はてなキーワード: タイムラインとは
14話くらいで不安になるオーバーマンが出てきた時くらいに「ワイなんて親殺されたときになーんもできとらんかった。家でずっとゲームやっとったわ」みたいなセリフは出てくるんだよね。だからあの引きこもりシーンと親死んでるタイムラインはリニアに繋がってると思い込んでる。
その女についての噂を耳にすると、不思議と心が泡立った。純粋に嫌いなのだ。不幸話を耳にすればほくそ笑んでしまうし、もっと不幸になれと呪ってしまう。
彼女がどんな女かというと、一言で言えば「マウント女」である。どんな話に対しても「でもアタシは〜」と介入してくる。
不幸にも他の友人と3人での会話になってしまった時のことだ。わたしは他の友人とだけ話したいのにそいつは割って入ってくる。その時点でまず不快だ。まぁいい。わたしがプレイしている某有名アプリの話をした時、彼女は必ず「あ〜、アタシそのアプリアンインストールしちゃったんだよね〜」と言ってくる。話し手が楽しんでプレイしてるアプリだぞ。失礼だと思わないのか。わたしはそのアプリ内であったちょっと面白かったことを話したいんだ。お前にじゃない、他の友達の方にだ。
他の友達の方はノッてくれる。面白がってくれる。自分がやってなくても、共感することはできるだろう。他の友達の方もわたしのやっていない某女性向けアプリの話をしてくる。わたしもそれを面白がる。コミュニケーションだ。会話を楽しんでいるのだ。
彼女にはそれがない。
会話の中心は常に自分。自分と自分の周囲の自分が上位にランク付けしたものについてだ。そのランク付けが透けて見えるところも嫌いだった。わたしが楽しんでいる某有名アプリは彼女にとってつまらない低俗なものなのだ。なんて不快な考え方だ。
そして彼女は自分から申し出て別部署に異動して行った。つまり今までやっていたわたしと同じ仕事はつまらない低俗なものだと彼女の中で結論が出たのだろう。世界に平和が満ちた。
時給制の大したことない仕事である。まあわたしも好きではない。ただ彼女が異動して少しした時、突然時給が200円アップした。ざまあみろ。
彼女は同じテナントの隣の部屋にいるらしい。滅多に会うことはない。他の同僚の噂とか、LINEのタイムラインで近況を知るのみだ。
彼女のタイムラインに「旦那しね.com」のURLが貼ってあった。旦那が家事育児を手伝ってくれないのだろうな。ざまあみろ。
これについては他の同僚が「◯◯さんのタイムライン見た?」と言ってくるのでわざわざ探した。LINEのタイムライン更新する人って自己顕示欲高いよね。
例のタイムラインを見るまで彼女のことは基本的に忘れるようにしていた。あまり関わらないように、考えないようにしてきた。
理由はわたしの心が泡立つからだ。嫌いな人のことばかり考えているとそれに囚われて悪いことばかりが目について耳について楽しいことを見逃してしまう。
嫌いな人のことは忘れろ。その人から離れろ。人生は短い。嫌いな人のことより好きなことを気にして生きよう。
彼女が不幸になるところを遠くからこっそり見たい。でも自分から見に行くことは避けよう。タイムラインについて教えてくれた例の同僚の続報を待とう。
別に総合的に考えたら彼女だって悪い人間ではない。単純にわたしが彼女を嫌いなだけだ。彼女のマウント癖とランク付け癖が不快なだけだ。彼女と話すと彼女に対してマウントかけたくなる自分が嫌いなだけだ。わたしはマウントするような人間になりたくないのだ。おしまい。
追記。
例のタイムラインを見つけた同僚とお昼を一緒したので詳しい彼女の近況を聞いた。
結局今の部署は嫌で、元いた我々の部署に戻りたいらしい。そうかそうか。
彼女と物理的に離れて完全にヲチ対象となったのでめちゃくちゃ面白かった。
例の同僚も上には出てこなかった別の同僚もやはり彼女に思うところがあるらしく、色んな面白いネタが聞けた。例の同僚もニラニラしたくて「旦那しね.comなんて貼ってどうしたの?」とLINEしたらしい。
昼休みがあっという間だった。
これからは例の同僚から情報を聞いてニラヲチするだけにして一切自分から関わらないぞー! 普段は存在自体忘れよう。
しかし今回の件で人の噂とか悪口で盛り上がるおばさんの気持ちがちょっとだけ分かってしまった。
でもやっぱりみんな彼女が嫌いだったんだということが分かっていろいろ粘着されてストレスばかり溜めてたあの頃のわたしも昇華されたわ。よかったよかった。
そなたは森で、私はたたら場で暮らそう。
分かってる、分かってるよそれが最善なんてことは!!!
