はてなキーワード: 学問とは
「セクシュアリティ研究を専門とする大学教授(異性愛者)」と「高卒の同性愛者」では、どちらがよりLGBTに詳しいか?
とか、
「英語研究を専門とする言語学者(日本語ネイティブ)」と「英語ネイティブの高校生」では、どちらがより英語に詳しいか?
とか、そういう下らない問いに一言で答えられると思ってる人が多すぎるんじゃないだろうか。
学問的な結論として認められうるエビデンスとしては全く不十分でも、当事者のナラティブとしては価値があるという話は往々にしてあるわけで。
※具体的な事例を思い浮かべた時に「俺ら」と「あいつら」の立ち位置が固定されてしまうなら、逆の立場として当てはまる事象はないか見つかるまで探してくださいね。必ずあるので。
トランス排除はツイ「フェミ」というか「普通の女性」の感覚ではないかな。
女子トイレをチンコ付いてる自称女も使って良しと認める理屈はそこそこ教養が無いと納得できないでしょう。
だからフェミニストは資格制にして、フェミニズムか隣接分野の学位を持った上で、筆記試験と口頭試問に合格しないと名乗れないことにするべきだよ。
そうすればツイフェミみたいなのは、もはやフェミニストではなく、研究者の観察対象に過ぎなくなり、学問としてのフェミニズムを復権できる。
そりゃ仕事やなんや、英語が便利なのは確かだろう。が、日本語には日本語にしかないものがある。と、思っている。
例えば、虫の声。
虫の出す音を「声」と感じるのは、日本人とポリネシア人だったかな、だけらしい。
日本人とポリネシア人は、虫の鳴き声を言語を司る左脳で聴き、西欧人は右脳で聴いているのだとか。
このため日本人は、虫の出す音を「声」と感じ、そこに様々な情緒を感じとる。しかし西欧人にとっては虫の出す音は「音」であり、うるさいと感じたりもする、と。
他にも、雨音や、川を流れる水の音。風の音なんかも同じだとか。
で、こういう違いがあらわれる原因はなにかというと、どうやら日本語にあるらしい。
日本語・ポリネシア語を母語とし、幼少の頃から触れているかどうか。それによって、こういう違いがあらわれるのだとか。
日本人じゃなくても、日本語を母語として育てば、同じく「声」と感じるようになるらしいです。
こういう様々なものに情緒を感じる力と、制約が少なく柔軟な日本語の特徴とが相まって、日本語には擬音・オノマトペが多く、多彩です。曖昧なものを曖昧なまま伝え、共有する力に長けています。これは日本人の「和」という言葉に象徴される、共感能力や協調性の高さへも影響しているでしょう。
他にも、日本語は制約が少なく柔軟という特徴をもっています。そういった特徴は、新しい言葉を作り出す能力の高さに繋がっています。
ノーベル賞を受賞した益川教授は、英語が苦手で、ノーベル賞受賞のスピーチにのぞんだ折り、日本語でスピーチをしました。
これに世界は大変驚いたらしいです。何に驚いたかというと、英語が出来ないということではありません。もちろんそれもあるでしょうけれど、もっと驚きだったのは、英語が苦手なのに、ノーベル賞を取れるほどの学を積めたことに対して驚いていたのです。
大学レベルの学問まで、ほぼ単一の単語で学ぶことができるのは、英語と日本語くらいじゃないでしょうか。(他にもあった場合はすみません)
これはなぜかというと、日本人が、全て日本語にしてきたからです。言い換えると、新しい単語を作りまくったからです。
そういうことができた理由は、日本語がとても柔軟な言語だったからに他ありません。
柔軟で、情緒溢れる言語は創作を生み、独特の感性を形作ります。それらが日本人の「日本人らしさ」に与えてる影響はとても大きいでしょう。
母語を英語にする。そりゃそれの方が楽なこともあるでしょう。けれど、古来より紡がれてきた「日本人らしさ」を、徐々に薄めてしまうかもしれない可能性を考えたら、いらないなと思うし、なによりこんなに素敵な言語を捨ててしまおうと思える気がしれないなぁと。
わたしはそう思うなぁ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/lingfieldwork/n/nefd96c0b8e71
