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はてなキーワード: 集合論とは

2024-09-24

anond:20240924105154

その通りである数学はしばしば「数字計算」と同一視されることがあるが、実際にははるかに広範で深遠な抽象的な学問である数学の主要な役割は、論理的構造パターン関係性を扱うことであり、数字や数値に限定されるものではない。

数論のような分野では確かに数そのもの主題となるが、例えば集合論位相幾何学群論代数などの分野では、数字というよりも抽象的な対象やその間の関係性を追究する。これらの分野では、数値を超えた抽象的な概念が扱われ、そこでは形式的な推論や証明が重視される。

また、数学の核心には公理的なシステムがあり、それに基づく論理的演繹を通じて真理を明らかにしていく。この過程において数字は時に一つの「具現化された例」に過ぎず、多くの数学的な議論証明においては、数値そのものが登場しない場合も多い。

したがって、数学は「数字計算」を超えた、論理的かつ抽象的な概念を探求する学問である

2024-09-20

数学宇宙仮説の定式化

マックス・テグマーク数学宇宙仮説は、物理的実在数学構造のものであると主張する。これを厳密かつ抽象的な数学の枠組みで表現する。

1. 基礎設定

1.1 数学構造クラス
1.2 物理的実在カテゴリ

2. 数学構造物理的実在関係

2.1 関手定義
2.2 関手性質

3. 数学宇宙仮説の定式化

定義数学宇宙仮説)

数学宇宙仮説は、以下の主張を含む。

1. 存在論同一性Ob(Str) ≅ Ob(Phys) すなわち、数学構造対象物理的実在対象が一対一に対応する。

2. 構造保存性:∀ S₁, S₂ ∈ Str, Mor_{Str}(S₁, S₂) ≅ Mor_{Phys}(F(S₁), F(S₂)) すなわち、数学構造間の射は物理的実在間の射と対応する。

4. トポス理論による高度な抽象

4.1 トポスの導入
4.2 トポス間の同値

5. 論理的側面からアプローチ

5.1 モデル理論適用
5.2 物理法則数学理論の同一視

6. カテゴリ同値の具体的な定式化

6.1 双対性
6.2 アジャント関手存在

7. まとめ

以上の抽象数学的枠組みを用いて、テグマーク数学宇宙仮説を次のように定式化できる。

解説

この定式化では、集合論カテゴリ論、トポス理論モデル理論などの抽象数学を用いて、数学宇宙仮説を表現した。

特に数学構造物理的実在の間の圏同値トポス同値を強調することで、両者が数学的に同一視できることを示している。

また、関手アジャント関手概念を導入することで、数学構造から物理的実在への情報対応関係形式的に捉えている。

これにより、テグマークが主張する「宇宙数学のもの」という考えを抽象数学表現した。

2024-08-22

IT面白いだろ、何いってんだ

俺はね、近年AlphaProofのようなAI数学証明をできるようになってすんげーワクワクしてんのよ

だってさ、俺が適当集合論を使って対象を定式化して、んで「これ解いて」とか「こういう感じの定理とかない?」って言ったら証明してくれるんだろ?

すごいじゃん、IT。いままでちまちま手探りで証明しなければならなかったものが、一気にショートカットになるってことだ

まあもちろん、問題難易度によってはチンプンカンプンな結果を出してしまうかもしれないが、それでも数学証明ができるというのは革命だろ

ティモシー・ガワーズとかテレンス・タオSNSAIに期待してることをつぶやいてたし、やっぱ時代の先端を行っている人たちは「ITは今が旬!」って思ってるな

2024-08-19

数学宇宙仮説についての考察

数学宇宙仮説を説明するには、宇宙をどのようにモデル化するかを考え、各理論役割を明確にする必要がある。

以下に、各概念説明し、物理宇宙数学的にどのように捉えるかを示す。

数学構造

数学宇宙仮説の中心にあるのは、宇宙数学構造のものであるという考え方である数学構造は、集合とその上で定義される関係演算の組み合わせである

具体例として、微分多様体を考える。微分多様体は、局所的にユークリッド空間に似た構造を持ち、滑らかな関数定義できる空間である物理学では、時空を微分多様体としてモデル化し、一般相対性理論の基盤としている。このように、宇宙全体を一つの巨大な数学構造として捉え、その性質研究する。

