はてなキーワード: 三十路とは
仕事で女性宅に訪問することがあって、そこで家主の相手さんから連絡先を渡され、よかったら飲みに行きたいと言われた。見た感じ20代前半〜中盤くらいで結構可愛くて、三十路独身彼女なしの俺としてはもう股間怒髪天で連絡したわけよ。これはヤレるぞと。念押しでネットで相手をホテルまで誘導する方法みたいなのを検索した。今思えばこれがいけなかった。個室居酒屋でほろ酔いになりながら下ネタやボディタッチでその気にさせるのがいいと。懺悔すると恋愛工学に金払って必死こいて頭に叩き込んでいた。結果はどうだったか?ヤれなかった。下ネタのジャブだけで氷点下5度くらいまで空気冷えたよね。手つなぎたいなって言ってもかわされる。もう直球で行くしかないとホテル誘ったら、そういうつもりで誘ってないと。もうね、アホかと。ホテルいくつもりもねえのに連絡先渡すなよと。悲しかった。
今まで使ってきた言葉を捨てて今風の言葉に乗り換えるタイミングってあるじゃないですか。
みたいな。
私はこの手の変化がとても苦手なタイプなんですよ。中学校へ進学して間もないころ「1時間目」を「1時限目」と呼ぶのが嫌で学校へ行きたくなくなったことがあります。
あと、あだ名を呼びはじめるタイミングも掴めなくて、同級生の多くが「〇〇っち」と呼ぶ友達をずっと「〇〇山さん」と呼んでいる、というようなことが何例もあってですね。
合理的な理由があればスムーズに交換ができるんですが(看護婦→看護師とか)ほとんどの場合、単純な流行り廃りでばんばん入れ替わってくんですよね。難儀だなあ。
みんなどういう風に言葉を乗り換えるタイミングを計っているのか、不思議でしょうがない。
特別デブな訳でもガリな訳でもないが、ずーっと体重が定まらないまま30年弱生きてきた。
成長期はともかく、20歳あたりからは大体年間5kgぐらいの増減を繰り返している。
原因は明らかで、ライフスタイルだとか運動量の変化とかではなく、単純に食事量が安定しないせいである。
と言うのも、未だに自分の適切な食事量というのが分からないのだ。
大学生のころに色々試してみて、1日3食・毎食腹いっぱい食べるようにしたら5kg増え、朝昼晩こだわらず気が向いた時にだけ食べるようにしたら5kg減った。
それ以降は、それを基準に昨年より体重が増えていれば昨年より少なく、減っていればその逆、というような大雑把な調整の仕方しか出来ないししていない。
まあこの調整を年単位でなく月単位でやれば問題ないのだろうが、自宅に体重計がないので測定は年1回の健康診断のみ。
そもそも食事に気を配るのが面倒だからそうしているのであって、毎月毎月体重計っては来月はこうしよう、などと考えるなんて自分には絶対に出来そうもない。
元から体型にも食にも関心がなく、食事にお金も時間も割きたくないので内容もお粗末なものである。
全て外食なのは言うまでもないが、1人で食べる時は9割方ファストフードかコンビニ飯。酷いときはウィダーインゼリーとカロリーメイトで生き延びている。
ついでに最近は百均のピーナッツがカロリー的に1番コスパが良いことに気付き、そればかり食べている。
別に5kgぐらいならギリギリ服のサイズも変わらないし、今のところ体調も良好なので問題はないのだが、とはいえ三十路を目前にしてこれでは遠くないうちにガタがくるだろう。
しかし改善しなければ、というのは分かっていても、やはり適切な食事量が分からない時点で何をどうすべきなのかサッパリである。
世間一般の人たちはどうやって体重維持してるんだろう?いちいちカロリー計算とかしてんの?マジで?
