はてなキーワード: 日本会議とは
諮問機関はあくまでその民主主義のスタンスで選ばれた奴のチョイスなわけじゃん。
例えば、そのトップが日本会議系だったら、それに追認を与えるようななチョイスになるわけじゃん。だからお飾りになってるわけじゃん。
だから、それとは別に、学者の互選での院を作ったほうがいいんじゃないかと。
法学経済学など社会科学系と、自然科学系での対立の問題もあるけどね。
予算の配分のこともあるから自然科学系の学者も出たがるだろうけど、一方で自然科学系の学者がまともな法学者経済学者選べるとも思えないし。
といっても、各種権利が奪われちゃったら、政府が誤っても制御できないからな。
とくに、希望の党の騒ぎは、「二大政党制で、二大政党がグルになったら選挙民に選択肢がなくなる」っていうのを悪用したものにしか見えないし。
ただ、消費税増税は何度も不景気招いてて、まさにおまんまの点で大反発。
そこで、小池希望+前原クーデターが起きたが、あれは、日本会議系改憲でグルになって選択肢を失わせるという手口だと思ってる。
保守、リベラル、右翼左翼なんてラベリングは現在において全く役に立たない。
なぜか?事象を説明するのにあまりにもいろんな要素が混ざりすぎた概念になっちゃってるから。
世の中いろんな問題あるけど、それをある程度単純にまとめ、その論点についてどうか?とやらないとならない。
それでも、端的で人の感情に訴えかけやすい、外国との対応あたりで、善、悪を作ってしまう。
それを他の経済、宗教、道徳、法律にも演繹で、外国との対応で善なる観点だからどうだって話にする。
その善なる観点は経済、宗教、道徳にも応用できるんだって雑な対応に使われがちの分類。
言い出す奴はほっといて、とにかく経済で新自由主義はどうか?法律で日本会議的改憲はどうか?一番重要なのはどこなのか?
ということをいうために、「何となくこの分類だったら議論がわかるだろうな」分類を提示してやってるね。僕は。
日本会議系の方々の賞賛の幼稚園が、じつはものすごい児童虐待やら、外国人ヘイトをやってる幼稚園だった!というので一気に盛り上がって、
大量の日本会議系の方々の手のひら返しが見られたあの森友幼稚園。
ただ、もし、安部礼賛だけで、それ以外の虐待やヘイト行為がなかったら?
前原、小池は「小選挙区制だったら、二大政党制になる。二大政党制になって、両方の党の方向性をそろえてしまったら国民の意見を無視した政策がとれる」
っていうのわかっててやったように見えるからな。
だから、消費税で足並みそろえ、それで猛反発出たら、小池が出たが、今度は排除の論理で、日本会議系改憲でそろえようとした。
枝野がこれだけ短期間に体制整えたのは完全に予想外だっただろうけどな。
やっぱ中選挙区制がいいって。小選挙区制で選択肢をなくさせ、そのうえでトップが好き放題するより、仮に自民がずっと続くにしても、その自民が情勢によって、国民の方向に揺さぶられるほうがいいって。
いや、反新自由主義のスタンスを出して、小池の騒動で、新自由主義、法人税減税、フラット税制の連中を追い出したからだいぶ良くなったと思うよ。
むしろ、野田のあたりからTPPだの法人税減税消費税増税なんかの新自由主義色をだいぶ強めていって、民主でも自民でもどちらでも変わらない。むしろ民主のほうが過激になったからね。
だが、その辺の連中は出ていった。
前原、小池あたりは小選挙区制と二大政党制の欠点を知っていて「トップ2党が同じ方向を向いたら選挙民の選択肢がなくなる」ということだ。
小池の排除の論理や、その騒動内の前原の想定内発言とかいうのを見て、ああ、これ確実にわかってやってるなと確信した。
それでも、くだらない中韓あたりを対立軸にしようとして、中韓あたり擁護を民主が担当したが、民主評価できる部分皆無だった。
自民VS前原民進で、消費税増税以外の選択肢がないようにしたが、消費税増税は幾度も景気を落とし続けている。
で、あまりにも反発強かったから、都議選と同じ構図になるようにして、
自民VS小池前原希望で、消費税をあきらめて日本会議系改憲以外の選択肢がないという形にしようとした。
そうやってほおりだした枝野が立って、その日本会議系改憲と新自由主義を対立軸にして立ってる状態。
