はてなキーワード: 囲碁とは
流行りのVALORANTでいえば、13点を取ったチームが勝ち。
お前は都合よくカーリングを単純化し、都合よくeスポーツのルールを複雑化してる。
日本ではApex Legendsが流行ってるから、FPSに触れたことのある人間が多い。
eスポーツはアメフトやバスケのプロスポーツ業界を脅かす存在になっていることが判明
https://gigazine.net/news/20170605-traditional-sports-have-esports-problem/
ミレニアル世代(All millenials)では「eスポーツより従来のスポーツが好き」という層は合計42%で、「従来のスポーツよりeスポーツが好き」という層は合計して40%
てっきり平安時代あたりの宮殿を守る兵士とかから生まれたとか妄想してたわw
あ~しらなんだ♪しらなんだ♪
柔道創始
1874年(明治7年)、育英義塾(後の育英高校)に入塾。その後、官立東京開成学校(後の東京大学)に進学。1877年(明治10年)に東京大学に入学した。東京大学時代には中村正直や三島中洲に漢文学を学び、渋沢栄一の経済学の講義を受け、またアーネスト・フェノロサの薫陶を受けその指導の下、政治学、理財学(経済学)、哲学、道義学(倫理学)、審美学を学ぶ[3]。また1878年(明治11年)には漢学塾二松學舍(後の二松學舍大学)の塾生となる[4]。しかし育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。当時は文明開化の時で柔術は軽視され、師匠を探すのにも苦労し、柳生心眼流の大島一学に短期間入門するなどした後、天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす。この時期の話として、「先生(福田)から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」という話がある。
1879年(明治12年)7月、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山別荘にて7月3日から来日中のユリシーズ・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武した。8月、福田が52歳で死んだ後は天神真楊流の家元である磯正智に学ぶ。
1881年(明治14年)、東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。磯の死後、起倒流の飯久保恒年に学ぶようになる。柔術二流派の乱捕技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作る。
1882年(明治15年)、下谷北稲荷町16(のちの台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁・将棋から段位制を取り入れ講道館を設立した。
すまん、バカで。
現時点でも将棋とか特定の用途に用いる人工知能は学習を繰り返してプロより強くなってしまうわけで、汎用人工知能となると、多様な用途それぞれについて学習を繰り返して日々賢くなっていくのだろう。
その前提の、変化しないものが我々の対処すべき問題で無いんじゃ?、って話をしたい。
おそらくご存知だろうが、将棋も囲碁も無限にはパターンがない。組み合わせは、有限のはずだ。そりゃ、コンピューターには可能だろうけど、世の中が対処しないといけない問題は有限でなく、無限であるならば、解決すべき問題はチューリングマシンといった機械の上で対応できない問題な可能性があって、それは人工知能で対処できないのではないだろうか?という「P≠NP」の疑問をしたかった。すまん、説明不足で。
th_2-4-4
(湯女風呂の様子)
江戸時代の銭湯は朝から沸かして、タ方六つ(午後6時頃)の合図で終わります。銭湯は上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所でした。やがて、銭湯で客に湯茶のサービスもするようになって、湯女(ゆな)が大活躍します。というのは、この湯女たち、昼は客の背中を流していますが、タ方を境に、三味線を手に遊客をもてなします。この湯女風呂は、商家の旦那衆や若者たちの間で大評判になります。
