はてなキーワード: 作品とは
政府「一人当たりGDPがうなぎ登りで経済成長が止まらないぞ!
在来種「外来種を放つバカが消えて日本の生態系は守られたぞ!」
ネット「誹謗中傷・差別・対立煽りのない平和なネット環境になったぞ!」
男女「ツイフェミやアンフェが消えて男女対立煽りがなくなったからこれからは仲良くするぞ!」
レストラン「騒ぐバカガキや放置するバカ親が消えて静かになったぞ!」
迷惑系youtuber「迷惑行為を働いても誰も見てくれないから真面目に働くぞ!」
野党「支持してくれるバカが消えたからまともな野党になるぞ!」
与党「野党がまともになったから政権奪われないように真面目に政治するぞ!」
ビジネス右翼「支持してくれるネトウヨが消えたから真面目に働くぞ!」
飲食業界「バイトテロがなくなって安心してバイトを雇えるぞ!」
学校「いじめやモンペからのクレーマーがなくなって平和になったぞ!」
子育て世代「問題行動を起こす教師や保育士が消えたから安心して子供を預けられるぞ!」
親「引きニートが消えて老後は安泰だぞ!」」
アニメ業界「薄っぺらい駄作じゃ誰も見てくれないからこれからは質の高い作品を創るぞ!」
広告「萌え豚や腐女子が消えたから不快なエロ広告はやめにするぞ!」
救急隊員「くだらない理由で救急車を呼ぶバカが消えたから大切な命が救われるぞ!」
ここ最近、試写を見ていて「心の底からこれは面白い!」と手放しで絶賛できる作品には、正直なところ巡り合えていませんでした。
そんな中、ようやく最初から最後まで「あ~面白かった」と思えたのが、2024年6月7日(金)から公開される「劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:」(劇場総集編の前編)です。
「アニメ映画あるある」の、おそらく“制作がギリギリ”だったのでしょうか。試写が始まったのは、公開週に入ってからでした。
本作は、基本的にはテレビアニメ版の再構成のようなので、すでにテレビアニメを見ている人にはどのくらいのインパクトがあるのかは分かりません。
ただ、私のような原作もテレビアニメも一切見ていない“一見さんの視点”からは「最初から最後まで、ひたすら面白い作品」でした!
制作がギリギリだとか関係なくて総集編の内容がバレたら誰も見に来ないくなるのを防ぎたかっただけなんじゃないかと勘ぐりたくもなる
さて、冒頭でも書いたように、ここのところの映画の作品力が、ややパワー不足な面は否めません。
そのため、本作のように、公開規模が130館程度と小さめなテレビアニメの総集編映画であっても週末動員ランキングの上位に来ることは無理ではなく、本作の場合は、ひょっとしたら1位にすらなり得るのかもしれないのです。
第10話「つたえるアルペジオ」 で水平な液面に映る人物が光学的にあり得ない作画されているのに気づいてしまった
「響け!ユーフォニアム」は金管楽器の鏡面に人物の顔が反射している構図や瞳の鏡面反射が多用されている
金属楽器(フルートは金属製の木管楽器)の曲面反射は作画困難度も高く、光学通りに作画すると激しくゆがむので仕方ない
瞳は曲面に加え、サイズが小さいので映る範囲が制限されてしまうところ、これも光学優先よりキメカットゆえにエモーション優先というところだろう
紅茶の「水平面」かつ「そこそこのサイズ」でもリアリティを捨てるとなると
鬼滅でようやくアニプレックスがすごいことを知った程度の人間だから
過去の例なんか知らんけど
作品の期待度に合わせてこの作品ならこのクラスのスタジオに作ってもらいたい、という意向が働いている
(「鬼滅の刃」も知らんやつが「アニメ制作ガチャで当たっただけなのに」的なことを言っていたりするが、
あれは規格化の段階からどういうわけかアニプレックスは社運を賭けてんのかというほど金と人員をつぎ込んでた、
必ず当てるし当たる内容だという確信めいたものがあったんだと思う
製作委員会も3社だけで独占してるしね)
その製作会社がどのぐらい資金力と影響力がある会社か、のほうが重要な気がする
まあトラペジウムもアニプレックスらしいけど
生成AIクリエイターは法律面で規制かかったりしないなら認められるだろうけど、生成AI使えるだけで作品自体は陳腐なものしか作れないクリエイターはあまり認められんやろうな。
轟がゲイなのを忖度だなんだとケチつけるやつらうるせえーーー!
