はてなキーワード: めでたしめでたしとは
どーせ誰も死なないだろ的な感じで危機感もはやナシ。
平和なドタバタ→急に攻めてきた!→駆逐艦にすぎない陽炎たちが倒して武勲あげました!めでたしめでたしチャンチャン
ってのがさすがに多すぎてねえ・・
特に6巻はとってつけたようにゲーム内アイテムが出てきてその説明とかしちゃうし。
もっと艦これの根本に迫るような敵さんサイドの描写入れて独自の艦これ解釈を見せてくれるようなダイナミックな物語が見たかったなあ・・・
二次創作見とけって話で、陽炎はあくまでも艦これ入門で適当にキャラが絡んどけばいいってことかね
7巻で終わりらしいけど、7巻もやった割には中身のないシリーズだった。
これだったらせいぜい3,4巻で終わっといたほうがよかったと思う。
ストライクウィッチーズ最終話見た後のようなもやもやが残るわ・・・
いや何も解決してねーやんみたいな
7/17追記 続き書きました。
昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんはギガホースで山へ芝刈りに、おばあさんはドーフ・ワゴンで川へ洗濯に行きました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が流れてきました。
ウォー・ボーイズが桃を拾い、おばあさんは桃をロープで縛り、ドーフ・ワゴンで引きずりながら帰りました。
帰ってきたおじいさんも、大きな桃には驚きました。
おばあさんは言いました。
「さっそく割って食べましょう。」
おじいさんは言いました。
「これは驚いた。もう少し成長してから食べることにしよう。」
男の子は逆さ吊りにされました。
数年後。
おじいさんとおばあさんが飼っているイヌが言いました。
「鬼が島へ鬼退治に行って来ます。」
おばあさんは言いました。
「それじゃあこの桃を持って行きなさい。食べ頃だ。」
「きびだんごがいない!」
一方、イヌが運転するニュークス・カーで、桃以外に顔をのぞかせた女がいました。
イヌは言いました。
「きびだんご、隠れてろ。」
(続く)
(続き)
イヌと桃、きびだんごの前に、プリマス・ロックに乗ったサルが現れました。
「イヌ!その女をよこせ!よこせばここを通してやる!」
イヌは引き返そうとしましたが、後ろからギガホースとドーフ・ワゴンがやって来るではありませんか。
それらに乗ったおじいさんとおばあさんが言いました。
「きびだんごを返せ!」
イヌたちは、何とかサルやおじいさんたちをかわし、細くて長い橋を渡りました。
キジが言いました。
「久しぶりだな、イヌ」
イヌが言いました。
「鬼が島に行きたいんだ」
キジが言いました。
「ここが鬼が島だ」
イヌは驚きました。
キジが言いました。
「橋を渡っただろう?」
イヌは言いました。
「でもここは、岩だらけで何もないじゃないか。」
キジが言いました。
「鬼が島の農作物、金銀財宝、そして鬼たちは、おじいさんとおばあさんが奪っていってしまったよ。」
イヌは驚きを隠せません。
おじいさんとおばあさんの下にいたウォー・ボーイズたちは、連れ去られた鬼だったのです。
おじいさんとおばあさん、それと、ウォー・ボーイズになってしまった鬼たちです。
おじいさんたちと、イヌ、キジの激しい戦いの末、橋が壊れ、みんな海に落ちて死んでしまいました。
点取りゲームにはならないんだよ。本人のスキルが募集してるポジションに比べて高すぎるってことで採用を見送ることあるし。俺は中規模の企業でしか採用に関わったことないから、大企業なら違うのかもしれないが。
「マッチング」を点数化するなら点数高い=マッチする、だけどそれは同じことの言い換えだよね。
仕事ってさあ、これをやって欲しい、って具体的な仕事があって、それをやりますって人が来て、マッチすればめでたしめでたし。それだけのことなんだよ。総合的にいい人がいたってそのポジションで手が足りてれば採れないし(採らない、のではなく採れない、のだよ)、総合点がどうであれたまたま探してたポジションにぴったりの人が現れればぜひやって下さいってなる。入りたい、って思って来てくれるのは有難いけれど、こちらは優劣をつけて上から採ろうていうんじゃなくて、むしろその思いに応えられるだけの仕事が用意できないから大半の方にはごめんなさいするわけ。それでも状況なんてどんどん変わるから、今日足りてたポジションが来年は足らないかもしれないし、今日うちには必要ない(うちに来てくれても活かせない)と思ってたスキルが来年には必要になってるかもしれない。今回はだめだったとしてもいつか縁が出来るかもしれないよ。
サリーとアン課題が解けないタイプ?http://matome.naver.jp/odai/2138369951114397601