というわたしの叫びを、もしあなたが暇で暇で仕方がなくて暇つぶしを探してる方だったら、少しだけ聞いてほしい。
基本的には「左右が同一ではないCPも受け入れ可能」という意味で使う人が多いのではないだろうか。
その中でも、いわゆる受けは固定、相手は固定という人や、
あるいはハピエン厨やバドエン厨などといったシチュエーションを好む人もいる。
推しはいる。ただし、基本傾向として推しは攻めだ(推しは受けにしたいという人が多い)。
従って、そのまま快楽堕ちなんてエンドも好きだし、逆に堕ちきれなくて苦しんでたりするのもおいしくいただく。
だから、推しが受けになっているのももちろん好きだ。でも攻めてるのも好き。
誰にも認められないと分かっていてもそれでもお互いの気持ちを抑えられないシリアスの気分の日もあれば、
推しカプが全世界から祝福されてる甘々ハッピーが読みたいときもある。
たまには推しにだって学生生活を満喫して若気の至りで馬鹿をやってほしいし、
3億円でオークションにかけられてる受けを颯爽とさらって優しく傷を癒してあげるスパダリにだってなれるって信じてるし、
自信を無くして自暴自棄になって横っ面をはたかれてるのだってアリだ。
つまり、本当になんでも来いという感じ。
周りに配慮をするようなツールとしてはとらえてはいなかったから、好きなことを延々と呟いた。
カップリングも、シチュエーションも、なにも気にせず、好きなことを。
それでも、そんなわたしでもいいと言ってくれる人が繋がってくれて、楽しくタイムラインを眺めていた。
そんなある日、わたしは、わたしがずっと片思いしていた方から、フォローをもらった。
その方は固定派の方だった。
その方は、わたしとメインカプが同じだった(ただしわたしにおいてはry)
その方のかく二人は、シチュエーションも、絶対にふたりの日常とその延長線上からははみ出さない。
でもだからこそ、その中で丁寧に丁寧に拾われていく二人の表情や感情や心の動き方が、
とても好きだった。
フォローをいただけたのはとても嬉しかったけれど、だからと言ってリプライを飛ばせるわけでもなく、
ただ、時々わたしのツイートにハートが飛んでくるようになったのを、ひっそりにまにま眺めてた。
だから、わたしも今まで通りその方の作品にハートを飛ばしていた。
でもそのまたある日、ふとフォローフォロワーが1ずつ減ってることに気が付いた。
わたしはそんなに数が多いわけでもなく、数字が動くわけでもなかったからそういったことにはすぐに気が付けた。
誰かいなくなったんだろうか。そう思ってフォロー欄を見て行って、その方がいなくなっていることに気が付いた。
なんとなくついた予測を見ないようにして、その方のホームに飛んでみた。
飛べた。ほっとした。
その方の一番上のツイートには、
「周りの方からの影響で自分の作品がうまく作れなくなりそうだったので、少し整理させて頂きました」
という文字があった。
まず勘違いしないでいただきたいことは、このことに関してその方を責める意図は微塵もないこと。
雑食だ固定派だと争いが絶えない昨今。
自分のお気に召さないものが目に入ったからと言って、匿名ツールで過剰な配慮を求める人も多く見た。
とても大人で、社会的で、理性的で、知的で有効な行動をとられたと思った。今でもそう思ってる。
でも、わたしはショックだった。
好きな方に拒否されたということではなくて、
自分が好き勝手にまき散らしていたものが、誰かを脅かしていたという事実がショックだった。
分かっていたと思っていたことを、突きつけられた気がした。
だって、ラブラブも、シリアスの、コメディも、ハッピーエンドも、バッドエンドも好きだった。
だけど、自分が好きにすることで、わたしが好きな誰かを圧迫していた。
とっても自由だと思っていたフィールドが、自由すぎて怖くなった。
でも、その自由を知ってしまったから、今更あとには戻れなかった。
なにかを呟こうとして、打ち込んで、消して。
消したのをもう一度打ち込んで、下書きに保存して。
なにを呟こうか悩むことが増えて、その方がストレスになって、
今は、繋がっていた友人とクロースドの環境で細々と盛大に語り合っている。
時々はまた作品ともいえないものを、支部にあげたりもしている。
でも、いまだ答えはは見つからない。
好きなものが違うなら、大事なものが違うなら、住み分ければいい。
それは明快だ。
ヤッ●ルに乗って会いに行くくらいじゃ、到底足りないくらいに好きだったんだ。
