はてなキーワード: 山本五十六とは
南京大虐殺については、なんか結局よくわかんないところがある。
中華が主張する犠牲者の数はまずあり得ない数字というのは確かで、そのせいで実情までわからなくなっている印象。
おれは「戦闘はあった」に違いないと思うし、そのなかで民間人に被害が出た可能性や、処刑のようなことがあった可能性は否定しないが「虐殺はあった」と言えるかどうかはちょっとよくわからんってのが素直な意見。軍服等じゃなく民間人の姿で交戦していた兵がいたとか、そんな大規模な虐殺が行われたような物音はなかったという記録やら、ちょっと諸々よくわかんないね。
あと、第二次大戦は、アジアの解放が名目上なだけだった可能性は否定しない。が、増田も書いているが結果論として植民地だった国々の独立機運が高まったのは間違いない。それはその国々の力で独立したんだといえばその通りだが、あの戦争がなければ数十年どころか百年は独立が遅れていても不思議はないんじゃないかなーとは思う。
ただ、これは別に戦争を正当化するつもりなどではない。まぁ日本軍の残虐行為ってのにはちょっと引っ掛かるところもあるが。
あの戦争は、アジアを解放するというよりも、日本が、自国が植民地化される可能性から脱却するために行ったもので、その副次的なものとして、西欧の植民地になっていり国々から西欧勢力を取り除こうとしたってことじゃないかなーとは思っている。自国の領土にするとかそんな単純なことだけじゃなく、日本に近い国々に西欧の手が延びている現状は、いずれ次は日本にもって危機感が浮かぶのは当然で、それの払拭。そして西欧との交渉材料にも使える。(実際戦況のいいところで和平という考えは山本五十六の発言からも、軍中枢にあったのは間違いないだろうし)そういう目的のための「大東亜共栄圏」じゃないかなーと思ってます。
理想やなんやでアジアを解放しようとした義の戦なんだ!なんて言ってるのはさすがに違うだろうなーってことですね。あくまで自国をいい条件で保ち続けること。その為に世界の中で大きな位置につけるようにすること。それが、最優先の目的だったでしょう。
1615-05-07 大阪城が落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡
1853-05-23 アメリカ艦隊、浦賀沖に来航(黒船来航)
1861-04-12 アメリカ南北戦争(1865年5月9日まで)
1868-01-03 王政復古
1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)
1871-08-29 廃藩置県
1875-06-28 讒謗律(太政官布告)及び新聞紙条例(太政官布告)公布
1877-05-26 木戸孝允死去
1888-03-09 ヴィルヘルム1世・プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御
フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1894-07-25 日清戦争(1895年4月17日まで。宣戦布告は1894年8月1日。台湾平定終了は1895年11月30日)
1898-07-30 ビスマルク死去
1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)
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1905-09-05 日露両国講和条約(ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)
1912-07-30 明治天皇崩御。皇太子嘉仁親王が践祚。元号が明治から大正に改められる。
1914-07-28 第一次世界大戦(1918年11月11日まで)
1922-02-01 山縣有朋死去
1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印
1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効
1926-12-25 大正天皇崩御。皇太子裕仁親王(摂政)が践祚。元号が大正から昭和に改められる。
1927-03 昭和金融恐慌
1930 昭和恐慌
1930-10-02 日本、ロンドン海軍軍縮条約を批准
1932-05-15 五・一五事件
1936-01-15 日本、ロンドン海軍軍縮条約を脱退
1936-02-26 二・二六事件
1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効
1937-07-07 日中戦争(1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称)
1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告
1939-09-01 第二次世界大戦(ドイツがポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)
1940-09 アメリカ、対日屑鉄全面禁輸
1940-09-27 日独伊三国同盟調印
1940-11 日本とアメリカの各種交渉(1941年12月まで)
1940-11-30 日本国中華民国間基本関係ニ関スル条約(日華基本条約)調印
1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達
1941-04-13 日ソ中立条約調印
