はてなキーワード: 新幹線とは
文字書きではないので読みづらい文だと思います。またある程度ぼやかして書いてるのと私自身の記憶が曖昧な部分もあります。御容赦下さい。
私はTwitterで1つのアカウントを用途やジャンルなど垢分けせず10年以上使っている。取引する時も同じ垢。取引ツイートするのも半年に1回くらい。
ある時某ジャンルのグッズを譲渡に出した。いくつかリプを貰ったうちの1人をAさんとする。
Aさんもいわゆる雑多垢のようだった。ツイフィ必読とは書いていなかったが取引の返信前にプロフも読んだ。そこには今回の取引のジャンルを含め好きなキャラやAさん自身の性格等が書いてあった。
Aさんは、よく自傷をする、と記していた。そして、「生きてたら良いことあるよ」みたいな中途半端に慰めの言葉をかける人の事が嫌い、とも。
前者に関しては「そういう人もいるよな」ぐらいの感想しか持たなかったし、後者に関しては私も同意見だった。
DMでの会話も問題はなく、Aさんからは住所をもらい、こちらは口座の情報を送った。
詳しい日付は忘れてしまったけど、やり取りした日を1日として、「4日にお金を振り込みます」ぐらいの間隔だったと思う。私はそれを了承し、入金確認後にグッズを送りますね、と伝えた。
その翌日。Aさんがツイートをしていた。
「今度こそ死にます。」
場所は〇〇の△△号室で□□時にどうやって死ぬか等細かく記されていた。そしてツイートされた日からAさんのアカウントは鍵がかかった。
自身で命日としていたその日は、グッズ代を振り込みますと言っていた4日だった。
あぁそうかぁ、ついに死んじゃうのかぁー。せっかく価値観の合う人に会えたけど、引き止めてほしくなさそうだし、つい最近知り合ったばかりの人にそんなこと言われても気持ち悪いだろうしなぁー。場所は私の家から遠いけど今から新幹線に乗れば間に合うかもしれないな。死ぬまでに振り込んでくれたらグッズ送るけどな、そしたら棺に一緒に入るかなぁ。いやもう最期なら無償で送るか。でも親と上手くいってなさそうだったし、死んだ後に娘宛ての荷物が届いても開けてくれないかもしれないなぁ。どうしようかな。
悩んでいるうちに4日になった。
その日のAさんは命日を満喫していた。楽しそうな写真やツイートがいくつか投稿されていた。入金の連絡は来なかった。
まぁ、最期の日だしな。取引のことはもう忘れて楽しんでほしい。心からそう思った。そしてAさんの決めていた時間になった。遺言のツイートが投稿された。
そこから私は警察署のサイトを調べた。死ぬと言っていた地方の管轄で、死亡者を確認しようと思った。すぐには更新されないし、発見に時間も掛かるだろうし、と思い2〜4日くらい巡回した。
その4日後。
「生きてる」とのAさんのツイートが。
なんでも親に捜索されて止められたそう。
なんだ、生きてたなら良かった。
親と東京観光してから実家に戻ると言っていた。なら落ち着くまで待とう。
Aさんはそれ以降も連日他ジャンルについて楽しげなツイートをしていた。
メンタルもきっと回復しただろう。7日経って入金催促のDMを送ってみた。
その後Aさんから返信が来ることは無かった。
2日経っても返信が無かった為、私が送信を忘れていた可能性も考えて、DMを開いてみると、ブロックされていた。
なるほど。
死のうとした時に引き止めてくれなかった人との取引は辞めて、自分のメンタルを優先させたんだな。賢明な判断だと思った。
