はてなキーワード: つのとは
昔、といっても都知事になって以降のことだけど、仕事でほんの30分ほど小池百合子と打ち合わせする機会があった。
会う前までは、大物政治家とはいえこっちは有権者であり納税者だから何も臆することはないと思っていた。
会議室に入ってきた瞬間、めちゃくちゃすごい覇気と圧だった。実際にはおだやかだったし、笑顔だったし、嫌なことも何も言われず、粛々と話しただけだった。
でも、すごく怖かったし、間違えたり頭の悪い発言したらやばい!と本能が言っていた。
思いっきりステレオタイプでジェンダー差別なひどいことを言うが、「外資系にいる男と戦ってきたタイプのひと世代昔の女性マネージャー」から感じるめんどくさい圧と同じ種類の空気。
ただ、そんなやつとも違う、もっと潜り抜けてきた修羅場が違うキツさがあった。
だが、あぁこれが政治家か、これが日本の首都のトップを担うやつの気迫かとすごく納得した。こうでないと、国や自民とやりやい切り抜けながら、都議会マスコミをかわしながら舵取りできないよな、と。
怖かったけど、この人なら任せられるなぁと思った。『女帝』とはまさにこの人のことだ。
色々批判する部分もあるが、どんなもっといい公約があったとしても、この人の実行力には叶わないと思う。
正直、総理になってもいいと思う。
> 過去10年間で、私を左派から右派へと押し上げたいくつかの重要な出来事がありました🧵
ヒラリー 2016
バイデン2020
トランプ2024
次の 10 の例を調べて、それを詳しく見てみましょう。
https://x.com/wildbarestepf/status/1812590490916925626
MeToo運動が熱を帯びてきた。アジズ・アンサリ事件は私にとって転機となった。アジズのキャリアは、最悪のデートのせいでほぼ破壊された。
MeToo運動が推進された熱狂は、しばしばニュアンスや適正手続きを欠いており、不安を募らせていた。
人間の相互作用の複雑さや、それぞれの状況の公正な評価の必要性を無視して、より広範な議題のために個人の評判を犠牲にしているように感じました。
(編注)Metoo運動、フラワーデモ運動は冤罪を発生させている。寺町東子、東京第一弁護士会はその冤罪を作り出すことを推奨し、いまだに撤回すらしていません。このように性犯罪、セクハラ、DVは寺町東子のような弁護士の金儲けの手段となっているのです。性犯罪被害者団体もいまだに撤回していない以上その正体は性犯罪被害者団体ではなく人権ビジネス団体です。このような団体の主張を霞が関に入れることはできないというべきでしょう。
衛星打ち上げから火星の植民地化の可能性まで、イーロンのスペースXでの取り組みは、環境保護論者や左派の規制機関からかなりの反対に直面している。
スペースXの活動に関連したアザラシや鳥類に対する抗議は、科学と探査における画期的な進歩の可能性を覆い隠しているようだ。
革新と進歩を重視する者として、イーロンのビジョンに対する左派の抵抗は逆効果で息苦しいと感じる。
左派のジェンダーアイデンティティに対する立場、特に男の子が女の子になれるという主張は、私の生物学の理解と矛盾している。
生物学を副専攻していた私は、科学的事実を無視していることに不安を感じた。
この問題は、左派が経験的証拠よりもイデオロギーを優先するというより広範なパターンを強調しており、それは科学的誠実さに対する私のコミットメントと深く共鳴した。
(編注)まず性自認などは性別と全く関係ありません。また性別は男性、女性、その他の3つしかありません。これが生物学的な結論です。これ以外は非科学的な主張であり、到底社会で受容する必要がないものです。
また、性自認などという他人から認識できないもので性別が決まるというは極めて異常です。これを差別というのは完全に差別の定義を誤っています。そしてさらに言うとならば「女性」とは何かという肝心の女性の定義がありません。
私らしくとかどうでもいいのです。まず女性とはなにか、一切答えられないのです。ジェンダーという社会のせいとか言うものは自認とは今度は関係がないのです。
新たな視点:レックス・フリードマンのポッドキャストに出演するジャレッド・クシュナー
私の政治的志向の変化は、レックス・フリードマンのポッドキャストに出演したジャレッド・クシュナーの影響をさらに受けた。
クシュナー氏がアブラハム合意について語るのを聞くことで、主流メディアではあまり報道されなかったり、誤って伝えられたりしていたトランプ政権の成果について新たな視点が得られた。
この認識により、私はこれまで精査せずに受け入れてきた物語に疑問を抱くようになった。
> 2020年にトランプ政権の仲介でアブラハム合意ができ、イスラエルは周辺の中東諸国と一気に国交回復や和解が進んだ。
ハマスの10.7のテロの理由はひとえにこれをぶち壊すことだった。
https://x.com/GruessGott2018/status/1804425221308584412
左派が「多様性、公平性、包摂性(DEI)」の取り組みを重視し、「警察予算削減」運動と相まって、目に見える反響をもたらした。
サンフランシスコのような都市では犯罪が増加しており、盗難が横行しているため、店舗の必需品が施錠されている。
これらの展開は法と秩序の崩壊を反映しており、より安全で公平なコミュニティという左派の約束と矛盾している。
イデオロギーと現実世界の結果との乖離がますます明らかになり、問題となってきた。
(編注)日本でもクルド人との衝突が発生し、また、観光できた中国人が落書きする等治安が悪化しています。にも拘わらず、警察と裁判所の予算は増えていません。公務員はどんどんやめています。これを改革と言っているのですから日本人は帆なのです。DEIはオワコンなのはこの1枚の写真ではっきりしています。もはやアメリカ人でDEIが素晴らしいなどと発言することはあり得ないでしょう。
