はてなキーワード: 障碍者とは
私のいる会社は、営業が皆一人につき一人くらい、「常人の10倍くらい人を消耗させるおじさん」を客として抱えている。
おじさんたちの共通項として
●団塊世代
●異常にものわかりが悪い。幼児に噛み含めるようになんどもなんども説明してあげないと理解しない。やっと理解しても数日後には忘れている。
●他人の時間を奪うことになんの罪悪感も感じていない。どうでもいいことでいちいち電話してきて長々と話す。打ち合わせて取り決めた事項をガンガン蒸し返して覆す。
●それなりに高い地位におり(いた)、経済的に不自由もない。大学教授、大企業役職者orOB、中小企業経営者.etc
●消耗させてくるが悪気がない。無邪気で性格的には悪人ではない。
上記、うちの営業の人たちと話すと、皆が皆本当に完全一致していて興味深い。また、50代以下でこういう人は見たことも聞いたこともない。
団塊以上の一部の人間の特性なのである。何か思考回路が今の人間と違って、日本のかつての一時期、こういうおじさんが最も活躍できたような時代があったんだろうな、と思う。
でも今この人たちが若い世代を異常に消耗させていることを考えると、あと20年くらいたってこの世代があらかた消えてくれれば、割と社会はラクになるんじゃないかなあ。
俺は正しいと思うのか? と聞いている。しかしお前は答えない。
そもそも俺は工芸と技術論は違うから比べる意味はない、と述べている。しかしお前は「一緒にするな低能」と書いた。
障碍者を連想したのは宮崎であり、俺ともお前とも関係ない。ヘラヘラ笑ったように見えたのはお前の主観。気持ち悪いと言ったのは宮崎。そして俺は禁止でもすれば正しいのか? と尋ねた。
そういう話が全部ごちゃまぜなんだよ、お前は。
どこが食い違っていて、それぞれに何を言っているかよーーーく理解して、整理してからもう一度書いてみろ。
会話する価値があると思ったら返事してやるよww
www 頭悪過ぎ。じゃあ俺がこのページの画像で障碍者を連想するから全部禁止にしろ! って言ったら正しいと思うのか?
http://makers-with-myson.blog.so-net.ne.jp/2013-11-09
http://blogs.yahoo.co.jp/satoshi860405/19557802.html
少しはモノを考えような? www
これってすっごく今流行りのPC関連な話だけど、2chはもとよりはてブでも宮崎氏の発言を白々しいものとして捉えている人が結構な数でいるので、自分なりに補足してみたい。
パラリンピックなんかで活躍するような、四肢が欠損した人物だろうか?
あるいは、24時間テレビなんかで見かける知的障碍の子供だろうか?
ひと口に障碍者と言っても、その病状、症状は様々だ。
例えば、脳に障害を負ったとする。後天的なもので多いのは、やはり脳梗塞。いわゆる脳の血管が詰まることで起こるそれは、急性期においては命に係わる危険なものだ。また、一命をとりとめたとしても、後遺症として深刻な障害を負うことは避けがたい。左の脳に梗塞ができた場合、右側の身体に後遺症が出る。四肢の麻痺やあるいは半身麻痺、言語障害となる場合も多い。
麻痺とは自分の意志で体が動かせない状態のことだ。それとは逆のパターンで、不随運動と呼ばれるものもある。自分の意志とは関係なく、体が動きコントロールできない状態のことだ。パーキンソン病の主な症状のひとつ安静時振戦などがそう。震えのような症状から手足をくねらすような動きまである。
こういったことを念頭に置いて、川上氏の提出したCGを観たとしよう。その動きはどんぴしゃであの障碍者の動きだ! というものではないが、四肢の奇抜な活用の仕方は、身体のコントロールがきかないそうういった方々を容易くイメージできるものだと言える。