それと同時に他人からブロックされるのってこんなに恐いことなんだな、と思った。私はちょっとだけ傷付いた。
しばらくして、私は自分の鍵垢にログインした。いつも使っている雑多垢と別に、自分しかフォローしていない垢だ。
Aさんにブロックされていない垢から、Aさんのツイートを見た。Aさんは実家に戻ってきてから鍵を外していたのでフォロー外からでも見ることができた。
Aさんはグッズを私から受け取らなかったけど、そのあと自力で手に入れたかもしれないし、無くても生きていけるんだったかもしれない。私はAさんにグッズを送らなかったけど、それで良かったのかもしれない。
生きてるなら良かったと思った。
新快速は速いから普通列車を降りた途端にホームにやってくるじゃん。
だから急いで新快速の乗車列に並ぼうとホームの直交方向に走るじゃん。
でも新大阪はホームが長いから新快速はなかなかスピード落ちないじゃん。
それが目に入ると新快速につられてホームの進行方向に身体が動くじゃん。
でも新大阪はホームが広いから乗車列になかなかたどり着かないじゃん。
そのうち頭が新快速と合体して頭に働く合力と身体に働く合力が違うじゃん。
新幹線も通るから人も多くておれが新快速で新快速がおれになるじゃん。
気づいたら新快速は多くの人と夢を乗せてホームから居なくなってるじゃん。
残された方の新快速こと自分はホームを枕にして夢見ずに反対側を見るわけじゃん。
普通列車は発車してなかったから新快速のスピードで慌てて戻るじゃけん。
普通列車は停まったままだからホームの直交方向に走るもコケずに乗れたじゃん。
それって結局新大阪では新快速になるも乗れずホームでスーツを汚しただけじゃん。
新快速の「新」って何なの?
いえいえとんでもない。
まぁでも、俺はそれなりにセックスしてる方だと思うけど、割と泥臭いものだよ。
できそうだと思ったら日帰りで新幹線のって反対側の港町までいったりするし。
セフみたいになったけど、お金がきつくなって終わったわけだけども。
だからセックスはしてるけど、自分がモテる方だと思ったことはない。泥臭く相手が喜びそうなことをして、受け入れてもらえる機会が多いっていうだけの話。
まぁそんなことをしてまでやりたくない、彼女が欲しいとは思わないというのもそれはその通りだと思う。
非モテの友人にも、セックスの失敗談、セックスするための失敗談は色々する。
半年くらい散々セックスしたのに、自撮り写真送ったのが最後でブロックされたとかな。ふざけんなよ!!!っていう話とかな。笑
失敗しても大丈夫だし、たくさん経験ありそうな俺もこんな色々失敗してるんやでってことを教える意味でもする。
それまでの私は、小学校で友達作りに悩み、習い事では虐められ、虐めていた本人が私から虐められていたと言われ習い事の偉い先生に怒られ、嘘をつく人が助けられる世界が憎かった。小学校の3階の窓から下を見て「ここから飛び降りたら」と考えた記憶は今でも鮮明に残っている。
中学の頃、何度か逃げた。電車に乗って終点まで行って、また電車に乗って知らない街を歩き、家に帰ると嘘をつく。そんな日を一年に何度か繰り返していた。私なりの、自分が壊れないための行動だったのかもしれない。
高校から女子校に入り、友達ができた。もう全然連絡を取っていないが、その当時の私は幸せだった。友達がいるってこんなにも楽しいのか、こんなにも幸せなんだと救われた気になった。