想像するだけで無理だ。
母によりますと、わたくしは生まれる前から姿勢が悪かったそうでございます。
以来、三十路の入り口に立つまで姿勢悪く過ごしてきました。一口に姿勢がよくないと申しましても様々かと存じますが、わたくしの場合は左右が非対称なのでございます。
つまりどういうことかと申しますに、左の尻に全体重をかけて斜めに座ったような姿勢をとっておることが多いのです。椅子に座っていてもこの調子。寝る時は大抵左を向いて寝ております。
とはいえそれ以外のところは特に悪いことはなく、性格の歪んだところもなければ生まれてこの方虫歯・インフルエンザ・ポイ捨てひとつしたことはございませんで、わたくし自身、健康を恃みにしたような生活を続けてまいりました。
ところがこのところ、お尻の調子が少々よくないようなのでございます。うんこをすれば3回に1回は血が出ます。悪いときはお尻を拭いたあとにポタ、ポタ、と血が滴る音が聞こえてくるのです。
痔でございます。
手鏡の上にしゃがみ込んで懐中電灯で照らしてみますと、お尻の穴の周りに青く鬱血したようなコブが4つは認められます。
さらに肛門の背なか側のあたり、ドーサルというのでしょうか、しゃがんだ拍子に切れてまさに血が出始めているのでございます。
試しにペーパーを挟んで観察しておりますと、じわじわと赤く染まってまいりますので、嗚呼、いよいよ本格的に痔でございます。
どうも不自然な姿勢が尻に無用な圧を生じて血の巡りが悪くなり、あわれ肛門に痔核を成すに至ったのでしょう。
白状いたしますと、わたくし自身いわゆる痔主であることは薄々感づいておりまして、10年来それとなく関心を寄せておりました。
こうした観点で拝見しておりますとポルノ女優の肛門にコブを発見することもしばしばなのですが、血色・形態ともわたくしほどに醜いお尻は、これまでに1回しか見たことがございません。
わたくしのお尻は、かなり悪いようなのでございます。
ここらが年貢の納め時、そろそろ治療しなければならないことはわかっておりますが、どうにも重い腰が、やっぱり左の尻に乗っかっているのでございます。
久しぶりに恋人ができた。
およそ七年ぶりのことで、私にとっては「大」を幾つ連ねても足りないほどの大事件だった。
なぜなら、恋人がいなかった約七年間の間、恋愛関係に発展しそうな付き合いは一切なく、誰かとデートはおろか二人で食事をするシチュエーションすらなかったのだから。
もちろん酒の勢いやワンナイトの類いもなかった。
男女交際一式は過去に経験しているけれど、石橋を叩きすぎて割ってしまうほど慎重かつ臆病なので、恋人になりそうもない相手とスキンシップやセックスを楽しめるほどの勇気や経験値は自分にはなかった。
セックスアンドザシティで「一年間セックスしないと女は再処女化する」というようなセリフがあったけれど(ニュアンス)、七年間とかマジでどうなるんだよ怖えーよと一人頭を抱えたりしていた。
たまに「いいな」と思う人がいても、結婚していたから「いいな」で終わりだった。
好意を向けてくれる人がまれに現れても、どうしてもタイプじゃないか、やはり既婚者だった。
その間、合コンとか街コンとか相席居酒屋とか、出会いに繋がりそうな場所に行ったこともない。
そんなこんなで約七年。
それでも、人に恋人の有無を聞かれ、長年いないことを話すと十回に十回驚かれた。
まあ、お世辞というか、お決まりのリアクションなのかもしれないけれど。
顔面は、石原さとみのようなハイパー美人にはほど遠いが別に悪くはない。
きちんと化粧をして何ら差し支えのない洋服たちでJJに載っていそうな系統のおしゃれをする。
ムダ毛は手入れするし、伸ばした栗色の髪の毛のケアにも勤しむ。
前髪も後れ毛も巻く。
社会経験も人並みに積み、良い会社に落ち着いて、世間知らずでもない。
初めましての人と対面しても、しっかりコミュニケーションが取れる。
だから「彼氏いないです」に対して、返ってくるのは「なんで?いそうなのに」だった。(社交辞令かもしr
と、思ってました。思ってたし、実際にそうだった。
私はオタクだ。
推しは天使だから常にありがたすぎて課金するし、イベントなどがあれば北海道から九州まで飛ぶ。
ちなみに「オタクだから彼氏いない=オタク趣味が相手に受け入れられないからモテない」のではない。
オタクだから「オタクごとが楽しすぎて恋人いなくても全然寂しくない」のだ。
オタクというのはアニメ漫画ゲームアイドル同人などのサブカルチャー的な匂いを強く発する言葉だけれど、個人的には「恋人がいなくても何ら寂しくなくむしろ面倒な付き合いがないので自分の時間を圧倒的に優先できて充実したハッピーライフ送れてる」と感じるレベルの趣味やものごとは全部オタクごとだと思っている。
だからシングルで過ごしていた長い間、私が「彼氏ほしい!」と本気で思ったことはほぼなかった。
いなくていい、ほしくない、と思っている人間に恋人ができるほど恋愛は強制的なものではない。
できそう、できなさそう、モテそう、モテなさそう、以前の問題。
オタクでいると、頻繁に会う友達がほとんどオタクになる。(私の場合)
趣味を全力で全うするオタクって、まるで結婚しない。恋人がいる子も少ない。
結婚している全力のオタク友達もいるけれど、その場合子供がいないか、子供がもう大きい。