セクシャリティに忖度もクソもあるか、昔から今日までみんなここにいるんだよ
展開が唐突だったというのも無自覚の差別だというのもうるせえーーー!
構成が弱いんじゃという批判も差別、なわけあるか。クィアリーディングとエンパワーメントだけが正解なのも困る
それをそのままの形で己の作品として発表すれば悪評を得るだろう。
ではここでその諸問題、「なぜ文章のパクリは忌避」されるのか。
それについて考察しようと思う。
そこで私がその作品から、富士山に対する描写をそのまま引用すればパクリとされる。
それはその「文章」を無断で引用したことを咎められるのであって、「富士山」そのものを流用したこと事態に問題は生じない。
すなわち「富士山」との表象を描写すること自体には、「パクリ」とする概念が存在していないのである。
ここで述べたいことを平易に、そして換言すればこういうことである。
なぜ文学作品の文章を光景として捉え、その文章を描写することは禁止されるのか?
ということである。
詭弁的に述べれば、こういうことだ。
「私はその文章をパクったのではない、私はその文章を光景として読み取り、私が感じたままにその文章を描写しただけである」
その理由こそが、この諸問題としての根源的なものであり、すなわち「パクリ」という行為は、文章を盗む行為ではない。
それは、作者の感性、思考を盗むことに他ならず、端的にも形而上学的に述べれば、それは作者の「魂」を盗むことである。
つまり、富士山としての描写自体に「パクリ」としての表象が生じないのは、富士山としてその表象を捕らえた際、そこには個々人において異なる情動、思考、感性が働くことに由来する。
自分が認識した事象を正確無比に相手に伝えるのは不可能である。
なぜなら知覚した事象を言語化する際に、ノイズが生じることは不可欠だからである。
仮にこうしたコード化によってもノイズが発生しないのであれば、それは他者と自己を境界線が存在しないことに成り、それは他者の存在を消失させてしまうことにつながる。
よって、他者としての存在とその存在性の認識こそが自己認識における伝達として生ずるノイズとしての証明であり、故に完璧な意思疎通は不可能である。
実際に自分が認識したものを完全に換言するのもまた不可能である。
ここで本題に戻ろう。
彼らは実際、事象に対する見事な描写に評価を与えるのではなく、
仮に富士山としての事象、光景が、文字として表せるコードとして定義化されたとしよう。
すると橙色をR132・G90・B18として示せるように、富士山も同様に共同認識のコードにより共通の形で表記することができるだろう。
その際において、富士山を示すコードを流用しようと、橙色の場合と同様、そのコードを”パクリだ!”と批判されることはないだろう。
文章の引用、パクリとされる行為は文章を盗むのではなく、作者としての”ノイズ”を盗むのであり、人は意思の疎通として害となる、その”ノイズ”に価値を置いている。
人間は巧みに描写された事象を求めて作品としての文章を読むのではない。
それは正確さに欠ける、個々人として個人的な感性と称される”ノイズ”を読む行為に他ならないのだ。
つまり、人はノイズを読み得ようとすると同時に、その”ノイズ”の出処を正確に知ろうと欲するためである。
それはすなわち、”ノイズ”の正体が判明しておらず、その”ノイズ”としての概念自体をアニミズム的にも崇高する謂れを持ち得ているからである。
これこそ換言すれば、
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…」
