はてなキーワード: バンジージャンプとは
★よく「年金はこのままだと破綻する!!」と恐怖感をあおる報道がなされる。
或いは、金融機関とか保険会社が、「だから養老保険に入りましょう」とセールストークする。
でも、年金が「見込より2~3割程度少なくなる」ことはあるかもしれないが、
「年金が見込みより半額以上減る」ことは現状考えづらい。
「半額以上減る、破綻する」と不安煽って商売する金融機関・雑誌テレビは猛省すべしだと思う。
彼らのせいで、日本人の経済行動が過剰貯蓄になり、さらに不安先行心理になって、出生率まで影響しちゃう。
★これは私見だが、日本の年金財政は、実は雑誌が煽るほどには悪くないんじゃないか、と思う。
出生率の予想は外し、利回りの予想も大外れなので年金財政が悪化方向であるのは事実だが、
一方で、「70歳近くまで、年金を受け取る側じゃなく、年金を払う側」に回る人も多い。
★実は、65歳以上高齢者の「就業率」国際比較データを見ると、日本は突出して高齢者就業率が高い。
社会学者は、その理由を「日本の年金水準が低いから(現役時代所得代替率が低い)」の一言で説明している。
実際「年金水準が低いから、仕方なく働かざるを得ない」の理由な人も多いだろうが、
それだけでこの高就労率を説明できるだろうか?
「経済的には働く必要もない」のに「リタイアするのが怖い、リタイアすると生きがいが無くなる、自分の居場所として職場が欲しい」
という「精神的理由でリタイアしない人」も、日本では結構多いんじゃないかと思う。
★成人になるのに、社会によっては「通過儀礼」を行うケースがある。
昔の日本の元服式、今の成人式、未開部落ではバンジージャンプ、韓国では徴兵制。
今の日本では成人式は通過儀礼になってない。だから「精神的に大人になれない、なりたくない20歳以上」が増えてる。
★60~70歳男性にとって、「退職」とは一種の「老人としての通過儀礼」。
しかし、「自分は老人だと認めたくない、精神的永久青年」が増えているため、
「老人としての通過儀礼であるリタイア」を極力後倒ししようとする日本人男性が多い、それが「60歳代後半の異常な就業率」の正体では?
★ちなみに、日本の平均リタイア年齢が69歳程度なのに対し、フランスは60歳を切っているらしい。
かの国では、「老人になることを受け入れる」精神風土があるのではないか?
22か国では「働く必要があると考える年齢」より、「リタイアしたいと思う年齢」を下回ったらしい。
世界的には、大多数の人は「もっと早くリタイアしたいのに、経済的にやむなく働かざるを得ない」
唯一日本のみが「働く必要があると考える年齢(60歳)より、もっと長くまで働きたい(62歳)」と回答したらしい。日本人のリタイア拒否症状は重症。
★また、『職位では特に管理職が、より長く働きたいと考える結果』だったらしい。
この調査結果は、すなわち、日本人のリタイア後倒し現象が、経済的理由に起因するものではないことを裏付けている。
管理職なら、経済的には『働く必要がない』のに、あえて働いている。
恐らく、管理職の『まだまだ若いモンには、ウチの会社は任しておけねぇ』という訳判らない『責任感』が、
★これ是非とも、「年収・資産」と「いつまで働きたいか?」のクロス統計を見てみたい。
普段こういったことを噤んで生活をしていく中で、
誰かに聞いて欲しかったんだろうと思う。
*
今年の冬に死のう、と決めたのはちょうど一年前にあたる昨年の初冬のことです。その日は父の命日でした。
叔父は僕が中学生の頃に飛び降り自殺をし、結果的に未遂に終わり、半身不全になりました。
僕の曽祖父はすい臓がんの痛みに耐え切れず電車に突っ込んで自殺をしました。きっとその遺伝子が僕にも流れているのだと思います。
*
父は僕が高校生の時に突然亡くなりました。
母が話したがらなかったので、正確な死因は聞かされていませんが、脳梗塞かそれに似た病気だったと思います。突然死でした。
僕はその地区では一番の進学校に入学したにも関わらず、勉学への意欲を失っていました。もともと中学ではいじめから逃げるため、まるであてつけか腹いせのように勉強をしていたようなものだったので、環境が変わったことにより勉強する理由を見失ってしまったのでした。学校でも居場所を失い、借りてきた本を読んだり、漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、夜はいつもだらだらと過ごしていました。
その日、日付をまたごうかとしていた時刻です。ようやく物理の問題集を開きかけたところ、隣の寝室から母のくぐもった叫び声が聞こえました。母は僕を呼びつけ父を見ているようにと言って、一階へばたばたと階段を駆け下りました。父は目を開けたまま空中を見つめて固まっていました。ぼんやりと口を大きく開け、橙色の明かりが照らしているはずなのに、その瞳が灰色のように見えたのが印象的でした。
僕は、救急車の音を聞きながら、弟の手を握って、多分おとうさんは死ぬから、これからは二人で母をささえていかなくてはいけない、といったことを弟に言いました。こたつぶとんの銀杏の柄を今でも覚えています。(その弟とは数年後に金のいざこざで法事であっても目を合わさないような仲になるのですが。)
どこにでもあるような、ありふれた死です。
中学生の時には友人を何人か自殺で亡くしました。そのうちの一人とはとても仲がよかった。僕は高校受験の合格の知らせとともに、その電話をうけました。成績も優秀で人柄も温厚だった彼の葬式には、たくさんの友人が足を運びました。彼は病気で死んだと聞かされていましたが、数年後あれは自殺だったのだと母から言われました。彼が最後どのような姿だったのかは知るべくもありませんが、僕は彼がきっと暗い森で首を釣ったのだろうな、と画を浮かべました。
どこにでもあるような、ありふれた死です。
僕は彼とそこまで交流があったわけではありませんでした。
どこにでもあるようなありふれた死です。
その後も肉親のありふれた死を沢山通り過ぎましたし、災害や事件が起こるたびに、そしてウェブの手記やブログといったひとの人生が語られるたびに誰かの死を知りました。思えば、中学生のあの自殺を経験した時から「死」というものについて毎日考えるようになっていました。それは而立と呼ばれる年齢を超えた、今でも、毎日です。
人というのは本当にあっけない。人の人生を美しく錯覚させているのもまた人なんだなあ、と僕は祖父の焼かれた骨を拾いながらとても空虚な気持ちになっていました。
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僕は幼い頃からとても潔癖で、世の中では避けて通れない、多くのひとなら何も感じないような些細な傷にもいちいち血を流すようなとても弱い、誤解を避ける言い方をすれば、感受性の強い人間でした。そうやって振舞っていると当然のように不幸を呼びこむもので、学生時代も就職してからも、ひとに脅されたり漬け込まれたり、悲しみや苦しみを自ら引き寄せたりすることがとても多かったように思います。自分に自信がないせいで、異性を好きになることもできません。
しかし、悲しいことばかりでもなく、大学では友人に恵まれましたので、そういったふるまいがいけないのだということを少しずつ学びました。そして、悲しさやいらだちをすべて筆に載せることで自分を保つようになりました。自分自身を神のように錯覚する、一種の宗教のようなものです。筆を握ることさえできれば、どんなに辛いことがあってもまあなんとかなる、それを糧にしていけば、次の作品の材料にしていけばいい、そして、それでもだめならいざとなれば死ねばいい。そうやって自分をごまかすことができていました。ここ数年は。
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昨年の初冬から筆が握れなくなりました。その頃は仕事で一日の時間の大半を奪われており、常に締め切りに追われ、朝方に眠り、ぼんやりとしたまま起き、仕事をし、眠っていたから、いつのまにか、なにかを美しいとおもったり、なにか美しいものをつくろうと思う気持ちがすっかりなくなってしまったのでした。ただ人を裏切ることが恐ろしい。人にがっかりされることが恐ろしくて仕方がありませんでした。あのころと一緒です。自ら悲しみや苦しみを引き寄せるようになっていました。
僕はスケジュールをきちんと管理できなかった自分を、仕事がこなせない自身の力不足を糾弾しました。ある日道を歩きながら、パソコンに向かいながら、電車に乗りながらわけもなくぼろぼろと涙が溢れてきて、「これははてなのコメントでよくみんなが言っていた鬱というものだなあ」と思い、病院へ言って安定剤をもらいました。
薬を飲むと涙が流れるのはすこし和らぎましたが、強烈な眠気とだるさに見まわれ美しいと感じる心はますます萎びていきました。何を見てもときめかないし、輝かない。美しい作品を作って、褒められたいという情熱は、作品をつくってそれが美しいものでなかったらどうしようという恐怖に変わっていきました。もうひとりの自分が糾弾します。筆を取れない自分に価値はない。いや、もともと価値などなかった。もっといえば人間に価値などない。人を美しく思わせているものは人なのだから、その気持をうしなってしまったらなにも意味が無い。
