はてなキーワード: 性教育とは
そうそう。だからそれは「性教育」として教師が教えればいいことで、一般の人がギャーギャー騒がなくてよくない?っていう...
もちろんその「性教育」が未熟である故に声を大にして言わなきゃいけない人がいることもわかってるんだけど、中にはそうじゃない人もいて、その人たちなんなんだろうって思ってるんだと言いたい。
セックスワーカーにたいして思うところはないというかちょっと前までは毎日セックスできて羨ましいなあぐらいの感想しかなかったが性欲がなくなってきた今ではそんな感想もない。
性産業差別の根本の思考としてよくいわれるのは貞操観念だけどそれを抜きにしても
セクハラは助長するし少子化は促進するし間違った性教育の温床になってるし手マンがしがしとか明らかにAVの影響だし
事実上のレイプやってるしガチドッキリとか完全にレイプだしこれで差別するなっておかしくねーか?
明らかに賤業でしょ。
AVを擁護してる人って見てると結局、似非リべか詭弁野郎しかいないんだけど
似非リべは職業差別はんたーいって馬鹿みたいに連呼してる人で本質的に他人の思考を自分にひきつけて考えられない似非自由主義者だろ?
詭弁野郎は「AVにお世話になってるから批判するのはおかしい」って意味不明な論法使うし。
現在日本が抱える様々な問題は、国民を50歳で強制的に安楽死させることでその多くが解決されることに気づいた。
50歳強制安楽死制度下での日本国民の一生は大体以下のようになる。
まだ若い両親の寵愛を受けて育つ。
後述の通り両親はまだ学生であるため時間も体力もあり、全面的な愛を受けて育てられる。
小学生。
現行の小学校とほぼ同様だが、来るべき中学生時代に備え恋愛やセックスに関する踏み込んだ性教育を実施する。
中学生。
男女ともに中学校にて婚約相手を見つけて婚約。第一子をもうける。
妊娠中は女子生徒は学校に通えなくなるので、e-larningや家庭教師などで国が全面的に学習をサポートする。
高校生。
大学生。
学生であるため長時間残業で子供と接する時間が取れないなどということもない。
後述するが両親はすでに退職間近であるため、子供の面倒を全面的に委託することができる。
子供の面倒に気を奪われることなく、全身全霊を仕事に注ぎ込むことができる。
退職。
40歳以上の人間は仕事のパフォーマンスが下がるため社会には不要。早々にリタイアする。
孫(概ね10歳前後)とも仕事を気にすることなく存分に触れ合うことができる。
社会人時代は身を粉にして働いたため、遊びに使う貯金も十分にある。
第二の青春と言って良いだろう。
安楽死。
「初恋をしたのは中学生の頃だった」という人も多いのではないだろうか。
この制度下では中学生時代に結婚するため、現在のような30歳を過ぎて男女ともに打算で行う醜悪な結婚とは異なり、若い純粋な恋情をそのまま婚姻という形で実らせることができる。
今日、恋愛の自由主義化はますます加速している。それに伴い男女ともに恋愛・結婚から取り残される人間が多く出現するようになった。特に男性の高齢童貞が社会に対して抱いている怨念は凄まじく、その存在自体が人々や社会に迷惑を与え、中には直接人々に危害を加える人間まで出現する有様である。
この制度下ではかつて共同体や企業が果たしていた「お見合い」の機能を中学校が代替する。これにより恋愛やセックス、結婚から漏れ落ちる人間がいなくなり、それは即ち高齢童貞の消滅を意味し、治安においても精神衛生の面においてもこの国が安定することに繋がる。
40歳以上になると体力も低下し思考も硬直化するため、労働力としての価値は低下する。
この制度下では40歳で退職となるため、20~30歳の働き盛りを労働力の中心に据えることができる。
女性は生物学的宿命により、妊娠出産のために最低でも1年近くは前線から離れることとなってしまう。一方グローバル社会での企業間の競争は日に日に激しくなり、どの企業も産休・育休による社員の前線からの離脱を容認できる体力がなくなっている。女性の社会進出の意義を企業は理解していても、どうしてもこの事情があるために女性社員の雇用や重役に任命することに二の足を踏んでしまうのだ。
