はてなキーワード: スティグリッツとは
書いてみてわかったのは、はてなブックマークで月間1位を取ろうが年間ランキングに入ろうが世の中には何の影響もないということです。あきらめましょう(挨拶)
とは言え、ひさしぶりに参議院選挙前に何か書こうかなーと思いつつモチベーションが上がらずにいたら世界同時株安が起きたので、これにからめつつあれこれ書いてみようかなーと思います。ただ、国内の政治状況は変わってないですし、結論はたいして変わらないと思います。
リンク先のタイトルに書いてある政党がなくなったとか言われても知りません。
というわけで、まずは上記のエントリー冒頭部分を引用します。とても大事な前提なので。
ここ15年ぐらいずっと言われてきた「デフレ不況」、デフレとは、物価が持続的に下落している状態を指します。
単純に考えればモノの値段が下がることはうれしいはずなのに、なんでデフレが問題なんでしょうか。
そんなことわかってるよと思われるかもしれませんが、順を追って説明するために書いておきます。
物価が下がって企業の売上が減ると、企業収益が減ります。企業は利益を出すためには費用も減らさなければいけません。
今回はこのうち、人件費を抑える、というポイントにしぼって話をします。
物価が下落したのと同じ割合で社員全員の給料を減らせれば何の問題もないのかもしれませんが、そういうふうにはできないですよね。
正社員の給料は、物価が下落する割合ほどには下がりません。これを「賃金の下方硬直性」と言います。
リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をしますが、その分をリストラされて収入が無くなる人がかぶるんです。
結局この被害を一番受けるのは、これから社会に出て仕事をしようとする若い世代です。求人が減って有効求人倍率が下がります。
企業はすでに雇用している人を解雇するよりも先に、新しく入ってくる人を減らすので失業率が高くなります。真っ先にこの影響を受けるのは若者です。
これがデフレを問題視するべき大きな理由です。若年失業者が増え、世代間格差が拡大していきます。
物価上昇率と失業率にははっきりとした相関関係があって、フィリップス曲線と呼ばれていますが、物価上昇率が低いと失業率が高くなります。
==========ここまで引用==========
引用部分から続く2014年のエントリーで私は、現政権の金融政策(世の中に出回るお金の量を調整)を肯定して財政政策(どこから取ってどこに配るのか)と成長戦略(規制政策とか産業政策とか)を批判しました。
当たり前ですが、その内容は今回も変わりません。
まずは、最近よく聞く「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」という話についての議論から始めてみようかなと思います。
引用部分で、「リストラされずにすんで定収入がある人たちはデフレで少しずつ得をします」と書きました。
収入が変わらずに物価が下がるのでお得です。この状況が、実質賃金が上昇しているということです。
物価より先に賃金が動くことはありません。商品の値段を変えたからといって、会社の給与水準はいちいち変動しないですよね。
ほとんどの企業では多くても年に1回、春闘の時期に給与水準が変わるだけです。
だからデフレ下では短期的には実質賃金が上昇し、失業しなければお得ですが、失業者がその分の割を食います。
長期的には、デフレのせいで給料が上がらないので失業しなくても損するのは皆さんご存知の通りです。デフレスパイラルというやつです。
そして、デフレ下で金融緩和をして世の中に出回るお金の量が増えて利益が上がっても、企業はすぐに給料を上げるわけではないので、物価が上がった分、実質賃金は下がります。
利益が出る前に給与水準を高くする企業なんてあるわけないんだから当然なんですが、でもこれがむちゃくちゃ大事です。物価が上がるのが給与水準よりも先なので、まずは実質賃金が下がります。
下がった分だれが得をしているのかというと、それまで失業していて新しく雇用された人たちです。
失業率が高いうちは、給料を上げなくても新しく雇えるので賃金はなかなか上がりません。失業率が下がり人手不足になり労働市場が売り手市場になってはじめて給料が上がっていきます。
だから「物価が上がったから実質賃金は下がって国民の生活は苦しくなっている」とか主張するのは本当にやめたほうがいいです。
マクロ経済をきちんと学んだことがある人間には「デフレに戻せ」と言ってるのと同じに聞こえるんですよ。
じゃあ、どういうふうに現政権の経済政策を批判してどんな主張をすればいいのかについて書いていこうと思います。
クルーグマン、スティグリッツ、ピケティといった名前を聞いたことがある人はそれなりにいるかもしれません。別に知らなくても何の問題もないです。
クルーグマン、スティグリッツはどちらもノーベル賞を受賞した経済学者で、日本では今年3月に安倍首相が相次いで会談を行ったことがニュースになりました。
ピケティは2014年12月に日本語版が出版された「21世紀の資本」の大ブームで日本でも有名になりました。
ちなみに、上記リンク先のエントリーは2014年11月、ピケティブームの直前に書かれたものです。(エッヘン)
そんなことはどうでもいいんですが、この三人のマクロ経済政策に関する主張はかなりの部分でとても似ています。
三人とも主流派経済学の左派に属する人たちなので、まー当たり前っちゃ当たり前です。
どういうものかというと、失業率が高い状況においては、金融緩和と大規模な財政出動をすべきというものです。
金融緩和についてはもう問題ないと思います。世の中に出回るお金の量を増やさないといけません。
その上で、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)については、財政出動(たくさん配ること)を主張しています。