枝野が立ってヤバいと思って、ベーシックインカムとか内部留保課税とかやってるが、受けがいいのを適当に言っただけでバックや財源わかってないから迷走している。
対立軸があってヤバいと思えば、国民に受けがいい政策を言い出すってことだ。でも対立軸がなければ国民を無視して進めようとする。
旧新潟市は衆院選と比べ、共産党が存在感を増しているので、枝野党なら固まりやすい。
旧社会党系が強い6区で、支持者からの意を受けて希望の党公認申請を撤回した梅谷守。
枝野新党を検討しているらしいことが報じられている。新人であることを考えると無所属は無謀だろう。
(義父が日本社会党出身の筒井信隆。上越市は社民党県連代表の地元でもある)
市民連合の代表も立候補を表明したところであるが立消えになるはず。
自分自身より周りの人が良く知っているような混乱した状況。
連合新潟会長からも丸のみと聞いていたが違っていて理解できないとニュースで言っている。
農政批判の整合性が取れないのだが、どこまで考えているだろうか。前回の衆院選では相手のJAを切り崩しており、東北の貴重な成果が台無しになりかねない。
菊田真紀子は森裕子に近いので、無所属。でも希望かな。すでに腹は固まっているとのこと。
自由党の動きが結局ないので推測が難しい。
鷲尾英一郎は連合排除の方針が強まってきたので一番右翼的だが、民社協会(連合右派)系なことを考慮すると無所属。
左翼系と見られたくないため、枝野サイドには行きにくいのではないか。
そんな彼でもあきれ、困惑するほど今回の混乱はひどいようだ。党本部にどうなっているか聞いても返事がないという。
森裕子は道義的に新党に参加すべきだと思うが(参院選でまさか自由党より維新の党の方が正解だったとみる非自民系の有権者はいなかっただろう)、
小沢一郎の動きが見えないうえ、参院議員であるため結局関わらない可能性も高い。
玉城デニーの代わりに、辺野古に埋まってくれよ、お前ら。(埋められちゃ困るか…)
民主党左派がいくつもあるのはどうかという気持ち。衆院選では現有議席の維持だけが目的だろうが。
黒岩に関しては実母が後援会に枝野支持が殆どだったと書いている。(ただしかなり政治信条は違う)
新潟では小池百合子旋風の影響はほとんどないし、原発については米山隆一を言い訳にすれば良いんでないの、と私は思う。
10/5追記:
新潟県知事選での民進党の混乱を受け、県民党としての立場に立ち、再建を誓う県連代表として決断したという。
最初から無出馬のつもりだったと述べた。他の議員を縛らないよう、最後に表明するつもりだったのだという。
奇しくも鷲尾の目には西村同様涙があった。
現に代表就任後、言動は野党色が出てきたという。ただし本人の主張からすればこれは保守票が取りにくくなるという意味でもある。
私は共産党支持ではあるものの、これは素直に受け止めれば人が出来ていると思った。
民社協会・長島グループ・日本会議系という絵に描いたようなタカ派議員であるが、
代表選で投票した細野豪志や前原誠司が仲間たちを分断していくかのような情況で内心は察するに余りある。
責任ある組織人としての彼の矜持を無駄にしないよう野党各党は動いてほしい。
保守系でさえそういう人物だから参院選と知事選は巧く行ったのだと思った。
なお、共産党は1,4,5,6区で候補を取り下げた。3区も中央の指示待ちであり、
鷲尾以外は一本化される可能性が高い。
農協(農政連)が今回全県で自主投票だから、比例復活で保険を掛ける意味があまりない。
希望の党が他の自民系に公認を出して挑発になるかと思ったけど。
刺客擁立を警戒しており、表明はギリギリにしておこうという人も居るらしいのだが、
梅谷がやめるんならもう誰も手を上げないと思う。
ガチで西郷の発言をすればいい話しもあるんだけど、日本主義シンパの人はそんなのわからないから。だから微妙にスルーした。
単に「下が上に従って、上の自己愛を満たす社会であれば素晴らしい」でしか無いし。
ま、日本会議的なものがダメだというのが一般市民に伝わってきたからいいわ。
ジャズミュージシャンの日野某が中学生をコンサート中にビンタした。
たまたま著名人が起こしただけでこういった体罰が問題になることは平成の世になってからでも星の数ほど起こっている。
