はてなキーワード: 明治時代とは
先日旅行をした時です。
「通話はお控え下さい」の意味はそれ!? 呼び出し音が鳴っても通話はしないで延々と呼び出し音鳴りっぱなしにせよ、という意味!?なのかと思っていたのですが、しばらくして団塊世代の人と思われる男性が自分の懐からスマホをとりだし、人差し指一本で操作し始め通話を座席でし始めました。
おそらく、この人は、電話は家か事務所にあるもので、電車の中にあるわけが無い、と思っていたのだと思います。
そして電車のアナウンス「通話はデッキでお願いします」の文言も「そもそも電車の中で通話なんてあり得ない。それに「デッキ」って横文字は何?」と、現代文明に付いてこられない方だったのかなーと思い、少し哀れんでみました。
「マナーが無い」と切り捨てるのは簡単ですが、可哀想な旧人だと思うと、スマホを使おうと一生懸命現代文明についてこようとしている姿が健気じゃありませんか。思うに、その男性が人生の大半を過ごしてきた中で携帯・スマホの類いが無い時代の方が長いのですから、きっと無くても生活出来ると思うのです。何も無理に使う必要は無いと思うんですけどね。
秋葉原を歩いていた時です。
煙草をふかして、しかも吸い終わった吸い殻をその辺に捨てる男性がいました。
秋葉原近辺が、喫煙禁止区域になったのもかなり前の事ですから、きっとこの人はタイムスリップ状態だったのでしょう。しかもその辺にポイ捨てする所を見ると、昔の宮崎駿のアニメでは煙草のポイ捨てシーンが多かったですから、その影響を受けているのかもしれません。ロリ動画が影響を与えて犯罪に走る、と言われるように、多分この人も名作と言われる「宮崎アニメ」を見て影響を受けたんだと思います。もちろん、その他のアニメかもしれませんし、それは分かりません。
あ、もしかすると、税金を多く払っている特権階級の人かもしれませんね。税金を多く払っているから、喫煙禁止エリアでも免除、ポイ捨ても誰か税金で雇われた方が片付けてくれるという特権階級なんですね! 華族か武士の方なんですかね。やはりタイムスリップしてきたのだと思う方がいいかもしれません。早く江戸時代か明治時代に帰った方がいいと思いますよ。
日本の最高裁は、強盗強姦罪の保護法益は、「強盜強姦罪は強盜たる身分を有するものが、強姦をする犯罪であり、個人の専屬的法益(婦女の性的自由)を侵害する罪である。」って言ってるよ。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=70719
本来はそうではなかった、と主張するのはいいけど、今はもう性的自由を侵害する罪ってことで運用は固まっている。
また、昔は違った、と主張するにしても、
というのは言い過ぎ。昔から「強姦」と「和姦」の切れ目は、女性の同意があるかないかだから。
13才以上の女性が性交に同意していた場合、いくら親やその配偶者がその性交を認めてなくても、強姦罪は成立しない。親も配偶者もいない女性が相手であったも強姦罪は成立する。これは、現行の条文の成立当時から変わらない。
強姦罪という法律が設定された当初は女性の性的自由なんて概念は存在しなかったので、当然そんな概念は元々盛り込まれておりません。
おk?
女性の性的自由が云々ってのは、明治時代の法律を戦後もそのまま使う為に上っ面を挿げ替えただけだよ。
でも大元は変わってないわけで。
「膣にペニスを入れる行為に限定」「男には適用されない」ってのもそのせい。
ぐぐってみれば?
今もそうであると言ってるよね?
そりゃ、明治時代に設定されたものがそのまま使われてるからね。
お前、アホだろ。
あと明治時代の話だと言うのを引用からわざわざ削除した理由は?
そりゃ傷害罪。ひょっとして暴行罪と傷害罪の違い分かってない?
