はてなキーワード: フリーターとは
今日は昨日の人とシフト交換をしての勤務だった。出勤するなり、今日の相棒であるフリーター男子が、
「昨日も例の客来てましたよ。やっぱり増田さんの言う通り、増田さんの出勤日に合わせて来てるんですねぇ」
と言った。
例の客というのは、私に「お願いします!」の一言で、全ての注文を出させる人だ。私が以前勤めていた、六キロ以上離れた所にあるコンビニの常連客だったのだけど、私が移ったのを知って以来、こっちに通うようになった。そんなお客さん。
その人は、煙草やコーヒーなど、毎回同じ注文をするのだが、かといって私以外のバイトに注文を覚えてもらおうとは思わないらしい。
一、二ヵ月くらい前は、その人が「お願いします!」で注文を済ませることに、特に何とも思わなかったのだけど、正月のちょっと暇な時期に、暇なせいで気付いた。この人、わざわざ私のレジが空くまで待ってるのか、と。
確か、以前は私のレジが空いてなかったらもう一つのレジで会計済ませて帰っていってたんだけど、今は私の手が空くまで店内をうろうろしている。そして、この間、かなり忙しかった日は、店内をそうとうな時間うろうろした挙げ句にお茶一本余分に買うという謎行動をしていた。隣のレジでフリーター男子が「どぞ!」って呼んだのを断ってまで、こっち来た。
それくらい、私に「お願いします!」の一言で全て出させることに執着している人だが、かといって、私のことは別に好きな訳ではなさそうだ。
そのお客さんは、去年、私が以前働いていたお店のバイト仲間だった、若くて可愛い女の子をめちゃくちゃ可愛がっていて、その子の為に恵方巻を大量注文した。なお、女の子はその後、意味不明な理由で店を唐突に辞め、失踪した。(といっても他のバイト仲間とLINEで繋がっていたので、消息はふつうにわかっていた)
そんなことが、あったのだ。
そんなことがあったので、もしかしてあのお客さんは、隙あらば私から失踪した女の子の行方を聞き出そうとか、企んでいるのだろうか?
と、私は想像している。
今日はあのお客さんは来なかった。フリーター男子は、「きっと来ない」と予想していたので、予想が当たってちょっと嬉しそうだった。
5年以上前に働いていたバイト先(ドラッグストア)に久しぶりに行った。
元バイト先の近くに来ることはよくあったけど、特に用事も無かったし何となく入りづらくて行くことは一度もなかった。
だけど今日はたまには普段と違ったことをしよう。ということで店内に入った。
久しぶりのバイト先は見た目も店内も大きく変わっていた。自分が働いていた頃のバイト先はお世辞にも綺麗なお店じゃなかったけど、リニューアルされて同じ店とは思えないくらいきれいになっていた。そして店内レイアウトも自分が働いていた頃と全く違うものになっていた。
そして当然だけど5年以上経っているということで店員の顔は知らない人ばかりだった。
「すっかり変わったなー」と思いながら店内をうろついていたらすっかり忘れていた当時の記憶が一気に蘇った。この店で働いていた頃の自分は夢を追いかけていたフリーターだった。お金もなくて将来が不安だったけど、それと同時に将来に対して希望を持っていた。今は社会人になって収入は安定したけど、将来に希望があるかというと、正直ない。結局夢は叶わなかったけど、あの頃の自分が今の自分を見ても絶望しないように頑張ろうと思った。
数分ほど店内をうろついた後何も買わずに店を後にした。美容部員には挨拶しても無視されるくらい嫌われていたし、社員にはしょっちゅう叱られたりといい思い出より悪い思い出の方が圧倒的に多い元バイト先だったけど、いざ店内レイアウトが当時の面影ないくらい変わってしまうとなんとも言えない寂しさを感じた。
学生やフリーターの頃はなんの考えもなしに沢山休みが取れた。あの頃が懐かしい。
中小企業に勤め始めた時も平日に有給休暇使っちゃおうなんて浮かれていたのも懐かしい。
平日1日休むだけなのに、上司や同僚や他部署への引き継ぎや資料を作って説明して挙げ句の果てには嫌な顔をしやがる!
貴様が休む時率先して手伝って気持ち良く休んでもらおうとしてるのに、お前は人に返さんのか?!
