「吉原遊廓」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 吉原遊廓とは

2024-02-09

キラキラ吉原ソース検証

kohakuirono 始まってもいないのにと言うけど公式サイトで「エンタメ大好き」「イケてる人は吉原にいた」とか書いて極めて軽いノリでキラキラ吉原にしてるのはちょっとなあ。そりゃ怒る人も出るだろうて。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4749010497224107936/comment/kohakuirono

porquetevas ほんとにイケてる等のコピーがあったのか疑ってる人がいるけど、あったよ。公式サイトの「みどころ」ページに書かれていた。今はページごとそっくり消えてる

https://b.hatena.ne.jp/entry/4749020844342773120/comment/porquetevas

ということなのでwayback machineから発掘してきた。2/6時点のキャッシュ

元は「見どころ」というページ。トップにはリンク用の文字は残っているがリンクは外されている( https://daiyoshiwara2024.jp/ )。元URLアクセスしてもNOT FOUNDになる( https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html )。

見どころ

Highlight

幕府公認遊廓江戸吉原。本展では、他の遊廓とは違い吉原だけに備わっていた公界としての格式伝統に注目しています武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。

約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心でもあったのです。3月にだけ桜を植えるなど贅沢に非日常演出され仕掛けられた虚構世界だったからこそ、多くの江戸庶民に親しまれ、地方から江戸見物に来た人たちが吉原を訪れました。そうした吉原への期待と驚きは多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎らの出版人、文化人たちが吉原舞台活躍しました。

江戸吉原遊廓現代では存在せず、今後も出現することはありません。本展では、今や失われた吉原遊廓における江戸文化芸術について、ワズワース・アテネウム美術館大英博物館からの里帰り作品を含む、菱川師宣、英一蝶、喜多川歌麿鳥文斎栄之酒井抱一高橋由一などの、国内外の名品の数々で、歴史的検証し、その全貌に迫ります

エンタメ大好き!

江戸吉原は年中イベント三昧。

吉原には桜の木がない?!「夜桜

江戸時代のイルミネーション?!「玉菊燈籠

夏の野外フェス?!「俄」

ファッション最先端

吉原江戸カルチャーの発信地!!

イケてる人は吉原にいた!

wayback machineURLは↓だけど重いので注意。画像などもキャッシュされている。

https://web.archive.org/web/20240206095007/https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html

2021-10-22

anond:20211022140939

光子(もり みつこ、1905年明治38年) - 没年不詳)は、大正から昭和時代にかけての女性吉原遊廓花魁であった日々を記した記録である光明に芽ぐむ日』『春駒日記』の著者。

2021-06-27

anond:20210627152014

江戸庶民の社交場、湯女(ゆな)風呂と二階風呂

th_2-4-4

(湯女風呂の様子)

 江戸時代銭湯は朝から沸かして、タ方六つ(午後6時頃)の合図で終わります銭湯上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所でした。やがて、銭湯で客に湯茶のサービスもするようになって、湯女(ゆな)が大活躍します。というのは、この湯女たち、昼は客の背中を流していますが、タ方を境に、三味線を手に遊客をもてなします。この湯女風呂は、商家旦那衆や若者たちの間で大評判になります

 そんな中でも特に人気の高かったのが「丹前風呂」。堀丹後守の屋敷前にある銭湯というところから名付けられましたが、ここの「勝山」という湯女がたいへんな人気で、「丹前の湯はそのころ皆のぼせ」と川柳によまれたほどです。また、このあたりに集まる男たちの風俗を称して「丹前風」と呼び、歌舞伎にまで取り上げられました。

こうして湯女風呂は栄える一方で、全盛期には吉原遊廓さびれるほどのにぎわいだったといいます

 一方、幕府は風紀上の理由から、たびたび禁止令を出しますが、ほとんど効き目はない状態でした。しかし、明暦3年(1657)、幕府は湯女風呂を徹底的に取り締まり、湯女600人を強制的吉原へ送りました。こうして江戸の湯女風呂廃止されました。

 その後、銭湯江戸庶民の憩いの場として親しまれました。かつて湯女が客をもてなした2階の広間は浴客に開放され、茶を飲んだり菓子を食べたり、囲碁将棋を楽しむ社交場として利用されるようになりました。

5:江戸銭湯混浴

石榴口内部

江戸時代の石榴口の内部)

 江戸銭湯は「入(い)り込(こ)み湯」といわれ、男女混浴でした。これは江戸末期まで続きました。石榴口の中は暗く、風紀を乱すものも少なくなかったのでしょう、何度か禁止令が出されますしかし、実際はなかなか改まらず、天保の改革(1841~43)の際、厳しく取り締まりが行なわれました。その結果、浴槽の中央に仕切りを取り付けたり、男女の入浴日時を分けたり、また男湯だけ、女湯だけという銭湯も現われました。

 時代は移って明治の世になると、明治政府は幕府以来の旧弊として、男女入り込み湯は特に厳しく禁止し、たびたび通達を出します。しかし、長年の風習はそう簡単には改まりません。実際に混浴がなくなったのは明治中頃でした。

2020-11-02

鬼滅の刃映画第二弾はあるのか?

決定しているテレビの第2シリーズは2クールとして吉原遊廓編と刀鍛冶編、柱稽古編くらいまでやるのだろう。

あと残すは無限城の最終決戦しかなくなってしまうのだが、これを映画化しようとしても2時間で終わらせられる長さではない。

前後編にしても3部作にしてもまだ尺が足りない。

無限城はテレビ24話使って描くのが一番ちょうどいい。

よって鬼滅の刃映画第二弾はなく、あってもテレビの総集編みたいなものになる。

2019-10-13

anond:20191013230322

吉原遊廓遊女お国言葉出身をバレないようにするための女房言葉みたいなやつ?

一人称が「わちき」とかのアレ

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん