はてなキーワード: パワハラとは
実際には「連帯『しない』」というよりは『できない』だと思うけれど、日本女性が連帯してないってのはまあホントだと思う
女同士で連帯するよりも、男と一緒になってそれを利用して身分保障を図った方が生存戦略として圧倒的に有利だものねえ
結婚が顕著だけど、独身だとしても結局男に上手く取り入った方が仕事でも成功しやすいし
良い悪いじゃなくてそういう構造があるのをまずは把握しないと駄目だと思う
なのに「女同士は助け合うけれど男同士は助け合わない」「女は高齢でも友達を見付けて上手くやってく」なる、ポジティブ過ぎる変な女性観が当の女性の間ですら蔓延しているのがなー
https://toyokeizai.net/articles/-/614670
日本女性は連帯しない、と指摘するのは『フランス・ジャポン・エコー』編集長で、伊藤詩織さんの性的暴行問題など日本女性が置かれた状況を取材してきた、レジス・アルノー編集長だ。
「日本では、フランスやアメリカのように、ジャーナリストや経営者、政治家の女性たちが1つのグループとして結集し、問題に取り組むことがありません。日本では、女性は結婚すると名字を変えるが男性は変えない、生殖に関する権利が日本語に翻訳すらされていない、賃金の不均衡やパワハラから効率的に保護されていない、といった、比較できるほかの国々では消えた無数の差別があるにもかかわらず、女性権力者にとって性差別は政治問題にもなっていない。
例えば、首相候補としてときどき名前が挙がる高市早苗経済安全保障担当相は、私が知る限り最もフェミニストから遠い人物です。小池百合子東京都知事は、自分以外の女性のために何かしたのを見たことがない。森喜朗の発言が冗談の対象になっていても、高市氏や小池氏が、自分の性別を心配する話は聞いたことがありません」。
https://toyokeizai.net/articles/-/614670?page=3
分断の要因として菊地准教授が注目するのは、1)1985年に成立した男女雇用機会均等法、2)1999年に公布・施行された男女共同参画社会基本法、3)アベノミクスで生まれた2016年施行の女性活躍推進法の3つだ。
1980年代に女性たちが求めたのは「雇用平等法」だったが、「均等」法は差別規制が努力義務にとどまる残念な内容だった。しかも、この法律がきっかけで、総合職と一般職という女性同士の待遇格差が生まれた。
さらに、1985年に専業主婦を優遇する第3号被保険者制度ができ、翌年に労働者派遣法が施行されたことで、女性たちは男性並みに働かされる総合職、補助的な業務に終始する一般職、非正規雇用の派遣労働者、そして主婦に分断されてしまった。
男女共同参画社会基本法については、女性たちは『性差別禁止法』を求めたが、男女が共に社会に参加する、という中途半端な法律に。「女性活躍推進法に至っては、なぜ女性だけが推進されなければならないのか、という根本からずれた内容で、女性は家事・介護・育児に加えて、男性と同等かそれ以上に働き、国や企業に利益をもたらさなければならない、という内容になっています」(菊地准教授)。
思い当たったのは、20代に渡り歩いたブラック企業で受けたパワハラの数々である。
ろくに学歴もなく大した経験もない自分はそれらの態度を仕方のないものと受け入れていた。
そして、思った以上に自分は傷ついている。
今になっても取引先で少し態度が強めの人がいたりすると萎縮して言葉が出てこなくなる。
PTSDをネットで調べてみると、ひどい体験をした人が陥るものだと言う。
自分のはそこまでではないと思った。
だけど普通じゃないと感じた。
どちらかというと障害者雇用の賃金が低すぎる事の方が問題なんじゃないかなって思う
https://www.businessinsider.jp/post-198046
「ケツ蹴飛ばすぞ」「もう来るな」
上司から強い叱責、パワハラを受けるたびにトイレの個室に駆け込み、安定剤を飲んだ。職場の机で飲めないのは、もし同僚に何の薬かたずねられても答えられないからだ。
上司の言葉に、Aさんはただうつむくしかなかったという。また別の日は女性の同僚が、低価格の飲食店が並ぶ「せんべろ」エリアのことを、「いかにも手帳持ってそうな人が歩いてて」と笑いながら話していたこともあった。
「私も手帳持ってるんだけどなって。精神障害者に対する差別や偏見の根深さに、とてもショックでした。福祉の仕事についている人たちですらこの認識なのか、と」(Aさん)
Aさんは都内の私立大学を卒業後、大手メディアに入社。約10年間、記者として働いたのちに退職し、その後は非正規の職を転々としてきた。
