はてなキーワード: 食卓とは
親世代の人が「10代の子供の胃袋は怪物」などと爆食レポートをあげているけど
ふと自身の体験を振り返っても、自分の記憶の中で大量に食べていたってのが殆ど無いことに気づいた
ご飯2人前を食べるとか1時間もすればお腹が空くとか、そういうものが見当たらない
運動部に入っていたからそれなりに体力使っていたはずなのに、なんでだろう
果物はよく食べていたけどそれ以外に何をどれだけ食べていたかというものが抜け落ちている
よく考えると自分の食生活は外食中心で家の中で母親が作ってくれたことがあまりないことに思い当たった
だから場所は覚えているけど食べたものに特別な思い出がないんだろう
家庭の味というものがなく、楽しい食卓を囲むことがないとこうなるのか
それにしたって外食の思い出があるはずなんだがな
むかーし学校で鑑賞させられた映画で、母胎でのサリドマイド摂取による結果の障害で産まれつき難聴の女性が伴侶を得たが作った家庭は低所得で食卓にあがってた御飯茶碗には米飯の代わりに千切りキャベツが盛ってあり…てのを何かの拍子に未だに思い出す。
2013年に初山別店を開業し、住民からは「歩いて買い物に行けるのは、すごく助かる」という声があちこちから聞かれた。セコマができる以前は、多くの住民が村の若者に車を出してもらい、週に一回ほど隣町に買い物に行っていたという。遠慮をしつつ送迎してもらっていたため、歩いてこれるのはいいねという声が多く寄せられたのだ。
また、「暗くなると“人っ子一人いない”村だったのに、セコマができてから村全体が明るくなった」と、便利さだけでなく、村全体の雰囲気も変化したという評価が多く聞かれたという。
初山別店では、日常の食卓に並ぶ野菜や精肉、豆腐や納豆などの食品が非常によく売れる。“ミニスーパー”のような使われ方をされるため、通常店舗よりも肉・野菜類の売り場は大きく設けている。その他、丸谷会長が驚いたのは「アイス」が爆売れしたことだ。
「お客さまに話を聞くと、今までは車で時間をかけて買い物に行っていたため、アイスを購入することができていなかったというのです。『アイスが買いたかったのよ』『ずっと食べたかったけれど我慢していたの』と、毎日アイスが買えることを大変喜んでいただきました。食品類に次ぐ売れ筋商品です」(丸谷会長)
これ見てちょっと疑問だったんだけど、
クーラーボックスに保冷剤入れまくって買えばいいじゃんと思うのだが、
ってことでいいのん?
症状って、肥満以外で?
尿に糖が出てる時点で尿から甘い匂いがしたりもするんだけど、自覚症状が出るレベルだと手足の指の壊死、目が見えなくなる、とかですかね……。
あと腎不全(からの透析)もあるけど、こっちも自覚症状はそんなにないらしい。
あとは動悸息切れ疲れが取れない的なやつ。
まー正直知ってる範囲の人間で糖尿になるレベルの奴は炭水化物の制限とか無理でした。自分で使えるお金と出かけられる自由があれば外ですぐ買い食いしてしまう(大抵家族に目撃されている)(そのたまたまの1回を目撃してしまう訳ではなく、いつ目撃しても大抵買い食いをしているという頻度)(本人に合わせて周りも炭水化物少なめに、それでも美味しく健康的な食卓を、とかやってるとバカバカしさで昇天する)
という訳で本人が思い直さないことにはどうしようもないので、そいつがいつ死んでもいいように葬式と相続の準備進めとけ。
なお本人に伝わる方が良い。
正当な読者は気付きつつあることだが、主人公ルフィの「夢の果て」(海賊王になった先にあるゴール)は「世界中のみんなと宴をする」ことだと思われる。
理由は多くあるが、戦いの後に都度宴をすること、腹いっぱい食べられることがルフィの幸せの条件であること、海賊への憧れの原点が「冒険・自由・宴」であること、夢の果てを知るエースの大技名「大炎戒(だいえんかい)・炎帝」、元四皇ビッグマムの夢「世界中の人種が同じ目線で食卓を囲む」(ただし解釈違い)の実現であること、作者がインタビューで最後は宴であると明言していること、など。
そうすると、ワンピース(ひとつなぎの大秘宝)の正体は、それに関連するものではないか。少なくとも最後の島ラフテルにあって、海賊王ロジャーが大笑いしたジョイボーイのメッセージとは、ルフィの夢の果て=ロジャーが口にした言葉と同じ「世界中のみんなと宴をする計画」だったのではないか。