ある程度の財力と時間の余裕を手にいれたアラサーのオタク活動は、それはそれは楽しくて。
「まだいい」「もう少しこのまま楽しみたい」で、どんどん年をとる。
それは決して悪いことではないのだけれど。
で、私も、気付けば七年も色恋沙汰から遠ざかっていた。
人肌恋しい時は何度かあったけれど、寝て起きたら大体忘れているし、オタクごとで萌えるのに忙しくてすぐにそんな感情は溶けてなくなった。
そんな中、三十路が見えてきて、いつまでもこのままじゃいられないなぁなんて、ようやく焦りを覚えたのが昨年。
結婚願望はあったので、婚活中のオタク友達に相談して、出会いが見つかりそうな場所に、生まれて初めて自らの意思で赴いた。
そんなふうに行動してみたらあっさりと彼氏ができた。
でもって今は半年でふられてしばらく、といったところ。
ズタボロに引きずっている。
とりあえず彼氏がほしかったので、「好きになれそうだな」の段階からお付き合いしたけれど、付き合っている内に見事相手をとても好きになった。
長い間恋愛を休んでいても、良い相手に出会えさえすれば相手を「好き」だと思う感情が、まだ自分の中に残っていることにとにかく感動した。
相手との時間を作るためならライフワークだったオタクごとを後回しにしてもいいと思えた。
そのことに、私は人知れず、ものすごく、本当に、素晴らしく感動した。びっくりした。
所詮、私は恋愛体質で、aikoの歌に共感してトキめいた若かりし日々と大して変わってなかったなぁとか思って、嬉しかった。
だけど、せっかくそんなにも好きになれたのに続かなかった。(ちなみに私がオタクなのが原因ではない)
私が相手を思ってしまったほど、相手は私を思えなかったらしい。重かったんだろう。
推しのためなら諸々重課金する女だから、愛情があっさり系でない自覚は大いにある。
それにしても、オタクごとで生きている喜びを噛み締めてきた自分が、他の感情に大きく左右されて、ごはんが喉を通らないほど苦しむとは思わなかった。
「しようと思えばいつでもできるだろう」と恋愛をさぼった結果、自尊心を守りたいくせに恐ろしく自己肯定感が低い卑屈野郎になってしまっていて、今日日「結局私なんて誰にも愛されないよ〜〜〜うわ〜〜〜〜」と枕に顔を埋めるバカみたいな日々を送っている。自分が嫌すぎる。
長い恋愛ブランクのつけが、今になってボディーブローのように効いている。
付き合って入る最中はブランクなんて問題なくて、むしろ新鮮みがあって楽しかったのに。
経験値低すぎて、防具弱すぎて、失恋の一撃が重いったらありゃしない。
これから傷ついて立ち直ってを繰り返して強くなるのか…って、ため息がでる年齢。
一度でも、二度でも、ほんの少しでも、リハビリしておけばよかったな。
でも少し後悔している。
だから、オタクと呼び呼ばれるそこのあなたが、もし「将来結婚はしたい」「ゆくゆくは相手ほしい」と思うのなら、ちょこっとでも恋愛してほしいなぁと思った。
29歳と11ヶ月を迎えました。
独身、正社員、年収600万ぐらい、仕事もそこそこ忙しくて毎日何かしらの予定がある。
去年、29歳を迎える時は、夜眠れないぐらいの焦燥感に駆られて、是が非でも当時付き合っていた男性と結婚しないとと目が血走っていた。
結局その時の彼氏とは29歳を迎えた直後、向こうの浮気疑惑がこじれて振られた。
それから2ヶ月は廃人みたいになってて、もう死んだ方がいいんじゃないかとか、30女に価値なんてないんだと枕を濡らした夜もある。実際死んでしまおうとも。
それから一年弱、色々あったけど生きてるし、もうすぐ三十路になる。
去年のような焦りが全くない。
なんなら同い年の友人の結婚式が何度が控えてるが、普通に祝福する気持ちで一杯。
本当はまだ死ぬ程焦っていて、その気持ちに蓋をしてるんだろうかとか、久々に元彼から連絡来て精神的にもう一度死んだんじゃないかとか、もう結婚に対して希望を捨てたんじゃないだろうかとか。
色々よぎるけど、結局どうしたいのか全く分からない。
分からないことが少し辛い。
先日30歳になった。
私は特別可愛くもオシャレでもない。
化粧も服も最低限の興味しかなくて、世の中の女子に比べたら意識低すぎる方だと思う。
それでも人付き合いで困ったこと無いし、過剰な時間やお金をかけることもなく、それで満足していた。
30歳になった日は独り身だった。(今もだけど)
今まで恋人がいたりいなかったり、モテないともモテるとも言えない人並みの恋愛遍歴だと思っている。
女子力の低い私でもなんだかんだで人間性を見てくれる人に出会えてきたのは幸せなことだ。
ただやはり30歳というのは人に何かを感じさせるには十分な節目のようで、急に自分に対する投資というのに興味が湧いてきた。
化粧、服、歯列矯正、脱毛、英会話。この1週間で今までと違うことをこれだけ始めた。
(化粧は今までは雑誌やネットの知識で独学だったので、ちゃんとプロに教えてもらった)
(服も今まではシーズンの変わり目にアウトレットに行って適当に買ってたが、雑誌を見たり自分に似合うものはなにかを考え始めた。
なんかね、楽しいね。これ。
言っちゃあれだけど自分すごい可愛くなってくわ。自信つく。
今までもたまに合コンとか呼ばれてたんだけど、そういう人と会うイベントのときのワクワクとか楽しさが段違い。
もしかして普通の女子って若い内にこの楽しさを味わってるからあんなにオシャレで可愛いの?
