はてなキーワード: 禁じられた遊びとは
ギター買って初めて引いた曲はDeep PurpleのBurnだった気がするけど、パープルは奥が深いよ…
あと、Iron MaidenのTrooperも初心者の頃だった気がする
メイデンは同じようなコード進行ばかりだし、弾きやすい気もする
耳コピか、ネットに落ちてる採譜されたものを参考程度にするかぐらい
アドリブはペンタに毛が生えた程度のものは弾けるので、AC/DCのようなものは誤魔化せるけど、難しい奏法は弾けない
最近はYouTube流しっぱなしにして、推薦されれば知らない曲でもその場でコピーしたりして、だらだら弾いてるけど、こんな練習じゃ一向に上手くなった気がしないよなぁ
なんか鍛錬みたいなことしないと駄目かな
私はホラー映画大好きで女優霊、リング、仄暗い水の底からはむちゃくちゃ好きなんだけど
それがいる森
はヒドイ映画だった
でも、どんなに酷い仕事をしても中田監督ってリングの功績があるからか
映画館に観に行くきは失せるよね
邦画のホラーを見て、面白かったなあって思いたいんだけど令和になってからなかなかそういうことがないんよね
中田秀夫監督じゃないけど、きさらぎ駅は「がんばってるな~」って感じて好印象だった
Jホラーってホラー小説の方は面白いなあ!と思うものがずっと出版されてるけど
はちょこちょこ出てくるけどイマイチだなぁとかつまらないなーって思う作品が多いような
来るはけっこう人気あるみたいだけど私は原作のぼぎわんが来るが好きだったから原作が映像化されることを期待して映画館行ったら「あれれ?」って感想になってもた
中華ポータブルオーディオがすごい。
有識者に言わせれば、それこそ「何を今さら」な話題だと思うが、2000年代日本国内で興きたポータブルオーディオブームから数えて二十数年離れていた筆者からすると今の中華ポータブルオーディオは本当にすごい。
ここでさっそく筆者の年代を挙げれば現在30代であり、青春の10代を振り返れば「iPod」が登場し、日本国内で大きなシェアを持っていた「MiniDisk(MD)」が徐々に斜陽化していっていた。
筆者も例に漏れずMDプレイヤー、そしていわゆるiPodに代表されるMP3などを中心に扱った「シリコンオーディオプレイヤー」という遍歴を辿る。
ただ、筆者と同年代であり同時期に青春時代を過ごした者であるならば、Webメディアで語られるポータブルオーディオの歴史とは些か違った遍歴を歩んだという者も少なくないのではないか?(※HDD搭載iPodは厳密にはシリコンオーディオプレイヤーではない)
世の成人したアーリーアダプターたち(主にApple系コミュニティの人たち)がiPodへ熱狂するそのとき、日本で青春時代を過ごした我々が熱狂したのは「Playstation Portable(PSP)」だったのだ。
もしかしたら年代が10歳前後離れているだけで当時のPSPの勢いを肌で感じることは難しかったかも知れない。
一部の成人ゲーマーなどは「モンスターハンターポータブル」あたりでPSPを頻繁に持ち出していた可能性はあるが、実はそのときの学生世代の間ではPSPはiPodと肩を並べ、用途によってはiPodを凌駕するポータブルデジタルメディアプレイヤーとして運用がなされていたと聞くと驚く人も居るかも知れない。
何せ「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」くらいなのだ。
これは当時のiPodでは起き得ないことであり、陰鬱としたオタクというイメージが現在のオタクのイメージへ転換していく過渡期の中でPSPは少なからず影響を与えたハードウェアとして記録していく必要があるように思う。
筆者と同世代のオタクであれば「2ちゃんねるニュー速VIP」ブームを経て、YoutubeからのBANや動画の違法アップロード祭りなど古今東西どう考えてもアウトな「ニコニコ動画」のローンチなどを経験したと思うが、怒られ叱られ叩かれ裁かれ逮捕者を出しながらも独自と言って良い文化を形成できた。
当時の動画の違法アップロードで一番の被害者であった角川書店とドワンゴが今では同じ会社になるとは時代の変化とは恐ろしいものだ。
そういった独自の文化の中心にあったのは「東方」「アイマス」「ボカロ」のいわゆる「ニコニコ三大ジャンル」ではあるが、それらとほぼ同時期に萌芽するのが「歌ってみた」「踊ってみた」である。
そして歌ってみた、踊ってみたの興隆を後押しするのが「涼宮ハルヒの憂鬱」であり「ハレ晴レユカイ」なのだ。
先に挙げたPSPが当時の若い世代に支持された理由がMP3のほか、大画面でMP4動画を再生できたからで、しかもPSPの動画プレイヤー機能はコマ戻しコマ送りが物理ボタンで可能だったこともあり、特に踊ってみたジャンルで練習するためのハードウェアとして選択された。