この制度下では新卒入社時点ですでに女性は2~3人の出産を終えており、また祖父母による育児サポートを得ることができるため、産休・育休による戦線離脱がない。これにより企業も安心して第一線の企業戦士として女性を雇用することができる。
「24時間働けますか」とはバブル時代を象徴する栄養剤のCMのキャッチコピーであるが、この言葉通り資源のない日本は粉骨砕身の労働によって世界トップの経済大国に躍り出た。企業間の競争の苛烈さは日を追うごとに増すばかりだが、それに反するように労働者の育児に関する休職・早退の問題も増してきている。この制度下では前述の通り現役労働世代が育児の問題に悩まされることはない。気を惑わされることなく自分の取り組むべき仕事に100%のエネルギーを注ぎ込むことができる。これにより日本の競争力は高まり、グローバル経済戦争の覇者となるだろう。
両親が仕事に忙殺されるがためにネグレクトとは行かないまでも十分に愛情を受けることができない子供も多くいる。特に専業主婦が少なくなり母親もフルタイムで働くことが多くなった今日においてはどうしても子供が両親と触れ合う時間が少なくなってしまう。
この制度下では0~7歳くらいまでは両親に、10~20歳くらいまではリタイアした祖父母と触れ合うことができるため、多くの愛情を受けて成長することができる。
この制度化では中学~高校時代になるべく多く子を産むことが奨励される。
まだ学生の身分であるから仕事を気にすることなく産休・育休を取得することができる(休暇中の学習は前述の通りe-larningや家庭教師でサポート)。
また、すでにリタイヤ済みの若い祖父母に全面的に育児のサポートを受けることができる(両親は仕事に集中しているためまだ孫の養育には参加できない)。
社会としても少子化が解消されるし、仕事に熱中するあまり出産適齢期を逃して涙を流す人も減るだろう。
卵子も精子も加齢によって痛み、男女ともに年を取るごとに妊娠能力が低下する。
この制度下では生物学的な妊娠適齢期である中~高校生の間に妊娠・出産を済ませるため、不妊問題は大きく減少するだろう。
現在の日本社会では60歳定年制度すらも無くなり、65歳あるいは70歳までも働かせようとする動きがある。
70歳でリタイアしたとして、その老体でどのような第二の人生を楽しむのか?
この制度下では40歳という若い年齢でリタイアするため、旅行やスポーツを存分に楽しむことができる。
10年という余生は短く感じられるかもしれないが、まだ若い中年時代の10年の密度は後期高齢期間の数十年に匹敵するだろう。
50歳で安楽死するため退職~死までの期間は10年しかなく、現役時代の苛烈な労働によって十分な貯蓄を行うことができるため、年金制度を廃止することができる。
ガンの終末は苦しい。
ガンに限らず年を重ねるごとに重い病気によって死ぬ確率は高まる。
そうなる前の50歳という比較的若い時点で安楽死することにより、苦しみの果てに臨終するという悲劇を可能な限り避けることができる。
勿論きちんとした性知識を持っている男性はいるし、性知識が甘い女性もいる。
性行為をするなら男性はきちんとした性知識と責任を持たなければならないと思う。
低用量ピル自体はあると知っていても、「生理が止まって妊娠しなくなるやつ」だと勘違いしていたり、
そういう男性が多すぎる。
パートナーが大切なら、きちんとした性知識と責任を持ってくれ。
童貞だから関係ないと思ってる人も、いつか大切な人が出来た時の為に知っていてくれ。
そもそもは日本の性教育の甘さが悪いと思うんだけど、もし明日から日本が性教育をしっかりした所で、
学生時代にきちんとした性教育を学び損ねた人は、もう自分で学ぶしかない。
追記
性教育の話題で「学校はきちんと性教育しろ」とか「セックスや避妊具のこと教えろ」とか「排卵日と生理の違いを教えろ」なんて言う意見は20年前からあるけど、
いまだに言ってる人まだまだいるじゃん。俺は30なんだけど、15年前の義務教育で教わったし、13年前の高等教育でも教わった。
勉強教えても100点取れる子ばっかりじゃないように、性教育だって受けて知識を持っていても妊娠は避けれないリスクなんだから「避妊しましょう」って考え方に間違いがあると思う。
むしろ、高校生の妊娠に際して「生みたい意思」があるなら積極的に支援すればいいのにと思う。
性教育しっかりしろおじさん(おばさん)は性教育しっかり受けてきてないのかな?