金融緩和によって実質賃金はいったん必ず下がります。この実質賃金低下の影響が大きい層、つまり給与所得者層(中でも特に低所得者層)に配るんです。
必要な段階とはいえ、物価が上がったのに給料が変わってない人は消費を抑えようとしますよね。
せっかく出回るお金の量を増やしたのにうまく循環しないと困るので、実質賃金の低下の影響を財政出動によって和らげるんです。
当然、このタイミングでの消費税増税は、愚策中の愚策です。消費を増やすために財政出動しなければいけないのに、逆にその層からたくさん取ってどうすんだって話です。
現政権の経済政策について批判しなければいけないのはこの財政政策の部分です。
雇用は増やしたけど再分配がまったくできていない、むしろ逆行しているから、低所得者向けの積極的な財政政策をもっとやれという批判の仕方をすべきです。
金融緩和や実質賃金低下を批判しても、雇用を増やしてほしい人たちからの支持を失うだけです。
別にすべての人が経済政策について全体像を理解してなきゃいけないなんて私はまったく思っていません。
ただ、マスコミ、知識人、ジャーナリストなどの、情報や知性のハブになるべき人たちが、必要に応じてその時々できちんと説明できればいいだけです。
そして、経済の話については、ここがものすごく弱いところです。
マスコミに期待するのは無駄だとしても、他の分野の話については専門的・学問的な知見の積み重ねに対して謙虚な人でも、経済の話だとまったくそれを無視するのってなんでなんでしょう(泣)
クルーグマンでもスティグリッツでもいいから入門書を一冊でも読んで全体像を理解して、その全体像の中で個別の論点をそれぞれ掘り下げればいいのにと思うんですが、権威のある経済学者の言葉から、自分の思いつきにあてはまる部分だけでパッチワークを作ってばかりで、知識人とかジャーナリストって勉強嫌いなんですか?
いちおう私について言っておくと、学者でもエコノミストでもなんでもなく、ただの経済学部出身者です。むかしひととおり学部で全体像を学んだことがあるだけです。
知識のハブになる人たちは、「経済学者にはわからないだろうが」みたいなマクラのポエムを書く暇があったら現代の主流派の通説ぐらいは知っといてほしいです。(偏見まみれ)
さて、イギリスが国民投票の結果、EU離脱派が勝利しました。イギリス人が移民に雇用を奪われたことが原因だと言われたり、でも実際に移民が多い地域では残留派のほうが多かったりといった状況で、いろんな人が理由を分析しています。
私も、私なりに思い当たる理由を書いてみようと思います。というか小見出しにもう書いています。
財政赤字削減を公約に掲げて2010年に首相になった英保守党キャメロン首相の「改革」が、間違いなく理由のひとつになっていると考えています。
名誉白人様ことめいろまさんがEU離脱を解説した一連のツイートを読むとわかりやすいんですが、都市部のインテリ(気取り?)は、失業率増加や公共サービスの低下を移民増加と直接的に結びつけて理解していることがよくわかります。
移民が多い地域でむしろEU残留支持が多かったことからもわかるように、緊縮財政政策(政府がなるべくお金をつかわない政策)による不景気、公共サービスの低下が、なんとなくのイメージとしての排外主義を加速させるという意味で、経済学の視点からも学ぶことの多い出来事だったと思います。
クルーグマンの言葉を借りれば「欧米が日本の失策から学ばずに、日本よりひどい失策をしたことに対する反省と皮肉」というやつです。今度は日本が失策からきちんと学べるといいですね。
ここはちょっと箸休めです。あんまり関係ないから読まなくてもいいです。
よくニュースなんかでも使われる「財政再建派」という言葉があります。財政再建派という言葉は、財政政策(どこから取ってどこに配るのか)において、増税(特に消費増税)による税収増と緊縮財政を主張する人たちに使われる言葉ですが、すごく誤解を招きやすい言葉だなーと思っています。
消費税を増税すれば、増税した年の財政赤字を減らすことはできますが、消費を落ち込ませることにより不況の原因になります。
15年以上にわたるデフレ不況によって増え続けた国の借金を、単年だけの税収増でどうにかできると考えるなんて無理があって、好景気による税収増を続けていくことでしか財政再建は成功しないと私は考えているので、せめて「増税優先派」とかにしてくれないかなと思ってしまいます。
財政再建すべきという目的は変わらないのに、片方を「バラマキ派」、もう片方を「財政再建派」と呼ぶのはいくらなんでもなぁとよく思います。
さて、リベラルが主張すべき経済政策です。ここまで読んでくれた方はもうわかりきってるとは思いますが、「金融緩和と低所得者層や子育て世帯への財政出動の組み合わせ」です。
現政権の経済政策のアキレス腱は財政政策です。2014年のエントリーにも書きましたが、
雇用を増やして失業者を減らしたけど、それでもまだ失業している人や低所得者層への再分配だったり世代間格差の是正には興味がないのが現政権で、
再分配に興味はあるけどその原資のために景気を良くしたり失業率を下げるための政策を最後まで採らなかったのが前政権です。
金融緩和を継続するということを大声で主張しましょう。投票先のない経済左派が泣いて喜びます。
そーですね!(やけくそ)
私はリベラリズムが好きなので、候補者や政党が何をどう言おうが、候補者や政党が争点を決めることはできないと思っています。
それぞれの有権者が勝手に優先順位の高い争点を決めて、それぞれの優先順位にしたがって投票してしまいます。それでいいと思います。
その結果、全体としては、これまで有権者にとっての優先順位が高い政策は、雇用や福祉、経済でした。これからも変わらないでしょう。
このことは、本来ならリベラル政党にとってはありがたいことのはずなんです!だって雇用を増やして失業率を下げる政策を主張すれば勝てるんですから!!