僕がこうやって萎びている間も周りの人間はどんどん前へ進んでいきます。そういった輝かしい人々を指さして、僕をもう一人の僕がぺしゃんこに糾弾します。毎日平静を装って仕事をしながら、己を否定する言葉が泉のように湧き出てきてそれが朝から眠るまで続きます。インターネットで見かける言葉がすべて僕を責め立てるように見えてきて、恐ろしくなります。汚い言葉がこちらに向かって刺さってきます。けれどそれをやっているのは自分自身です。それをわかっているから、ますます自分を糾弾します。こんなことで萎びてしまう弱い自分がすべて悪いのです。けれども僕は何食わぬ顔をして普通に仕事をして、ごはんをくちに運び、風呂に入って、眠ることができます。糾弾して、仕事をして、ごはんを口に運んで、風呂に入って、眠ることができます。おそらく死ぬまで。ずっとこれを続けることができます。でもできるのとしたいのは別のことです。
*
思えば物心ついた時から常になにかに怯えていました。人の顔色をうかがい、人の評価にあわせることでしか自身を保つことができませんでした。筆を握ることは、ただ楽しいと思えていたのに、それも虚栄心を満たすだけのものに成り果てました。いまでは作品を作ることすら恐ろしいし、過去の作品を見ると動機が激しくなって、吐き気のようなものがこみ上げます。
毎日暮らしていくことはできます。恋人や伴侶や子供もいないので一人で暮らしていくには給料は十分です。でももう、立ち上がるだけのエネルギーがのこっていない。
いざとなったら死ねばいい、これまでも幾度と無く思ってきたことですが、そのいざとなったらが、今ではないかと思いました。僕は去年の初冬に決めました。あと一年この気持が変わらなかったらビルの20階から飛ぼう。高いところがとても好きで、バンジージャンプの経験はあるし、幼いころの夢は鳥になることでした。首吊りや凍死、薬物やガスも考えましたが、インターネットは便利です。いろいろ調べて、死ねなかったことを考えるとこれが一番いいような気がしています。
今年に入って身の周りのものも処分をはじめました。できるだけ周囲に迷惑をかけないように(それが無理なのはもちろんわかっていますが)、手配したいし、遺書も用意してあります。ここ数カ月間は、仕事関係以外の人間、肉親との接触もできるだけ断つようにしてきました。準備を淡々と進めています。僕は初冬に多分、多分死ぬのだろうと思います。悲しいというよりは空虚な気持ちです。死んでいった彼等もこんな気持だったのでしょうか。
どうすればよかったのか?なんて思うけれどもそんな救済ははじめからなかったような気がします。思えばむかしから弱くて、弱くて、ここ数年がただ運良く、うまくごまかせていた、それだけだったのだと。この世は弱肉強食ですから、弱いものは去らなくてはいけない。もう一度美しいと錯覚できたら、そうしたらまた以前のように自分をごまかすことができるのだろうか。ごまかすことができたら、この先の命を続けていくことができたのだろうか、それはもうわかりません。今の私には、屋上から逆さまに落ちてトマトのようにぐしゃりとなる自分の姿しか思い描けないのです。
私は他人が苦手である。
どうもコミュニケーション能力に乏しいようで。
こっちがしゃべると、相手が何をしてくるのかがわからない。
下手なことを言えば、恨まれたり暴力を浴びるかもしれない、と。
ひいては、自分の命が危ない、と。
そこまで考えてしまうのだ。
高さ数十メートルからロープ1本つけて飛び降りるのが怖くないわけがない。
でも、ロープがついてる。
ハーネスがちゃんと固定してある。
それで、安全性は十分保たれている。
もちろん100%ではない。
でも、頻度は限りなく0に近い。
事故が起きればバンジーの安全性がガタ落ちして、営業に支障をきたすからだ。
なので、ある種の安心によって川底に飛び込むことができるのだ。
「他人に話しかける」か「バンジージャンプをする」のどちらが危ない?と問うと、
でも、私は「他人に話しかける」のほうが圧倒的に危険だと思ってしまう。
多分どちらも安全性はほぼ100%、むしろバンジーのほうが低い、と言うのはわかっている。
でも、心臓疾患がある人がバンジー飛ぶと安全性がぐんと下がるのと同じように、
コミュニケーション疾患がある私が他人に話しかけると安全性が下がる、
と言うのはそんなに言い過ぎでもない気がする。
俺は虚構新聞。小学校の塾講師をやる傍ら、人気ジョークサイトをひとりで作り上げた。
ツイッターでも人気がある。なぜなら人気ジョークサイトをひとりで作り上げたからだ。
俺はロックでパンキッシュだから、天下の朝日新聞すらネタにする。
歴史ある新聞社が、新聞社そのものをパロディにしたサイトを逆取材して来た。これはついに、ユーモアが事実に勝利した日だと認識していいよな?
まあそんなちょっとした自慢は置いておいて、今日は何よりもユニセフの話だ。
俺はお前ら無責任ひきこもりニートと違って、炎上で儲けた広告費をフィリピン大地震に募金するイカした塾講師だから、まず間違いなく俺は正義だ。これで誰も俺を叩けやしない。
ちなみに西村ひろゆきとかいう小物もユニセフと揉めて赤十字に寄付したらしいが、要はアレは俺のパクリだ。
まあそんなこんなでオリジナリティ溢れるジョークセンスを世間に振りまいている俺だが、そんな俺にも困ったことがある。
それはユーモア欠乏症のお前らが、この俺様のイカした人気サイト、「虚構新聞」をまるで理解しやがらないことだ。
モンティパイソンにも通ずる風刺の感覚を持っている俺だが、新聞社が大手を振るって歩くこの時代、なかなかどうしてこれを面白がってくれる奴がいない。まったく、どいつもこいつも新聞社を信用しすぎなんじゃねえか? ミスインターナショナル吉松育美さんの脅迫事件も全然報道しやがらねえし、どうなってんだよ。
ただ言っておくが、俺はツイッターでは大人気だからな? ファンも多い。
俺の風刺の感覚を、ちゃんと分かってくれてるんだよな。モンティパイソンにも通ずるこの感覚をな。
あ、そうそう。ちなみに「kyoko-np.net」っていう虚構新聞のアドレスは、京都新聞の公式サイト、「www.kyoto-np.co.jp/」からパクった。あ、「パロディ」って言わないと誤解を生むかな?(笑)。
まあ言っても、面白いと感じる感覚は人それぞれだから仕方ない。ただ俺はモンティパイソンを通って来た人間だということだけは改めて言っておくがな。
最近もichidaっていう、うちのサイトで連載をしてる漫画家と会って来た。
こいつは俺と違って普通に面白い。虚構新聞にも四コマが載ってるから、ぜひ彼に仕事を与えてあげてくれよな。まあ俺は塾講師との二足のわらじでなかなか忙しいんだが(笑)。最近は人気の副作用でいろいろと仕事を貰えるようになって来た。漫画のレビューもやってるが、本当はもっと飛躍してバンジージャンプなんてやってみたいんだよな。テレビに出て、生徒に虚構新聞だってバレるのも時間の問題かな?(笑)
そうそう、そのイカした漫画家ichidaと会ったときも、俺は人当たりのいいジョークで場を和ませた。まあもっとも俺は関西人だから、元からそういうのは得意なんだが(笑)。
しかし、最近はどうも俺に恥をかかせたがる奴が多い。俺は天下の虚構新聞だぜ? フィリピン大地震にも寄付したし、塾講師と二足のわらじを履いて日々の生活を成立させてる関西人だ。そしてなんといってもモンティパイソンが好きだ。
まあ、恥をかかせる奴が多いと言っても、俺自身はいくらでもネタにしてもらって構わない。中にはちょっと批判されるとすぐツイッターで言い訳する奴もいるが、ああいうのは正直言ってダサいな。相手の捉え方がおかしいとか言って正論を吐き続けたりするが、そんなことしてる暇があったらフィリピン大地震に募金しろってんだよ。いやマジで。
ちょっとでも批判されるとすぐにアツくなって「俺は恥をかいてないぜ」って理論武装しやがるけどさ、いやいや、そこでマジレスしてる場合かよ。アンチこそがネタの大資源だろうが。南海キャンディーズの山ちゃんを見習えってんだよな。このままじゃ、俺とあいつは日本の石油王になっちまうぜ?
だからさ、自虐ができてこそのジョーク使いだってことを、お前らにもちゃんと分かっといてほしいんだよな。モンティパイソンだってそうだったはずなんだよ。
まあ長くなったので今日はここでそろそろ終わりにするが、これからも俺の運営する神聖なるジョークサイト、「虚構新聞」をよろしく頼むな。もっとも最近は、ボーガスニュースがアラブ人にハッキングされてんのが一番面白かったが。これにはさすがに嫉妬した。うちも対抗して本当のニュース載せてみようか?(笑)
あ、そうそう。言い忘れてたけど、ついでに言うと俺はサザエbotも運営している。
どうだ、この多才っぷりに参ったか?
もともと大のビール好きの酒豪キャラ・超アクティブキャラだったので
まだ2ヶ月だし妊娠報告してもダメだった時のことを考えると安定期までは秘密にしていたいし
色々理由をつけてなるべく行かないようにしているんだけど、やはり付き合いでどうしても…なことがある。
■健康診断で数値がひっかかった
■胃腸炎で…
→じゃあ体調よくなるころに日程を改めよう!
■熱があるので…風邪ひいてるので…
→酒飲めば治るよ!
妊娠中は不可能な激しいレジャーに誘われる(ダイビング、バンジージャンプなど)場合も
■体調が悪いので…
→じゃ日程改めるよ!