そもそも瓶を突っ込んだだけでは強姦罪にはならない。強姦罪の成立要件も分かってないのかな。
という茶々は置いといて、強姦罪は元々明治時代に「男の所有物である女の性を侵す犯罪」として設定されたもの。
女のダメージなんてどうでもいいのよ。被害者は女ではなく、その女を所有している男だから。そういう法律だから。
女にダメージを与える事そのものを罪に問いたいなら、根本的に法律の概念を変えるしかないけど
それすら未だに行われていない中世ジャップランド(あ、使っちゃったー)がこの国だから。
その法律の概念に疑問を抱いていない、レイプの被害者は女の所有者である男である、と考えている男が多い限り変わらないわな。
別増田が書いてる「性的虐待の大多数が配偶者や親が加害者であるという事実はスルー」ってのも、
男の配偶者つまり夫や男の親つまり父親は妻や娘の所有者だから、なわけで。
光市母子殺害事件なんてのも典型例だった。あの事件で被害者とされたのは、殺された女性(と子供)ではなく殺された女性の所有者=夫だった。どう見ても。
たまたま記事が目に入ってきたのですが、思うところがあったので書かせて頂きます。
当方関東のどこかに住んでいる二十代後半男で、歴史系ウェブサイトを立ち上げる為に頑張っているところです。
仕事柄いろんな場所に行き、地域の裏山なんかに眠っている中世の城跡の歴史などを調査する為に茂みの中に入って行く事が多いのですが、
中世の城跡、つまりかつて戦国時代に軍事拠点であった場所の地権者って、代々農業を営んでいる方が大変多いのです。
それはなぜか。
私自身の話が分かりやすいかと思うのですが、私の実家のお墓は地域の小高い山の上にあります。
地域に数件ある増田家の墓のみがその小高い山の上にあり、増田家以外の墓の多くが同じ地域の低地にあるお寺の敷地内にあります。
てっきり増田家は地域の爪弾きもので、いじめられっこだったのかと勝手に思っていましたが、
どうやらその墓地周辺が中世戦国末期の城跡の主郭付近であり、増田家はその城主だった、とのこと。
そして現在の増田家は、やはり農家。江戸時代は庄屋さんで地域でも裕福だったが、やはり農家。
なぜ農家になったのか?
仮に小寺家としますが、小寺家の重臣として召し抱えられて、現在の実家近辺の統治を任されていたとの事。
その小寺家は隣の隣の隣ぐらいの町を拠点とする赤松家(当然仮の名)によって追放され、
増田家は赤松に下り(前述の低地のお寺は赤松の菩提寺の末寺)、その赤松も
当時関東平野制覇を目論む小田原の後北条家にやがて下ることになる。
北条家は赤松家を頭としその地方一帯を統治する◯◯衆を組織し、
増田家もその◯◯衆のメンバーとして、引き続き実家付近を拠点に統治を続けたとのこと。
そして問題の小田原征伐。豊臣とその取り巻きにて小田原を包囲し、関東地方一帯の小田原方の城郭が同時に攻撃を受ける。
上杉・前田・真田に攻められた八王子城の惨状や、忍城の成田家の奮闘はこの時の事で、うちの実家付近の拠点は簡単に落城。
増田家の筆頭は小田原城に籠もり、◯◯衆として勇敢に立て篭った、のかもしれない。
そして小田原北条家は滅亡し、関東の統治ネットワークはそのまま徳川家に与えられ、関東には徳川の家臣が流入してくる。
元々関東のそれぞれの地方を統治してきた◯◯衆の大半はその際に潔く農業を取り仕切る庄屋層に転身し、
残りの一部は徳川への仕官を申し出てたりして引き続き武家である事にこだわり続けたとさ。
かくして、関東の大半の武士が農家になり、少数の徳川家臣による統治を受け入れた。
この話を土地の古老に話したりすると、忘れ去られていた「イエ」の記憶を取り戻したようで、いたく感動される方が多い。
また逆に、「当家は代々武士の家系で・・・。」といった方に話をすると、複雑な顔をされる方が少なくない。
身分は固定されたもので、名前とともに受け継がれるようなイメージを漠然と抱いている方に多いのですが、