更にPSPには別売のRCA(赤白黄)変換ケーブルによってPSPの画面をTVなどのディスプレイモニターへ出力することも可能で、アニソンや電波ソング、ボカロソング、ゲームソング、同人ソングなどの配信が乏しかったカラオケ店へPSPを持ち込んでカラオケ機材へPSPを接続しカラオケ配信楽曲以外を歌うという手法が現れた。
これへ呼応するように登場したのが勝手に字幕を付けてカラオケ用動画とする「ニコカラ」だ。
特にアニソンやゲームソングでは無許可で版権素材を活用した高クオリティで手のこんだニコカラ動画も存在しており、JOYSOUNDがその需要に気付くまで人気を博していた。
稀に「なぜあんなにPSPが売れているのかわからない。モンハンだけじゃ説明付かない」というガジェット好きが居るが、ニコニコ動画を中心としたサブカルという背景があり前述したように「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」ほど売れていたのだ。
PSPは当時のSONYが夢想したマルチメディア戦略の中でほんの一部界隈(ほぼサブカル界隈)でだけ成功を収めていた事実は周知されておくべきだろう(UMDやPSP Goとかで失敗してるけど)。
そしてその需要をiPod Touch、iPhoneが奪っていくというのは知られたとおりだ。
多くの人々が音を聴くようになれば良い音質で聴きたいという需要が生まれるのは必然。
iPod登場当初その付属イヤホンの品質の低さが取り沙汰され、MD Walkman派やアジア系ポータブルオーディオプレイヤー派から揶揄されるたびApple信者が「あのイヤホンは音が鳴るか確認するためのオマケ。欧米ではそれが普通。付属品にまでケチ付けるのは日本人だけ」などと言い訳し擁護していたらAppleが競合他社と同等品質まで付属イヤホンの品質を引き上げるというお家芸の梯子外しがあったこともあり、その煽り合いが起きた前後で音の良いイヤホンへ注目が集まり始めた。
最初期に評価されたのはバランスドアーマチュア(BA)型ドライバー本家本元であるEtymotic Researchからリリースされていた「ER-4」だった。
BA型ドライバーは従来のダイナミック型ドライバー(DD)と比較して小型軽量に製造することが可能で、音を発生させる振動板の質量も小さかったため慣性の法則的に非常に反応が良く、iPod付属イヤホンの低品質さも相まって高い評価を受けることになる。
続いて注目されたのがマイクで有名なShureの「E5c」だ。
こちらもBA型ドライバーを何と2基も搭載したリッチなモデルで、BA型ドライバーはその構造上音域が狭くなりがちなのを高音域〜中音域用と中音域〜低音域用に2基とすることで欠点をカバーした製品だった。
更にER-4は現在主流の耳栓型イヤーチップとは形状が違う長めのイヤーチップを採用していたこともあり装着者を選ぶ傾向にあったが、E5cはSONYが売り出して大流行を果たす現在主流の形のイヤーチップを採用しており広い範囲の装着者をカバーできた。
しかしこれら評価の高いイヤホンは学生の懐には大変厳しいという問題があった。
ER-4は約4万円、E5cに至っては約6万円でとてもとても学生には手が出ない高級品であり、着メロの打ち込みから端を発したDTM小僧だった筆者はなけなしのお年玉をはたいて有名ミュージシャンがレコーディングでよく装着しているヘッドホンSONYの「MDR-CD900ST」を約2万円で購入し愛用していた(ちなみにこのMDR-CD900STは修理しながら今でも現役)。
しかし流石にいつでもどこでもMDR-CD900STを常用というのは辛くあり、当時評価の高かったSONYのイヤホン「MDR-EX90SL」を常用するようになる。価格は約1万円。
しかしMDR-EX90SLはBA型ではなく従来どおりのDD型、無論MDR-EX90SLには評価されるだけの音質があり十分に満足していたのだが、BA型イヤホンへの想いは募るばかりであった。
それから二十数年、社会人としてもそこそこ経験を積み、ちょっと頑張ればBA型イヤホンも買えるようになりBA型イヤホンをいくつか購入した後にポータブルオーディオからは距離を置いていたが、何故かふと近年話題の中華ポータブルオーディオへ興味を持った。
調べてみると本当にすごい。技術の進歩と大量生産により当時憧れだったBA型イヤホンが当時のMDR-EX90SLと同等価格どころか下回る価格で販売されているではないか。
これはもう実際に入手して試してみる他ないとさっそく動いた。
最初に入手したのがKZの「AS16 Pro」で、これは以前に「AS16」というイヤホンがありブラッシュアップして登場した製品。価格は約1万円。
