はてなキーワード: 生態系とは
クマもサルもイルカですら生態系や過去の事件を見るに凶暴かつ残忍なんだよな
クマに至っては毎年のようにワラビ採り中とかで獣害被害出てるしね。
はちみつくまさんとかプーさん、テディベアが可愛いのはいいけど、現実と区別して考えて欲しい。
現に殺され掛けたのにその動物を助けろとかいう動物愛護団体の抗議行為なんかは全く以って意味不明だしね。
なら、お前ん所で養えよつっても維持費すら出さない癖に文句だけはいけしゃあしゃあと出してくる。
モンスタークレーマー過ぎる。
日本では、二次元的な動物キャラクターを愛でる風習があるのに、実際の動物を見た事がない人が多すぎる。
にも拘らず動物は可愛いから保護すべきと被害を被ってる人達に公然と訴えるが、自分たちが保護するといった考えは持ち合わせていない。
あくまで妨害と抗議だけで、それじゃあ動物だって救われないよ。
あの手の獣害だって元は我々が踏み荒らした彼らの生きる場所だったわけだし、全ては我々が悪いのに被害に遭った人達を名指しで批判するのは違和感を拭えない。
まして、動物愛護だっていうなら、毎年何千匹と保健所で殺処分されている犬猫や外で見かける野良の犬猫こそ助けるべきであるのに助けない。
①人間主観的な見地からは、「後世の人々がその生物を認識し、またそれらと接触する権利を奪ってはならない」といえる。
他にも食用生物なら食べる権利に加えて経済的利益にも影響を及ぼすとか云々といえる
②「生物多様性」とやらは人間にある程度の余裕があって初めて守られるものであって、人に害為すウイルスは少なくとも人の生息範囲からは駆逐するものである
そうした細菌やウイルスの駆除によって特定の生物の個体数が増えて生態系に影響を及ぼすことになったら、その時は人の手で適当に数を減らしたり、増やしたりする
とここまで書いたんだけど疑問に対する回答が十分にできていないような気がしてきたのでやめます。
これを読んで、私の中でわき起こった感情の覚え書き。
ちなみに今までは「このままでは鰻が絶滅してしまうのに、みんな食べることしか考えてないな。どうすんのさ」的な。
よくよく考えたら何で駄目なんだろう。
人間以外に他の生物を食い尽くして絶滅させた生き物はいないんだろうか。
いや、人が持ち込んだ猫が~とかそいうのを抜きにして。少ししらべてみよう。
「生物多様性を守らなければならない」
これを、当たり前のように思ってたけどそもそも何でだろう?
よく考えたら人間も生き物だし人間の営みも生き物の営みな気がする。
そんななかで人間は何故「他の生き物の生態系を守る」ことを使命と思えるんだろう。
知能があるからだろうか。
いいんだろうか、人間が人間の都合で地上の生き物を絶滅させて。
いやいいと思います。沢山の人が犠牲になった歴史がある。そして私も天然痘にかかりたくないです。
しかし「鰻おいしい、鰻儲かる、食べる。絶滅するまで食べる。」も充分人間の都合のような気がする。
研究室とかでは保存されてるんだろうけど……鰻の場合、生態が分かってなくて、繁殖させたり人工飼育で種を保存できないから?
あ、そもそもウイルスは生き物じゃないのか……じゃあ菌由来の伝染病で撲滅できたやつはいないのか。ちょっとこれも調べる。
思いついた違いと言えば、生態系への影響。
詳しい生態が分かってないからなんとも言えないけど、1つの種が絶滅するんだから生態系への影響はあるだろう。
それそ積極的に絶滅させて生態系を乱すのはまずい。倫理とかではなくいつか人間に返ってくる可能性があるから。
天然痘がなくなったところで、天然痘で死ぬはずだった生物が激増して生態系が乱れるなんてことはない。
私だって死にたくないし、家族が天然痘にかかって死んだら絶対に撲滅を願うだろうし。
あと、天然痘とか伝染病は人類ほぼみんなが「なくなって欲しい」って思えるものだけど
鰻はユダヤ教、イスラム教なんかでは「食べてはいけないもの」だし、アフリカの文化圏ではそもそも「海の物」は食べないと聞いたことがある。
鰻は人類みんなが「食べ尽くしたい」って思えるものではない。そんな中で「絶滅する前に食べようぜ」ってなってる。これがいけない。
「日本人のせいで絶滅した」ってなったら恥ずかしいもんね。韓国や中国でも食べられてはいるみたいだけど。日本もそっちから買ってるしなあ。
おいしくて食べ尽くされた鳥とかいたし、こういうのはだめだな。
今のところ「人類の都合=OK」「数カ国の都合=×」で納得した。
あと「鰻食べなくても死なない」(これは昔ブコメで書いた)、「天然痘にかかると死ぬ」
……ニホンオオカミはどうなんだそういえば。
海流変化の影響で、鰻が生育可能な範囲が狭まっていて、それが絶滅の原因っていう説を読んだけどソース忘れた。
これに拍車をかけるようなことをするな、というのは分かる。
つまり、シーシェパードが自国でカンガルーやコアラを害獣扱いにしてレッドリスト寸前にまで駆除していることについてもはや口出しするのもいい加減メンドくさいが、
日本はわざわざシーシェパードの流儀に譲歩してやってるんだから、そいつらは鯨が食べるアジやサンマ、サバなどの補食してる魚の補食量分だけ日本に流せ。
そうすれば、日本は今後鯨を捕鯨しようなどと考える人間はいなくなる。
調査捕鯨の殆どは、鯨の生態系の他に毎年食べる魚の補食量を調べるためでもあるから、
シーシェパードおよび捕鯨禁止委員会はこうした現状を重く受け止め、鯨を捕獲しない代わりに漁獲分の金か魚を用意すれば国際問題も完全に解決する。
いやまああくまで仮説というか、確信ではないんだけども。
しばしば日本のブログ論壇(なんだよそれって話だけど、まあウェブ上の議論を行なっている一角とでもしてくれ)は他の国よりレベルが低いと言われている。確かに、最近では特に、読む価値があると感じるブログなんて少なくなってきた。それがなんでなんだろう、というのが自分の問題意識であり、それは今後改善されうるのだろうか、というのがまたもう一つの問題意識になる。
※前提として筆者は外国語全然できないので帰国子女系の人とか、他国のウェブの生態系というか、そういうの分かる人教えてください。
日本の質が高いブログを書いているとされていた一部のいわゆるアルファブロガー層(小飼弾、ちきりん、藤沢数希、…等、敬称略)も最近は更新が減っている。Twitterとかメールマガジンの影響とかあるんだろうか。
なんかひどい雑文になってるけども問題意識だけ共有できれば。日本のウェブは残念なんだろうか。そしてそれは変われるんだろうか。
全国でそりゃ移入種が問題になっている。
国内からの移動でも遺伝子攪乱とか、問題が多い。イノシシとか、樹木もね。
さて、国内で人間が手を焼いている生物、主に雑食性小型ほ乳類でいえば、ヌートリア、ミンクにハクビシン、タヌキ、イタチ、マングース、アライグマ、リスもかな、似たようなのが一杯いる。
これに、在来のイタチや、タヌキや、テンが入り乱れて豊富な生態系を気付いている。かといえばそうではない。
なんせ、縄張りがかぶらないのだ。ミンクは北、マングースは南、その他、ちょっと調べて貰えばわかるが、以外に同じ区域に食性を同じにする複数主の外来種が根付くのは困難だ。
まあ、考えてみれば、当然で、資源は繁殖のために目一杯使われる。よそ者なんかに残したりはしない。土着、外来に係わらず、先住の種族が支配しているエリアを奪い取れなければあとから来たものは定着できない。
・
ここで、思考実験。
小さな島を用意する。
そんな夢の楽園にとりあえず雑食性の小動物群を全種類25組ずつツガイで放したい。
五年後に島で最も繁栄してるのはどれかな~。
と思った。
最近レストランとかファッションの情報を仕入れるためにネットでいろいろ見てるんだが、あれだな、当たり前だがここらへん周りの情報量が他の、例えばアニメやらPCやらゲームのことに比べて少なすぎる。そういうインドア趣味に関しては素人がわっけわかんねーレベルまで深く、広く網羅してるのにふと外に出る趣味、服やら食やらになると途端に手薄くなる。で、仕方なしに食べログなんかみたりするわけだけどあんなもん高いものに良い評価しといてしかもヤラセがいるかもしれんわ、情弱っぽい感丸出しの連中が少なくないわで十分に信頼なんてできんよなあ。
そうやって思ったのはやっぱりネットって、こう、生態系としてまだまだいわゆる非リアな人達が発信源として多いし(というかそもそもアウトドア派は当然のことネットなんかほとんどやらんし)偏りが出るのは仕方ないのかなあと思った。いやしかしそう思うとなんというかユーザからの発信情報集めていく型のCGM型というかのサービス設計するならこのへん踏まえとかないと、対象とするものによっては全くいい情報が集まらんということはありうるんだなあ、という。
いつか滅びる日が来るのだとしてもなるべく長生きさせなければいけない。
変体仮名もなるべく長生きするべきだったが寿命が来てしまったというだけだ。
外来生物が侵略してきて土着の生態系が壊され既存の生物種の個体数が減ってきたら、
その外来生物を駆除して個体数を減らし、生物多様性を守らなければいけない。
競争させる中で既存の生物種あるいは外来生物が新たな進化を遂げることもある。
抵抗する過程で勝ち得た進化の智恵は残された生態系にも受け継がれる。
結果的に滅びたとしても、
「滅亡を防ぐために努力した」のと「滅亡を防ぐための努力をせず滅びるがままに放置した」のでは、
その後の世界の様相はまるきり異なるのだ。
彼らの驚異的な脚力は、彼らの先代が何千何万年にわたる過酷な生存競争を生き抜く中で淘汰と進化を遂げて勝ち得られた努力の賜物だ。
もしチーターが全滅していたらガゼルはここまで速くならなかった。
ガゼルが速くなったから、ライオンは腕力を発達させ、ハイエナは顎の噛む力を強力化して、チーターが捕ったガゼルを横取りする力を身に付けた。
ライオンが強くなったからキリンやシマウマは反撃するためにキック力を鍛え、象は重量化した。
さらにシマウマは色覚のないライオンの目くらましをするために白黒の縞模様を身にまとうようになり、
おまけに偏光効果を持つ縞模様はアブを寄せ付けさせない役割も果たすようにもなった。
単独での狩りが難しくなったライオンは群れで狩りをおこなうようになり猫科動物でも特に社会性ある動物になった。
まず、「承認欲求」に飢えてそうな「野生のハテナー」を見つけます
気に入ったブクマコメントを見つけたら、エサ(☆)を与えましょう
エサは(☆)基本無料ですが、色の付いたエサ(☆)を買って与えると喜びます
自分の気に入ったコメントだけエサ(☆)を与えると段々「同調」してきて使いやすくなります
どんな「ハテナー」に育てるかは貴方次第
他の調教師とのネットバトルの時に手持ちの「ハテナー」「野次馬ハテナー」がランダムで召還され
育てすぎた「ハテナー」は攻撃力や拡散力が強くなり自信を持たせ過ぎると、サバンナに帰ってしまいます
調教師としては寂しさを感じますが、悲しんでいる暇はありません。次代の逸材を探しましょう。
注1:「ハテナー」の乱獲はSNS生態系のバランスを破壊します。ご注意ください。
注2:このゲームはあくまで妄想ゲーです。実在のSNSではID名まで見て☆あげるようなことはしていませんので
ご安心ください。
朝は6時に起きて、団地の中庭を歩くのが習慣になった。まだそんなに暑くはなく、心持汗ばむ程度だからむしろ気持ちいい。中庭は広く一周800メートルもあり、丁度10分で回れる。同じように朝のウオーキングをする人たちが10人くらいはいて、顔ぶれが決まっているようだ。
反対方向から回ってきた女性が、私に向かって手を挙げて笑っている。はて、どなただったかしら、とりあえず会釈を返したものの、見覚えがない。その人は右手を振ってみせて、「おんなじものを探してますね」と笑う。二人とも同じような草を握っていた。「これ、大好きなんですよね」「でも、みかけなくなりましたよねえ、以前はこの辺、猫じゃらしだらけだったのに」。
芝刈り機で刈り取られているうちに年ねん少なくなっていた。今ではなかなか見つからない。いつの間にか生態系が変わってしまったのだ。テニスコートでも西洋タンポポだらけになっている。
今年に入ってから、フェイスブックであたって、スカイプやメールを通して、ギリシャ人20人と話しました。実際に話した人数はもっと多かったのですが、相手の身元がはっきりしているのがそれくらいということです。
使用言語は英語、ひとりだけ1970年から1985年にかけて日本に在住していたと言う人がいたので、その人とは日本語で話しました(その人は英語よりも日本語で話す方が楽だと言っていたので)。
高校生から年金生活者まで、多岐にわたります。経済学者も含まれています。
私がこれを行った理由は、日本にいるとどうしてもギリシャ人に対して辛辣な見方になってしまうので、もし自分がギリシャ人だったらどう感じるだろう、そこにはまた別の感じ方があるのではないかと思ったからです。
大雑把に言うと、おおむねこんな感じ方が主流でした。
自分たちは今までと同じ生活を送っていただけで、特別贅沢をしたわけではない。きちんと働いてもいる。にもかかわらず突然こういう状況になってとまどっている。これが自分たちの責任だと言われてもしっくりこない。
ユーロ加入後、融資のダイレクトメールがうるさいほどにくるようになった。金融機関はどこも「借りろ、借りろ」の大号令で、要りもしない融資を押し売りのように押し付けることもあった。その大本は外国の資本のはず。そういうことをしておきながら、今になって銀行が犠牲者みたいに振る舞うのは釈然としない。連中は金儲けでやっていただけ。
政府は確かに腐敗し、虚偽の報告をしていたが、ギリシャは弱い統治力を外国資本に付け込まれた。政府はずっと腐敗していたのだから、今になって急に腐敗したわけではない。腐敗しているなりにそれなに回っていたものを、外国資本に介入されてこういうことになってしまった。弱いことは問題かも知れないが、こうなったそもそもの原因は政府の腐敗ではなく、外国資本の行動にある。
そういうのを聞いていて、うーん、私もギリシャ人だったらそう感じるかもしれないな、と私は思いました。日本だって膨大な借金があるわけですが、それを私個人の責任にされても困ると、思いますし。仕事もない、あっても給与は遅配している、病院はやっていない、福祉は崩壊しているというような状況の時に、「お前が悪い」と言われてもこれ以上どうしろと?となるのは無理からぬことだと思いました。
腐敗なり、税捕捉率の低さなり、問題はあるにしてもドラクマ時代はギリシャはギリシャなりに安定してやっていたわけですよ。これがユーロになって、言ってみれば生態系が崩れた。
そういうことだと思います。
先進国の医療援助「だけ」が入ってきて、途上国で人口爆発が起きて更に貧困化が生じているのを、「計画性がなく産むのが悪い」と批判しているようなものです。計画性というのは時間をかけて、生態系の中で最適が練り上げられているわけで、何かの要素だけが外部からもたらされると生態系全部が破壊されてしまう、ギリシャはそれが金融で生じたということです。
反ドイツ感情も、こういう事情を踏まえて起きているわけで、ただの感情的な反発ではありません。
そのあたりをお話を伺った人のうちのひとり、経済学者の男性はこう指摘しました。
「ユーロ統合は、ユーロ圏内の低開発諸国に産業の発展をもたらす可能性もあった。だから南欧諸国もユーロに加盟したのだが、ドイツは年金支給開始年齢を67歳に引き上げるなど、いわば社会保障ダンピングを行ってそれに対抗した。ギリシャの開始年齢61歳は現状から言えば早すぎるかも知れないが、ドイツは遅すぎる。ドイツにギリシャが対抗しようとすれば開始年齢を75歳程度にしなければならず、それでは高齢者はが餓死してしまう。ドイツでは高齢者にも職があるかも知れないが、ギリシャにはない。ドイツの行動がユーロ圏全体の利益を無視したものであったことは確かなことだ」
小平邦彦さんの受け売りで初等教育から国語と算数/数学(線引きはどこにあるのでしょうね)を重視するとよいと思っています.計算機についての技術水準が十分発達すれば,地球上生態系において,人間の地位をもう少し適正化してよいものを食えるようになったりあるいは人類が機械に置換され陳腐化したりするのではないかと思っています.いわゆる理科系の数学・科学・工学というのはある種の特権的な実効性を持っているのです.もちろん倫理や政治や芸術,経済や産業や実業的な技術や,もろもろの人材の多様性と卓越性を損なうのも得策ではありませんので,数学・科学・技術の教育への偏執を主張するものでなく,日本国の現状の海外への投資が盛んで国内に比較的大きな市場とやや老朽化しつつあるしかしながら全般的に高度なインフラストラクチャが維持されているような様子を鑑みても,ある種の高度な専門家や人工知能は政治・行政における問題解決能力の向上のために必要と思っています.
http://anond.hatelabo.jp/20120512113838
よく捕鯨団体が「イルカやクジラは知能が高くかわいいから殺してはいけない」と言うことに対して、
それは理由にならないという反論があるよね。
じゃあ知能の高さや愛着が食べていけないことの理由にならないなら、人間も捕食対象としてあり得るのではないか。
人間に限らずどんな生物も他に食べるものがない時とか繁殖終了後の栄養が必要なとき以外は基本的に共食いをしない。
だから「進化のために同種族内での淘汰はあっても、捕食による淘汰だけはせめて避けて子孫を繁栄させるため」に共食いはしないのだろうと結論付けた。
自分の肉体の一部とするべく栄養素として摂取する行為、かつ個体数を恒常的に一定数減らす結果をもたらす捕食行為と、
餌などの資源や繁殖やその他利害をめぐった争いの果ての同種族同士の殺し合いをなぜ同一視するの?
