はてなキーワード: 児童とは
規制したいなら、幼児型ラブドールが小児性愛の原因になっているという説を裏付けるような誰の目にも明らかな科学的データを出せばいいのにな
実際にはポルノが無かった時代のほうが性犯罪が酷かったとか、架空児童ポルノまで禁じてる国(カナダ等)のほうが実在児童への性的加害が多いとか
そこまで本気じゃない人も含まれるので、規制には意味がないわけではないよ。理屈に過ぎないけど。
そもそも小児性愛者等、性癖で差別するのは問題だって思ってる人がいるけど、痴漢はじゃぁどうなるの? 強姦などの犯罪でしか満たされない人は?
被害者がいないじゃないかって言うけど、売買春だって被害者はいない。
或いは全然犯罪にならないけど、無理やり中出しする人はいいの?
性を甘く考えないで欲しい。
自分ではただ人形を愛しているだけだと言っても、それを今は信じられたとしても、将来を問われて信じられる? 全員が全員そんな人なわけ?
俺は痴漢なんかしないと言ってる人が痴漢していたなんて事件はざらにある。
人間は欲望をそんなに完璧にはコントロールできない。依存症がそのいい例だ。
人間なんか信用できない。
だから出来ることはやって欲しい。幼児セックス人形は製造も販売も所有も禁止すべき。
恨むなら犯罪者を恨め。
既に規制している国は多くあるのだから、とっとと実行してもらいたい。
あとカウンセリング云々の話もあったけど、性犯罪者一般を対象にそれら治療的な対処を行った日本の事例ではざっと2〜3割程度の再犯率低下しかない。それ故執着のきついと考えられる児童性犯罪者はそれより低下率は低いと考えられる。
増田が人形が趣味なだけだといくら主張したところで、誰がそんなの認めるんだ? ということだよ。
ここやブクマカはそりゃ賛同は得られるかもしれない。この人達の大半はエビデンス派みたいなものだからな。
だが世界は違う。
児童性的虐待犯罪は絶対になくさなければならないと大勢が思っているのだ。
驚くほど多いのである。あるデーターでは20歳未満の女性の1億人以上が性的虐待被害を受けている。
もちろん、詳細なデータも見ていく必要はある。親に依るものが結構多い、など。
児童に性的興味を抱いたりするような、そうした傾向を持たないで欲しいのだ。そのきっかけさえ奪ってしまいたい。
どれほど、性的虐待を受けた子供が生涯に渡って深刻な影響を受けるか考えたことがあるだろうか?
増田がもし本気で趣味を守りたいと思ってるんだったら、たとえ規制されても闇からでも仕入れるだろうし、自分でなんとかするはずだ。
甥っ子姪っ子もいて、それとは関係ないって、そんな考え方よく出来るなと思う。
もしその子どもたちが性犯罪被害にあって、犯人の部屋に幼児型セックスドールがあったらどう思うのか。
児童性癖への興味を駆り立てるような漫画を簡単に入手してしまえる。
児ポ法の時は肝心なことを議論できないで、枝葉末節の部分で批判を食らって結果野放しになってしまった。
無関係だという主張も成り立つかも知れない。
だけど、それでも規制すべきだと思う。
「幼児型セックスドールの生産・販売・の廃止を求めます。」という署名活動がchange.orgで行われている。
①日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児型セックスドールの製造・販売・所持を規制すること
②小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組み
③ECサイトなどに未だ販売される【幼児型セックスドールや児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】
以上3つを求める署名活動だそうだ。
②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。
案の定Twitterでは「人形は実在の人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在の児童を守るための法律であり人形の摘発に労力を割かれているうち実在の児童を守れなくなる」「表現の自由の侵害だ」などの批判が出ている。
たしかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュアは非実在の人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(https://togetter.com/li/942630)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。
けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。
一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名に賛同した人たちから見れば「幼児型ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。
だから、私はこの署名に活動には反対である。彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナーの人形たちを守るためだ。
そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。
無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドールの規制は私にとってパートナーの喪失であり、個人の性的嗜好の否定に他ならない。性的嗜好は個人を構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。
だから、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナーの喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから。
当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。
もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。
身長・体型など、「その人形が幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。
ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。
基本的にドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したときは一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的な用途のない比較的小さなサイズのドールでも同じだ。
つまり、ドールの体型というのは不定であり、「幼児型ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児型ラブドール」の出来上がりだ。
また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後のドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドールを性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的なものではない。念の為に付記しておく)。
この1/3ドールは身長約50cmと新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児の身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすさから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。
また恐ろしいことに、ほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。
だとしたら、性的用途でないドール、高身長かつ成人体格のドールでも「幼児型ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか?