AS16 Proはこの記事を懐かしく読んでいて今まで中華ポータブルオーディオへ触れてこなかった読者は驚くはずだ。
なにせAS16 ProはBA型ドライバーを搭載しているが、その搭載数は片側8基、LR両側で合計16基というとんでもない搭載数を誇っている。
これが約1万円で買えるのが中華ポータブルオーディオの世界。
その音の傾向はBA型ドライバーのみを多連装しているだけあり全音域がハイレスポンス、機敏に発声し無駄な余韻なく消音する。音と音がよく分離しており違いをはっきりと聴き分けることができる。
低音域と高音域が少々強調された弱ドンシャリ型のチューニングがなされていて現代のイヤホンでは派手な鳴りが好まれる傾向にありAS16 Proも例に漏れず弱ドンシャリの派手な鳴りだ。
ハイレスポンスで音の分離感が良いと言っても音楽制作用のMDR-CD900STのような分析的な鳴りではない元気でエネルギッシュ、タイトなサウンドの多い電子音楽を聴きたくなる鳴りだ。
ただ逆に言えばレスポンスの良さは空間表現の苦手さにも繋がっており、MDR-CD900STでは継続する余韻がブツ切りするかのように消えてしまうことがあるのは気になった。
ホールの残響感も音楽の一部と捉えるようなオーケストラなどは少々苦手な音楽ジャンルと言って良いだろう。
本当に鳴りがハイレスポンス&タイトなので筆者はボカロソングが多数収録されるリズムゲーム「プロジェクトセカイ」や、電子音楽も多数収録される定番の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)」、なぜサ終してしまうのか「東方ダンマクカグラ」をプレイし、思った通りリズム隊がよく聴こえる事を確認。
現代のポピュラー音楽リスニングに、リズムゲーム用のイヤホンとしてAS16 Proは非常にオススメだ。
ハイレスポンスなBA型ドライバーだが欠点がないわけではない。
その構造上の制約でBAドライバー単体ごとの音域が狭くなりがちで結果としてBA型ドライバー複数基を多連装することで欠点をカバーしているのだが、音というものは低音域ほど大きく空気を動かす必要がある。
小型軽量のBA型ドライバーは小型軽量であるが故に低音域になればなるほど鳴らすのが苦手という制約を持っており、非常にタイトな低音域を持つが深く沈むような表現が不得意なのだ。
それをAS16 ProとMDR-CD900STの比較でしっかりと認識した筆者が次に手に入れたのがTRNの「VX Pro」だ。
AS16 Proと同様に片側8基、LR両側計16基のBA型を多連装しつつ、従来のDD型を片側1基、両側2基を搭載する、全ドライバー18基ハイブリッド多連装という化物スペックなイヤホンである。
このスペックでVX Proも価格は約1万円。とんでもない価格破壊。
VX Proは高音域から中音域にかけてまで非常にハイレスポンスでありながら、低音域を担当するDD型のお陰で低音が発音する際に大きく空気を動かせてAS16 Proと比較して低音域がよく沈む。
耳が従来のDD型に慣れているというのもあるだろうが、この低音域の感覚は非常に好ましく、万人へAS16 Proとどちらをオススメするか?と言われると筆者はVX Proを推す。
AS16 Proのハキハキとしたタイトな低音域を好む人も少なくはないだろうが、迫力ある豊かな低音域のほうが万人に好まれる傾向があるのは確かだ。
VX Proも現代イヤホンらしく鳴りは派手、高音域と低音域が少々強調された音楽的な弱ドンシャリ型のチューニング。
キラキラと分離感のある高音域と、しっかりと空間を感じられる低音域はあらゆる現代ポピュラー音楽を聴きたい衝動に駆られる。
昔話も絡めて話しているのだからココは様々な楽器音が飛び交って音域も広い「ALI PROJECT」はどうだろうか?もちろん最初に再生するのは「禁じられた遊び」「聖少女領域」だ。
音楽制作でミキシング経験がある者ならばわかるだろうが、別々の楽器であっても担当音域が被ると両方とも目立ちにくくなってしまうことがある。
例えばそれが現代ポピュラー音楽では重要なボーカルと、そのボーカルを支えるバックで流れる楽器の音域が被るとボーカルも聴こえにくくなってしまう。ミュージシャンはそれを経験則的に知っているのでミキシングの時点でイコライジングして聴感上のバランスを取る。
それと同様にミュージシャンが例えイコライジングしていても音域の分離感が悪いイヤホンだと各々の大事な要素が被ってしまい聴こえにくくなるのだが、VX Proはそれがほとんど無い。