なんで勝てないんだろう!?雇用を増やす政策を主張してないからですね!!!
雇用が争点になったら困るリベラルって斬新ですね!!!!新しい!!!!!
本当に情けない、悲しいです。経済左派が雇用を最優先に投票先を選んだら、自民党に投票するのがもっとも合理的になってしまうんです。
相対的に一番ロジカルな経済政策を主張してるのが自民党だからです。
しかも、ここまでに書いたように、よりロジカルな主張が存在するのに、私はそれを主張してほしくてしょうがないのに、リベラルなはずの政党たちは逆方向に全力疾走してます。
自民党一強の状況を、右傾化とかそういう言葉に回収して馬鹿にすることに意味があるとはまったく思いません。
自民党も安倍首相以外の執行部は緊縮財政派がずらりと並んでますし、次の総理が経済で失政したら政権交代のチャンスも生まれるかもしれませんね。
それまで寝て待ちましょうか。そのときにはどんな党名になってるんでしょうね、すごく楽しみですね(棒)
岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物がtwitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。
これが非常に面白いのだ。
そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性と彼氏彼女の関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。
もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的に岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得だ自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。
しかし、この暴露漫画がtwitter上で話題になると岡田氏批判と擁護が拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)
何故なのか?
この疑問こそが僕の出発点だった。
僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定派である。
のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。
何故、岡田氏擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。
これこそフェミニズムとネオリベラリズムのねじれ現象だと思うのだ。
批判派の論理はフェミニズム的思想によって行われ。擁護派の論理はネオリベラリズム的思想によって行われているのだ。
しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムとネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)
もちろんフェミニズムもネオリベラリズムも一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニストは基本的に自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム的思想とも
フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史、伝統、文化、国家などを解体し国境や国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争し貿易し取引し資本を儲けるという考え方なのだとしたら、
フェミニズムにとって邪魔な伝統や文化、家や血、身分や階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。
つまりフェミニストの大半はおそらくグローバリストでありネオリベラリストなのだ。
ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。
岡田氏擁護の論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性の自己責任であろう、と。
これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。
さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。
最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである。
そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い。
フェミニストがネオリベラリズムに正当性を与えネオリベラリストがフェミニズムの理論を武装したのである。
ネオリベラリズムの思想のなかには間違いなくフェミニズム的思想を取り込んでいるし。フェミニズムのなかにもネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。
しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループの人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムとネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)
そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。
もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感で不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田はパワハラで性暴力で女性の敵! といった意見)岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想に正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずにはいられないのだ。
これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。
歴史、伝統、文化、国家からの開放という理念、男性社会からの開放という思想は
国家主導の経済政策ニューディーラーやケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストをフェミニストは利用し、
男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用や外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。
そして行き着いた先これである。
自由と平等を過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ。
クルーグマンもスティグリッツも最近話題のピケティも言っている格差問題はネオリベラリズムによるところが大きいが、
フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。
ネオリベラリズム的政策に正当性を与えたことは言うまでもない。
僕は今フェミニストがネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストがフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。
だからこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズムの思想によってフェミニズムの目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食にさらされるという事であっても……。
別に男と女が対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?
フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田氏擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定し資本による自由平等を批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分で自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ。
家や見合いを否定し自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。
金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的な帰結だろう。
このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間や岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。
男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。
弱肉強食と男女平等が共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストとネオリベラリストの理想郷であることは疑いようもない。
日本のオワコン化がとまらないということは何度でも確認しておこう、見せかけの希望に騙されないために
http://sencha77.blog.fc2.com/blog-entry-282.html
↑こういうの
いや、こう言いたくなるのは分かるんだけどさあ、10年くらい前からずっと言われてるんだよ、これ。
日本に色々問題があるのは分かるんだよ、でもね、そういう問題をパッと解決する必殺技なんてないんだよ。
言っておくけど格差化は日本よりアメリカの方が酷い事になっているぜ。ノーベル賞経済学者のスティグリッツが言ってるじゃない、アメリカは1%の富者と99%の貧者の社会だと。
ユーロはユーロで失業率は絶望的に高い。若年者失業率が20%とか30%とか、仕事を学ぶのに重要な年代を失業して過ごさなきゃならない人間がそれだけいるって事だ。ユーロは10年後に良質な労働者になる可能性のある人材を無駄にしている、そしてそれはユーロ圏の長期的な成長力を弱める事になるだろう。
もちろん俺は「他の国の方がよほど酷い」なんて言うつもりはない。
この手の話ってのはネット社会のそこら中にあふれている。
でも、たとえば反貧困活動をしている湯浅誠氏や病児保育NPO法人フローレンスの駒崎弘樹氏のように、よし、俺がやってやると活動している人はどれくらいいる?
せめて政治家と話をしたり嘆願書くらいは書いているのか?
最近TPPについて知りたいけど何の本を読んだらいいのか分からないという人がTwitterに散見されるので
TPP賛成派も賛成の立場から何かお奨め本があればお奨めの本を付け加えていくといいかも
必須2冊(TPPについて考える前にアメリカのこれら有名経済学者の影響を受けた人達がどう考えるか
ということを感じておくべき)
「フリーフォール」グローバル経済はどこまで落ちるのか スティグリッツ 定価1800円+税
経済学部以外の人が初めに読んでおいた方がいい本(下に行くほど読みやすい。ただし教科書に書いてあることを
そのまま鵜呑みにしないこと )
「スティグリッツ マクロ経済学」といいたいけど・・・5040円と高いので余裕があれば
ナツメ社の「図解雑学 マクロ経済学」1365円をおすすめしておく
「アメリカの高校生が学ぶ経済学」クレイトン 2520円(「比較優位」について分かりやすく書かれている)
何を守るべきなのかというラインを見極めるための1冊
「ルポ貧困大国アメリカ」堤 未果 735円(アメリカとメキシコがFTAした結果生まれた悲惨な状況やアメリカの貧困構造詳細 2巻はまだ未購入)
現代農業 2011年4月号の関良基さんが書いた「飢餓を生み出すTPP」という記事 バックナンバー800円+送料120円
アメリカのやり口について読んでおきたい2冊
「売られ続ける日本、買い漁るアメリカ」 本山美彦 1300円+税
「仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理」原田 武夫 税込1500円
その他目を通しておいた方がいい2冊
・巷にあふれるトンデモ経済本と見かけ上大差ないチープな論争本の量産。ターゲットの一般人にはその質が他とどう異なっているのか判断しようがない
・クルーグマンがスティグリッツが・・・・・・、とお馴染みの名前の列挙。それはいいけどなぜ海外のジャーナルに査読論文を載せたり、そういう大御所たちと直接意見交換したり、自分たちの権威をアップさせるような実績を積まないのか
・ツイッターで公開内輪悪口大会、被害妄想と陰謀論と終末論の嵐
・友敵区別の過激化。カンタンな行き違いで「敵」認定して常軌を逸した罵倒の嵐
この局面で、ファナティックな先鋭カルト集団化への道を自分たちで選んで突き進んでおいて、「リフレ派が世間に受け容れられない」とか自己憐憫に浸るのは、ちょっと違うだろとしか言いようがない。
そろそろ四月ということで、職業としての「プログラマ」になる方も、はてな界隈では多いでしょうか。なにはともあれおめでとうございます。マの世界へようこそ。私も4月になるので、心機一転頑張りたいなと思い、働いて学んできたことや言われてきたことなどをつらつらと書き出します。
