はてなキーワード: ウンザリとは
日常雑感系ブログというジャンル自体が糞なんだよ。
トップにいたコンビニ店長がそもそもつまらなかったし、
まつたけ、コウモリ、ズイショあたりは、
いわばコンビニのことを語らないコンビニ店長であり、
もう目も当てられないつまらなさだ。
日常雑感系ブロガーは早く絶滅しろ
はじめに言っておくが、俺はブログを読むのは好きだよ。
毎日色んな人のブログを読んでる。
趣味や仕事の話って、人の温かさを感じられて楽しいからね。
でもはてなブロガーは駄目だよ。
コンビニ店長 まつたけ コウモリ ズイショetc
この手の奴らな。
はてなで有名になりたくて、ライフハックや文章術やブログ論といった
はてな自意識文化に染まりきった卑しい文章を書いてる奴らだよ。
はてなブロガーという無能集団
これらの増田を書いたのは恐らくはid:change_k=id:Haruo_M氏である(なお、この2つのidが同一人物なのは例えば、 d:id:Haruo_Mに小春チェン児(MIDI箱作)が自アンの出来事を記録するブログ
と書かれており、http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20100626 にようするに、アクアリウムとDTMとミステリを趣味とするchange_kと、元・小春チェン児の自アン民:深山春生は、まったくの赤の他人として活動していくことになる。
といった記載があること等からわかる。以下氏のことを小春チェン児氏とする)。更に、以前コンビニ店長ことid:nakamurabashi=id:lkhjkljkljdkljl氏(現在はどちらのidも消滅。以下店長氏とする)を長きに亘り増田で批判していた(「つまらない人気者は悪なんだよ」が最後かな? もっとあったかも)のも同様の人物だと思う。
根拠は例えばこの辺等。
はてなブロガーのまつたけ氏がブログをやめるそうだ。
度重なるアンチの攻撃に疲れたのが主な理由とのこと。
そのニュースを聞いて初めて読んでみたが、なんだか某コンビニ店長を
思い出させる文章で、正直うわぁ……となった。
ブログのおもしろさについて - 夏男ノート (id:change_kのはてなブログ)
コウモリ氏とズイショ氏は似ている。どちらも無駄な文が多くてだるくて読めない。似た者同士仲良くすればいいのに。
はてなブックマーク - change_k のブックマーク - 2014年2月20日
他に、こういう細部も一致している。
私は学生時代にパチンコにはまっていた。
暇さえあればパチンコ屋に行き、ろくに勉強しなかったし、両親にも経済的に迷惑をかけてしまった。
同じ大学でパチンコ仲間だった友人とは今でも付き合いがあるが、今の私達はパチンコ反対派であり、
どうすれば日本からパチンコを無くせるだろうか、という話をよくする。
「自戒を込めて」はコンビニ店長案件
大学時代にパチにはまっていた経験から言えば、記事の主張に同意。パチは時間の浪費に加えて、気性、生活のリズム、金銭感覚、車の運転に確実に悪影響が出る。人生を狂わせる力がある。
はてなブックマーク - change_k のブックマーク - 2014年2月1日
又、小春チェン児氏は(元?)自アン民のようだが、d:id:Haruo_Mを見ると、特定の自アン民(主にナトリ=id:natori氏と、 id:matakimika氏)を批判する記事が多く、その点でも店長氏をずっと批判していた匿名ダイアリーの書き手と共通する雰囲気を感じる。
アラフォーニートのナトリが、同世代で普通に自立して暮らしているヤマカン氏に対して、
些細な国語ミスを指摘して得意気になっている様子がすでに哀れだが、
その指摘内容が間違っているときては、みじめすぎて目も当てられない。
ヤマカン氏に迷惑をかけるナトリ - 小春チェン児
天才品川さんが嫌われるワケ
・無節操に文化人ぶるから → 本物志向に嫌われる
・イッチョカミだから → パイオニアに嫌われる
・無教養でかつ自覚がないから → 知的層に嫌われる