おそらく宮崎氏もそういった連想により障碍者の友人に思い当たったのだろう。故に川上氏の「気持ち悪い動き」を面白がる態度を強く批判した。
要は、かなり平たく状況を述べるなら、駅で見かけた変な動きの人(あえてこう書かせていただく)を見て面白がる無邪気な小学生を怖そうなおっさんがゴラァ! とした、とでも言おうか。
……表題としてはこれで以上ではあるが、ポリティカル・コレクトネスを考えるうえで、個人的に気になることを書く。
今回の件は確かに川上氏の態度に嫌悪感を抱いたし、宮崎氏はそこを鋭く突いたなと感じている。
が、同時に川上氏に対して「他人の痛みが理解できていない」といった批判はできんなーとは感じている。
といのも今回は、自分がたまたまそういった障害を持った方を知っていたからにすぎないからだ。
こういった配慮を想像力だけで補うのは不可能だろうとは感じている。要は知識の問題で、それ故に川上氏を無邪気な小学生と例えたわけだ。
これが企業ならそういった豊富な知識を買うことができるんだろうけど、個人レベルにおいては難しいよなあと、2chやはてブの反応を見て思った次第。
結局のところ、「知らないものは配慮しようがない」といった話になってしまうが、そう考えたときにアイスバケツ・チャレンジのようなムーブメントほ重要なのかもなと思うが……(どんどんと取り留めなくなってきそうなので終わる)
障碍者を子に持つ親がその成長過程や生活が「楽しい」と感じるのは異常に分類されるのか?
まがいなりにもドワンゴのおっさんが産み落とした不完全な行動体を
「みてくださいうちの子を。不完全で異常ですが可能性を感じます」と自慢しにきたら
気持ち悪いと いかにどれだけ気持ち悪いか渾身の事実事例というこん棒でぶん殴ったパヤオはなにか価値があるのかね
障碍者のようなうごきをするとしたら そのデータをもとに人間社会に適応できる動作補助構造を構想するための材料につかえるとか言えるだろ
http://www.goodbyebluethursday.com/entry/Miyazaki_Hayao
ドワンゴ川上氏への「極めて不愉快」発言は宮崎駿氏が圧倒的におかしい - さようなら、憂鬱な木曜日
毎朝会う身体障碍者の話は、本筋からズレてて宮崎駿はおかしいと思っていたけど、
何がおかしいのかまで考えが至らなかったから仕方なく出したんだ。
クリエーターならではのセンスというか、とにかくおじさんは本筋を伝える必要がないほどに怒っていますよーって。
まずちゃんと見てくれただけでも期待値は高かったと思う。
いいアイデアなら取り入れて、自分でもっといいものを作ろうという一社員からの社内へのご提案だと思っていたんじゃないか。
ところが川上は「こんなのできまっせ!気持ち悪いでしょ?ね?ね?」の承認欲求を満たしたいがだけのわがままだった。
宮崎からしてみれば「そんなものを聞きにきたんじゃねーよ。勝手にやれよ。」だろ?それに障碍者の発言はいらないんだが。
もしこれが川上の仕事なら、宮崎は宮崎自身に聞かないで勝手にやって欲しかったのだと思う。
そうでもしなければ、自分の息がかかるだけで勝手にメディアが騒ぎ立てる。
騒ぎ立てた挙句、川上量生というクリエイターがクリエイターとして死んでしまう危惧があった。
「宮崎に見せずに、自分でやりなさい。宮崎に見せるなら宮崎に対する提案なんだから、宮崎の気にいるものにしなさい。そのくらいこと川上ほどの人なら分かるはずだよ?」
って自分の仕事を侮辱されたわけじゃなくて、上司からの戒めだと思う。
「チームワークなんだからやり方やカルチャーは合わせなきゃ、それができないなら実力は我々も認めているから、1人でやればいいじゃん。」
