昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。
この場合は既に死んでいたが、絶海の孤島に遭難して他に全く食物がない状態で、
仲間の遭難者を殺して食べたらその人は殺人罪に問われるのだろうか?
私は、食べるための殺害は殺生ではなく、自分の体内で他者の命を育む再生産行為だと解釈している。
自分の命は自分だけの所有物ではなく、自分が奪ってきた数々の他の生き物の命も含有されており、
自らの命を絶つことはそれらの生命をも絶つことであるからだと。
まずひとつの理由は、人間に限ったことではなく「同種族同士で捕食し合わない理由」と読み替えると、
どんな種族も自己の種族の存続と繁栄を目的として生きており、だからこそ自らの命をつなぎ子孫を残すのであり、
同種族同士で捕食しあったらその目的の達成が阻害されてしまうことと、
その種族を捕食する動物や植物が減ってしまい、またその種族が捕食する動物や植物が増えてしまい、
最終的には生態系全般が崩れ、すべての種族の存続が脅かされるからである。
経済のレッセフェール原則と同様、各種族が自種族の繁栄という動機に基づいて「利己的に」振舞うことにより、
次の理由は、自由に人を食べてよいという社会になると、自分や自分の大切な人が食べられてしまう恐れがあり、
これは嫌なので、動機はなんであれ基本的に殺人を犯罪と決めたからである。
その動物との交渉次第では、その動物は食べるためといえども殺してはいけないというルールが施行されるかもしれない。
この場合既に食物連鎖から逸脱することになるので、自種族の個体数を生態系を壊さないために自分たちで調節しなければいけなくなるが、
天敵や自然条件に左右されることが少なくなったため、途上国では人口が食い扶持を超えて爆発的に増加し、
先進国では医療と科学技術が進歩したため本来自然状態では死んで然るべき老人や障碍者が生き延び、生まれてくるべき子供が生まれてこなくなった。
「種族の存続を目指すため」と「自分が食われたら嫌だからそういうルールを決めた」
という非常に単純な2点しかない。
倫理的理由などない。
食物連鎖をはずれ生態系を管理する責務をも負わされている人間にとって、
もはや「なすに任せよ」原則は適用されない。
種族の存続と繁栄に貢献できない個体を殺すとか、
あるいは再度食物連鎖に組み込まれるべく他の動物に捕食されるという選択肢を考える覚悟をしなければいけないのではないか。
「種族の存続を目指すため」という目的にかなうのであれば、上記の後者の「社会的ルール」はいくらでも柔軟に変更して然るべきであろう。
自分が生きるために別の人間を食べる。そいつを食べなければ自分が死ぬ。
このような状況は上記の「各個体が時に他の生命を奪いながら利己的に振舞うことにより、結果として種族の存続が実現する」という自然界の原理原則の縮図である。
緊急避難のひと言で説明がつく話じゃあるまいか。
うむ 正確には緊急避難が適用される「かもしれない」だけど
http://anond.hatelabo.jp/20120511214417 ブクマじゃ突っ込みきれないからここに書くよ。 1.論理の欠如 昔墜落事故で遭難した人が横たわる仲間の死骸を食べて生き延びたという話を聞いた。 ...
赤ペン先生が無料で添削してくれることが、増田の魅力だな。
読む人間を赤面させる以外の効果は無い。 ここで言う「読む人間」には数年後に自分の書いた文章をなんとなく読み返した元増田自身も含まれてるだろうねw
わかった。確かに書き方がよくなかった。 もう少しわかりやすく書いてみようと思う。 タイトルが内容と合ってなかったと思う。こうしよう。 「人口調整(を通じた生態系の保護)...
http://anond.hatelabo.jp/20120512113838 よく捕鯨団体が「イルカやクジラは知能が高くかわいいから殺してはいけない」と言うことに対して、 それは理由にならないという反論があるよね。 じゃ...