今の高校生のほうが詳しいような気がするけど。
受精や避妊の話はするしエイズ予防の事なんかも必死こいてやる癖に、セックスの存在だけは絶対に伏せる。なんでさ。
小学生の時、精子がどうやって卵子に到達するのかだけがスッポリ抜けて教育されて、性に目覚めるまで疑問だったよ。
しかも男女別々で授業受けさせるし、対応する性についてやたらおざなりにする。逆だろ。
例えば男がどれだけ性欲が強くて、女がどれだけ生理で苦しむのか相互理解が無きゃ駄目じゃん。そこんとこ教育してやんなきゃ、悲しい事件もセクハラもそりゃ無くならんて。
で、多くの人がポルノで性を知る。あれは両手に拳銃で大立ち回りするアクション映画と同じフィクションだって誰も教えないままに。ひでえ話だ。
知識と現実を事実として与えて、その上でどう向き合うべきか大人が教えてやるのが健全な教育って奴じゃねえの?
理由も説明せずに不健全だから禁止だ規制だって、好奇心で一杯の若者にそりゃアカンでしょ。
とまあこういう事を現実で言うとね、社会人経験の無いカチカチ頭のクソジジイとか、自分の頭で物事を筋道立てて考えられないクソババ共なんかが発狂パーティーよ。
怒鳴り散らすか言葉を濁すかして、最後には臭い物には蓋、なぁなぁの事なかれ主義で何とかしろと言う。脅しもかけてくる。ハハーイインカイサマノイウトオリデゴゼーマスー
何とかならんのか。ならんな。もう駄目だ。
受精や避妊の話はするしエイズ予防の事なんかも必死こいてやる癖に、セックスの存在だけは絶対に伏せる。なんでさ。
小学生の時、精子がどうやって卵子に到達するのかだけがスッポリ抜けて教育されて、性に目覚めるまで疑問だったよ。
しかも男女別々で授業受けさせるし、対応する性についてやたらおざなりにする。逆だろ。
例えば男がどれだけ性欲が強くて、女がどれだけ生理で苦しむのか相互理解が無きゃ駄目じゃん。そこんとこ教育してやんなきゃ、悲しい事件もセクハラもそりゃ無くならんて。
で、多くの人がポルノで性を知る。あれは両手に拳銃で大立ち回りするアクション映画と同じフィクションだって誰も教えないままに。ひでえ話だ。
知識と現実を事実として与えて、その上でどう向き合うべきか大人が教えてやるのが健全な教育って奴じゃねえの?
