はてなキーワード: ナースとは
私は首都圏の三次救急病院に勤務する若手看護師です。私の所属は、ICUでも救急でもコロナ専用病棟でもなく、内科・外科が混在する一般病棟。ニュースやTwitterを見ているとコロナ対応の医師や看護師ばかりに焦点が当てられるので、コロナ対応病院・非コロナ病棟看護師の私もちょっと愚痴を吐き出したくて筆を執ってみました。
まず、知っての通り新型コロナウイルス感染症というのは肺炎を来たし息苦しさや咳・痰など呼吸器症状が現れる場合が多く、そのため呼吸器内科の医師が治療に当たることが多いですよね。ということは、院内でコロナ用病棟を作るとなった時に、呼吸器疾患への対応に慣れている看護師のいる呼吸器病棟が選ばれるケースが多いのではないかと思います(※調べたわけじゃないので間違っていたらごめんなさい)。
少なくとも私の病院に関しては、呼吸器病棟の数十床全てをコロナ用の病床として確保し、かつ重症コロナ患者用にICUや救急病棟の数床を使用しています。
じゃあ元々呼吸器病棟にいた患者やそこで受け入れるはずの呼吸器疾患の患者はどこに行ったのか?当然他の病棟に回されるわけですよね。呼吸器疾患の患者というのは多いんです。日本の死亡原因のうち第一位は悪性新生物、中でも肺癌で亡くなる人が男女ともに最も多い。その他にも様々な原因による肺炎やCOPD、喘息、、、など多くの疾患があります。
見慣れないそれらの呼吸器疾患の患者も、元々の専門である診療科の患者を看ながら看ていくわけです。
人工呼吸器、あれはICUでのみ使われていると思われがちですが、一般病棟で使用されることだって少なくないんですよ。流石に一般にイメージするような口から挿管して….というのはないですが、神経の病気や癌などにより呼吸補助が必要になって喉を切開し呼吸器を装着する人もいますし、挿管や気管切開せずにマスクを装着して補助換気を行うタイプのもの、、、など人工呼吸器もいくつか種類があります。また、人工呼吸器ではありませんが、鼻から1分間に数十リットルという大量の酸素を流すというようなデバイスもあります。そういった手厚い看護が必要でかつ急変リスクの高い患者を、管理に不慣れな看護師が(もちろん勉強はしますが)、臨床工学技士も医師もいないマンパワーもない一般病棟で、看るんですよ。これって想像しただけでやばくないですか。
マンパワーに関してですが、看護師の人員配置基準というのがありまして、当院の一般病棟では患者:看護師=7人:1人、救急病棟は4:1、ICUは2:1という人員配置をして診療報酬を得ているんですね。ちなみに夜勤は12:1です(一般病棟)。
例えば担当患者7人のうち人工呼吸器装着中の患者が1人いたとして、この患者はこまめな観察や痰の吸引、食事・排泄の介助、体位の調整、清潔援助、点滴、検査の介助など、手厚い看護が必要になりますよね。他の6人はどうでしょうか。1人は認知症があり点滴などを自分で抜いてしまったりフラフラ歩いて転んでしまう、排泄に失敗して便や尿まみれになる人、1人は自身で動くこともご飯を食べることもできないため、抱えながら車椅子に乗せてトイレに連れて行ったりご飯を一口ずつ口元に持っていって食べさせる必要がある人、1人は全身麻酔で手術を受けるため術前の準備や術後の管理が必要な人、1人は糖尿病や腎臓病の教育を受けている人で疾患の理解や様々な生活上の制限について毎日時間をかけて説明が必要かつ入院中も飲食物などの制限があるが守ることができず病状が悪化する人、1人は癌の終末期で、医療用麻薬を持続投与しながら苦しみを抑えているが、つらさや身の置き所のなさによりナースコールを連打しては何とも言えない訴えを繰り返す人、1人は自宅で倒れて動けなくなっているところを発見され緊急入院してきた患者で多分コロナではないだろうけど完全に否定もできない人。
こんな毎日ですよ。夜勤では1人の看護師が10人以上の患者を看るわけです。疲弊しないわけなくないですか。コロナがなくても大変でしたが、コロナがあることで不慣れな疾患の管理や業務が増え、防護服や衛生材料の使用は制限され、ボーナスはカットされる。