この記事もアーカイブとしての言語学なのか、地域の人のアイデンティティのための言語学なのか、列挙してるだけなのか分かんなかった。
学者が研究しようが都会に憧れて方言を話す人はいるし、方言の中にも地方ごと島ごとに方言があるというのは学問としては良いのだろうと。
バイリンガルになってネイティブに馴染めないアイデンティティの問題っていうけど、それと方言は違うし、そもそもネイティブでも国語がうまく使えない人っているし。その人のアイデンティティどうすんの?みたいな。
朝鮮みたいに日本語強制させられて大変ってのは政治の問題。言語学じゃないだろと。そこで発生するのはアーカイブとしての必要性なんだろうし。
元記事では医療の話が出てたけどイヌイットの人とかは雪を表す単語がいくつもあるっていうよね。変えないと多分いけなかったんだよね。
津軽弁の寒さのためとか必要に応じて生まれる言葉もあるだろうし、そこの人が職業や体格的に話やすかった単語とかあると思うけどさ、なんかどっちにしても元記事よええなって思う。
フェミニスト内部の意見対立を見ていると、悲しいほど学歴やそれに付随する収入がダイレクトに影響してきている気がする。
例えばトランス女性(身体は男性だが性自認は女性)に対する立場をとってみてみると、
と呼び方も異なるようだ。ラディフェミという呼称はかつてはフェミニスト内でも蔑称扱いされていた(少なくとも自称するものではなかった)が、「結局男に迎合しやがって」と、所謂「リベフェミ」の態度に憤った人達がそれと区別するために名乗るようになったようだ。
Twitter内で「アルファフェミニスト」と呼ばれている人間はこの二者だとリベフェミに分類される人間が多いらしく、ここ数日トランスジェンダー周りの話題が取り沙汰される中でそれに失望するラディフェミの姿が散見されている。
この姿勢の違いだが、どうにも「フェミニズムを学問として勉強したことがあるかないか」に依拠しているようにも見える。
近年フェミニズムを大学で勉強しようとした場合、「女性学」ではなく「ジェンダー論」が入口になる。入門的なジェンダー論はLGBT関連の歴史研究なども扱う場合が多いと共に、近年人気のあるジュディス・バトラーの研究はどちらにも応用できる理論なので、大学で齧ったことがある人間ほど「領域の近い問題」という意識が生まれ、トランス側とシス女性の間に連帯感を覚えがちだ。
それに対してラディフェミと呼ばれる人々は、「フェミニズムは女の女による女のための学問」という意識が強い。身体が男性であればその時点で敵認定する人も少なくない。彼女たちのツイートを観察してわかってきたのが、「勉強してるからって気取っちゃって」という反感が根底にあるようだということだ。既に自分は女性という身体を持って生きてきて、構造的差別に晒されてきたので、この体験をもってフェミニストとして活動するし、改めて勉強する必要を感じないという勢力である。そこに対して、リベフェミ側はよりによって「トランスの歴史についても学んでみてください」と語りかける。火に油だ。
ラディフェミとリベフェミは関心の強い領域も異なるため(性被害についてのスタンスは近いが、ラディフェミは表現、リベフェミはリプロダクトや政治・キャリアに話が寄りがち)、協力体制を敷くことも難しそうだ。
ジェンダーの問題は誰でも当事者であると言えるため、フェミニズムの論者たちの層もかなりバリエーションに富んでいる。ただでさえマイノリティのフェミニスト、この分裂は致命的なように見える。
ただ会社行って、ただ給与が貰えれば良い、これが日本のサラリーマンの大多数のレベル
政治家・公務員と同じく、日本のサラリーマン以上のレベルになり得ないよ
ある特定の集団だけ国民のレベルよりも特出して高いとか魔法みたいなことは起きないよ
しかし、子どもを産むから育てるから金寄越せさんと同じものを感じる
自分自身のためではなく『国のために学問をやっている』のなら、
国民の年収中央値以上は貰えてますしこれからも国ために学問をなさったら良いのでは?