黒沢ともよのユーフォの塚本に対する久美子の演技とか、ゆるキャンの浜松の子みたいな距離感近めの落ち着いた声でasmrされたら俺はもう恋に落ちてしまうと思うんですよね。あの卓越した演技力でこられたらやばいですよ。できないでしょうね太刀打ちが。心臓止まりますよ。調べたらロリキャラのasmrはやってたみたいで、そっちは趣味じゃないから全然だったけど、こっちの方面で来られたらまずい。怖いですね。聞けないですよ恋に落ちるのが怖くて。だから今後そういった作品が出てこないでほしいし、出てきてほしいとも思う。いやぁ怖い。でもそのうち出るんだろうなと思いますね。きっと。その時俺は耐えられるんだろうか。果たして。怖いなぁ。
男向け生きづらさポルノといえば『ノルウェーの森』なんかは完全にそうだけど
最近、とある商業施設にある、ハンドメイド作品の委託販売を行っている店に行った。
ポップアップと称し、ある作家のアクセサリーが多数並べられていた。
ポップアップをやってもらえるというのは、ある程度人気のある作家なのだろう。
最初に見たのはネックレスとブレスレット。何てことはない、パーツを繋げたり、チャームにチェーンを通しただけの単純なデザインだ。
次に見たのは指輪だった。
そこで私は違和感を覚えた。
それは技術力の差だ。
ネックレスとブレスレットは初心者レベルの技術なのに、指輪は上級者レベル技術だったからだ。
家に帰ると、SNSの写真から画像検索をかけると、あっさりと指輪の出所が見つかった。
その作家は、海外の通販サイトで買った商品を、自分のハンドメイド作品だと偽って売っていたのである。
さらに調べてみると、驚くべきことに、このようなことをやっている作家は他に何人もいた。いずれも人気作家として多数の百貨店や商業施設のポップアップに参加していた。
中には、本名・顔出しで活動している作家もいた。バレないとでも思っているのだろうか?
ただの転売ヤーのくせに、作家やデザイナーを名乗るのは恥ずかしくないのだろうか?
まず夢を見る:見ないが4:6くらい。4割の内さらに半分くらいはほとんど覚えていないし、覚えるに足らない内容だと思う。さらに残った半分が結構面白く感じてるので書き留める。増田は女。以降はさらに残りの半分を10として書く。
4:好きな男性キャラクターメインのソシャゲの二次創作みたいな内容。キャラクター同士の関わりもあればその世界に自分がいてキャラと関わることもある。
3:仲の良いリアルの友人と本当にありそうな場面。誰かが遅刻したとか、自分含めた複数人で出かけたとかが多い。目立った事件とかは無いけど身内ノリとして話すことはある。
2:好きなマンガに関する内容。ここ数年ピッコマ系の作品を大量消費しているのでそれに関する内容や、自分とキャラの恋愛を見ることがある。現実で夢思考は全くない。
2024/6/9、わんだふるぷりきゅあ!で猫屋敷まゆさんがキュアリリアンに変身されました。溢れる想いのままにこの文章を書いています。
私は2007年にプリキュア5に出会い、作品のダークながらも引き込まれるストーリー、そして何より春日野うららさんとキュアレモネードの可愛さに魅了されてプリキュアファンになりました。プリキュア5が始まった当時私は小学1年生でまだたったの7歳でした。
それからは熱心になったり少し気持ちが離れたりした時期もありつつも、ずっとプリキュアと共に歩んできた人生だったと言っても過言ではありません。
Go!プリンセスプリキュアで何度泣いたか分かりません。キュアフローラはずっと私の1番のヒーローです。
そんな私もいつの間にか中学後半~高校生にかけて深夜アニメを見るようになり、そして声優のオタクになりました。
