はてなキーワード: 風水とは
先日の続きを。
大手出版社でSEOのデタラメな医療記事を書いて辞めた私のはなし
http://anond.hatelabo.jp/20170129142538
新たに仕事をすることになったサイトは、“身近なリスク”に対応するということを標榜していた、出版社系のサイトだった。
以前アレルギー系の皮膚トラブルにも悩んだことがあり、関心のあるジャンルだったので希望がかなってうれしかった。
けれど、入ってみてそれは一変した。
まずは、専門家がいない。
ライターは、ライター業はやったことがあるけれど医療や経済の素人、または金融系の会社などに勤務したことがあるがライターは素人という人ばかり。怖いので専門家の取材を入れたほうがよいのでは?と話をすると、ギャラが払えないので、他のサイトを参照にしろと言われる。
スピリチュアルカウンセラーなる人が書く風水が悪いと病気になる記事とか、海外のトンデモサイトをそのまま超訳してガンになりにくい食事が見つかった記事とか。
引用すれば許諾を取らなくても大丈夫とマニュアルに書かれていたので、ライターは、「○○の過去記事や海外の○○を参考にお届けします」と書いて、最後は「いかがでしたか」で締める。が、もはや改変されすぎて、引用ですらない。
あとは、ゴキブリとかガンとかタバコとか臭いとか老けるとかの言葉を散りばめて、頭に、あっとかげっとかうわぁとか、どんな言葉をつけるとページビューが伸びるのかをひたすら、外注の会社に研究させたレポートを読む仕事。
記事は社員は一切読んでいない。今でも、間違いだらけの記事は掲載されている。
胸がどきどきする。
「沖縄」って入れちゃったけど半分釣りタイトルで、実は東京時代から6年ニートをやっている。
こっちにきて時間に余裕もできたので、たまったノウハウなどを書いてみようと思う。
バックグラウンドを話すと、東京でニートをしていたときに沖縄から来た人が「うちのコミュニティ回ってないんだよね」と相談を受けて、僕が1年沖縄に行く決心をした次第。住んでいる家主に相談したら「XX君頑張ってるから、沖縄行って来なよ。お金は出す」と言ってくれて、いまのところ滞在費はかかっていない。
②人としゃべり続ける
③情報収集
だいたい、お金にならない仕事をすべて引き受けるという感じ。東京のコミュニティも、沖縄のコミュニティも差はあれど、ニートは必須という感じ。〝お金にならない仕事〟って働いている人にとって、けっこうコスト高。
「場の管理」
これほぼメイン業務みたいになってる。昼の12時ぐらいに起きて、掃除と洗濯、ゴミ捨て。
地味だけどこれがめっちゃ大切。物があふれてると人が集まらない。風水的なのってあるんだなと感じる。
なぜかというと、那覇のこの家はもう4年の実績があるが、住人がみんな忙しすぎて手が回っていない状態だった。
だから初めて家に足を踏み入れたときは、散らかり具合にびっくりした。
住んでいた住人は5人。
まず初日の歓迎会で、これから1年お世話になることと自己紹介をした。
そしたらどんどん人が集まってきて、沖縄のコミュニティの強さを感じた。
見たところ、住人5人+よく出入りするお客さん8人といったところ。
まず、人の入れ替わりが多いので、誰の物かわからないものが大量だった。
今の住人に確認をとって、誰のでもないものは粗大ゴミでどんどん捨てていった。
今年4月に入居して、6月の始めには床面積が倍ぐらいになった。
すると自然と人のたまり場になって、家が生きてきた感じがした。
「人としゃべり続ける」
次にやったのが、毎週の飲み会。特に曜日を決めているわけじゃないけど、Lineグループとかでたまに「飲み会やるよー」とか「カレー作ったよ!」とか書き込んでチビチビ飲み会をやった。
これによって、特に何もなくても家に居着く人が増えた。この時点で家によく来る人が15人ぐらいに増えた。
