はてなキーワード: 老後の楽しみとは
一応IT系で食いっぱぐれることは無かったから今までなんとか凌いできたんだけど
心にゆとりが生まれたので週末は老後の楽しみにしようと積んであったガンプラを作ったりして過ごしていたんだけど(老眼が辛いけど)
運良く良縁を探しているという女性を知り合いの方に紹介してもらうことになってお相手の釣書をもらった。
お相手のスペックは東京大学を大学院まで進学した地方公務員の40歳、両親同居の実家暮らしだった。
自分はもうおっさん過ぎて好みをいう立場では無いので会ってくれるだけでも全然ありがたいのは判っているけど
東京大学に入るくらいの努力をする方は勉強時間が膨大でその他の生活のサポートは親に頼る学生時代を送っていると思われるので家事一切が出来なそうだなとか
こちらは四流私大卒でやっと今年になって正社員になれたくらいだから年収は微々たるものだし生涯賃金も低いから
せっかく東京大学にまで入れた箱入り娘を聞いたこともない様な大学卒の男にやれるものか等という相手の親御さんの反対する姿が目に浮かぶ。
一応自分も身上書を書いて知り合いに渡したんだけど、その後二週間連絡がないので今回はまぁ縁が無かったということで。
親は団塊世代で当時は給料も右肩上がりの時代で、それなりの中流家庭だったと思う。
兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。
自分は最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。
毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内へテストを受けに行き、自分は純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。
そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。
具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。
兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。
自分と兄はひとつ屋根の下に暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、
自分は中学高校(御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。
ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。
だから、自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。
別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。
道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。
学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。
学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。
犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察をバカにし、遵法精神などまるでなかった)、
それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。
兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期に問題があったのかもしれない。
だがだからといって兄の行為が正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。
私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。
(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。
そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)
そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。
親はどこでもいいから大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。
ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。
音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。
自分が高校を卒業し大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。
そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。
Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。
しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。
何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。
フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しかも結婚も確定しないうちに買って与えた。
呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。
『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しかし自分は国立大で、学費をトータルしてもマンション費用の20%にもならないのだが)。
兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。
そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落な生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。
(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかとしか思えなかった)
この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。
自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大にしろ』と。
親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。
しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。
通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金とバイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。
親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。
根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しでろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。
自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。
グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。
家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。
しかし兄は正真正銘のクズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。