ドワンゴ川上「そうか、このCGはゾンビゲームよりも障碍者モデルに使えるな。次は東京パラリンピックのイベントで使えないかプレゼンしよう」とか考えてそう
ここを勘違いしている人が多い気がする。
川上が「この動きが気持ち悪いんで」「人間が想像できない気持ち悪い動き」とプレゼンしているからか、気持ち悪いという言葉が印象的な動画だった。しかし、宮崎駿がこういった「気持ち悪い」という感覚を川上と共有しているとは思えない。
「そんなに気持ち悪いものをやりたいなら勝手にやってればいい」という宮崎駿の発言があったが、これは川上の度重なる「気持ち悪い」発言を踏まえたもので、「気持ち悪い(と川上が思っている)ものを~」ということになるだろう。
「不愉快だ」と評したのは、川上がこのCGについて「気持ち悪い」を連発しながらプレゼンしたからであって、CGそのものだけに不愉快だと思っているわけではないはずだ。
おそらくあの下手糞なプレゼンがなかったら宮崎駿もあそこまで怒らなかったのではないかと思う。
それは単純に、障害者の友人と毎朝触れ合ってきた経験があったからだ。
「気持ち悪い」と川上が言いながら紹介したものに対して、宮崎駿は純粋に毎朝触れ合ってきた友人を思い出した。
これは宮崎駿がCGを「気持ち悪い」と思っていないからだ。普段から身体障碍者の友人と心を通わせてきたから「気持ち悪い」と思わずに単純に彼のことを思い出した。
川上のような人間に「気持ち悪い」といわれるような動きでも、彼らは生命で必死に体を動かしながら生きている。生命は誰だってみんなそうして必死に生きている。
宮崎駿はそうしたことをずっと意識しながら映画を作っていたはずだ。そんな彼にとって、今回の件は許せなかったのだろう。
もちろん、川上に障害者を差別する意図はなかっただろう。彼は知らなかった。それだけだ。
誰にでもそういうことはあり得る。だから、今回宮崎駿に真剣に怒られたのは彼にとってよかったのだと思う。
むしろ、宮崎駿が何故障害者の話を出すのだ!と言っている人の方が無意識的に障害者を差別しているのではないか?
大人になってもノスタルジーにはひたれるけど純粋には楽しめない
明らかに若い人向けの作品には本能的に寄り付かない習慣がついていた。
そのような事が勿体ないと思い
感性を若く保つ、言わば感性のアンチエイジングの方法を模索してみたが
大体、歳とって何時までも気持ちが若いということは一歩間違えれば白痴だ。
歳を取っても若者や少年少女の感性に訴えかけているクリエイターは居る。
そしてそれは職能で特殊能力で天に与えられし才能なんだ、と思っていた。
そんな事を日々薄ぼんやりと考えつつネットサーフィンをしているところで
なーんて思ったが少し考えてみると件は
よく"読者(視聴者)の気持ちで考えろ"とか"読者の目線"とかいう言葉があるが
身体障碍者の視点で物事を視ようとする習慣をもっているという事実がそこにある。
実際その視点が良いとか悪いとかは置いておいて
すさまじいなと思う次第だ。
もう完全に脱・人間の流れが出来ちゃったよね。そのうち一部の人間はロボットになるよ。本当に凄い時代に生まれたもんだ。
どこから話せば良いのか皆目解らないが、まずは生命の進化を考えるのが良いかもしれない。海で産まれた生命体が、陸に上がり、空を舞い、今や宇宙に飛び出している。生命は、時間と共に複雑化して、機能が向上して、時空間的に拡散していくシステムの一部なのだ。拡散して環境が変わる過程で、生命体は、その構造を大きく変えてきた。例えば、海から陸に上がった爬虫類は、魚から見れば驚異のシステムだろう。いま、人間は生命を産んだ地球から飛び出そうとしている。果たして、人間とロボット、どちらが宇宙で暮らすのに適切な形態だろうか。