ボーカルはボーカル、ブラスはブラス、ストリングスはストリングスとしっかりと"書き分け"ており、オーケストラサウンドをフューチャーしたプログレッシブロックALI PROJECTが誇るバックバンドを聴かせつつ、宝野アリカの表現力のあるボーカルを損なうことがない。
特にDD型によるベースラインの深さは特筆に値する。底がしっかりしているおかげでALI PROJECT全体の音楽が世界観が明確になる。単に目立つ派手な高音域ばかり推せば良いわけではないのだ。低音域の支えによる相対的なコントラストが輝くような高音域を演出するのだとVX Proは教えてくれる。
欠点がないわけでない。
やはりDD型の宿命か、タイトさが求められたときフルBA型構成であるAS16 Proの歯切れの良さが勝る。まさに得手不得手の問題だ。
同時に2つ紹介しているのはKZの「ZAS」とCCAの「CA16 Pro」はハウジング筐体デザインが違うだけの姉妹製品だから。CCAはKZのサブブランドのような立ち位置であるらしい。
実際に購入する場合はハウジング筐体デザインの違いや販売価格を吟味して購入すると良いだろう。
ちなみに1万円以下8千円前後くらいの価格の安さも魅力だ。
筆者が購入したのはKZのZAS。
箱出しで早速聴いてみたが何と音がスッカスカ。事前のレビュー調査では低音域が非常に豊かであると触れ込みだったのだが・・・。
実はZASには罠がありZASの性能を十分に発揮するには付属のイヤーチップが低品質過ぎる。これも多くのレビューで触れられているので筆者も先人の導きによって神奈川県所在の株式会社Finalが販売しているイヤーチップ「TYPE E オールサイズ」を別途購入した。
ZASの優れたコストパフォーマンスがサードパーティイヤーチップを別途購入することで少々損なわれるのは口惜しいが、自身に合ったイヤーチップのサイズ感を調べるきっかけにはなったので良しとする。
Final TYPE Eイヤーチップへ交換し再度ZASで聴いてみると派手を通り越した大げさと言って良いチューニングだ!事前のレビューで読んだ通り低音域は前へ出ており深く深く沈んでいく。
ZASのドライバー構成はBA型が片側7基でLR両側計14基、DD型が片側1基でLR両側計2基、合わせて16基ハイブリッド多連装構成で当然ながら低音域はDD型が担当し、BA型が高音域〜中音域を担当するという仕様だ。
前述した通り、もう本当に低音域がすごい。
試しにTVアニメ「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のオープニング曲「微熱S.O.S!!」を聴いてみる。
冒頭一発目から入る超重低音が特徴で、曲中もキックやベースが非常に目立つのだがZASで聴くともうブルンブルンだ。
BA型よりも大きく重いDD型の振動板がこれでもかと震えているのが感じられ、そのせいで耳たぶも一緒に振動してるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。これは笑うしか無い!
続いてはアニメ「魔法先生ネギま!」からオープニング曲「ハッピー☆マテリアル」だ。
冒頭のバスキック三連打が気持ちよく、そして低音域だけど思われがちなZASだが14基のBA型がタイトにハキハキと高音域〜中音域を発音し、豊かな低音域を更に深めてくれるように感じた。ZASは低音マニアへ是非とも奨めたくなる非常に面白いチューニングになっている。
妖精たちが夏を刺激する~
生足太めのマーメード~
出すとこだしてたわわに実れば秋の梨狩りは狩り放題~
なんか急に涼しくなってきたんですけどーと思いながら、
夜は蒸し暑かったりするので、
どっちなの?って思っちゃうけど、
いよいよ秋到来シーズン目前な気がしてならないわ。
トータルテンボスのスキマスイッチのピアノの人が裸足でピアノを弾くくらい熱かったけど
もうこの涼しさなので
事務所内を歩いたら足の裏が真っ黒になりました。
忍びなく半端なかったし、
秋なのでそろそろ靴下を履くわ。
あのさ、
こないだユーチューブで観た、
禁じられた遊びの曲だと思って改めてじっくり聞いてみたら
意外とまんが日本昔ばなしにそぐわない感じだけど、
またあのもの悲しさをさらにいっそう盛り上げてくれるので泣けるわよ。
あの曲ってさ、
これ聞いちゃったらもうまんが日本昔ばなしだわ!ってぐらいしっくりくる感じが
またさらに泣けるーマジ泣けるわ。
泣くのもいいんだってよ!
だいたい世の中に蔓延ってるなんとか活って出尽くされた感もあり
私も何か活動しなくちゃと思う秋、
親子丼活というのに参加してみようと思ったけど、
親子丼なのかカツ丼なのか音で聞いて一瞬で分からないくらい困惑しそうな親子丼とカツ丼を同時に食べられそうなそれは
とにかく秋目前の食欲増進の手助けにはなってくれそうよ。
いいじゃな!
お店によってはさ、
ギブミーチキン!