これが、私の恐れている規制の形だ。
私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児型ラブドールの規制がなされ「身長●cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長の人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女の本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。
けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児型ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能な人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。
また、ラブドールは基本的に重量がある。シリコン製のものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。
「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間が意識的に動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかしドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要なものだ。40kg台ドールのオーナーの中には家の天井にウインチを設置している人もいるという。
私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。
ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。
けれども、私は人形性愛者なのだ。人形は人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmのドールを迎えることにした。
130cmのドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛者なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。
けれども、知っておいてほしい。幼児型ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。
純粋に幼児の外見が好きなもの、自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。
持病のために重いものを持ち運べず人間のパートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズの人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。
つまり、「幼児型ラブドール」という曖昧なものを批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。
②人形への愛のなさ
この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつの無意識がみられる。「ラブドールは実在の人間に向くはずだった性欲をぶつける代替物である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児型ラブドールを持つものはいずれ実在の児童を害すると考えている。
私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそれ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女の意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやかな幸せを得ている。それはエゴでしかないかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしかに彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能なものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。
彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。
ここに、全ての人間の性的嗜好の対象は人間であるという傲慢さを感じてしまう。
また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情が法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか。
以上が、私が幼児型ラブドールの規制に対して感じた違和感についてである。
もっと述べたいこともあるが、話がまとまらず蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。
大前提であるが、私は現実の児童への虐待は絶対にあってはならないことだと考えている。
私自身はラブドールの彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりである。しかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対に犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟で制裁を加えるつもりだ。
人形と人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形を人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。
そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。
また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人形性愛者に対するカウンセリングやセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。
人形と生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから。
【5月27日再付記】
公務員のような敵を叩けば解決するというのは新自由主義の一つで誤りだよ。
「公務員の待遇を悪くしたらいい!」という話には一切賛同できないよ。
金回りを良くして、労働需要を上げて、民間で人の奪い合いが起きて賃金と待遇が上がる。その結果として公務員の価値が下がるまでは賛同できる。
しかし公務員の待遇を悪くしたらいい、というのは金回りの低下、萌芽・基礎研究の崩壊、教育の崩壊、医療の崩壊、児童保護の崩壊を通じて我々の生活にまで悪影響を与える。
だから下げようとするのが間違ってんの。
「改革だ!」といって、本来は労働需要、財サービスの需要が高まり、競争力のある中小企業や労働者の立場が強くなる方向にするのがいいのだが
過去について、ただ目に見える問題こそが対処するべきだと叫ばれた。だけどその結果は、ただ公務員たたきをして、公務員が担っていた基礎研究萌芽研究や、医療、福祉、介護、児童保護などがめちゃくちゃになった。さらに金回りが悪いのも放置された。
きちんと金を循環させる方向に導かないとならない。そして公務員の待遇を下げたところで国民は幸せにはならない。
労働需要、財サービスの需要が落ちることにより労働者や、多少競争力のある中小企業の立場が弱くなり、ただ労働者や商品を買いたたく金持ち富裕層の立場が強くなるだけ。
3年生への物言いが酷い。脅すなよ。 pic.twitter.com/LLvlqBVo7k— ちえぞう (@chie_zou) May 12, 2020
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E9%BD%A2
「満6歳の誕生日を含む日以降に最初に到来する4月1日から就学する」こととなる。
なので4月1日に満6歳になったタイミングで入学できる。としか読み取れないんだけど続けて次の文章になる。
よって学校法上の小中学校は原則として、同じ学齢(1学年)は4月2日生まれから翌4月1日生まれまでの児童、生徒で構成される事になる
よってと書かれているんだけど。私の見間違いですか?よらないよらない。
同じ行の最初に書かれている通り、当日を含めてるんだから4月1日生まれは同じ学年に入る。
他の雑学サイトも、当たり前だよねーみたいに書いてるけど全然理解できない。
4月1日に満6歳になるんだから、法律に書かれているように当日を含めてその日が、「満六歳で訪れる最初の4月1日」になるので6歳の誕生日とともに入学するはずでしょ?どこをどう計算したら早生まれになるの?