集合論

集合論は、数学の基礎を形成する理論であり、すべての数学対象を集合として扱う。特に、Zermelo-Fraenkel集合論(ZFC)は、集合の存在とその性質定義する公理である数学宇宙仮説では、宇宙を集合として捉え、その集合上の関係演算物理法則表現していると考える。

モデル理論

モデル理論は、形式的論理体系が具体的な構造としてどのように実現されるかを研究する。数学宇宙仮説では、物理宇宙がある論理体系のモデルである仮定する。具体的には、物理法則公理とする論理体系のモデルとして宇宙を捉える。これは、ペア算術公理系のモデルとして自然数存在するのと類似している。

カテゴリ理論

カテゴリ理論は、対象オブジェクト)とそれらの間の射(モルフィズム)を扱う理論であるカテゴリ 𝒞 は次のように定義される:

  • 対象の集合 Ob(𝒞)
  • 射の集合 Hom(A, B) (対象 A, B ∈ Ob(𝒞) 間の射)

射は合成可能であり、合成は結合的であるさらに、各対象に対して恒等射が存在する。

数学宇宙仮説では、宇宙を一つのカテゴリとして捉えることができる。カテゴリ対象は異なる数学構造であり、射はそれらの間の変換や関係を表す。これにより、異なる「宇宙」間の関係性を数学的に探求することが可能になる。

トポス理論

トポス理論は、集合論一般化であり、論理空間概念統一する枠組みであるトポスは、論理体系のモデルとして機能し、異なる数学構造統一的に扱うことができる。

数学宇宙仮説では、宇宙トポスとして捉えることができる。トポスは、論理体系のモデルであり、異なる物理現実表現するための柔軟な枠組みを提供する。トポス理論を用いることで、宇宙数学性質をより深く理解することが可能になる。

まとめ

数学宇宙仮説を抽象数学説明するためには、数学構造公理系、集合論モデル理論カテゴリ理論トポス理論といった数学概念を用いることが必要である

これにより、物理現実数学的に厳密に記述し、数学物理の深い関係を探求することができる。

この仮説は、数学対象物理実体として存在するという新しい視点提供するが、現時点では哲学的命題としての性格が強く、数学的に証明可能定理ではない。

2024-07-18

ZFCの哲学

ZFC (Zermelo-Fraenkel set theory with the Axiom of Choice) の哲学は、数学基礎論における中心的な位置を占め、その含意は数理論理学モデル理論証明論にまで及ぶ。

ZFCの存在論的基盤は、von Neumann–Bernays–Gödel (NBG) 集合論との比較において明確になる。NBGがクラス概念を導入するのに対し、ZFCは純粋に集合のみを扱う。この違いは、大規模基数の存在に関する議論において重要意味を持つ。例えば、到達不能基数の存在は、ZFCでは公理として追加する必要があるが、NBGではより自然に扱える。

ZFCの哲学重要性は、その一階述語論理に基づく形式化にある。これにより、完全性定理適用可能となり、モデル理論手法を用いた相対的矛盾証明可能になる。特にゲーデルのL構造構成可能全体)とコーエン強制法は、ZFCの独立性結果を示す上で本質的役割を果たす。

ZFCの公理系、特に置換図式の導入は、フレーゲ論理主義崩壊後の数学基礎論の再構築において重要役割を果たした。置換図式は、ラッセルパラドックス回避しつつ、十分な数学対象存在保証する。

選択公理 (AC) の哲学的含意は特に深い。ACは、トポロジーベクトル空間におけるハーン・バナッハの定理や、測度論におけるバナッハ・タルスキのパラドックスなど、数学の広範な領域に影響を及ぼす。ACの非構成性質は、直観主義数学構成数学との緊張関係を生む。

ZFCの哲学は、大規模基数公理研究と密接に関連する。イナクセシブル基数、マーロ基数、超コンパクト基数などの大規模基数の存在は、ZFCの無矛盾性を強化し、数学宇宙階層構造示唆する。これらの基数の存在は、プラトニズム的な数学観を支持するように見えるが、形式主義的解釈可能である

ゲーデル不完全性定理のZFCへの適用は、数学的真理の本質に関する深遠な問いを提起する。特に、第二不完全性定理は、ZFCがその自身の無矛盾性を証明できないことを示し、ヒルベルトプログラム限界を明らかにした。