https://x.com/bennyjohnson/status/1812487522267652129
https://x.com/MatchPoiint/status/1812488154634412117
バイデン政権の混乱したアフガニスタンからの撤退は私にとってもう一つの重要な要因だった
急いで避難したため、13人の米軍兵士が悲劇的な死を遂げ、多くのアメリカ人とアフガニスタンの同盟国が取り残された。
高官が責任を問われることなく説明責任が果たされなかったことは、無能さと人命軽視の懸念すべきレベルを浮き彫りにした。
(編注)撤退は突然でなんの準備もなく、極めてずさんでした。それを覆い隠す日米の報道で日本人が語っても意味がありません。
COVID-19パンデミックへの対応は誤った情報と高圧的な命令に満ちていた。当初は科学を信頼するように言われたが、物語は変わり続けた。
ワクチン接種義務化が課され、国民の大きな反発と分裂を招いた。
その後のワクチンの有効性と副作用に関する暴露と反対意見の抑圧は不信感を募らせるだけだった。
パンデミックへの対応は公衆衛生よりも管理に重点が置かれるようになり、私は左派からさらに遠ざかることになった
(編注)反ワクチンという表現は極めて悪質で、ここで行っているのは反mrnaワクチンということです。なお副反応は誤った単語で副作用が正確です。ここでもごまかししかしていない。
左派がアイデンティティ政治に執拗に焦点を当てていることは、ますます不快なものになってきている
政策や社会問題の主要なレンズとして人種、性別、性的指向を常に強調することは、より実質的な議論を妨げている。
これは分裂的な戦術のように思われ、団結と進歩を促進するのではなく、社会の亀裂をさらに生み出すものである。
(編注)このアイデンティティポリティクスとは、デタラメな単語です。簡単に言うとポリコレです。LGBTのいびつで不必要な優遇を日本でも押し付けられています。当事者が必要としていないのが現実です。これも公金チューチュースキームです。コロンブスの炎上のように言いがかりしかつけてこないのが現実です。そのような言いがかりをつけられる意味は全くなく、極めて不当なものです。あのような炎上は取り締まられるべきでしょう。
またこのような反差別界隈は日本も同様に人々を分裂させるだけで全く意味がありません。
ボディポジティブ運動は善意から始まったが、問題のある方向に進んでいる。
コスモポリタンのような雑誌の表紙に病的な肥満の女性を取り上げ、それを「健康的」とラベル付けすることは、公衆衛生に害を及ぼす。
この有害な物語は社会基準を変え、肥満に関連する深刻な健康リスクを無視して誤った健康感覚を助長している。
科学と事実に基づく情報を重視する人間として、医学的真実に対するこの露骨な無視は、私を左翼から遠ざけるもう一つの要因でした。
(編注)デブとブサイクを優遇するのは完全に異常です。ルッキズムとか言うのはあほです。なぜなら、健康かどうかはある程度外見に現れるからです。
バイデン大統領の最近の討論会や公の場での発言は憂慮すべきものだ。彼の頻繁な言葉のつまずき、混乱の瞬間、そして身体的な弱さは、彼が完全にコントロールできていないことを示唆している。
バイデン氏が討論会で固まり、首尾一貫した主張をするのに苦労するのを見ると、彼の能力を保証していた左派の欺瞞が強調された。
自由世界のリーダーがこのような状態にあるのを見るのは残念で恥ずかしいことだ
私の政治的進化は、一連の具体的な出来事と認識によって形作られ、左派から遠ざかってきた。
MeToo運動における個々の事件の誤った取り扱いから、左派による革新への抵抗、生物学の無視、混乱した外交政策の決定、そして彼らの政策の具体的な結果まで、これらの経験は私の視点を全体的に変えました。
より中道的または右寄りの視点を受け入れることは、常識、愛国心、そして建設的な進歩へのコミットメントへの回帰のように感じられる。
@RobertMSterling
@DavidSacks
@theallinpod
のような人や、反発にもかかわらず執拗に懸念を表明してきた他の人たちにも声を上げます。私の視点の変化はあなた方のおかげであり、私は頭をさげます。🫡
「おそらく増田ほど頭の良くない」
人気ブコメの穏健派フェミニストの方も行なっていたが、しかし、いじめられてる被害者の見えるところで加害者の肩を持つのは——…被害者側から見ると敵が増えたようにしか見えない。
私が彼を、頭の悪いインターネットぶつかりおじさんだと見る理由はこちらで解説した。
ネットで、赤の他人の性格を変えようとするのは無意味な行為だ。
とりわけ、責任のない立場にも関わらず「お前は無責任だ」「バカだ」を連呼して「クズだと自覚した方がいい」… なんていうのは昭和時代のパワハラと何ら変わらない。
昨今はカスタマーハラスメントが話題になっているけれど、いまだにハラスメントに教育効果があると思ってるなんて、とても信じられない。
——…昔も今も、ハラッサーには相手に幸せになってほしいなんて気持ちはなく、暴言で他人をコントロールしたいという痴漢と同じ支配欲のダシに一般市民を巻き込んでいるだけだ。
逆の立場になって考えれば分かるはず。赤の他人の一方的な暴言に耳を貸して自分の性格を変えようなんて思わないだろう。にも関わらずハラスメントを強行するところが、彼の バカさ or 凶悪さ の証拠だ。
な?馬鹿ってこうやって自分が出せと言ってた証拠を出されても本人だけは負けを認めずこうやって駄々をこねるだろ
ググれば出てくる情報にすらたどり着けずにゼロサムゲームガーとか自分から負けに行ってるのと同じ行動してる癖に
lacucaracha そもそも有権者が見たかったのは、ニコニコ包み込むような安心感のある笑顔の蓮舫じゃなくて、キレッキレでメッタ切りにする血に飢えた笑顔の蓮舫だったのでは。
お里が知れるね。
横から失礼
俺は予算取ってる側だから嫉妬で書くわけではないことを承知してほしいんだけど、選択と集中の問題は大きく2つだと思っていて、