声優のオタクは移り気ですが、一貫して私が持っていた思いは「好きな女性声優さんにプリキュアになって欲しい」でした。接近イベに行ってはプリキュア声優になって欲しい話をし、プリキュアの思い出話を聞き出し、毎年12月~1月にかけてプリキュアの声優予想をし、発表されては肩を落とす、そんな日々の繰り返しです。
2020年、当時私が熱心に応援していた方がプリキュアへのご出演が決まったのですが、絶対追加戦士だと思っていたのに結局マスコットで終わってしまい酷く落ち込んだのを今でも鮮明に覚えています。
そんな中で忘れもしない2024年1月28日、わんだふるぷりきゅあ!の追加キャストが発表されました。
あれはまさに上田麗奈さんのラジオのイベントに行った日でした。オタクと別れて電車に乗ってTwitterを見た瞬間に時間が止まりました。100回ツイートを見返して、本当だとわかった時の感動は言葉に表せないほどでした。電車の中で人目も気にせず24の男が泣きました。涙が止まりませんでした。ついに10年の願いが叶うんだと。
私が上田麗奈さんに出会ったのは2014年のハナヤマタでした。ハナヤマタは本当にいいアニメで大好きだったんですが、当時は私も駆け出しオタクだったので、主人公役が上田麗奈さんって人なんだってくらいの認識でした。ただ好きな作品の主人公として間違いなく好きな声優さんの1人になりました。
今でも上田麗奈さんの一番好きなキャラはハナヤマタの主人公、関谷なるさんです。
そもそもオタクでない時代に、デビュー作であるイナズマイレブンGOを知らぬままリアルタイムで見ていた人間だったのである種運命だったのかもしれません。
その後ミリオンライブにも触れたり、17年から始まった高橋李依さんとのラジオを聞いたりして高校でオタクと声優談義をしたりしていたのですが、決定的になったのは恐らく多くの人がそうでしょう、私も例に漏れず2018年のSSSS.GRIDMANでした。当時24歳でまだキャリア的にも若手だった上田麗奈さんがあの掴みどころがなく狂気的でありながらも愛おしい新条アカネ役をこの人しかいないという素晴らしい演技で演じきったのを見て、その演技に、才能に完全に大ファンになりました。
2018年はもう売れ出した頃だったのですが、以降の上田麗奈さんはもうまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで出世していきました。私の大好きなフルーツバスケットにもご出演されてたり、今熱心にプレイしてるプロジェクトセカイでも主要キャラを務められていたり、本当に感謝してもしきれないような存在になっていきました。
極めつけはこれも忘れもしない2023/11/20です。この日は私が以前から人生で一番と言っても過言ではないくらいに夢中で、熱心に愛読している漫画、アオのハコのアニメ化が発表された日でした。そしてヒロインの鹿野千夏さんの声優が上田麗奈さんであることも同時に発表され、この日も深夜に大号泣しました。これで私の気持ちは完全に振り切りました。
そんな中で2ヶ月後、また17年間追ってきたシリーズ、大好きなシリーズへの出演が発表されたのです。それはいくら言葉を尽くしても陳腐になってしまうようなレベルで、感謝、感動、とにかくたくさんの感情が溢れて止まりませんでした。
それからは4ヶ月半、とにかく今日この日を待って待って待ってずっと待っていました。キュアリリアンのことを考えない日も無かったし上田麗奈さんのことを考えない日もありませんでした。Twitterでは変身の遅さが嘆かれていましたが、10年間待ち続けた私としてはもはや誤差でした。
そして6/2、次回予告でキュアリリアンの登場が予告されました。
この一週間は本当にずっとソワソワしていました。仕事も手につかず、一週間がとにかく早く過ぎ去ってくれることを願うばかりで今日この日のために生きているような状態でした。