大学に入り、また友達が出来なかった。それでも、高校の友達とはまだ連絡を取り合っていたから寂しさとかもなかった。
でもその時から、漠然と自分は25歳ぐらいまでに死のうと思っていた。理由は今ではわからない。でもその時は、本気で思っていた。
どこで死のう、やっぱりふらっと何処かに行くのがいいのだろう、じゃあどこに行こう、やっぱり海かな。
冬の海に1人、下見に行ったこともあった。でもよく考えたら海にそのまま入って死ぬの難しくね?となり、やめた。
山がいいだろうかと何度か調べた。やっぱ富士山かなと思いながら、新幹線の車窓から見つめたこともあった。
絶対電車系はやめようとは思っていた。誰かに迷惑をかけてまで死にたくない。死ぬなら1人でひっそり。それが理想。
毎日毎日、あと一年だあと数ヶ月だと数えていた。どこに行くかプランは決めてなかったが、具体的な日付は決めていた。
その時、偶然実家の犬が虹を渡った。
最初に見つけたのが私で、悲しくて悲しくて泣いた。なんで私より先に死ぬんだと、少し恨んだ。
火葬した2週間後、ペットロスによって家族が消沈し、偶然知り合いにブリーダーがいたこともあり、新しい家族を迎える話になった。私が死のうと考えていた、1週間前のことだ。ブリーダーの元に行き、子犬を選ばせてもらった。私の掌の上で眠りながらしっかり呼吸をしている、今の愛犬の姿を見て、いつの間にか泣いていた。ブリーダーのおばさんがティシュで涙を拭ってくれた。
それでも、長年この日に死のうと思っていた決断が揺らいでいいものかと悩み出した、死ぬ3日前。
その日は大きな仕事の成果を発表する日。時間をかけて準備してきて、それが終わったら死のうとすら思っていた、大きなきっかけの日。この日、私は一度死んだ。
結果的には良くなかった。目標を達成出来たかと聞かれたら、首を捻るほど。しかし私の上司はその結果を踏まえた上で
「ちゃんとしてた、よかったよ」
と言ってくれた。他の人にも
「貴女の方がまともやった、何してるのって怒られちゃった」
と、私より結果が良かった人にも言われた。お世辞だったかもしれないが、それが嬉しかった。
そこで初めて、自分で何かを成し遂げたような気がした。
今まで友達作りに失敗し、何もかもから逃げて、いつ友達に嫌われるかビクビクしながら、自分の代わりなんていくらでもいると思い込み、私一人いなくなっても大丈夫だと思っていた。
でも、私が成し遂げたことを褒めてくれる人がいる、その人の期待にこれからも答えたいと思った。期待は時にプレッシャーだが、それでも乗り越えられるように強くなりたいと思った。
知らず知らずの内に私を生かしてくれた人たちのように、私も誰かを生かす人になろう。自分の為に生きながら、誰かの為に生きよう。そう思えるようになった。
新しく家族に迎えた愛犬を、最後まで絶対一緒に居ようと決めた。その瞬間まで愛してあげようと、誓った。
本当に苦しい人は、私なんかの悩みや考え方を温いと言うだろう。それもわかる、今の私もそう思うから。
でも、あの時諦めなかった命がここにある。それを噛み締めて踏み締めて、今を生きている。
新幹線みたいな座席の電車でオッサンと俺がそれぞれ2席エリアに1人で座ってた。
JKが乗ってきてちょっと迷った素振りをしてオッサンの隣に座りやがった。
どういうことだ?
年齢の近い俺の隣に座るのが恥ずかしかったのだろうか?