などなど文句をあげたらキリが無い。
そして休んだら休んだでその日に電話かけてくるし。
気軽に休みを取れる人が羨ましい。
40代後半。
化粧なんてしたことのない高校時代(なんとか平成)からコスメが好きだったが、情報といえばTV、雑誌。
雑誌に新製品の発売日情報が載ればデパートや専門店に見に行った(まだドラッグストアはない)。
カルトQの化粧品の回に、今で言うインフルエンサーとして雑誌で顔を売り始めていた植村朗子さんが優勝した時も、
「今の問題は全部わかった!わたしが出ていたら優勝していたのに!高校生だから出られなかった」
とは言え、雑誌に掲載された情報を読み込み、製品の特徴を完璧に覚えていたから
テレビの前でクイズに正解したのは本当である。若くて記憶力が良かったのだ。
最新のファッション誌のメイク情報を読み、プロ向けの季刊誌やムック本を大切に大切に読んだ。全部覚える勢いで読んだ。
そしてカウンターへ赴き、テスターを触らせてもらってBAさんに話を聞いたり、やり方を教わったり。
大人に近づくにつれ、自由になるお金が増え憧れのフランス製ブランド化粧品を買えるようになると香りだけで製品のラインを当て、リップやネイルの色を見れば番号がわかるほどに熱中した。
予備校の向かいにあるバイト先に、プロを目指すメイクアップアーティスト養成学校生がいた。ある時、彼女に「メイクモデルになって欲しい。バイト代と交通費は出すから」と依頼される。
あれだ。
プロになる人だから、どんな顔でも美しく粧えなければならない。顔は正直関係ない。
若くて、肌が綺麗だったから誘われたのだ。そして勉強してなさそうだったからであろう。
二つ返事で承諾し、青山まで。
有名アーティストの名を冠したメイクアップスクールで、プロを目指す授業を見学し、実際に教室に入って実技のモデルになる。
その日のテーマに沿って受講生が施したメイクを講師が直す。毎回毎回、講師がいいと思うメイクに正してくれる。鏡張りの教室で、その技をじっと観察することもできる。
何より、メイクを落とす前に作品であるところの自分の顔をいくらでも研究する事ができた。
これは得難い経験であった。
その技は今でも活きている。
化粧品そのものの質が向上し、技術が古くなるかと思いきや、今でも通用する。
何なら今の若い子が初めて知って「大発見」であるかのように発信し、万単位でバズってしまうような内容である。
時代と共に古くなるメイクはあるが、技法は変わらないものもあるのだ。
ところで本題。
眉毛の話。
去年辺り、イガリシノブ氏のアイブロウブラシが絶賛されていた。
ご覧になった事があるだろうか?ぽってりと太め、大きめで毛足の短いブラシである。
これが若者に大流行、大絶賛であった。挙って欲しがり欠品が続いた。
わたしはその様を、頭の中を【?】でいっぱいにしながら眺めていた。
なんで?
確かに今の流行はぼんやり薄く真っ直ぐな眉毛。ぼかしやすいのかも知れない。
しかし、そのブラシを手に入れることは憚られた。
なんで?
それにしたって描きづらいでしょう?
なんで??
その解は思いもよらぬ所から、しかも後頭部に殴りかかってきた。
色々あって人気(割愛)の、CHICCAのブランドクリエイター 吉川康雄氏の語ったという言葉である。
吉川氏はどう見てもおじさんで、我々と同じ時代を生きた先人である。「必ずしも左右対称の眉でなくていい」などと、多くの美に迷う羊たちに救いの手を差し伸べてきたその人が言う。
毛を1本ずつ描くと言われているが、特殊技術なので素人には無理。ペンシルを細く刀で削り、本当に生えているように毛の動きを出すのがプロが行う「1本ずつ描く」ということ。素人はパウダーで軽い影と重い影を作るといい。
なんでだよ!
昔は練習して、技術を身につけてナンボだったじゃないか。出来ない奴は置いていかれるのが当たり前。
まあ、そんな人の為に細さを保てる繰り出し式のアイブロウが発売されたりしたのだけれど。
テクニックが欲しければ、自ら動いて情報を得て、試して、自分のものにする。それができる人が独占するものだったんだ。
その時気付いて愕然とした。
イガリ氏のふとましいブラシは「毛」を描く為のモノではないのだと。
今、情報はそこら中に氾濫し
得ようと思えば誰でも手に入れられる。
お金をかけなくても。
そこへいかなくても。
バズって廻ってきた同じTIPSを誰もが平等に受け取ることが出来る。
自分だけ綺麗になっては「ズルイ」のだ。
なにそれ。
全員で手を繋いでゴールする徒競走か?
ゆとりか?