■腰が痛いのでやめておくー
→ペインクリニックを紹介される
→痛み止めの薬くれる
などなど、かわしてもかわしても…どうしたらいいんじゃ。
皆さんどうやって回避してるんですか。
ということで、元々酒豪キャラの人がやんわりお酒や遊びを断り始めたら
無理に勧めずに暖かく見守ってほしいです。
あと、もしかしたら妊娠かもよ?検査してみたら?とか言うのもヤメレ。
知っとるわ。
掃除をしていたら、iPhoneの機種変でいらなくなってたAndroid携帯が見つかった。
試しにWiFi環境に繋いでみたら、ものすごい勢いでアップデートが始まったので暫く放置していた。
暫く経った頃、端末を再度眺めてみるとノーティフィケーションにずらりと並んだアプリ。
その中に、かつて電車の中でよく遊んでいたMinecraftPEがあった。
なんで、やめたんだっけ。通学時間にあんなにはまったのにな、なんて考えながらも
サバイバルモードを立ち上げてみる。背景は真っ黒だったはずなのに、なんかおしゃれになってる。
元々遊んでたのは0.30までだったから今の0.71からみたずいぶん前だ。
以前遊んでいたワールドがなぜかなかったので適当に作成してサバイバルモードで立ち上げて遊んでみた。
しばらくしてワールドは夜に変わる。
今、Steveの耳には三種類の音しか聞こえてこない。
1. 動物たちの鳴き声
2. ゾンビの唸り声
3. 私、Steveの恐怖を噛み殺す歯ぎしり
Steveは今、露天掘りにした1×1×3の穴の下にいる。
作れたのは木のつるはしまでだった。
石炭を掘り当てることができず、ただ無駄にたまった土塊がアイテム欄を埋めている。
長い夜の間、ゾンビの声に怯え続けたSteveの魂は
MinecraftPEのWikiを彷徨い歩いた。そして目当ての情報へ。
PocketInvEditorというアプリ。
土くれを松明に、アイテム個数を255に変えてみた。
二回、三回と繰り返し踊ってみる。
そしてブロックを一つだけ掘り、松明を授けると
その光に、Steveは捕われていた孤独を思い出すことになる。
かつて、Steveはマインクラフトがクラフターの一人だった。
ニコニコ動画にアップされているような
コツコツと積み上げられた職人芸には叶わなかったけど、
立体文字を作ったり、自分の部屋を再現したり、色々楽しんでいた。
狂い始めたのは、バージョンアップにより
彼は熱中した。掘って掘って掘りまくった。
だが、そのうち物足りなくなってきた。
十分な松明を置けなくなったため、
背後を襲われることが増えたことと、樹木の伐採のし過ぎで
木が足りなくなってきたことだった。
環境ファイルをバイナリエディタで直接書き換えればいける方法を知る。
確かにそれっぽいのがあった。
これを書き換えれば。
これ以降、SteveはHEXファイルを呪文のように日がな唱えるようになる。
アイテム欄だけではなく、フィールドの切り替えをも簡単にできる事にSteveはすぐに気づく。
クリエイティブモードで培った財産を今こそサバイバルモードに変える時だった。
すぐにすり減ってしまう石のつるはしは当時未公開だったダイアのつるはしに変え、
紙切れのように石層を掘り砕いていった。
せこいことをしてコツコツ増やしていた本棚はFFに変えるだけで欄が255に変わったので
部屋の床全てを埋めてもまだ余裕があった。
美しく等配列に並ぶことで果たしていた装飾という役割も同時に共に消し去ってしまった。
埋められるスペースというスペースに松明を突き立てたことで。
時々、ゾンビが落ちていく姿を眺める事ができた。
海の上に落ちたのでは死なないから、わざわざ石畳を敷き詰めて、
落下死させるようになっている。
クリエイティブモードとサバイバルモードを簡単に行き来できるからだった。
1×1マスのガラスの囲いから救いの手を差し伸べる何重にも折り重なったゾンビたち。
TTで思いつくほとんどのことをやりつくし、眠れぬ夜にゾンビに怯えることもない今
ただただ、囲われたゾンビを眺める事がSteveの日課だった。
ゾンビーフはまだこのバージョンにはなかったから、生き倒れていく緑色をずっと見ていた。
いつもの朝を迎えると彼は手持ちのアイテムのほぼ全てのIDを2Eに書き換え、
牛や豚を追い込むのに苦労した。
空を仰げば青さのみが広がる海中神殿。対照的に、溶岩を誤って置いて
紐なしバンジージャンプをした。
全てに置いていった。
残っていた石ブロックを十個一列に新たに積み上げるとその上に立ち、
赤色のブロックを横付けして、ワールドをサバイバルモードに変更する
どこまでも連なっていくのが見えた。
かぼちゃにも似たそのブロックの側には大きく「TNT」の文字。
v0.30ではまだクラフトすることが出来ないはずの爆弾だった。
ほんとにいいのか?
Steveは自問自答する。
もうこんな世界に用はない。
そしてブロックを長押しした。
その最後を彼は見届けることはなかった。
そのまま即死した。
Android携帯の画面はSteveが最後に見た世界をそのままに
そして、携帯を再起動し、MinecraftPEを立ち上げると
全てが終わっていることに気づく。
かつて、一番最初の一歩を踏み出したここは美しい平原だったはずだが、
TNTにより抉られた醜い谷間へと姿を変貌させていた。
性急にことを進めすぎたんだと思う。
地道に石を彫っていかなくてもヘックス値をFFに書き換えるだけで255になるアイテム欄に、
こつこつやっていた楽しさもゆっくり何を作ろうかと考えていた期待も忘れてしまって、
飽きが来てしまった。
遊びだけを奪っていったはずの全能感が倦怠に変わると、
Minecraftを遊ぶ全ての動機に牙を剥いてしまったのだ。
何なんだろうな、この気持ちは。不条理が今ここにある。
v0.71になってIFは変わったけど、一度醒めた気持ちが再燃する事はなく、
全てを与えられたSteveを俺は見放した。うまく使う事ができなかった。
限られた選択しか常にない環境なら、なおさら、どうであったろう。
なんか疲れた。もう疲れた。
俺はこの部屋のSteveだ。
http://anond.hatelabo.jp/20121206034726
これは実際、結構ある動機だと思う
漫画を親が捨てるのなんかその典型
大人ってのは、ぬいぐるみを捨てて口紅を、合体ロボットを捨てて煙草を手にすることなんだ
「大事なものだから捨てないで」なんて主張は、一人前の大人になることを拒否していつまでも子どもでいたいという甘ったれた精神の発露と解され、社会では通用しない
むしろ、電撃処分というショックを与えて大人に叩き上げるイニシエーションを行わねばならない、という動機づけにさえなる
嫌がる『のに』捨てるのではない
嫌がる『から』捨てる
それで説明は付く
社会の成員としての生まれ直しを周囲の手で行わせる儀礼だということ
結婚式でのサプライズ暴挙が相次ぐのも同じ文脈で読み解けるのではないか?
(ラブプラス破壊の前にも、何かサッカーゲームでもあったはず)
バンジージャンプが元々成人儀礼だという話は有名だが、死ぬ思いをして勇気を示すから役割を果たす
既に大人同士であるはずの夫婦間についてはこれでは十分に説明できない
仮説だが、富の偏在を生まないための習性として人類が獲得したビルトインスタビライザーなのではないか?
財を著しく溜め込んだ者がいた場合に、放棄することで富の再分配を、あるいは破却することでリセットを行うよう習性付けられているのではないか
スペースを侵害しているわけでもない夫のものを勝手に捨てる妻(逆でも良いが)の脳裏には、富の集積=悪という、まれびと殺し譚の印象が過っているのではないだろうか?
こちらは強引だとも感じるので継続的に考えていきたい
女が男を試すものなんだろうなと思ってる。
「その火を飛び越えて来い」
言っていることはわかるけれど
女から男へ・個人から個人への要請として成立するものじゃないと思うんです。
そこには社会的なインフラ整備が不可欠であることにみんなが気付いて欲しい。
これは、成人を迎える部族の少年にバンジージャンプをさせるのと同じパワーです。
"それ"が義務であり誇り高いことでもあるのだと教えられていたからこそ
必要な時に年長者や女や子供から片務的な負担を申し付けられても
従容として、時に嬉々として、それを受け入れることができたのです。
少年をそのような男に育てるには
子供の頃から少しの特権とそれよりずっと多い義務や責任とを与えて自覚させる必要があります。
女の為に宝物を探してきたり火を飛び越えたりする男像は
少女の頃から少年を「殿方」として立てるようなことをしたいなら別ですが
そうでない、そして実際そんなことをしてこなかった女が
火を飛び越える男を欲してもそれは不当だと思います。
そのような義務規範の身に着いた男を育てる社会コスト・個人コストは小さくなく
だからこそ必要なくなった時点でそのシステムは命を失ったのですから。
ただ、社会の過渡期と言うのは局地的なズレが多く起きて誤謬を産みます。
未だに男は炎を飛び越えるべきだと思っている男女もそうです。
その為の特権も名誉も訓練も義務も死も与えられてこなかった元少年が
この現代に炎を飛び越える必要は無いと私は思います。
現代、
旧規範のロマンを求めて満たされない女と相互に憎んで対立した結果
互いに旧価値観の良く見える部分だけを当然の形として異性に求めているだけで、
これは気付きさえすればすぐ解決できる、ただの誤解です。
これらは全て飛び越える炎です。
まだ書けんだ
限界までやってやる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
俺こそがガンダムだ!
とかなんとかつぶやいてみりゃ少しは現実がバラ色に見えてきますか?
これで幸せな夜を迎えられる。いい夢見れるといいな。
最高にハッピーな気分さ。
今日も十分に寝た。
すっきり爽快!そうかい!
元気に潰す。履きつぶす。
大きなメロディーが、俺を包み込む。
ねぇ聞こえてるかな
一緒に歌ってみてよ
ためらわずに言えるさ!!
わざわざ驚くこともない!