現役大学生同士、友達と二人で旅行した。コロナ禍なのを考慮して、電車を乗り継いでいけるぐらいの近場に、あえて車で行った。運転は自分がした。
車を自分が出すので、友人には宿の調達を頼んだ。友人曰く「ちょっといいプランの部屋がとれた!コロナのおかげかも」とのことだったので、どんな眺望が待っているのかドキドキしていた。
ところが、宿について案内されたのは低層階。部屋に入るとすぐベッドが2台。窓を開けると、温泉街(の大通り)が一望できる。いや、これ、どっちかというと安い部屋なのでは?しかし友人は「大きいベッドで寝れるのは旅行の特権だよな!」と上機嫌。でかいベッドって……そんなでかくないぞ?いや、部屋が広くて小さく見えているのか?あれ?と湧いて出た違和感を拭って、ひとまず風呂へ行くことにした。温泉地なだけあって、風呂は抜群によかった。
問題は食事だ。友人のいう「ちょっといいプラン」は地元食材の天ぷらや鉄板焼きが加わったものだったらしく、他の卓より2品多かった。比べられている時点でお気づきかもしれないが、個室食ではなかったのだ。ソーシャルディスタンスを保ちつつも大部屋でチマチマ食べていた。ちょっといいプランなのに?食事自体もまあ、まずくはなくおいしくもなく……という具合だった。
ベッドが主役の部屋に戻ったあと、主役に横たわってテレビを観つつ、もう1回風呂にいくかな〜とダラダラしていたら眠りに落ちていた。
次の日の朝の食事はビュッフェスタイルだった。そこも「ちょっといい」部分があった訳ではなかった。朝食後チェックアウトをする際にびっくりした。自然に「一人あたりの値段だよね?」と聞いてしまった。「これで二人分だよ」。なんとなんと「めっちゃお買い得な」お値段だったのだ。なんかいたたまれない気持ちになった。普段、旅行といったらこの倍ぐらいの値段を使うなあ…というぐらいの価格。
……旅行の帰りに、友人おすすめの店に立ち寄って遅めの昼食を取った。肉と野菜を食べ放題で頼めるしゃぶしゃぶ屋さんだった。野菜の質はよかったが肉がどうも美味しくなく、灰汁ばかり出るので、中途半端に腹を満たして解散した。
そもそも自分の普段の価格感ってなんだ?そうだ、家族旅行だ。子供の頃は親子揃って。高校生ぐらいになったら兄弟たちと。海外国内問わず色々行ったものだった。ベッドルームと食事する部屋はセパレートだった。そういうもんだと思っていた。そういう常識を友人にも一瞬求めてしまった。友人の家族がどういう旅行をしてきたかも知らないのに。
食事もそうだ。しゃぶしゃぶといえば、あらかじめ野菜などの具材を入れて用意された鍋に、大きめで薄い肉を少しだけつけて食べるものだと思っていた。だが友人にとってのしゃぶしゃぶは違った。しゃぶしゃぶ用とは思えない野菜を山ほど入れて、寄せ鍋のようにして肉を煮込んで、灰汁がついても気にせず食べるものだったのだ。
知らなかった。無知とはなんと恐ろしい。
姉と妹にこないだこの話をしたら「兄ちゃんは塾ばかり行ってて、友達とご飯食べに行ったことないから仕方がないんだよ」と慰められた。親から押し付けられた適当な勉強なんかサボって、社会性を学ぶべきだった。後悔しかない。
友人とはそれから当たり障りのない会話しか出てこない。旅行の話題はなんとなく出してはいけない気がしている。出した瞬間友人とは切れてしまうような気がする。自分から断絶してしまいそうだ。
こういうとき増田のみんなならどう話しかける?逆にどう話しかけてほしい?
俺にはわからない。誰か教えてくれ。中高生の放課後に学ぶべきだったことを教えてくれ……。
みんなコメントありがとう。たくさん来ててびっくりしてます。いくつか抜き出して返信します。
①予算のすり合わせはナシかよ?
まったくしてませんでした。すみません。
テレビ見ながらLINE通話で飲んでる(一人暮らし同士、結構頻繁にやってた)ときに、家族としか旅行したことがなくて……と言ったら、「Goto使って、俺と行こうよ!」と誘ってくれた。俺にはそれが嬉しくって予算どころではなかった。
②プランの発案してないの?