これまでだって定時に帰れることはなかったし、マンパワーに見合ってない量の仕事はやらされてたけど。でも忙しさには波があって、休日や年末年始は比較的落ち着いて仕事ができることもあった。けどコロナ対応を始めてからは毎日がこんな感じ。こんなんじゃ患者を守ることなんてできないよ。何かあったときにすぐに対応できないよ。私が対応できない間に受け持ち患者の状態が悪くなってるんじゃないか、痰を詰まらせて苦しんでるじゃないかってヒヤヒヤしながら毎日働いてる。他疾患で入院していた患者がPCR検査陽性になることもあるし、もし自分が感染して大切な人や職場の人にうつしたら?つらすぎて今すぐ看護師を辞めたい。生活していかなきゃいけないからまだ頑張るけど。
実は「医療に協力したら何が返ってくるの?」という記事を読みました。そしたら今まで溜め込んでたつらい気持ちが溢れて悔しくて涙が出てきちゃったので、ここに思いを綴ってちょっと楽になりたかったのです。
コロナ病棟の悲痛な現状とかを知りたかった人は期待外れでごめんなさい。特にオチもメッセージもないしがない3年目看護師の愚痴でした。
じゃあ、とりあえず専門学校に通って国家資格を取るところから始めよう。
医療事務や受付をしていた30~40代のおばさんが、働きながら看護学校の夜間部に通って看護師にキャリアアップするケースは案外珍しくない。おばさんができるならおじさんにもできる。大丈夫。
ただ大変なのが、メンタル的なところだ。
看護師になる女っていうのは基本的に気が強くて、ぶっちゃけ学生時代はいじめっ子ポジションだったタイプが多い。
実習(インターンみたいなものだと思ってくれ)の看護学生がナースセンターに来て「今日からよろしくお願いします!」と挨拶したときに「(全員無言)(上から下までジロジロ見定め)……足引っ張んないでよ」の一言くらいのことは平気でやる。それで心が折れるようなら看護師なんて務まらないからビシバシ厳しく!って理論だ。
そういうのを乗り越え、晴れて看護師として働き出すとセクハラパワハラが待っている。
あのな、男の看護師を嫌がるのってジジイなんだよ。体拭かれるのとか、あからさまにガッカリした顔するわけ。あまつさえ「医者になれなかったんだろ、気の毒になぁ」とバカにしてくる。年配のドクターにも言われるけど、適当に受け流すしかない。
二次創作なんて所詮エロいやつが強いのは分かってるんだが、暗転までしか書けない病気にかかっている。
書こうとしても手が止まる。描写が思いつかない。導入長くて、気が付いたら導入だけでこれ十分だなみたいになる。
二次創作での物語というものを知ったのが夢からだったんで、自然と小説を選んだ感じはする。幼少から小説読むのが好きだったし。
あと、自分の絵好きじゃないので、長時間向き合っていると辛すぎて拷問みたいになってくる。
いい歳して喪女だからか? とか原因をいろいろ考えたんだが、所詮エロはファンタジー。経験ではなく何をどう書けるかが問題のような気はする。エロい小説読んだ量は相当だと思うし……。
ていうか昔から仲良くしてるオタク友達が見えるところでエロの話ほとんどしない。出会ったときから全員メインジャンル違うし、顔を知ってるというので気まずいのかもしれないけれども。
だからあまりそういうのが身近にいなかったということで、余計に自分の中にレパートリーとしてないのかもしれない。
話がそれた。
推しCPのエロいのが書けなくて、いやぁ困ったなぁ。って思っていたんだが、ふっと気づいたんだよ。
ほんとにエロいやつ書きたいのか? ってさ。
いや、書きたいこともないんだけどさ。もしかしてオタクのスタンスとして違うのでは?自分はエロが目的じゃなくて、エロを通して何かを書きたいんじゃないか?ってちょっと思ったんだよね。
別にエロを目的にエロを書く人を下げたいわけじゃなくて、ただ萌えてるポイントが違う可能性を考えてみたわけ。
たしかに「推しCP」というものができたのはこれが初めてだ。他で夢経由してるところから察していただけると思うが、今まで「推し」というか、「好きな奴」しか存在しなかったわけだ。
それが、初めて「関係性」とか「二人のやり取り」に滾って、仲良しコンビどころではなく「こいつら付き合ってる」まで行きついたのだから、そういう「関係性の動き」とかを書きたいと思っている可能性はなくもない。
だってエロにそれ入れたらそれはもう「推しCPのエロいやつ」ではなく「推しCPの話(エロ付き)」だろ。たぶん。きっと。おそらく。