人が増えると重要なのが「喧嘩を起こす」ことで、それぞれが不満をかかえた状態だとグルーブ感が高まりにくいので、とにかく本音を言えるようになるまで人と話す。このあたりの業務も、仕事をしている人にとってはなかなかキツい作業だったりする。あとは、落ち込んでいる人のフォロー。他にも、フラっとやってきたお客さんと喋ったり。物の管理とちがって、心のケアというのは常に時間がある人の仕事なので、ニートスキルの発揮しどころ。ここで、ニートの個性みたいものが出るんじゃないかな。
注意したほうがいいのは喧嘩し終わったように見える二人が、実は心にわだかまりがまだ残っていることがあるので、そういうときは「本当に言いたいこと言い終わった? またお互いイライラしているようにみえるけど?」とさらに喧嘩を促すことが大事。
怒りというのは蓄積する。
だから思いっきり喧嘩させる。喧嘩しても大丈夫だという空気を作り出しておく。
そうしないと溜まった怒りが爆発して、人がいなくなる ⇒ コミュニティが崩壊するという連鎖に繋がる。
これらの業務によって9月ぐらいには、さらに出入りする人間が増えた。
twitterとかで知って、東京から旅行者が1週間〜4週間ぐらい滞在することも増えた。
そういうときは車を運転できる知人に電話をして、沖縄の海へ行ったりする。
このへんの旅行コーディネーターみたいな仕事は東京ではなかったから新鮮だった。僕も沖縄は詳しくないから知ったかぶりで紹介するのだけれど。
「情報収集」
これは僕が沖縄でアウェーだったから一番苦労したかもしれない。
ネットやってればOK! みたいな感じでもないし。
最初の6ヶ月で、場を健全化する・人を滞在させるというミッションはなんとかクリアしたが、まだ次のミッションが残っている。「新たな人を呼ぶ」ということだ。知名度を上げないと継続は難しい。
コミュニティでありがちなのが、以前からいた人が飽きてしまっていなくなり、世代交代がうまくいかない場合だ。2008年〜2013年ぐらいで流行ったシェアハウスや、シェアコミュニティはもう2016年の時点はほとんど潰れてしまっているか、解散している。これを楽しく継続させるためにニートは便利なので、運用に困っている人はニートを一人置くといいかもしれない。
東京では6年ニートしていたからこの辺で困ったことはなかった。どの人間が忙しくて、どの人間が暇なのか? それらを把握しておいて、適切な配分になるように分配する。マネジメントに近いかもしれない。「つらい思いをしている人間を固定化させない」というのは場の運営だけじゃなく、企業とか会社にも適用できるかもしれません。
さまざまなプロジェクトが動いていて、それの雑用をしにいったり、あるいは適切な人を配置したり。
僕がコストを負担することもあれば、負担できる人を探したりするときもある。
このために日頃からいろんな人と話しておくことが重要。(得意なことや興味のあること等)
いまは沖縄の美術大学生がけっこう出入りしていて、オーナーが懸念しているのは卒業したら活動をやめてしまう環境についてで、一緒に場を作って活動を継続できるように日々の業務をこなしている。
・今後の問題点
③負担の偏り
とまぁ、課題はいろいろあるけれど本来今年3月に終了する予定だった家が、今も沖縄で生きています。
僕の活動がただの延命行為にならないようがんばりたいしょぞんです。
ニートでどうやって食ってんだよ! とよく聞かれますが(特に父親とか母親)、差し入れで食べ物をもらったり、みんなからお金をもらって料理するときとかに、こっそりおこぼれを貰ってます。
あと、沖縄のおじさん超やさしい。もう3回ぐらいバーでお酒をおごってもらった。
どうしてもお金が欲しくて短期のバイトをするときもあるけど、そういうときはニートの仕事がおろそかになるので、やっぱりよくない。あと面白い話がこなくなる。「バイトだから」って断ってると、だんだん面白い話がこなくなってくる。ニート期間は長い方が信頼度が高くなるので、面白い仕事やプロジェクトにありつける印象。
そして、いよいよ12月に活動している場所で僕の個展を打つことになった。