俺はほくそ笑む。
笑いで手が震えるぜ。
押しつぶしてしまえ。
俺は自由になる。I can fly!
そんなことはないよ
そんなひどいことはないよ
ペロッ・・これは青酸カリ!!
さぁ、ここから一気に鉄道に向かってダッシュだ。
死んだらどうする!!犬に噛み付かれて猫に引っかかれて
どんな強大な敵とも戦っていけるさ。なぁ兄弟。
手応え、感じ無くてもきっと誰かが読んでくれている。
世界は俺の味方だ。そして敵だ。
どうでもいいけどコッペパンをくれよ。
本当の素晴らしさは誰にも分からない。
いいんだ、これでいいんだ・・
彼の断末魔。ねぇ届いてるかな
だって本当の愛がどこにも見つからないんだもん。
笑って生きていこうよ。最終的な決定事項。
何一つ進展してやしない。つまらない希望を抱くのはもうやめだ。
あああああああああああああああああああああああああ
もう日本は、伝統的な社会じゃなくなってしまったので、「大人」とは何かには、統一的な見解はない思う。
昔だったら元服とか、イニシエーション(バンジージャンプみたいな)があったと思うけど、今はもうないんじゃないかな?
代わりの模造品ならあるけど。たとえば、童貞処女を喪失したら大人だ、とか、就活(つらいイニシエーション)して社会人になったら大人だ、とか。バブルのころは就活が楽だったので、いまみたいなニュアンスはなかったんじゃないかと思う。
社会のためになにかする人・一員が大人(社会人)という考え方もできるけど、伝統的な社会とは状況が違う。
どう違うかというと、代わりがいっぱいいる、というところが違う。金で買える。
伝統的な社会では、大人になればオリジナルなポジションがそれなりに与えられたと思うけど(村社会は狭いから)、現代ではそれは非常に難しいと思う。ほとんどの人は、代替可能な仕事しかしてないよ。だから家族を大切にしないとね!
重要なのは、「何が大人か」ということよりも「自分にとっての大人とはどういう人か」を考えて、そうなれるように努力していくことでしょう。
「ハーァ、なんだか最近、力が入ってこない...。」
どんなに人生経験を積んで成長したとしても、私たちは大失敗をしたり、飽きてしまったり、急にすべてが無意味に思えてしまうことがあります。
そんな時、あなたはどうしていますか?
私は、「ここであきらめるのは、もったいない!」と歯を食いしばってがんばるのですが、クタクタに打ちひしがれて、結果的に逃げるように撤退してしまった経験が多々あります。
まるで、ハエが外を目指して見えないガラスの窓に何度もぶつかり、命を使い切ってしまう、そんな状態です。
このように人生について行き止まりのように感じる時、どうすれば良いのでしょうか?
そんな時は、こう考えてみましょう。
神様が「一旦気持ちをゼロにリフレッシュしてから再スタートしたほうがいいよ」というサインがあなたに送っているのです。
今日は、また走りだすための上手なリセット方法をいくつかお伝えいたします。
1.潔く変化を受け入れよう
「気持ちのやり直し」を自分自身に迫られる。
それはどんな状態なのでしょうか。
あなたはもう、昔のあなたじゃない、ということです。
もう、あなたは同じものや人に惹かれてはいないし、あの時立てたゴールだって今や魅力のないものに変わってしまっているのです。
それは仕方のないことです。人は毎日、成長し変化するからです。
一貫性がないだとか、熱しやすく冷めやすいだとか、自分を責めてはいけません。
昔の気持ちを忘れて(捨てて)、今の気持ちを感じなおしてみましょう。、
はじめは難しいかもしれません。昔ほど、モチベーションが湧いてこない!と焦ることだってあるかもしれません。
潔く変化を受け入れよう。
そうすれば、元の場所に新しい自分がカチッとはまる素早さに驚くことでしょう。
2.思いきって、新しい人の輪に入る
私たちは、無意識のうちに見知らぬ人を避けていることがあります。
それがまさに、あなたを退屈や失望、失敗に陥れているのです。
会う人 会う人を少し見たり話したりしただけで「こういう人だろう」と予想してはいけません。あなた自身が奥深いように、他の人だって数分みただけでどんな人かわかるわけがないのです。
変な気負いや遠慮は思いきって捨て、いつもの自分を出して、流れに委ねてみましょう。
新しく出会う人を、フレッシュな気持ちで受け入れて続けていけば、人生は本当に変化していくはずです。
3.しょうがないけど、負けを受け入れる
仕方がないのです。負けを受け入れましょう。
そして、進みつづけるのです。何かを失ったかも知れないし、大切な人ともう二度と会えなくなったかもしれません。
それを受け入れましょう。その現実、そのデータは紛れなく正しいのです。
はい、だからそこで 自分との戦いはそこで終わりです。
思考の空回りはしっかりストップさせましょう。
その空回りをつづけている内は、同じ場所をグルグルまわっているネズミと同じです。時間の無駄、体力の無駄、お金の無駄です。
戦いが終われば、新しい勝利を手にするチャンスがやってくるのです。
腹をきめて、受け入れましょう。
4.まとまってなくても、誰かに話す。
友達じゃなくても構いません、あなたの話を聞いてくれる人ならば。
自分の今の気持ちを、言葉に変えて 外に出してみるのが目的です。
話しているうちに気分が良くなるかも知れないし、リアルタイムで整理しているうちに出てきた矛盾から新しいアイデアが生まれるかも知れません。
5.思いきって、リスクをとってしまう
自分がオロオロしてしまうような、新しいチャレンジをしてみましょう。
何かを踏み出すのが怖いなら、バンジージャンプをしてみたり、恥ずかしくてできないことがあるならば、人前でのスピーチを買って出るのもひとつの手です。
人は、「安全な場所から出たくない!」という思いがあります。だからといって、安全な場所からでなければいつまでも、その中で過ごさなくてはいけなくなってしまいます。
安全な場所を広げるには、安全な場所から思いきって出てみるのが効果的なのです。自分の怖がっていること以上の場所にいってしまえば、その場所はもう安全地帯になるのです。
6.それまでの事を、ワーッと書き出してみる
小説にしようだとか、あわよくば出版しようだなんて、思わないでください。ただ、飾らずに思いついたままを、あなたの言葉で書き綴っていくのです。そして、「どうして今ここに自分がいるのか」を描いてみましょう。
はしょらなくても大丈夫です。急ぐ必要もありません。
あなたは、ひとつひとつ言葉を書いていくごとに、今の現実を認識していくことでしょう。
何が起きているかがわかれば、問題はほぼ解決したも同然です。
あとはスマートな解法を見つけるのみです。
7.勝ち負けはコインの裏表であると知る
勝つ時もあれば、負ける時もある。ずっと勝ち続けることはできない。
反対に、負ける時もあれば、勝つときもある。
勝ち負けをコインの裏表なのです。次はわからない。
だから、勝ち負けに過剰に反応しつづけている内は、幸せにはなれないのです。
勝ち負けの牢獄を出よう。
積み上げてきたものを、楽しんで、次に進めばいいのです。
8.今ここを生きる
今、生きているこの一瞬を受け入れよう。
なぜなら、その瞬間はもう、二度と訪れないから。
過去にはいけない。
もう過ぎ去ってしまった。
「過去」というのは人間のこしらえた一つの考え方。「未来」も同じ。
今にしか生きれない。
だから、それを受け入れよう。
人は、今をがんばることしか、できない。
その過去につながっているものを、全部 捨ててしまおう。
それが目に付くたびに、あなたは憂鬱な気分を思い出す。
それを思い出すたびに、あなたはグッタリとやる気を失ってしまう。
「捨てる」という行為は、自分自身でない物事を認識する作業です。
つまり、「自分は誰か」という認識の強化につながる大事な作業なのです。
不要なものを捨てれば捨てるほど、あなたは軽くなったり明るくなったりする気分を感じることでしょう。
自分自身でない部分を捨てれば、努力はヒィヒィ言うものではなく、もっと自然に熱中するようなものに変化していくはずです。
10.道具をまっさらに一新する
たとえば、コンピューターを再インストールして、真っさらにしてみましょ。iPhoneを復元して、買った時と同じ状態に戻してみましょう。同じ真っ白の手帳を買い換えてみましょう。
いらないもの・必要なかったものは、そのまま忘れ去られるはずです。
(きっと、いらないものがほとんどのはずです。)
反対に、必要なものは必要にかられて、より適切であなたに調和した形で、再構築されるでしょう。一新する前後で、違ったものになったのだとしたら、あなたはそれが必要だったということです。
そんな思い切ったリセットが必要だったということです。
より身軽になって、スピードもあがるはずです。
11.再設計する
そういう部分は廃止してしまいましょう。
12.「小さな」新しいパターンを取りいれる
大きな変化を起こすというのは、小さないくつかのパターンを変えるということです。
理想の自分が取りうる「小さなパターン」を洗い出してみましょう。
それをどんどん部分的に、取りれていくのです。
やがて古いパターンを断ち切られ、新しい自分をつくる着実な一歩が刻まれていくでしょう。変化とはその積み重ねでしか無いのです。
13.昔の友人に連絡してみる
10年以上 連絡をとっていない友達を探しましょう。そして、連絡をとってみるのです。話を聞いて、その友達がどのように人生を歩んできたか理解しましょう。
あなたとその友人は、途中まで同じ道を歩んでいました。
しかし、あるタイミングやきっかけで別々になっていったのです。
そういった共通点もあり異なる生活を送っている友人の話は、新しい視点をあたえてくれるかもしれません。
14.引っ越す
違う場所へ引っ越してみましょう。自分を取り巻く環境というのは、記憶そのものなのです。環境を変えることで、古い記憶は薄れていくことでしょう。
それが難しいなら、毎日訪れている場所をかえる、道をかえる、それでも効果があるはずです。
はじめは不慣れなことや大変なこともありますが、変化を促してくれることでしょう。
15.熱中しているゲームを変える
「キャリアアップ」というゲーム、「家族」というゲーム、「収入アップ」というゲーム。「恋愛」というゲーム。
あなたは今、どんなゲームに熱中していますか?