理由も説明せずに不健全だから禁止だ規制だって、好奇心で一杯の若者にそりゃアカンでしょ。
とまあこういう事を現実で言うとね、社会人経験の無いカチカチ頭のクソジジイとか、自分の頭で物事を筋道立てて考えられないクソババ共なんかが発狂パーティーよ。
怒鳴り散らすか言葉を濁すかして、最後には臭い物には蓋、なぁなぁの事なかれ主義で何とかしろと言う。脅しもかけてくる。ハハーイインカイサマノイウトオリデゴゼーマスー
何とかならんのか。ならんな。もう駄目だ。
2人の男児の母です
2人ともまだ未就学児だけど、上の子は年長になったので徐々に性教育を始めてる
性教育といっても、
「誰かが勝手にみたり触ったりしちゃいけない、大切な場所だよ」
「もし無理に見ようとする人がいたら、それは悪い人かもしれない。お母さんに教えてね」
というようなことを、徐々に説明してる程度
それで、私は女だから男の子の性の目覚めについては分からないことが多い
でもやっぱり将来だれかを傷つけるようなことにはなってほしくないと思ってる
それで、巷に溢れるAVって暴力的だったり性差別的だったりするじゃないですか
それはもちろんフィクションなので、大人が楽しむ分には全然アリで何の問題もない
だけどやっぱり、感受性の豊かな十代の初めに刺激の強い性に触れると、それが性的興奮の原体験になってしまって、
その後の性生活にも強烈な印象が残ってしまうことはあるんじゃないかなと思う。
かといって、親が「性的に安全なもの」を取捨選択して「子供に与える」のって、それはそれでグロテスクというか、トラウマになりそうな気もする
だから成人指定とかR18とかをもっと細分化して、R13とかR15とかのAVがあればいいのになと思う
心や身体の発達に応じて、適したAVも違うんじゃないかと思うんだけど、どうだろう
そういう十代初め向けのAVには、暴力的要素や差別的な要素を廃して、でもちゃんとエッチでさ
原田マハさんの「生きるぼくら」を読み始めた。主人公は、高校でいじめられて中退して引きこもりになった24歳。
その、いじめの話を読んでいると、自分が中学時代に受けていたいじめを思い出して、気分が沈んで黒い気持ちになってきたので書き出してみることにした。
読んでも教訓はないし、得るものもないことだけ注記しておく。
自分は、地方の市街地にある公立中学校に通っていた。そこで、クラスメイト2人からいじめられたのだった。
1人は、近所の、小学校からの遊び友達で、粗野な面もありつつ話も発想もおもしろく、遊びを発明したりとクラスの中心人物。もてていたと思う。スポーツ推薦で私立高校に進んだけれど怪我をして中退した。高校以降は部活の試合などで数回しか会っていない。
ペーパーテストはできなかったけれど、いまでも、頭のよさや自信を尊敬している。中学校ではいっしょに登校していて、登校中にお菓子をわけてくれるのが楽しみだった。
もう1人は、サッカー部の肩幅の大きい人間。愛嬌があっておもしろい人間だった。いじめ問題が解決した1年くらい後の出来事ではあるけれど、一番印象に残っているのは、家庭科の性教育の班発表で避妊についてコンドームの実物をくばったりしたこと。そのときに彼が言っていた、コンドームは失敗する可能性も少なくないから、コンドームをつかってかつ外で射精することが重要、と言っていた教えはいまでも記憶にある。
彼らからは、直接打撃的ないじめを受けたわけではない。恐喝されたわけでもない。言葉ではなにか言われたかもしれないけれど、人格を否定するほどではなかった気もする。「生きるぼくら」で主人公が受けていた体に見えないところに暴行されたり、母の弁当をぶちまけられたりというほどではない。
一番、くやしかったのは、羽交い絞めにされて学ランのズボンに、黒板消しをなすりつけられたこと、何度かあった気がする。柔道技をかけられて、力の差でなにもできなかったこともある。ほかのことはあまり記憶が明瞭ではない。
悔しさか悲しさか情けなさかで泣いていたのを覚えている。殺意めいたものも感じていたと思う。
いじめ自体は、親や先生が動いて、わりとすぐに収束した。今思うと、相手の家に乗り込んだ父はほんとすごかったし、母には心配をかけたし、先生も相手と1対1で話し合いをしてくれてちゃんとしていた。
いじめがあったことがどう親や先生に伝わったかは、そのころまったく気にできなかった。自分が30歳近くになったころ、母が地元の印鑑屋さんで自分の実印をつくってくれたのだけれど、そこの印鑑屋の息子が自分の同級生で、先生にいじめが起きていることを伝えてくれたということを聞いた。そのころは自分の殻に閉じこもっていたのか、彼の名前や顔も思い出せなくて、申し訳なく思っている。ほんとうに感謝しています。地元に住むことはなさそうだけれど友だちになりたい。
いま、冷静に考えると、いじめ自体もなよなよしていて腹立たしい自分に対するちょっかいがエスカレートしたもので悪意はなく(だからこそいじめはやっかいではある)、自分に人格が確立されていれば言葉で跳ね返せた、とは思うのだけれど、難しい。積極的に近寄りたいとは思わないけれど、恨んではいないし、いまならあの頃はいろいろあったね、と話ができる気もする。たぶんだけれど、2人とも、このあとはいじめを止める側に回っている気がする。
そして、冒頭で黒い気持ちになったというのは、いじめられたことそのものではなく、いまもサッカー部の彼に対して抱いてしまう暴力の衝動。
太ももにシャープペンを突き刺して、二度とサッカーできないようにするところを想像したり。事故とみせかけて階段でもたれこんで突き落とすのを考えてしまったりしてしまう。いじめられた当時から同じことを考えていたのか、そのあと繰り返し想像して強くなっているのかは混同してわからないけれど、10年たった今でも、いじめを想起するたびにこれらの暴力的な衝動をイメージしてしまう。そして、そうすることで心を慰めてしまっている自分を発見して暗い気分になる。いつか克服できるだろうか。
でも、もうすこしいじめが続いていたら、そういう想像を実現させていたと思う。そして、相手も自分も破滅していただろう。
行動に移すまえに、いじめを止めてくれた親や先生、名前も忘れた友人に感謝している。いじめた相手には複雑な気持ちを持っているけれど、どこかで幸せに生活していてほしい。自分はこれからもその衝動を抱いて生きるだろうけれど、行動には移さないと思う。
たまに、この社会で女のほうが楽だとか言う男を見かけるけど、その頭の悪さに目眩がする。
政治家に男ばかり、経営者にも男ばかり、女に権利が与えられていないにも関わらず、家事や育児をやりつつ仕事もしろ、職場で無能な男の面倒もみろと、責任ばかり押し付けられる。
男前提の正社員、女前提の非正社員という性差別に基づいた身分格差があり賃金格差があり、大多数の女性が非正社員の立場で低賃金で搾取されている。
それゆえ、職場で、無能な男、だけど正社員で高待遇という存在を目にし、正社員と同じような勤務日数で同じような業務をしている有能な非正社員の女性、非正社員だから低賃金、という矛盾を日々目にする。
男というだけで正社員へのハードルが低く、経済的に自立しやすい、その特権に無自覚で、誰にも咎められないからといって無能でやる気のない自分を隠そうとしない、文句をつける人間がいないからといって好き勝手振る舞う、クソ男ども。
女のほうが生きやすいとか言う男共も、そういう無茶を言ったところで文句をつける人間がいないから、男にとって都合の良いことは男社会では支持されるから、堂々とそんな無茶をひけらかせるんだよな、男尊女卑社会だからそういう発言をできてるのに、女のほうが楽だとか、滑稽。
日常で生活をしてて、見かける人間の非対称さ、好き勝手に振る舞う男共と、萎縮したり緊張したり卑屈になったりする女の非対称さに、ストレスが溜まる。
男だからという理由だけで、偉そうに振る舞う人間の多さ、女だからという理由だけで卑屈になったりする人間の多さ、社会生活をしてたら、その非対称さが目に入って、女尊男卑だなんて発想にならないだろうけど、そんなことを言ってるのは引きこもっていて社会と接点がない男だろうから、仕方ないのかな…
現実を見ろよ、と言いたい。現実を見れず、自分の能力のなさで弱者男性になっているのにそれを女のせいにしてる、救いようのないやつら。
この社会で女として生きる大変さの続き。
男尊女卑社会で、認知の歪みを抱えた男共の相手をするストレス。