(余談だが、なかにし礼氏の小説の再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。
なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。
何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)
Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落な生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。
自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。
この頃から、自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。
やがて自分は大学を卒業して、氷河期の中なんとか上場企業に就職を決めた。
希望の会社からは内定が出ず、文系でプログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。
親の反応は『とりあえず上場企業だから、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。
同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社で営業として働きはじめた。
兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっときは小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。
その外車がポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。
乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文にしかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。
(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)
マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。
そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分はほとんど知らない。
その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。
結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分が愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。
兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通の人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。
営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人のリフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。
あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。
そしてまた、マンションで自堕落な生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。
自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。
『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。
しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。
『そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。
そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?
『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転したか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』
そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。
自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪の比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。
自分と同じ親のもとで、恵まれた環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。
兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。
そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分を特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。
自分の大学時代、兄は親が与えたマンションでゆうゆうと一人暮らしして、自分は仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。
就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手に暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。
その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。
家庭のことや仕事のことなど色々あり、結局自分は新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。
兄は親が見つけてきた非正規パートの仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。
だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。
最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。
もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。
自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。
そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンションで暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。
Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。
しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事も軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。
(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)
兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろとしか思っていない。
残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。
きょうだいは他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。
だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。
もう親も老い、自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供を平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、
自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたかを理解し、悪かったと謝ってほしい。
だが、過去に喧嘩した時の経験から、親は絶対に自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。
『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対に絶対に自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。
自分は自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。
なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分だけが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。
これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。
本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。
ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたものは自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。
男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男の役割も果たさねばならないのだろう。
兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。
母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。
子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。
そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。
『精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。
50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。
そもそも出産までにどれだけ苦労したか(流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療と高齢出産がどれだけ母体に負担がかかると思っているのか。
娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。
孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。
私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。
『結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。
図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。
『結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻。
(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)
その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。
兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。
父はテンプレ的な頑固親父だ。
正社員として定年まで働き、結婚して子どもを育てることだけが『当たり前で』『正しく』『幸せな』生き方だと信じている。
私は長いこと派遣であちこちフラフラしていて、結婚も出産も否定しないけど自分には向いていないと考えている。
父は自分が正しくて私はすべて間違ってると思っているので、私のことを全否定する。
老後の楽しみは孫をかわいがることだけだったのにそれも望めないと詰る。
まるで孫を産むだけの装置で私自身には何の価値もないと言われてるようでとても悲しい。
私は父の幸せのために結婚して子どもを産まなければならないのか。
私は父の幸せのための道具なのか。
親孝行する気はあるのかと父は言う。
では父に、私が思う私の幸せを願う心はあるのか。
自慢じゃないけど、何をやっても長続きしない。仕事に関しても基本的に根性なしだけど、楽しいはずの趣味で「やってみたいなぁ…」と思ってチャレンジしたものでもダメだ。
1 折り紙
子供の遊びだと思われてるかも知れないけど、連鶴(紙に切り込みを入れて何羽もつながった折り鶴を作る)とかユニット折り紙(何十枚も部品を折り上げて組み立て、
くす玉とかそれに類するものを組み上げる)とかなかなか技と根気を必要とする代物がある。高校生から大学生ぐらいまでは一所懸命やっていたんだけど、気が付いたら
めんどくさくてやらないものの筆頭になっていた。が、紙製品は相変わらず好きで、単価も安いので、折り紙とかキレイな包装紙とか和紙とか見かけるとつい買ってしまう。
老後の楽しみに取っておいてもいいんだけど、今よりさらに老眼が進んで、根性もなくなったら結局やらないんじゃないかと心配である。
2 切り紙
上記の目的で買い集めた紙製品を無駄にしないために、型紙がデータ化されてCD-ROMで付いてる本と、アート用の細かいところまで切れるカッターを買ってみた。1個か2個 ぐらい作ってみたけど、作った切り紙の使い道がなくて、すぐに飽きた。でも連鶴やユニット折り紙を作るよりはこっちの方がお手軽だと思うんだけどな。
無心に作業できるところが良さそうだと思って12色入りの色鉛筆と本を2冊ぐらい買ってみた。元の本に直接塗るのがもったいなくて、塗り絵をコピーして塗り始めてみた
けど、やはり2ページぐらいしかやらなかった。絵心はないけど、色を塗るぐらいはできるかと思ったのに。12色の色鉛筆だと色が足りないと思って、36色の色鉛筆を買い
足したけど塗ってない。
4 着付け
今一番のマイブームだけど、元手がかかるわりに続かなかったときのダメージが大きい代物。うちの母がある程度着られるのだけど、母は習い事にお金をかけるのはムダだと
いう考えの持ち主で、「惜しくない着物を買って自分で練習しなさい」と言われている。とりあえずリサイクル屋で紬の着物と名古屋帯、長じゅばんをそろえ、小物類は
ネットで手に入れた。DVD付きの着付けの本も買ったので、いつでも練習できるはずだけどやってない。多少お金がかかっても着付け教室に行って、強制的に練習させられる
歳をとるまで気づかなかったよ。ガキのころは読める範囲のマンガなら全部読んだし、繰り返し何度も読んだマンガだって少なくなかった。そういう風にずっと読んでいけるものだと思っていた。
だけど読まないままのマンガを積み上げ続けているのが現実だ。マンガ夜話で夏目房之助が長い作品は最後まで読めないと言ったことが理解できてしまうなんて。
全部いつか読もうと思ったマンガなんだ。ジョージ秋山の捨てがたき人々も、はるき悦巳のじゃりン子チエも、美内すずえのガラスの仮面も。でもなんかもう無理。手に取れない。受け止める体力がない。あんなに焦がれた作品を一度も読まないまま俺は死ぬのだ。手を伸ばせばそこにあるのに。
関心と体力の両方がある時期は短いなんて知らなかったんだ。こんなはずじゃなかった。老後の楽しみになんて置いておく必要はなかった。意味や価値を十分理解するほど成熟していなくても、読めるときに読まなければ経験にすらならない。本棚に並ぶのは後悔ばかりだ。
字は100字も書いてない
たまに書くと違和感がすごい
ガチで字が汚いし、字が思い出せない
記事やちょっとした数ページの漫画ならネットで腐るほど読んでるが
本を読まない
有意義なことが書かれている本が少ないと気づいてしまったし、常にPCやスマホを優先してしまう