之より社中の気風益ますます固結して曾かつて動変することなく、
爾後じご王政維新の太平に逢い又無数の事変をも目撃したれども、
報国致死ちしは我社中の精神にして、
その由来一朝一夕に非あらず、
蓋けだし社中全体の気風なりとは雖ども、
仁三郎君の一言亦重しと云うべし。
第二章 「貧富を問わずに人才を作るは、前金を払うて後の苦労の種子を買うもの」
「最も恐るべきは貧にして知ある者」
「報国致死はわが社中の精神」
─労働権を軽視する福沢女性論は男女平等論とは無縁である」216
─偕老同穴論が前提されている 226
「夫婦間の権利については、条文の規定一点の疑いを容るるところなく」
─「女徳」へのこだわり 234
「内実は不品行を犯すとも、これを秘密にして世間の耳目に隠すべし」
─ 239
─良家の娘を守るために公娼制は不可欠 242
─薄幸な貧しい女性をそこまで指弾するか?! 251
給付金の申請に関する告知、絶対に足りて無かったと思う。総理が「オンラインでも申請できます」くらいしか言わなかったために現場にめちゃくちゃ負担がかかってる。
【政府広報で伝えるべきだった項目】
・マイナンバーカードができるまでには申請から1〜2ヶ月かかる。まだマイナンバーカードを持ってない人は、給付金の申請を郵送でした方が良い。
・そもそもカードリーダーのあるパソコンか、おサイフ機能があるスマホがないと申請できない(どちらも持ってない状態でどうしたら申請できるか聞かれたことがあった)
・マイナンバーカード持ってても事前に電子証明が必要。ない場合は自治体で申請する必要あり。5年で失効するので、失効したら再度自治体で更新する必要あり。
・マイナンバーカードの有効期限は10年間。今のところ期限切れになってる人はいないはず。(有効期限について聞かれることあった)
・4月末はさほど無かったのに、5月に入ってから突然マイナンバーカードに関する相談が急増した。前々からオンライン申請にはこういった条件が必要だから、お早めにご準備くださいと告知しておくべきだった。
いまだかつてやったことがなかったオンライン申請に関する不備不具合多発すること分かってたんだから、十分な周知を行うべきだった。
ただでさえ自治体には、銀行の融資関係とか児童手当、補助金の申請で納税証明書とか所得証明書、印鑑証明書等必要な人がたくさん来ていて過密状態なのに…と思う。
子供の人数と同じだけPC(それに類するタブレットなどの機器)があり、
そういう環境を用意できる家庭がどれだけあるかっていう話です
アンケート取ると、家にネット回線引いてなくてスマホの従量課金制のネット環境しかない家庭
カネを突っ込むなら間違いなくそこでしょう
文科省は文科省でオンライン授業を単位として認めて欲しいのですが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4685562842362870114/comment/kazkaz03
これは間違い。というか、気の毒だが b:id:kazkaz03氏が参照した日経がガセ。
日本経済新聞 「対面指導」の原則 崩さぬ文科省 高校の単位認定制約 オンライン授業に壁
https://r.nikkei.com/article/DGKKZO58335730R20C20A4EA2000?s=3
対面指導なしでは原則、単位として認めない文部科学省の規制が高校側の消極姿勢につながっている。(略)
実施した科目は、その後に対面で内容を補う必要があるとも規定しており、文科省の担当者は「オンライン授業だけでは単位として原則認められない」という。
文部科学省 学校再開等に関するQ&A(自治体・教育関係機関の方へ)
https://www.mext.go.jp/content/20200423-mxt_kouhou01-000006270_1.pdf
① 学校が課した家庭学習の内容が教科等の指導計画に適切に位置付くものであること、
② 教師が当該家庭学習における児童生徒の学習状況及び成果を適切に把握することが可能であること
③ 児童生徒に、十分な学習内容の定着が見られ、学校再開後に一律の授業において再度指導する必要が無いものと校長が判断したものであること
を満たせば、学校再開後も改めて対面指導する必要はない、としている。分かってない人も多いだろうが、校長判断というのは、原則認めるということだ。
であって、さらに、
教科書と併用できる教材の具体的な例として、
と続く問65で明言している。要はClassiやスタディサプリでOKということ。もちろん教員のオリジナルICT教材でもよいだろう。
留意点として、
・教科書だけは意地でも配っとけ
があるが、現状、文科省はオンライン授業を単位として認めるよ、です。
まあ、校内のPCへのインストールはほとんどNGなはずなのに、zoomなんかを活用してるという学校はいったい誰のPCでやってんだろうね、とは思うが。