というか日本で300万以上貰って生活できない地域は無いですよね?
生まれ育った家よりも低い生活レベルで過ごすことは多くの人には出来ない(大抵は親やパトロンに援助してもらう)のは
よくよく存じておりますけども、生活に必要な額以上の保証、単に自分が欲しいだけのお金の保証って、国の責任なんですかね?
順位 | 職業 | 平均年収 |
1. | 医師 | 1237 🌟 |
2. | 航空機操縦士 | 1192 |
3. | 大学教授 | 1051 🌟 |
4. | 公認会計士、税理士 | 1042 |
5. | 弁護士 | 1029 |
6. | 大学准教授 | 861 🌟 |
7. | 記者 | 822 |
8. | 不動産鑑定士 | 777 |
9. | 歯科医師 | 757 |
10. | 大学講師 | 708 🌟 |
11. | 自然科学系研究員 | 674 🌟 |
12. | 高等学校教師 | 662 |
13. | 電車運転士 | 643 |
14. | 一般建築士 | 642 |
15. | 電車車掌 | 584 |
16. | 技術士 | 572 |
17. | 堀削・発破工 | 571 |
18. | システムエンジニア | 550 |
19. | 航空機客室乗務員 | 544 |
20. | 薬剤師 | 543 |
自分自身のために研究を行なっているのなら、そしてなおかつ給与が欲しいのなら、給与が貰えるところに行けばいいのでは?
べつに日本にしがみつく必要ないでしょう。国士様かな?たとえ国士様でも海外でキャリア積んでから日本に帰って来れば良いのでは?
他人のために、ましてや国(日本)のために、自分自身の人生があるわけじゃないでしょう
あと彼・彼女らは外資コンサルやシンクタンクに自分は余裕で入れるしやっていけるって思っている節がありますよね
多少は現実が見えている人でも財閥(メーカー)ならのらりくらり高給が貰えると思っている節がある
いやほんと、だと良いですね😊
だれも何も教えてくれないんでしょうか?それもアーアー聞こえないってやってるんでしょうか?
そうですね、知財に入ればそっから現場移動とか子会社永久出向とかはないと思いますよ。知財なんで研究してないですけど
そういう非常識な能天気さは意味不明な夢を見て不満を作り出す方向ではなく、
日々の生活で『好きなことできてるし良いや👍』って方向に持っていけると良いですね
毎月決まった日に決まった額のお金がもらえるし、体調悪かったり天気が悪かったり災害の警報が出てたら簡単に休める。何なら上司が先に当日欠勤の申請してる。信じられないことにお金もらいながら休むこともできる。
9時間拘束は面倒だったが、実働はその半分にも満たなかったし、どちらかというと残りの時間つぶしに苦慮してた。それは俺だけではないらしくて、たまに中庭を意味もなくうろついてる同僚を見かけていた。今は半分テレワークでそこらへんもあいまいになったので解決。定例で行われる飲み会はあんまり好きじゃないけど、状況により業務時間にあてられるし、会社から補助が出るので大きな不満はない。ただ自分から振れる話題はほとんどないのでつまらない人間だなと思う。他人の意外な趣味や家庭の話が飛び込んできたりして、聞かせてもらう分には面白い。
忙しい時は残業や宿題もあるけど、その分お金はもらえるし、もともとプライベートが充実してるわけじゃないので、あんまり困らない。大体の休日はちゃんと休めるし。
そんな態度でやってる仕事だから、年収は平均に結構劣るけど、物価も安いところに住んでいるので暮らしていく分に不便は少ない。自分としては平穏そのものの人生で、不安は親の老後と自分の孤独死ぐらいしかない。
それに比べると、学校に通っていた頃は本当につらかった。学年が違うというだけで廊下すら聖域扱いされる上級生とは、距離感を見誤ってよく怒られていた。名指しで呼び出されたこともあった。たかだか数年早く生まれただけでなぜあんなに偉そうなのか、進級して同じ立場になってもわからなかった。俺は人間関係が下手だった。
学校が終わったあと、やりたくもない部活動に強制で放り込まれ、全く興味がないことに心身を疲弊させられるのは死ぬほど嫌だった。実家はお金がなかったので、課外授業とか教材費とか合宿とか部費とか、出費がある度にお願いするのも心苦しかった。