鶏肉ちゃんをもうちょっと具に増やして入れて欲しいんだけどなぁと言うところもある反面、
なかなかほどよいバランスの親子丼ってなかなか巡り会えないのもまた事実。
そう言う親子丼活って追求して活動してる人がいるんだなぁって、
なるほどなぁと思っちゃったわ。
うふふ。
まだまだアイスでもいいけど、
これがホッツに取って代わったらあき竹城って感じだわ。
グーグルマップの音声検索であき竹城って検索したら竹田城ではないですか?って真面目かよ!って思った朝でした。
そうそう梨の話ししてたのも
マーケットにもう梨出てたので、
秋梨ウォーラーにしてみました。
梨通の間では20世紀梨の方が美味い!って言う人もいたりするから
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ふと気付いたのだが、現実で猫を見かけるよりもネットで見かけるほうが多くなった。こういう逆転は、実は珍しいのではないか?と思い始めた。もちろん、パンダを目で見たことがある人よりも、テレビで見たと言う人のほうが多いだろう。希少な動物だし、日本にいるパンダは数えられるほど少ない。雀はどうだろう?あれだけの個体数で朝チュンチュン言ってるので、当然直接見る機会の方が多いだろう。じゃあ猫はどうなのかというと、確実にネットの方が沢山いる。氾濫していると言ってもいい。昔は、たまにどこかの飼い猫が鈴をつけて歩いている姿を見る機会が多かったはずだ。野良猫にあったら、とりあえずモノで釣って近寄ったりしたはずだ。そういった経験の価値は、今はメディア猫に比べて相対的に上がっている。メディア猫の振りまく喜劇的な可愛さに僕らの胃はもたれ気味で、どうしたってあのツンケンした現実の猫とふれあいたくなる。そうしてまた「猫を飼いたい」という偽物の気持ちを植え付けられた人々は今日も猫の居ない生活に首をかしげることになる。おかしいな、メディア猫はあんなにも居るのに、現実では全然見かけないじゃないか。。
ここから先は完璧に想像なのだが、日本の高度経済成長時代、裕福な家庭の象徴として「ペットを飼う」が掲げられた。立派な一戸建て、最新の家電、頑丈な車、広い庭、そして片隅には犬小屋があり、ゴールデン・レトリバーがいびきをかいている。ペットを飼う余裕すらないのは、中流とは言えない。彼らはこぞって同調し、しかし「なにを飼うか」で個性を競っていた。下らない流行りに付き合わされたのが猫たちである。様々な品種改良が進み、もはや家の中でしか快適に暮らせないまで進化させられてしまった彼らには高い値段が付き、飛ぶように売れた。一方で、捨てられる猫が増えた。もともと繁殖力の強い生き物だから、全国的に猫だらけになった。しかし10年も経てば、野生の猫は力尽きる。彼らの相手はいつの間にか、戸建ての一軒家からコンクリートの階層ビルに変わっていた。人間のご相伴に預かれなくなった猫たちは、やがて数を減らしていった。
そんな猫たちに分け隔てなく優しさを振りまいて、ご飯を食べさせるついでにうちの子にしてしまう男がいた。僕の叔父だ。彼は長い間祖母と二人暮らしで、ふたりとも猫が大好きだった。いつの間にか祖母の家は猫屋敷になっていた。祖母も叔父も、自分の家に何匹猫が上がり込んでいるか把握していなかった。そんな中の一匹に、チイがいた。チイは猫らしい猫だった。小さな僕がよちよち階段を登って必死で追いかけるのに、彼女はするりと脇を抜けて逃げてしまう。とても人見知りな猫だった。僕は彼女を一度くらい撫でたかった。毛並みに触らせてほしかった。ついぞ彼女が姿を消すまで、僕は撫でることができなかった。
いま猫が好きなのは、そういう原体験のおかげかもしれない。居なくなった猫の毛並みを想像して、ずっと別の猫のことを可愛がり続けるのかもしれない。そんな気持ちは猫にとっては知ったこっちゃない。我が物顔でご飯をねだり、好きなときに遊んで寝るだけだ。僕にも猫の気持ちなんて分からない。この世の誰が猫の気持ちを知っているだろう。ただ、そうした中でもなんとか上手くやっていくことができる。お互いの勝手を暗黙に認めて、自分だけのことを考えて共生する。そういうのが生活というのだろう、となんとなく思う。
祖母がもし居なくなったら、あの元猫屋敷には叔父しかいなくなってしまう。僕は叔父がクラシック・ギターを弾くのが好きだった。その昔、禁じられた遊びを弾く叔父がとてもかっこよくて、僕もギターを弾き始めた。またあの家にいつか、もうちょっとしっかりしたら、遊びに行きたい。縁の下に、光る眼。
「サボタージュ」、「間諜最後の日」、「平原児」、「西部戦線異状なし」、「祇園囃子(1934年)」、「祇園囃子(1953年)」、「雨月物語」、「東京物語」、「地獄門」、「青い山脈 」(1949年版)、「おかあさん」など
「ローマの休日」※、「戦争と平和」※、「シャレード」(1963年版)、「風と共に去りぬ」、「アフリカの女王」、「荒野のガンマン」、「ガンヒルの決斗」、「キリマンジャロの雪」、「エンブリヨ」、「ルーシー・ショー」、「ボナンザ」など
「セカンド・サイト光と影の中で(英語版)」、「ハングマン(英語版)
「カサブランカ」、「紳士は金髪がお好き」、「カンサス騎兵隊」、「片目のジャック」、「マクリントック」、「バリ島珍道中」、「雲流るるはてに」、「恋愛準決勝戦」、「白雪姫」
「岩窟の野獣」、「ガリバー旅行記」、「スーパーマン」(フライシャー・スタジオ製作分)、「ポパイ」(フライシャー・スタジオ製作分)、「まぼろし探偵」
「C.C.ライダー」
「シェーン」、「禁じられた遊び」、「オズの魔法使」、「凱旋門」(1948年版)、「イースター・パレード」、「雨に唄えば」、「真昼の決闘」、「ウィンチェスター銃'73」、「ピノキオ」、「バンビ」、「ファンタジア」、「ダンボ」
因みに洋画の好きな監督はパトリスルコントとかジム・ジャームッシュとか。ジブリも好き。
邦画も観るし、コメディ、アクション、ヒューマン、ホラー、アニメなんでも好き。
伏線が細かいというかドンデン返し系が好きだけど、なんでも観るよ。
因みに俺は『禁じられた遊び』。
色々参考にしました。
今敏、AKIRA、ノーラン、北野武は持ってるので帰って観ます。
ディナーラッシュは俺も好き、話が合いそう。
火事映画教えてくれた人は火事が好きなの?ファイヤーマンが好きなの?
