はてなキーワード: 成果物とは
・【教育者が考える優秀な人】:何の教育者で考えるとは何を基準化したもので、優秀とはそのうちの何割なのか。
・二次試験が思考力を問い、1次試験で処理能力を問うてるらしい:一次二次の文字が違う意図と順序が逆な理由、その「力」とは具体的に何がどれだけ出来ることなのか、その問われている基準は得点か偏差のどの部分を問うているのか。
・ぼくがネットで調~い理由:個人が行ったことが個人として特有でない事を前提としないと他の人がそれを同じにできるわけがないがぼくというのはどの広義の平均を言っているのか。
・教育レベルの知識:他に何のレベルがあり、それらは段階としてどれだけあり、羅列していくというサンプル提示がそれらすべてなのか、結果を出して報告することなのか。
・詰め込み教育~できんかったのかな?:何の話をしているのか。詰め込み否定からのゆとり、成果物やエンタメとか意味が不明。「でした」「ありました」と成果をあげることと成果物の差は、エンタメとは「人が興味をもつ事、楽しいと感じる方法」のことであればその対象に付与されるべき装飾は結論について何らかの意味をもつのか。
・けっこう大事な観点:なにがどうどの分野において重要視されているのか。
・ゴリッゴリのヘンタイだったり、マニアックな形で知識を使ったりしててユニーク:手段は特殊であっても導かれる答えは有用であり一般的なはずだが、手段について特殊性を先述のエンタメや新しいものにする必要はない。伝統的な同じ数字と記号でしかできていないし公式の利用も同じで充分。用途にあわせて意外性を発揮することを創作と同じ未定義の空想や仮定を織り込むのはそんな妙な表現でするものではないはずだが。
・知識の使い方や見せ方を面白くできる人:継承には必要かもしれないが実質的に知識を利用するのは結果を出すことであって、当人の特殊性を評価するものではないはずだが。
他にも多く訳の分からない文章はあるけれども、最低限これらは定義していただかないと、妄想小説とかわらないのではないか。
文章の雰囲気から高校教育についての議題で高校教育の教育者が行っている教育内容について「教育者」が登場しそれらが考えている基準かのように見えるが、試験についての意見を述べているようなので「大学受験を採点する位置にいる教育者」の話のようでもある。
それらが混在するのであれば教育者に番号を振ってどの教育者の問題なのかを明確に分ける必要がある。化学物質の水溶実験をするのであればその触媒にもとから混在している物質ができるだけ少ないほうが結果を再現率たかくできるし要素を明確にしていたほうがそれをまとめて情報化したときに再利用できる情報として利用できる。
試験で何を問われているのかしらないが、問うからには答えを返す受験生がなにかの解答をしているはず。能力を答えるわけではないだろうという事から、能力を測定できるなんらかの結果を返しているはず。思考の力や処理の力とは何を指しているのか。
学校教育で覚えた定型の公式や基本構造の骨子を変えず代入する値や求めるべき結果の状態を変えて記憶したものを再現させる数学問題などで途中式や結果の正誤を採点している現在の様式についてなんらかの問題を提起しているのだと思われるが、学校教育の記憶とそれを応用する1場面中の注目点以外に採点基準があるのだとしたら、思考の力や処理の力とは何なのか。
後半は導かれた結果が、いかに大衆受けする身近で理解が容易く期待をさせ購入や投資などなんらかの行動を喚起するような表現方法をする必要性が書かれているようだが、人間の関心や行動が具体的にデータになっていないのではそれらがどれだけの割合で影響しているのか、人数以外では測定のしようがない。
人数で行動原理が測れるなら人に迷いはないはずで、そうなれば買い物や事故や犯罪について統計から正確な予測ができるはず。人の行動が予測できないためそんなものは出来ていないのはエンタメや新しいものというのは成果物の評価とは別のものだということになるが、そのいう教育とは一体なにを指しているのか。
文系ならば一旦理系のように、準備するものを紙に書いて一覧にしてほしい。
東浩紀氏のようにゴリッゴリの文系が言葉が世界を創るとか、準備なしでその場で言葉にするライブや動画での音声で知がどうのといった頭のおかしい事を言うそれの様に、その場で言葉で言ったから、先に言った通り、他の誰かの言葉を借りるなら、という構成では結果は再現性も再利用性もなくその場にそれが存在したというだけの証明にしかならない。
まず準備した要素を並べて合わせて、結果がでたのならそれら1要素ずつを組み合わせて得られた結果に有用性のあるものを残していった結果がどうなるのか。