あなたのゲームの得点は何で、100点満点中 何点を稼いでいますか?
よくよく考えたら無意味なゲーム、退屈なゲーム、自分が死んでいるように感じるゲームは、考えなおしてみましょう。そのゲームであなたが稼ごうとしているスコアは意味がありますか?本当は、どのスコアが欲しいですか?
16.よく笑う・笑いを見つける・笑いを作る
厳しい現実や、退屈な毎日を目の当たりにしているときでも、あなたは毎日の生活の中に「笑い」を取りいれるようにしていますか?
「あんなつまらないことで笑うなんて」と他人をさげすむのはやめましょう。笑っている人はエライのです。
日々の生活に、笑いを見つけるようにする。笑いを作るようにする。
そして、声に出して顔や体全体で笑うようにする。
これだけでも、毎日に大きな違いがでてきます。
それを持つのも大事ですが、行き過ぎると逆効果になることがあります。もしかすると、今の状態も 真面目すぎた逆効果かもしれません。
心から笑えば、心は解き放たれるし、笑いを通して 凝り固まっていた考え方が溶け出すことだってあります。
きっと、周りの人もこわばったあなたより、笑顔のあなたに手を差し伸べるに違いありません。
よく笑うように心がけましょう。
17.他の誰かに、教えてみる
誰にでも才能があります。特別な能力や、面白い考え方、モノの見え方があるのです。それを、友人や家族に教えてあげましょう。
必ずしもそれが、ずば抜けたレベルである必要はありません。
他人に教えるという行為は、自分に教えることに直結しますし、知識の整理や強化、体系化に大きな役割を果たすのです。
そんな時間を共有する中で、あなたは反応や発見を得ることができます。
相互作用こそ、インスピレーションを生み出すカギなのです。
18.「Yes」を言いに行く
新しいことへの抵抗をしている限り、新しい変化は訪れることがありません。
本質的な変化というのは、Yesをいう余裕によって 創りだされていきます。Yesと言いたいのに、Yesが口から出てこない。Yesを言いに行きたいのに、足が動かない。
それはきっと、能力以上のことをやる恐ろしさがあるからだと思います。
世の中には、何の保証もないことが溢れています。保証のないところからスタートして物事を成し遂げる事が求められているし、保証があると思っていても、刻一刻と変化する状況の中で、その保証が無意味になってしまうことだってあるのです。
やりたいのならYesと言って、今 この瞬間にベストを尽くすしかないのです。
19.キッパリと「No」を言う
注力すると決めたもの以外は、キッパリとNoを言いましょう。
不必要なものにYesを言えば、あなたの中に、また「自分ではない部分」が作られていきます。それが足枷となり、あなたのフットワークを奪い、気持ちを暗くし、時間を浪費させるのです。
また、そういった無責任でベストでない状態で、物事を受け入れても頼んだ相手はガッカリ失望するだけでしょう。
責任の質を向上させましょう。けして量を増やしてはいけません。
上手なNo、合理的なNo、思いやりのあるNoをいえるようになりましょう。
20.「バカ」になってみる
失敗の恐怖。これこそが、私たちが新しいチャレンジを阻害する大敵です。笑われたらどうしよう、他人の目が気になる、そんなことが頭の中をグルグル回り始めてしまうのです。
振り返ると、「無知だからこそできた」バカなチャレンジと成功はありませんでしたか?それも今の自分を形作っている大事なチャレンジが。
当たり前の話ですが、はじめる前に全ての道すじや結果を知ることは、できません。
普段、私たちはバカにならないことに意識を集中していますが、もし 新鮮な気持ちで再スタートを切るのならば、「バカ」になってみるのも大事なことなのです。
あなたは、みんながその人気の秘密を知りたがるスターだったとしましょう。この世界を光で照らす、英雄なのです。
栄光をふりかえって、心を開いて 本当のことを正直に、話してみるのです。そして、それを読み返してみましょう。きっと、発見があるはずです。
22.レンズの焦点を調節する
人生を正しく見るためのレンズが曇っていると、大切なことを見過ごしがちです。それは、何を撮ったらいいのか、はたまたどこに焦点をあてたらいいのかがわからないカメラに似ています。
少し焦点をひいてみたり、近づけてみたりして、何を見るべきかしっかりと調整しましょう。
23.一日を「反応 < 行動」にする。
私たちの日々の生活は、何かへの「反応」がほとんどです。
仕事に反応したり、上司やお客さんに反応したり、自分の役割に反応したり、家族に反応したり、広告に反応したり。
何か起きたことに反応をつづけている限り、人生への意識の感度はどんどん鈍っていき、フレッシュな気持ちで再スタートをきることはとてもむずかしくなってしまいます。
反応がメインになると、何かに追われるだけの しんどくて退屈な毎日に飲み込まれてしまうからです。
けして恐怖や拒絶にまけることなく。
一日の時間が、反応 < 行動に変わったら、新しい道が開けるに違いありません。
24.意味のない問題を解きつづけるのをやめる
本当に、本当に、大事で意味があることに集中しましょう。
誰かに言われたことや、対抗心、意地の張り合い、そういうものに囚われるのは無意味です。
目の前に はまりやすい問題が転がっていると、私たちはそれを解きたくなってしまいますが、それが「本当に、本当に、大事で意味があるのか?」しっかりと再考しましょう。
25.「できること」よりも「やること(意志)」を言い聞かせる
それが私たちを形作り、ひいては現在の人生を構成していくのです。
「できること」を言い聞かせ続けていても、変化はありません。
それよりも、自分のやりたい事、そしてやること(意志)を自分自身に言い聞かせましょう。
変化とは、自己との対話です。
生産的な対話が、素晴らしい結果を生み出すのです。
26.完璧主義をやめて、肩の荷を下ろして取りくむ
不完全を避けて、ものごとをやり切ることができなかったり、世に発表できなかったとしたら、それは不完全以下の「無意味」です。
ゼロです。
世界は全体として、助け合って成り立っています。
不完全さを表に出すことで、あなたを補完してくれる何かが集まってくることを信頼しましょう。
登る前にはさあやるぞ、と意気込んでもいざ飛び降りる段になると脈拍が急激に上昇・口がカラカラ・足が竦んで進めない。
「命綱はついてるから大丈夫」と後ろから声をかけられてもそんなことはもはや関係ない。
風が吹くたびに「自分がなんでこんな不安定なところにいるんだろう」「こんな行為必要ないじゃないか」と言い訳が頭を駆け巡る。
近くの柱にしがみついた辺りで、周りが何をやってももう手遅れ。半ベソでその高い塔から降りることは決定だ。
周りは醒めた目で「安全なのに」「高所恐怖症なんじゃないの」といわれる。
でも違うんだ、普通に暮らしている分には問題ない、と言っても病気あつかい。
結局「あんなもので楽しんでいる奴の気がしれない、自分には必要ない」「馬鹿と煙は高いところが好きっていうよね(笑)」と価値を否定するか、
あう><可愛そうに
心の状態を180度違う方向に持っていくことがまず大事ですね。
何でもやります的な事を同じ緊張するならどうせならやっちゃえ!