バイトをすればよかったのかもしれないが、学業のために休日や放課後に何かできるほど人生に真剣ではなかった。そういう意味では、親に甘えていた。そのうち幽霊部員になった。部活に行かなくなった最初はほかの部員にドヤされたが、そもそもまじめにやっていなかった人間なのですぐに無視されるようになった。後ろめたさはすぐになくなり、心も軽くなった。修学旅行も、旅費を出してほしくなかったので行かなかった。多くの人間と寝食をともにすることに強いストレスを感じる性分だったので、もともと行きたくなかったのもあった。部活も修学旅行も、強制されるものだと思っていたので、拒否することが可能なのに驚いた。やらない/行かないという選択肢はそもそも目の前に存在していなかったが、選ぶことができるのを知った。
学校では出席日数がすべてであり、どんな体調、どんな天気だろうが通い続けることが美徳なのは悪夢ですらあった。高熱だろうが出校をうながされ、大雨だろうが台風だろうが大雪だろうが、まずは連絡網を待ち続けるのは不快でしかなかった。休みにはならないと言うので学校に向かったら、朝のホームルームで帰宅指示が出された豪雨の日のことは、今でも呪っている。
教師ともソリが合わずいつもにらまれていたが、それは俺の思い過ごしかもしれない。ただ、こんな態度なのだから、好かれてはいなかっただろうと思う。授業はまじめに受けているつもりだったけど、勉強にはついていくことができていなかった。遅れた部分を取り戻すこともできないまま、内容はどんどん先に進んでいき、完全に一周遅れとなった俺はいつしか学校に行っても何も学べなくなっていたので、授業中は椅子に座ってぼーっとしているだけだった。苦痛だった。問題を当てられて黒板の前に立たされても、どうせわからないのだから棒立ちしていることを繰り返していたら、指されなくなった。
それでも勝手に単位が出てきて進級したし、進級したら高認をとれたので、そのまま学校をやめ、就職活動をしてみた。それしか道がなかった。奇跡的に就職できた後は一人暮らしも始めた。それまでの世界に比べると、そのあとはまるで天国だった。俺に対して決して捨て鉢にならなかった親にはとても感謝している。昨今は社会情勢的に実家に帰ることがなかなか出来ないので残念だ。連絡はときどきしているし、できる限り孝行をしたいと思っているが、敬愛の示し方がわからないため、なかなかままならない。
さておき、学校で本来学ぶはずだったことが、仕事において必要なことはたくさんあった。日本語がうまくなくて困ったことがあった。確率や割合の計算ができなかったり、放物線がグラフで描けなくて困ったことがあった。世界の略歴を知らなくて困ったことがあった。グローバルな会社ではないが最低限の英語が必要になることはあり、当然そこでも困った。野球やサッカーやゴルフ、将棋や麻雀のルールを全然知らなくて困ることすらあった。義務教育の内容や、集団生活での経験が社会で必要ないなんて思ったことはなかったけど、俺が社会で必要なことを学校で学ぶのに失敗していたのは事実だった。学校に通い、必要なことを必要な時にちゃんと学べている人は本当に立派な人間だと思う。
だがそれらが俺の責任である以上、学生のころは全くわからなかった学問を、小中学生のレベルからやり直した。社会人になってからは勉強することでお金がもらえるし、もらえるお金も増えるようになるので嬉しい。スポーツや遊びは俺を幼稚園児だと思って教えてほしいと伝えて学ばせてもらっている。強制されない、ノルマも存在しない運動が楽しいということは社会人になってから知った。さかあがりはいまだにできないけどね。
今でも学生のころは夢に見る。そのほとんどは良くない思い出のごった煮で、目が覚めた時の気分はいつも最悪なのだが、それと同時に、現実ではもう社会人であれてよかったと安堵する。社会人になってから人生が楽しくてしょうがない。
さっきふらっと書いていった人がそうだけど、あ、この人はちゃんとアカデミアで学問した(してる)人だなってのは文章・文体である程度わかるよね。指摘も具体的だし勉強になることも多い。修士だ、って言う奴が現れた時に、うるさいお前は高卒だ!ってヒステリーを起こすよりも、そうですね、ところで(博士課程以上でないとスラッと出てこないような指摘〜)ってやった方が自分の知的レベルを示す方法としてよりスマートだし。ああいうのは真似したいな。俺はあなたが自分で書いた増田に急いで自分でトラバしている図を想像して愉快な気持ちになった。ありがとう!楽しくエペしてくるわ!