ということもあって最初に「食べるための殺害は殺生ではない」と書いていたのに。
種族の保存が否定されているならなんで生物が何万年も繁殖を続けているのよ。
自分を保持したいという本能がなければ危険信号としての痛みも感じないし心臓も動かない血液も流れない汗もかかない食欲も睡眠欲もわかない、
種族を保持したいと思わないなら性欲もない。
現状としてルールを作ったという以上に人を食べていけないという理由は無い。
生物的な理由があるとすれば
「共食いは種族の繁栄を阻害するから
(全ての種族が、常時自種族以外の捕食対象の選択肢を備えておいた方が、自種族の保存に有利だから)」ということだけだろうが、
既に食物連鎖を外れている人間にはこれは当てはまらないだろうし、
他の動物を食べるために殺す(殺生ではないとは言え知性を持った人間にとっては原罪である)
ぐらいならば、自然に従わなくていい唯一の種族ということであるならばなおのこと、
わかった。確かに書き方がよくなかった。
タイトルが内容と合ってなかったと思う。こうしよう。
「人口調整(を通じた生態系の保護)のために、ルールを作って人間を動物に捕食させる、あるいは人間同士が捕食しあう社会を作ることは可能だろうか」
何を食べていいかいけないかというのは所詮法律で偉い人たちが決めたからそうなっているというだけで、
環境の変化次第ではその解釈を変えてこれまで食べてはいけなかった(食べることに生理的嫌悪がもたれていた)ものを食べる必要性が出てくる場合だってある。
しかし私の話の大前提として「同種族同士は捕食し合わないことが自然の摂理にそぐう」ということがあるから、
上記の共食いはその摂理から逸脱した捕食形態を認める異例の場合もあるだろうか、
http://anond.hatelabo.jp/20120511214417
昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。
この場合は既に死んでいたが、絶海の孤島に遭難して他に全く食物がない状態で、
仲間の遭難者を殺して食べたらその人は殺人罪に問われるのだろうか?
3行目までと4行目がまったく繋がってない。
(論理をチェックしながら文章を書く癖をつけよう。
一貫性の無さや話があっちこっちに飛ぶなどの欠点は文全体に見られる。)
「食べるための殺害は殺生ではない」を言いたいのであれば
「今日はマックより人肉の気分だな」と街中で人を捕食してもよいわけだ。
もし逆に「極限状態で初めて人肉を食うオプションが有り得る」ということが言いたかったのであれば
は繋がってこない。
「種の保存」なんて何十年も前に否定されてる。
賢しげにゴチャゴチャ考えてる割に物を知らなすぎる。
その種族を捕食する動物や植物が減ってしまい、またその種族が捕食する動物や植物が増えてしまい、
最終的には生態系全般が崩れ、すべての種族の存続が脅かされるからである。
(自然は均衡してるのではなくサバイバルと滅ぼしあいの過渡期に過ぎない。
知識がゼロでも少し考えればわかるはず、これまで環境も生態系もどれほど激変してきたことか。)
また、同種殺しを「忌む」理由について説明しだした筈なのに
見えざる手の均衡みたいな所に着地する脳のボンヤリ具合もひどい。
要するに「自然界の維持」は各生物種にとって意識的なことか無意識的なことか?