AOKIの贈収賄に日野自動車の不正隠蔽。実はこれらは前からよく知られていた。知っていたのはPwCあらた有限責任監査法人。そう監査人である。
AOKIの監査人は天野祐一郎、日野自動車は市原順二であり、双方とも会社の不法行為を知りながら隠蔽に加担していた。
監査法人は本来不正に対処すべき機関である。しかし目先の監査報酬につられてPwCあらた有限責任監査法人は両社の不正行為をずっと見逃し続けていた。
この件について金融庁はだんまりである。なぜなら不正会計ではないから。
監査人は監査の過程で不正に気づいた場合、その報告をする義務があるが、監査報酬に目がくらんだ天野と市川はそれを怠った。
しかも、このことは上司である塩谷岳志、井野貴章もよくしるところである。
PwCあらた有限責任監査法人はパワハラで職員を自殺に追い込むブラックで有名であったが、いよいよクライアントの不正加担にも力を入れるようになってしまった。
というツッコミ単体では単なる揚げ足取りなんだけど、下の段に繋がる話であって
増田やたらに喫煙には厳しい態度取るけどこれは酒と同じく意思の弱い無能がすがる先であって寛容を適用する範疇に思えるんだよな
そういう「どれが断固たる態度を取る悪で、どれが寛容を示す弱者なのか」という線引きが、今揺らいでいるんだと思う
白饅頭の言う、『ただしさに殺されないために』ってやつ、あまりにも酷い詭弁だよな
何かさ、「昔は今なら発達障害と見なされるような弱い人間、無能な人間も市民権を得られていた」って話題になると
「でも昔は今より喫煙し放題だったしセクハラやパワハラも酷かった」という反論をよく聞く。
「そういったものを認めない潔癖で不寛容な社会だから、弱い人間無能な人間を排除するようになった」とも。
そりゃ昔がパラダイスじゃないのは分かっているし、でも別に弱さを許す事と悪を許す事って不可分ではないでしょ?
弱い事や無能な事はそれ自体別に悪ではない。無能な人が、ミスや遅刻や忘れ物をするのはわざとではない。
寧ろ喫煙やセクハラやパワハラなんてのは『弱さ』とは真逆の、力を持つ権力者だからこそ出来る事なのに。
社会が『正しさ』を求めた結果として弱い人間無能な人間が排除されるという理屈には何の論理的整合性もないし、もっともらしく見せ掛けているだけの詭弁だと思う。
本当に社会が『正しさ』を求めているのなら、寧ろ無能な弱者に対しては寛容になってくる筈だよ。
故意の犯罪やセクハラや喫煙には断固として厳しい態度をとり、故意ではないミスの多さやコミュ障といった無能には寛容になるという社会は理論的に十分成り立つ筈だ。まあ現実はどっちかっていうとその反対方向に向かっているが、どっちにしろ「悪」と「弱さ」は全くの別物であって「悪を許す事」と「弱さを許す事」もまた別物だ。
まあ、弱い人間がそれゆえに追い詰められて悪事を働く事だって勿論あるが、それはそれとして切り分けるべき。そういう人に対して必要なのは適切な更正や教育であり、悪事を許す事ではないと思う。
アンパンマンの作者やなせたかしが言ったように、正しさとはお腹が空いた相手に食べ物を分け与える事だ。つまり正しさは人を生かすものなんだよ。
なのに『正しさ』が人を殺すなんていうのは明らかに詭弁。この世の中において不本意に殺されていく人が大勢いるのなら、それはこの社会が『正しく』なくて、弱者に対して不寛容だからだと思う。
義務教育はいいとして高校3年大学4年同じところに通うって個々としてそれがベストとは限らんよな
俺はその高校入りたくて(俺基準)地元の商業科入って資格も何個もとったけど受験考えるとやっぱ普通科の方がええわって思った
高校3年とか特に高校の授業要るか?って感じの平々凡々な授業だから高2の冬に受験を見据え転校した
それが見事に当たって志望大学(俺基準)に入学した。んで世間体とサークル活動のために3年次編入した
1つ1つ見ればインテリチー牛よりもどう考えても経験は積んでいるが学歴社会のせいですべて蔑ろにされてる
自分と学歴社会がミスマッチングであるが故にどうしても下に見られ実際に下の立場になるしかない
自分では怠けても無ければ成果を出していないわけでもない。現状維持を嫌い果敢にチャレンジしたと思う。
だから経験採用に変わってもいい。学校は社会に適応するための場であることは否定しないし自分は別段そこを蔑ろにしていたわけじゃない。しかし学校という決まった期間、規則に適応する必要性はあるのだろうか?ギフテッドを引き合いに出すと自慢に聞こえるが、ギフテッドがわざと周りに合わせて手加減するような状況と同じようなことが起こっているのではないだろうか?