ZFCの哲学的含意は、数学構造主義との関連でも重要であるブルバキ学派の構造主義的アプローチは、ZFCを基盤として数学構造定義し、分析する。一方、カテゴリー論的基礎づけは、ZFCに代わる代替的なアプローチ提供し、トポス概念を通じて数学宇宙多様性示唆する。

内部モデル理論特にゲーデルのL構造研究は、ZFCの哲学に新たな視点をもたらす。V=L(すべての集合が構成可能である)という仮定は、連続体仮説一般連続体仮説肯定するが、同時に多くの大規模基数の存在否定する。これは、数学宇宙の「薄さ」と「厚さ」の間の哲学的緊張を生む。

結論として、ZFCの哲学は、数学存在論認識論真理論交差点位置し、現代数学の基礎に関する最も深遠な問題を提起する。その影響は、数学哲学にとどまらず、論理学計算理論量子力学の基礎にまで及ぶ。ZFCの哲学探究は、数学知識本質限界に関する我々の理解を深化させ、数学哲学境界を絶えず再定義しているのである

2024-02-21

[] 数学は量子物理学と同様に観察者問題がある

量子力学における観測問題についてはよく知られるように、人間主観性が量子実験の結果に重要役割果たしている。

ドイツ物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクによる有名な引用がある。

私たちが観察するのは現実のものではなく、私たち質問方法さらされた現実です。」

例えば有名なダブルスリット実験では、スリットの後ろに検出器を置かなければ電子は波として現れるが、検出器を置くと粒子として表示される。

したがって実験プロトコル選択は、観察する行動パターンに影響する。これにより、一人称視点物理学の不可欠な部分になる。

さて、数学にも一人称視点余地はあるか。一見すると、答えは「いいえ」のように見える。

ヒルベルトが言ったように、数学は「信頼性真実の模範」のようである

それはすべての科学の中で最も客観的であり、数学者は数学的真理の確実性と時代を超越した性質に誇りを持っている。

ピタゴラスが生きていなかったら、他の誰かが同じ定理発見しただろう。

さら定理は、発見時と同じように、今日の誰にとっても同じことを意味し、文化、育成、宗教性別、肌の色に関係なく、今から2,500年後にすべての人に同じ意味があると言える。

さて、ピタゴラス定理は、平面上のユークリッド幾何学の枠組みに保持される直角三角形に関する数学声明であるしかし、ピタゴラス定理は、非ユークリッド幾何学の枠組みでは真実ではない。

何が起こっているのか?

この質問に答えるには、数学定理証明することの意味をより詳しく調べる必要がある。

定理真空中には存在しない。数学者が正式システムと呼ぶもの存在する。正式システムには、独自正式言語付属している。

まりアルファベット単語文法は、意味があると考えられる文章を構築することを可能にする。

ユークリッド幾何学正式システムの一例である

その言語には、「点」や「線」などの単語と、「点pは線Lに属する」などの文章が含まれる。

次に正式システムのすべての文のうち、有効または真実である規定した文を区別する。これらは定理である

それらは2つのステップで構築されれる。まず、最初定理証明なしで有効である宣言する定理選択する必要がある。これらは公理と呼ばれる。

これらは正式システムの種を構成する。

公理から演繹は、すべての数学コンピュータで実行可能な印象を生む。しかし、その印象は間違っている。

公理選択されると、正式システム定理構成するもの曖昧さがないのは事実である

これは実際にコンピュータプログラムできる客観的な部分である

例えば平面のユークリッド幾何学と球の非ユークリッド幾何学は、5つの公理のうちの1つだけで異なる。他の4つは同じである

しかしこの1つの公理(有名な「ユークリッドの5番目の仮定」)はすべてを変える。

ユークリッド幾何学定理は、非ユークリッド幾何学定理ではなく、その逆も同様。

数学者はどのように公理を選ぶのか。

ユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学場合、答えは明確である。これは、単に説明したいもの対応している。

平面の幾何学であれば前者。球の幾何学であれば後者

数学は広大であり、どのように公理選択するかという問題は、数学の基礎に深く行くと、はるかに感動的になる。

過去100年間、数学集合論に基づいてきた。

すべての数学オブジェクトは、いくつかの追加構造を備えたセットと呼ばれるものであるということだ。

たとえば自然数のセット1,2,3,4,...は加算と乗算の演算を備えている。

一般的なセットとは、数学で正しく定義されたことがない。

集合論特定正式システムによって記述される。Ernst ZermeloとAbraham Fraenkelと、選択公理と呼ばれる公理の1つに敬意を表して、ZFCと呼ばれる。