ずっと隣にいさせてほしかったんだ。
同じくらい好きなんだねって言って欲しかったんだ。
あなたもそれが大好きなんですねすごく伝わりますって言っていたかった。
それが図々しいことなんて分かってるけど。
それをあなたが拒むなら、どうしたらよかったんだろう。
いまだに正解は見つからない。
でも、一度は活動を控えていたその方も、また作品をあげたりされているらしい。
またわたしの大好きな二人が見られるのかと思うと、おちおち夜も寝てられない。
残念ながら雑食のわたしは、そろそろまたあの自由な世界に戻りたくなっている。
今度はどんなことがあるかわからない。
でもひとまず、そなたには森で、わたしはたたら場で暮してみたいと思う。
ヤッ●ルに乗って、会いに行けたらと思う。
だから、
走れヤッ●ル!!!
長々と失礼しました。
以上、ご清聴ありがとうございました。
タイムラインが闇堕ちする仕組み
深津さんのこのエントリ、非常によくまとめられていてわかりやすく、個人的にも高く評価したいのだけれど、インターネットと共に育ってきた身(現在30代)としては欠けてる視点があるなと気付く。
先ず1つ目の欠けてる視点として例えば「2ちゃんねるではディスコミュニケーションを前提とする掲示板もしくはスレッドでしかディスコミュニケーションがほとんど発生していなかった」という点。
この「ほとんど」という部分が重要で、人間がいっぱい居れば口論が発生してしまうことは往々にしてあるので「絶対に発生しなかったわけじゃない」のは当たり前の話。
ディスコミュニケーションを前提とした掲示板って今でも一部で悪名の高い『生き物嫌い板』とかだよね(※動物愛護者はググらない方が精神衛生上良い。これは本当に心からの善意と博愛精神を持って全力強力に要請したい。ググるな知るな見るな)。
そして更に欠けている視点と言えば、これたぶん現在の40代以上にはまったく知らないか、もしくは知っていても下らなすぎて一切関わりを持とうとせず内容を知らないユーザが多いと思うんだ。
それが何かと言えば「過去のインターネットには『喧嘩板』と呼ばれるディスコミュニケーションを前提としたディスコミュニティが存在した」って点。
この喧嘩板はlivedoorしたらば掲示板へ各々のコミュニティに所属するユーザが好き勝手に設置していったもので2ちゃんねるには存在しなかった。
その喧嘩板の黎明期は各コミュニティで口論が発生した際にそのコミュニティの雰囲気を破壊しすぎないようにユーザが各々に自浄作用として「オイちょっと体育館裏に来いやクソボケ!」的に設置するものだった。
まあつまり端的に言えば「口論をするため2ちゃんねるの外に設置された掲示板」ってわけだ。
しかし次第にその当初の目的は薄れていって(ストレス解消のためか)本当にどうでも良い理由で口論することが目的の2ちゃんねるの外の掲示板になっていったんだ。
悪ノリが過ぎる2ちゃんねる運営ですらここまでストレートに口論するためだけが目的の掲示板は設置していなくて、そのためか深津さんは「コミュニティ自浄のためのコミュニティ設立」「ディスコミュニケーションをするためのディスコミュニティ」を認識できていないんだよね。
こういうコミュニティの面白いところは現在のみんなは理解できるだろうけど「現在、喧嘩板は廃れている」ということだね。
現在、2ちゃんねるユーザ数が減っているとはいえ、完全にコミュニティが崩壊したのか?といえばそうではないとみんなは知っているはず。
少なくとも一定の需要があった喧嘩板が廃れ、2ちゃんねるのコミュニティが存続しているという事実は深津さんのエントリでは説明が付かない。
2ちゃんねるが存続している理由、これはおそらくきっと「喧嘩板は口論のたびに設置されることが多く、設置目的からして喧嘩板の寿命は非常に短かった」というのが関係していると思われる。
喧嘩板は2ちゃんねるのコミュニティが崩壊しないよう、まるでアポトーシスのように2ちゃんねるの代わりに早々その役目を終える運命だったんだ。むしろその短命こそが目的だったとも言える。
改めて2ちゃんねるのディスコミュニティ化を防ぐやり方を振り返る良いタイミングなのかもしれない。
つまり2ちゃんねるでは問題が起きるたび枝分かれのように分岐してディスコミュニティ化を防いできたんだ。
ただこれは2ちゃんねるのみで起きたことではない。実は現代(平成終期)のTwitterでも確認している。