現状の世界の構造は、原子・分子→《DNA》→細胞→《神経》→脳→《言語》→テクノロジー→《プログラミング》→AI、という多層になっている。基本的には、どんどん繋がって複雑になり階層性と知性が上がっていくシステムだ。知性が高いほど、認識出来る時空間スケールが幅広くなる。最近は重力波とか認識できるようになったので、昔より知性が上がってます。また、知性が高いものは低いものを認識できるが、その逆は難しい。人間は蟻を認識出来るけれどその逆は…。だから知性の高い宇宙人がいても、人間にはわからない。
次のAI・ロボットという階層の出現に備えて、その下にいる人間を含むテクノロジーの階層の調整が始まっている。おそらく昔は周期表以上の原子がいただろうし、もっと複雑な生体分子やDNAもあったはずだ。でも、次の階層の出現と共に淘汰されて消えていったに違いない。新しい階層が出現するときは爆発的・指数的で、一気に多種多様な形式が現れて淘汰されて落ち着く。ビッグバン、カンブリア大爆発などがそうだったし、いまの100億に迫る人間も爆発の1つ。AIに関して言えば、データ量が爆発している。問題は、次の爆発が起こる間隔も指数関数的に縮まっていて、もはや人間の認識出来る時空間スケールを超えてしまうであろうことだ。カーツワイルのいう特異点はすぐそこにある。
人間について言えば、生命体としての進化を諦めている、というか退化している。体を強化せずに、服を着て温調の効いた家で暮らしている。頭を強化せずに、計算機に頼っている。消化の過程も、料理をすることで一部外注している。最近は、体外受精なんて始めちゃってる。体毛は薄くなり、頭はバカになり、親不知が生えなくなり、SEXができなくなった。全部、生命体としての退化に相当する。次の階層が出現するのに備えているのかもしれない。
進化の過程で環境を変えた生命体は、望んでそうした訳ではない。最初に行くのはは冒険者だが、後に行くのは追い出された者達だ。海での生存競争に敗れた者が、陸に登った。陸での生存競争に敗れた者が、空を舞った。そのうち、追い出された者達が宇宙に進出するだろう。新しい環境は地獄だ。だからほとんど生き残れない。ただ、幸運にも生き残った者達は大幅な進化を遂げて、見返すだろう。人間だって、アフリカの森から追い出されたし、アメリカ人だって、ヨーロッパから追い出された人々だ。日本でも、漫画家やオタクがいまの文化を創っている。おそらく今後の社会は、いまは受け入れられない障碍者やLGBTの人達が変えていく可能性がある。AIやロボットと相性が良いので。
あくまで法思想界隈の考えですが、人間に自由意思があるかどうかという議論はひとまず置いておくとして、
自由意思があるということにしないと有効な契約が結べないので、人間には自由意思がある「ということ」にしよう、というのが通念的な考え方です。
でも、すべてが自由意思で片付けられちゃうと社会に混乱が生じるので、未成年や知的障碍者、詐欺の被害者なんかは一定の救済措置をしておこう、という感じ。
AV強要問題に関してはまさにグレーゾーンで、契約としては明らかに有効だけど、「強迫下における意思表示」の概念を適用して救済しようかどうしようかってところかな。
>この漫画は、一言で言ってしまえば、障碍者と前科者が社会に居場所を見つけるまでに直面する、人と人が分かり合うことの難しさ、尊さを描いた物語である。
違う。
尊さなんて書いてない。
0点。
「変れ、変わろうとしろ。変れなくても変わろうとすることこそが大切だ。」
映画もやっているし、知っている人は多いと思うが意外に読んでいない人がいる。
なんでも、集団いじめをテーマにしてる漫画と聞いて、重いと思ってしまうらしい。
なんてことだ!!こんな面白い漫画を読まないなんてもったいない!!!