まぁ経験採用も採用者側が経験と認める範囲に疑念を感じる。普通科転入やサークル活動は主に自分ではなく世間へのアピールも兼ねていたからだ。もしそういった事をすることなく経験としての採用が認められるなら大賛成だね。
文系の学生が大学4年間で何をしているかっていったらほとんど路上で酒飲んでぶっ倒れるくらいだよ。だから学歴社会はクソ。クソじゃないと想うやつはそういった自堕落な生活も学生生活の一部だと就活で胸を張って言えるか?と胸に手を当てて考えろ。
政府や世論がコンセプトレベルで矛盾しててゴールイメージがブレブレだからだよ。ブレまくったゴールに向かってその場その場で雰囲気で施策を決めてるからどこにも向かわないんだよ。
90年代以前を覚えている中年以降の世代なら分かると思うけど、少子化してなかった時代の日本は現代の感覚からすればそれはもう滅茶苦茶な社会だった。道端で立ちションするわ電車のホームはタバコの吸い殻でグチャグチャだわ、学校は荒れまくって金属バットをガラガラ言わせながら廊下を闊歩するヤンキーが沢山いたし、会社ではパワハラセクハラ当たり前、今のホームレスの方がマシなんじゃねーかってレベルの汚いオッサンが若い女の子のケツ撫でながら偉そうにしてたわけだ。そんな滅茶苦茶な社会で、今の感覚では有り得んレベルの汚くて社会性もないオッサンが何故か全員結婚して子供が2,3人はいた時代だったんだよな。
現代ではそんな連中は全く許容されないわけだが、人間のレベルはそんなに急に上がったりしないわけで、当時のオッサンと同じレベルの人間は今でも沢山いる。昔との違いは、そういう連中は大半が底辺労働の世界に追いやられて見えなくなったというところだ。少子化を解決するというのは、そういう追いやられた連中にも再び家族を持ってもらうということだ。
現代社会はそんなことは絶対に許容したくない。汚ねーオッサンのカスみたいな遺伝子と文化資本(笑)を受け継いだどうしようもないガキなんて見たくないわけだ。子供はみんな可愛くキラキラしていて欲しくて、意味不明に襟足が伸びたりしてない切り揃えられた髪型で、ちょっといい子供服ブランドに身を包んで将来の夢とかを嬉しそうに喋る子供であって欲しいというのが市民の願いだ。
政府も市民も、そういう不可能な願望を漠然とイメージして存在しないゴールに向かって施策を考えたり要望したりしている。それで上手くいくわけがないのだ。「なんかエーアイでいい感じにして欲しいんだよね!」というカスみたいな要求をする顧客に向かってフワフワしたエーアイベンチャーが「分かりました!俺らマジ最先端のエーアイ技術(github)持ってるんで、任せて下さい!」と言って虚無が納品される状況とあまり変わらない。
そんなものは無いんだよ。存在しないゴールに向かうのはやめろ。少子化を解決したいなら、汚くて頭の悪いオッサンをパパに持つ子供を増やすしかない。それかキラキラした子供だけの社会で安心してゆっくり衰退していくかだ。
GAFAMでは採用過程で志望動機を聞かない。聞いたとしてもただ興味から聞く人がたまにいるというだけでそれが合否に関わるようなことは基本的にはない。
日本や韓国は志望動機を大事にする企業文化が根強い。自己分析だの何だので志望動機に命をかける候補者、志望動機を過大評価する企業側、どちらも大バカである。
そもそもなんで志望動機なぞ聞かねばならぬのか。企業側のバカどもは業界の研究をよくしているかを見るなどぬかすこともあろうが、なぜ業界の研究をしなければならぬのか。入らないとわからないことが多いのに付け刃の研究を評価してどうする。研究した感を出すのがうまいことを評価しているにすぎない。
志望動機がしっかりしていない人間はすぐ辞めるだなどとぬかす輩もあるやも知れぬ。これも甚だ疑問で志望動機からやる気を判断するのはバカすぎるというものだ。いくらでも嘘を言えるし辞める理由なんてパワハラ・セクハラだったり安い給料だったり激務だったり興味とは別の部分が強いのだから志望動機をリテンション対策に使うのは頭が悪いと言えるだろう。キャバクラ嬢やホストの言うことを本気にするタイプのおじさんおばさんが上にいるということなのだろうか?