友人が「一人旅が趣味」だそうで、率先してプランは任せて!という流れになり、じゃあ俺は足になるよと。穏便に決まりました。おすすめがあるならついていきたいなと。もっと今度は調べたり協力しようと思う。
……この投稿のあと、友人に久しぶりにLINE飲みを持ちかけてみた。ごく自然にまた飲めた。酒の力を借りつつ、友人にここに書いたようなことを話したんだ。「俺が不自然なことして○○(友人)が不愉快になっていたら、本当にごめん」と。
そしたらそいつ、「道理でお前、ずーっと無口だったの!未知との遭遇だなw」「じゃあ今度は○○(俺)の好きなとこにしよ!俺は車がないから、新幹線のチケットを抑える。そしたらお互い知らないことが知れるし、とても楽しみだー!」とか言うの。もう、友人いいやつ過ぎで……。今度こそ予算を聞いて、いくつかプランを考えつつ友人と相談して決める予定だ。
そうそう。コメント欄に書いてあったしゃぶ葉っていう店も検索してみた。昼飯に行ったのはこのチェーンの大型店舗であってる。
あいつ色々教えてくれてたんだよ。「用意されてるタレ用の皿は小さすぎるから、お茶碗につけだれを入れな。引き上げた肉を休ませるのに調度いい!」とか「ゴマダレにきざんだオクラがめちゃめちゃ合うから豚ロースと食ってみ!」とか。
思い出しつつ、一人で予行演習でもしてこようかと思う。一人客もいたから別に変じゃないよな?
おまえらありがとな
このまえ新幹線に乗ってたら突然知らない女性に話しかけられた。
「増田くんだよね?」
中学のとき(もはや何年生だったかも覚えてない)しばらく席が隣で、それなりに仲が良かったことのある人だった。
動揺しつつも俺はウェ、アア、ソウス、オヒサシブリス、というような声を発した。
彼女はこのようなことを言った。
「やっぱり!すごい奇遇だね。……じゃあ、よい旅を!」
そして俺がまごついている間にサッサと去っていった。
べつに話したいこととかなかったし、下の名前すら思い出せないような間柄だったわけで、あのアッサリさに文句はない。
でも俺は生粋の非モテとして30年近くやってきてるわけで、そんな奴が「新幹線で中学の同級生とバッタリ再会」なんてシチュエーションに出くわしたら惚れるじゃないですか。恋に恋する乙女みたいなモンですからね。
彼女のこと全然好きじゃなかった(嫌いでもなかったが)のに、今や中学の思い出として彼女の顔ばかり思い出される。初恋の人だった気さえしてくる。恋愛が遡及している。
なんなんだこれは。どうしたらいいんだ。
どうもしなくてよく、落ち着くのを待てばいいんだろうな。
でもさあ!1分に満たない会話で俺の心をこんなにかき乱しているという自覚が彼女にはあるのか?
いや、自覚しろって方が酷なんだけども、しかし俺としてはやはり、突然切りつけられたような感覚があることは否めない。
同級生に話しかけるな!「よい旅を」なんていい感じのフレーズを投げつけるな!
クソ〜〜〜ッ
趣味でつながってる仲間に年齢差はない、みたいなこというの、ほんとやめてほしい。
それを信じていたせいで、ずっとイタイおばはんになってるのに気付かなかった。
私はアラフィフ、ハッキリ書くと54歳で、もう紛れもないババア。
30代40代のコが卑下してババアとかいうのとは違う、正真正銘、タテヨコ斜め前後左右どこから見ても完全なババアなんだけど、ちょっと前まで、20代30代の趣味を同じくする若い女の子達といっしょにごはんとか食べたりしてた。自分から誘うこともあったし、グループLINEとかで参加を呼びかけてる飲み会とかイベント後の打ち上げに参加することもあった。
参加の方はまだしも、自分から若いコ誘うなんてイタイよねって今ならわかる。
でも去年くらいまで気付かなかったんだよね…。