今日数学者は、すべての数学を支える集合論正式システムとしてZFCを受け入れている。

しかし、自分自身を有限主義者と呼ぶ少数の数学者がいる。

彼らは、無限公理と呼ばれるZFCの公理の1つを含めることを拒否する。

言い換えれば、有限主義者正式システムは、無限公理のないZFCである

無限大の公理は、自然数の集合1,2,3,4,...が存在すると述べている。すべての自然数に対してより大きな数があるという声明(「ポテンシャル無限大」と呼ばれる)よりもはるかに強い声明である

有限主義者は、自然数リストは決して終わらないことに同意するが、いつでも自然数の集合の有限の部分集合のみを考慮することに限定する。

彼らは一度にまとめたすべての自然数の合計が実在することを受け入れることを拒否する。

したがって、彼らはZFCから無限公理を削除する。

この公理を取り除くと、有限主義者証明できる定理はかなり少なくなる。

正式システム判断し、どちらを選択するかを決定することができるいくつかの客観的基準...なんてものはない。

主観的には、選ぶのは簡単である

時間空間を超越した何かを象徴しているので無限大が大好きだ」と言えば無限大の公理を受け入れることができる。

ゲーデルの第二不完全性定理は、十分に洗練された正式システム(ZFC等)は、自身一貫性証明することができないと述べている。

数学者は、今日のすべての数学の基礎であるZFCが確固たる基盤にあるかどうかを実際に知らない。

そしておそらく、決して知ることはない。

なぜなら、ゲーデルの第二の不完全性定理によって、より多くの公理を追加することによってZFCから得られた「より大きな」正式システムにおけるZFCの一貫性証明することしかできなかったから。

一貫性証明する唯一の方法は、さらに大きな正式システム作成することだけだ。

数学を行うためにどの公理選択すべきかについて、実際には客観的基準がないことを示唆している。

要するに、数学者が主観的に選んでいるというわけである自由意志に任せて。

公理のための主観的基準というのは、より豊かで、より多様で、より実りある数学に導くものを選ぶという人は多い。

これは自然主義と呼ぶ哲学者ペネロペ・マディが提唱する立場に近い。

自分自身制限する必要がないので、無限公理を受け入れる。

特定公理のセットを選択する行為は、量子物理学特定実験を設定する行為に似ている。

それには固有の選択肢があり、観察者を絵に導く。

これが、一人称視点とそれに伴う自由数学において正当な場所を取る方法である

2024-02-16

anond:20240216160814

現代数学者ほとんどは形式化された数学の体系であるツェルメロ-フレンケル集合論ZFCを使っています.

言及されている通り, ゲーデル不完全性定理によってZFCが無矛盾であるならばZFCは自身の無矛盾性を証明することができません. ZFCが矛盾している可能性はあります. ZFCの無矛盾性に関しては, 一方でZFCを用いて多くの数学者数学をしている中でまだ矛盾が見つかってないという傍証もあります.

仮に矛盾が見つかってしまった場合, その後の方向性はいくつか考えられます:

1. その矛盾証明をよく調べて, その原因を取り除いてZFCより弱い新たな数学体系を構築する.

これに関しては普段数学をする際にフルでZFCを使っているわけではないので, 合理的なZFCより弱い体系を見つけることができればこれまでの数学を続けることができるかも知れません.

2. その矛盾もっと深刻で代替案が見つからない場合.

この場合数学がどうなるか想像がつきません. 数学にとって大打撃になると思います.

他にもZFC以外の別の数学形式的な基礎づけを与えようという動きもあります. またZFCより改善させるような新しい体系, 公理形を見つける方向の研究もあります.

このように数学基礎論という数学の一分野は形式化された数学のもの数学的に調べようという分野があります.

anond:20240216124331

哲学など数学以外のことは専門外のため, あくま数学に関することだけ言及させていただきます.