少なくとも、20世紀のメイク好きコスメ好きが誌面で教えを乞うたアーティスト達は、技術は練習して身につけろ と言っていた筈だ。誌面で解説しているから、と。
それともどこかの時点で諦めたのだろうか。
ーー
それでも納得いかない。
僕は嫌だったんだけど親がどうしても思い出を残しておきたいと言って写真館で家族写真を撮った。
それから、会場である市立体育館へと向かった。昼前の日差しが眩しかったのに、車をぬかるんだ地面に止めたことを覚えている。
式典の内容は覚えてない。外では毎度ニュースでおなじみの派手な紋付袴を着た連中がいて、住む世界が違うなと強烈な感情があった。
式典では中学校ごとに分かれていて、懐かしい友人や大して付き合いのなかった人たちに会った。
自分も翌日からテストだったので、気が気でなかったけれどテストより一生一度のイベントが気になってしょうがなかった。
誰か仕切りたがり屋の学生が夕方からクラス会をやりますと案内してくれて、ありがたく参加させてもらうことにした。
仲の良かった連中、つまり落ち着いた人畜無害なオタクたち数人で昼食を食べに行くことにした。
駅ビルのレストラン街、ちょっと高いお店でテンションが上がった。
ところで、学年に一人いるようなどう考えても知的にハンディを抱えているような、ボーダーっていうのかグレーっていうのか、中学生になっても小学校低学年の子供と遊んでいるような、そういうやつっているじゃない。
勝手についてきたのか、誰かが誘ったのか、グループの中になじみのない彼が混じっていた。
そして、僕の目の前に座っていた。みんな彼とは話したがらないから、結局僕が話し相手になっていた。
みんなが楽しそうに会話していた横でコミュニケーションをどうとっていいのかわからなかった。
彼は憎めないやつで、悪意や嘘と無縁な奴ではあったが、特に接点もないし何もできなかった。
一体、彼はどんな風に生きているのか気になって聞いてみたら、カーディーラーに勤めているらしかった。世の中よくわからない。
そんなことがあって、何となく不満を感じながらいったん解散し夕方のクラス会で再開した。
クラス会は夜の駅前ロータリーが見える洒落た飲み屋の貸し切りだった。
工業高校卒業してサラリーマンとか、フリーターからの動物園勤務とか、帰ってエロゲがやりたいと連呼するごくごく普通の大学生とか楽しいやつらばかりだった。
女子連中の半分は一見して水商売かと思うほど派手な格好で、少し引いた。男子はあまり変わっていなかった。
騒ぐ人たちを、遠巻きから観察する。それがいつも僕のやり方だった。
今にして思えば途中でメインの輪に入って挨拶くらいしておけばよかった。
今ならできるかもしれないけれど、当時人と接することに神経を尖らせていて、誰かに話しかけるということがすごく勇気のいることだった。
美術部で仲の良かったほら吹きのY君と再会した。
彼は革ジャンにグラサンという出で立ちで、すっかりイメチェンしていたけれど中身は当時のままだった。違うことはやたらと女子に話しかけていたとこ。
工業高校から地元の私大の化学科に入って、大学から学ぶものは何もないと中退して3DCGのデザイナー専門学校に通っているらしい。
おう、僕は引きつった笑顔で「おう、頑張れよ、期待してるぞ」みたいなことしか言えなかった。
唯一話すことのできた美術部の女子とも一言二言言葉を交わした気もするけれど、記憶は定かではない。
彼女が言うには、女性達は年齢を気軽に聞けるし、聞くとみんな気軽に教えてくれるが、だいたい見た目よりもずっと歳上なので面白い、とのこと。というか、そんなに歳を取っても若く見えることが出来るということに、感動してるっぽい。
しかし男性バイトの人達にはまず歳を聞きづらいんですよね、と彼女は言った。
で、男性バイトの中でも夕勤から夜勤帯に勤めてるフリーター男子の年齢がさっぱりわからなくて気になる、という。彼女の口振りは「フリーター男子さんより歳上の増田さん(アラフォー)が聞いてくださいよ」と遠回しに言っているようだったので、
「いっくら私が女でもただのバイトでも、不用意に若い異性にプライバシーを聞くのは、セクハラになるから出来ない」
と言った。
「そんなもんですか?」
そんなもんです。
今年に風俗で遊んだ女の子のメモから印象的だった子のまとめ。ちなみにメモによると年間の風俗支出は33万6千円だった。