・ニセヤンキーだから → DQNに嫌われる
・あらゆる分野のニワカだから → ヲタクに嫌われる
・面白くないから → お笑いファンに嫌われる
・イヤミで性格が悪いから → 同僚・後輩に嫌われる
・人を見下すから → スタッフから嫌われる
・体を張ったギャグがないから → 子供に無視される
2ちゃんで見たコピペ。
上に挙げられている項目を見て、すぐにmatakimikaのことが頭に浮かんだ。
無節操に文化人ぶる、無教養でかつ自覚がない、あらゆる分野のニワカ、面白くない、人を見下す……
これらはまさしくmatakimikaの特徴である。
品川祐とmatakimika matakimikaと東浩紀 - 小春チェン児
とりあえず両名への批判記事を一つずつ部分的に引用したが、他にも沢山の批判記事がある。d:id:Haruo_Mから「ナトリ」「matakimika」で検索をかけてみればわかる(が、「ナトリ」に関してはカテゴリに既に「ナトリ」というのがあるくらいなので、そこを見ればわかる)。個人的にとりわけ衝撃を受けた記事は、id:matakimika氏を批判する歌詞(歌詞内では名前こそ出していないが後の文章から察するにそうなのだろう)の自作曲を紹介しているものだった。
我ながらずいぶんと馬鹿げたものを作ってしまったけど、よかったら聴いてみてください。
自作曲「人文ワナビー」 - ニコニコ動画:GINZA(引用者註 ニコニコ動画へのサムネイルが埋め込まれていたがそのまま引用できないのでリンクに変更した)人文ワナビー・それにしてもmatakimikaのブログはみっともない
作詞・作曲 深山春生
どこへも行けず 誰にもなれず 30過ぎて 40過ぎて
頑張る人を笑っていても 信じる言葉は見つからないね
Uh 観念的さbaby Uh 根拠も無いさ
Uh 値札のついた新事実 みんなに知らせたい
人文ワナビー また君か 人文ワナビー ため息ひとつ
斜に構えて一夜漬け プライドだけが膨らんでく
人文ワナビー うぬぼれに 人文ワナビー 飲み込まれたら
ふもとの町でキャンプして 山の怖さを語りあかそう
人文ワナビー
読書のツボは 著者のキャラクター ファンの学歴 帯のキャッチコピー
見えない服を見た気になって 見た事実だけをはてダに書いた
Uh 抽象的さ全部 Uh 結論ばかり
Uh マイナーメジャーを見かけたら とりあえず舌を巻け
人文ワナビー また君か 人文ワナビー ウンザリするぜ
インテリ作家はインテリア 新書の棚が膨らんでく
人文ワナビー よしなごと 人文ワナビー つれづれつづれ
子供プールに飛び込んで 海の広さに思い馳せよう
人文ワナビー
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/
ブログの内容としては、ちょっとした身辺雑記や、わざわざ文章にして説明する必要もないほど平易でありふれた
抽象論や観念的な見解、さらには、思考実験という賢そうな営みにあこがれて、無理やり無駄なことについて
考察を試みたとしか思えないような意見を、学術的な響きを持った単語やレトリックによって装飾するというもの。
その単語やレトリックの例を挙げると、「ジャーゴン」「クラスタ」「コンテキスト」等の横文字や、
「テキ屋さんの生態系」「言説の生み出した重力・運動圏」などの比喩表現がある。
もとの主張が中身に乏しいところへ、世間にそれほど馴染みの無い単語やレトリックをにわか仕込みで盛り込むものだから、
もったいぶった語り口と平易な内容との調和がとれず、羊頭狗肉、のれんに腕押しな感触の不格好な文章ができあがってしまう。
いくら専門的な言葉を多用したところで、matakimikaが日ごろ書きつづっているのは、客観的な資料や積み重ねた実践経験等を
根拠に用いながら結論の妥当性を証明する類の文章ではなく、短絡的な感想を結論として並べただけの、いわば散文記にすぎない。
散文記ならば散文記なりの言葉を選んだほうが格好がつくし、読者にも内容が伝わりやすいのではないだろうか。