それから、正直拗らせてるDTみたいなところがあるから、一般小説、かは知らないけれど太宰とか芥川とかそういうレベルのエロ描写で「エロいな~!」って思ってるんだよ。
いや、彼らは別格で、直接でなくても読み手に想像させるよう文章力が神ってるからとかそういう可能性は否定しない。
それから割とシチュだけでもエロいな~!って思ってるね。「ミニスカナース」の単語だけでセルフジョイできる人間に近い。
それだけで満足しているからその先が必要ないのでは、みたいな。
まあ、いろいろ考えてみたけどさ。
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
このプロジェクト。要するに医療従事者に感謝を伝えよう、差別をやめようみたいなのを皆で発信しようっていうプロジェクトなんだけど、やっぱり「感謝だけで金出さないってか」「Gotoでコロナ増やしつつありがとうって煽りなの?」と批判されているようだ。
私は医師だけど、政府が行うこういうピントのズレたプロジェクト系には今更腹も立たない。では我々はこういうのじゃなく何が欲しいのか?と考えてみたので書いてみる。
やっぱりコロナ患者が増えないことが一番なんだけど、経済回さなきゃってのも理解できるし、病死が減って自殺者が増えるなんて何の意味も無い。だからコロナ以外で望むこと。一番は正直お金なんだけど、恐らくこれからもお気持ち程度のはした金しかもらえないでしょう。そもそも政府には何も期待できなそう、ということで世間の人に望むことを以下に挙げてみる。
ハッシュタグつけてありがとうとか別に言わなくていいんで、以下のことを気をつけてくれると医療従事者、っていうか医師の私は喜びます。
日々の業務が大変とか感染対策に神経すりへらす、というのがHPマイナス5だとしたら、患者や家族からの暴力や暴言はマイナス50くらいのダメージです。医療従事者だって暴言吐きたくなるクズがいるけど、多くの人は善意と誠意を持って働いてます。病院で長く待たされたとか医者の態度が気に入らないとか説明が足りないとか色々あるとは思うけど、怒鳴りつけたくなる前に「何か誤解があるのかも」「もう一度話を聞いてみよう」とこらえていただけると嬉しい。ちなみに看護師へのセクハラは論外。
特に夜中。大病院でもない限り各科一人で当直やってて、外来に来る患者をさばきつつ入院患者の対応もしなきゃいけない。マルチタスクで「先にあっちに採血やって結果待ちの間に外来三人片付けよう」とか考えてるところに、ふらっと予定外の患者が何人も来るとほんときつい。お願いだから電話くれ。そしたらベテランナースが「今すぐ受診すべきか」「タクシーで、もしくは救急車呼ぶべきか」「今救急外来混んでるからもう少し自宅で待った方がいい」とか教えてくれるから。いつ来るって分かってれば業務を調整して待たせる時間も減らせるから。本当にしんどいなら「来るなボケ」とは言わないので。だからお願いします。
・外来で長い話しないで
はてな見るような若者にはあまり関係ないんだけど。外来は何十人と午前中で診なきゃならなくて、一人を5分としても50人で4時間以上かかる。そこに急患も飛び込んでくる。終わるはずがない。人を増やして対応しろって言われるけど医者の余剰人員なんてどこ探してもいない(うちの科は)。そんな戦争状態の時に、くっだらない雑談で粘られてみ? 殺意湧くわ。待ち時間が長いと文句言うやつほど話が長い。ここまで待たされたんだからあれもこれも聞いとこうとか、そもそも話し相手が欲しい老人とか色々いるんだけど、全員が無駄話せず論点だけ話してくれれば待ち時間かなり減るからな?お願いだから関係ない話しないで。なんならこれまでの経過とか聞きたいこと事前にメモしてまとめてくれると超助かる。
望むのはこんなとこかなあ。過剰な感謝なんていらないんですよ、こっちだって給料もらってるし。もちろんありがとうって言われると嬉しいけどね。コロナで医療崩壊するする言われてるけど、そもそも日本の医療自体がコロナ前からギリギリの状態で、どこの科でも一人倒れたら当直回せない状態がザラだったんだ。いつも誰かが無理して、それで表面上は保っていただけのこと。コロナをきっかけに日本の医療の根本的なとこから変わっていくといいなと思うけど、それはまだ先の話だろう。とりあえず今、私たちが倒れないで持ちこたえられるようにご協力お願いします。