ショートカットと八重歯が可愛いバスケ部系女子大生。びっくりするくらい柔らかくてデカいスライム系おっぱいと、ちょい日焼けしたツルツルお肌がやばかった。
文学部の女子大生。見た目は真面目そうなタイプ。専攻が中国書道史で、王羲之の功績について講義を受けながらしごかれていたらたくさん出た。
ロリータ系のメンヘル女子大生。リスカ跡と演技がすごいが顔はめちゃめちゃ可愛かった。
推定148cmのロリ系フリーター。安達祐実に激似のルックスとパフィーニップルが最高に興奮した。プレイ中ずっと好きなAV女優の話を聞いていた。
165cmで超足が長いモデル系。パパ活と風俗で食ってる模様。「街歩いてるちんちくりんの女は哀れすぎて気の毒になる」「報酬が発生しない食事に耐えられない体質」など含蓄のある言葉をたくさん頂いた。
ジムのトレーナー兼業のためかケツとおっぱいがぷりぷりだった。あまりに身体が綺麗なので「彫刻みたい」と言いたかったのだが間違えて「仏像みたい」と言ったら蹴られた。見た目は冷たい系のギャルだが乳首が敏感で感じまくっているのが興奮した。
事務職兼業。本上まなみ似の清楚系だが自分人生初のドMちゃんで、「首絞めながら頭撫でて欲しい」「おっぱいを握り潰す感じで触って欲しい」「昨日はハプニングバーで9Pして疲れた」などと言われて大変戸惑った。
ロリ系の眼鏡っ子女子大生。三つ編みが似合っていた。献身的な乳首舐めが最高だった。
営業事務OLとの兼職。ややぽっちゃりで狸顔の癒し系。会社がパワハラ体質らしく壮絶な様子を語ってくれた。ぱふぱふしながらよしよししてもらって至福だった。
専業風俗嬢。顔はお姉さん系で普通だがテクは流石にすごかった。「家が職場に近いと嫌な時間が早く始まってしまうから考えもの」とのコメントにはなかなか感心した。
美容部員兼業でめちゃめちゃ美人だった。化粧ぱっちりのギャルっぽい美形の顔で見つめられながらしごかれて超興奮した。
医療系専門学生。渋谷で遊んでる女子高生まんまの雰囲気。ずっと胃下垂の話をしていてムードもクソもなかったが、可愛い女子高生みたいな顔と張りのある若いおっぱいが素晴らしすぎるのですぐ出してしまった。
見た目は普通のお嬢様系でスリムなのにおっぱいがめちゃくちゃデカい。遠恋中の彼氏の話を聞きながらプレイして若干興奮した。
エステティシャン兼業で見た目はキャバ嬢系。さすがに身体を触るのがうまかった。昼職の方の客はおっさんのちんこ触った手で施術されてると知ったら発狂ものだろうな…
サブカル系女子大生。乳首がツンと上向きでパツパツに張ったフィクションみたいなおっぱいだった。プレイ中は三池崇史の話をして楽しかった。
キラキラネームじゃないけれど、普通に読んだら別の読み方になる名前って言えばいいのかな。
子供の頃、私は『いい子』だった。
親や先生に褒められることが好きで、どちらかといえば大人しいタイプ。
ある日、売店で購入しなければいけない文房具があったが、すっかり忘れてしまっていた。
ご察しの通り、間違った名前を書いてくれたんだ。
その時、今までそれなりに懐いていた先生をまるっきり信用できなくなった。
『いい子』でいる努力は薄れ、宿題も後回しにするタイプになったのだ。
ちなみに、名前を書いてくれた文房具は先生の前では笑顔で「ありがとう」と「忘れててごめんなさい」を言い、友達や親に見つからないように泣きながらこっそり公園のゴミ箱に捨て、翌日新しく購入し、自分の汚い字で名前を書いた。
な
通常の診察とは別に矯正の治療は日曜日に行ってくれる、田舎には珍しい歯医者だった。
当時ソフトテニスクラブに入っていたので日曜は当然部活である。
月に1~2回、日曜日は「歯医者なので休み、又は遅刻します」ということを律儀に伝え、毎日部活に明け暮れていた。
ある日、歯医者の治療スケジュールが決まったので、いつものように職員室へ行き、顧問に伝えると「日曜日にやってる歯医者がどこにあるか知らんけどね」と言われた。
アホな私は律儀に「あ・・・、ここから車で40分行った先の◯◯の方にあります」と答え、職員室を後にしたのだが、よくよく考えてみると嫌味を言われたことに気づいた。
その時の言い方や雰囲気にずっと引っかかりを覚えていたが、基本自分の中では『いい子』でいるのでまさか先生にそんな悪意?を向けられるとは思っていなかったため気づくのに数日かかった。