自作曲「人文ワナビー」 - 小春チェン児
色々と凄い。
尚、以前の店長氏を批判していた匿名ダイアリーについては、実は当時既に少なくとも3人の方が小春チェン児氏が書いたものかもしれないと感づいていたようなので、参考として紹介しておく。(なお、3名とも自アンに居る、又は居たことがある方のよう。自アンでは氏はそれなりに名が知られているのだろうか)
http://twilog.org/natori/date-130501 (ナトリ氏のtwitter log)
自動アンケートではてな検索したら小春チェン児が俺を叩いていたー! http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/2013045/p1…
>アラフォーニートのナトリが、同世代で普通に自立して暮らしているヤマカン氏に対して←うーん増田ではてなの特定のやつ叩いてるのコイツじゃねえかなあ アラフォーって単語好きすぎる所とか
相手の発言から「natoriはオーストラリアと長野岩手に旅行している」と収集した後になんの脈絡もなく「でもニートだから絶対親につれてもらって旅行してる」とかわけわからんロジックなのが似てるのよなー http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20121110
>何年か前にも、私が自アンで、自作の組曲が完成したらニコニコ動画で公開する予定だと話したとき、ナトリから「某所の組曲だと他者による良曲選集みたいなもんなのに自分で作っちゃう所がお前らしいな」と冷やかされたことがある。
すんげえな 俺が全然覚えてない事をちゃんと覚えている
「組曲の意味すら知らないクソナトリ」というdisポイントなんだろうけど そういう組曲の意味すら知らない視聴者層の土壌にオリジナルの組曲作って発表しようとするのマジ小春らしいなって思う気持ちは今でも変わらないよ…
つーか監視してるんなら俺も増田粘着デビューさせろや小春 自アン追い出してはてなに逃げた奴を使うのは禁じ手に近いが構わん
miruna MIDIサイトをやっている
はてなブックマーク - 有名人が書いたつまらない記事
miruna MIDIサイトを(略
はてなブックマーク - コンビニ店長の何が求められているのか
miruna MIDIサ(略
はてなブックマーク - これでもコンビニ店長を支持しますか?
※私は自アン民でないので文脈がよくわからないのだが、どうやら「MIDIサイトをやっている」といえば小春チェン児氏のことを指すっぽい。d:id:natori に何件か言及があるがよくわからなかった。小春チェン児氏は確かにd:id:change_kで自作曲を公開しているようだが、氏が過去に「MIDIサイトをやっている」と発言したということなのかな?
carl_b "創作系のサイトをやっている"で小春チェン児みたいだなーと思ったら、俺だけでなかったみたいなので安心した
はてなブックマーク - 有名人が書いたつまらない記事
以上。もし事実誤認があればブックマークコメント等で指摘を頂ければ訂正する。
※ここからは蛇足。私は店長氏本人についてはよく知らないので特に何とも言えないのだが、氏をTwitterで批判していた人がアカウント凍結を食らっていたのを見た経験等から、氏のファンの一部に対する印象は悪い。(無論、批判の所為で凍結されたという確証はないが。)余計なことかも知れないが、一部の過激なファンにこの記事が利用されるのは私の本意ではないので、お断りしておく。ついでに、上で名前を出したid:miruna氏は店長氏に対してはこの下衆とあの増田の間にどれほどの差があったのと真面目な感想を書いときますね。
と書いているように、可也批判的な立ち位置だったということも、念の為誤解の無いよう記しておく。
あなたも少しは落ち着いた方がいい。