点取りゲームにはならないんだよ。本人のスキルが募集してるポジションに比べて高すぎるってことで採用を見送ることあるし。俺は中規模の企業でしか採用に関わったことないから、大企業なら違うのかもしれないが。
「マッチング」を点数化するなら点数高い=マッチする、だけどそれは同じことの言い換えだよね。
仕事ってさあ、これをやって欲しい、って具体的な仕事があって、それをやりますって人が来て、マッチすればめでたしめでたし。それだけのことなんだよ。総合的にいい人がいたってそのポジションで手が足りてれば採れないし(採らない、のではなく採れない、のだよ)、総合点がどうであれたまたま探してたポジションにぴったりの人が現れればぜひやって下さいってなる。入りたい、って思って来てくれるのは有難いけれど、こちらは優劣をつけて上から採ろうていうんじゃなくて、むしろその思いに応えられるだけの仕事が用意できないから大半の方にはごめんなさいするわけ。それでも状況なんてどんどん変わるから、今日足りてたポジションが来年は足らないかもしれないし、今日うちには必要ない(うちに来てくれても活かせない)と思ってたスキルが来年には必要になってるかもしれない。今回はだめだったとしてもいつか縁が出来るかもしれないよ。
思い出したので便乗失礼。
昔読んだ中に似た設定のフェミニズムSFがあって、タイトルも作者も忘れちゃったんだけど、こんなようなあらすじだったと思う。もう一度よんでみたいので、知ってる人いたら教えてください。
文明が崩壊して人類が滅亡に瀕している時代、厳しい冬を目前にひっそりと身を寄せ合って原始的な生活を送っている、女性ばかりのコミュニティがあった。ある日、彼女たちの居住地に、サバイバルのために各地をさまよっていた男性たちのグループがたどり着いた。
男性達は大層喜んで言った。
「やあ気の毒に、女性ばかりでさぞや心細かったことでしょう。僕らが来たからにはもう安心です。力を合わせてこの冬を乗り切っていきましょう。」
女性達も大層喜んで、彼らを居住地に招き入れた。そして彼らを皆殺しにして彼らの持っていた物資を奪い、その物資で無事に冬を越すことができましたとさ、めでたしめでたし。
その飲み会は友人が狙っている女性とお近づきになるためにセッティングされたものだったので、
友人が狙っているという子は確かに良い子だったが、恋愛感情を持つことはなく終わった。
そしてその友人はその女性と付き合うことになりめでたしめでたし、で終わるはずだった。
しかし、ひょんなことからその女の子と連絡を取り合うようになり、
背が高いところも、短めの髪も、よく通る声も、気付けば自分の好みど真ん中だということに気づいた。
今までは年下の女性と付き合うことが多かったし今後も年上と付き合うことはないだろうと思っていたが、
僕から数えて2つ年上の女性はそういう思考をいとも簡単にすっ飛ばしてくれた。
また、その女性と彼氏との関係も上手くいっていなかったこともあり、
すぐに僕のもとにやってくるだろう、と考えた僕は無遠慮に育つ愛情を制止することなく気付けばもう完全にハマってしまっていた。
しかし意外や意外、そのカップルはいくつかの危機を乗り越えはや半年も付き合っている。
そしてようやく気づいたのは、あぁ僕はとっくの昔に失恋をしていたのだという事実だった。
この事実に気付くのが遅れてしまったのは、彼女の態度もひとつの原因ではある。
僕に対して異性としての好意も確実に持っていたし、彼女もはっきりとは言わないがそれを認めていた。
中途半端に垂らされた糸を手繰りながら、僕は自分の中の愛情をじっと一人で育んでいた。
でも僕は失恋をしていた。
選ばれなかった。
やっと気付けた。
さよなら。
めめ擁護の人を考えると、1/3くらいがオチューンと有名女子憎し、1/3くらいがあわよくばヤりたい、1/3くらいがバイラルの手先、という感じがする。
<騒動の根幹>
めめがオチューンに求愛している図式
は変わってない。これ根幹。
だろうし、
・ヤりたい
ってのは、イケメンを除いて、サイバーメガネのようにめめに晒しあげられ投棄される
だろうし
・バイラル
はうぜぇ。
<どうすれば「めでたしめでたし」になるの?>
今、「虚偽記載がー」「名誉がー」「紙ブログがー」「内容証明がー」てなことで盛り上がってるけど、
オチューンや有名女子がそれらすべてを認めて、謝罪し、幾ばくかの金銭を支払い、
めめ全面勝利、となったとして、まったくめでたくないだろう。
だって、めめがほしいのは、オチューンへの、やり場のない気持ちなのだからさ。
こんなもん、めめのとっての「ほんとうの幸せ」を自分なりにつかむしか無いだろ。
オチューンが有名女子と自分をネタにして嗤っていることに腸が煮えくり返り深い絶望を抱いている自分、