そんな中でも特に人気の高かったのが「丹前風呂」。堀丹後守の屋敷前にある銭湯というところから名付けられましたが、ここの「勝山」という湯女がたいへんな人気で、「丹前の湯はそのころ皆のぼせ」と川柳によまれたほどです。また、このあたりに集まる男たちの風俗を称して「丹前風」と呼び、歌舞伎にまで取り上げられました。
こうして湯女風呂は栄える一方で、全盛期には吉原遊廓がさびれるほどのにぎわいだったといいます。
一方、幕府は風紀上の理由から、たびたび禁止令を出しますが、ほとんど効き目はない状態でした。しかし、明暦3年(1657)、幕府は湯女風呂を徹底的に取り締まり、湯女600人を強制的に吉原へ送りました。こうして江戸の湯女風呂は廃止されました。
その後、銭湯は江戸庶民の憩いの場として親しまれました。かつて湯女が客をもてなした2階の広間は浴客に開放され、茶を飲んだり菓子を食べたり、囲碁・将棋を楽しむ社交場として利用されるようになりました。
石榴口内部
江戸の銭湯は「入(い)り込(こ)み湯」といわれ、男女混浴でした。これは江戸末期まで続きました。石榴口の中は暗く、風紀を乱すものも少なくなかったのでしょう、何度か禁止令が出されます。しかし、実際はなかなか改まらず、天保の改革(1841~43)の際、厳しく取り締まりが行なわれました。その結果、浴槽の中央に仕切りを取り付けたり、男女の入浴日時を分けたり、また男湯だけ、女湯だけという銭湯も現われました。
時代は移って明治の世になると、明治政府は幕府以来の旧弊として、男女入り込み湯は特に厳しく禁止し、たびたび通達を出します。しかし、長年の風習はそう簡単には改まりません。実際に混浴がなくなったのは明治中頃でした。
おまいらが「これはすごい」のタグをつけてブクマした記事を教えてちょーだい。
ちなみにわしがここ最近「これはすごい」つけた記事。どれもめっちゃ濃くて面白い記事です
〇小林まこと×増田俊也【対談】我が柔道部物語!! : 増田俊也公式ブログ|
http://blog.livedoor.jp/masuda_toshinari/archives/52112360.html
『柔道部物語』の作者小林まこと先生と、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』『七帝柔道記』の著者・増田俊也が柔道の魅力について、存分に語り合った2万字対談。「ゴング格闘技」掲載記事。
〇佐藤康光九段、藤井猛九段、菅井竜也王位座談会「創造の原動力」
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77983
将棋プロ棋士、升田幸三賞受賞者であり序盤のパイオニアとして知られる3人が「新手」について存分に語る。「将棋世界」掲載記事。将棋のことが少しはわからないと、内容はわからないかも。
〇小人プロレスと都市伝説 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~
https://washburn1975.hatenablog.com/entry/2021/03/25/150654
小人プロレスの歴史のまとめ。けっこうブクマついてるので、読んだ人は多いかも
〇いま囲碁界で起きている“人間とAI”の関係──「中国企業2強時代」「AIに2000連敗して人類最強へと成長」将棋界とは異なるAIとの向き合いかた
https://bunshun.jp/articles/-/43711
『りゅうおうのおしごと』の白鳥士郎が囲碁棋士と、囲碁のAIソフトについて対談。囲碁は詳しくないのだけど、面白かった。
〇“真空飛び膝蹴り”沢村忠はリアルに弱かったのか? 全241戦「フェイク試合だった」疑惑を検証する - 空手 - Number Web - ナンバー
https://number.bunshun.jp/articles/-/846495
『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』の著者が、キックボクサー沢村忠(ポケモン・サワムラーの名前の元ネタ)の裏側を探る。
〇『御意見無用』復刊記念・ありま猛氏インタビュー あだち兄弟にギャンブル漬けにされたお陰で『連ちゃんパパ』は生まれた? | - マンバ
ここ数年の将棋人気で誕生したabema将棋トーナメントの放送が毎週土曜日にあり、持ち時間5分、1手指すごとに5秒追加という、普段の対局だったらまずありえない持ち時間の短さに慌てふためくプロ棋士の様子を見て楽しんでいるのだが、いつもの対局での棋力に照らして、明らかに早指しだと弱くなる棋士がいることに気づいた。