理系であるならば、答えを導くための要素を準備の段階で精製し、再現率が高くなるように合成の手順を単純化し、得られた結果から従来の手段や結果にどう利用できるのかを文章にすべきだろう。
教育者に免許をもたないものや幼稚園の保育士も含むのか、考えるとか優秀なとは日常的な接触を含むのか具体的な試験のどれの得点を指すのか、それらをどのタイミングでどの部分を変化させれば現在に発生していない結果が得られるのか、それを示すべき。
いまの文章では砂場で泥団子や砂山をつくって、自分は城が創れるのだけれどもなぜみんなこんなものができないのか、これからはこういうのが大事だ
と言っているのとさして変わらない。
どの成分のどんな素材をつかって、どういう経緯を経ればどんな形を形成することができるのか、それは何に応用できるのか
そういうことではないか。
以上で凡そお分かりの通り、文系や理系にもどちらかよりに中間の者はいると思うが、それらが大きく異なる点がある。
理系の分野において否定をもって何かを成立させようとすると無限に否定の要素を永遠に試し続けなくてはならない。
できない、しない、たりない、ならば、できたことを、してみて、たしていく、をするだけだ。
こんなご時世でもセンター試験は通常通りと聞いて「あー【教育者が考える優秀な人】ってセンター試験的な試験じゃないと選抜できないんだな」って思った。建前上、二次試験が思考力を問い、1次試験で処理能力を問うてるらしいけど…その処理能力ってネット普及した今そんな重要か?と思うわけで…
最近改めて思ったんだけども…ぼくがネットで調べたことや少し調べたらわかることを記事しても、ぼくと同じものを作れる人がほとんどいない理由…
それってぼくが知識を教育レベルとはまた違う方向に使おうとするし、そうしないと楽しく記事を作れないからなんですよね。
教育レベルの知識というのは「〜でした」「〜ということがありました」と羅列していく営み。職種によってはかえってそういう人が有能なんだろうけど…それしかできない人が世の中に多すぎるんですよね。
詰め込み教育の弊害?いや、ゆとり教育にもどれって話ではなくさ。何かネットや資料で調べたことを書く・活用するにしたってそれがレポートや知識の羅列などでは、職場内のコミュニケーションとしてはよくても、成果物やエンタメ性、全く新しいものを作る際に人を巻き込む上ではしょぼいんですよ。それを試験会場を作りづらいご時世では試験にできんかったのかな?
教育レベルの知識をつける人をいっぱい作ってもコンピューターに駆逐されるだけ。(ネットで検索した結果と同じものしか知識だけだとできん)
検証課題を発掘するとか、知識を興味を引くように話したり書いたりするとか、知識量高校生以下でもそれができる人かどうかってけっこう大事な観点なんだが、詰め込みと対極にいるわけではなく、むしろ理系だと頭いい人ほどゴリッゴリのヘンタイだったり、マニアックな形で知識を使ったりしててユニークなんだけどね。
文系はねぇ…知識が足りないのか、実験や検証を大学であんまりしないからか…知識の使い方や見せ方を面白くできる人って意外に少ないよなぁ
前々から、仕事でストレスが少しずつたまっていってて、一番は、仕事相手が合わないことなんだけど・・・
もう、無理。無理なんですって言って、異動させてくれってお願いしたんだけど、まあ、予想通り、やっぱりできないと言われた。
仕事相手の彼女が間違ってるわけじゃないと思うんだけど、何か、息が詰まるんだよね・・・
まず、毎日、どの仕事にどれくらいかかったかを提出させられ、時間を把握したいだけと言ってた割には、時々、何かここおかしくない?って言ってくる。いや、おかしくないよ。こっちはちゃんと提出してるから、義務果たしてるんだけどな。文句言うなよって思う。
成果物を出せば、細かい修正が入る。細かい指示。私の力不足が理由だろうけど、やり取りをすればするほど、彼女の頭の中にあるイメージになっていくのがわかる。ちょっとこれは・・・と思って案を出すけど、そうすると、データを引き取られて結局は彼女の考えたものになる。
私がする意味がわからない。何をやっても彼女が変えてしまうのに、私がその仕事をやり続けないといけない理由がわからない。
最近は、考えすぎてしまっているのか、困ったことに、正常な判断力っていっていいのか、そういうものがどんどん無くなっていっている最中。だから、修正回数はどんどん増えるし、それにも落ち込んでしまう。何で、できないんだろうって。
私って、こんなに仕事できない人だったっけ?