先日、『脳が冴える15の習慣―記憶・集中・思考力を高める』という本を読んだ。
「最近どうも頭が良く回っていないぞ」、というような感じがしている人は、脳トレや指回し体操なんかもいいけど、日々の生活の中に脳を活性化する方法を取り入れて習慣化すると良いようだ。
勉強においても、仕事においても、向上心の高い人にとって「脳がちゃんと回ってる状態を保つ」というのはとても大切なことだと思う。だからこれは生活習慣を見直してでも取り組むべき課題だと思う。
内容を簡単に書き出すと、次のような感じだ。
● 生活の原点をつくる―脳を活性化させる朝の過ごし方。足・手・口をよく動かそう。:散歩など軽い運動/部屋の片付け/料理/ガーデニング/挨拶+一言/音読10分程度。
● 集中力を高める―生活のどこかに「試験を受けている状態」を持とう。:仕事の区切り毎に時間制限を設ける。
● 睡眠の意義―夜は情報を蓄える時間。睡眠中の「整理力」を利用しよう。:夜の勉強は中途半端で止め、起きてから整理すると効果的。
● 脳の持続力を高める―家事こそ「脳トレ」。雑用を積極的にこなそう。:雑用は前頭葉の持久力を高めてくれる。
● 問題解決能力を高める―自分を動かす「ルール」と「行動予定表」をつくろう。書類整理のルール、予定表などで脳が一度に扱う量を整理する。
● 思考の整理―忙しいときほど「机の片付け」を優先させよう。:物の整理は思考の整理に通じている。
● 注意力を高める―意識して目をよく動かそう。耳から情報を取ろう。:目で立体的な情報を捉えたり、耳だけで情報を吸収すると脳が活性化される。
● 記憶力を高める―「報告書」「まとめ」「ブログ」を積極的に書こう。:入力→情報処理→出力。
● 話す力を高める―メモや写真などを手がかりにして、長い話を組み立てよう。:質問によって話しは長くさせることが出来る。
● 表現を豊かにする―「たとえ話」を混ぜながら、相手の身になって話そう。:ありそうな質問を考えれば、話しを膨らませることが出来る。
● 脳を健康に保つ食事―脳のためにも、適度な運動と「腹八分目」を心がけよう。:食事制限以前にまずは動くこと。そして消費する以上に摂取しないこと。
● 脳の健康診断―定期的に画像検査を受け、脳の状態をチェックしよう。:MRやPET検査を受ける。
● 脳の自己管理―「失敗ノート」を書こう。自分の批判者を大切にしよう。:小さな失敗、人から受けた注意を書き留める。
● 創造力を高める―ひらめきは「余計なこと」の中にある。活動をマルチにしよう。:アイディアを生み出すポイントは、誰のためになるのかを考えること、アイディアを組み合わせること、思い付きを書き出しながら考えること。
● 意欲を高める―人を好意的に評価しよう。時にはダメな自分を見せよう。:褒め上手な人は観察力が優れている。
番外編:高次脳機能ドックの検査―最低限の脳機能を衰えさせていないか確認しよう。
これだけでも、かなりのヒントを得られると思う。
さて、そんなおり、
海外のサイトを眺めていたら、「脳を活性化する47の方法 (47 Ways to Fine Tune Your Brain)」というのを見つけてしまった。
上記の「脳が冴える15の習慣」とかぶる部分も多々あるのだけど、それはどちらも脳の働きをしっかりと捉えている証拠ともいえるだろうし、同じ内容でも別の角度から見てみるとあらたな気付きがあるかもしれない。
いっぺんにやろうとせずに、
ひとつずつ、生活に取り入れられるところからやってみると良さそうっすね。
脳を活性化する47の方法
●一度にいろんな事をやろうとしない。無理だから。
脳は一度にひとつの事にしかフォーカス出来ない。これは科学的にも実証された事実。単調な仕事は別として、集中力や、論理的思考、意思決定を要求するようなことに関しては、ひとつに集中するべきだ。
●身体だけじゃなく、脳エクササイズが必要。
多くの人は、学生じゃなくなった瞬間に学ぶことをやめてしまう。外国語でも、新しいスキルでも、楽器でも、何でもいいから新しいものを学ぶことで脳は最適な状態を保てる。
●世界は謎だらけだ。
周りを良く見渡して、疑問を見つける。見たり、聞いたりするもの全てをそのまま受け入れないで、一度疑ってみるだけでも脳のエクササイズになる。それには、可能な限り自由な好奇心を持つことだ。
日常の論理的、数学的な問題に対応することで左脳が働く。想像力を自由にすることで、右脳が働く。日々の自分の生活を振り返ってみれば、脳のどっち側を多く使っているかわかるはずだ。そして、使ってない方の脳も使うよう工夫してみる。
睡眠は身体の疲れを回復するだけでなく、脳の疲れも回復する。自分は何時間寝たときが一番すっきりとした朝をむかえられるのか一度はっきりと調べてみると良い。
また、睡眠に悩みがある人は仕事や勉強の効率に必ず影響する。これを期に『「朝がつらい」がなくなる本―ぐっすり眠る、すっきり起きる習慣術。』などで自分の睡眠を改善してみるべきだ。
脳はノイズの少ない寝ている間に、昼間インプットした情報を振り返り、消化する。どうせ入れるならまともな情報を脳に与えよう。
●学習量を増やすなら、歩きながらやる。
動くことで血液の循環がよくなり、脳に酸素が行き渡る。歩きながら学習することで記憶力も増す。
もう一度言うけど。
エクササイズはたぶん脳の許容量を増加させる最も効果的な方法だと思う。避けて通ることは出来ない。
●人付き合いをする。
人付き合いに積極的な人は年をとっても脳がシャープだ。
UCLAの研究チームによると、インターネットで何かを検索しているとき、意思決定や複雑な理論を司る脳の中心部分が刺激を受けていることがわかった。
●ダークチョコを食べる。
ダークチョコを食べるとドーパミンが放出されることがわかっている。ドーパミンは学習や記憶を助ける物質だ。
●歌を覚える。
好きな歌の歌詞を覚えるという作業は、聴覚や記憶力を保つのにとても効果的だ。
●脳を刺激するような映画を視る。
ミステリー系映画のような、頭を自然と使う映画は脳を活性するのに役立つ。
●テレビゲームをする。
テレビゲームは認識力を高め、アルツハイマー防止に役立つことがわかっている。
●利き手じゃないほうの手でいろいろやってみる。
利き手ではない手を使うと脳のさまざまな部分を刺激できるし、とにかく楽しい。
瞑想をしてストレスを緩和することの効果は多くの研究で認められている。ストレスを感じる度に脳細胞は失われてしまうからだ。
●笑う機会を増やす。
声を上げて笑うと免疫機能を刺激してエンドルフィンという物質を刺激する。これは身体にとって良い物質だ。
●ポジティブな思考。
ポジティブな思考は脳を活発に保つ。反対にネガティブな思考は精神だけでなく免疫機能も低下させる。
●感謝することを忘れない。
感謝することで幸福感は劇的に高まりストレスレベルを下げるのに役立つので、脳にも身体にも良い。
●セックス。
セックスは心肺機能を正常に保つのに役立つ。つまり、脳に酸素がまわって脳を健康に保つのに役立つということ。
●良い本を読む。
どんな種類の本であれ、読書は脳を健康に保ち、活性するのに役立つ。老化の防止にもなる。
●アルコールの量を減らす。
適量のアルコールは実は脳に良い。ただし、度を越えると脳細胞の減少につながる。
●仕事をする。
多くの人は年を取ると仕事をやめリタイアする。しかし、パートタイムでもいいので仕事をしていると脳に良い刺激を与えられる。ボランティアワークでも同じ効果が期待でいる。
●最新の出来事、ニュースに注目する。
脳を健康に保つには、新しい情報を与えるのが良い。ストレスを感じない程度に、ニュース番組などで最新の動向を追うこと。
●音楽を聴く。
通常聞くのとは違うジャンルの音楽を聴くというのも、脳を活性化するひとつの良い方法だ。音楽はポジティブな感情を喚起する効果がある。
●踊る。
ダンスで新しい振り付けを学ぶことは認知力、空間認識、社交性、運動能力を向上させる。これは身体にとっても精神にとっても良い影響を及ぼす。
●キャッチボールをする。
キャッチボールは知覚、触覚、そしてこの2つを連携させる能力など、感覚神経の向上に役立つ。
●ちゃんと食べる。
しっかりとした食事は、脳の細胞に良い刺激を与える。
●水をたくさん飲む。
水分補給がしっかりしていると、細胞が適切に働いてくれる。
●お茶を一杯飲む。
冷たいのでも、熱いのでもよいので、お茶を飲む。お茶は脳に刺激を与えてくれる。
●旅行をする。
●議論をする。
友達や家族と友好的に議論を交わすことで、論理的思考や想像力を向上させることが出来る。
●ちょっと長めに寝る。
通常より一時間多めに寝る、ということを時々すると脳が若返る。これは学習速度を速めるのに効果が高い。
●昼寝をする。
10分程度の昼寝でも疲れやが取れたり、脳がすっきりしたりする。
●テレビの音を下げる。
テレビを多く見る人は、音を下げることで、聴力や集中力を高めることが出来る。
毎日同じような行動パターンを持っている人は、時にはそのパターンを破ってみると良い。そうすることで脳の働きを活発に保てる。
●新しい言葉を覚える。
新しいことを学ぶのは、それがどんなことであれ脳を健康に保つのに役立つ。新しい単語(言葉)をひとつ覚えると言うやり方は、もっともシンプルな方法だ。
●古い写真を見る。
これは、記憶を蘇らせ、脳細胞間のつながりを強めるのに最良の方法だ。
●突拍子もないことをする。
バンジージャンプや、スカイダイビング、ロッククライミングなど、普段絶対にしないような経験をすることで脳は活性化する。
●脳を鍛える。
脳トレが現在盛んであるが、これはちゃんとした理由に裏打ちされているからだ。効果がちゃんとあるので、やらない手はない。
●サプリメントを採る。
オメガ3、葉酸、ビタミンB12、コエンザイムQ10、アセチルLカルチニンなどは老化防止に役立つといわれている。
●集中力。
もっともシンプルな集中量を高めるエクササイズは座って、リラックスして、自分の呼吸に意識を集中すること。
●批判的思考を育てる。
批判的思考とは、自分や自分の周りの事柄に疑問をなげかけること、そして自分の見識の根拠を探すこと。
●哲学する。
人生に関する、大きな問いかけをしてみる。多くの場合、明確な解答を得るには至らないだろうが、これは脳にとって大きな刺激となる。
●自己肯定する。
自己肯定は自分の設定したゴールに集中するための最善の方法だ。肯定することでイマジネーションが喚起され、脳の様々な部分が刺激され、記憶力や想像力も高まる。
●思考の壁を破る。
知識の枠のなかで考えている限り、思考の壁を突き破ることは難しそうだ。しかし、『論理性を取り払って考える』ということは可能だ。
●大声で歌う。
歌うことは集中力を高めたり、ストレスを発散するのに役立つ。歌うことで、思考のような自分の内側で完結する活動から開放され、外側の活動(自分の声など)に集中でき、これが幸福感につながる。また、歌うことで記憶力も高まる。
特に何も理由があったわけではないけれど、仕事中に猛烈に生きることがむなしくなり死にたくなった。
「あっ、これヤバい」と思い、この世に踏ん張るためにとっさに目の前のパソコンで(以前カウンセラーに紹介してもらった)クリニックを検索して電話をかけてみたが、人気のところだったようで自分の空き時間/曜日と予約可能日時が合わず断念。不定期に通っているカウンセリングセンターに予約の電話をしたが、やはり自分の空きと予約があわず。どちらも今月相談に乗ってもらうのは無理そうだった。
今日の仕事は特に忙しくもなかったが何も手に付かず、ひたすら「命の電話」だの「自殺予防」だの検索していたり、トイレで涙ぐんでみたり、外階段からひもなしバンジージャンプしそうになるのをこらえてしゃがみ込む。
もし今日誰かに怒られたり嫌なことがあったらどうなっていたことか。明日の自分は大丈夫なのか。どこでもいいから飛び込みで話を聴いてもらいに行ったほうがよいのか。今日これから自分は眠れるのか。
同じことを繰り返す。やり直しではなく、現在を作り出すために。生きる、ということの経験は、同じものとの再会に満ちている。すべてに思い出がまとわりつく。鏡でないものがあるだろうか。彼岸花、水道、ドアの開閉、沓脱ぎ、階段、見るということは似たものを同じものと見なすこと、知覚は感受を名前によってくくる。くくられた以上、感受はかつて出会ったものの異なる再来となる。そうなってはじめて、世界への知識が可能になり、予測と後悔が切り開かれる。それに慣れすぎて、異なるところにしか気がつかない。異なるという意識を可能にする同じであるという知覚には気づけない。
花だと思うから、異なる花だと思うことができる。繰り返し、繰り返す。けれど、同類であることと同じであることは違うのでは? 彼女は彼女の状態のクラスではなく、彼女という個体のはずで、そこにはやはり何か違いがあるはず。たとえ、彼女の細胞が一定の時間ですべて入れ替わるのだとしても。絶対的に分割不可能な単体であるということ、それはきっと不可能な形而上学だが、それなしでは人間的な関係性は成り立たない。わたしがあなたを個体ではなくカテゴリーやクラスだと考えたとき、ひとは現象に出会うことができるのか。であれば花が再来することと、この花が再来することはどのように違うのか。
後悔は理想に通じ、そこから、夢が涌く。存在の再来を回想であると理想主義者は信じている。誰もが予め知っている、あのユートピアを、世界の不完全さを通じて思い出す。トラウマのようなフラッシュバック。思い出す。ぼくらは知っている。あの美しい世界を。あの美しい花を。それがイデアという追想のイデオロギー。逃れられない、繰り返し。まるで、先生にやり直しを命じられているかのよう。追憶への繰り返しは後ろ向きの反復、すなわち、やり直し! 正解はあるし、それはみんなあの夜のまどろみの中で知っている、憶えている。ああ、懐かしい、追憶の、日々よ。
だが、それでは繰り返したことにはならない。(歯車は、繰り返し回転することで、機械を作動させる。それは、仕事をする。だから、回帰は、元の木阿弥ではない)繰り返す。こぼれ落ちたものは失敗だったのか。失敗シークエンスでは、何も起きてはいないのか。起きないのか。何かが起きる。というか、何かは起きる。繰り返しは、どのようにして、同じことではないのか。内容が違う、というのは、結果であって原因ではない。繰り返す。記憶喪失だとしよう。世界は五分前に創造された。わたしが、歌を、それを繰り返しであると信じて歌ったとき、それは繰り返しなのか。本当は世界で初めての行為でも。然り、といおう。それは繰り返しだ。だが、と、そこで、疑問がわく。「誰にとって?、そして何に対しての?」
右と左は、端的に違う。内容的には違うとかではない。同じように、内容が全く同じ繰り返しの1度目と2度目は、端的に違うのであって、こことかそことかが違うのではない。だが、と悪魔はいう。世界の外から観測する悪魔にとっては違う。なぜなら、悪魔は憶えているから。では、繰り返すということ、それは意識の、記憶の属性で、事柄の属性ではない? 奇妙な話だ。歴史は世界の属性か、観測の属性なのか。
