はてなキーワード: メンヘラとは
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20200509/1588981020
に、うつで転職でしんどい云々のブコメつけたら、思いの他スターを貰ってしまった。(連打している人もいて、ちょっと心配だ…私よりも辛い思いをしてるんじゃないだろうか)
「精神疾患を抱えたひと専門の就労支援」を教えてくれた人も居た(ありがとうございます)。
だがそのコメントに対し「それは知ってるし、最終手段として考えてるけどさ」と心の中でつぶやいた瞬間、私は自分が「上昇志向から遠ざかりたい」と書いたことが本心ではないと気がついてしまった。
私が障害者として仕事を探さない理由、それは「障害者支援では給料が安い(これが8割)」「今まで積み重ねてきた経験とスキルが無駄になる(その業務では障害者支援枠の求人がない)」、そして「一度そこに落ちたら、もう一生這い上がれなくなる(偏見ですよね、すみません)」。
おいおいおい、『資本主義的上昇志向』を全然あきらめてないではないか!!
30過ぎててから「やりたい仕事」を見つけ、自分なりに勉強して(全然足りてなかったけど)、運良くその仕事に近いところに潜り込み、今までやってきた。欲しい物(金と仕事)のために競争の中に身を置くのは当然という意識だった。
でもうつになって40歳を迎えた自分を、競争を勝ち抜く能力も意思の強さも持っていない、ただのクズだと認めた瞬間、どうやって生きていけばいいのかさっぱりわからなくなった。
生きていくには金がいる。金のためには働かなくてはいけない。そして世の求人情報はみな「やる気」「努力」「成長」と、競争を求めてくる。
『競争から降りた生き方』はどこにあるんだ?そもそもそんなものあるのか?競争から降りる=金がない=死では?
(こんなこと書くと「生活保護受ければ?」と言う人もいるかもだが、みんなの税金使ってまで生き延びる価値が私にあるとは思えない。自分が稼いだ金で生きていきたいし、もっと言うなら時々は美味しいおやつやマンガやゲームに金が使える程度の収入は確保したい…そうさ!欲望という名の『資本主義的上昇志向』にガッチリしがみついた浅ましい人間なのさ!)
能力もなければ、競争する気力もない人間は、いったいどう生きていけばいいのだろう。
私には結局わからなかった。
幸い仕事を辞めた後の3ヶ月の休養で、うつはだいぶ良くなって、体が動かせるようになった。
そして真人間のフリをして、めっちゃやる気です!がんばります!と嘘にまみれた自己PRを振りかざして仕事を探している(他にどう書けと?)。そんな生き方ができる自信なんてまったくないのに。しんどい。つらい。不安と自己嫌悪に胸がしめつけられる。
でも欲望も捨てられない。
こういうところがクズなんだよなあ、私は。
ところで本心とは言えないことが発覚した私のブコメだが、あまりに星が集まりすぎて今更内容を変更するのがためらわれるので、そのままにしている。
あれはあれで星をくれた人たちの気持ちを代弁している、という事になるのかな?なってるといいな。星をくれたみなさん、ありがとうございます。みなさんにいいことありますように!
あと、元増田(https://anond.hatelabo.jp/20200507171805)の『男性社会から降りて障害者になった』という部分が理解できない、という人がけっこういるみたいだが、私は勝手に「精神疾患を抱えたひと専門の就労支援」のことだと思って納得していた。ので、私に対してこの制度を教えてくれたコメントを見たときに、「なんか話が元のところに戻った!すごいぞ!」と感動してみたりした。(実際のところはわかんないんですけどね)
ポエムという言葉にマイナスイメージがつき始めたのはいつからなんだろう。
アニメキャラとかでは、夢見がちなキャラ付けにポエムを書く趣味設定とかがベタになってるし。
個人的に詩人は、日々のあわいだとか感情だとかを文字に出来るのは、すごい事だと思うし、なかなか自分にはできないな、という畏怖すらあるような存在。
アダルトチルドレンな。かく言う俺もACでメンヘラでブサイクなんだが。
話しやすく、一晩家に泊めてやる。相手によってまちまちだが、手を出さずにスキンシップ程度で留めるのが信頼を得やすい。
スキンシップであっちが乗り気になったら手を出した方が良いが、出方を伺え。
あいつらは素を出せる居場所が欲しいだけなのと、年頃なのでセックスも覚えたい為、簡単に落ちる。
そして意外なのが、後腐れが無い。
安心できる居場所ができると、ポジティブな考え方や行動力が身について、個人差はあるが半年前後で家庭内のトラブルを解決ないしは緩和、もしくは見切りをつけるようになる。
「どうしよう」とばかり考えてるだけだった問題が次のフェーズに移行していく。もうこっちに頼る必要は無いわけだ。
結構しっかり惚れ込まれるが、それだけでなく恩義も感じられるので、こっちに迷惑を掛けてまで引き留めるような女にはならない。
私が嫌いなもの
・ZARDの「負けないで」
・辛という字に一本足したら幸になる
・神様は乗り越えられる試練しか与えない
・赤ちゃんは親を選んで生まれてくる
・居酒屋のトイレに貼ってる文章
・ZARDの「涙の数だけ強くなれるよ〜」
・あなたが死にたがった今日は誰かが生きたかった明日なんだよ— 黒髪メンヘラくそびっち (@kurokami_kbt) 2020年5月5日
そりゃどこぞのブラック企業や24時間TVの様にこうした言葉を人に押し売りしたり、こういった言葉ではどうにもならない様なことを無理矢理こういう言葉でどうにかしようとしたり、まして不必要な努力を正当化しようとしたりするのは考え物だけど、こういうツイートとかぶら下がってるリプを見てるとTwitter民はTwitter民で努力もしないでいい目を見たい、ただただ楽ばっかしたい、自分は嫌な事全部免除してもらえる特別扱いをして貰えるのが当然だという我儘言ってる様にしか聞こえんわ。
後これ何?