1941-06-22 独ソ戦(ドイツがバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)
1941-08-28 近衛首相、ルーズベルト・アメリカ大統領に首脳会談を提案(結局、沙汰止みとなる)
1941-12-08 太平洋戦争(日本の英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)
1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。
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1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)
1942-06-05 ミッドウェー海戦
1942-08-07 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸
1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
1943-05-12 米軍、アッツ島上陸(5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。
1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。
1943-11-22 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談。26日まで)
1943-11-28 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談。同年12月1日まで)
1944-06-19 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。
1944-07 ブレトン・ウッズ協定
1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。
1944-08-02 テニアン島の日本軍玉砕(テニアンの戦い)
1944-09-11 米軍、ペリリュー島上陸(ペリリューの戦い)
1944-10-20 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)
1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
1945-02-04 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談。11日まで)
1945-04-12 ルーズベルト・アメリカ大統領死去。トルーマン副大統領がアメリカ大統領に就任
1945-05-02 ベルリン陥落
1945-08-06 アメリカ、広島県広島市に原子爆弾を投下
1945-08-09 アメリカ、長崎県長崎市に原子爆弾を投下
1945-08-15 玉音放送
1945-09-02 日本政府、ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争(大東亜戦争)終結)
1945-09-09 日本政府、中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結)
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1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
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1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
コロナウイルス=アメリカ。相手が無尽蔵の生産力を誇るとかまったく考えずに、いま戦端を開かないと 日本の生命線が失われてしまう!とばかりに。
マスコミは煽りに煽って、国民はそれに踊らされて、とにかく戦わなきゃだめだ!と政府を突き上げ非常事態へ突き進む。
国民には「欲しがりません勝つまでは」と耐乏を強いて。
経済冷え込ませて耐乏して ウイルスの蔓延が止まったとしても、それはまだ勝ったわけじゃないんだよね。
一時的に収まってるだけで、みんな外に出てきたら また増殖は始まる。
根治させてるわけじゃなくて、遅滞させてるだけなんだから。
いつまで戦いは続くんでしょうね。
山本五十六さんが構想してたように 短期決戦でカタがつけばいいんだけど。
”クスリの開発”がいつになるのか
下手したら2年3年続くかも・・・。夏になっていったん収まっても 来冬にまた再発するだろうし。
仮に コロナによる直接的な死者を1万人救うかもしれないけど、代わりに 死んだ方がましという人々を100万人生み出す作戦に思える。
戦時経済は 戦争中は景気は持つんだけど、だいたい戦後に反動が来るんだよね。
太平洋戦争時も、戦時中は配給とかちゃんと機能してたんだけど 戦争末期~戦後は制度崩壊して闇市スラムが立ち並ぶ暗黒期が到来した。
あんときは朝鮮戦争特需があったけど、今回もそういう特需に乗れるかな?
何が正しいのかはわからないけど、
少なくともまともな報道ではない ワイドショーとかニュースショーに踊らされてる世論 及び 首相官邸 に自分の命運が託されてる状況がすごく嫌だ。