もし12月9日、あなたが沖縄にいたら僕の個展を見に来てほしい。
そいじゃ。
知り合いが過労で死んだことがここ数年で2件ありました。
マジで。
女子大時代の友人二人と3-4年ぶりに会ってお茶をすることになったのだが、二人と私の住む世界、流れる時間が違いすぎて軽く吐き気がした話。
院卒、メーカーの開発職。今年の年末にも職場の同期と結婚する予定。
大学院を博士課程(しかも国文学で)まで行ったけど、曰く「私普通に就職することにしたの」とのこと。
なかなか論文も書けないし、満期取得退学?して就活するつもりらしい。
だけどその決心もつかないから最近のマイブームは「スピリチュアル」。タロット占いや風水に一生懸命精を出しているらしい。
しょ、正気なのか…。
ちなみに結婚の予定はなさそう。彼女は恋愛については話したがらないが恐らく彼氏いない歴=年齢。しかしもはや突っ込める雰囲気ではない。
大学時代は1個上の先輩だったが、彼女は諸般の事情があり年齢が少し離れている。
大学院を修士まで出たあと、3-4年非正規で職を転々としていたはずだが、先月結婚。
そこからなんと専業主婦に。今の日本にそんな選択肢あったのかよ。
まあ旦那さん士業だし歳も先輩と近いし、そのへんの20代サラリーマンよりよっぽど収入安定してんだろうけどさあ。。
「寒い地域でとれるものが良いんだよ増田ちゃん!」と力説された。
※歳があいまいなのは度々公称年齢が2-3歳変わるから。そこに突っ込まないのは仲間内でのお約束になって久しい。
性格もふたりとものんびりしていて、学生時代からうすうす住む世界が違うことはなんとなく感じていたが。。
二人といわゆる本音トークをしている時、私が何度「あんた甘いよ」「それ本気?」と言いたくなるのをぐっとこらえたことか。
私が学生時代から長く働きやすい会社を探したり、理解ある夫に出会うのに努力したのがアホみたいに思えてきて目眩がした。
そんなの許されるのかよ。
ただの好き嫌いの話で、長い思い出話。
思い出話で恥ずかしいから、特定されないように細かいことをごまかして書いた。
長えよ、と言われる前にまとめると
「ただの長い思い出話で、宗教が原因で好きな景色が無くなったから、俺はこの宗教が嫌い。」
というだけの話だ。具体的な宗教名は書かない。
六月になると亡くなった祖父を思い出す。祖父が亡くなったのはずっと前の年の瀬、来年は会えないかもと入院中に見舞ったのが最後になる。
田舎に住んでいた。両親は同じ地域で出会い結婚したので、母方の実家もチャリンコで必死に行けばたどり着く距離だった。車では20分くらいか。
思い出す祖父というのは母方の祖父。母はパートがあったので、小さい頃は週の半分以上、学校から帰ると姉と一緒に預けられていた。
その頃は祖父との思い出はあまりない。働き者だったので、俺と姉が預けられるとすれ違いで仕事に行ってしまう。あとから聞けば介護施設のボランティアみたいなことをしていたらしい。祖父が出勤前、早めの夕食をとる食卓で、俺と姉が一緒に座って、その日の出来事を喋ったりしていた。たまに仕事のない日には、ご機嫌、というかんじでビールを飲んでいた。この家は小さな商店だったので、好きなジュースを選んで良いぞと言われて、俺たちは普段の食事時には飲めないジュースを喜んで飲んでいた。
もちろん遊んでくれた記憶もある。夏休みはクラスでただ一人乗れていなかった自転車の特訓に付き合ってくれた。川で泳いだりとか。姉ちゃんと喧嘩して両成敗でゲンコツとか。
母方の実家、小さな商店をやっている、ややこしいのでA家としよう。
A家に頻繁に預けられたのは小学生の頃で、中学高校と成長するとそういうのは無くなった。
頻繁に預けられたA家は、よくある、たまに帰省するじいちゃんばあちゃんち、になっていった。
祖父はある病気になった。不調を誤魔化しごまかし過ごしていたのが、発覚したというか。A家の家の中は帰省するたび介護向けに変わっていった。母の兄弟、俺の叔父の趣味が日曜大工だったので、楽しい変化だと思ってた。(おっちゃんスゲー!階段つけ直したの?!みたいなかんじだった)