古代以来の学問は人文学(人文科学ではない)が基本で自然科学はルネサンス期以降の新参者だよね。
社会科学は「科学」を僭称することによって社会革命イデオロギーに正当性を与えようとする試みで人文学とは異なるイデオロギーと呼ぶべきもの。
(マルクス主義は科学的社会主義とか社会的ダーウィニズムとか言ってたよね。)
活動家の思想が全部が全部だめとは思わないけど、政権を全とっかえすれば理屈抜きに全てよくなるとか唱える輩を信じないようにはなった。(年取ったってことだな)
ワイは人文系の若手研究者だけど、その主張は端的におかしいよ。
たとえば医学とかだと医者のいうこと聞くのが一般的だと思うのよね。時々、医者やワクチンはインチキです、〇〇を信仰すれば病は綺麗になくなります!みたいなキチガイいるけど、あれは普通にキチガイじゃん
でも人文系にはなぜか、その学問の学位すら持っていないのに、したり顔で頓珍漢なご高説垂れる輩が多いのよね。ワクチンキチガイと同レベル
事実に関してはフェミニズム研究は優れた業績を残していると思うよ。これまで男性中心の歴史観や批評によって無視されてきた女性の歴史や女性文学を発掘したり、見逃されてきた性差別の存在を明らかにしたり、そういった研究の存在を踏まえずにテキトーなこと言うのはニセ科学と同列でありえない態度だよね。
アメリカのリバタリアンの間には反ワクチンと共闘してワクチンの義務化に抵抗する人たちがいる。彼らの主張はこうだ。「政府は子供の身体に何を入れるかを強制すべきではない。それは親が自由に決めるべきことであって義務化には反対」
この主張は、医学的事実が正しかったとしても成り立つ主張だよね。これに医学的見地から反論するのは無意味で、政治信条を表明して(つまり意見を表明して)争うしかない。そして政治信条というフィールドでは、医者も素人も対等な主権者として扱われるべきだろう。それが民主主義ってやつなのだから。
これをフェミニズム研究に当てはめてみよう。「○○のような技法は性的に対象を消費するために編み出された技法である」は事実だけど、「性的消費は悪いことだ」というのは意見だ。「会議で女性比率が○割になると女性の発言力が○割アップする」は事実だけど、「会議の構成員の○割は必ず女性にすべき」というのは意見だ。
事実の領域では専門家の研究成果は尊重されるべきだ。けれど意見の領域では、専門家と素人は対等な主権者のはずだ。
フェミニストの主張が社会に影響を与えることを目標にするのなら、専門家の権威を捨てて素人と意見を交わすことを受け入れないとおかしい。もちろん事実の面では自分の専門性を尊重しろと言ってもよいが、意見の面では、自分は専門家なのだから自分の意見に従えと言っても通らないだろう。
(ちなみに、哲学や思想研究の専門性というのは、一貫した「意見」の体系を構築することにあるのだろうと思っている。人はときに矛盾した意見を言ってしまう。しかしあらゆる立場に対して一貫した意見を構築するというのはとても大変なことで、古今東西の文献を集めて様々な意見を比較検討してようやくできることだ。様々な意見のパッケージを社会に提供することが彼らの社会的存在意義なんだと思う)