趣味は、少年漫画の二次創作。ジャンプ系の漫画やアニメの二次小説とか漫画とかを書いて、pixivに投稿したりコミケとか赤ブー主催とかのイベントに参加してる、そういうつながり。
で、私はわりと熱しやすいタイプなので好きなジャンルってその時々で変わるから、変わるたびにあたらしい知り合いができる。それでオフ会になったりする。しかしここ最近はそこで出会う人達がみんな自分よりはるかに若い。あたりまえだけど。
さすがに本出したりするのはお金がかかるので10代とかはいないんだけど、だいたいどのジャンル行っても20代30代が全体の7割以上。
でも私は去年くらいまでそういうのあんまり気にしてなくて、若い人達とも充分楽しんで話せてるって思ってた。
そんな意識だからそういう中で知り合う40代後半とかの人が「若い人だけじゃなくてよかった~」とか「高齢者オフしましょうw」とか言うの「なんで? 趣味つながりだし、年関係ないじゃん」と思ってて、もっというと「年齢にこだわるのって日本人の悪いクセだよなー」とか思ってた。すごいよねこの『自分は若いコとうまくコミュニケーションとれてる』というナゾの自信。
あー、あの頃の自分に会えるなら、肩揺さぶって「気付よそんなの勘違いだって事をよ!」と言いますよ…。
で、最近なんでそれに気付いたのかっていうと、それは実にシンプルで、誘っても誘っても断られることが増えたからなんですね。
美味しいお店見つけて写真をTwitterにupすると「わー美味しそうですねー」とかお愛想リプがくるじゃないですか(コロナ前の話です)。そういうのにたいして「あ、じゃあ今度いっしょにいこうよ~」とか返すと、たいてい「わー、ぜひ~、今仕事が立て込んでるので空いたらお声かけますね」とか「今原稿中なので今度かならず…!」とか「お給料日前なので…残念ですが次回に~」とか、礼儀正しく断られる。同じ人のこともあるし、全然ちがうグループのこともある。ともかく誘いに乗ってくれなくなることがすんごく増えて、ようやくそこで「アレ…?」って振り返ることができたわけです。
そういえばある話題について話してて、私が最後の言葉で終わることが多かったな(ちょっとずれたことを言って場がしーんとなった)とか、バブルの話をしてしらけたことあったなとか、そういう感じ。
あと、当然なんだけど、50代なので多少蓄えもあるし給料も20代30代よりは多い。そういう金銭感覚のズレも合ったかもと思う。いやあった。例えば、新幹線で移動するときの話で自由席がめっちゃ混んでて長時間立っての移動はツライ、って話になったときに「そういうときグリーン車だと空いてることあるよ」とか、「今度推しの車と同じの買おうと思うの~!」とか、そういうつもりはなかったけど、マウント臭のあるウザサっていうんでしょうか、そういうのやってた。
あと今思えば、メイクとかファッションとかダイエットとかの話題にもぐいぐい入り込んで「わかるわかる~ソレ悩むよね~」みたいな共感おしゃべりしてたのもたいそうイタかったと思う。何十歳も上のオバサンに共感されても…ですよね…ほんとすみません。
ほんとにほんとに趣味だけの話ならもしかして年齢関係ないと言えるのかもしれないけど、そんなオフ会ってそうそうないよね。
特に回数重ねて会うようになると、気心も知れてきて、雑談も増える。
趣味だけの話にしても、こっちは年取ってるから昔はね~みたいな昔ガタリしちゃっててうざかったと思う。私の趣味で言うと、「晴海の頃はね~」みたいなやつ。どうでもいいですよねそんな昔の話。「へ~そうだったんですね~」とか言うしかないですよね。いまならわかる。すまん。
それでも「いや、私はうまく話せてるよ」と思うおばさんがいたら、そのひとには、若い方があなたに合わせてるだけなんだよということを言いたいです。