手すりが付く。急な階段は段数が増える。トイレが洋式になる。手すりが増える。掘りごたつからテーブルになる。布団がベッドになる。自動で昇降するベッドに変わる。喋れなくなったのでナースコールのボタンが付けられる。指先で押せなくなったから顔の横にボタン。
じいちゃんはどんどん悪くなる。ばあちゃんのやっている介護は、自宅介護でそんなことするんだ、というくらいプロみたいな作業までこなしていく。詳細は省くけど、いま思い返すとあんなことを無給で、かつ無休でやっていたのは驚く。もちろん医者やヘルパーさんが来てはいたけれど。
中学の後半くらいから、俺はデジカメを触るようになって、ホームページを作って風景や花の写真を載せていた。季節ごとにA家に顔を見せる程度の帰省をしていたので、A家の裏の田んぼだとか、家の軒先にあるバラだとか、そういう写真を撮った。本当にきれいだった。通り雨のあとの、雫が付いた葉っぱとか。俺には写真の才能があるんじゃねーのかと、進路相談の時、ニヤニヤを隠しながら担任に見せたら、景色やバラを褒めるので、あ、俺じゃなくて被写体がよく出来てるんだな、と気付けた。(担任も良い趣味だね、とだけ言う程度のレベル)
それでも見せれば褒めてくれる祖母にプリントアウトして渡した。次に帰省すると写真立てに入れてあって、寝たきりの祖父が見るテレビ台の横に飾られていた。
正直に言うと、帰省してもすることが何もない田舎の家で、あんなに元気だった祖父が寝たきりの様子を見ていたくなかったから、理由をつけて外を散策するために写真撮影を趣味だとしたんだった。そんな写真を、飾っている。申し訳なく思った。
大学に進学して実家を出た。一年に一度か二度、実家に帰省するついでにA家にも顔を出す。時々A家ではなく病院だった。
大学二年の頃だったか、帰省するとバラがなくなっていた。A家は小さな商店かつ小さな農家でもあったが、家の裏手、裏庭のようなスペースはすっきりとなにも無いような、更地というほどじゃないけど、なにも、なかった。
母に尋ねると、手入れがねぇ、みたいな答えで濁す。そりゃあ、あんなに大変な介護だ。仕方ない。でもどうしても寂しい。友達が知らぬ間に引っ越していた、という感覚が近いかもしれない。A家の周りががらんとして、入院しているため家の中もがらんとしていた。窓の外から見える裏庭みたいな農地の緑がない。小さなぶどう園は支えの柵だけになっていた。姉は俺よりは多く帰省していて、草花を刈った話は聞いていたらしいが、目の当たりにしたのは初めてらしく、ショックを受けていた。というかちょっと泣いていた。俺よりずっと思い入れがあったらしい。その時まで知らなかったが、初孫である姉が生まれた年に植えた木があって、その木までも全部なくなっていたのだ。
それから数年も経たないうちに、祖父が亡くなった。小学生の時、きげんよく晩酌していた祖父に○○ちゃんが大きくなったらこれを飲もうなと言われた。俺は本当に未成年のうちに酒を飲んだりしなかった。でも成人したところで、祖父は寝たきりだったし、普通の食べ物すら食べられない状態だった。
葬式が終わって、A家から実家へ帰った。親戚が父と俺と姉を車で送ってくれた。母はA家に留まった。父は禁煙していた煙草を吸いながら、運転手をしてくれた親戚のおばちゃんとコーヒーを飲みながらぽつりぽつり喋っている。姉はその輪の脇で黙って座っている。俺はすぐにでもスーツを脱ぎたかったが、とりあえずその部屋からは出ないでおいた。葬儀のあとの食事?宴会?で、これでもかと酒を飲んだので、半分寝ながら部屋の隅にいた。従兄弟が下戸で、その分まで飲んでたからほんとフラフラになりつつも、みんなまだ着替えないから着替えちゃ駄目とかそういう決まりがあんのかなと寝そうになりながら携帯をいじる。
変な葬式だねとか、やっぱり○○だねとか、そういう話から、姉も会話に加わる。