ユークリッド幾何学言及されているように数学歴史紀元前まで遡りますが, 数学形式化が意識され始めたのは1900年代以降と最近の話です. 主にヒルベルトによって主導されたものだと私は理解しています. (もちろん多くの数学者がこのプログラムに関わってきました. ) 数学形式化や形式主義で調べると参考になると思います.

数学的な内容に関して言及したいことは多くありますが, かいつまんで述べさせていただきます.

(あくまでこれは元の記事が間違っているなどと主張しているわけではないです. 現代数学の考え方や雰囲気の一部を分かっていただければ幸いです. )

現代形式化された数学原理的には決められたルール(公理と推論規則)を用いて行われる一連の手続きです. それらの「意味」が何かは一旦全て忘れてください. ここで公理とはあらかじめ定められた記号列で, 推論規則はいくつかの文字列を用いて新しい文字列を生み出す操作です, 例えば文字列A→BとAが与えられたとき文字列Bを得る操作があります. 定理(数学命題)とはこの操作によって生み出される文字列です. これらの操作数学における証明形式的に記述したものになっています. 論理式などもこの形式化のもとで特定の条件を満たす文字列として定義されます. 例えば論理式Pの否定は¬Pという文字列です. (ここでは否定を表すための記号として¬という文字列を用いています. )

ここまで文字列だけを考えた形式的なものですが, 構造モデルを使うことによってこれらの文字列解釈する(つまり意味を与える)ことができます. (詳細は省きます. ) 構造モデルを定めることによって論理式の意味が一意的に定まります. またそれらの取り方を変えることによって意味が変わることもあります.

これの考え方によって(数学的な)意味形式から分離されています. さらに気になる場合ゲーデルの完全性定理などを見てください.

そして適切な公理と推論規則を定めることにより数学のもの形式的に扱うことできます. その適切な公理はツェルメロ-フレンケル集合論(ZFC)と呼ばれており, 現在数学者はこのZFCを用いて数学をしています. (一部, 圏論などでZFCに収まらない議論があると聞きますが, それらもZFCの適切な拡張を考えることで解決できます. )

まり, これまでに書かれた数学証明などは全てこのZFCを用いることで文字列操作に書き換えることができます.

一方で数学論文普段言葉(自然言語)を使って書かれます. これは本当に全て文字列に書き換えることをした場合, 可読性が著しく落ち, また分量も膨大になるため人が読めないためです. しか証明自然言語で書きつつも, いざとなったら形式的に文字列に書き換えることができるという前提に立っています. そしてこれは理論的には可能であり, 数学の厳密性を担保しています.

定義の一意性」に関してですが私自身が元記事の要点を完全に理解しているわけではないのですが, 数学に関していうとある数学概念定義複数あることはよくあります. もちろんその複数ある定義同値であることを証明されなければなりません. ここで同値というのはある数学対象A定義Pと定義Qで与えられていた時に, 「Aが定義Pを満たすならば, 定義Qを満たす. またAが定義Qを満たすならば定義Pを満たす. 」ということです. 実際に使う際には用途に合った定義を用いることになります. それらは同値なのでどれを選んでも問題ないです.

以上がざっくりとした形式化された数学に関してです. 参考になれば幸いです.

追記: これは筆者個人の考えですが, 数学哲学議論はしっかりと分離してなされるべきだと考えています. もちろん相互交流はなされるべきですが, 両者を混同するのは誤解や誤りの原因になると思います.

2023-12-15

[] 2023-12-15

近くのホームセンター本棚を買いました。

しかし、こういった商品は運びやすいように組み立て式になっており、しかDIYしている気分になれるので一石二鳥なのです。

本棚を組み立て終わると、デスクの上に積んであった本の山をすっぽりと収めることができました。

しかし、私は本棚がもう一つ欲しくなってしまいました。

というのも、私は数学愛好家なので、リファレンスとして数学書を大人買いしたいのです。

仕事柄、特に線形代数や離散最適化のような数学は使いますが、私が興味のあるのはそういった実用志向アルゴリズムではありません。

しろ取り組みたいのは、フェルマーの最終定理ラングランズ予想のような、一見すると実用からは遠いけれど、数学本質を突くような深淵です。

数学には二種類の文化があり、アルゴリズム的な問題解決者と、深淵理論を目指す者がいます

プログラマーであればほぼ例外なく前者の立場になりますが、後者というのは「理論Aの理解のためにはBの理解必要で、その理解にはCの理解必要で、その理解のためには...」という階層が非常に深いものを表します。