「単に先祖が徳川方に付いて頑張っただけ」というストーリーに聞こえ、どうも「武士の家系」イメージに合わないらしい。
(ちなみにこれらは関東の話ですが、土佐の長宗我部と一領具足の結びつきが幕末の坂本龍馬の時代まで尾を引いた事を考えると、全国各地である事なのでしょう。)
この話を踏まえて、血筋とは何なのか。
「イエ」の物語やその教訓は代々守り伝える限り残るが、
遺伝的な意味での「血筋」がはっきりと出るのは数代の限りなのではないかと考えている。
農家さんの多くが確かに自分たち自身を「ただの百姓」と呼び、学も無く品格も無い、と自虐的に語るが、
失われた歴史をストーリーとしてお教えすると、生き生きと誇りを取り戻す。
しかしながらそれまで受けてきた教育は変わらないし、次世代に何を教え残すかも教育者としての自分次第。
ちなみに「農民」で一括りにされる事が多いですが、庄屋層は江戸時代からかなり恵まれた教育環境にあったとのこと。
うちのばあちゃんも地域で唯一女学校に行かせてもらえたらしく、単に士農工商とかいうファンタジーではくくる事が出来ない場合が多い。
家庭環境の違いは生まれによって確かにあり、教育の質は当然大きく変わってくる。
また、「武士の家系」という代々受け継がれる「イエ」の物語が作り出す誇りと自信も大きいのかもしれない。
千葉県の某所にやはり「武士の家系で・・・。」という誇り高き地主タイプの方がいらっしゃいました。
その方の家はやはり小田原北条家に仕えていたとの事でしたが、なぜか江戸時代を通して武家として、徳川から本領を安堵されていたとの事。
何だろうな・・・。と思い調べてみると、何の事は無い、北条家に仕えながらも徳川家と内通をし、小田原征伐では豊臣側に付く代わりに、本領安堵の約束をしていたという(うろ覚え)。
「武士の家系」物語が作り出す誇りというものも、割と中身の無いものである。
(ただし、これも一つの歴史であり、武家としての「イエ」の歴史を守る、という意味では尊い決断なのかもしれない。)
教育の質に関しては、言わずもがなであるが、近代的な教育と人材登用システムが構築されてからはそのシステムをよく理解している事が肝心なのは当たり前で、
教育水準の高い家には、良い教育方針と良い物語が備わっているのかもしれない。
「物語」によって得られた誇りを胸に、立身出世を志す感覚が備わっているかどうかは大きい。
教育の機会も家庭の経済状況などに左右されてきたが、時代とともに様々な仕組みが生まれてきた。
貧困を理由とした教育機会格差の問題は、薄められてきた。「志」の教育を出来ているかが大きいと思う。
最後に大事になるのが、攻略法教育。つまり「受験」というペーパーテスト人材登用システムの攻略法を伝授できるか否か。
現代の引きこもりの人々は、高い志を母親、あるいはテレビや漫画から植え付けられてきたのに、
攻略法を持たないのでその理想と現実のギャップで屈辱感にまみれて腐っていく。(かなりもったいないと思う。)
そして、教育とは代々受け継がれるもの。早く気づいた方が有利なのは、間違いない。
明治時代から気づいている家庭もあれば、最近気づき始めた家庭もあるだろう。
大雑把な言い方になるので間違いがあれば指摘していただければ有難いのですが、恋愛はもともとは宮廷の遊戯として始まったと聞きます。
それが大衆化したのが二百年ほど前。しかもその概念を日本でも知られるようになったのは明治時代。百年ほどしか経っていません。
とりあえずこれは間違い
私は異性・同性を問わず誰かを愛したことがありません。恋に落ちて有頂天になるということがどんなことなのか分からないのです。
私は来年で四十歳を迎えるのですが、恋人というものが居た試しはありません。
そして、それについては孤独感よりもむしろ解放感を抱いているところがあります。
独りぼっちで何がいけないんだろう、私がそれで満足しているのならいいんじゃないか、と。
両親にこの話をしても通じないので、「なかなかこれといった女性に出会えない」と言ってかわしています。