・自分の機嫌は、自分でとる。
も追加を、お願いします。— lookingback (@lookingbackit) 2020年5月6日
自分の周りの人間には自分の機嫌とってもらうのが当たり前だと思ってんの?お前の機嫌・不機嫌なんてそれこそ知らねぇよって感じなんだけど。
はてなーの一人として、はてなー兼務のVTuberを期待する気持ちはわかる。
残念ながらそういうVTuberは今の所一人もいないが、ADHDであることを配信中に公言した女性VTuberなら一人だけいる。
彼女の人物像は、リアルで生活に支障を抱えたままネットで荒らし化し、古来2ちゃん~5ちゃんでアンチスレorヲチスレが立つレベルの問題ネットユーザーそのものである。
そういう臭くてキモい男が、女になってVTuber化したら…というif設定が現実化した物といっていい。
というか彼女を見ていると、一般的な女性の「こんな男はカネ稼いでいてもマジ無理ってか吐きそう」という気持ちを体感できる。
かくいう筆者はホロライバーDD(誰でも大好き)のキモオタだが、上述のVTuberは以下の理由で受け付けないどころか、嫌悪感を催すほうである。
忙しいのについうっかり読んでしまった人は、ここまで読んでいただければ十分である。
ひとまずありがとうございます。
以下は、彼女についてこれまで明らかになったレジェンドの一部始終である。
ちなみに内容はこれでもすべて配信のみで得られた情報であることは驚愕に値する。
自分でも書いてて疲れるくらい書き並べてみたが、何度も言うが男性の「残念な人」枠に、この手の輩は多分そこまで珍しくないのだろう。
なんなら一ヶ月に一度しか風呂入らない奴もいるし、地下アイドルのイベには必ず前歯がないファンがいると聞く。
コロナ禍に陥る前のツイートまで追っていくと、大体の懐事情が分かる。
観測した範囲だと、月収はやや人気が低い方で額面20万、人気があると100万超え。
同じ風俗嬢の中で収入格差が大きいことが、色んな話をややこしくしているのだろう。
「風俗嬢は大儲けしている」「風俗嬢は困窮している」はどちらも正しいのだ。
嘘をついているだけかもしれないし、月収なら繁忙期と閑散期で変わってくるだろう。
父親との関係に問題がある場合は凄まじいミサンドリーとなる傾向があり、
母親との関係に問題がある場合は精神の振れ幅が大きくマイナス側に振れやすい、俗にいうメンヘラが多い印象がある。
多くは反安倍で、その反感は凄まじい。
どう考えても運も才能もセンスもないからそうなってるのに、演劇わかってない世の中とか人のせいにするじゃん
チケット買わされて何回か行ったことあるけど、何一つとして面白いのはなかったじゃん
感想聞かれて、しょうがないから良かったよとかって言うじゃん。そしたらいい気になって上から目線の演劇論始まるじゃん
本当の感想をオブラート千枚ぐらいに包んで言うじゃん。そしたら、わからないかもしれないけど〜って上から目線の演劇論始まるじゃん
お前らの自己肯定感の低さから来る異常な自己顕示欲を満たしたいがためのお楽しみ会を金払って見せられるこっちはたまったもんじゃないじゃん
でも大体、劇団員とか演劇仲間でバカみたいに安酒飲んですぐやりまくっていっつも揉めてるじゃん
自分が弩級メンヘラだから周りに隠してる子のメンヘラ臭もわかるし相手もこっちが頑張って隠してる諦観を敏感にかぎ取ってくる 「メンヘラはメンヘラにひかれ合う!」 これはマジ
今まで知り合ったメンヘラは9割9分恋愛とかで悩んでる外向型メンヘラだから相談とか聞きつつ全肯定して包容すると勝手に落ちてくる 長いことメンヘラやってると相手のメンヘラが何をしてほしいか何を望んでるか手に取るようにわかるよね なんかゲームみたいで楽しいけど知り合ってそんなに経ってない人間に自分の全てを差し出して大丈夫なのか!?