将棋や囲碁のようなボードゲームで、子供の頃からやっている人と大きくなってから始めた人の差が一番出やすいのは、超早指し(持ち時間3分で使い切ったら負けとか)なんじゃないかと前から思っている。子供の頃からやっている人は、そもそも単純に経験値が多いし、持ち時間など関係なくバシバシ瞬発力で指す子供時代の記憶がどこかに残っていたりもするのか、直感が優れているし直感が効く範囲も広い気がする。他方大人になってから始めた人は、経験値が足りないのを理屈で補っているようなところがあるから、時間をかけて読み進めれば人並みに正しい結論まで辿り着けるけれど、いかんせん直感が効かずとっさの判断が苦手である。実際自分の周りを見ていてもそういう傾向は顕著で、大人になってから始めた人ほど長時間と短時間のレート差が大きい(当てはまらない人もいるけど)。
しかしさすがにプロ棋士で大人になってから始めた人はいないから、これは関係ない。だったら普段の強さと早指しの強さが連動していてもいいはずじゃないかとも思うのだが、実際にはそうなっていない。なかでも印象的なのは、一昨日私を含む多くのファンに惜しまれながら敗退した豊島将之竜王。見るからに今回のルールが不得意で、去年に続いて二年連続で予選敗退。知らない人のために書いておくと、豊島竜王は今の将棋界で一番強い部類に入る人で、タイトルも2つ持っている。ちなみにいま一番多く(3つ)タイトルを持っている渡辺明名人にもなんとなく似た印象があって、公式戦だと勝ちまくっているが、abemaトーナメントだとうおーーー強い、という感じがない(しインタビューなど聞いていると自分でもそう思っている節がある)。
プロ棋士の脳内というのはとにかく常人には計り知れないところがあり、許されるのなら割って覗いてみたいくらいのものだと思うのだが、そうなると逆に気になってくるのは、普段の対局時(持ち時間4時間とか6時間とか、長ければ8、9時間で2日に分けてとか)、早指しはいまいちだが時間をかければべらぼうに強いこの人たちの頭の中ではどんなことが起こっているのかということだ。直感で思い浮かんだ手(よく「第一感」と言われる)が読みで修正される度合いが、他の棋士よりも大きいんだろうか。第一感の手の精度はイマイチだが、あるいは「筋のいい」手をパッと思いつく能力にはプロともなれば差はなくて、10手先20手先と掘り下げていったところに潜んでいる意外な妙手に気づく能力に長けているとかなんだろうか。しかし何手先だろうと手を発見するのは直感なんじゃないんだろうか。それとも直感を裏切るような手を理詰めで辿り着く技術なんだろうか......。
しかし、羽生善治永世7冠には、経験を積んで強くなるとは、「直感」の段階で無駄な候補手を切り捨てる能力が向上することであり、それによって読むべき手を減らしていくことだという趣旨の言葉がある。この手はきっとダメだろうな、この手は可能性があるかもな、みたいな読み以前の感覚の正確さが強さの一大要素だという発想で、これはプロにも当てはまるはずだという気もする。余談だが今回のabemaトーナメントでは意外と歳が上の人が勝っているのも面白くて、頭の回転速度は20代をピークにして衰えるらしいが、その分を経験に裏打ちされた直感で補えているのかなあという感じもある。
人工知能が計算力に物言わせてとにかくしらみ潰しに読むのに対し、人間はほとんどの選択肢をまず最初に切り捨てると対比的されることがあるが、その第一感の部分で豊島竜王とか渡辺名人とかがさほど秀でていないのだとしたらやっぱり意外で、そうなんだとしたら彼らの強さは何によってできているんだろう、というかそもそも将棋の強さというのはどういう能力で構成されているんだろうと思う。既存の手筋をいくつ覚えたかとか脳内盤がどれくらい鮮明かとかそれで何手先まで読めるかとかいうことである程度までは強くなれるが、突き詰めていったら、どんな能力が必要なのか、強いとはどうなることなのかがわからない、むしろそれをこそ考えるという境地があるはずだと想像する。それは畢竟するところ、人間の知能がある限られたルールの中で極限状態に置かれたらどう振る舞うか、エンタメの装いで人体実験しているようなものだ。自分で直に体験することはできないが(単純に棋力が足りないので)、代わりにやってくれるプロ棋士を見ながらこの人たちの頭の中では何が起きているのだろうかと想像することは楽しい。