法律的にも社会のコンセンサスでもアウトである事は分かり切っているはずなのに減ってはいるが無くなる気配は無い。
西洋社会では体罰は絶対悪であり行えば壮絶なリンチすら受ける。
西洋人は知に優れ世間知を尊ぶ社会を作った。知に優れるからそのような社会的には理性に頼らないルールが必要な事を理解し実践している。
エコーチャンバーのような問題はまさに現代西洋社会を象徴している。
世間知の世間の範囲が個人の社会的地位により個別に隔離された結果で世間知が尊ばれている証左だ。
日本も西洋社会を模しているはずだから体罰を行なえば悪であり社会的制裁を受けるはずだ。
しかし日野氏の件にしても同様の理由で体罰を行なった件にしても世間で絶対悪である認識は無い。
私も絶対悪だとは言い切れないし体罰についての議論は紛糾するのが事実だ。
自分だって音楽のプロなら客前でふざけてる中学生のガキをどつきたい。
戦前の日本は全てが知に基づいた社会ではなかったのだ。情に基づく美しさを範とした江戸時代の慣習も当然残していたし現代も消えていないのが今も体罰が行われる証左だ。
大岡裁きは現代でもそこにある情の美しさは否定出来ない。現代日本の社会問題のほぼ全てが知で規定されるべきルールを情や儒が侵犯した結果だ。
日本の方針は今もこれからも日本的な僅かな良いものを部分残してあとは西洋を模倣します、といったもののはずだ。
政府首脳関係者も日本会議とかそっち系のグループに所属しそういった活動を行なっていると聞く。
起業したが、知り合いの会社起したばかりが能力のない社長(もどき)にちょっかいを出してさんざんこちらに迷惑をかけられた。
で、切ろうとしたらま周りにも非難轟々だが耐えられないので、周りごときった。
そもそも、母親と折り合いが悪い。つーか、20年ぐらい霊感商法に入ってる。
で、入った時からあそこおかしいと感じていて、しかも、霊感商法に入った一因は俺の身の回りのトラブルなので、さんざん喧嘩して弟妹父親にも文句言われてる。
母親については「とにかく喧嘩するな」とのこと。妹の結婚でおおさわぎした。
その頃に僕もちょうど起業したが、起業にもかなり気色悪い話してくるわ、霊感商法に情報流すわのトラブル。
母親関わろうとしてくる。周りに仲良くしろやと言われる。物凄い疲れた。もう弟妹親類との縁も切り気味で行く。
共通して言われたのは「お前が我慢して適当に流してればいいのに」
まあ、でも能力のない社長もどきも母親もこっちに迷惑かけてくるの見えるからやっぱり周り込みで切るしかなかったんだと思う。
初めから拘りを持たずに相手に注目されない存在、接点が少ない存在になってればよかったのかもしれない。人を見ずに近づきすぎた。
母親も霊感商法に入った段階で極力距離を置かないとならなかったのかもね。
で、「就職に必要なのは不条理に耐える力」という記事を読んだ。
ストンと胸に落ちた。ああ、日本は「和を求める」というが、それは「どうしようもなく迷惑な存在でも、上位層に入った奴は受け入れて我慢しろ」という社会なんだ。
改善して変える能力なんか求めてない。あるとしても「上位層が思いついたという形にして」という条件が必要。
本来組織というのは例えば目的に応じて必要な仕事を決め、不要な仕事を削減する能力。
あるいは、自分を抑えて部下が正しいのなら部下の進言に従って今なすべき目標に対しての最適な行動を取る能力が求められる。
でも、日本で求められるのはとにかく議論を嫌がり、各々の自己愛を傷つけないようにする。上位層に入れれた奴の自己愛を守るだけの社会。
森友や日本会議みたいなね。上の言うものはイエッサーと服従してくれる社会。本来儒教は上がどうあるべきかの話のほうが遙かに多いが、下がどうあれというのだけ切り抜いた腐った儒教。
目標があってやるべき仕事の優先順位が決まるというが、日本企業だといろんな「俺を認めて欲しい」という関係者でぼやける。
それで、上位層に入るのが当人の能力じゃなく年功序列で決まるものであれば、上位層が腐ってしまったらもうどうしようもない。
議論ができない社会でもあるから内部からその腐った上位層を補正する方法がない。まったくない。
一方で考える教育というが、そんな物「上位層が腐った状態」で「目的に応じて」考える能力なんていらないでしょ?