挑戦を応援するなり、批判する代わりに良かった部分は褒めたりしましょうよ。山本五十六から何を学びましたか?
※追記
意見封じじゃなくて「まずは落ち着いて、あなたが出来る努力をしましょうよ」という意図です。口先だけの人間になりたくないでしょ?次の世代の子供たちにそんな背中見せたくないでしょ?仲良くしましょうよ。
こないだの西村博之のYouTube配信で「韓国と仲良くしたほうが長期的にお得なのにそうしないのは、長期的にモノを見られない人間が政権を取ってるからだよね~」みたいなことを言ってたんだけど、
こういうのは歴史にはあんまり残らないエピソードなんだろうなあと思った。
歴史ってかいつまんだ結果だけ記録されるわけで、よくて「いろいろあったけど結果的にはこうなった」って記載される程度なわけで。その「いろいろ」部分って省かれちゃうよな~と。
歴史を後から見る立場になると「へー」としか思わないんだけど、リアルタイムに進行する歴史の現在を観測してる立場からすると、その「いろいろ」が重要なわけで、省かれるの悲しいなあというか。
そんなことをオモタ
俺はもちろん専門家じゃないし当事者でもないので、読んだ幾冊かの本や番組からの判断となるが、
昭和天皇や東条英機が当初は開戦反対派(というより、開戦を望む主戦派を押さえるために東条が登用された)というのは、誰が良識的で誰が空気に流されてしまったのかという点について示唆的だと思っている。
当時の背景として原油が採れない日本が、中国大陸をめぐる権益で米国と対立していたにもかかわらず、戦力の源である原油の輸入を米国に頼らざるを得ないという、外交的にやってられないほど厳しい環境下にあり、
もう一方の背景として、米国と和平を続けるには中国大陸から(全面的ではないにせよ)大きく手を引く以外の選択肢がなかったにも関わらず、
中国大陸の陸軍は戦友の血であがなった中国から黙って手を引くなど到底受け入れられず、統帥権干犯を楯にして政府からは撤退命令を出せない状態だったと認識している。
で、陸軍が言う事を聞かなきゃ米国と和解できないんだから「陸軍大将であり開戦反対派」である東条英機を首相に任命した所までは筋が通ってるのだが、
その先がなんだか不透明で俺にははっきり分からなくなっている。
・陸軍は西でしか戦ってないので、東の米国なんて海軍がなんとかすりゃいいだろとしか思ってなかった。
これは分かる。
・海軍は米国がやべえ相手と認識していたが、山本五十六ですら「勝てない」とは言わなかった。
これは本気で勝機はあると思ってたのか、単に立場上「勝てない」と言えなかったのかは分からない。
ただ、昭和天皇も東条英機も「米国と戦いたくない」とは思っていても、「米国と戦ったら絶対負ける」とまでは考えていなかったであろうと思っている。
だって、陸軍が統帥権を理由に政府にたてついてるなら、統帥権を持ってる天皇に逆らえるわけないから、天皇が引けといったら引かざるを得なかったはずだからな。
実際、終戦時だって最終的に天皇がやめろと言ったからやめたんだし。
そう考えると、昭和天皇は「米国と戦えば敗滅必至」とまでは考えていなくて、あくまで「東条が上手い事、波風立てずに陸軍を纏めてくれる事」位しか期待してなかったのだろう。
その状態で米国から原油輸出打ち切りを告げられ、昭和天皇も東条も「陸軍にあくまで中国から手を引かせて米国の要求に屈するか、勝つ可能性に賭けて米国と戦うか」の二択となり、後者を選んだ、というのが俺の認識。
東条と同じ状況なら俺でもそうすると思うよ。
そこで屈して原油の禁輸を回避したとしても、その先の将来像が全く描けないからな。
そんなわけで、ここに至るまで、大衆の「た」の字も出てきてないんで、
正直、当時の大衆が開戦賛成だろうと反対だろうと結果は変わらなかったんじゃないかと思う。
仮に大衆になんらかの決定権があったとしても、それが「隠忍自重して開戦を回避する」という判断を下したとは想像しにくいし。
そういう情勢だった事を考えると、よく言われる「軍部の暴走」というのは、当たらずとも遠からずであるとは言える。
陸軍は統帥権を楯にして政府の外交の足を引っ張ったわけだし、海軍は正しい戦力分析を政府に渡せなかったわけだからな。(俺としては、負けるものを負けると言えなかった海軍の責任は陸軍より大きい気がしている)
米国との開戦が避けられれば後はどうでも良かったかと言えばそんな事はないと思うが、少なくとも「なぜ天皇も総理も開戦反対派だったのに最終的に開戦に賛成したか」と言えば、この陸軍と海軍の間違いが主要因の一つだったと言える。
統帥権とか無くなって総理大臣が自衛隊最高司令官になったから、陸軍が外交の足を引っ張る事は一切できなくなったのは大きい。
(※だから、ちょっと前に首相が自衛隊の最高指揮官だと言った事に対して妙なバッシングが加えられた事について、俺はバッシングした人たちこそ正気を疑いたい。
首相が最高指揮官である事は、自力で勝ち取ったとは言い難いにせよ、第二次大戦で流れた数万トンの血で贖った成果の一つと考えているので)
ただ、もう半分は戦後も直せていないんじゃないかと思っている。
もう半分というのは、『陸軍と海軍がそれぞれの組織内の空気を読んでしまい、「上の言う事も聞かねーし、上に正しい状況分析も提供できねえ」って状態だった』事で、これが何よりヤバかったと思ってるんだが、
なんか最近、記録隠しとかさ。
それヤバくない? って思うんだけどね・・・。
日米開戦時と同じ轍を踏まないようにするには、
・国民は国家が重大な二択を迫られた時に最終的な決断を行う。(結果の良否はともかく、brexitの投票みたいなやつね。戦前なら天皇がこの役割だが、今は主権在民だし)