しばらくして相手の全部を知ると飽きてきちゃうから向こうが人間関係になじんできたあたりで適当にLINEの返信そっけなくしたり飲みの誘い断ったりでフェードアウトしてきた ほかにも友達できたみたいだしそんなにしつこく追いかけてこないでしょ!という打算だけど実際1か月もしたらときどき恨めしそうな視線をよこすくらいでLINEも誘いもこなくなる
メンヘラニートで多重債務抱えて錯乱した状態で毎月何万もの利息に追われる状況まで落ちてから
実家に身を寄せてとりあえず一日一日頑張ろういつかこんな生活から抜け出せると言い聞かせて週5フルタイムでスーパーのバイト続けてきたんだ
やっと金の整理もついて俺が馴染めなかった田舎から引っ越すぐらいの貯金も溜まって
少しうだうだしちゃったけどオリンピック終わるくらいまでには再スタートだ頑張ろうと思ってた矢先にこうなったんだぜ?
俺に休みなんかないんだよ
お前らの汚染されまくった小銭握りしめて引きつった作り笑い浮かべながらレジ打ったり
いつも通りいやいやしそうな客の視線を尻目に身を縮めて陳列したり発注お願いしたり
薄汚れたバックヤードで届けられた無数の段ボール整理してクッソ寒い冷凍庫のなかの在庫もチェックしたり
そうやって店営業してんの
呑気にパスタ食ってホットケーキ焼いてんじゃねーよお前らなんて生の中華麺と人参で十分だろ
そのうえパートのおばちゃんとかシルバー人材も来なくなってレジ周り以外のこと全然はかどらなくなったしおまけに清掃やら細かい雑務までやらないといけなくなった
お前らがゲロぶちまけたり子どものおむつ投げ捨てたりした便所をけなげに拭き拭きするなんてこの店に入ったときは聞いてなかったよ
なんで便所もきれいに使えない猿みたいなお前らに頭下げなきゃならねえんだよって頭の中はそればっかりだ
こんなことしてるうちにもどんどん景気は悪くなるし30歳超えにも近づいていってる
俺ずっとこんな生活しなきゃならないのか?
じわじわとコロナによるパニックを世間に浸透させていく生殺しか
パニックを先送りにして猶予期間を設けたのちにそのつけをちょっと後で一気にもらうか
っていう2択の判断だろ?少なくとも社会の末端だか片隅で生きてる奴らはみんなそう思ってる
ブクマカとかは被害を避けられないとしても被害の規模が小さくなるほうがいいというような次元で話してるんだろうけど
どちらにせよ酷い被害を被る層からすれば、先を見据えた行動をするための猶予期間みたいなものがほしいんだよ
そして日頃より私利私欲しか考えずただいま余裕ぶっこいてやがる一般市民さまの生活がどうなろうがしったこっちゃないね
むしろ墜落してくる奴らたくさんでればこの世が公平に近づいたといえるわけで清々するわ
かつては嫌いだった、というべきかも知れない口語。
~じゃね。
~(だ)(なる)からな。
~だろ。
おまえは~。
等2ch・5ch由来の、一様に皆同じでイキった喋り方をする口語。
なぜ皆一様に同じ喋り方なのか当時は疑問だった。
というより、今でも多少疑問はある。
悪口を言われた際彼らは一意の人格性を自らに認めている。すなわち反論する。
みな名無しであると自覚するならば、単なる群れの一種である彼らに個別性など存在しないはずだ。
ところが彼らは同じように他人に合わせながら自分は個別であるというおかしなコンプレックスに陥ってる。
(スタンドアローン・コンプレックスといえばまるで攻殻機動隊だ)
コテハンなど個性があればそれを否定しにかかるが、レス番付きの「我」のことになるとコテハンのごとく振る舞う。
このダブルバインドの矛盾は柔軟性として機能していない。したがってあの場所ではよく闘争が起こる。
一つはまるでAIのような群体としての5ch、もう一つは匿名なだけで個別性しかない5ch。
個別性しかない連中が「荒らさない」という共同作業するには「押さえ込み」しかない。
いまならTwitterのプロフがそれに近い。話しによれば、どうやらプロフでは以下の者達がNGらしい。
曰く、
見ての通り3,4番目は相反する。1,2に至っては思い込みでしかない。
あるいは傾向がある、程度の話だ。ここでも個性に対する検閲が入る。
しかし一方でTwitterはそれぞれが個性を発露してユーザーを獲得するという大矛盾した構造がある。
その割に上記「押さえ込み」により発生した「空気」により同調圧力を強いられる。
ここに至りSNSで疲れは発生する。言い合うときは「空気」が恐ろしいので集団で襲いかかる。
いわゆる炎上である。抑圧が「空気」を発生させ、その空気が炎上の火種になるとは、まさに化学反応的ではないか。
空気は抑圧の結果生まれるので、水面下では皆本当の自分を容認されたいという承認欲求を抱えることになる。
日本人はディスカッション文化ではない、ディスカッションが苦手であり訓練されていないという。
もちろん嫌味や嫌がらせも多くあるためこの可能性は除外できない。
しかしながら、反論は直ちに人格攻撃ではなく、意見の穴に対する指摘であったり、改善案であったりする。
ディスカッションが苦手となると、結果的にお互いを傷つけない「大人の対応」という欺瞞を皆実践することになる。