自分たち男は家事育児をしなくていいという甘えた夫の相手、身の回りのことだけでは飽き足らず職場で俺の機嫌取りをしろというクソ男の相手(色々な職場を経験してるけどクソ男がいない職場ってない。男が1人だけでもその1人がクソだったり、複数人いたら誰かはクソだったり、男は全体的なレベルが低すぎる)、自分で自分の機嫌を取れないから女子供に八つ当たりしてくる(痴漢や暴力)人間の相手、ネットで声が大きい女を逆恨みしてる男共の相手…
家庭も職場も電車もネットも、どこにいっても、加害してくる男共がうようよいて、気が休まらない。
女に甘えて、大人になりたがらず、いつまでも子供のままで、僕の面倒をみてと甘えてくる男共。
恋人や夫、職場の同僚、電車の痴漢やすれ違いざまの暴力男、ネット痴漢ども…
これほどまでクソ男に溢れてる社会で、クソ男に囲まれて生きざるを得ない女性の方が楽だとか、よく言えるな、ほんと。
こっちは男なんて必要ない、関わってくるなと思って生きてるのに、ネット痴漢をしているような男共は、女が嫌いと言いながら、わざわざ女に絡みにくるし。
嫌いなら関わらなければいいのに、絡んできて、気持ち悪い。
あとはまぁ、よく言われること、
・男の性欲が肯定されすぎてポルノに溢れている、なのに性教育はおざなりだから乱暴なセックスをする男が多い
・女だけ見た目を評価される男尊女卑文化のせいで、キモい見た目の男が多く、そんな男共に見た目を評価されるおぞましさ
この社会で女として生きることがいかに大変か、挙げるとキリがない。
個人的に、賃金格差とクソ男に囲まれて生きることが、一番耐え難い。
すれ違いざまに暴力を振るってくる、ぶつかり男や痴漢も女に甘えてるし、女の方が楽だ!俺たちは大変なんだ!と男社会と戦わずに女叩きをしてるようなネットに多い非モテ男も女に甘えてるし、職場にいて目にする、無能でやる気もなく下の立場の人間にだけ偉そうな典型的なクソ男も女に甘えてるし(そいつは妻を専業主婦にしてる、自分のことを自分でできない典型的な日本のクソ男)どいつもこいつも、女に甘えすぎ。
一度悪いことをしたら何言っても「(元)犯罪者の言うことなんかに耳を貸すわけないだろ」で終わってしまう今の世の中マジで怖いわ
そりゃ殺人犯が「人殺しはだめだよ」って言っても説得力無いのは当然なんだけど
だけど「人を殺したからこそわかる人を殺してはいけない理由」みたいなものだってあるかもしれないわけで
昔誰だったか忘れたけどtwitterで「芸能人は軽犯罪くらいならしても結構復帰できるけど普通の人は一度転落したら元の場所まで戻ってこれることはまず無い」
みたいなことを呟いて
それに対するリプが
「芸能人はマスゴミと結託して無かった事にするのが得意だから」
「犯罪者がよくのうのうとテレビに出ていられるなって思います」
みたいなのばっかりで
本人が最初に意図していた「普通の人だってちゃんと罪を償った後は社会復帰できるべきだ」みたいなリプが全然無かったって話があった
最近のポルノ排斥とか性教育が云々とかも、こういう話に近いような気がする
そういう少しでも「穢れ」を帯びたものに近づくだけで自身にも穢れが伝染り、二度と祓うことができないと思いこんでいる
「罪を憎んで人を憎まず」じゃない「人を憎んで罪を憎まず」な社会。
現時点ですでに片足突っ込んでいるけど、
きのう、ホットエントリに入ったあるツイートをきっかけとするお話の中で、その元ツイートにFF外からコメントしているツイートが心に刺さった。元ツイートに対するはてなブックマークは、これ。
はてなブックマーク - さやえんどうさんのツイート: "最近の性教育の話を聞いて。 行為についてや避妊の知識もとても大事だけどそれ以前に、のお話です。… "
親御さんからつらく当たられて育った、逆に、甘やかされてスポイルされて、と、いろいろな「誤った」育てられ方が世の中にはごまんとあるのだろう。こう書いている自分も、育てられ方がよくなかったのか、それとも先天的に何らかの障害を負っているのか分からないけれども、世の中一般の当たりが自分には並みよりきついように感じることが多い。
いまも、『もう死んでしまったほうがいいかな。』と考えていて、いや、いま自分が死んだら拍手して喜びこそしないにしても、いろいろされたこと/してもらえなかったことの報復をする前に自分が死んだと聞いて安堵する人が何人もいると思うと、まだ死なないでいよう、と。心を通わせる人がとても少ないのは寂しいことだけど、それは死ぬ理由にはならない。
歯を食いしばってでも、生きよう。生きていこう。