小説でさも東京の街並みを知っているのが前提のように説明を省き、しかし委細にわたり詳細な描写にぶつかると東京コンプレックスに心を蝕まれる。
それが大学生で都心を遊び歩いているのに慣れている風だとなお良い。いや、悪い。
都心と認識してる地名なら明治時代の作品にだって発動する優れ物。東大生多すぎじゃねぇ?
ずっと地方に住んでごく平凡な家庭で育ってきて、オタク趣味にハマったのもあって文化度の高い趣味や渋谷だか原宿だかみたいなオシャレには開き直り的な興味のなさを示せたけど、多分それでも隠しきれない上流階級へのコンプレックスが溢れてるんじゃないかって思う。
まず駅と電車を常用するってシチュエーションが意味わかんないもん。なんであんな狭い間隔で駅があって一駅のために金払って乗り降りしてるのって。
なにより金持ちの家庭でも何でもない少なくない数の普通の小学生が電車で移動する暮らしを当たり前だと思ってて、俺が旅行じゃないと行けない街へ小さい頃から遊びに行って街を覚えて大人になって、なんて現実感のない現実があるんだろ?
と、GWをヒカルの碁の再読で潰して発症したので書き残す。小説じゃないが。
子供の頃に読んだときは気に留めなかったが囲碁界とはなんて東京推しで狭い世界の話だったんだ。つーかプロだからって高校に行かないのはどうなんだ。しかも一人暮らしって…。嫉妬
『されど われらが日々-』『なんとなく、クリスタル』『赤頭巾ちゃん気をつけて』『ノルウェイの森』『三四郎』あたりのことだろうか そういや大衆小説ではよく見かけるけどラノ...