その後、部活をサボるようになり、何度も部活仲間に声をかけられたが無視して、最終的に辞めたのだった。
高校は出席日数ギリギリで卒業し、大学は行かずフリーター、今は正社員で細々と生きている。
借金というか、悪名高きリボ払いに手を出していた。実質的な借金。
ソシャゲのイケメンは二次元化されたホストとはよく言ったもので、入れ込んでいた時期は本気で『このカードを持ってないなんて◯◯推しを名乗れない!出るまで回す!』みたいな思想を持ってた。新しいイラストが出るたびにそれ。手取り12万の高卒フリーターな癖に1回のガチャに10万入れたりしてた。そりゃ借金もするわ。アホか。
ある日急に冷めたので、残った140万円を地道に返すことに。
生活もあるから、月3万程度しか捻出できないことも多かったけど、真面目に支払い続けた。なんだかんだで就職した後も休日に派遣を入れたり、そういう月は10万返済したりもした。年明け1月6日の引き落としで、私の借金はなくなる予定。
課金をやめたのは21歳の頃だったと思う。現在私は25歳。客観的に見れば20代前半を棒に振ったことになる。後悔は特にないけど(入れ込んでいた時は気持ちが充実していたし、この時あれをやっておけば、みたいなものも今のところない)、事実だけを述べたらそう。
とはいえ、案外どうにかなる。何年か前に、100万円の課金で自殺してしまった大学生がいたけど、勿体なく思うので書いてみた。稼ぎの額で察して欲しいけど、水仕事には手を出さなかった。それでもなんとかなった。借金のことを伏せて友人と遊びに行ったり、そういう余裕もあった。
身の丈に合った推し方をする勇気を持とう。誰も怒らないよ。愛が足りないとか、絡んでくる奴は無視でいい。最低限の正当な代金で済ませるのは罪じゃない。制作スタッフを支えるのは、生活に余裕のある人に任せればいい。義務感でお金を落とす必要はどこにもない。
ちなみに、借金を返している間にいつの間にか、件のゲームはサービス終了していた。虚無感すら感じず、そういえばそんなのやってたなで済ませられる私は、お気楽な人間なんだと思う。
ミラクルのような出来事といえばそうだし、選ばなかったのもある。
選べるような状況ではなかった。だけどできたのは奇跡のようなことだったり、いろんな縁だったり、自分を現実的に見たからだったりする。
就職が決まった瞬間、ふっと心が楽になった。
ニートが起こした凶悪事件ニュースを見る親を見て、慌ててチャンネルを変える必要がなくなった。
その晩胃が痛くなって吐くこともなくなった。
とてもホワイトな会社に就職できたとは思わない。給料も高くない。
でも身体を崩すようなこともないし、決まりにうるさいわけでもない。
生きることに困らない程度には貰えている。
でも、楽しいと思う。
それはフリーター・ニート生活を長く味わったからこそ分かる快感だ。
それを思うと、楽しくなった。
思えばバイトに任せてもらえる仕事なんて殆ど無くて、楽しさなんて感じたことが無かった。
それが正社員になった瞬間に、色んなことが変わりだす。
ずっと就職するのが怖かった。
就職氷河期ではないが、高校の時にリーマンショックで進学をあきらめたクラスメイトを見たり、2010年には就職できない主人公のドラマ「フリーター、家を買う。」が放送されたり、2011年に震災の年に就職活動をした大卒でもない自分は、百社エントリーが普通の世代で色んなことを見た。
それが嫌で嫌で、仕方なかった。辛くて、しんどくて。お祈りが怖くて。
実際震災でメンタル的にも良くなかったんだと思う。精神的に弱かった。
周りにも就職をしないで卒業する子が多かった。そこに流されることで、楽な道を行った。
数年後から就職率が上がりだしたが、そこにも乗れなかった。自分より若い子たちに混ざれないと決めつけていたのかもしれない。
後悔ばかりしていた。死にたくて死にたくて。
でも就職した瞬間に世界が明るく見えた。もうボーナスを貰える自分よりできない正社員を羨まなくていいのだ。
新卒の子たちよりも、就職の意味を理解して、やる気があるかもしれない。
だから企業の皆さん、積極的にフリーターや切羽つまってるニートを救ってやってください。
意外と働き手になるから。優しく受け入れてやってくれませんか。
絶対人は殺さない、犯罪は起こさないと思っていたけど、それでも自分が同じようになるのが怖かった。
そんなやつが今、会社に求められている働き手になっている。