仕事のルールはたくさんあります。その中で座右の銘ではありませんが、指針となるような一つ目標があるといいでしょう。私が念頭に置いているのは「三年後に気持ちよく転職できるようにする」ということです。結構移り気が激しいタイプなんですよね。でも人には嫌われたくないという。「気持ちよく」というのがポイントで、会社を「気持ちよく」辞めて転職するのは今までに辞めていった先輩をみていてもなかなか大変そうです。「気持ちよく」辞めるための仕事術を「上司」「同期」「後輩」「自分」という点であげてみました。大切なのは「気持ちよく転職できるようにする」ために周りの人を気遣いそれを示すことで「あいつはよく頑張ってくれた」「次も頑張ってもらいたい」「また一緒に仕事をしたいな」と思ってもらい惜しまれつつ転職できるようにすることです。
あなたの上司は仕事全体の進捗の管理とメンバーの割り振りを考えます。そのために各人に割り振った仕事の進み具合や仕事量に無理がないかを把握する必要があります。あなたはそれを考えて、自分が行っているタスクの状態をきちんと上司に報告しましょう。現状に無理があるようなら、その状態と代替策を上司に相談しましょう。
大抵の人は忙しいのと、別の問題で頭を使っているため、きっとあなたが頭を悩ませて質問したいと思っている、その特定の問題について、あなたほど深く考えていないでしょう。そんな時にただ質問も投げられても、相手も一から考えてしまうので、お互いに負荷が高くなってしまいます。それで相手のことを考えて、技術的な質問や方針などの相談の際には質問の後に「こうしてみようと思う」「この点が問題なのでこうすれば解決するはず」など、それなりに自分の答えをもって、質問や意見をすべきです。そうすれば相手もそれをベースに自分の意見や経験を考えながら伝えることが出来るため、あなたの質問に答えることがそれほど重荷ではなくなります。
楽しく笑顔で働きましょう。笑う門には福来るではないですが、多くの人は笑顔に惹き付けられるものです。また上司も基本、自分の舵取りでメンバーが楽しく仕事出来ていると思いたいものです。それに応えましょう。
会社には多くの場合、コーディングルールやドキュメント規則があります。「こうしたほうが早いのになあ」とか「こんなのクールじゃない」とか考えることもあるでしょうが、ルールに従いましょう。3年後に後輩に「ここはクールじゃなかったらこうした」と説明するのは大変ですし、きっと3年もたてば、その「クール」も変わっているはずです。もしどう考えても効率が悪いようなら会社のルール自体の改善を訴えましょう。
上と矛盾するようですが、急ぎ仕事(こればかりやる会社もある)をやる場合は、ドキュメント不要ということもあります。そんな場合でも最低限の仕様等のドキュメントの記録を残しておきましょう。引き継ぐ後輩に口頭で伝えるのは手間というより、忘れている部分も増え、伝言ゲーム状態になります。これは、人日を割当られていないのにやるわけですから、ちょっと大変ですが、意識しておきましょう。
自分がどう考えて、どう上司とやり取りをしていたかを簡単な記録でいいので毎日つけましょう。将来の後輩が見た時にきっとそれが、励ましや何かのヒントになるはずです。
自分についてはこのひとつだけ。失敗をしないのは仕事をしない人だけです。三年後にはどうせ転職するのですから、失敗をおそれずルールを守りながらも常に新しい何かを探して創りだしていきましょう。そうすれば転職の際に自分はこういう挑戦をしてきたという自信が出来ますし、以前の会社で思い切れば未練なく辞めることが出来ます。
失敗は怖いですが、それを少し減らす方法として「失敗を想定する」プログラマ的に言えば「例外処理」を考えておくというのがあります。人はわからないものは怖いですが、失敗した、間違いを犯した場合はこうすればいい、最悪こうなるということがわかっていれば、その恐怖は減るものです。そしてその「例外処理」を書きおわったなら、明日のことを考えて、思い悩むのは辞めて、その日、その日の仕事を頑張りましょう。
仕事の進め方について書いてみましたが、冒頭でも述べたように、プログラマは一サラリーマンである以上に一職人です。プログラムについての勉強を常にしましょう。勉強は会社をやめても人を裏切りません。プログラム言語についてはもちろんですが、それだけではありません。仕事をしているとついつい忘れがちになりますが、基本的なデータ構造とアルゴリズムやデータベースの仕組みやネットワークの仕組み等の計算機科学を知っておくことが大切です。またプログラムの組み方については、デザパタやエンタープライズアーキテクスチャパターンなどを知っておくと仕事をすすめやすいでしょう。
私のおすすめは「勉強会駆動勉強」です。何か勉強したいな、身につけたいなあと思うことがあったら、それをテーマに近くのコミュニティの勉強会の発表申し込みをします。人に教えようとすると自分のものにしなければいけませんから必死に勉強します。するとその知識が身に付くのはもちろんこと、その分野について詳しい人と周りに思ってもらえるかもしれず、また第一人者からアドバイスを受けることもできます。なかなかの一石三鳥です。
勉強のことについて、最初と逆になりますが私たちは一職人ですが一サラリーマンです。ハッカーといえど、社会人としての基本的な知識である英語や数学や経済学をおさえておきましょう。経済学は感覚とは違う部分で社会が動いていることがわかり、おもしろいです。私のおすすめは「スティグリッツ入門経済学」ですね。また習慣として毎日のニュース(日経)や週ペースの経済雑誌(東洋経済等)を読んで、基本的な現代経済をおさえておきましょう。自分の仕事を社会の目から客観的におさえることが出来ます。
最後に。仕事のことや勉強のことをたくさん書いてきました。しかし、仕事に最適化しても人生はおもしろくありません。運動を適度にし、自分の趣味を見つけて興味を持ち(私はアニメとラノベ読み)、いろいろなことを学んで、楽しみながら人生を過ごしましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
マンキューやスティグリッツや中谷巌は経営学の分野に入るのか?