1つは選択のための申請書や面接などが膨大にあって明らかにそれに見合わない人件費が投入されてることだね。
特に予算が必要な研究とかをする場合は年中ずっといろんなところへ申請書を書くことになり、研究をする暇がなく成果がどんどん出にくくなる負のループがある。明らかに無駄。
もう1つは一部の研究者に予算が過剰に集中してしまって明らかに無駄な使われ方をしていることなんだよね。
目立つ研究者は巨大予算を3つも4つも掛け持ちしているのが普通なんだけど、それこそ3つも4つもあっても研究をこなす時間もなければスタッフも足りなくて、
余ったお金を使い切らないといけない制限も含めると国の年度末の公共事業よろしく無駄なものを買うことになり、完全におかしなことになってるんだよね。
そりゃ予算は増額してほしいけど、このまま増額しても上記の2つの問題が加速するだけで根本的な問題解決にはならない気がする。
予算の多寡によらず多くの問題が選択と集中によって引き起こされてるみたいなのはたぶん外野からは想像しにくいんんじゃないだろうか
いつの話してんだよ。もうどうでもいいわ。
「ヨーロッパ諸国は小さくて国際競争力がない」という意見は、確かに一部の側面を捉えているかもしれません。しかし、以下のように単純化することはできません。
* ドイツ: 世界4位の経済大国であり、製造業や自動車産業を中心に高い国際競争力を有しています。
* フランス: 世界第7位の経済大国であり、航空宇宙産業やファッション産業などを中心に高い国際競争力を有しています。
* イタリア: 世界第8位の経済大国であり、ファッション産業や食品加工産業などを中心に高い国際競争力を有しています。
2. 国際競争力も高い
* 世界経済フォーラムによるグローバル競争力指数では、2023年時点で上位10位に4つのヨーロッパ諸国がランクインしています。(スイス、デンマーク、オランダ、スウェーデン)
* ヨーロッパ連合全体で見ると、世界第2位の経済規模を誇り、アメリカに次ぐ大きな経済圏となっています。
* ヨーロッパ諸国は、それぞれ異なる文化、言語、歴史を持っています。しかし、欧州連合という枠組みを通じて、域内市場の統合や政治協調を進めてきました。
* この多様性と協調性こそが、ヨーロッパの強みの一つと言えます。
ヨーロッパ諸国は、確かに国土面積や人口で見ると、アメリカや中国のような大国とは比較できません。しかし、経済規模、技術力、文化の影響力などを考慮すると、国際的に大きな存在であることは明らかです。
個々の国に課題がないわけではありませんが、一括りに「小さくて競争力がない」と断言することは適切ではありません。
ヨーロッパ諸国は、今後も独自の強みを活かして、国際社会において重要な役割を果たしていくでしょう。
』
意味がわからなかろうが私が違和感を感じているというのは事実なので
書いた内容についてたまたまそれを読んだ人に何か満たされるものがあったとしても、そういう書き手と読者のウィンウィン関係が成り立つのはただの偶然であって、
今回の都知事選を考える上で、ジジェクが、ポピュリズム右翼とアイデンティティ左翼が表裏一体になっていると分析しているのは重要と思う
「左派は、性的、人種的、経済的に排除され疎外された人たちの保護者を自任しながらも
極めて抑圧的な超自我の体系を課すことにより
表面上は多様性と包容を主張するが、これについての自分の定義に同意しない人達は容赦なく排除する。
『私たちの中に多様性と包容性に反対する人はいない。そのような人は既に全員追放したから』
抑圧されている人達は
『なぜ私があなたたちに支配されねばならぬのか』と言って遠ざかる。
このようにして、ポピュリスト右派とウォーク左派は深いところで共謀している。
これらはコインの裏表だ
元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるかに攻撃的な印象を受けるし不快だ。
元増田は夫との暮らしに基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキはちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち、不安を綴ってみたに過ぎない。
あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分の気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。
確かに世の中には、言及対象を一義的に明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療や軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネスや科学の領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任の所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。
しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーションは井戸端会議とか時候の挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さないものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学・軍事・医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。
この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要な位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。
そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年と人類はやってきたのだから、一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。
人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。
元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか、表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。
ズバリ一言で言えてしまうような簡単なことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。
しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。
そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。
不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田は元増田を個人的に攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険な人物だということになりはしないか。
元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるかに攻撃的な印象を受けるし不快だ。
元増田は夫との暮らしに基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキはちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち、不安を綴ってみたに過ぎない。
あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分の気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。
確かに世の中には、言及対象を一義的に明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療や軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネスや科学の領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任の所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。
しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーションは井戸端会議とか時候の挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さないものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学・軍事・医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。
この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要な位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。
そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年と人類はやってきたのだから、一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。
人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。
元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか、表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。
ズバリ一言で言えてしまうような簡単なことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。
しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。
そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。
不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田は元増田を個人的に攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険な人物だということになりはしないか。
元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるかに攻撃的な印象を受けるし不快だ。
元増田は夫との暮らしに基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキはちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち、不安を綴ってみたに過ぎない。
あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分の気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。
確かに世の中には、言及対象を一義的に明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療や軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネスや科学の領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任の所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。
しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーションは井戸端会議とか時候の挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さないものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学・軍事・医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。
この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要な位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。
そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年と人類はやってきたのだから、一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。
人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。
元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか、表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。
ズバリ一言で言えてしまうような簡単なことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。
しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。
そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。
不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田は元増田を個人的に攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険な人物だということになりはしないか。
https://www.womensrights.network/post/what-actually-is-the-risk-posed-by-transwomen
以下の計算は、国家統計局(ONS)の2021年国勢調査の性自認に関するデータと、情報公開法により入手した法務省(MoJ)の統計から引用した数字に基づいている。
ONSのデータによると、イングランドとウェールズでは47,572人がトランス女性であると自認している。
MoJの統計によれば、少なくとも1つの性犯罪を犯して刑務所に収監されているトランス女性の数は76人である。
76/47,496. これは、626人に1人のトランス女性が性犯罪を犯し、有罪判決を受けるといえる。
ONSのデータによると、イングランドとウェールズには29,177,340人の男性がいる。
MoJの統計によれば、少なくとも1つの性犯罪を犯して刑務所に収監されている男性の数は13,234人である。
つまり、男性の集団で性犯罪を犯し、有罪判決を受ける確率は、13,234/29,164,106となる。
すなわり、2,205人に1人の男性が性犯罪を犯し、有罪判決を受けるといえる。
トランス女性と男性の間で性犯罪で有罪判決を受けるリスクを比較するには、オッズ比(トランス女性が性犯罪を犯し有罪判決を受けるオッズを男性のオッズで割ったもの)を計算すればよい。
プライムデーセールで買った1TBのSSDが届いた いや軽っっっ!!!! いやこれモックじゃない? 本当にこの中にそんなに入るの??? 凄いな最近の技術
anond20240715103112
今1TB程度ならnandチップ1つか2つで済んじゃうからね m2だか2.5だか知らんが、中身はすっからかんだよ
anond20240715103627
https://www.womensrights.network/post/what-actually-is-the-risk-posed-by-transwomen
以下の計算は、国家統計局(ONS)の2021年国勢調査の性自認に関するデータと、情報公開法により入手した法務省(MoJ)の統計から引用した数字に基づいている。
ONSのデータによると、イングランドとウェールズでは47,572人がトランス女性であると自認している。
MoJの統計によれば、少なくとも1つの性犯罪を犯して刑務所に収監されているトランス女性の数は76人である。
76/47,496. これは、626人に1人のトランス女性が性犯罪を犯し、有罪判決を受けるといえる。
ONSのデータによると、イングランドとウェールズには29,177,340人の男性がいる。
MoJの統計によれば、少なくとも1つの性犯罪を犯して刑務所に収監されている男性の数は13,234人である。
つまり、男性の集団で性犯罪を犯し、有罪判決を受ける確率は、13,234/29,164,106となる。
すなわり、2,205人に1人の男性が性犯罪を犯し、有罪判決を受けるといえる。
トランス女性と男性の間で性犯罪で有罪判決を受けるリスクを比較するには、オッズ比(トランス女性が性犯罪を犯し有罪判決を受けるオッズを男性のオッズで割ったもの)を計算すればよい。