AIはAIで、機械学習からディープ・ラーニングに替わって以降、コンピュータが自分で作り調整している無数のパラメータが何を測っているのか人間には分からないという話があるが、9×9マス、駒8種類程度のゲームでもその「考え方」には複数の可能性があるわけである。藤井聡太が注目を集めているのも、単に計算が早いだけではなくて、「考え方」の質的な更新を予感している人が多いからだろう。AIに人間が勝てない今日、ボードゲームがプロ競技として存続していくことに意味はあるのかと問われることがあるが、あえて考えるなら、「ミスだらけでも人間が真剣勝負する姿は美しい」型の人間ドラマ礼賛よりも(そういう要素が消えるとは思わないしまあ自分も好きだが)、人間の知的能力をある方向に限界まで高めたときにのみ垣間見えるその特性がAIとの比較も含めて明らかになったり、AIと人間の共同作業にはどんな形があり得るのかの実験になったり(実際「AIのような手を人間が指す」ことは多くなったわけだ)ということの方に可能性があると思う。
と、取り留めもなく最後は話が大きくなりすぎたが、あんなに強い豊島竜王がどういうわけか一向に勝てないのを嘆きながらこんなことをぼんやり考えていたのでした。来週も楽しみ。
オッカム先生はもともと、北海道の裕福でない家庭で生まれ育った自分の境遇と、階級格差・地域格差への怨嗟をたびたびつぶやかれていました。たとえばこれとか。オッカム先生にとっては、その境遇から脱出するための唯一のキャリアパスが、大学の研究職になることだったということで、「うちには資産がなく告げる(sic)仕事もなく、もう大学組織に雇われるしかない。それで業績や大学の規模やステイタスに拘りました」とか、「私はガリガリ亡者のように(大学教員)職を求めていました」みたいな話はよく書かれてました。今回消されたツイートの中にも「大学に職を得られないなら死ぬつもりでした」というのがありました。地元dis・ご実家disについてはやや自虐芸が過ぎるようにも思ってましたが、それは個人的境遇についての説明とモチベーションにつながる話でもありますし、自分もこういう文化資本を含めた階級格差・地域格差がアカデミアでのキャリア形成に及ぼす影響(再生産)というのは、充分考察・検討に値する問題だと思っています。
そういった背景のうえでの、件の炎上について。オッカム先生は、国際会議の同時通訳をやれるほどの能力を持ちながら、研究もしていなければ常勤でもない既婚の女性達を見て、
北大助手時代に「東京は恐ろしい所だ」と思ったことが一度だけあります。国際会議のロジやっていた時、同時通訳を派遣してもらいました。最初は研究者なんだから通訳くらいできるだろうと思ってたのですが通訳は甘いものではなくまるでうまくいかなかったのです。まして同時通訳など訓練なしには無理。
アカデミアの国際会議でしたから専門用語だらけですが、事前に資料渡しておいたら、それはそれは見事な同時通訳がなされました。通訳者はすべて女性だったのですが、これが皆さん、専業主婦だったのです。東大やICUを卒業した専業主婦です。セレブバイトだったのです。
東大やICUや東外大(ICUや東外大は大学院を駒場で修了してたりする人もいました)出身者が専業主婦やってるのです。ジェンダーの問題は本件ではちょっとおいておきます。とにかく北北海道の辺境出身の私にはあまりにもイカツイ学歴の持ち主が専業主婦やって、セレブバイトしている。衝撃と畏怖でした。
繰り返しますが、ジェンダーの問題は専門外なのでおいておきます。彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです。
あり得ないのです。あり得ない世界だったのです私には。研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴と語学力でキャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない。一体どんな世界なんだと背筋が凍りました。
という感想を抱かれました。当時その体験から受けた階級格差・地域格差の衝撃、圧倒的な語学力を持ちながら自分が切望する大学研究職というキャリアパスには興味を持たずに暮らしている(暮らせる)方々が存在することの衝撃をそのまま言葉にした結果、一連のツイートには、当時のオッカム先生がお持ちだったジェンダー観も交錯した形になり、そこが批判の対象になりました。