自説の一貫性すら構築できないのは本当に頭が弱いとしか言いようが無い。
結論を言えば守られるべき普遍的「自然界」なんてものは存在しない。
かろうじて個々の”種”にとって都合のいい環境が有り得るだけ。
次の理由は、自由に人を食べてよいという社会になると、自分や自分の大切な人が食べられてしまう恐れがあり、
(中略)
先進国では医療と科学技術が進歩したため本来自然状態では死んで然るべき老人や障碍者が生き延び、生まれてくるべき子供が生まれてこなくなった。
引用するに耐えない「中学生のボクチンが考えた未来の課題」をネットに貼り付ける理由は何か。
もう羞恥心の問題になる。
君のお母さんでもダチでもない、仮にも世間様たるインターネッツで公開する文章がこれでよいのか。
「種族の存続を目指すため」と「自分が食われたら嫌だからそういうルールを決めた」
という非常に単純な2点しかない。
倫理的理由などない。
要するに君は何も言ってないのと同じ。
食物連鎖をはずれ生態系を管理する責務をも負わされている人間にとって、
もはや「なすに任せよ」原則は適用されない。
(中略)
「種族の存続を目指すため」という目的にかなうのであれば、上記の後者の「社会的ルール」はいくらでも柔軟に変更して然るべきであろう。
自分が生きるために別の人間を食べる。そいつを食べなければ自分が死ぬ。
このような状況は上記の「各個体が時に他の生命を奪いながら利己的に振舞うことにより、結果として種族の存続が実現する」という自然界の原理原則の縮図である。
こういう文章を読まされる側は一読して混乱、再読してチンプンカンプン。
ブックマークコメントが君の話を半ば無視したものばかりなのも、
・君の脳はこのボリュームの文をまとめる知力がまだ無い。
5分の1の文字数できちんと意味が通る文を書くほうが訓練になる。
・もっと本を読もう。たくさん本を読めば材料が増えるし思考力も向上する。
どちらも足りないうちに大上段の議論を世に問おうとしてもゴミの生産にしかならない。
・気負いはわかるが「私は」とか「然るに」なんて文体は使わなくてよろしい。
昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。
この場合は既に死んでいたが、絶海の孤島に遭難して他に全く食物がない状態で、
仲間の遭難者を殺して食べたらその人は殺人罪に問われるのだろうか?
私は、食べるための殺害は殺生ではなく、自分の体内で他者の命を育む再生産行為だと解釈している。
自分の命は自分だけの所有物ではなく、自分が奪ってきた数々の他の生き物の命も含有されており、
自らの命を絶つことはそれらの生命をも絶つことであるからだと。
まずひとつの理由は、人間に限ったことではなく「同種族同士で捕食し合わない理由」と読み替えると、
どんな種族も自己の種族の存続と繁栄を目的として生きており、だからこそ自らの命をつなぎ子孫を残すのであり、
同種族同士で捕食しあったらその目的の達成が阻害されてしまうことと、
その種族を捕食する動物や植物が減ってしまい、またその種族が捕食する動物や植物が増えてしまい、
最終的には生態系全般が崩れ、すべての種族の存続が脅かされるからである。
経済のレッセフェール原則と同様、各種族が自種族の繁栄という動機に基づいて「利己的に」振舞うことにより、
次の理由は、自由に人を食べてよいという社会になると、自分や自分の大切な人が食べられてしまう恐れがあり、
これは嫌なので、動機はなんであれ基本的に殺人を犯罪と決めたからである。
その動物との交渉次第では、その動物は食べるためといえども殺してはいけないというルールが施行されるかもしれない。
この場合既に食物連鎖から逸脱することになるので、自種族の個体数を生態系を壊さないために自分たちで調節しなければいけなくなるが、
天敵や自然条件に左右されることが少なくなったため、途上国では人口が食い扶持を超えて爆発的に増加し、
先進国では医療と科学技術が進歩したため本来自然状態では死んで然るべき老人や障碍者が生き延び、生まれてくるべき子供が生まれてこなくなった。
「種族の存続を目指すため」と「自分が食われたら嫌だからそういうルールを決めた」
という非常に単純な2点しかない。
倫理的理由などない。
食物連鎖をはずれ生態系を管理する責務をも負わされている人間にとって、
もはや「なすに任せよ」原則は適用されない。
種族の存続と繁栄に貢献できない個体を殺すとか、
あるいは再度食物連鎖に組み込まれるべく他の動物に捕食されるという選択肢を考える覚悟をしなければいけないのではないか。