あと10年早く目覚めてたら……と思うこともあるけど、自分は20代はガッツリ趣味に生きてきてそれはそれでめちゃくちゃ楽しかったからまあいいや。
高校生の頃から創作を始めて16年になるが、三十路を迎えた辺りでどうも創作意欲が死んでしまったらしい。
机に向かって想像力を膨らませてもまるでわくわくしない。
十代の頃は妄想するだけで楽しかったのに、今は話を作るうえで仕方なく妄想をひりだしている気がしてならない。
おそらく創作意欲を下支えする感性がやせ細って、フィクションを受容するちからが弱っているんだろう。
かろうじてストーリーを思い浮かべて形にしようとするも、自分の生みだしたものがまるで面白く感じられないので、たいていそのまま捨ててしまう。
趣味としては長くもった方だが、なんの結果も残せなかったこともあり、どうにも気がめいってくる。
三十路もだいぶ経つが恋人はいない。生物との交尾も四捨五入したら10年はご無沙汰だ。
彼氏が欲しいかと言うとそうでもなく、仕事をきちんとこなそうと思ったら帰宅して食事をとり、気持ち程度にだらっとして睡眠をとらないと翌日の集中力が維持できない。
男に構っている余裕もセックスをしている余裕もないので別に必要もない。
人生で唯一交尾したことある男はそんなに下手ではなかったが、長年二次元がお友達だった私にはひたすら退屈だった。
SかMかというと私はMだけど、奴はNだった。ノーマルのNだ。責めるという発想がなかった。本当にかわいそうだった。
挙句の果てに、私は前より後ろの方がもしかしたら気持ちいいかも知れないことに気付いてしまった。奴には尻を交尾に使うという発想自体がなかった。本当にかわいそうだった。
かといって、他の人間との密接なコミュニケーションが心底億劫だし、そう言うことを許されるのは可愛い女の子だけだなという認識なので、性癖の合う男を見つけようとも思わなかった。
出来れば女の子がよかったが、尚更だった。だから一人なのは別にいいのだ。
一人なのはいいけど、性欲がないかといえばそんなことはない。ある。しかもMで、普通はしないことをしないタイプのやつだ。
そこで、玩具を買おうと思い至った。
都内には大きな明るいお店の玩具の店がそれなりにあるので、送料勿体無いし買いに行くのもいいなと思った。
私はまあ猪八戒みたいな見た目なので他所様にはご迷惑しかかけないが、とはいえMなので、一人でアダルトグッズを買いに来た女だ……という視線を浴びるのはそれはそれで股間に来るものがある。
しかしながらこれは頓挫した。なぜなら私の性欲は、布団の中と、仕事が死ぬほど暇な時以外は完全に沈黙していたからであった。
欲しいのは主に布団の中に居るときなのだ。しかも夜より休みの日の朝だ。
まあ色々物色し、(色々な意味で)収まりのよいものを見繕って買い物かごにいれ、カートに進んだ。
最近の通販はすごい。中身の偽装、送り元の画像なんて当たり前だ。
コンビニ受け取りにするとなんと名前も偽装できる。お金もコンビニで払えばいい。
ファ◯ポートに番号を入れ、レジの若いお嬢さんからダンボール(玩具入り)を受け取る、このプロセスにさえなんかヤバいものを感じる。
コンビニで玩具に金を払って引き取るなんてとんでもない世の中……と思いながら、数日後に私はブツを持ち帰ったのであった。
そして箱を開けてみたんだけど、そう、通販サイトの悲しいところで、
『うわ想定よりでかい』
一気に正気に戻った。股間の潤いがこう、スーッとなる。半分くらいでよかった。
現物を見ないで買うことには限度がある。全然収まりよくない。ほんとに入るのかよこれ。
しかも次に性欲のビッグウェーブが押し寄せるのが何日後か、何週間後なのかも想像がつかない。試しようもない。
どうしよう。もう斯くなる上は支部とかでそういう助平な画像を検索して気持ちを昂らせるしかないのか。めんどくさい。