化粧師は観たかったけどいっつもレンタルショップ行ったら忘れてたので教えてくれて有り難い!
他にも色々有り難う御座いました。
暫く映画充できる!!
娘と名作映画と言われるものを一緒に見たことがなかったので、若干無理やりにだけど、まずは共に「禁じられた遊び」からDVD視聴することにした(ちょっと抵抗されたけど・・・)。
見終わって感じたこと。昔何度か見たのだが、そのときからずっと不思議に思ってきたことが、東日本大震災後に報じられていたあることと符号し、一気に理解できた。
不思議に思ってきたこと。
・なぜポーレット(主人公の女の子)は死んだ父母の元から離れ、その後あまり父母のことを思い出そうとしなかったのか。
・そしてなぜあの動物の埋葬と十字架遊びを繰り返していたのか。
つまり主題である「禁じられた遊び」にどのような意味があったのか。
リンクにあるように、東日本大震災後、子供たちの中で地震ごっこや津波ごっこが執拗に繰り返されたと言う。それは大人の目から見ると、不謹慎な遊びであり、ある意味「禁じられた遊び」である。
これは実は東日本大震災だけでなく、神戸の震災のときにも見られた現象とのこと。
つまり、大人のように理解する枠組みを事前にもたない子供には、事態を身体で理解し受容するまでに、何度か遊びを通じて事象を繰り返す必要があると言う。いわゆるPTSDからの回復過程。
映画「禁じられた遊び」のポーレットもまた、機銃によって目の前で父母を殺されるという事態を受容していく過程として、まずは理解しやすい飼い犬の埋葬からはじめ、動物の埋葬を繰り返す埋葬遊びを通過する必要があったのではないだろうか。そして周囲の大人はそれを理解しなくても、同年代のミッシェル(男の子)はその必要性を感覚として悟り、協力していったのではないだろうか。
そう考えると、最後の最後で「ミッシェル、ミッシェル、ママ!」と冒頭より忘れ去っていた母の存在がようやくポーレットの中で浮かび上がってきた意味がよく分かる。
名作と受け取られる作品はどこか、時代にとらわれない普遍性があるからこそ名作なのかもしれない。
地震ごっこ、津波ごっこなどの子どもの遊びへの対応 その1 http://blog.livedoor.jp/pomr/archives/51870238.html
その1 http://anond.hatelabo.jp/20100318123002
その3 http://anond.hatelabo.jp/20100318200421
タイトルマッチを戦うときは
ゴングはいらないセコンド一人
すぐに呼びましょチャンピオンを
コントの流れが止まったときは
ボディアタックくらわせてきても
ここも最後の方まで決まらず、行き場に困ってたジャンポケ投入。決まらなかったのは「悪霊退散!」的なネタってぜったい誰かやってるよなあと思ったから。その人たちいれたいけど私わからない!みたいな。
同級生 二十年前からつるんでる
麗しの何千年昔の王女様
その名をお貸しください 僕らのネタに魅惑の色気ください
タイトルにかぶせられそうだし、コンビ名が「何千年前」とかあながち間違いでもないしクレパトファンが最近周りに多いし、彼らにするにはさほど迷いはなかったんだけど、決めてからが長かった。
ネタがわからんのでニコニコで見始めたら面白くって一時間近くぐるぐる回っちゃったり、結局それは歌詞に一ミリも生きてなかったり(笑)
きらいきらいめくらないで 真赤になっちゃうから
とろけるような言葉 耳元で言わないで
すきすき君の事が 世界で一番だから
そばにいるだけで私 バニラビーンズ増えちゃう
「どの面下げてそんなこと言えるのよ ブス!」
「ひどい!そんなこというなんて!」
「だって本当のことだもーん。ブタ柄……ぷぷ」
「縦読みドコー」的なコメントがきてたのですが、やっぱり元歌縦読みあるの?歌詞作るとき気になってぱっと見た感じ調べてみた感じ、見当たらなかったからスルーしてしまったのですが……
おどろぉ 周太 ケンちゃん
これで決めるぜ
俺たち すべり知らず
だまにゃんダンス
ノーコメントである。
…あ、前回の「ガッチャ」気づいてもらえてとても嬉しいです(笑)
京浜東北線伸ばす あなたが憎らしい
跪いてお嘗めよ つぶれた東京タワー
そうだおそれないで みんなの岡部
ゆけ みんなの岡部 まもるため
ここも本来歌詞ない。でも尺長くてもったいないので、歌ってた人の歌詞参考に替え歌。前半は「禁じられた遊び」、後半はアンパンマンか。
おちゃだんせっかくAGEAGEだし入れたくって、アメリカンアンパンマンのネタがあるから後半にしようと思ったのだけどいつのまにかこんなことに?