というわけで、ネタバレを極力避けつつ、読んでみようかなと思わせるレビューを書くことにした。
この漫画は、一言で言ってしまえば、障碍者と前科者が社会に居場所を見つけるまでに直面する、人と人が分かり合うことの難しさ、尊さを描いた物語である。
硝子は聴覚に障害のある少女で、障害ゆえスムーズなクラス運営を妨害してしまう彼女は、転校を繰り返すがどこに行っても疎まれいじめらる。
将也の学校でも同じように疎まれ、将也を中心にいじめられるようになる。
将也のいじめは後にクラスで問題になり、逆に彼がクラスの集団いじめの標的になる。
このようにして、自分の犯した罪の重さを知った将也は、高校生になって硝子に謝りに行く。
将也が過去の罪を償うべく、硝子やその周囲で奔走することで物語が動いていく。
それを重く感じる人もいるだろうが、むしろ子供のころいじめられがちだった人こそ、この漫画を読むべきだと思う。
いじめや障害といった要素は主題ではなく、この漫画の本当のテーマは人と人が分かり合うこと、「聲(こえ)の形」なのだから。
手話は声を目に見える形で伝えてくれる。
しかし、それだけでなく、この漫画には本当に様々な「聲の形」が描かれている。
気を付けなければ見落としてしまうような、表情、しぐさ、間、すべてが「聲の形」である。
だから読み込むことで、「この人はこういう時、こんな顔をする」というのが分かってくる。
声が伝わってくるようになる。
誰が何を伝えきれず、見落とし、どうすれ違って、最後にどう和解するかが分かってくる。
優しいというのは、人の持つ人格を、その人はそういう人なんだと受け入れることである。
好き嫌いは別として。
強いというのは、人に向けた好意は、必ず好意と伝わると信じることである。
好意を返してくれるかに関わらず。
彼らが小学生の頃、誰も優しくもなければ強くもなかった。
本当なら、優しさや強さを教える立場の教師達も、それができなかった。
皆が傷ついた。
高校生になり大人になりつつある彼らは、やはり不器用に傷つけあいながらも、本当の優しさと強さを手に入れていく。
人は不幸にも、人生のどこかで人を信じないことを覚えてしまう。
人と真剣に向き合っても損をするだけ、表面上だけ合わせてやり過ごすことを覚えてしまう。
自分も人を信じて、向き合ってみようか?
また裏切られるのかもしれないけれど。
でも、その時が来るまでは優しさにあふれた世界を信じてみよう。
それが、自分を良い方向に連れて行ってくれる。
これは、そんな気分にさせてくれる物語。
さあ、読もう。
ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!西宮!西宮!西宮!天使!天使!天使!かわいいよ西宮!西宮かわいいよ!!!!!1話目の隙を見て逃げ出そうとしてる唇とがらせた顔がかわいいよおおおお!!!!母親が投げ捨てた筆談ノート取ろうとして、勢い余って川に落ちるときの絶望の表情がかわいいいよおおおおお!!!!いじめられてにへらっとしてる表情がかわいいよおおおおおお!!!!!!!進路をどうするか聞かれて、うんうん頷きながらどや顔してるのかわいいよおおおおお!!!!!!!!!ショーちゃんのおててをしゃぶしゃぶしたいよおおおおお!!!!!ショーちゃんの感情表現の手段、大事な大事なお指をなめ回したいよおおおお!!!!!そしたら舌ったらずな声で「い、いあ……」とか言ってくれるのかなあ!!!!!泣きそうな顔で「りゃ、りゃえて……」とか言うのかなあ!!!!!涎でぬめぬめでろでろになったおてて、これも聲の形だよね!ショーちゃん!!!!!
そしたらいいタイミングで通りかかった将也にぶん殴られるのかな!!!!「西宮ッ!!!大丈夫か!?」とか言いながらさりげなく肩とかに手を置いてなぐさめてあげたりするのかな!!!そして次の日に「昨日は殴っちゃってごめんな。お前はお前なりに考えがあったのかもしれないのにな」なんてメールを送ってきてくれたりするのかな!!!!!ごめんね!!!!世の中にはそんなに深く考えこまなくてもいい事があるんだよ!!!!!!
でもやっぱり植野が一番かわいい!!!鬼のような形相で西宮の髪ひっぱる姿がかわいいよ!!!!ちょっとした小動物なら心臓発作で殺せそうな顔面で永束君罵ってるところかわいすぎるよおおお!!!!!罵って!!!もっと罵って!!!!そして恐怖のあまり失禁したい!!!!失禁する姿を底冷えするような冷たい蔑みの目で見られたいよおおお!!!!!!!そのくせ一途に将也を想ってる所がかわいすぎるよおおお!!!!走る時の「したたたたた」って効果音がかわいすぎるよおおおお!!!!!走れ!君はどこまでも行ける!!!!