「たぶんね、そういう仕組みはよく知らない」
「○○の木を切れって言ったのあいつなんだ」
なにそれ。俺は隅っこで携帯をいじってたけど、思わず声になった。
祖父が寝たきりになってから数年して、仏壇の雰囲気が変わった。その頃俺は中学とか高校くらいのガキなんでよく分かってなかった。いまでも詳しくは知りたくない。
有名な、ある宗教だ。この長い思い出ばなしはこの宗教が嫌いだと言うだけの長話だ。たんに俺の好悪の話なので、具体的な名称は伏せる。
経緯は分からないし知りたくないが、浄土真宗だとかのいわゆるよくある宗教から、その宗教に変わったそうだ。祖父が寝たきりになったところにつけ込んだような気がしてしまう。
祖父が患ったのは国の指定を受けるような難病で、そんな夫と共に生きるためには、新たな宗教は必要なのかもしれない。それは仕方ない。祖母が生きるためには必要だったはずだ。
その宗教の、導師さまとかいう地位の人が、A家に来てくださって、アドバイスをくださったらしい。
伝聞の伝聞くらいのことしか俺は知らないため正確にはどう言ったか分からないが、そいつは、A家にある緑が祖父の生命力を奪っていると言った。
だから草花を切りなさいとまで言ったかは知らない。じゃあ切らなきゃねと祖母が感じただけかもしれないが、そいつはそんなことを言って、次にA家へ来たのはじいちゃんの葬式の時だけ。
俺だって、風水で西に金色のものを置くと金運アップと聞いたらなんとなく西に金色を置きたくなるし、ラッキーカラーは青ですなんて言われたらメモを取る時のペンを青にしようかななんて思う。ただ俺の機嫌がよくなるだけだ。その程度でいい。
祖父は、ALSだ。筋萎縮性側索硬化症。根本を治すような、有効な治療は確立されていない。指定難病だ。
導師さま曰く、祖父の健康を吸い取っているのは、ぶどうの木や、小さな露地栽培の野菜、姉の生まれ年に植えられた木、雨露がかかると一層美しいバラたちだそうだ。
腹が立つというより、呆然、というかんじだった。
A家周辺の景色や、草花の写真がきれいに撮れたから、嬉しかった。ばあちゃんも褒めてくれた。寝たきりのじいちゃんが見るテレビ台の所に飾ってくれた。姉ちゃんが泣いたくらい思い入れのある木。いろいろある。いろいろあった。
祖父が亡くなって一人になった祖母は、田舎の狭いコミュニティの中で孤立したりしなかった。宗教のおかげだ。会合に参加したり、そこのひとたちとバスツアーで旅行に行ったり。それだけは、よかったと思う。
それでもあの宗教は、嫌いだ。祖母も草花を刈ることで病気になにか影響すると真に思っていたのではないと思う。俺の撮った写真だけでなくほかの人が撮ってくれたバラの写真も残していたし。本当に病状に関わっていると信じていたら、写真すら残さないと思う。
祖母も亡くなり、何年も前から、このA家にまつわる話をぼんやりと思い返しては、増田にでも書こうかなあと考えていたが書き切れたことはなかった。
五月や六月の、バラがきれいな時期になるとどうしても書いておきたくなった。
あんなにきれいな景色が寝たきりの祖父の生命力で育っていたらロマンチックだ。ファンタジーだ。ふざけんなあり得るか。
先日、姉が結婚した。なにか特別に贈ろうと写真のデータを見返していたら、姉と同い年のあの木が写った、緑豊かな写真があった。あげたらすんげー喜んで泣くから俺も泣いちゃったよ。
じいちゃんもばあちゃんも大好きだ。病気はどうしようもないし、ばあちゃんの選択は過ちではない。必要だった。生きる上で、大切な指標で、手段なのだろう。
ここhttp://musyoku.com/nikki/title.phpは底辺の集まりなので高みの見物すると楽しいですよ
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無職.com歴九年目 精神障害2級(不正)。頻繁に更新している。文章がへたくそ。他人の日記にイチャモンをつけるゴミクズ。コメント欄つけろよヘタレwwwwwwwwwwwwwww