カメラは寄らないでください
じじじ自虐はもうしません 追いかけたいのは
仲良しアイツらじゃないから
たどこおさんは「北関東あたりのゲーマー」ってことに今はなってるけど、文字数の都合上。カメラはシチサントーク中の話!
後半は一ライスファンとしてのただの希望。でもきっとそうだよね。
漫才愛する想い 一つだけ叶えたら
誰も目立ったキャラのいない 三組が揃ってしまったよ
タモンズとか井下好井とか入れたい人たちだったんだけど、それぞれ単独ではうまく入るとこがなかったので。
まさかのITIですよねー
うまうまうまうま……
(あの馬のお面のやつ)
原曲も「ウサウサウサウサ……」ってずっと言ってるだけだった。
ボイフレはもっとテンション高いとこでテンション高くいれたかったなあとはちょっと思う。元歌詞がなんか純粋無垢なんだもの…いじりにくい!
どこまでも俺らはゆくよ
連続で難易度たかかったよー。素直に頭文字をとってノンスモさん。
好きなんだけど、むずかしいなあ。
図書室さ隠れて 女子のふりして 告白するんだ
私が生で見たことあるのってこのネタくらいしかないから素直にそのまま行ってしまったんだけど、反応見るにメジャーじゃない?なんてこったい\(^o^)/
綾部さんが「女の子とドラマみたいな出会い方したい!」とか言って、「図書室で偶然同じ本に手をのばして触れ合ってドッキリ」をやろうとなり、「あなた…私のことが見えるの?」と又吉さんが図書室の幽霊かと思いきや「教頭です」で終わった記憶があるのだけどー
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
アゲサゲライブもやっちゃった
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
アゲサゲライブでやったった!
YATTA! YATTA! チョットトレイン
YATTA! YATTA! サファリパークだ
YATTA! YATTA! ポンコツ二人
YATTA! YATTA! ツッコミ一人
スリッパ片方あればいい エブリバディセイ! YATTA!
今はわからないことばかりだけど
信じるこの道を進むだけさ
タンクトップも芸名も構わない
笑いを逃すもんか
何期だかわからん、先輩なの後輩なのどっち?感を出したかったんだけど、国語力のなさにて挫折。替え歌むずかしい。ここにきて思い知る。
こっちはボーボー ぼくボーノです
吉村がんばる ラメにも負けず
寝起きダメなボーノさんはライスシチサン「起こしまSHOW」のネタです。
吉村パラソル好きだからまた使っちゃった。
これいい?だめ?
やーなんか文字数しっくりきたからさあ……
合いの手いいなあー「長田 長田 かたはばおばけ!」
裏9期の中で 存在感あげたい
なんか喜んでもらえたぽくて嬉しい。
(薄暗い部屋。タイプの音とディスプレイの青い光。はたと男はタイピングをやめると、くるりと椅子を回転させこちらに顔を向ける。男は、その血も通わぬ爬虫類を思わせる青白い顔を隠そうともせず、語り始める。左手には空になったワイングラス、右手には陰茎を握り締めている。)
「パンチラによる興奮とは」
(そこで言葉を切るとニヤリと笑みを浮かべ、こちらに視線を送ってくる。その目は、あらゆる汚辱を連想させるのに十分な汚らわしさ持っている。)
「スカートの下に、パンツが、下着が、もっと言えば、さらに深層には陰毛、そして性器がありますよね。それらが隠蔽されているけど、確かに存在するというギリギリのせめぎ合いの中にこそパンチラの美の断章があるということは、おのおのが胸に手を当ててみるまでもなく共有された、一般的な感覚でしょう。ここで重要なのは実際にパンチラがそこに見えた瞬間にそのエロティックな、張り詰められた緊張は突如として色を失い、泡のように溶けてしまうというです。私たちはパンチラに、はかない夢を見ているといってもいいのかもしれません。しかし、我々はパンチラという原始的で、その下に陰毛が群生していて、さらにその下には性器が待ち構えているという分かりやすさの中に現れる単純なエロティシズムに、我々のちんぽ的なものをあずけていいのでしょうか。我々、複雑さを好むオタクにとってパンチラなんていうのは児戯に等しいとさえ思います。実際に、パンツなどというものはとるに足らないものです。ではその下に欲望されるべき陰毛はどうでしょうか? 性器なら? 逆です、逆、これは逆なのです。性器に近づけば近づくほど、エロティックな情感からは遠ざかっていくのです……エロティシズムの井戸から、とめどない興奮と激情を汲みだせるのは想像力、それだけです。真にエロティックなものとは性器でも性交そのものでもなく、それを暗示し、ほのめかし、イメージさせる固定観念にまで凝り固まったイコンでなくてはなりません。