匿名の日記だから言いたい放題できるけど、一緒に暮らす年下の女の子に通販がバレて「エッこんなの使いたかったんですか?どうせなら今から試してみましょうか?」って言われてベッドに押し倒されたい人生だった。
こうしてセックスの才能がない三十路独身女は、ベッドの上でスマホを握ってこの気持ちを吐き出すしかなくなってしまったのだ。
いや、ほんとにどうしよう。何が困るって、取り敢えず、私は独身だけど、ここが実家というのが最高にまずい。このサイズは流石に隠しきれないかも知れない。なんにも収まりよくない。
生きるのって大変だな、と思いました。
三十路過ぎてヤリ捨てされると惨めなのでご注意。
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
実家に住んで家賃光熱費など一切おさめず、家事の類も一切やらない。インターネットではこの時点でやばい認定をもらえるだろうが、現実はさらに上を行く。家庭内暴力である。といっても言葉の暴力だが。妹はなぜか、居心地の悪い(妹は母親が嫌いなのだ)実家に住んでいる状況を家族の、母親のせいにしている。いやいやお前が家賃節約するために実家に寄生してるだけなの忘れたか?!とびっくりするのだが、「あたしはマンション買うお金貯めるだけにココにいるだけだから!話しかけないで!」と叫ぶ始末である。おいおい、お前が安全に寝泊まりして風呂に入って食事用意してるの誰だよwwwwww洗濯してるの誰だよwwwwパンツ畳んでるの誰wwww反抗期の高校生かよwwwwwwwでも三十路なんだよなあ…ますを。
しんどい。
追記
・なぜ追い出さないの?
この手の追い詰められた人間(ただ我儘なだけだろと思うが、医者から見たら、本人は追い詰められてると思っているらしい)から追い出す形で居場所を奪うのはかなり危険だそうで。危険行為に出る、究極的に逆恨みされて二度と会えなくなるなど。相談している精神科医からの指導。
これについて言いたいことは山ほどあるけど、一理あるとは思うのであえて追い出さないし、いい加減にしろ!などの強い言葉、頭ごなしに否定する言葉も使わない。
中学生になれば高校生になったら可愛くなれるだろうと信じていた
大学生になって、二十歳になって、ああ勝手に変わるものじゃないんだなってやっと気づいた
色々頑張ろうとするけど、如何せん知識も技術もない自分はオシャレもメイクもだめだめだった
そのまま社会人になって、オシャレというよりフォーマルな格好でいることが増えて
いかに朝ギリギリまで寝て、夜帰ったら好きなことに時間を割くかに重点を置いて行った
肌のお手入れとかダイエットとかオシャレとか相変わらずダメダメだった
つけまつげですら付けられない人だった
いつか可愛くなりたいなと思いながらそのまま三十路になって、可愛くなれず現在に至った
容姿はダメなままだけど、愛嬌をふりまく(相手の顔をうかがう)術だけはたけていった
容姿について忘れかけていた自分にとって、凄くショックだったと同時に思い出した
そこからまたふつふつと容姿や見た目、オシャレについて受け身じゃなくて綺麗になりないって欲が出てきてる
世間では見た目気にしてるなんて子供もいるのに、母親なのに何考えてるんだって言われることが多いと思う
でもいつか復讐してやりたい。
マジレスするとこんなことを匿名で赤の他人に聞いてる時点で無理だよ
つまるところ楽をして自分のお眼鏡にかなう相手を探したいんでしょ?
社会人になってから恋人を見つけて結婚してたり相手が途切れないような人は
そういう努力をしないでサークルも出合い目的だからダメとか自分で見切りを
つけちゃってるような思考してたら一生無理
サークルにしたってそこで即付き合うとかじゃなくそこで気が合う友達を探して
仮にサークル内で良い人がいてもサークルに迷惑をかけない方法だってあるよね
見てたとしてもかなりスペックが高い人だったんじゃない?
なんかまだ無駄にプライド高いけど今まで恋人がいないってことは
あなたはそういう人じゃないですよ