昨日は本当に眠れなかったし、今朝はアラームなんて関係なしに5時には目が覚めてしまう始末。
そして朝8時半。もう詳細な言葉はいらないでしょう。本当に、本当に素晴らしい回でした。
涙が止まりませんでした。もう上田麗奈さんに関係なく、猫屋敷まゆの強さと成長と想いに涙してしまうような回。
この作品に出演してくれて、この作品でプリキュアになってくれて、猫屋敷まゆ役になってくれて、キュアリリアン役になってくれて、本当に良かった。心からそう思える回でした。
変身バンクもまゆの強さが想いが背景がこれでもかと表現されていて見る度に泣いてしまいそうです。
わんだふるぷりきゅあ!、声優が好きとか関係なく、ここ数年のプリキュアの中でも1番と言っていいレベルのストーリーの出来です。本当にいろんな人に見てほしい。
そして上田麗奈さん、本当にいつもありがとうございます。私の人生はあなたのおかげで間違いなく豊かになっています。これからも素晴らしい演技をたくさん届けてもらえるのが楽しみでなりません。アオのハコも本当に本当に心待ちにしております。
いいえ、『ダイの大冒険』にはアドラーというキャラは登場しませんよ。『ダイの大冒険』は堀井雄二さんが原作で、三条陸さんと稲田浩司さんが漫画を手掛けた作品です。登場キャラクターはたくさんいますが、アドラーという名前は聞いたことがありません。
「アドラー」というと、心理学者のアルフレッド・アドラーのことを指すことが多いです。彼は個人心理学の創始者であり、その考え方は多くの人々に影響を与えていますが、『ダイの大冒険』とは関係ありませんね。
なんで増田に書くかって、投稿ジャンルが「例のアレ」だったからなんですけどね
まあぼかしてもしょうがないから書くと、メインは神社アレンジでした
もちろん無名です、でも今の下手すりゃ再生一桁な零細ユーチューバーとかとは違って、例のアレジャンル(今は知らないが)はどんなに底辺でも一定は伸びるんですよね
当時(2016年)はもう神社アレンジのブームのピークすぎてるはずだけど、どんなに伸びなくても3桁は行きましたし、一つだけ10000再生を超えることができました
神社アレンジの中でも既存曲のメロディを神社に変えて出すタイプで、独自性もあんまりなく作曲もEDMもよくわからないまま(そもそもEDMソフトじゃなくて楽譜作成ソフト使ってたし、音源はほとんどレ淫棒サウンドフォント固定だし)最後は飽きて終わってしまったけれど、リアルの知り合いにこそ誰にもいえませんが自分の中では割といい思い出です
投稿しなくなっても数ヶ月に一度思い出したときに自分の投稿一覧見に行って、再生数増えたかとかコメント増えたかとかチェックして、たまにお褒めのコメントが増えていたり2525再生達成通知きてるの確認して、その作業でちょっとだけ自己肯定するわけです
思えば人生においてやった趣味において、ほぼ唯一発信型の趣味、まあ発信先が今思うとありえなさすぎますが、ああいうアングラでないと発信する勇気はでなかっただろうなと思います
サーバー攻撃の影響でもしかするとニコニコの動画が消えるかもしれないとXでみて、自分の動画達はもう闇に消えてしまうかもと思うと、複雑な気持ちです
あのころの自分の作品が消えてしまうのは悲しいけれど、よく考えたらあんな人権侵害ジャンルにいた痕跡なんて、本来は消えたほうがいいんですよね
界隈離れてああいう界隈が存在することの酷さがわかるようになって、それでも、消えないでほしいなあと思う自分もいます
だって、全然伸びてなくたって、私は私の作り出したものが大好きだから!どんなに下手くそでも、どんなに他人に言えるものでなくても、自分のこだわりが入った作品がけっきょく自分にとって一番心地いいものだから!