聞いてきたのは貴方なんだが…
細かい分類っていうけど経済と経営は字体が似てるだけで別物です。
元々「知識と基礎は別物ですよ」という本題の中での揚げ足取りと言われればそうですが
掘り下げたのは貴方ですし…別に絡んでるわけではないですよ。
経済学の知識は必要だから齊藤誠やローマーの本を読め、と俺が言えば満足なのか?
マンキューやスティグリッツや中谷巌と言ったのは、単に彼らが書いたマクロ経済学の基本テキストを指してるわけで、まさかそのことを文脈から読み取れなかったわけじゃあるまい。
いちゃもんをつけたいがために無理やり絡んできてるように見えるんだが、どうなんだ?
経営学ってのは日本独自のカテゴライズだから経営分野っていう言い方をしたんだけど
マンキュー、スティグリッツ、中谷巌は実践主義者で行動経済学≒経営理論に重きを置いている著者ではないかと思います。
最近はその手で学術、科学的な一般経済学を経営者視点に置き換えた書籍が流行していますが、
厳密に「経済学」というのはマクロな視点で科学的や数理的なメカニズムを追ったものなので
今回のような文脈で用いられると違和感があることは間違いないです。
貴方が推薦している書物はすべて経営分野のものなので誤解されているようでしたら訂正。
マンキューやスティグリッツや中谷巌は経営学の分野に入るのか?
ちなみに私の考えでは
これは「戦略サファリ」の言うところの「デザイン・スクール」または「プランニング・スクール」で、著者の言うように問題の多い(主に柔軟性の面で)考え方だと俺は思う。
ん?技術者に求めている基礎は、今言ったように経済学やファイナンスの基礎だよ。
ファイナンスについては、俺が読んだ中ではグロービスの「MBAファイナンス」っていう本が良かった。
もう少し簡単な本だと、「証券アナリストのための企業分析」っていうのがいいかも。
経済学はマンキューなりスティグリッツなり中谷巌なり、よくある基礎の本を簡単に読めばいいかと。
(どうでもいいけど、IFRSっていう新しい会計基準は、考え方がかなり理系っぽくて面白い。全然詳しくないんだけど。)
数学の基礎は高校の数学ⅡBくらいかなあ。解析の基礎と論理学の基礎とあと確率論の基礎は必須だと思う。
最近のカリキュラムはどうなってるのか知らないけど。これだけだとモデリングの経験が足りないから、その辺は適当に補完する必要があると思う。
あとは個人的には、複雑系のダイナミクスとか集団現象の統計物理学みたいな部分はイメージだけでも知っておいてほしいなあと思う。
その後、スティグリッツやクルーグマンが新自由主義批判を行いますが、ここからは日本に焦点を絞って考えようと思います。
日本人は元々「ワーカーホリック」と呼ばれるほど異常に働いてきましたが、
なぜかと言うと日本は経済成長のおかげで、ほぼ非自発的失業がない完全雇用に近い状況にあり、
「働きすぎによって他者の雇用機会を奪う」社会への悪影響があまり認知されてこなかったことが大きな要因のように思います。
しかしその中でも若い人たちの間で、特にバブル期頃から
「自分らしさ」とか「がんばれば夢はかなう」といったような主張をan・anやHanako系の雑誌が行い
フロムAが「フリーター」なる造語をつくり「アルバイトでも正社員でもない第三の働き方」とポジティブに扱うなど、
「脱・社蓄的働き方」志向は芽生えてきていたように思います。(香山リカ調べ)
しかし残念なことに「社蓄」の皆様は自分たちの働き方を否定するような彼らの生き方を
「いつまでも夢見てるんじゃない」、「早く大人になれ」などと非難し、
彼らの生活が困窮したときにも我らが日本人が大好きな「自己責任」論を浴びせました。
しかしバブル崩壊の大波が彼ら正社員たちにも大きなダメージを与えました。
企業は正社員をコスト削減の名の下に非正規労働者へと変えていき、労働者の平均賃金は上昇しなくなりました。
ここでケインズの主張に立ち戻ってみると
「むしろ賃金の引き下げが総有効需要の構成要素であるところの消費と投資を減少させ、雇用状況をかえって悪化させる」
という負のスパイラルが日本の不況をさらに悪化させた側面は否めないと思います。
ケインズは賃金引下げが総需要を引き上げる効果を持つためには資本の限界効率が上昇する必要がある、としていたため、
フリードマンらにが将来にわたる所得が消費を決定付けるという仮説の下では総需要は増加する、と反駁されていました。
しかしながら、フリードマンらの「恒常的に得られる所得」というのはすなわち身分の安定がもたらすものです。
したがって所得が不安定化したばあい、消費が収縮し、貯蓄傾向が増し、投資が減少するのはありうべき事象でしょう。
こうなると負のスパイラルから、一度正社員の身分から脱落した人間、または正社員になれなかった人間は
なかなか正社員の身分に戻ることができません。
本来は供給過剰に陥った社会の需要を喚起して、失業者を正規労働者へと回収していかなければならないのに、
経済が成長していかない状況になると、企業は新たな投資(人材含む)を行うことに躊躇し、
利益を出すためにコストをカットし、ますます投資と消費を減衰させました。
企業はバブルの教訓から、労働者雇用の硬直性が不況時に大きなダメージをもたらすことを警戒し、
オリックスの宮内氏に代表されるような企業側の圧力から、政府は1999年、2004年に構造改革の名の下に
労働者派遣法を改正し、対象業種を拡大し、製造業においても派遣が認められるようになりました。
2008年の金融危機以降、本来労働者の味方であるべき労働組合は
正社員の雇用を守るので精一杯、と派遣切りに対して何の行動もしてきませんでした。
これははっきり言って組合と使用者の「共同犯罪」だと思います。
2008年の10月以降の失業者のうち、
正規雇用者は僅かに6000人、非正規雇用者は12万人以上といわれています。
労働組合がこのような事態を甘受していたのは明らかです。