はいまだに、コホモロジーとはなんであるかについてよくわからないのです。

コホモロジーGPTに対し「小学生にもわかるように説明せよ」とやったものが以下です。

コホモロジーは、数学の中のとても難しい概念ですが、小学生にわかやす説明するために、一緒に想像の旅に出かけてみましょう。

まず、コホモロジーは、ある種の「形」や「パターン」を見つけるための道具と考えてみてください。例えば、あなた宝探しをしていて、地図があるとします。この地図は、宝物がどこにあるかを示していますしかし、この地図はただの紙切れで、宝物自体地図にはありません。でも、地図を使って、宝物のありかを見つけることができますよね。

コホモロジーも同じようなものです。コホモロジーは、数学的な「地図」のようなもので、それを使って、数学世界に隠された「宝物」を見つけることができます。この「宝物」は、数学の中の特定パターンや形、構造などを指します。

しかし、コホモロジーはとても複雑で、大人でも理解するのが難しいです。だから小学生あなたがすぐに理解できなくても大丈夫です。大切なのはコホモロジーのような難しい概念に挑戦する勇気と、学び続ける意欲を持つことです。これからも、色々なことに興味を持ち、学び続けてくださいね!。

これじゃあ、なにも理解していないのと同じでしょう。結局、深淵理解するためには地道な努力必要です。

理論構築者の観点からみると、数学登山に似ていると思います

コホモロジーにたどり着くためには、集合論群論位相幾何学ホモロジー理論と順を追っていかなければならないのです。

これまでの私は、理論構築者ではなく、問題解決者だったので、「問題」という単位物事理解してきました。

アルゴリズムなので、問題を解くための前提知識はさほど必要なく、むしろ必要なのはIQです。

ところが、ラングランズプログラム超弦理論といった深淵は、IQに加えて、山登りの体力や努力時間必須になります

しかも、仮に山を登り終えたとしても、プログラマー仕事としてなんの役にも立たないのです。

深淵に取り組むというのは、そういう廃人的な努力必要とするので、職業的数学者でない限り努力の誘因が失われてしまます

深淵登山をして、誰にも認められることな自己満足して、何が楽しいのでしょうか。

結局、理解した物事を外側に発信(例えば論文執筆)して社会との接点を作らなければ、本当の廃人になってしまうでしょう。

まあ、廃人日記を書くぐらいだから、それでもいいんですけどね。

2023-09-28

anond:20230928152251

全員別々に一件ずつ書くってだれが決めたんだろうなw

数学集合論とかわかってなさそうw

あっごめんまた専門知識でちゃったwwww

2023-03-10

ChatGPTが駆逐するのは弱小プログラマーだけだと思う

ここ最近、ChatGPTのプロンプトをひたすら書きまくってるのだが分かってきたことがある

恐らく近い将来ChatGPTによって大半のプログラマーは職を失うことになるだろうし

残されたプログラマーもソースコードを書くのでは無くてプロンプトを書くことの方が増えるだろう

アセンブリ言語を書いてる人はほぼ死滅しているしCやC++ですら書いてる人は少ない

同様にプロンプトを書く人(プロンプター)が重宝されるようになるのだろう(もちろん例外的分野は存在する)

ただ、残念ながらプログラマーや非プログラマーがプロンプターになれるかというとそうではない

プロンプトを書く時に必要なのは純粋プログラマーが必要とされている能力の部分だから

その言語を知ってるだとかライブラリを知っているといった知識的な能力ではなくて

要件定義能力論理演算集合論みたいな知識だったりオブジェクト指向関数的な考え方だけが純粋必要になる

例えば割とダメダメプログラマーは条件が100個あった時に普通にIF文を100個書く

こういうプログラマーはプロンプトを作ることができないし、仮に書いたとしてもまともに動かない

ちゃんとしたプログラマーは条件100個を整理してまず2つの場合に分けてそれぞれで3つに分け・・・みたいなことをする

場合によっては要件定義を鑑みて必要無い条件を削除する(もちろん確認の上で)