そもそもですね。私、自分自身が年上の女性と話すのは苦手で、年下ならいくら下でも話しやすいのになーなんてこと思ってたんですよね…。ザ・ブーメラン。そりゃそうだよね、みんな自分のこと気遣ってくれてるんだもん。男の上司が若い女の部下と飲みに行きたいのと構図まったく同じだったんですよ。
でも言えないよね。おばさん、参加遠慮してよ、とか、もうちょっと聞き役に徹してよ、なんて、いえるわけない。みんなイタイなーと思いながらも、私の話すことに相槌うったり笑ったりしてくれてたんですよ。だから気づけなかった…。部下とごはん食べたがるダメ上司の心理、こういう感じだったんだなー…。
あとね、Twitterで絡んでくれるからって勘違いしちゃだめ、というのも言いたい。
『Twitterで敬遠するほどには嫌われてない』。それだけのことなんです。オンラインでやりとりする程度なら問題無い、でもわざわざ会って話したいわけじゃない、そういうこと。
3月以降、コロナ禍でオフ会自体が開かれてないんだけど、コロナ落ち着いたらまた開かれるようになるじゃないですか。
そのときちゃんと遠慮して不参加を貫く私をみてほしい、今はそんな気持ちです。
それと、ほんとに都合が悪いだけなんだと思って、断られても断られても重ねて誘ってしまった数人には、断らせる面倒をかけてほんとにすまなかったと思います。ゆるしてください。
※※ご注意!※※
伊坂幸太郎著『ラッシュライフ』(新潮社刊)の伏線の考察であり、トリック的な部分に深く触れています。未読の方はこの記事を閲覧しないことをお薦めします。
画商と画家、プロの泥棒、新興宗教の信者、精神科医とサッカー選手、失業した男・・・5つのストーリーが併走する、巧緻な群像劇ミステリーで、とても好きな作品である。
先日、書店に行ったところ、作家生活20周年を迎えた伊坂さんのフェアがスタートしていて、伊坂さんのインタビューが載った特別記念冊子も置かれていた。このインタビューの中で「二十周年だから明かせる、作品に関する秘密」はあるかと質問された伊坂さんは、『ラッシュライフ』について興味深い発言をされていた。
ここに引用してみる。
『ラッシュライフ』の冒頭の章扉に、「最高時速240キロの場所から~」と書いてまして、ある機会に一度話したことがあるんですが、あれって物語の構成を示唆している伏線なんですよね。その分野に詳しい人が、「あれ?」と違和感を覚えて、読み終えた後に、「そういうことだったのか!」と喜んでくれるんじゃないか、と期待していたんです。ただ、意外にそういった声は聞こえてこなくて、独りよがりだったかなあ、と少し反省しています(笑)。当時、最初の一行目にヒントがある、というのをやってみたかったのかな。
この「物語の構成を示唆している伏線」というのが気になってしまった。
引用文では「最高時速240キロの場所から~」と省略されているが、正しくは「最高時速240キロの場所から物語が始まる」。伊坂さんが話しているように、章扉に書かれている一文なので「章題」と呼ぶべきものだろう。
自分は『ラッシュライフ』は複数回読んでいるが、そういえば、この章題をさほど気に留めたことはなかった。
章扉の次ページから『ラッシュライフ』の本文になる訳だが、その始まりは「画商と画家」のパートだ。画商の戸田と画家の志奈子は得意先回りのために「のぞみ500系」に乗車している。
だから当然、「最高時速240キロの場所」とは、この「のぞみ500系」のことだろう。今まで単純にそう思いながら読んでいた。
1人でただ考えていても見当がつかず、何か手掛かりはないかと「のぞみ500系」でネット検索してみた。
すると、あれっ?と思う結果が出たのだ。
「のぞみ500系」は2010年に引退し今は走ってはいないが、運行していた時の最高時速は「300キロ」だというのである。
「240キロ」ではない。
では、この章題は、間違っている・・・?