どんなに「合理的な説明内容」であっても、目を三角にして口をとがらせて「黙って人の話を聞けこの低脳」と言わんばかりの調子でまくし立てられたら、大抵の人はウンザリする。しかも、その論拠となるデータを出してる組織(つまりこの場合は東電及び「公的機関」だが)にしてからが、言うことが立て続けにころころ変わり、毎日のようにダダ漏れしてることが「分かった」というニュースが流れる状況にあって、「完全にコントロールされています」と世界に向かって断言する人間がTOPを務めるようでは、それらのデータを信頼できない人が一定数いるのも当然のことだ。
「疑う奴らは、愚かだから疑うのだ」というような、属人的な物の考え方は不毛だよ。
「どうして、疑う人間がこんなにも減らないのか」というように、現状を生んでいる制度や仕組みを問いの対象とする方が、おそらく問題の本質には近づけるはず。
あなたが「合理的」に物を考えられるというなら、「世の中にバカが多いから俺が不幸なのだ」というような同語反復(トートロジー)的な世界認識がいかに非合理的なものか、多分、少し落ち着いて考えれば理解されることと思う。
冬の寒い夜に、ドテラをかぶって、こたつに足を突っ込んで、土鍋をぐつぐつ煮ながら、ぼーっとテレビを垂れ流していると、どこか遠くに来てしまったような気がします。
バラエティー番組の観客の笑い声を聞いている自分が、まるで他人にように思えてくるのです。
皆さんはありませんか?一人でいるときに、誰かの声が勝手に頭のなかでリピートされる。そういうことが。
その夜に聞こえてきた声は、こんなでした。
「いつまでそうしてるつもり?」
ウンザリしたいような顔で、いつか友だちが私に言いました。
バイト先で知り合った彼は、特にこれといった取り柄はありませんでした。
かっこいいわけでもないし、頭が切れるわけでもないし、かといって甲斐性があるわけでもない。
雪の降る夜に、野菜を切っていると、彼が帰ってきました。すき焼きのタレを買ってきた、と言いました。
「うん。そこ置いといて。外、寒かった?」彼を一瞥して、私は聞きました。
「寒かった寒かった。雪、強くなってる。積もるかもね」窓から外を眺めながら、彼はそう返して、
「朝、雪だるま作る?」思いついたように付け加えました。
「…ごめん。忘れた」
お互い学生でお金もなかったので、肉は牛肉ではなく豚肉で、冷蔵庫に残っていたこんにゃくをしらたきの代わりにしていました。
こたつを広げた四畳半には、後ろにベッドがあるために、ぜんぜん足の踏み場がなくって窮屈でした。
「いつまでそうしているつもり?」
友だちがそういう風にいうようになったのは、私が大学を出るときになんとなく彼と別れた、次の年の秋だったと思います。
その年は就職の口が少なくて、だいぶ苦労しました。ようやく受かった会社も、勤め初めてひとつきもたたないうちに、新人いびりと、今で言うブラック企業のような、熱意あふれる会社の方針、についていけなくなってしまいました。
ある朝、頬がコケるほどに痩せた自分の顔を鏡に見てゾッとしました。
それで思い切って辞めてみたら、瞬く間に体調が戻りました。
それからはギリギリ食べていける程度にバイトをつないでいました。
出会いがないから。困ったような顔を浮かべて、私は友だちにそう返していたと思います。
それに今は、趣味が楽しいし。マンガかけるようになったんだよ。ネットに公開してて、結構受けてるんだよ。
「ふーん」本はファッション雑誌しか読まない友だちは、興味無さそうにそう返しました。「いいんだけどね、別に」そう言って、ドリンクバーにおかわりを注ぎに行きました。
恋はしたいときにすればいい。人生が楽しければ、それでいいんだ。
そういうことがある度に、私は自分に言い聞かせるように、つぶやいています。
わたしの幸せを他人が決めるな。
再就職してからは、外食が多くなり、家でゆっくりごはんを食べる機会はなくなりました。
だから、こたつは使いません。でも、布団の部分を取り除けば、別に見栄えが悪いわけじゃないし。
ベッドの方の布団も、全然洗わないけれど、シーツだけ洗っていれば不潔じゃないし。
それにそもそも、誰に見せるわけでなし、そんなところを気にしてどうする?