このようにバブル崩壊以降、日本の労働組合は自らの権利を守るために、
他者を犠牲にする、という戦略の上に使用者側と交渉をしてきました。
この状態こそが、ブラックに勤める正規雇用者を我慢させる要因だと思うのです。
正規雇用者(労働組合を構成)は自分たちが誰かの犠牲の上に守られていることを自覚しているため、
自分がその犠牲者側に回ることを極度に恐れているのではないでしょうか?
しかし正規雇用者がそのように思うのはあまりに当然で、非正規労働者は実際にその労働に対して十分に報われていません。
ここで注意したいのは非正規雇用者にとっての正規雇用者も、正規雇用者にとっての非正規雇用者も
憎むべき敵ではなく共に働く仲間である
という当たり前の事実です。
これを憎んでしまうと、非正規雇用者は正規雇用者の権利を奪おうとするし、
正規雇用者はますます非正規雇用者との関係をとろうとはしなくなるでしょう。
非正規労働者が「不当な扱いを使用者から受けている」わけです。
そのことによる労働ダンピングによって正規雇用者もまた苦しんでいます。
非常に当たり前のことですが、労働組合の力とは組織率、数の力です。
非正規雇用者と正規雇用者は対立するのではなく、共闘すべき存在なはずです。
ここまでを整理しますと
①日本は戦後ずっと右肩上がりで成長してきたために、失業問題に大きく悩まされる時期があまりなかった
②それがゆえに社蓄の害が単に個人の人生観に回収され、社会的問題とならなかった
③バブル後の増加した非正規雇用者の悲惨な状況を見て(または未必に協力して創出し)失業への強い恐怖を抱くようになった
④失業への強い恐怖から、不当労働行為を甘んじて受ける(法律上は勝てても経済体力的に持たないという理屈もあるだろう)
という流れかと思います。
提言編に続きます
(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)
理系学生の書斎が安藤忠雄の建築事務所(研究所)みたいな資料の山だとしたら、
文系(特に法)学生の書斎は立花隆のネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。
何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。
冗談半分でさ。
仔細に文系 (特に法)学生の本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww
まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司『権力の予期理論』!(笑)
プゲラを抑えるのに必死だったぜ。
続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤&柴田の司法試験論文対策即席要点集(笑)。
お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。
カント・マルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)
我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法&商法(笑)新堂民訴法(笑)
○○学がわかるシリーズ(プッ)
フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー)
仏露独蘭伊中国語辞典(笑)
トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)
柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)
別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一(ワラ)シェイクスピア文庫(笑)
田中行政法(笑)中公『世界の歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)
女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)
magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)
Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)
Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)
The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)
これだもんねぇ。
他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
ピーター・ドラッカー(笑)
ピエール・ブルデュー(笑)
フォーリン・アフェアーズ(笑)
知の論理!!(笑)
もう俺その場で大爆笑。
プゲラー止まらなかったぜwww
ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)
岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)
リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレー・ヴェイユ・セール・ブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション)
東京化学同人『分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)
プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)