今ね、在宅勤務なんだけど、今日はパジャマから着替える気も起きなかった。パン一枚食べるのもやっと。お風呂、今日は入れるかな?昨日は、掃除だけやって寝ちゃったんだけど。バブ買ってきてるんだよ。
上からは、サポートつけるって言われたんだけど、そういうの無理ですって言ってしまった。いや、わがままだよ。わかってるよ。
でも、しんどいわけ。今、誰かとのやり取りを増やすのが。状況を何にもわかってない上に話すのもしんどかったの。だから、うまく伝えられなかったの。もし、サポート入った人に、遠回しでもお前がおかしいって言われたら(今の私がおかしいのはわかってるんだけど)私は、ほんとに立ち上がれなくなりそう。
なので、メンタルクリニック行ってみようと思ってる。同僚にも、行ったほうがいいって言われた。抵抗はあったから、ほんとは行きたくなかったけど、どうしようもなくなってきたから。
メンタルクリニック行ったら、うつ病と診断され、休んだほうがいいですと言われました。
早めに引き継ぎしたい(でも、仕事のことを考えると、ほんとは何もしたくないんだけど)と言ったら、来月から休みに入ってほしいと言われた。
え、まだあと2週間以上もこの苦痛に耐えないといけないのかと考えると、いくらひとりでやっていた業務だとはいえ、気が遠くなりかけた。
引き継ぎしないといけないほうの気持ちもわかるのよ。マニュアルはある。でも、どんなマニュアルあっても、口頭での補足はしてあげたほうがいいと思うから、出来るだけそういうことはやった上で休みに入りたい。
ただ、今まで、増員しなかったのは私のせいじゃない。増やさないといけないけど、同じ作業ができる人がいないからねー、ってさきおくりにしていた上の責任だから。
無理を強いられることに対する、ちょっとした怒りは感じている。交通事故とかだったら、こんなことは言われなかっただろうに。
体調次第、とは考えてる。だって、仕事のことになると脳が拒否してるし。
これ以上は無理だと思ったら、その時点で休みに入る。
これが、今の私ができる、最大の決心だ。
とてもイラストの上手なイラストレーターさんのTwitterアカウントを見たら、
「○○人フォローありがとうございます、お礼に○○描きました!」も当然、例の人気キャラ!