ふとネコがこたつを登ってきて、ニャア、と眠そうに鳴いて、頭のなかの声をかき消しました。
鍋に毛が入ると嫌なので、私は、しっしっと邪魔者を追い払います。
ネコは面倒くさそうにしっぽを向け、こたつのなかに潜って行きました。
いや、足元に居られるのも邪魔なんだけどな。
こたつを畳んで、押入れにぶち込んでしまえば、スペースができるから、ひょっとするとベッドの下までも掃除機をかけられるかもしれません。
空いたスペースに”ねこちぐら”を置いて、そこに居るように躾ければ、あいつも少しは大人しくなるかも。
なんだかんだで、色々と得がありそうだから。その程度の理由で。季節に流されているだけのような気がするけど。
そして、春を迎えます。
いえ、読み応えがありましたよ(なんというか「中身がある」文章に見えました)。
私もいじめられていた経験があるので、増田さんの悩みはわかる、ような気がします。
なんだか”借金返済感”があるんですよね。
それでいて、自分をこんな風にした連中を恨む気持ちは湧いてこない。なぜならその経験で得られてものが自分の軸になっている、から。
でも、積極的になろうとする度に、「変わりたい自分」と「傷つきたくない自分」が心のなかで喧嘩をはじめて、いつもウンザリする…
私はこんな感じです。
ブコメのみんなは増田さんの意識の高さに当てられて、イラッとしちゃった反応をしていますが、気になさらないでください。
悩んで、納得行くまで向き合って、ください。
答えが見つかるといいですね。
可愛らしいブレザーに短いスカート、黒髪のロングに赤いリボンのアクセント。
おまけに未だ穢れを知らない乙女であることが多いのだから、男の夢として崇められるのも不思議なことではない。
ためしに街中を見てみよ。
公園のベンチで股を押っ広げ大口をあけながら喋る姿や「ガハハハハハハ」という品のない笑い声、さらに話の内容までもはしたなく、友人数人でたむろしている時には「つーかさあ、うちの担任マジむかつくんだけどぉ」とか、「3組の山田がさぁ、うちのクラスの田中ちゃんのこと好きらしいよ。山田とか、あのヅラでwww あいつ絶対童貞www」などなど、はたで聞いていて不快になることは言うまでもない。
夕日のきれいな丘の上のベンチで、彼氏がJKの肩に手を回しながら、「ずっと一緒に見ていたいね」などと気持ちの悪いことを言うと、JKもしおらしく「うん...」とうなずく。
そして、いよいよ太陽が沈むころになって、彼氏の唇がJKのそれに近づき、触れ合おうとする瞬間、俺はついに耐え切れなくなってその場を後にする。
いやいや、お前さっきまで友達と下品な話で盛り上がってたじゃん。彼氏と二人きりになったからって、急に女性らしい演技をするなんていくら何でもセコすぎるだろう。
たとえば1947年のJK創生期のころがどうだったかなどは非常に気になるところだが、少なくとも俺のイメージでは昔のJKはおしとやかで慎ましい純真な大和撫子そのものだった。
時代が移るとこうも変わるものだろうか。実に嘆かわしいことだ。
一方、JKのような下品な振る舞いは20代の女性にはあまり見られない。
もちろん例外はあるけれども、全体的な佇まいがあか抜け、衣装は清楚なものを身にまとい、言動にも大人の女性としての品格が表れていることが多い。
彼氏とデートをするにしても、公共の場でキスをすることなど滅多になく、手をつなぐくらいに留めていることは、まあまあそのくらいなら仕方がないかと許せる気持ちにもなる。
おそらく彼女らもJKのころには見っともない所作をしていたのだろうが、齢を重ねるにしたがって、女性としての身持ちを会得するに至ったのであろう。
もし今のJKにも成長の余地が残っているとすれば、日本の未来もけっして暗くはないのかもしれない。
以上あれこれJKの悪口を連ねてきたが、むろん全部のJKを貶めているわけではない。
早熟なJKの中にはすでに陶酔させられるほどの雰囲気をかもし出す人も折々見られるし、雑誌やDVDなどにおけるビキニを着たJKの中には、おもわず息を呑むほどの色気と可憐さを兼ね備える人もいて、事実お世話になることも珍しくはあるまい。
どうか世の中のすべてのJKが、一生に一度だけの特別な資格、すなわち究極の乙女であるJKという身分を、最大限に生かす心構えを持ってくれることを切に願う。
オレは綺麗な絵だと思います。
あの絵単体を作品として見るなら、
ただ、あれっていわゆる学会誌なんですよね?
同人誌じゃないですよね?