これだもんねぇ。
他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
日経サイエンス(笑)
ニュートン(笑)
数学セミナー!!(笑)
もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。
あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。
せめてNatureくらい読めよな、
文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ケインズ学派から「構造改革」派が議論を横取り? 不況政局に利用
それが政府紙幣発行をめぐる賛否両論、とくに自民党内に議員研究会が設立されると、こんどは旧小泉スクールにも飛び火し、竹中ブレーンの一人と言われた高橋洋一(東洋大学教授)が、突如、政府紙幣発行の旗振り役を演じだした。
もともと丹羽理論を応用するかのようにノーベル経済学賞の二人が新政府発行論を揚言した。スティグリッツとクルーグマンだ。とくに後者は政局の変動にカメレオンのごとく説を曲げる、変える、豹変する。ところがクルーグマン信者が日本のエコノミストに多いから始末に負えないのだ。
日銀の08年末の資金供給量は101兆2610億円。3年ぶりに100兆円の大台を超えている。これは金融機関などの資金繰りを支える目的で、とくに年末資金を供給した。量的緩和政策である。
具体的には金融機関の日銀当座預金の残高と、紙幣や貨幣の残高の合計が通貨供給量。 日銀は2008年11月から当座預金の一部に0.1%の金利を付けている。当座預金に金利がつくというのは異常事態である。(或る意味で、この措置は政府紙幣発行が別のかたちの国債発行であるとすれば、同様な効果がある)
そもそもの政府紙幣発行とは、太政官札による幕末維新の藩札の統一が近代日本では嚆矢であり、江戸の金銀小判の流通がやんで、紙幣経済が日本に落ち着いた。日銀はまだ無かった。
丹羽説は総需要喚起、あまっている生産体制を稼働させ、実効需要を増やせとするケインズ理論の延長にあり、純粋に学問的仮説なのである。
ところが、これまで顧みられなかったこの議論、クルーグマンのインフレ目標値などの珍説とともに米国内の議論をみて、あわてて飛びついてきた経済学者、エコノミスト、ジャーナリストらの大合唱が巻き起こり、状況が激変したのだ。
政府紙幣発行議論は自民党内で白熱し、細田博之幹事長は記者会見で「そんなことができるなら毎年30兆円ずつ発行し、(国・地方の)800兆円の借金を全額返したらどうか。空理空論で意味がない」と否定的態度を表す(2月2日)。
一方、前向きなのは菅義偉・選挙対策副委員長ら。「これだけの危機の中、政治主導でいろんなことがあってもいい」と含みを持たせた。
こうした政府紙幣発行議論に対して日銀の白川方明総裁は否定的。
「通貨に対する信認が害される恐れがある」と強調したうえ、「政府の債務返済能力への疑念から「長期金利の上昇を招く」とむしろ副作用の危険性を指摘した。
▲日銀は当惑どころか明らかに反対
白川総裁は政府紙幣が市中で流通した後、日銀に戻ってきた紙幣を(1)政府が回収する場合、(2)そのまま日銀が引き受ける場合があり、それぞれ問題があるとした。
現在、10円、50円、100円、500円などの硬貨はまぎれもなく「政府紙幣」であり、日銀に還流してきた硬貨の一部は政府が日銀から回収している。
政府が日銀に回収分と同額の財源を渡しているが、政府紙幣も同じ仕組みになると、「(発行額に見合った)資金調達が必要になるという意味で国債の発行と実体的に変わらない」(白川総裁)
財務省の杉本和行次官は「政府紙幣は財政規律との関係から慎重な検討が必要。発行には法改正もいる」と官僚らしく面倒臭そう。また財政法に抵触する可能性があり、貨幣法の改正が必要だろうと手続きが輻輳する可能性にも言及した。
私見を述べれば、アカデミックな議論が、突如、政局に利用されている感じが否めない。もともと丹羽春樹教授の「政府貨幣発行による打ち出の小槌」は、学説であり、政治のレベルに降りるときは必ずしも学説通りに実行されない。与野党の妥協の結果、かえって中途半端な実行がなされると(まさに高橋洋一説は丹羽説の歪曲)、景気回復に繋がらない可能性も出る。
丹羽春喜教授の仮説は、そのまま実施される可能性がないゆえに、かえって危ない。
ちょうどドル円固定相場の復活論に似ている。つまり固定相場制というのは、理論的に正しく、しかし運用されると猛烈な投機がおこる。人民元相場がまさしく、その犠牲であり、固定の枠内で投機筋は通貨を商品と変える“商機”をそこに見いだすからである。
クルーグマンが金融政策がきかないといっているとしている。しかしソース読めばわかるようにと80年代にやったような金融政策はゼロ金利なので無効っていってるだけ。スティグリッツの話もインフレが「輸入」されているから、インフレ管理としてのインフレターゲットには意味がないといっているだけ。どちらも景気対策としてのインタゲについては言及していない。
インフレターゲットは導入すべきでない
多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲットを日本も導入するべきだという声が一部にはある。
中央銀行制度は宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、
彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。
しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、
彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。