2020-11-13

ここ数日のフェミニスト内部対立に思うこと

フェミニスト内部の意見対立を見ていると、悲しいほど学歴やそれに付随する収入ダイレクトに影響してきている気がする。

例えばトランス女性(身体男性だが性自認女性)に対する立場をとってみてみると、

トランス女性女性→リベフェミ

トランス女性男性→ラディフェミ

呼び方も異なるようだ。ラディフェミという呼称はかつてはフェミニスト内でも蔑称扱いされていた(少なくとも自称するものではなかった)が、「結局男に迎合しやがって」と、所謂「リベフェミ」の態度に憤った人達がそれと区別するために名乗るようになったようだ。

Twitter内で「アルファフェミニスト」と呼ばれている人間はこの二者だとリベフェミに分類される人間が多いらしく、ここ数日トランスジェンダー周りの話題が取り沙汰される中でそれに失望するラディフェミの姿が散見されている。

この姿勢の違いだが、どうにも「フェミニズムを学問として勉強したことあるかないか」に依拠しているようにも見える。

近年フェミニズムを大学勉強しようとした場合、「女性学」ではなく「ジェンダー論」が入口になる。入門的なジェンダー論はLGBT関連の歴史研究なども扱う場合が多いと共に、近年人気のあるジュディス・バトラー研究はどちらにも応用できる理論なので、大学で齧ったことがある人間ほど「領域の近い問題」という意識が生まれトランス側とシス女性の間に連帯感を覚えがちだ。

それに対してラディフェミと呼ばれる人々は、「フェミニズムは女の女による女のための学問」という意識が強い。身体男性であればその時点で敵認定する人も少なくない。彼女たちのツイートを観察してわかってきたのが、「勉強してるからって気取っちゃって」という反感が根底にあるようだということだ。既に自分女性という身体を持って生きてきて、構造差別に晒されてきたので、この体験をもってフェミニストとして活動するし、改めて勉強する必要を感じないという勢力である。そこに対して、リベフェミ側はよりによって「トランス歴史についても学んでみてください」と語りかける。火に油だ。

ラディフェミとリベフェミは関心の強い領域も異なるため(性被害についてのスタンスは近いが、ラディフェミ表現、リベフェミはリプロダクトや政治キャリアに話が寄りがち)、協力体制を敷くことも難しそうだ。

ジェンダー問題は誰でも当事者であると言えるため、フェミニズムの論者たちの層もかなりバリエーションに富んでいる。ただでさえマイノリティフェミニスト、この分裂は致命的なように見える。

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