「種族の存続を目指すため」という目的にかなうのであれば、上記の後者の「社会的ルール」はいくらでも柔軟に変更して然るべきであろう。
自分が生きるために別の人間を食べる。そいつを食べなければ自分が死ぬ。
このような状況は上記の「各個体が時に他の生命を奪いながら利己的に振舞うことにより、結果として種族の存続が実現する」という自然界の原理原則の縮図である。
たとえば、お湯を沸すには、ガスのエネルギーが必要で、水がお湯になるとガスが燃焼して熱に変わりガスはなくなる。
なべを伝わって熱は水に移っていき、お湯になる。残念ながら、なべはガスが燃焼した熱をすべて、水に伝えることができないため、熱はロスして、空気中へ消えてしまう。
もともと持っていたエネルギーよりも増えることはない。
ガソリンエンジンの場合、シリンダーの中でガソリンを爆発させて、爆発したときにピストンが動くようになっている。ガソリンの爆発でピストンが動く動きは、あまり効率がよくないらしく、ガソリンが持つ熱量の9割くらいは、熱となって車を動かす力にはならないらしい。
無駄が大きいので、バッテリーを積載して、回生モーターでエネルギーを回収しても燃費向上の効果があるらしい。
バッテリーを作るためのエネルギーや重いバッテリーを積載することによる無駄はあまり議論の対象にならない。
位置エネルギーを電気に変える水力発電では、山の上に降った雨を山の下に置いた発電機で電気に変える。
自然が勝手に山の上に運んでくれるのであれば、エネルギーは無限大に見える。
浄水場の送水口に発電機を置いて発電というニュースを見て、目を疑った。
浄水場のポンプで押し出した水のエネルギーを発電で回収したら、送水に余分な電気代がかかるのではないか。
もしかするとそんなことは杞憂なくらい優秀な方々が考えたことなんだろうから、きっとそのような初歩的な矛盾はとっくの昔に解決されているのであろう。
エネルギー保存の法則を越える大発見に思えるがそんな大ニュースが世界を席巻したことは聞いたことがない。
最近聞いたある大学教授の主張だと、天然の鉱山から産出するウランを使う原子力発電も自然エネルギーに分類されるのだそうだ。
この意見には、思わず合点した。石油も石炭も自然から採れるものだから自然エネルギー!とってもエコです。
水力発電用に川から水を分流したら、東京のJRの発電源の信濃川の十日町付近のように水は枯れてしまうし、自然のエネルギーの流れを変えてしまえば、必ず影響が出る。
風力発電をすれば、発電機が弱めた風のエネルギーの分だけ、風は弱まる。風下で風が弱まれば、生態系に影響がでるのだろう。
発電やエネルギーの話題が出たら、エネルギー保存の法則を思い出してほしいと思ったお話でした。
例えば、なんらかのトピックが話題になって、それがまとめられているとき、それに対するゲスい反応がそのページにはのせられない。
その話題に対する反応は、Twitterでつぶやき合われ、その場には不快な反応(人種差別的罵倒、訳の分からない罵倒、アクセス目当てで管理人が残した糞みたいなコメント等)は一切のらない。
Twitterのつぶやきも、2ちゃんの反応よりはまだ穏やかで全然ましだ。反応の住み分けもできている。
また、まとめた人がアカウントを持ち、まとめた責任がそのページにはっきりと示されている。
「2ちゃんまとめサイト」も管理人という存在がいるが、それとは何かまったく違う存在としての手触りがある。
僕が「2ちゃんまとめサイト」を運営していたら、何の気兼ねもなく、ゲスい反応を載せ、対立を煽り、罵倒を誘発し、アクセスを稼ぎにいくだろう。
しかし、「NAVERまとめ」でもし僕がまとめる場合、そういう試みはしないだろう。
アクセス稼ぎにいくにしても、人の興味を引くちょっとゲスい何かをどこかに残しつつも、「無害」で「クリーン」な感じでまとめるだろう。
僕自身の人格は一緒なのに、まとめるトピック、まとめ方が違ってくるのだ。またアフィ騒動も断然起きにくい。
また、大手まとめ人という存在が生じない。判断材料は個々の記事なので、新規参入もまとめブログに比べて断然しやすく、権力が固定化しない。
またエロ画像に対する検閲も厳しく、2ちゃんまとめのようなゲスいまとめは即削除になる。
これを知らず、僕は「NAVERまとめ」と「FC2」の運営会社が一緒であると勘違いをしていて、ということは何でもありだろ思い
こんなのエロいのまとめてアクセス稼いでウハウハだろと、軽くまとめにチャレンジしたが、苦労して作ったまとめたちは残らず削除されていた。
ならばと都合の悪いところにモザイクをかけてみたが、モザイクで全体がぼんやりとSEXしている姿が見える画像ですら閲覧禁止対象にあたる。