この「格差の衝撃」が、最終的に「自分と彼女達の旦那との勝負」(同時通訳者達の配偶者男性のことは、それまで話題に一度も登場していないし、そもそも研究職かどうかもわかりません)になり、しかもその彼らに自分は「絶対に勝てない」と勝手に敗北感を抱いてしまう…というくだりについては、多くの方が「もしかしてオッカム先生は、『男性の価値は、配偶者の属性や能力や、その配偶者を専業主婦として養えるかどうかによって決まる』という価値観をお持ちなのではないか?」という風に読まれたようです(自分も、素直に読んだらこの文章の意味はそうなってしまうように感じます)。そこで「トロフィー・ワイフ」という言葉を出して批判する方々も出てきましたが、オッカム先生は、この言葉を使ってオッカム先生を批判する方々に対して「女性はモノじゃないでしょう」「私、思いつきもしませんでした」と非常に憤られています。
もうさ、「トロフィー・ワイフ」という言葉がふっと思いついた人が2桁いるんですよ、確認した範囲で。どんな人生送ってきたんだと思うし、女性はモノじゃないでしょう。私、思いつきもしませんでした。
そして、「思いつきもしなかった」理由として、
思いつきもしない理由を考えてみました。
あともう一つ、アメリカ研究では、人種とジェンダー研究が盛んです。だから、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞きます。だから「ジェンダーのことは置く」としたのは、自分のような政治史はジェンダー研究者から見たら子供レベルだからです。でも他分野の人よりは知ってます。
と言っています。オッカム先生は、ご自分が「自分が性別で他者を差別しない」方だと考えられています。なぜならアメリカン・スタディーズは半分以上女性の、実力の世界だし、「男女差別が具体的にどう現れるか」の研究を死ぬほど聞いているからです。これに説得力を感じるかどうかは読者の皆さんによって異なると思いますが、自分はちょっと、皆さんから指摘されていることの肝心な部分が伝わっていないのかな、と思いました。
もうひとつ、同時通訳という仕事について。同時通訳というのは、通訳・翻訳界のひとつの頂点で、その中でも国際会議などの同時通訳案件を請けられるのは本当のトップクラスの人材です。同時通訳というのは、どこに専門性があるかが誤解されがちな仕事で、語学力があればできる仕事…たとえば「米国からの帰国子女で、英語・日本語どっちも十分な語学力があれば、同時通訳ができる」という風に思われる方も多いようですが、実はそうではないのです。
英語を話される方なら「英語脳と日本語脳を切り替える」みたいなイメージは割と湧きやすいと思いますが、同時通訳というのはいちいち脳を切り替えてはダメで、「2つの言語モードを、脳のなかで同時並行で走らせる」という特殊な訓練が必要です。これは2言語ネイティブであってもなくても、練習なしには極めて難しいことです。
自分は同時通訳なんてとてもできませんが、一時期フリーランスの書籍翻訳をしていました。翻訳業界では「米語ネイティブで日本語も達者な人なのに、英日翻訳をやってもらったら商用出版に耐えないクオリティだった」ということをよく耳にします。頭が英語のモードのまま日本語に翻訳をすると「単語を日本語に置き換えた英語」になりがちで、日本語ネイティブが読んだときに不自然だったり意味が通らなかったりすることが多いのです。だから頭を日本語のモードに変えて、自分は英語原文を知らないというつもりで読み直して、それでも意味が通るかどうかを検証しています。
同時通訳者というのは、これをリアルタイムでやる仕事です。頭をフル回転させて、耳から入力された言語Aの内容に意識を研ぎ澄ませつつ、語り手の立場、聴き手の立場、その場の文脈などを加味して、最も適切な言語Bでの表現を選び出して、言葉として淀みなく紡ぎ続けるわけです(個人的には、同時通訳者さんの脳内では将棋や囲碁などの知的ゲームのトッププロ並の情報処理が行われていると思っています。「アスリートに近い」という人もいます)。想像していただければわかると思いますが、同時通訳は脳にかかる負荷がものすごいので、長時間はできません。国際会議などのように尺が長い場合は、複数の同時通訳者をアサインして、15分交代でやります。休憩中はしっかり糖分を取る人も多いようです。業界トップクラスの年収数千万円レベルの方々でも、持ち時間の終盤にさしかかってくると、徐々に言葉が途切れたり、不本意な倒置などが増えたりしてくることがあります。それほどハードな高度技術職なのです。日本トップクラスのフリーランス同時通訳者の田中慶子さんのお話( 日本トップクラスの同時通訳者が明かす、英語で困ったときの切り抜け方 - ログミーBiz)など読むと、その内実が伝わりやすいかもしれません(ちなみに田中さんは帰国子女ではなく、高校まで愛知で育った方です)。