必要なのは「上位層のプライドを傷つけずにやり過ごす能力」「上位層が右と言ったら右という能力」
だから、日本企業は総崩れ。根本的に金回りを悪くして日本経済が悪化し、企業の新陳代謝が悪くなったというのもあるが、加えて腐った上位層が増えすぎているという事もある。
そうして「考える力」がついた人たちは苦しむ。「不条理に耐える力がある人」はそういう全体像が見えてて、大企業でも腐っているのが見えてる状態ではとにかく潰れない公務員がいいよねとなる。
別に不条理に耐えるから幸せになりたくないというわけじゃないでしょう?不条理に耐えるから、生活がきちんとできて極力不条理が少なくてもいいところを見極めてそこに行きたいだけ。
みんなおまんまきちんと食えて、家族作って幸せに暮らして、老後も苦しまずに生きて、そして死んでいきたいんだわ。
腐った上位層を排除して、儲かりそうにない事業から撤退しその時儲かりそうな事業に専念できる経営者に変わったら復活する事例が多いのもそのため。
これはただ単に「ワンマンでやる経営者が良い」というのではない「目的に応じて必要な行動を取るために調整、場合によっては喧嘩、人を切ることもできるが、目的に達成する人を生かせる経営者」
という事なんだよな。
という組織論。自分に照らし合わせてみると、自分の会社の開発商品も未完成。うまくいかない可能性もあるかなと思う。
けど、その暁にはやはり、海外にも通じるぐらいの実績残して、この分野の仕事として海外に出ないとな。
やはり自分の仕事で新しい分野は切り開けると思う。自分の会社の仕事としてではないかもしれないけど、海外なら高給取りも狙えるかもしれない。
けどまあ、「不条理に耐える力」「適当に流す力」がないから一人になったね。そもそも、周りに関わり過ぎというのはある。おせっかい。
けど、こうじゃないかな?ああじゃないかな?という考えとか何とか「考える力」「変えられないかという気持ち」があったからアイデアが持って起業はしてて、技術的にはそれなりに自信がある。
やっぱり、自分自身アイデア出す力あるわと仕事していても思う。どうしてもひとつひとつ実現していかないとならないから歩みは遅いけど。
パッパラパーに能力がないのに海外行くのは薦められないけど、やっぱり能力に自信がって海外出たいというのなら出るべきなんだろうね。
中国でもインドでも母国が未開の不条理に耐える国だからアメリカに行きたがって、そちらで成功するんだ。googleの社長とかMSの社長今インド人だし。
ラジオって、番組の合間に交通情報が入るんだけど、ちょっと気になったんだよ。
っていうアナウンスが入って、一瞬何のことか分からなかったんだけど、「あー、PLの花火大会ね」って気付いた訳なんだ。だけどそこで考えちゃったんだよね。
PLの花火大会は、大阪の者にしてみれば夏の恒例イベントで、良い意味では花火を見れる、悪い意味では交通渋滞や電車の混雑が起こるっていう程度のことは考えるけど、別に宗教行事とは思ってないんだよ。もちろん、PL教団からしてみれば、大事な宗教行事なんだろうけど。
でもニュースではわざわざ、PLっていう言葉を使わず、地名だけで伝えるってどういうことなんだろう?
なんで天神祭りは「天神」とか「大阪天満宮」とかの固有名詞がニュースでもバンバン使われてTV中継までされるのに、PLの花火大会は、中継が無いのはまだしも、交通情報のニュースですらも誰もが知ってる固有名詞を避けて、逆に解りにくくしちゃうの?
PL教団が宗教団体であるのと同じように、大阪天満宮だって宗教団体だってこと、無視してない?
天神祭りは伝統行事だから良くて、PLの花火は伝統行事とは言えないから?
別にPL教団の者でも無いし、教義も何にも知らないけど、PLって百年くらい続いてるんでしょ?
そりゃあ、昨日今日にできたような団体ならいざ知らず、百年続いてる教団の恒例行事で名前を伏せるメリットが全く分からない。地名と日程だけで言われたら、よく知ってる人でも考えこんじゃう。
日本の報道に、「宗教団体」ってものを同列に扱うっていう意識は無いのかな?
PLも宗教団体なら、大阪天満宮も宗教団体だし、全国どこのお寺も神社も全部、一つ一つが宗教法人格を持ってる。
そこに差ってある?
あるとしたら、年数程度しか考えられないんだけど、じゃあ、何年続けば良い訳?
誰もが自由な信仰心を持っていいはずなのに、それを否定する土壌を作ってない?
個人的には、神社やお寺は観光がてらに参拝するのは好きな方だし、良いなぁって素直に思うんだ。
けど、こういう差別してるから、神社本庁とか日本会議とかが調子に乗っちゃうんじゃないかとも、そんなことまで考えてしまった。