それは何かと言えば、Twitterがディスコミュニティ化したと捉えた一部のユーザが分散SNSのMastodonへ移住した件だ。
分散SNSはその大半がオープンソースで提供され、各自が自由に設置できるSNSだ。大小の規模を問わず分散SNS同士が相互接続することでコミュニティを形成している。
その流れの中で生まれたのが「テーマ系サーバ」と呼ばれる分散SNSサーバで、分散SNSを設置する際に音楽テーマやイラストテーマなどお題目を掲げ、ゆるく話題を絞るという試みが起きた(このテーマは絶対基準でなくテーマに合っていない雑談をしても叱られることはない一応のお題目だ)。
2ちゃんのる的に言えば「専門板」に該当し、ゆるく話題を絞ることによって大幅な「板違い」を防ぐことが狙い。あまりにも自由だと怪訝な表情を浮かべざる得ない発言が目立ってしまう可能性があるからだ。
分散SNSは「自由」に関してばかり着目されることが多く「ユーザの自由を縛る中央集権や、ユーザの発言の価値観を中央が判断することへ対してのアンチテーゼである」ということが注目されやすいが、実はそればかりでない。
Twitterを例にすると、Twitter運営やTwitterでなければならずTwitterを愛するユーザは決して認めないだろうが、分散SNSユーザはすでに「Twitterはディスコミュニティである」と見做している。
Twitterを愛する者からすると多くの反論があるだろう。しかし現実として分散SNSへ移住したユーザを代表格として一部のユーザはTwitterというコミュニティを見限っている。
Twitterは喧嘩板のような口論をし他者を罵るディスコミュニティだと烙印を捺したのだ。自身のルールを押し付け合い、自身のルールに反した悪とみなせば徹底的に追い詰める。それがTwitterだと分散SNSユーザは言う。
突然、話は変わるが現在の若者に人気のサブカルチャーコンテンツに「Fateシリーズ」という作品がある。
ゲーム、小説、漫画、アニメと幅広くメディアミックスを展開する作品であり高い評価を若者から受け人気だ。
そのFateシリーズに「アーチャー」と呼ばれる登場人物が居る。
詳細は省くが、アーチャーはもともと正義の味方へ憧れる少年であり、いつまでもその心を待ち続け、いつしか少年は成長し多くの人々を救ったことで正義の味方の代名詞である英雄と称されるようになった。
そんな正義の味方アーチャーが登場するFateシリーズだが、長期シリーズでは付きものの登場人物がどんどん増えていくという長期シリーズの悪習を踏襲している。
そんな中で「オルタ化」と呼ばれる既存の登場人物を再定義する設定が追加された。つまり同一人物ではあるが設定の違う二人目が現れたのだ。
もちろん既存登場人物の「アーチャー」にもオルタ化は適用された。ここでは「アーチャー・オルタ」と呼ぶことにしよう。
アーチャー・オルタはアーチャーの正義の味方たる魂が反転した存在という設定だ。なんだつまり悪役になったのか?と考えるのは誤りだ。
アーチャー・オルタは悪を倒す。それも徹底的に追い詰め手段を問わず悪を殺戮する。悪を倒す正義の味方が反転した存在、アーチャー・オルタは「悪の敵」である。
日本のサブカルチャー界は2000年以降、これまで掘り下げられてきた「正義の味方」というテーマを非常に強く掘り下げてきた。もうそろそろ20年に到達する一大テーマだ。
「ブギーポップは笑わない」「涼宮ハルヒの憂鬱」「とある魔術の禁書目録」「金色のガッシュベル!!」「機動戦士ガンダムSEED」「テラフォーマーズ」「僕のヒーローアカデミア」etc...挙げればキリがないほど様々な正義の味方が考察され描かれてきた。昨今の日本で流行のアメコミもその流れの一環だろう。
そんな正義の味方の考察の中で対比として描かれたのが悪の敵アーチャー・オルタなんだ。
正義に反する者を悪と断じ、正義の味方に反する悪の敵が徹底的に追い詰める。
Twitterはそんな悪の敵が蔓延るディスコミュニティだと分散SNSへと一部のユーザは逃避した。
2ちゃんのるの頃とは逆に喧嘩板を設置するのではなく、Twitterが喧嘩板になってしまったからこそTwitterは最早手遅れだと自らがそんなディスコミュニティではないSNSを立ち上げていった。
しかしnoteは2ちゃんねるやSNSのように分岐してディスコミュニティのアポトーシスができない。可能な方法と言えば中央集権SNSと同様に運営が物事の可否を判断することだ。
