登戸の事件に心を痛め、その後「一人で死ね」論争に言い表せない違和感を感じていたところ、なかなか腑に落ちるツイートがタイムラインに流れてきた。
引きこもり云々のツイートが流れてって完全に「自分らは被害者なんだ!」っていう視点でしかモノ言ってなかったけど
自殺を否定も肯定もしないが
「1人で死ね」とは
「他人を巻き込むな」ってだけや
「死んでほしい」訳じゃなくて
「死にたくない人を殺すな」と言ってるだけや
被害妄想も大概にしろ— にらい (@UUQjfllQ68CKPia) June 2, 2019
僕が思うにこのような拡大自殺は「死にたくない人を殺そうとする」ことに結構はっきりとした目的意識を据えているのではないだろうか。
要は「私が受けた傷がまわりまわって私と接することなどなかったであろう人を傷つけてしまいました。」という悲劇の演出として市民を殺傷するというところが少なからずあるのではないか。
そういった一種の殺人願望に対して「そんなことするな」と言い切ってしまうのは元も子もないことで思考が停止してしまっており、議論や考察の妨げになってしまう。
僕が感じた違和感や抵抗感はここからくるもので、ただただ「殺人は良くない」と言うだけでは、この事件のような「無敵の人」はなぜ出現してしまうのかということや、「無敵の人」にさせないための救済法はないのかという発展的な議論を潰してしまうし、それは孤独な人を自分たちの暮らす社会から断絶させて追い込む態度にほかならないように感じるのだ。