では、どのようなものがエロティシズムを喚起するにふさわしい、我々オタクのちんぽ的なものをあずけるに相応しいエロティックなイコンとなりえるのでしょうか。順を追って考えていきましょう。
まずパンチラの例を再度考えます。それが低レベルであってもエロティシズムのかけらを保有していることは、さっき確認しましたね。ではその際、重要なファクターとなったものも覚えていますね。そうです、隠蔽されているということです。スカート-パンツ-陰毛-性器というふうに多重に隠蔽されているからこそ、それを想像し、それを犯すことが出来るというわけです。では、どんどん性器から、性交から遠ざければ、多重に隠蔽すれば、エロティックな様相を帯びてくるのでしょうか。十二単? チャドル? ブルカ? フフ……確かに、個人的にはそれらに劣情を催すこともあります。個を排除し、まったいらにする……どこかみたいですね。しかし、それらは物理的な多重構造です。我々オタクはもっと知的になるべきです。物理的な多重性よりも、観念的な多重性を重視すべきです。布が何枚重なろうと、我々の想像力は北風や太陽よりも早くそれらを剥ぎ取ってしまうでしょう。
観念的多重性とは、観念的にスカートでありパンツであり陰毛であるところのものとは、つまるところ禁止の概念です。タブーです。我々はしてはいけない禁じられた遊びの中にこそエロティックなイコンを見ることができるのです。
それは実際の性交においても当てはまります。初めての性交は、少年と少女の共同犯罪ということができます。それはエロティックな、痙攣的激しさを持って行われる魂の完全犯罪ということができるでしょう。彼らにとって、それはしてはならない「禁じられた遊び」に他ならないのです。うしろめたさ、背徳と堕落が絡み合う瞬間……ひひ。
我々オタクはいつまでたっても本質的には子供ですが、禁止も侵犯し続ければ当たり前になってしまいます。そこにはなんのエロティシズムも見られなくなる……エロティックなイコンの神様はうつり気で恥ずかしがり屋なのでしょう。幾重のベールをめくり、やっと会えたとしても、すぐに隠れてしまいます。
しかし現代日本において、共同幻想として機能するエロティシズムは絶望的といわなければなりません。何一つ禁止されることなく、どのような性的なものでさえあけすけにばら撒かれているのですから。私くらいのオタクになれば、目を瞑って URL を適当に打ち込んでも幼女のどぎついポルノに行き着くことができますよ。ははは」
乾いた笑い声が響かせながら、男は机の上から茶封筒を取りあげる。
「これがなんだか分かりますか。これは、夢の残骸です。セカイを変えようとして、それでも変えられなかった、そんな夢の死体です。性を禁止し、徹底的に取り締まらなければならない、その理由と、それがもたらす平和についてかかれています。性を徹底的に匿名化し、性別という概念すら血液型レベルにまで追い込んでしまおうとするものです。そのセカイでパンチラを体験すれば、おそらく誰であろうと、今までのように低レベルなエロティシズムだ、などと思うことはないでしょう。それどころか、涅槃にまで到達できるでしょう。これを、我々の手にエロティシズムを取り戻すために、国会にねじ込もうとしたのですが……かれらは目もくれませんでしたよ……人をキチガイ扱いして! 何が性の抑圧は変態性欲をつくり出す、だ! 何が前時代的だ! 何が表現の自由だ! 奪え! そんなものは刈り取って抑圧してしまえ! アスファルトの下に咲くたんぽぽこそが、最も美しいたんぽぽだろうが! 貴様等、海外幼女買春ツアーの、想像力欠如の!! 蛆虫レベルの低次元のエロスに満足する豚どもが! いいさ! セカイが変わらないならこっちから願い下げだよ! 我々は、我々のセカイに逃げるのだよ! ははっはっははは!!!」
男は突然立ち上がり自らの陰茎を引きちぎり、両目を潰した。
「ひぎぃ! ふふふふ……いいんだ、これで、いいんだ……何もなくていい。何も見えなくていい……目を瞑ってみるセカイこそ、私に、もっともエロスを与えてくれるのだから。私はこれから記憶の澱の中で、過去の苦い経験の中で、エロティシズムをすくい続けるのだよ……もはや、ちんぽなどという分かりやすい絶頂は必要ないのだよ……」
そのとき、男の目から確かに一筋のエロスの涙が零れた。