世間では恋愛というものを美しいものとして語ります。人と人とが恋し合うことが当たり前のことのように喧伝されます。
それは私のような人間にとって酷く苦痛です。まるで恋愛をしていない人間は人間ではないと言わんばかりの風潮を感じます。
そんな風潮から逃れたい、そっとしておいて欲しい人間も居るということを忘れないで欲しいのです。
そもそもこの「恋愛を理解出来ない」という感情は子供の頃からあったように思います。中学校の修学旅行で
お決まりの「誰が好き?」という話になったのですが、私は適当な名前を挙げて誤魔化しました。
人は必ず恋愛しなくてはならないんだ、という思い込みはその当時は根強く残っていたので
名前を挙げたその女の子のことを好きになろうと努めました。しかし、結局片思い(?)のままで終わってしまいました。
以来、私の意識の中から「恋をしなくてはならない」という無言のプレッシャーを感じるようになりました。
他人を愛することが出来ない自分は人間として欠陥品なのではないかと思ったこともあります。
もっとはっきり言えば、人間としてどこかが壊れているということです。
それが、「別に恋愛なんてしなくても生きていけるんだ」と思うようになったのはつい最近のことです。
大雑把な言い方になるので間違いがあれば指摘していただければ有難いのですが、恋愛はもともとは宮廷の遊戯として始まったと聞きます。
それが大衆化したのが二百年ほど前。しかもその概念を日本でも知られるようになったのは明治時代。百年ほどしか経っていません。
これを知ってから、別に「恋愛」という概念が自明のものではないのだな、と思うようになりました。それは一種の救済でした。
これは非モテとかそういうのとは別の問題です。恋愛をするチャンスを虎視眈々と狙っているのが非モテだと思うのですが
私はそういうものを特に狙っていないのです。ひとりで居るということに解放感を感じているというのは前に書きました。
うちは明治時代からの東京住民。江戸時代からって自慢したかったが、そうではなく残念。
でも、関東大震災も、東京大空襲も経験していて、それに纏わる話が聞こえてくると背筋を正して反応してしまう。
子供の頃は、親が地方出身でおばあちゃんがいる田舎に連れて行ってもらう、って話を聞いたりして、羨ましかった。
代わりに箱根や富士山に連れて行ってもらったけど、お金持ちの友達は京都や九州、あるいは外国に連れて行ってもらえたりして、
ジェーン・スーさんは、地方の人から「東京はみんなのもの」と言われたそうだけど、ここが田舎で帰るところがない人もいるんだよね。
よく山形とか長野とかの人に旧藩時代からの対立意識みたいなのを聞かされるけど、
実は、東京23区内だって、口に出さないだけで東と西で微妙な関係だったりする。
東京初代の人や親の代からの東京人には分からないだろうと思う。
で、こんなことを書くと、結局自慢したいのか、という顔されるんだけど、そうではなくて、
ということが言いたいだけだったりする。
大企業に就職できる人には他にも選択肢がある、明治時代の農家の次男三男とは違う、と主張したいのだろうが、改めて現在の世の中を見ろ。
これだけ社畜に溢れかえった世の中を見ても、選択肢があると言えるだろうか。
安定を求めて公務員や大企業に新卒や既卒が押し寄せるのは今も昔も変わらんが、必死さが違う。
ボーナスは削られ、昇給はなくなり、疲労の濃く残った暗い顔して終電帰りする中小企業の社畜と同じような境遇にまで落ちないように、
待遇や福利厚生のまともな安定職種にしがみつき、必死に腹芸し、そうやって生き残っていこうとする人間も一定数存在する。
またそれが彼らの戦い方でもある。
人の戦場を笑ってはならない。
4年に1度のバカ騒ぎが今年もやって来た。まるでサッカーを見ない奴は非国民と言わんばかりの世間の雰囲気につくづく嫌になってくる。大体、ただボールを蹴ったりわざとこけて痛がるフリをするだけの欠陥球技に何を熱狂する必要があるのか。だったら、わざわざスタジアムを建設するよりもアマゾンの河原で試合をすれば十分じゃないのか。