だから、ニコニコには頑張ってほしいと思います、自分の投稿確認するとき以外サイト開いてなくてごめんね、復旧したらちょっとは他の動画も再生します
以前、「めっちゃきれいな人と出会って結婚してくれと言われたときに、結婚するか否か」という薄っすい会話を会社の後輩としたことがある。
いやいや、結婚しないでしょ
と、返しええ、なんでぇ?と言われた記憶があるのだが
それが上手く言語化できずにいて、なんとなくモヤァっとしていたのをふと思い出した。
周りが結婚をなんでするのかと立て続けに質問されたこともあり、これ機に己の感情を整理したい。
人との関係は、積み重ね。
いかに外側が良かろうとも、結局はその人との関係性と歴史に深く価値を持っているわけだから、勝てるはずもなかろう。
きれいに整った建物はそれはそれで価値を持つが、歴史の持つ重厚さにはまた別の価値があり、それは替えが効かない。
外見がきれいな女性はいくらでもいるが、長年一緒にいることで、何でも言い合えて、考えを忖度なくでも尊敬を持って伝えられて、そして自分のことをよく理解してくれているなんて人は、もう本当に居ないと思える。
その時その瞬間にいっしょにいたのはその人なわけよ。自分をさらけだした時とか、弱ってる時とかに一緒にいてもらって、支えてもらって乗り越えた価値はもう他の何かとは代替できんと思うのよね。
特に自分は、典型的なコミュ障というか、自分がある種主人公だと思ってしまっているから、簡単に素を出してやるもんかと思ってるし、思っているうちに、素とは何かと迷走してしまっている。
同じ共同体で同じような困難圧力がかかりなおかつそれに対してある程度、マジになれる人じゃないと、全然価値観合わなくて。
部活とかサークルとか、社会人になる前は強制的に同じ共同体に属することが多いが、普通の会社に所属する今となってからは本当にそういう機会がなくなった。
改めて、大学のうちにいい相手と巡り会えて幸運だったと胸をなでおろしている。
学生以下なら全然普通、2〜30代もまあまあ、40代はかなりギリギリ、それ以上の年代の人が交際相手を彼氏彼女って呼ぶのを聞くとってなんか変な気分になる。
じゃあなんて呼ぶんだよって話なんですけど。「交際相手」だと長すぎだし。「そういう感じ」の人たちが使う相方とか同居人とかもなんかなって感じだし。
そもそも中年以上の類型として、既婚か独身以外のパターンがおれの中で存在感が薄い。異性と性的接触を伴う付き合いをしていても、いわゆる「女遊び」的なものであんまり一定の相手と交際関係を結ぶイメージがない。
これは多分フィクションを通じて形成された意識だと思う。良い歳行った人がTRUE LOVEを見つける作品も割と最近からあるっぽいけど、おれはそういうの興味ないから触れてないし。
実は少なからずの人にこういう意識があって、いざ自分がいい年になって未婚だと今更付き合うとかもなあ……みたいな判断を下す要因になってるのかもしれない。だとしたら、おれがしょーもなさそ〜って思ってるような中年同士の遅れた恋愛的なドラマにも意義があるのかもしれないなって思った。
(※劇場版とかアマゾンズみたいな配信作品は除外/あくまでニチアサテレビシリーズのみを対象)
・アギト:小塚明朝(Adobe)→ロダン(フォントワークス)
・響鬼(後期):ヒラギノ角ゴ(大日本スクリーン/34・35話)→ニューロダン(フォントワークス/36話~)
・W~ガッチャード:ニューロダン(フォントワークス/鎧武除く)
■集計(書体別)
・4作品:新ゴ
・1作品:平成明朝、小塚明朝、ロダン、角ゴCa、Popハッピネス
■集計(会社別)
(※クウガの平成明朝は複数の会社から出ているのでベンダーは特定できず)
■補記
・『仮面ライダー電王』のOPクレジットは新ゴだがサブタイはなぜかニューロダン
・(デカレンジャー以降の)戦隊シリーズOPだとモリサワはあまり使われない
→ルパパト(1話のみ/2話以降はニューロダン)とブンブンジャーだけ