永束君ぼっちなの納得いかなくね!?オタク友達それなりにできるでしょ!こういうタイプ!佐原さん強い子!川井は、こいつだけは好きになれない。真柴君ほんと蚊帳の外!ザ傍観者視点!
島田ってもう将也と仲直りしてるよね!?あとはきっかけだけだよね!?遊園地で再会した時の「ふっ」って笑顔、1話目で母親と将也がじゃれてるの見て笑ってる顔と同じじゃん!なんかもう、途中から引っ込みがつかなくなってたの気にしてたんだよね!「ずっと気にしてたけど、なーんだ、楽しそうにやってるじゃん」って顔だよね!あれ!
勢い余って告白しちゃう西宮かわいいよおおお!!!結絃の何気ない「石田彼女つれてたぜ」って嘘ずっと気にしてたんだね!!!そんで植野のこと彼女だと勘違いしたんだよね!!!「やっぱり普通にしゃべれる女の子がいいのかなぁ」なんて悩んでたりしたのかな!!!かわいいな!!!!
西宮と再会するとこの植野も最高にかわいいよね!!!!西宮の補聴器取って「ぶん投げて遊ぶ?」って言ったとこ、すごいグロテスクだったよ!!!子供の残酷さって本当に怖いね!!!!トンボの羽をむしって遊ぶのと同列に、西宮のこと見てたってことだよね!!!怖すぎるよ!!!!だけどそれが幼心というもの!!それに気づかせてくれてありがとう!!!!人に共感する能力って、年を重ねながら学習する能力なんだね!!!
自分が何もしないでいるうちに、将也と西宮が手話で会話する仲になっているのを知った時の泣き笑いたまらないよお!!!完・全・敗・北!!!って感じだよね!!!笑いながら泣くしかないよね!!!成人式に婚約指輪もらったフリまでして将也の気を引きたいのに、まったく裏のない笑顔で祝福されちゃうのもかわいいよ!!!!
植野、容赦なく人の事ぶん殴るくせにいい子だよね!!!人に敵意や悪意を見せるより、曖昧に笑顔で流しちゃうのが楽だし傷つかないし、大人の対応だよね!!!だけどあえて、そうしないのは、心の底で人の善性を信じているからだよね!!!嫌いな奴だから、社会から抹殺してやろうとか、陥れようなんて考えないって、信じているんだね!!!
佐原、芯が強い子だよね!!!植野が西宮殴りまくってる時の罵り合いのさなかで「友達だよ!」って叫べるのすごいよ!!!植野と西宮母、拳で語り合いすぎでしょ!?平手打ちもコミュニケーション!これも聲の形!!!男前!!!!好きすぎる!!!!
でも一番好きなのは竹内先生と将也が再会するところ!大人にとって自分の間違いを認めるのは、難しいこと!!!ハズレを引いた、自分の責任ではなかった、それでも自分は反省している善良な人間、そう思って、それで終わりにしたいよね!!手話をマスターして、それで償いになったって思いこみたいよね!!!そこにかつての教え子がやってきて、過去の罪をまるっと認めて、そして向き合ってる姿を見せられたら、そりゃ認めるしかないよね!!!かつての教え子に、逆に教えられる!最後に「立派になったじゃないか」って言うところ、将也達は廊下に出てるんだから、慌てて職員室の入り口まで追いかけてきて言ってるんだよな!!!最高すぎる!!!!
最高と言えば成人式の同窓会に西宮と手をつないで入っていく将也ほんといいよね!!!かつて取れなかった手を取って歩いていく姿!!!最後に度胸試しした橋で西宮と会うようになる展開も最高だし!!学園祭の見開きで顔から×取れるシーンも最高だし!!小学生のころの度胸試しとか広瀬のなにげない一言を後々生かすのも最高すぎるし!!!永束君の映画酷評してる審査員、お前もチャップリンみたいな髭生やしてね!?!?!?島田バイトばっかりして、もしかして留学資金自分で貯めてるし!!!西宮視線でみんなが変な声でしゃべる世界の回想も最高の感涙だし!!!そっか、西宮が生きてる世界って、こういう風に見えてるんだって、感涙だし!!!将也が目覚めてから橋で奇跡的に再開する時に、じっと将也の顔を見る西宮かわいすぎるし!!!将也と西宮がいつも二人して同じこと考えてるの最高だし!!!将也と植野は似てるようで似てないし!!!もしかしたらもしかして、西宮と将也の物語が、植野次第で将也と植野の物語になってたかもしれないのも最高の最高の最高だし!!!!!とにかく最高な漫画だった!!!