一説によると、明治時代以降の日本人は年々白痴化が進んでいるというから、サッカーが流行るのも仕方がないのかもしれない。とはいえ、渋谷の交差点で「ニッポン! ニッポン!」と叫ぶ若造どもを見ていると、本当に日本は右傾化してしまったんだなと痛感する。つまり、サッカーに熱狂するネトウヨは単細胞バカということになる。
その点、野球は優秀だ。なにせ、脳トレになる。ピッチャーは「どういう投球にするか」「球数は」「スクイズを決められたら」、バッターは「次の球は見逃すか、打ちに行くか」、監督やコーチ陣はピッチャーのローテーションやスタメン起用、代打の必要性など、様々な戦術を考えながら皆で勝利を目指すうちに脳が鍛えられていく。これほど優秀なスポーツは他にない。
FIFAによって世界中の人類がサッカーによって単細胞バカになっていくのを横目に見ながら、日本だけは野球文化を守り抜いてほしいと切に願っている。
江戸時代から明治時代へのような大きな転換では、革新派は皇室を尊重することで時代は進んだ。
皇室の名を出すことはそれほど大きな力となるので、極度に警戒されることではあるが。
革新派の持つ歴史観では、二次大戦・太平洋戦争中は、一部の強硬派が実質的な政治を占拠したとされるので、皇室にその責任はないとされる。
革新派が考えなければならないのは、どうやってそのような占拠が起こりにくい仕組みを作るかである。
保守派=攘夷派は一見、伝統や皇室を重んじるようで、重視しているのは実は自分たちの利益だ。
つまり、利益を正当化する道具として伝統の名を持ち出しているので、彼らにとって伝統の尊重は実際の利益にならない。
小説でさも東京の街並みを知っているのが前提のように説明を省き、しかし委細にわたり詳細な描写にぶつかると東京コンプレックスに心を蝕まれる。
それが大学生で都心を遊び歩いているのに慣れている風だとなお良い。いや、悪い。
都心と認識してる地名なら明治時代の作品にだって発動する優れ物。東大生多すぎじゃねぇ?
ずっと地方に住んでごく平凡な家庭で育ってきて、オタク趣味にハマったのもあって文化度の高い趣味や渋谷だか原宿だかみたいなオシャレには開き直り的な興味のなさを示せたけど、多分それでも隠しきれない上流階級へのコンプレックスが溢れてるんじゃないかって思う。
まず駅と電車を常用するってシチュエーションが意味わかんないもん。なんであんな狭い間隔で駅があって一駅のために金払って乗り降りしてるのって。
なにより金持ちの家庭でも何でもない少なくない数の普通の小学生が電車で移動する暮らしを当たり前だと思ってて、俺が旅行じゃないと行けない街へ小さい頃から遊びに行って街を覚えて大人になって、なんて現実感のない現実があるんだろ?
と、GWをヒカルの碁の再読で潰して発症したので書き残す。小説じゃないが。
子供の頃に読んだときは気に留めなかったが囲碁界とはなんて東京推しで狭い世界の話だったんだ。つーかプロだからって高校に行かないのはどうなんだ。しかも一人暮らしって…。嫉妬
三井不動産は首都高を目の敵にしているのではないか、と私も感じるところがある。
コレド日本橋や日本橋三井タワーは日本橋にふさわしい景観なのかどうか。
ガラスファサード建築がアリなら首都高の高架だっていいじゃない。
日本橋三井タワーにしても、三井本館をぶち抜くように高層ビルが生えていて、ポストモダン建築のよう。
日本郵便のKITTEや明治大学のリバティタワーとか、ああいうビルも好きなのだけど。
都市の景観を考える上で、石造りの日本橋がそんなに素晴らしいものなのか分からない。
だいたい明治時代に架けられた今の日本橋を取り戻して、それが観光資源になりうるのか。
普通に イルカが増えると 獣害がでるからイルカ漁をしている1600年代からってかいてあるぞ。
Wikipeidaで悪いが。
ようするに 増え過ぎたら取るってのは 前からやってるのでは?