この段階で、貴方は公式の人でもないのによくやりますね、と思いました。
とはいえその何万人のフォロワーもそのキャラを見に来てるのだから、
自分の売り方も徹底して「○○なら私!」というプロデュースなのも理解します。
公式側の立場からすると「なに自分のモンにしとんねん」と思うので、
もしもその作品の大ファンなら良い所でオリジナルに移った方がいいです。
一次創作者に「許されてる」というよりは「見逃されている」だけで、
嫌われるためにやっているならいいのかもしれません。
ただまあ、ここまでなら百歩譲っていいのですが、
FUNB○Xなどの支援サイトでまで定期的に非公式二次創作イラストをアップして
支援金を貰い続けるというのは盗っ人ではないでしょうか。
別に貴方が創ったものではないのに、それでパトロンまで作ってお金を稼ぐ。
つまり他人の成果物や、作品を宣伝した広告費なども全部便乗して、
TwitterやPixivで無料公開ならまだ「これで宣伝になり気にした人が見てワンチャン買うかも」というのがあるけれど、
メンバー限定だと宣伝効果は微々たるものなので言い訳もできないのです。
悪いことだと思ってやっているなら千歩譲って覚悟して続けていいですが、
良いことだと思ってやっているなら、その考えは悪です。嫌われます。
というのはもう。
ファンアートではありません。
「ちょっと変なところあるけど成果物は出すから置いといてやるか」ポジションを狙うというか、しがみつくことが、いつの間にか処世術になっていた気がする。
入社試験で発達障害の傾向が発見され、あからさまに排除されるこの時代に生き残るには、成果/変なやつ比を上げていくしかないのだろう。成果で殴り、黙らせるしかない。
現代社会は、よりよい成果を出すことよりも、コミュニケーションや時間を守る、お行儀がいい、といった素行のよさのほうを重視する傾向にシフトしているようだ。・・・そのようだが、発達障害傾向の人間はそうなれないのだから仕方がない。どうにもならない変なところを、高い成果で黙らせるしかない。そういう戦い方しかできない。
体調の問題もあり、正社員ではない仕事を6月から続けて来た。コロナ禍の中、外に出るのは正直怖かったがずっと室内にいるのも辛かったからだ。
今まで正社員であろうと無かろうと、ボーナスなんてまともに貰った事も無かった。ある時はiPadの現物支給(退社時に返還する)で、ある時は雀の涙で、悲しくなるレベルだった。
就職したのは氷河期でブラック企業しか残っていなかったのだ。5年務めあげたが、送別会すら開いて貰えない、寂しい赤字企業だったのを覚えている。
そんな私が、コロナ禍を経てようやく人並みにボーナスが頂ける事になった。
「あの人はボーナス無しで!」と総務に言われた事もある。失業保険でなんとか食いつないで来た。
けれど、10月から働き始めた人は言う。「ボーナス貰えない人だって沢山いるわよ」
その人はまだ支給対象ではない。ミスも多く、完璧とは程遠いその人。先輩職員はこちらだと言うつもりはないが、成果物にいちゃもん付けて直させて来たりもした。
とある日本の大企業に転職して3年経った。この3年、失望し続けることばかりでつらくなってきたので、ガス抜きにここに書こうと思う。
私は以前、とあるメガベンチャーに勤めていた。仕事はハードであったが、充実していた。結婚し子供が生まれ、育児しながら仕事をしていくのは少し難しかったため、業務時間が短く、保証も充実している日本的大企業に転職することにした。
大企業の仕事はお遊びだった。偉い人のお気持ちをまとめて、要件らしい何かを書き、それをベンダーに丸投げする。仕様書も、テストケースも、負荷試験も、自分たちでは何も理解していなかった。ベンダーからの成果物を、何も理解せず、検証もせずに受け入れていた。当然いくつかのプロジェクトは最後になって破綻し、すべての責任をベンダーに投げていた。
私は以前の会社で、すべてを実施していた。そのため、それらをそれなりにこなせる私は重宝された。私は入社して数ヶ月でプロジェクトリーダーになり、そのプロジェクトを成功させた。私が最初にいた企業では当たり前水準を満たさないようなものだったが、それでもこの企業では大きな成果だった。それ以降、数日おきに偉い人が自分の持っているプロジェクトについて意見を聞きに来るようになった。
私が彼らに話したのはシンプルな話だった。有名なマネジメントの本をよく読み、その知識を元にベンダーとよく話し、彼らの言葉をしっかりと理解し、無用な負荷を与えないように最も重要な課題にのみフォーカスできる環境を整える。本に書いてあることをちゃんと実践する。それだけだ。それだけのことが、驚くほど彼らには伝わらなかった。最初はプロジェクトの相談だけだったのが、計画書、仕様書、テストケース作成の仕事が回ってくるようになった。倍以上の年齢の人が仕事を渡してくるのだ。当時20代の私はうまく断ることができなかった。平日は深夜まで働き、休日も多くを仕事に費やして、なんとか回るような状態だった。