そういった整理整頓が出来る人じゃないとプロンプトを書くことは不可能なので

例えばPythonの書き方を知っているだけのプログラマーとかコピペで生きてきたプログラマーは死滅すると思う

彼らはプロンプトを書けないし、書くために学習しようとしてもベースとなっているものが無いのでそこから覚え直すしかない

なのでプログラマーの上位層はプロンプターとして生き残るが下位層は死滅するし、残念ながらプロンプター教室というのもちょっと想像が付かないしたぶん不可能だと思う

2023-02-15

anond:20230215093221

横だけど、それいいね

用語(概念)を集合論的にとらえると、その概念スコープが定まりやすくなる。例外についても集合が伝わっていれば自己判断できるようになるだろう。

そのような集合論的な説明の仕方を、用語定義というのかもしれない。

2023-02-08

[]シュレーディンガーの猫のいくつかの解釈

シュレーディンガーアインシュタインに宛てて、量子力学コペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。

この効果を、原子というミクロ世界特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブル椅子、猫といったマクロ日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガー思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学コペンハーゲン解釈不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしかさないし、死んだり生きていたりもしない。

ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。

この思考実験意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数宇宙複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。

 

1. シュレーディンガーのQBist猫について

通常の話では、波動関数は箱入りのネコ記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。

例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的歴史なのだ

今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェント自分の 賭けに手を加えることなのだ。

重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合からである

QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである

 

2. ボーミアンについて

量子力学コペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。

ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?

量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。

なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたかである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。

 

3. 知識可能性について

シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実であることではなく、量子系を知識対象として安定化できないことである

通常の知識論理では、私たち質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。

 

4. 反実仮想的な本質

シュレーディンガー実験には、3つの基本的意味がある。

これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか現実)ではなく、何が可能不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想性質は、量子論運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものからだ。

量子論後継者は、運動法則根本的に異なるかもしれないが、反実仮想性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメントさらには新しい現象可能になるだろう。

シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対であるシュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである

シュレーディンガーは、量子力学波動関数は、個々のシステムの完全な物理記述提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼン論文に反発していたのであるEPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである

シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理記述提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベル言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである

もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学形式理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガー馬鹿にしていた結論に直面することになる。

 

5. 波動関数実在論について

シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロ領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学ミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。

問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということであるシュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケ写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反関係にある。

ベルが彼の定理実験的に検証する前、量子力学技術が発展し、もつ状態実在性を利用し、巨視的なもつシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈必要である

波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈アプローチであるシュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数自由度を収容できる超高次元空間となる。

 

6. 超決定論について

不変集合論IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランク洞察を、今度は量子力学状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルであるISTでは、量子力学連続ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想世界存在し、このような反実仮想世界は格子の構造矛盾している。このように、IST形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。

ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界アンサンブル対応し、各世界状態空間特別な部分集合上で進化する決定論的系である非線形力学理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。

アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界アンサンブル記述していると考えていたが、これは実現可能である特にシュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。

 

7. 関係量子力学について

シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学仮定である。 もし全ての性質関係であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。

猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかであるしかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。

箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれ可能性があるからだ。

まり波動関数崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリ進化」は、外部システムに対する性質の実現確率進化を表すのである。 これが、量子論関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。

 

8. 多世界

物理学者たちは古典物理学では観測された現象説明できないことに気づき量子論現象論的法則発見された。 しかし、量子力学科学理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガー方程式を考案してからである

シュレーディンガーは、自分方程式放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。

このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態崩壊することによって、量子系の進化記述する方程式としての普遍的有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールド存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用回避し、自然界における決定論を守る一つの可能である

[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Schr%C3%B6dinger%27s_cat

2022-12-18

anond:20221218144820

経済学者にあこがれて経済学部目指したのなら、いっそ博士まで行って博士号(Ph. D.)取得するのも一つの道じゃないかと。

その話と、現実的就職のための話がイマイチ繋がらない感じはするけども。


憧れは憧れで、GAFAみたいな巨大テック企業エンジニアになりたいって言うのだったら、

コンピュータサイエンス情報科学)系の学部入り直す方がよさげ特にGoogleエンジニア採用コンピュータサイエンスやってないとほぼ即死するような計算量やらの問題が出て来まくるんで、やっぱり情報科学出身エンジニアめっちゃ多いし。


ちなみに、数学が得意であるが、高校数学が得意レベルである、つまり計算が得意レベルだったら、経済学者かには向いてないとは思う。大学数学以降をある程度まともにやろうと思うと集合論ベース現代数学の発想に頭を切り替えないといけないし、経済学で使う「数学」もある程度大学数学素養がないときつい。

2022-10-21

数学もしくはプログラミングに詳しい人教えて!