我々はそろそろ勇気を持って認めるべきだと思う。
Twitterと利用する多くのユーザは公正、平等、自由、博愛、倫理、法治、人権、平和etc...健全を重視して運営・コミュニケーションしようと模索し続けており、その結果がディスコミュニティ化してしまった現状であると。
これらを訴えるアナタたちは決して悪ではない。しかしアナタたちは正義の味方か?
少年少女の時分で胸に秘めた正義の味方であるアンパンマン、仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊レンジャー、セーラームーン、プリキュア、魔法少女が今アナタのような言動を取るか?
そして愛を唱え、自由を訴え、平和を願う者たちをWebサービスはどうやってコントロールすると言うのか。中央集権たるnoteにはそれができるというのか。
ディスコミュニティは悪が蔓延って生まれるばかりでない。ディスコミュニティは悪の敵が蔓延っても生まれるのだ。
この視点が欠けている限り絶対に上手く行かないと警告すると共に、noteが今後見せてくれるであろうイノベーションに強く期待したい。
6/1に突然Twitterのタイムラインが更新されなくなった。中国クラスタのアカウントが大量に凍結されたらしいので、自分もその余波を受けたらしい。ニュースによると謝罪があり凍結解除されたらしいが、自分のアカウントは一向に解除される気配がない。(解除される気配とはという問題はここでは気にしない)
ここ数日人がどんなことを呟いているのかも見れなければ、面白い事があっても人と共有できない。そんな状況で悶々としている。
ツイッターのルールを読んでも凍結される理由に全く心当たりがない。リツイートやいいねの中に良くない物が混ざっていたのだろうかも分からない。理由もわからず喋る事を禁止されている感じだ。
中国クラスタの自分が理由不明で発言権を奪われるとは皮肉だ。私はここで不自由ない生活をしているが、外から見た中国を疑似体験している。中国では過激な発言思想が取り締まりの理由になるが個人的な議論であれば問題にならない。テレスクリーンはない。1984の世界観ではない。
その点Twitterワールドではすべての発言が筒抜けでより検閲を受けやすいのでさいあくだ。それでも戻りたいと思ってしまう所に危なさがある。
話を元に戻して、人の状況を聞きたかったら直接聞けば良いし、面白い話を共有したかったら直接話せば良い。悶々とする必要なんです無いはずなのにね。
登戸の事件に心を痛め、その後「一人で死ね」論争に言い表せない違和感を感じていたところ、なかなか腑に落ちるツイートがタイムラインに流れてきた。
引きこもり云々のツイートが流れてって完全に「自分らは被害者なんだ!」っていう視点でしかモノ言ってなかったけど
自殺を否定も肯定もしないが
「1人で死ね」とは
「他人を巻き込むな」ってだけや
「死んでほしい」訳じゃなくて
「死にたくない人を殺すな」と言ってるだけや
被害妄想も大概にしろ— にらい (@UUQjfllQ68CKPia) June 2, 2019
僕が思うにこのような拡大自殺は「死にたくない人を殺そうとする」ことに結構はっきりとした目的意識を据えているのではないだろうか。
要は「私が受けた傷がまわりまわって私と接することなどなかったであろう人を傷つけてしまいました。」という悲劇の演出として市民を殺傷するというところが少なからずあるのではないか。
そういった一種の殺人願望に対して「そんなことするな」と言い切ってしまうのは元も子もないことで思考が停止してしまっており、議論や考察の妨げになってしまう。
僕が感じた違和感や抵抗感はここからくるもので、ただただ「殺人は良くない」と言うだけでは、この事件のような「無敵の人」はなぜ出現してしまうのかということや、「無敵の人」にさせないための救済法はないのかという発展的な議論を潰してしまうし、それは孤独な人を自分たちの暮らす社会から断絶させて追い込む態度にほかならないように感じるのだ。
で、マストドンって結局なんだったの?っていう人向け
気づいたこと
Twitterは結果が社会問題にプンスカ怒る人が多いけど、マストドンではそれが見えづらかった(あったのかもしれないが確認されることがなかった)
エロい絵投下と喧嘩(炎上ではない)が頻発していた(治安が悪い、言い換えるならば下町感?)