たとえばこんな絵があったとしますよ。
お願い。面倒くさいとかいわないで。
-------------
季節は晩夏にしよう。
まだ昼間は暑いけど、最近ちょっと日が短くなったわねっていうような。
時刻は午後~夕方早いうちかな。
場所は一軒家の門の前。
板塀に植木が見えるね。
平屋だよ。
豪邸じゃないけど、家屋も庭も綺麗に手入れされてるね。
祝日なんだね、きっと。
家の前に四人家族が出てきてるよ。
左後方にお父さん。
がっしりしてて短髪。
浴衣姿だね、ここは。
お父さんの右隣には、小柄でおとなしそうなお母さん。
もちろん優しく微笑んでるよね。
スポーツでもしてるのかな、お父さん似なのかな、やっぱり体格いいね。
お兄ちゃんの横には妹ね。
可愛いけど芯は強いんだよ。
赤いワンピースあたり着せようか。
結構お転婆さんだから、ワンピースもちょっと汚れちゃってていいかも。
ここまできたんだからダメ押しで、芝系雑種の愛犬も登場させちゃおう。
さて、これをセピアっぽい色合いで、郷愁を誘うようなトーンでまとめよう。
できた!
-------------
ふぅ。
で、どうですか?
説明が拙くて恐縮だけど、イメージできました?
好みはあるだろうけど、ふーん、て感じですよね。
絵単体では別に何も問題ないですよね。
でも、これが政府広報物の表紙だったらどうですかね。
靖国問題がアツアツな今、
どうですか?
何か胸がザワつきませんか?
この絵を表紙にしちゃうのか…て思いませんか?
不穏な空気を感じませんか?
やべえ、日本マジやべえよとか思いませんか?
やべえっていう思いを口に出していかないと
もっとやばくなるよって思いませんか?
オレは綺麗な絵だと思いますけどね。
けどね。
走馬灯のように脳裏によぎったんでね。
考えると辛いから、今はやめとくよ。
http://www.zaeega.com/archives/53574263.html
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/15/akb48-asean_n_4450956.html
http://president.jp/articles/-/11181
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20111118/116096/
じゃあ、みんなよいお年を!
ホッテントリしたこの記事
http://anond.hatelabo.jp/20131206165800
下らなくないかこれ?
妙に陶酔した文章で繰り広げられる主張は「本を語るとき男は数字や社会で権威づけするからダメだよね」というシンプルなもの。
個人的に腹立たしいのは、ボルヘスやベンヤミンの名前を一生懸命挙げながら全否定する対象が伊坂だということ。
全身全霊をかけて潰すべき作家はもっと他にいるんじゃない?なんかズレている。
下の上野千鶴子の発言といい、どうもこういうタイプの言説が先祖返りしてる印象だ。(もっとも上野さんの戦略は一概には否定できないけど)
http://www.j-cast.com/2012/12/08157370.html
ネットで真実を知った!的な友人が、先の増田を猛烈に批判していた。
主です。ご教授ありがとうございます。私もそれなりに色々見聞きしたり調べたりしたのですが、出自以外の広まりについては結局のところ「よくわからない」が結論となっています。ヨーロッパでもやったりやらなかったり、アメリカのものだという認識だったりで、それがプロテスタントとカトリックの違いなのでしょうか、とにかくアングロサクソン社会でもまちまちという感じのようです。しかし日本においてはヨーロッパ、アフリカ、インドネシアからの影響では無くほぼアメリカからであると思っています。
ただ、私の主張したいのはそこではなく、だったら日本人にはもっと関係の無い行事だろう、という事。もちろん日本人にもキリスト教信者はおられますが、本当のキリスト者にしてみたら寛容に見ても目にあまる光景ではないでしょうか。いい大人が奇異な格好やもはやハロウィンに関係の無い格好、更には裸同然の格好で電車に乗って騒ぐ。クリスマスでも同じく何かと託つけて騒いでますが、もうウンザリです。無宗教だから楽しければいい、モノが売れればいい、そんな空気に耐えられません。
地元での行事が廃れた、とのことですが、それならそれでいいじゃないのでしょうか。自然淘汰されたということです。しかしだからと言ってその換わりにそれこそ「縁もゆかりも無い」ハロウィンでなんとかしよう、という発想になるのだけは避けたいと思いませんか。やる意味がありませんよ。やがて新たに地元に根付いたお祭りが作るか、何もしない。それでいいじゃないですか。それでその地元が生きるか死ぬかは地域に住むその人たち次第です。