オマリーの六甲おろしのモノマネをしたことがある。というよりもするように指示された。バイトの先輩に指示されたのだ。先輩と言ってもかなり年上で40代。こちらは10代だったから逆らうことはできなかった。
先輩は飲み会でのカラオケで歌うように指示してきた。オマリーの六甲おろしはかなり音痴なのだが、その音痴っぷりを正確に再現することを求められた。
当然のことながら先輩はベロベロに酔っ払っていた。少しでもうまく歌おうとすると蹴りを入れてきた。酔っ払っているから加減されてない本気の蹴りを入れてきた。それでも耐えながらなんとか歌い終えた。
すると、先輩はなぜか「おめでとうございます」と言って飲みかけのビールを頭からかけてきた。俺の飲みかけのジンジャーエールもかけられた。ビールかけの再現だそうだ。
飲み会参加者は他に数人いたが、彼らもびしょ濡れになった俺をみながら笑いまくっていた。
最近になってその先輩のTwitterのアカウント見つけてしまった。読み勧めていったらその先輩も別件でパワハラ被害者だったらしい。
スペックはアラサーのIT系人材。Web系はだいたい一通り触れてきてフロントエンドもバックエンドもある程度できるけどインフラは最低限くらいにしかできない程度に苦手。言語はPerlとJavaScriptから始まってPHP、Ruby、Python、Go、TypeScriptあたりは言語レファレンスを見なくてもある程度は書ける。非WebだとC++とかも一応書けるには書ける。フレームワークで言うとRailsとかDjangoみたいな全部込み込みのものからFlaskとかpeeweeとか選定して作るみたいなレベルまで色々経験してきたし、フロントエンドもnodeとio.jsが喧嘩してた頃からAngularとかBackboneを経由してReactやVueなんかに触れてきた。某転職サイトでは得意な言語は一通り偏差値65-70で某ポートフォリオサイトの技術力スコアは3.6くらい。運良く趣味やらバイトやらでWeb系をやってきたから外向きに見せられる実績もある程度あるしエンジニア人材マーケット内でもそこそこ需要があるといった感じ。ずば抜けた才能があるわけではないけどどんな現場でもそれなりにスキルを発揮できる器用貧乏タイプだと思う。
そんなこんなで博士に至るまでIT系のスキルを活かしつつだいぶウェット寄りの分野でプログラミングを駆使して色々なことに取り組んでた。民間のエンジニア人材としては平々凡々でも周りがプログラミングできない連中だらけのアカデミアの世界では神扱いされてちやほやされた。そんでもてはやされて勘違いして工学じゃなくて科学の博士課程に進んだのが間違いの始まりだった。
身バレするのが嫌だから詳細は伏せるけど、まあパワハラアカハラなんて日常茶飯だった。指導教員はまともに指導なんてしないし周りの教員たちも工学的なことばっかやってるのを見て好き勝手言ってきた。正直進む道を間違えたのは自業自得だけど、そのくせ「せっかく進学したのにやめちゃうの?」みたいなこと言って引き留めてくるからタチが悪かった。今からして思えばプログラミングができるレアな便利人材を手放したくなかったんだろうなって感じがする。
そんなこんなで博士の終わりが迫ってくる頃にはアカデミアに対してこれでもかというくらい嫌気が差していたけど、それでもやりたいことがあるから一応就活はアカデミア系と民間系で両方やってた。どちらもオファーが来たけど結論から言うとお話にならないくらい民間の方が条件が良かった。
まず給料は民間が1.5倍以上、アカデミアの技術職との比較だと2倍以上の開きがある。しかもこれは「民間の一番下」と「アカデミアの一番上」を比較した数字でそれぞれ逆をとったら正直目も当てられない。その上福利厚生もさまざまな手当も民間の方が条件がいい。給与の伸び代も民間の方がいいし就労条件も民間の方がいい。そもそもアカデミアでフルリモート可なんて存在しないんだから勝てるわけがないんだけど。その上で民間は原則として終身雇用に対してアカデミアは任期付きのポストばかり。就活を始める前からわかってたけどいざ現実として待遇の違いを突きつけられるともはや笑うことしかできなかった。
「それでもアカデミアは自分の研究ができるんだからいいじゃないか」と言う意見を目にするけど、結局はPIとして独立するまでは他の先生のラボで雇われになる。その間にうまくやらなきゃ一生そのまま下請け仕事をし続けることになる。そしてたとえ独立できたとして、選択と集中の名の下に文科省にとって都合のいい研究テーマを立案しなければまともに研究費を取ることすらできない。大口の予算を取ろうと思ったらいかにビッグマウスで役人を丸め込んでそれっぽいことをやれるかで全てが決まる。
自分が外れ値であることは否定しない。プログラミングが楽しくてWeb系の技術が好きで、可処分時間を使って夢中になって勉強したり色んなものを作って遊んだらして過ごしてきたからこそ今がある。でも正直少しでもプログラミングができるならアカデミアに残るより民間に就職した方が待遇もワークライフバランスもいい。きちんとリサーチすればカルチャーだってすごくいい会社はたくさんある。
それを承知の上でアカデミアに残る人は正直すごいと思う。自分がその立場にいることを想像したら気が狂いそうになる。もし似た立場で迷ってる人がいたら心から伝えたい。アカデミアやめて本当によかった。