とすると、ワンピースの正体は、空白の百年最後にジョイボーイが振る舞おうとした最高の酒「ビンクスの酒」かもしれない。そして、空白の百年に滅んだ巨大な王国の名前こそ「ビンクス」だった…というオチ。
作中歌「ビンクスの酒」は、ジョイボーイが世界中に最高の酒を届けるという、果たされなかった約束を伝える詩ということになる。
後から思い出したけど、レストランで椅子の背もたれに服やバッグをかけるのはマナー違反。
それに気づいたから、給仕係が無茶苦茶乱暴にそれを回収している。
そしてヤニ切れでトイレにこもったあたりで完全にばれてお前は何者だと問い詰められる。
本来は心中予定のカップルか何かをあてがう予定だったんだろうと思う。
細心の注意を払って用意した素材に不純物が混じってシェフはさあ大変。
料理に対して誠実に向き合わないクソ客ばかりのなかで、マーゴは割と直感で気づいたんじゃないかな。
前菜からしておのぼりさんのような料理で、これは客をバカにしていると。
一方のタイラーは料理に対しては執心しているけれど、それを提供する人、食卓を囲む人については関心を持たない。
努力しても報われないクソ。
何もかもがクソ。
ただ、田舎のダイナーの親父としてハンバーガーを焼いていれば、本当に料理を必要とし感謝してくれる人と幸せに生きられたのでは
というのもシェフの妄想で、下層にいるマーゴにとってはやはりそれもクソだと言いたげな表情。
入学後すぐにできた友人に「ラーメン食べ行こ」と誘われてノコノコついて行ったら、そこは味噌ラーメンの店だった。
私は普通のラーメンを食べるつもりだったが食券機には味噌ラーメンと醤油ラーメンの記載しかなかったため、どれが普通のラーメンなのか友人に尋ねたところ「ここは味噌ラーメンがおすすめだよ。でもあっさりめな醤油も選べるよ」と的外れな答えを受けた。
改めて、味噌でも醤油でもなく普通の豚骨ラーメンはないのかと問うと「ここは味噌と醤油だけだよ」との回答が返ってきた。
ふーん珍しいタイプの店なんだなと思いながら、言われるがまま友人におすすめされた味噌ラーメンを購入した。
席につき、運ばれてきた味噌ラーメンを食べながら、「ラーメンの口だったけど、味噌ラーメンってのもたまには美味しいね。東京には色んな店があるんだね」的なスタンスで友人と会話していたが、妙に話が噛み合わなかった。
その後、色んな人とラーメン屋に行くたびに自分と周囲の「ラーメン」に対する認識の違いをうすうす感じるようになった。
近所にラーメン屋はいくつもあるが、全て豚骨ラーメンの店だった。選べるメニューは【ラーメン・トッピング・サイドメニュー・ドリンク】のみ。
そして、どの店も「うちは豚骨ラーメンの店です」と言っていない。スープが豚骨であることが当たり前すぎて、明記されていないのだ。まあ、明記されていたかもしれないが、それを気にする機会もなかった。
自宅で食べるインスタント麺も、ほとんど毎回うまかっちゃん。たまにカップの焼豚ラーメン。
私は福岡で育った18年間、「ラーメン」とは豚骨スープの麺のことを指すものだと思って生きてきた。
もちろん味噌ラーメンや醤油ラーメンがあることも知ってはいたが、それはラーメン界の亜種のようなポジションのものだと認識していた。
そのため「ラーメン食べ行こ」と言われて味噌ラーメンの店に連れていかれるのは、「今夜はカレーよ」と言われて食卓にスープカレーが出てくるようなちょっとした衝撃と違和感があった。
その後、大学生活を送る中で徐々に答え合わせをしていき自分の固定観念にようやく気づいた頃には時すでに遅し、私は「東京のラーメンを認めない、小うるさい福岡県民」と思われるようになっていた。
そんなつもりなかったのに。
狭い世界での当たり前をこの世の常識だと思い込んだまま長く生きると、自分の世界の外の常識に気づくのはすごく難しいんだということをこの時に学んだ。
今も、私が好きなのはずっと一途に豚骨ラーメン。でも、味噌ラーメンや醤油ラーメン、塩ラーメンに鶏白湯ラーメン、色んな味のラーメンがあること、そして豚骨ラーメンだけがラーメンではないことをきちんと理解して生きている。