→
大きな問題に対して頑張らない(社会問題に関して高度な議論を戦わせない)けど、きちんと人間が生きているSNSという感じを二年間で得た
最初はtwitterと比べられることが多かったが、独自の文化ができてていいと思ったよ
合う人は合うと思うけど合わない人は合わないんだろうな この感じ
最近、思った事をつらつら書いていく。
SNSを暇つぶしに見て、タイムラインで話題になってたりするのは暗い内容だったり過激な内容だったりする。
実際、良い話より悪い話の方が目立つし、注目されやすいと思う。
老人が子供や親子を車で轢いて悲しみを生むとか。
でも、それは一部であって広く見渡すと良いこともきっとある。
ゲームの受け売りだけど、「捉え方一つで世の中は天国になったり、地獄になったりする」
なるほど、大事なのは物事の捉え方で、どの様に向き合っていくかが重要だと学んだ。
住んでいる所は自動車関連の企業が多く、テレビで広告を流すほどの上場企業もあった。
それなりの中堅企業に入れば安泰みたいな感じ。
仕事の内容は金型を生産したりプレスしたりする、プレス工だった。
紆余曲折あって辞職して、職探しをしてる。ハローワークの求人の酷さに驚いたり。
求人の見学先の町工場では、従業員の半分が外国人労働者であること。
自分の立ち位置が労働者の中でも下位の方だと思っている。派遣やハローワークの求人では安定した生活が出来なさそうだと感じた。
以外と生きづらいものですね。
私よりも大変な人、頑張っている人はたくさんあるはずだ、と考えると少しは元気が出て前に進めそう。
二次創作するためtwitterしてたけど、自分がやりたいのはただただ描いたイラストや漫画を掲載したいだけだからだ。
他人の生活や思想がタイムラインに流れてきて、羨ましくなったり劣等感を刺激されたり、イラッときたり。体調が悪いというツイートがタイムラインに流れてきたときに、大丈夫ですかというべきか、同じようにコメントする人もたくさんいるから、しんどいときはコメント返ししなきゃいけないと相手に思わせてしまうから迷惑かもと考え込んだり。そもそもそこまで仲良くないから声かけたら気持ち悪いなんて思われやしないかと回避したり。私がしんどいと言ってもスルーされちゃうんだろなと変に落ち込んだり。
本末転倒だなーと思って、サクッと、忙しいから休みます!と言ってきた。いいねをつけてくれる人もいたし、お帰りを待ってますというお言葉も貰えた。それだけでも嬉しかった。
ではしなければいいのになんて思うけど、自分が描いた絵を見てもらいたいから同士は欲しいし、人様が描いたジャンル絵や萌え語り、小説も読みたい。
ツイートをジャンル限定に出来る人もいれば、日常ツイをバンバンしてしまう人もいる。あまりに不快な内容が多い人はミュートする。ミュートはいいぞ。
程よい距離をもう一度考えるため、今度は落書きばかりでなくて、丁寧なイラストを書き溜めるため、交流をいったん休むことにした。