そして気がつけば、2つのプロジェクトのリーダーとなり、3つのプロジェクトのアドバイザーになっていた。だが当時20代の私は、肩書のない平社員のままだった。平社員の私が私よりも数段上の役職の人間に、彼らのプライドを最大限守りながら業務指示を出していた。
アドバイザーとしての仕事は、偉い人の非現実的な妄想を聞いて、それを現実的な着地点に収める計画書を作るといったものだ。偉い人は自分で依頼した仕事について、何も理解していない。そのため、ベンダーからの成果物も私が検品し、何も勉強していない足りない頭でも理解できるように解説して渡した。仕様書通りの成果物がベンダーから提供されたときも、偉い人間が癇癪を起こし、やり直しになることもあった。
この大企業は、若者たちの多くが優秀だった。みな学習意欲が旺盛で、プライベートでは様々なプログラミング言語やクラウドについて学習し、今の仕事に取り込むために知恵を振り絞っていた。若者達は多くを学んでいるため、上の人間の間違いによく気づき、それとなく指摘した。上の人間は知識では勝てないので、怒りの感情でそれに対処した。若者達は今の仕事で実績を作ったあと、AmazonやGoogleに転職していった。残されたのは、学習する習慣の無い、高学歴で、間違いを指摘するような精神性を持たない者達だけだった。
この企業は年功序列であり、優秀な人は見切りをつけて退職していく。そして、学習意欲のない、無能で、間違いを指摘しようとしない人間のみが残る。そして残った無能な人間が偉くなっていく。きっとこれを止める手立ては何もない。これが3年間の間に私が認識した、日本が誇るとある大企業の現状だ。
結論を最初に書くと、作家がやりたいのは「小説のバージョン管理」ではなく「出版プロジェクトのタスク管理」と「成果物の品質管理」なのである。
数年前に「家事をRedmineで管理すると捗る」という記事が流行ったように、それと同じことが作家界隈でも散発的に起きていると考えたほうが実情に近い。
「WordやG Suiteの校正機能じゃダメなの?」に対する返答は「WordやG Suiteにはタスク管理ツールが付いてないからダメ」。
本当はGitHubである必要はなく、RedmineやTracとWordを組み合わせてもいいのだが、「ハンマーを持つ人にはすべてが釘に見える」のでGitHubのためにGitを使おうという本末転倒な議論になりがちな印象がある。
逆に「バージョン管理はあるがタスク管理と品質管理がない」環境の例としてはウィキペディア(MediaWiki)がある。
MediaWikiはすべての版をバージョン管理しており、差分も履歴も見られるが校正にはあまり向いていない。ウィキペディアの文章があまり洗練されないのは支援ツールの不在による部分が実は大きい。
の2つで、それを下支えするためにバージョン管理システムは必要だがGitほど多機能である必要はない。むしろRCSくらいシンプルなほうが理解されやすいのではないかと思う。
L 解説すると、男の企画だと言われた事で傷ついたそうだ。この界隈はマジで男女問わず繊細チンピラばかりで闇。
L オーダー通り・絵師のウリ通りの成果物の感想を素直に述べてキモいって言われて面白く無いのはまぁわかる。
気持ちはわかるがそこから発狂にはアレな思想がなきゃならない。
L アーティストが不当な扱い視線を向けられているのは確かに事実ではあるが、だからと言って、
何か私と似てるなぁ…と思って読んでいたけど、途中から私より重症かもと思い始めた。
好きなことでもやる気がしない、面白そうだと思って図書館で借りた本も読まずに返す…というのは日常茶飯事だけど、ほとんど水も食べ物も受け入れない…ということは絶対にない。
どっちかといえばスーパーに行くと食べられる以上のお菓子とかまで買い込んで、お腹が空いてもいないのに食べてしまって自己嫌悪に陥ること多数。お腹いっぱいになると眠くなって一眠りすると夜中になり、それからお風呂に入って寝る。髪の毛を洗うのが面倒で、後で自分の髪の汗の匂いがイヤになる。
それなのに最近なぜか仕事の〆切は守れるようになった。たぶん成果物のクオリティを無視しているから。上司は書類を回すとメクラ判を押してくれるので、それをとにかくそれらしい体裁で出す。意外とダメ出しが少ないので向こうもちゃんと見ていないんじゃないかと思う。