「ワクチンには効果があるからワクチンの接種を義務化すべきだ」という意見ではリバタリアンを説得できない(彼らは、前段の事実が仮に正しくとも後段の強制を正当化できないと言っているので)。多くの人の生死に直結する公衆衛生の問題ですら意見が対立するのだから、いわんや表現や自由といった問題においてをや。フェミニストはまず、自分が尊重されてしかるべき領域と尊重されなくて当然の領域を切り分けてほしい。そして、後者では自分の専門性を印籠として振りかざすのをやめるべきだ。
低学歴にはわからないだろうが、めっちゃ楽しいよ。特にはてなにはいっちょかみはしたいけど大して学はない、な人間が多いから学歴煽りが刺さる
お前が高学歴なわけないだろ、みたいなこと言われたときは特に最高ですね。もし低学歴が高学歴を騙っていたのならぐぬぬ見破られて悔しいとなるのかもだけど、僕の場合は実際に高学歴だから、ふふん普通は騙りだと思われる、滅多にいない高学歴がこの私なんですよねー!!!ってなる。否定されればされるほど嬉しいね
もちろん現実社会ではこんなこと絶対にしないし、学歴がすべてではないとも思ってる。ただはてなや増田にいるような、学がない癖に特定の学問分野に支離滅裂なケチをつけたり中傷していたりレスバしている人間性最下層の人間は容赦なく煽っていくことにしています。
それは否定しない。どうすりゃいいんだろうね
たとえば医学とかだと医者のいうこと聞くのが一般的だと思うのよね。時々、医者やワクチンはインチキです、〇〇を信仰すれば病は綺麗になくなります!みたいなキチガイいるけど、あれは普通にキチガイじゃん
でも人文系にはなぜか、その学問の学位すら持っていないのに、したり顔で頓珍漢なご高説垂れる輩が多いのよね。ワクチンキチガイと同レベル
僕はあなたのお母さんじゃないので、嫌です。
それでもって、この辺りの概念は大学で4年、6年、場合によってはさらに数年かけて学ぶものなので、そんな簡単に書けるものでもないです。その労力に見合う金銭で発注するか、本を買ってください。大学なり、高専でもいいですが、何かしらの学問を修めた人ならわかるはずです。
あなたの定義だとたしかに価値を提供する世の中のすべて、労働も学問も恋愛も結婚もあらゆる社会行動すべてがモノ化ということになるし、それは事実なのだろうけれど、そこまでふわふわレベルに広げたモノ化概念は、実質的に意味がないよね、という話をしています。全てに当てはまるのだから。
だからあなたは唐突に「風俗は金を払うから偉いね!恋愛や結婚は金を払わないから偉くないね!」という金払う/払わないの超単純二元論な個人の信念・宗教・考え方を開示しただけで、議論も何も始まらないよね、モノ化という言葉を使っていたから、何かベースになる論理等があるかと思ったけれど、実際には、はぁそうですか、で終わる話だったね、というだけ。
面白い観点だが、同人女子の「学級会」文化などを見るに、「ホモソーシャル」=「自浄能力ゼロ」とは必ずしも言えないのでは?
私は、増田の言う「フェミニスト」たちが、(1)自分たちを「弱者」と規定していること、(2)自分たちに「普遍性」があると信じていること、の2点が、増田の言う問題の根幹にかかわっているのではないかと思う。分かりやすく言いかえれば「被害者意識」と「『常識』への疑いの無さ」。学問としてのフェミニズムには後者は比較的無くて言ってることもとてもきちんと整備されてる感があるんだけど、運動としてのフェミニズムは後者の典型のようなものが多い。特に「表現規制」にやっきになった結果保守に取り込まれかけてる方々など。