中を検索できないことにイラつくし、詳しく章立てされていないことが嫌だし
ブコメ無いし
章にリンクされてないのも嫌だし、Kindleは読みづらいし、有料だから気軽さもない
でも本はとても好きだ
漫画は高校生の時に500冊は持っていた(今はダンボールの中)
老後の楽しみにしとくか
TVチューナーならディスプレイを代わりに使うだけだからとても安定する
ディスプレイなんて5台もあるし
これで私は週に1回けものフレンズを見てる
そのために買った
一人暮らしにおける自炊はもはや贅沢な趣味なのではないだろうか
私にそんな余裕はない
元々絵がドヘタクソで、10年くらい練習して描けるようになったが
得意な人が得意だから、あるいは絵を描いてて楽しいから描くのだろう
私のように苦しんで練習して・・・という時代ではないのかもしれない
ジムに行くようになって気づいた
ただ夏は走りたくないので自転車買いたい
小銭が貯まって喜ぶという
ないな
週3~4日、1日に4~6時間程度の労働が理想なのだが、現実はそううまくいかない。
若い男がパートを希望してくるという時点でまず雇う側からは驚かれる。
あまり稼げないけど大丈夫ですか?もっと長く働けますよ?という感じに。
僕は「むしろ短いから来ました。長く働くのはちょっと・・・」と返す。ここまでがお決まり。
老後の楽しみを見出だせないのであまり将来の貯蓄は考えてない。もしあっても、今の時間を多大に削ってまで得る物ではないと考えている。
なので、フルタイムの労働は僕にとって論外。お金のかからない趣味なのもあって、パートで生活していればそれなりに幸せ。
つまり僕にとってパートという労働はあくまで生活資金であって、それ以上を求めていない。それ以上を求める時は副業でその時に稼いでいる。
僕としては、パートでは生活資金以上も以下もいらない。そして、履歴書を出しているパート募集は僕の希望にぴったりなものばかり。
なのに。なのにだ。
僕は愚直なまでに教えられたことしかできない。
なので、自分で考えるような職場では何もできない無能になる。逆にしっかり教えてもらえる職場であればそれなりに早く覚えられる、と思う。
前者は何もできないのですぐ辞めることになる。後者は割と長く続くが、そのうち辞める。辞めざるを得なくなる。
教わったことを愚直にそのまま覚える、というのは雇う側からすると使いやすい人材らしい。
入って少し経つと応用じみた事や少し込み入った内容を教わる。そして愚直にそのまま覚えていく。
それと同時に、少しずつ労働時間が伸びていく。少し残って欲しいとか、この日は出て欲しいとか、そういう感じに少しずつ労働時間が増えていく。
そして、週に出れる日を増やせないかと聞かれる。そして辞める。
パートという一般的に見て少ない労働時間が理想だったから入ったのに、労働時間を増やされると意味がなくなってしまう。
増やされるとちょっと・・・と言うと、稼げるよ?などとも言われる。稼げなくていいから働きたくないのに。
元々稼ぐ気があるなら最初からフルタイムのバイトや派遣に応募しているのに、この矛盾に雇う側は気付かない。
なので、最近は面接の段階で労働時間を増やさないでくれると助かる旨を言っている。今のところ、それが功を奏したことはない。
自惚れて考えるなら、将来が見込めそうな奴は労働時間を伸ばそう、という考えが雇う側にあるのも分かっている。独り身で20代の男。一般的にはお金が欲しくてたまらないし働き盛りの時期だ。
でも僕は残念ながらそうじゃない。だから、折角教わり愚直に覚えたその内容が役に立つことはあまりない。
向こうが教えてきた内容を役立てようとした時は、労働時間を伸ばそうとした時だから。
更に言うと、辞めずにそのままを維持して働き続ける、という選択肢はないに等しい。
そのままを維持していても、最終的には残業や休日出勤を頼まれるからだ。
僕は自分に自信がない。自信がないから、自分の意志を交えず愚直に言われた事だけを覚えるようにしている。
今となってはそれが裏目に出ているような気がする。何事もほどほど、というのが一番良いのだろう。それが僕の理想の労働時間だ。
だが、ほどほどの頑張りも、ほどほどに覚えることもできない。それは雇う側に悪いし、そもそも僕は馬鹿なので0か100しかできない。
アニメ「咲」に触発された仲間に誘われてネット対戦で麻雀を始めた程度、
上手い人でも、皆が楽しめること前提で手加減してくれる人と、相手が誰であろうとガチで打ってくる人がいる。
そんでガチ勝負された俺は東風戦終わる前にハコったわけだが、そのときの感想。
自分くらいの下手になると、余程のチャンスがない限り、途中で下りて流局狙いになることが多い。
振り込みが常態化していたら絶対に勝てないし、負けが他の誰よりも少ないから勝ちになったとしても、
勝ちは勝ちだからだ。
しかし上手い人は、そうやっていても捨て牌が厳しくなるように打ってくるから恐ろしい。
気がつくと「どの牌を捨ててもヤバそう」という状況に追い込まれてしまう。
そして「通るかどうか分からないけど仕方ない、通れー!」と捨てた次の瞬間
「ロン!」というわけだ。
結局、川を見て何を捨てたらヤバそうかはなんとなく分かるようになったけど、
実際に周りがどんな役を狙っているのか、それを基に自分はどんな役を狙えばいいのか、
全くもってヘボだ。
あと3人打ちってテンポ早すぎでキツい。
皆どんどんリーチかけてくるし、展開についていけない。
4人打ちのほうがなんとなく好きかも。
・変化ってあまり話し合われてないよね。
世代論を軽く書いたものはよく見かけるけど、ほとんどのものがなんと言うか優劣を言及して、結局のところ「これだから若いもんわー」って感じのものが多いんだよな。
まともな感じなのも「そんなことないよ」って言うのばかりだし。
優劣も確かに変化したと思うんだけど、それは優劣なんてそれこそ判断基準があって、そのルールさえ作ってしまえばなんとでも言える。
それより、その優劣、つまりメリットデメリットの根源的な性質について書いてるのがほとんどないように思う。
時代が変われば性質は個人レベルで見ればともかく、マクロな視点で見ると割りと変化する。インターネットもすごい影響しただろうし、じゃあその変化はなんだろう?って、興味を持つものだと思うし、優の方向に持っていきたいのならそれこそ、このあたりを探らないといけないと思うんだけど。
簡単に言うと、若い人には比べる対象ないからともかく、いい年した人には赤裸々でも美化した話でもない話が聞きたい。
・年寄りも変わってないか?
ゆとり世代でなんか不快な感じがするって人は多いと思うし、それは個人的にも感じている。
昔よりも、なんと言うかどうでもいいプライドを持つようになったと思う。プライドと言うか、「俺を尊重しろよ」みたいなの。
で、言いたいことはそのあたりじゃなくて、年寄りもこういう性質が付加されてきたように思うんだけどと言うこと。
つまり、若い世代じゃなくて、全世代的にこういう変化起こってない?
考えてみれば、その影響に対する感受性はともかく、影響自体はみんな受けてるわけで、変化する可能性は十分にある。
こういう時代論になるとほとんど記事はない。
でも、やっぱり世代論というよりも時代論的なことって多いと思う。
それこそ、2chで卑屈さが増えたり、老後の楽しみが増えて明るくなったりした年寄りも少なくないんじゃないだろうか。
そういうのが重なって、年寄りにも変化した傾向ってのがあると思うんだけど。
確かに今現在好きな人は特に居ない。なので何故恋人を作りたいのか考えてみた。
これだけ世の中に恋愛の話が溢れていたり、恋人が居たり結婚したりする男女が基本的に多数派だということは、恋愛はそれなりに楽しかったり幸せになったりするものなのだろう。しかし自分はその楽しみを体験したことがない。いやもしかしたら自分には楽しくないのかもしれないけど、それはやってみないと分からない。こればかりは「老後の楽しみに…」とか取っておくわけにはいかない。なるべく若いうちに体験しないといけない。この「もしかしたらすげー楽しいかもしれないこと」を体験できないまま死ぬかもしれない、という焦燥感が恋人を作りたい理由かな。
あと純粋に楽しそうなカップルを見て羨ましいという気持ちもあります。
こんな気持ちは何か他の方法で解消できるかね? 本当に綺麗に解消できるならそれはそれで良いんだけどさ。
世間の皆が作ってるからなんとなく俺も→周りやマスコミに踊らされる自身の愚かさを客観的に考えてみるとかさ。
これで良いのなら自分は得意だよ、これ。だけどそんなんでいいの? 後悔しないの? って言ってる自分も居るんだよね…