ギリギリを狙ってアクセスが稼げるセクシー系のまとめにしても、あるいはちょっとお色気の要素を入れるだけでも、
その苦労もむなしく、アフィリエイト報酬額は通常のまとめよりも(四分の1から十数分の1)報酬レイティングが下げられているセミアダルトに分類され、
インセンティブの操作によってアクセス目当てのエロいまとめが増殖しない構造になっている。
2ちゃんまとめが一時期(今でもか)はてブを占拠していたときに思ったことは
自演がすごいということとは別に、2ちゃんまとめのようなものに対するニーズは確かにあるのだということだった。
しかし、そのニーズとして僕が捉えていた中の「2ちゃんねるの反応・2ちゃんねるの盛り上がり」なるものは別にいらなくてもいいのかもしれないというのが
それは、より健康でより無害なTwitterやFacebookの反応に置き換えられればいい。
何がおこっていて、どんな風に盛り上がっているかが分かる場を軽く「まとめて」提供するものがあれば「2ちゃんの反応」なるものはいらなくなっていく。
痛快なのは、2ちゃんのゴシップやゴミや憎悪をすべてを飲み込んでアクセス数に変換してきた「2ちゃんまとめサイト」すらをも材料にして、NAVERまとめは増殖していくということだ。
ネットの情報生態系としてはいつでも「メタ」に立つものが勝つ。
その情報生態系のメタの力を思う存分奮っていたと思っていた「2ちゃんまとめサイト」すらをも栄養にして
何か見た目はクリーンな形で何か「無害」な形で情報が提供される場をNAVERまとめは生み出した。
「2ちゃんまとめサイト」はなくならないだろう。しかし、NAVERまとめの影響力はじわじわと伸びていく。
僕はNAVERまとめを礼賛する訳ではもちろんない。
何の工夫もない「まとめのまとめ」が増えていくのは間違いないだろう。
しかし、ある種の人にとっては初めて見る情報の「まとめのまとめ」は情報の宝の山にも見えるだろう。
くだらないまとめは、これからも増えるだろう。
しかし、それは「2ちゃんまとめサイト」よりもずっとクリーンで、しかも「2ちゃんまとめサイト」のニーズもかなりの程度満たしている。
僕らはゲスい方がアクセスが伸びると思っていた。それは「2ちゃんまとめサイト」がゲスくて、アクセスが膨大であるからだ。
だが、「人々の盛り上がりの反応」が見える手軽でクリーンな「まとめ」の場があれば、それは幾分置き換わっていくのが当然ではないだろうか。
そうなればTwitterにおいて、あるトピックの「2ちゃんまとめサイト」についてつぶやくより、「NAVERまとめ」の方がつぶやきやすい対象になっていく。
面白い話題だけれどもゲスい反応がのせられているサイトより、面白い話題で無害なサイトの方が人間としてTwitterで引用しやすいのは当然だろう。
たとえ面白い話題をまとめている「2ちゃんまとめサイト」だからといって、「おもしろい、これ」とつぶやいて、ゲスい反応に同意していると思われたくないからだ。
ましてや、サイドバーにロリアニメのアフィリエイト画像が張られている「2ちゃんまとめサイト」は躊躇するだろう。
「NAVERまとめばっかかよ」と批判する人は「2ちゃんまとめサイト」がのさばる現実をどう受け止めているのか。
いや、その気持ちは分かるのだが、無害で刺激の足りないコンテンツが増える方が、ゲスい刺激臭のするコンテンツが目立つよりは、ましではないかと僕は思うのだ。
虫が増えることに、そしてそれに食いつく「愚民」がいるのにムカつくのは分かるが、それは害虫を食ってくれる益虫だとある程度言えるのではないだろうか。
大胆な予想を言えば、twitterが当初の「今なにしてる?」ということの用途以外のコミュニケーション・ツールとして今や用いられているように
NAVERまとめが単なる「まとめ」サイトではない使い方がされていくかもしれない。
例えば、地位を確立したかに見えるtogetterの領分を、食っていくのではないかというのも一つの可能性だろう。
「2ちゃんまとめサイト」がその影響力を保ったまま残るのは、「2ちゃん」であることの意味、「2ちゃんの反応」の面白さが残る分野であり、
それは「裏の口コミ」「情報交換」、「実況」(これもtwitterまとめに置き換え可能だが)
あるいは独自の文化を残す「なんJ」のまとめ等ではないかというのが僕の予想だ。
毎日の芸能ニュースや事件に対する反応やそのまとめの部分は「NAVERまとめ」にどんどん食われていくだろう。
この記事も『必見!まとめサイトよりNAVERまとめが優れている3つの理由【まとめ】』というタイトルでNAVERまとめにまとめていただきたい。