2022-08-25

『ただしさに殺されないために』という詭弁

饅頭の言う、『ただしさに殺されないために』ってやつ、あまりにも酷い詭弁だよな

何かさ、「昔は今なら発達障害と見なされるような弱い人間無能人間市民権を得られていた」って話題になると

「でも昔は今より喫煙し放題だったしセクハラパワハラも酷かった」という反論をよく聞く。

「そういったものを認めない潔癖で不寛容社会から、弱い人間無能人間排除するようになった」とも。

この理屈にどうも違和感あるんだよな。

そりゃ昔がパラダイスじゃないのは分かっているし、でも別に弱さを許す事と悪を許す事って不可分ではないでしょ?

弱い事や無能な事はそれ自体別に悪ではない。無能な人が、ミス遅刻忘れ物をするのはわざとではない。

寧ろ喫煙セクハラパワハラなんてのは『弱さ』とは真逆の、力を持つ権力者からこそ出来る事なのに。

社会が『正しさ』を求めた結果として弱い人間無能人間排除されるという理屈には何の論理的整合性もないし、もっともらしく見せ掛けているだけの詭弁だと思う。

本当に社会が『正しさ』を求めているのなら、寧ろ無能弱者に対しては寛容になってくる筈だよ。

故意犯罪セクハラ喫煙には断固として厳しい態度をとり、故意ではないミスの多さやコミュ障といった無能には寛容になるという社会理論的に十分成り立つ筈だ。まあ現実はどっちかっていうとその反対方向に向かっているが、どっちにしろ「悪」と「弱さ」は全くの別物であって「悪を許す事」と「弱さを許す事」もまた別物だ。

まあ、弱い人間がそれゆえに追い詰められて悪事を働く事だって勿論あるが、それはそれとして切り分けるべき。そういう人に対して必要なのは適切な更正や教育であり、悪事を許す事ではないと思う。

アンパンマンの作者やなせたかしが言ったように、正しさとはお腹が空いた相手食べ物を分け与える事だ。つまり正しさは人を生かすものなんだよ。

なのに『正しさ』が人を殺すなんていうのは明らかに詭弁。この世の中において不本意に殺されていく人が大勢いるのなら、それはこの社会が『正しく』なくて、弱者に対して不寛容からだと思う。

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