また、担当分野に関する深い知識も当日までに身に付けなければいけません。通訳業界ではしばしば「その場にいる人の中では、通訳が一番話題に疎い人物」みたいな言われ方をします。商談でも政治交渉でも学術会議でも、母語は違っても同じテーマについて語りたい人達が集まって話す場なので、通訳以外の参加者達はテーマ自体については深く理解しているのです。その2者の橋渡しをするのがその場で一番アウェイな通訳だと考えれば、どれほどの事前準備が必要か、というのは想像に難くないと思います。
こうした仕事の性質上、企業の常勤正社員で、毎日同時通訳ばかりしている方はあまりいないと思います。契約社員などでの社内通訳というポジションもあるにはありますが、数は多くなく、そういう方々の中にも将来的なキャリア形成として、より高収入で仕事も選びやすいフリーランス通訳者を目指す方は多いようです。オッカム先生がおっしゃられている状況を考えると、会議にいらしたのは、おそらく首都圏でサイマル・インターナショナルなどにエージェント登録されているクラスA以上のフリーランス通訳者だと思います。おそらく全員が、事前に当該分野・当該テーマについての予習をみっちりして、前日に首都圏から北海道に飛行機で前乗り込みして、複数人の体制でブースに入って、アカデミックな話題について原稿なしの同時通訳をやられたのではないかと思います。トータルの拘束時間は3日ぐらいかかっているのではないでしょうか。そういうプロフェッショナルの同時通訳者の方々が、その時はみなさん既婚の女性だった、という状況なわけですが、自分はこれを「キャリアに興味がない専業主婦のセレブバイト」と呼ぶのは無理があるし、そう言いたくもないなあと思います。この表現には「有閑階級で時間がある主婦だからこそできる、暇つぶしの趣味的な仕事」というニュアンスがどうしても漂いますが、仕事の実態はとてもそんな風に軽々しく言えるものではないし、だからこその高給でもありますし、将来につながる立派なキャリア職でもあるからです。
炎上ツイートの冒頭を読むと、同時通訳が「訓練なしには無理」のハードな仕事だということはオッカム先生も認識されていたようなのですが、そういう高度技術職に携わっている既婚女性達が、〈既婚〉で〈女性〉という手がかりだけから「比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている」と推定して、「専業主婦のセレブバイト」という評価に到ったのは、当時のオッカム先生が同時通訳という業態についてそれほどお詳しくなかったこと、お話をされた同時通訳の方がご自分のステータスについて「専業主婦」と仰ったこと(どういう質問に対してこの答が出てきたのか、答えられた方がどういう思いでこの言葉を選んだのかはわかりませんが)、男女の性別役割に関して当時お持ちだった先入観が絡まり合っていたこと、の3つによるのではないか、と感じます。
過去の物の見え方は物の見え方として、問題なのは、帝京大学教授として後進指導にあたる立場になられたオッカム先生が、当時ご自分がお持ちになられたそうした印象をどう考えられているか…なのですが、今日までのつぶやきを拝見すると「当時の自分の物の見方には、今からしたら偏っていた部分もある」といった形でそれを相対化する振り返りは自分の見た限りではあまりなく、むしろ一部の批判に対しては訴訟をする決意を固められているようです。自分は正直、事態があまり好ましくない方向に向かっていると感じています。
11vs11のサッカーとか9(10)vs9(10)の野球とかの競技はいっぱいあるじゃん? チームって考えたら結局1vs1じゃん。
麻雀ってコンビ打ちとかで2vs2になることあるけど、基本は4人でやって1vs3みたいなもんじゃん?
そういうなんか入り乱れて戦うやつで、麻雀以外の競技(種目)で有名なのって何がある?
って考えたら陸上とか、水泳とかゴルフとかまあいっぱいあるって思いついたんだけど、あれって突き詰めていけば個人の記録を同時に計っているともとれる。
マラソンとか長距離だとギリギリ駆け引きあるけど、もっと相手とのやり取りしつつ、1vs1じゃない競技って何?
追記:
そうそう、1vs1vs1vs1……みたいなのが尻たい。(あるいは多vs多vs多vs多vs……)
採点系とか記録系だと、結局個人種目みたいになるから言ってるのと違う。(ゴルフ、スケート、ボーリング)
もっと、麻雀とかボンバーマンみたいに、相手の影響がありまくり種目のこと言ってた。日本語下手ですまん。
戦車道って3チーム以上のもあったんだっけ?