ようするに食べるためにやっているのではなく、漁業に害があるからやっていたという認識。その結果いきものだから 食べたんだろ。
つ
1675年には現宮城県気仙沼市の唐桑では、イルカの群れが押し寄せてきた時には、唐桑半島と大島の間に建切網を張っての追い込み漁が行われていた記録が残っている。唐桑では明治初めの頃までイルカ追い込み漁が行われていた[6]:12[7]。
明治の初年頃にイルカ追い込み漁が廃止となったところが多い。例えば静岡の湯川、松原では明治時代に廃止されている。稲取でもイルカ到来が不安定で、年に1、2度の追い込み漁では採算が採れないとして明治初年に追い込み漁を廃止したとの証言が残されている[11]:18。ただし稲取ではイルカが押し寄せるたびに追い込み漁が復活している
「保守」っていうけど、それは、既成構造の擁護。革新をしないという意味なんだろう。決して、日本古来の文化や伝統や歴史を知っているわけではない。
例えば靖国神社というのも、国家のために国民が戦争で死ぬことを肯定するプロパガンダで、明治時代につくられて昭和時代に強調された思想にすぎない。これは決して、日本古来の文化や思想ではない。日本史上最近である明治時代以降のプロパガンダ。
「保守政党」というのは、明治時代以降の資本家中心の社会構造を維持しようとする政党。
それと、日本の農業は、敗戦までは大地主中心の農業で、旗本みたいな武士も地主だし、民間の地主というのもつまりは資産家。戦後に農地改革で小作農を原則としてなくしたから、戦後には農家=地主だと思っていい。それで、この農家という地主も既成構造の恩恵を受けてきたわけで、だから自民党の支持層。
戦前も戦後も、日本の政治の特色として、こうした企業や地主のような資産家を中心にした政策とその意思決定が進められてきたことがある。
いま、「ネトウヨ」だのといって、そのなかには自民党を支持するデマゴーグを連呼しているのもいる。けれど、かりにいま貧困なのだったら、それは既成の社会構造によって虐げられているのだから、自民党を支持するのは論理的に破綻している(損だ)。騙されている、釣られているのか。それとも、ただ気分的にスカッとして面白おかしければいいのか。たぶん後者。
いまの政党や政治団体には、おそらく、日本古来の文化や伝統や歴史を真にわかっているのは、ほぼ皆無だと思う。
理解するためには、いま流布されている「日本とはこういうもの」というステレオタイプ(=プロパガンダ、デマゴーグ)を捨てないといけない。全国各地で互いにとんでもなく相違している文化習俗(言語や食や生活習慣や行事などなど)も知っているべきだし、神道や日本仏教や儒教という日本の三大宗教・文化慣習にも造詣が深くなければならない。三大宗教・文化慣習については、それが絶妙な形で社会統治構造(封建社会)を実現してきたことも知らないといけない。言語や食など、明治時代以降に没個性化されたものであって、江戸時代以前には日本国の各地域が物理的・文化的にかなり隔絶されていて、おそらく言葉も通じないことが多かっただろうし、料理もかなりの相違があって互いにびっくらこくレベルだったはずだ。
ところが、いまの政治家や、あるいは一般国民にしても、そうした本当の姿を知らないし、学校でも教えてくれないし、教科書にも載っていないと思う。
自分自身の(自国の)本当の姿を知らないままで、いまの自分自身を制御できるのかも疑わしいし、ましてや将来へ進むことができるのだろうか。昭和時代まではおそらく、欧米を(戦後は特に米国を)追っかけるだけでよかったから、つまり真似するだけで済んだから、自分自身を知らないままでもやってこられたのだろう。