いや、もちろん、悪魔などいない、と宣言して片をつけることは可能だ。それが常識的な線でもある。結局、まったく同じ繰り返しなどないのだし、世界に痕跡を残さない行為もない。だから、繰り返しは、必然的に、内容的にも一度目とは異ならざるを得ない、と言い切ることもできる。時間も歴史も世界の側の属性だ、と。
だが、ひとは忘れる。もう、たいていのことを忘れている。
しかし、繰り返さない、ということはどういうことか、と考えてみる。それは、きっと、不可能だ。少なくとも、ひとが意識的に何かをするということは、何かという名前で知っていることを、再来させようと企むことだから、定義上、それは未聞のことではありえない。バンジージャンプをしようと思うということは、わたしがバンジージャンプを飛んだことがなくても、飛んだ人がいることが前提で、それは、繰り返しを意図することのはずだから。(死ぬことですらそうだ、ともいえるし、そうでもない、ともいえる。自殺は、必然的に失敗するから)
だから、意識的にするのでなければ、たしかに、ひとは、繰り返さないことができる、かのようでもある。しかし、今度は、意識的ではない行為は、たいしたことを成し遂げない、という現実が現れる。たいしたことではない以上、たいしたバリエーションはない。そのかぎりで、それは似たようなことの繰り返しだ。けれど、それは、繰り返すという行為とは、わけて考える必要がある繰り返しだろう。それは重力と自然法則の支配権であり、反復というよりも、永遠というべきだ。日常は永遠によって捕らえられている。悪い意味で。
だから繰り返す。そうすると、完全には繰り返せない。それが、繰り返しの成果だ。この認識自体は割と普通だ。だから、考えを始めるのは、ここからだ。繰り返すと、何かが蓄積し、わりと逸脱して、新しいことが生まれる。そうやって、歴史が存在できたし、してるし、進行中。
http://anond.hatelabo.jp/20080913153317
http://anond.hatelabo.jp/20081201015818
http://anond.hatelabo.jp/20081226042010
の続き。
知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。
小学校の同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。
なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミングで学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。
これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。
いいな、と思った。
わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。
子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。
声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。
そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。
実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。
例の、本当の意味でクラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。
そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。
いいな。いいな。
そしてほらまた。
スキーも一緒だったんだって。
絵に描いたような優等生だった。
なんでもできる子だった。
わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。
海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。
なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。
かなり緊張していた。
彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。
知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。
当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。
意外と集まるものなんだ、とびっくりした。
なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。
なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コン+あいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。
久しぶりだから、一応
「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」
「今どこに住んでるのー!?」
みたいな盛り上がりはあった。よかった。
やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。
顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。
それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名・女の子です)と隣どうしで座ることになった。
仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。
さとしは医学部に進学したそうだ。
浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。
彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。
「さとし、きれいになったね」
と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。
本当にそうだった。
もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。
薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。
さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。
感じのいい笑顔だった。
さとしについてはいろいろな記憶がある。
5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。
先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。
別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。
6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめは自然となくなった。
野良の子猫を見つけて、近くのスーパーで惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。
さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。
何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。
卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。
当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。
「ごめん、知らない」
としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。
結局見つからなかったのだけど、わたしが
と捜索打ち切りを宣言しても
「いや、あそこにあるかもしれない」
とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。
今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。
すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。
いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。
むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。
一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。
いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。
かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。
相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。
ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。
「今まで何回ぐらい集まったの?」
「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」
「そうなんだ」
「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」
「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」
「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」
「それにしてもみんな、変わったね」
「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」
「同窓会も出たことなかったし」
「そうだな。いなかったな」
「でも、いいものだね」
と言うと、こっちを見てにやっとした。
「そう?」
「うん」
するとどこかあさっての方向を向いて
「それならよかった。」
と低くつぶやくように言った。
自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。
なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。
2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。
それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。
「すごいよね。
婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」
「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。
それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、
プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」
連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。
「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って
送り出してくれたんだって。」
わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りのケーキのことを
思い出した。
高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。
行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。
カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りのケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。
彼は、この金物屋の若夫婦とも
「商工会の集まりでときどき会う」
と言っていた。
自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。
その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。
つながってるなあ。
同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。
わたしには、わからない世界だと思った。
幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。
わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。
「うん」
「幸せ者だね」
「何、突然w」
「そうかな?」
「そうだよ」
「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」
「え?」
「なんか、そういう話の流れじゃない?」
「ああ、いやそうじゃないけどw
でもうらやましいよ、何となく」
「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」
「そうだっけ?」
「覚えてないのかよw」
「あんまり」
「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。
それがいきなり号泣だからな。
「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」
「わははw」
「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。
なんでだろう。」
「あー。実は俺も。」
「薄情者w」
「お前もだろw」
軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。
距離が一気に縮まった気がした。
わたしも、一応まだ仲間なんだよね?