[ボタン] ►[ボタン] [ボタン]

[ボタン]

[ボタン] [ボタン] [ボタン]

・・・

こんな感じのUIがあってこれを十字キー操作したい

横にボタンがあるときは左右ボタン機能し、カーソルが横に移動する、ないときは何も起こらない

ボタンから起動する関数を呼ぶの自体カーソルちゃんと移動すればどうとでもなるんだけど自分知識では十字キー上下で事前に配列に保存していたUIの横にカーソルを移動させることしかできない

すべての画面上のUI位置比較して移動させるのもいいんだけどパフォーマンスが悪そう

そこでグラフ理論集合論でどうにかならないかと思ったんだけど何か方法ある?

愚直にUI属性与えてこの時はボタンが横にあるからこう。。。ってやるしかないんだろうか

 

 

追記

次元配列でやればいいか。。。めんどくささはあるけど

配列の長さで横移動して[][n+1]、上下は[n+1]で移動することならできそう

めんどくささはあるが。。。

もっとスマート数学理論があるなら教えてほしい

2022-09-02

そもそも全てのプログラムは集合である

似たような考え方するならこんな主張もできてしまう。

プログラム理論的には数学の枠組みで考えられる。数学集合論で考えられる事が多い。

関数だって集合論では集合として考えられる。今のプログラムは全部集合として考えられる。

2022-07-18

普段主語デカい」とか言っている奴らがこれにころっと騙されてて笑う

https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808

論理学における集合論とか、逆とか対偶とか、そういう考え方を普段から使ってないんだろうなあ。

世界無知さらけ出していて見ていて恥ずかしい。

2022-06-15

レスバでは逆は真ならずが相手への指摘として多用されるけどさ

そんでもって高校レベル集合論すら理解してない奴ばっかで草みたいな感じで得意げになっちゃったりしてる人もいるけどさ。

現実的な場面で逆が真じゃないケースって少ないから、逐一逆が真じゃないかもしれないことを疑ってる状態を維持してる方が非効率だと言えたりする。

しろ上記のような状態レスバ脳だと言えると思う。

気象のこと勉強してても、低気圧ときはだいたい天気が不安定だし、低気圧中心が上空の強風軸の北側にあったらその低気圧は閉塞期で、これらのことは逆も真で、逆は真ならずってことを理解してないと失点するような問題過去問では出たことないし。

逆は真ならずということを疑う人間はよほど特殊学問を除けば非生産的屁理屈をこねようとしてるだけなんだよな。

2022-01-26

数学とかだと歴史は最低限知ってるだけでいい

画家建築家などを挙げている辺り、研究者についてはどうでもいいかもしれないけど一分野についてだけ説明しておくね

物理学など他の学問ではどうなるかは面倒くさいので言及しないとして…

数学研究をする際には歴史については自然と覚えてしまう程度の知識さえあればいいと思う

具体的にはピタゴラスの定理は千年単位のオーダーの大昔に証明されたとか

数百年前には今のような集合論に基づいて数学理論を一から組み立てていく形式は無かった…みたいな基本的常識があればいいし

それと論文を書く際に論文に関わる狭い分野内で既に何が証明されてるかを把握して説明を出来ればいい

前者は数学教科書を読んでいる内にいつの間にか知っているし、後者研究集会に出るだけで自然と把握出来るので

わざわざ歴史勉強しようとする必要は無い訳だ

これ以上の勉強数学者になるための必要条件に入っているかと言うと、全く無い

たとえば線形代数理論も分からないような人間数学研究をするのは極めて難しいが

線形代数理論がどうやって出来たか歴史なんて知らなくても一切問題ないし知らない数学者も多いだろう

行列式行列より先に扱われていた事なんて雑談に使える豆知識しかならんし

matrixがラテン語の子から来てる事はジェンダー研究者とかの方が知ってると役にたつ事柄なんじゃないかな…

という風に数学者にとっては極めて重要理論であっても歴史は知らなくても問題ない理論がかなりある訳だ

これは別の分野の研究者でも成り立つ事なのかもしれないが面倒くさいのでここでお終いにする

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