例えば嫌儲民の書き込み情報が個人を特定できる形で流出したとする。
そしてある嫌儲民が日本人の蔑称であるとされる「ジャップ」という言葉を連呼していることが発覚した場合、
その嫌儲民は日本人を差別する差別的な人であると批判を受けるだろうか。
「『ジャップ』という言葉は嫌儲民の持ちネタであり、この書き込みは差別的ではない」と思う人がいれば、
「『ジャップ』という言葉は差別的であり、この嫌儲民とやらは差別的な外国人なのだろう」と批判する人もいるかもしれない。
ではこれが「めくら」「部落」「チョン」などの言葉を使っていた場合はどうだろうか。
各々で思うことはあれど、結局は「個々の発言の文脈やニュアンス次第」となるだろう。
そう、つまり、その発言が差別的かどうかは文脈やニュアンス、そして読み手の判断によって決まるものなのだ。
ここで本題に戻るが、件のサッカー選手デンベレが、本来プライベートな状況でラフに発言したフランス語のそれを日本語に翻訳した文章からは
否、できない。
フランス語を理解する人のあいだでも判断の分かれている微妙なフランス語を日本語に翻訳した文章から、その微妙なニュアンスなどわかりようもない。
前後の状況も判然としない短い動画からは文脈もわかりようがないだろう。
差別やハラスメントは受け手が判断するってゴールデンルーラーを知らないのですか
それミソジニージョークだよ 実際には、一般的にどう感じられるか? を判定される。
フランス語を理解する人のあいだでも判断の分かれている ひろゆきとか辻とかは含まれてませんよね?
確かにそうだが、フランス語有識者の逆批判を受けたりして、自分の意見を持つことはできる。 自分がどう考えるかに関しては「お前が判断することだ」と言える。 私は差別だと思う ...