そうだよ。だから心配すんな。
みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。
「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」
「元気にしてるんだろうか?」
「相変わらず熱血なのかな」
「ハゲてそうだよな」
「それ当時から言ってたよねw」
「言うとムキになるから面白くてw」
「剛毛はハゲやすいらしいよ」
「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」
当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。
クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。
もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。
「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」
というようなことを言われた。
子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。
今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。
芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。
なんだか、せつなくなる。
ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。
長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。
にこっと笑ったときの口元も似ている。
このところ、妻夫木聡をテレビで見ると「どきっ」とするようになった。
とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。
当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。
今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。
「妻夫木ここにいたんだ」
「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」
「覚えてる、久しぶりだね」
「やーミッチョンきれいになったなー」
「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」
「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」
「まだメタボじゃねぇw」
笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。
もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。
茶髪で日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。
実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。
子どものころは大田も平野も運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。
あの
「誰か好きな人いる?」
に、よく出て来ていた二人だった。
でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。
彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。
その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。
平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。
その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。
しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。
なんという芋づる。
「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」
と妻夫木が言い、立ち上がりながら
「ミッチョンも行く?」
とわたしに声をかけてくれた。
「あ、うん」
と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。
「じゃ、またあとでな」
「おー」
「またね!」
すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。
妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。
背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。
妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。
このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。
「ああ、平野こういうの好きそうだね」
とわたしが言うと
「半分は女目的らしいけどw」
と笑いながら言っていた。
「さっきもナンパしてたね」
「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」
「仕掛けるってw」
「あいつそういうの得意だもんw」
と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。
わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。
だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。
加えて、隣が妻夫木だ。
楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。
よほど返事が上の空だったのだろう、
「どうした?」
と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。
「なんでもないよ」
と笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。
「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」
「いや、本当にどうした…あっ!」
妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。
「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」
「いや、あの…はい…」
「わははははw」
「ちょっと笑わないで!揺れる!」
「ほーらほーら」
「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」
「わはははは…」
もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。
すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに
「もしかして、本気でいやだった?」
と聞いてきた。
「怖いです…やめてください…」
と言うと、妻夫木はしょんぼりした。
「ごめん」
「ううん、わたしもごめんね」
「いや、ほんとにごめん」
気まずい。
でもやっぱりリフトは怖い。
なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。
「…なんで上向いてるの」
「下見ると怖いもん」
「…ククッ」
「笑わないで!」
「いや、だってお前の格好、おかしいってw」
「おかしくない!」
「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」
「あんたに言われたくないよ!」
あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。
夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。
女子部屋からの移動中に
「りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」
とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。
「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」
するとさとしが
「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」
と話に入ってきた。
「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」
「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元のデパート)で売ってほしい」
「何言ってんのw無理でしょw」
さとしがわたしのほうを見て
「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」
と言った。
とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。
「ああ、やっぱり!」
「なんでわかるの?ミッチョン」
「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」
「ああ」
りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。
何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。
りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。
「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。
ちょっと違うのだ。
積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。
まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。
男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが
「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」
と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。
あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。
部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンとストーブでぽかぽかと暖かかった。
と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。
「はいはい始まったw」
と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。
さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。
「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」
「ああ!あの医学部の!」
「よろしくお願いしますw」
「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」
「ひろし、うるさいよ」
旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。
「で、こちらは…」
「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」
「ああ、あの英語が上手だったっていう」
「いえwよろしくお願いします」
「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」
「ひろしには負けるけどね」
「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」
「もういいからw」
というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。
さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると
「楽しんでますか?」
と、妻夫木が横に座ってきた。
「ひろしさんがムードメーカーだから」
「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」
「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」
「そうなんだ」
「平野がね」
「さとしと会いたがってて」
「どうして?」
「さあ…。いろいろあるんじゃない?」
「男同士でそういう話したりしないの?」
「しない」
「そういうもんかなあ」
「うん」
大田が乱入してきた。
「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」
「大田お前大丈夫?w」
と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。
「あ、ちょっと!大田!」
妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。
わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて
「ありがとう。いただきまーす」
と明るく宣言して口をつけてみた。
あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。
そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。
妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。
それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。
「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」
と本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。
「ミッチョンって、お酒強いの?」
と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。
「まあ、それなりにw」
と答えると、ふたりは顔を見合わせて
「それなりに、どころじゃないよなあ…」
「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」
と大田が半笑いでつぶやいた。
どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。
一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。
「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」
「え?なんで?」
「大田、引いてたし」
「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」
「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」
「ああ、俺?」
「うん」
「いや、俺は…」
「何?やっぱりよくない!?」
「いやいや、そうじゃなくてw」
「何?」
やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。
「いや、だからね」
「なんだよー」
「いや、うれしいな、って」
あっ、と思った。
このお酒は妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。
「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。
やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」
そして
「あー。失敗した…」
とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。
妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。
それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。
「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。
でもそんなの、おもしろくないじゃない。
黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」
そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。
でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。
妻夫木はうれしかったのだ。
事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。
わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。
妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。
妻夫木は、すごい。
「妻夫木、かっこいいよ」
と、背中をばしばしと叩いた。
「は?」
「なにそれw」
「うん、かっこいいよ」
「わけわかんねぇw」
自慢の友達だよ。
もうたまんないよ。すごいよ」
と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。
妻夫木は目を細めて
「おう。サンキュ」
と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。
それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。
妻夫木はすごいやつだ、と思った。
そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。
妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。
我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。
さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?
さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。
こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。
さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。
そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。
妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。
次はいつ会えるのかな。
休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。
自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。
出産は、なんか少し興味がある。自分の体内で別の人間が育っているという感覚や、自分が、「人間を作り出す」という事に興味がある。何もないところから(いや、卵子があるんだけど)むくむく育ててしまうというのが何か不思議でならない。だからそれはバンジージャンプと同じく、人生で一度くらい経験してみたいんだけど、ただなあ、子育てはべつにしたくないんだよね。育てるのは、あまり興味が無い。面倒だし。あまり人間の子供って可愛い造形をしていないと思うし。犬の子供なんてその点、物凄く犯罪的に可愛いよなぁ……なんで人間の子供ってあんなに可愛くないのだろう?猿のようだ。犬のひとかけらでも可愛さがあればいいのに。
ってここまで考えて、代理母になればいいのか、とひらめいた。
って言うとよく、「いや自殺を実行するのは勇気って言わないよ!」って意見が絶対に出てくる。
しかしそれは、自殺とは全くかけ離れた人生を歩んできた奴だからこその意見なんじゃないかと俺は思う。
自殺なんてする奴は「逃げた奴だ」、「弱い奴だ」……皆そう言うが、本当にそうか。
それはその人たちが、本当に自殺と向き合ったことがないからそういえるんじゃないか。
一度本気で、「もう死にたいー」とかいうレベルじゃなく、本気で今から自分の命を絶とうと、これで自分の生涯を終わらせようと、決意し、実行してみようとした事があるのか?
その時の恐ろしさを、知っているのか?
物凄い恐ろしいぞ、はっきり言って。
あれを超えられる人は凄い。色んな意味で凄い。俺はそう思っちゃうよ。
「勇気って言わないよ!」って言ってるそこらの奴よりよっぽど勇気出してると思う。
つーかさ。そういう人が出す勇気ってどれほどのもんよ、って話だし。
せいぜいバンジージャンプ時の勇気とか告白する時の勇気とかそんなレベルとちゃうの?
別に自殺者を美化するとかじゃなくて、俺は正当な評価を下したいというだけ。
「自殺はよくないから」って観点で、その「勇気度」を下げる方がよっぽど「生きてるってことを美化しすぎだろ」って俺は思う。
最近の「自殺=絶対悪」「生きてる=絶対善」っていう割り切りはよく分からない。日本は宗教色が薄いのにこういった場面では本当宗教のごとき濃さで皆が口を揃えて「自殺はいけない!!」って言う。何を恐れているんだ、ってほどに。自殺はいけなくもない、って言っちゃったとき、誰かが自殺したらそれに責任を感じてしまうからなのか?よくわからんが。
国単位で「自殺はよくない」とするのは分かるし、建前上そうであるべきなのは分かるが、ネット上ですら「なんであれ自殺はいけない」という立場の人が圧倒的多数であるのが面白い。何故そこまで思い込んでいるのか。理由が分からん。
「後始末が大変」?「周りの人が悲しむから」?……そういった「俺ら迷惑するからやめろ」といった理屈は理解しがたい。俺はとてもとても、そんな「俺の迷惑」と「自殺するほどに苦しんでいる人」を天秤にかけ、のうのうと「俺の迷惑の方を優先しろ」とは言えない。全く皆優しいのか優しくないのか。優しいつもりで(自殺をとめてやるつもりで)優しくない(自殺者にとっては「俺の苦しみよりお前の迷惑を優先なんだ……あはは」って泣けてくるだけ)この分からなさ。てーか、「迷惑だから」とか主張してる暇があるなら自殺者の悩みに目を向けてやれよ。どこまで自分本位なのか。そんな自分本位が許されるなら自殺という自分本位は何故許されないのか。なんだかな。
http://anond.hatelabo.jp/20071010214735
音の強要については同意。でも、
本当は、偏食が直らなかったならば嫌いなままでもいいから食べてほしいと思う。喉元を過ぎてしまえば苦みも何も感じないし、栄養にはなっても毒になることはない
なぜ「嫌いなままでもいいから食べてほしい」などと思うのか。
身体的に毒にならなければ、(栄養になるという名目で)虫料理やサソリ料理でも食べられるのか?
私は偏食家で、例えば生魚が食べられない。
毒でないからといって、火の通ってない魚など気味が悪くて食べられない。
それを無理矢理食べさせられれば、著しく精神を害する。
そういう意味で、「毒」に間違いない。
だから、
好きではないという程度の話ではなくアレルギーに近い。
これはそのまま、偏食の話に当てはまるはずなのだ。
嫌いな食べ物を強要されるのは、無理矢理バンジージャンプをやらされるようなものだ。
そして随分と寛容になってきた偏食と同じように、
音に関しても「無理矢理嫌いな音・音楽を聴かされない権利」が必要なように思う。