自分が十五歳だった時に、この道徳の教科書についての授業が行われたんだけど、その時こんな課題が付された。「この物語の続きを書きなさい」
元々この挿話「カーテンの向こう」はヤコブという名前のヘブライ系の男が主人公の話らしいんだけど、授業で提示されたのは現代日本にローカライズされたバージョンだった。しかも、「ナースコールを押せる状況下で押さない」というひと押しが追加されていた。
「物語の続き」と聞かれた時に、自分の中でその続きは完全に決まっていて、つまり、「窓際のベッドを譲られた男もまた、他の患者たちに優しい嘘をつき続ける」というものだった。これは一つの典型的な答えではあったのだけれど、この答えを提出した時に、当時の担当教師が我が意を得たりとばかりに頷いていたのを覚えている。
トラバに従って「カーテンの向こう 指導案」で検索してみたところ、指導の方向性についての示唆がPDF形式で大量に表示されることとなった。しかし、これらを見るにつけ違和感が膨らんでいくことしきりであった。「人間愛を育む」「思いやりの心を育む」。授業の方針として並べられている言葉――この物語の教訓は「人間愛」なのか? 「思いやり」なのか? と。
嘘をつく窓際の男、その窓際の男と成り代わる別の男、そして見えてくるうらぶれた壁。
この物語を読んで、「いやー、人間愛って素晴らしいですねー」などと感想を宣う人間がいたら自分は「なにいってだこいつ」と思うだろう。どうにも、物語の主旨と、そこから導かれる教訓との間に大きなズレがあるように思えてならないのである。
苦しむ窓際の男を放置する男、嘘をつく窓際の男、現れる灰色の壁。そして、嘘をつくことでしか表現できなかった優しさ。
あるいは、窓際の男は、自分がこの世から去った後に行われる営みを全て熟知していたのかもしれない。自分の代わりに窓際のベッドを譲られた男が、一体何を口にするのか、それを意識しなかったということはないだろう。つまり、彼がついていた嘘が全て優しさから成っていたかと問われればそこには疑問があるということだ。また、この窓際の男もまた、これより以前に別の男から窓際のベッドを譲られている可能性もある。そう考えた時、物語の筋は錯綜し、その中に優しさと悪意によってあざなえる一つの輪が浮かび上がってくることになる。そこにあるのは縄ではなく、優しさと嘘と悪意によって紡がれた一つの輪なのだ。
入院してる二人の男の話あったじゃん
二人とも不治の病かなんかでまともに体も動かせない。
一方の男は共同病室の窓際のベッドを使ってて、季節が巡る度に窓から見える風景を逐一病室の患者達に教えてくれる
「桜の花が綺麗だよ」とか「子供たちが遊んでいるよ」とか
そんな言葉を聞きながら、一方の窓際から遠い男は、窓際の男のことを心底羨ましく思っていた。
「俺だって窓からの風景を見ながら残りの人生を過ごしたい」と。
で、ある夜更けに窓際の男が危篤になる
窓際から遠いベッドで横たわっていた一方の男だけが病室の中で起きていて、ナースコールできる状態にあった。苦しんでいる窓際の男は自力で看護師を呼べる状態ではない。
苦しんでいる窓際の男を見ながら、男は思う。「このまま窓際の男が亡くなれば、その代わりに俺が窓際のベッドを使うことができるようになるかもしれない」と
◇
その後の展開はお馴染みで、窓際の男は亡くなり、そして目論見通り一方の男は窓際のベッドに移動するのだけれど、そこからは男の言っていたような風景は一切見えず、うらぶれた灰色のビルの壁面が見えるだけだった、って話。
今にして思うのは、道徳の教科書にこの話を載せたのは一体どんな奴で、どんな意図で載せたかってことなんだよな。
何でなんだろうと思ったんだよ
僕は精神医学を専攻している学生だが、1ヶ月、精神科の閉鎖病棟に入院してきた。ここがどんな場所なのか、学生の視点から書いてみる。
入院直前、タスクが多すぎてキャパオーバーのまま稼働して3週間、僕の精神状態は日増しに酷くなっていった。倦怠感、強い不安,酷い不眠、すべての事柄に対しての虚無感など。極め付けに強い強い希死念慮。とにかく死にたくてたまらない。そしてついにもう死のう!と決意して準備をした。最後の気力を振り絞って絶対に休めない課題だけは終わらせ、部屋を片付けて遺書を書いて、最期に親に会いに行って、普段精神科から処方されているベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠薬を大量に飲んで飛び降りを試みた。