やはり考えても分からなかったので、さらに『ラッシュライフ』の再読を進めることにした。
すぐに、あることに気づいた。
文庫版(初版)だとp.21、ここから「新興宗教の信者」のパートが始まる。仙台駅近くの喫茶店で、信者の河原崎がコーヒーを飲んでいるシーンだ。
河原崎がぼんやりと窓から眺めているのが、ホームに入ってくる「MaxやまびこE4系」である。
この車両も2012年に引退しているそうだが、それはともかく。
その最高時速。
「240キロ」だった。
重大なネタバラシをしてしまうと、『ラッシュライフ』は数日間の物語だが、時間的に古いエピソードから順に書かれている訳ではない。作者は5つのパートの時系列を崩して配置しているのだ。その配置によって、異なるパートの登場人物たちが接近しているように見えたり、時間を隔てたエピソードが連続して起きているように見えたりする。そう見えることがさらに謎を生み、ストーリーが錯綜しているように読者は錯覚してしまう。本書の読みどころは、その「騙し絵」のごとき、巧みな構成だ。
具体的に言えば、前述の戸田と志奈子の「のぞみ500系」乗車シーンは、冒頭ではあるが、実は物語の「いちばん古いエピソード」ではない。
それがはっきり分かるのが、p.450からの本文。仙台駅前に白人女性が立っている。彼女はスケッチブックを手にし、街行く人に声をかけて「好きな日本語」を書き込んでもらっている。登場人物たちがスケッチブックに書き込んだ順番がここで明かされることで、物語の正しい時系列が判明するのだ(本書には、このスケッチブックのエピソード以外にも、読者が正しい時系列を把握するための描写が随所に散りばめられている)。
時間的には、『ラッシュライフ』は河原崎のパートからスタートするのである。
河原崎は喫茶店から、最高時速240キロの「MaxやまびこE4系」を眺めている。
この章題は、「間違い」などではない。
これは「MaxやまびこE4系が描写されているシーンから、物語が始まる」という意味だ。
伊坂さんはインタビューで正解を語っていないので断定はできないのだが、「物語の構成を示唆している」とは、こういうことだろうと推測する。
インタビュー中の「その分野に詳しい人」とは、鉄道マニアのことだろう。
確かに、鉄道に詳しくないと、自力でここが「伏線」だと発見するのはかなり難しい。
鉄道が話の筋にに大きく関わる訳でもないのに、「500系」「E4系」と車両形式まで書かれていることにまず疑問を持つべきだったのだが、残念ながら今までまったく気にせずに読んでいた(戸田と志奈子は「のぞみ500系」を降りた後、東京で食事をし、仙台へ向かうためにまた新幹線に乗るのだが、その場面では、ただ「東北新幹線」と書かれているだけ。愛称も車両形式も記されていない。問題の伏線とは関係ない新幹線なので描写する必要がなかったのだろう)。
それでも、伊坂さんからのヒントによって、こうして『ラッシュライフ』に秘められた、伊坂さんの洒落っ気、遊び心を知ることができて嬉しい。この作品がより好きになった。
最後に、『ラッシュライフ』の5つのパートの構成については、『文藝別冊 総特集 伊坂幸太郎』(河出書房新社刊)に、詳細な「時間/事件相関図」が掲載されているので参照するといい。
毎日忙しい忙しいと思いながら仕事をしていたけど実は忙しくないということがテレワークで判明してしまった
これまでは中間管理職として部下に作業手順を指示したり、回ってきた社内稟議をチェックして「部長ならあれとあれを疎明資料として出せっていうと思うから準備しておいて」とサポートしたりしていた
それがテレワークへと切り替わったことで、自分のやるべき仕事は全くなくなってしまった
全てが電子決裁なので、自分の唯一のスキルである「事前根回し〇」を発揮する場面が全くなくなってしまったのだ
社内稟議の細かい確認等も最終決裁者が起案者に直接確認するので自分の出番は全くない
仕方ないので今日は朝から5歳の息子とプラレールで2時間あそんだ
はやぶさとこまちを連結させた6両編成のプラレールを走らせたが、鉄道橋の部分のレールの連結が不十分で新幹線は脱線してしまった
やるべき仕事が全くなく、朝からプラレールをやっている自分も会社に敷かれたレールからは脱線してしまったのかなと思いながら子供楽しく遊んだ