どうでもいい話ですが、なんか書いてすっきりするためだけの自己満足増田なのです。
妻と結婚する前に、最後につきあってた彼女は、自分基準では本物の理想の人でした。
知り合って、お互いを知って、徐々に好きになっていくというのではなく
理想としてイメージしていた人が、突然目の前に現れたという感じで。
理想の人が、本当に実在するなんて夢にも思っていなかったし、そんな人がまさか自分の彼女になるなんて夢のまた夢でした。
東京の街で、何万人とすれ違う今でも、そしてどんなきれいなタレントでも自分にとって彼女を超える理想の人はこの先の人生でいないと断言できます。
追記:どういう意味で理想だったのか?というのがあったのですが、なんか書いてしまうと陳腐になりそうで書いてませんでしたが一応書いておきます。
いろんな要素があるので一言で言うのは難しいのですが、もちろん容姿も100点です。ただ、それだけではなくて、普通の女の子にはない、ちょっと常識外くらい合理的に自分らしく生きている人、危なっかしいくらいの自由奔放さ。人を好きになるということの価値観、これまで歩んできた人生、などなど、ちょっと言い表すのが難しそうです。
ある日、そんな彼女と、ちょっとした偶然も重なりまさか、まさか付き合うことになってしまいました。
ただ、1点、彼女には若干ヒステリックな面とちょっとした暗黒面(障碍者への嫌悪)がありました。
そんなに好きなのだから、なんでもハイハイ受け入れて聞いていればよかったのですが
今後も対等に付き合っていくためには、こちらもしっかり反論しないと長く関係を築けないだろうと思い
折れてしまってもいいことに、あえて対等に反論するようにしていました(内心フラレるのではないかとびくびくしながらも平静を装って)。
結果、毎日のようにヒステリック攻撃を受けていたのですが、仲が良い時ももちろん有り、つきあう分には全然耐えることができていました。
友人の家で10人くらいで集った会で、今妻と知り合いました。天真爛漫できれいな人だとは思いましたが、なにせ理想の人とつきあっているので、全然興味がその時はありませんでした。
しかし、その会の翌月くらいから今妻の猛アプローチが始まりました。
直接的に好きだとか言ってくるわけではないので普通にメッセージのやり取りはしつつも流していたのですが
ビンビンに気持ちが伝わる感じで、それでいてきれいな心の人だというのが伝わってきました。
30中盤にさしかかり結婚を意識し始めた自分は、つきあうとか、そういうことだけではなく、本気で自分の人生を冷静になって考えようと思いました。
そしてこんなことを考え始めました。
10年後、その先も隣で笑顔でいてくれるのはどっちなのだろうか。どっちがイメージできるのか。
結局、自分は結婚後の平穏を望んでいることに気付いてしまいました。
そこで断腸の想いで理想の人と別ることを決心し、今妻とつきあい、そしてその1年後に結婚しました。
今でもこんなことを思い出して書いていることに、今妻への罪悪感はありますが。
二度とその理想の人と会うことも連絡を取ることもないでしょう。
理想の人に会えたことで、もうこれ以上がないというところを知ってしまったからです。
つきあうのと、結婚するのは何が違うのか。ずっとよくわからなかったのですが、今ならそれがわかった気がします。
この先の人生をイメージできるかどうか。なのだろうと思いました。
理想の人と結婚できるなんて、幸せなこと。というのは、その理想像が人によって違うから一概には言えませんが
なんかこうやって書いてみると、つまらない、はいはいだからって感じの記事ですね。それが書けるから書いているのだと思いますが。