まあ失敗したからこの文章書いてるんですけど、人に見つかって病院に搬送され、僕がなんとしてでも死にたいんだと主張したために親に連絡がいって医療保護入院(僕の意思は汲まれずに、親や配偶者等の同意を得てなされる事実上の強制入院)となった。閉鎖病棟で、フロアから外に出ることはできない(出入り口に二重に鍵がかかっている)。
この病棟の1日の流れは次の通り。
8:00 朝食
10:30-11:30 作業療法(ストレッチ、アイロンビーズ、簡単なスポーツなど)
12:00 昼食
18:00 夕食
21:00 消灯
入院して1週間経つまでがとにかくつらかった。入院したからといってすぐに症状が治まるわけではない。常に心拍数が120あって不安がとまらずベッドにうずくまっていた。死にたかったのにこうして病院で保護されている自分も許せなくて、死にたいのに死ねない苦痛に襲われた。慣れない環境に放り込まれてしまったので病棟の雰囲気もわからず怖かった。もう殺して、と思った。
僕の場合、入院したからといって特に積極的な治療はなく、普段通っていた精神科で処方されていた薬がそのまま出されるので飲む、それだけだった。医師は1日に1回病室に来てくれて少し話をするが、看護師は配薬の時に来るだけであとはマジで何もない。つらい気持ちを看護師などに聞いてもらおうとすればできたのかもしれないが、僕は自分の気持ちを他者に伝えるのが苦手だったのと、ここの病院は看護師が事務的で話をしたり患者の行動観察をしたりといったことを全然しなかったので、話さなかった。入院生活はただ自殺未遂をした人間を死なせないために病院に閉じ込めておくだけという感じだった。精神医学徒からすればこれはあまり好ましくない。看護師の人手不足問題もあるが、患者の気持ちに寄り添いながら必要であれば話をするのが理想。看護師でなくとも臨床心理士や公認心理師がやる仕事なのだが、この病院の臨床心理士は患者と面談をするどころかガチで何もしない人だった。唯一、作業療法士だけが平日毎日病室に顔を覗かせてくださって、「今日はデイルームで10時半からストレッチをやりまーす。アロマを焚くしハーブティーもありますよ。よかったらいらしてくださいね。」とケアしてもらえたのが心の救いだった。
2週間も経つと不思議と希死念慮が和らいできた。外界にいる時は「早く死ななきゃ!とにかく死なないといけない!」と焦っていたのが、自殺が物理的に不可能な空間に閉じ込められるとその焦燥からは逃れられる。だんだんと自分が落ち着いてきたことを感じた。ベッドとトイレしかない監視カメラ付きの保護室(要するに独房)からも出て普通の個室に移ることができた。主治医から「きみは専攻が専攻だから退院日は任せるよ」と言われたので、「今すぐ死ななきゃ!」という切迫感がほぼなくなった1ヶ月後に退院した。とはいえ、死にたくなくなったわけではない。僕は常になんとなく死にたいと思っているのが日常だ。
今回入院した精神科単科病院は、前述の通り医療スタッフによるケアがあまりにもお粗末だったのでオススメしたくない。病室にナースコールも無かったですからね。不安発作とか解離を起こして動けなくなってしまった時はどうしろというのか。そして閉鎖病棟という場所は暇すぎてやはりおススメしたくない。スマホを没収されるので何もすることがなくなるし、1日が永遠に感じられて結構苦痛である。暇なのは他の患者も同じなのでデイルームでお喋りでもできればいいのだが、僕がいたところは年齢層が高くて話し相手になる人が皆無だったので無理だった。デイルームにはテレビがあるが、僕はワイドショーやバラエティー番組が嫌いなので見なかった。ナースステーションで貸してくれる色鉛筆と用紙で塗り絵をしてなんとか暇をつぶした。なお色鉛筆はなぜか16時には返却しないといけなかったのだが。孤独だった。
結論:精神科閉鎖病棟での入院はする前もしている間もしんどすぎる。回避できる人は家族に監視してもらうなり実家に帰るなりして全力で回避してください。まあ、そう簡単にいかないからこうなってしまうんですけどね。みなさんご自愛ください。