下心はあったが、これまでよく会話してた相手と共通の趣味の映画をみにいこうとのお誘い)
それでもセクハラ。
なぜセクハラ?それは相手が不快に思ったから。セクシャルハラスメントと感じたから。
うん、OK。
そこに異論はないってことにしよう。
じゃあ、その先の話をしたい。
たとえば、
・挨拶をしても返してこない
・業務のことでの進捗状況を求めても返事がない
・不機嫌という感情だけもれなく伝える
これに対して不快に思った場合、ハラスメントにならないのかね?
どうもこういうひとは守られてるし暗黙の了解でセーフになっているし、我慢して応対しなければならなくなってる。
どうしてこれはセーフになるの? 別にこれまでどおり接することは可能ではある。でも、これも厳密にはハラスメントではないかと。
はてブにあがってきたので読んだけど、なるほどなぁと。
いや何がなるほどって、
id:RRD あーあ。後ろに向かって進化する、孫正義の頭髪みたいなフェミ論。こんな長文書いたところで、なーんも考えずにキャバクラで大騒ぎする家父長制引きずったjcみたいな衆にいいように利用され使い捨てられるのがオチ。
id:cinefuk 物わかりの良い女(男)を内面化するのは、ハラスメントへの対抗手段をなくすぞ。protestersへのバッシングは、多数派に受け入れてもらうテクニックとして有効なのは認める
これらのブコメは元増田(の上司)が言う女性社会資本を評価できてない上に、女性社会への評価を加えた新しく発展したフェミニズムの思考が出来ていないわけだよ。
つまり人間にとって価値があるものは男性社会にしか存在しないって無意識に刷り込まれていて、裏を返すと女性がこれまで女性社会で作ってきた価値を真っ向から否定して無価値だって純粋な心で思い込んじゃってるんだよ。
これがおそらくフェミニズムを真に受けすぎた弊害なんだろうな。
白人と黒人を区別することが公正であると信じられてきた時代が過去にはあったけれど、それと似たような感じで男性社会資本の価値を認めて女性社会資本の価値は無いって評価するのは公正だと誤認してしまってるんだ。
何ならこういうブコメを付けるブクマカは女性社会資本ってどういうものかすら理解できてないと思われる。こういう人にとって資本とは男性社会資本しか存在しないから。
Twitterとかでもネタなのかマジなのか「怒られが発生」みたいなこと言ってる人達もそう
何かされたら私は僕は何かされた側の人間です、悪いのは仕掛けてきた方です、みたいな。
怒るのってストレス発散じゃないから。被害者意識が強い人って、認知の歪みがすごくて、何やっても私は被害者ですみたいな顔をする。
そういう人ってあなたは悪くないんだよ、みたいな言葉しか求めてないことが往々にしてある。
これでハラスメントか何かで訴えられたらたまったもんじゃないから、とにかく気を使う。めちゃくちゃ気を使う。こっちが潰れそうになる。仕事は任せられない。しかし何かしらさせてないとこちらも上からの圧力がある。簡単なことをやらせるが、靴箱の掃除ですら、終わると靴の位置がシャッフルされている。