でも、オチューンと有名女子が自分にしたことと同じことなのに、サイバーメガネには無慈悲な鉄槌を下せる自分、
そういうのをそのままにして繰り返す限り「めでたしめでたし」にはならんだろ。
<打ち捨てられるブサメン>
本人がスッパリと、めめへの想いを断ち切らない限り、
めめがオチューンに絡めば絡むほど傷つくわな。
だからサイバーメガネ氏が沈黙しているのは、偉いと思う。変な女に関わってしまった、
自分の見る目のなさに直面して、生き方を変えたのだろう。良いことだ。
やりたいことなんてない、起業したりフリーランスで働くような才能もあると思えない、夢を語るほどの熱意もない。
普通に生活を営める程度のお金と、体と心を壊さない程度の職務と人間関係と、趣味をそこそこ楽しめる時間のある仕事に就きたいな。
そんなことを思いながら、なるべくマッタリできそうな、そして難しくなさそうな仕事を探しました。
他の学生よりは時間はかかりましたが、自分の思い描く条件(給与・休日・人員構成などなど)にピッタリの職場に就職できました。
…の、はずでした。
職務内容は確かに誰でもできそうなものでしたが、内容が簡単な分、大量の業務を素早くまわさねばなりませんでした。
学生時代の得意分野とは全く異なる内容でしたので、対策を考えても考えても歯が立ちませんでした。
特に何かキャリアアップの望める仕事ではない分、周りの人はあまり仕事にガツガツせず、テレビ・グルメ・旅行・結婚恋愛・人の噂の話ばかりしていて、
向上心がないように見えました。
私の趣味(読書と観劇)は「何をお高くとまってるのww」という反応をされました。
勉強が出来るということと、仕事が出来るということは別だ、という大人たちの言葉は正しかったのだと身に沁みてわかりました。
仕事としてお金を貰うということは、作業を高いクオリティーで完遂しなければいけないということです。
高学歴であるということはある程度の能力を持つことの証明になるかもしれませんが、オールマイティーであることは保証しません。
自分のことを掘り下げて、「できそうなこと・できないこと」を割り出し
「自己実現」や「夢を語る」のは、厚顔無恥なのではなく、自分と企業の相性を見極めているのです。それは自衛に似ています。
今はカウンセラーさんや主治医と話し合いながら、自分の考え方を見直し、出来ることを探しているところです。
「安定した条件」「マッタリ職場」は「ここでやっていけなければどこに行っても無理」と自分の自信を奪う要素になりました。
私の就職は失敗だったと思います。病気になり、たくさんの人に迷惑をかけました。
しかし、歯の立たない仕事にジタバタともがき力尽きていく途中で初めて、自分が好きなこと、人生の中心に置きたいことが見えてきました。
そのためになら、企業研究も、自己分析も、勉強も、心の底から「したい」と思えます。そして少しずつ実行に移しています。
昔々、あるところに少年と少女が二人っきりで暮らしておりました。ある日少年は山に芝刈りに、少女は川にせんたくに出かけました。
少女が川でせんたくをしていると、川上から大きなモモがどんぶらこっこと流れてきました。少女はビックリしてそのモモを家に持ち帰りました。
少年と少女は、そのモモを包丁で切ってみる事にしました。そのモモを二つに切ると、なんとお爺さんが出てきました。
少年と少女はそのお爺さんを「ももたろう」と名付けました。二人はモモ太郎を一生懸命にオジサンの様に可愛がって育てました。ももたろうはみるみる内に大きくなっていきました。
ある日、大きくなったももたろうは鬼ヶ島へ鬼を退治しに行く言い出しました。少年と少女は必死に抵抗しましたが、ももたろうは言うことを聞きません。そこで少年と少女はももたろうにきびだんごを作って、それはそれは立派な「日本一」の目印を付けてあげました。
ももたろうが家を出てしばらくすると犬がやってました。
犬にそのきびだんごを一つやると犬はトボトボとももたろうの後に付いてきました。
それからまた暫くすると今度は猿がやってきました。
猿にきびだんごを一つやると今度は猿がももたろうの後に付いてきました。
ももたろうがそのきじにきびだんごをやると、後からバタバタと付いてきました。
やがてももたろうは鬼ヶ島につくと、鬼に向かってその刀を振りかざし鬼達を一網打尽にしました。それから鬼たちが村人から奪ったお宝を取り返し無事に少年と少女の元に帰ってきました。
いじめられたり浮いたり空気だったり、時にはコミュ障同士で楽しくやったりしながら大人になった。
働き初めてから転機が訪れた。
職場には今まで私の周りにはいなかったコミュ力高い人が大勢いて、私のお手本になってくれた。
仕事を覚えたことで自信がつき、おどおどしなくなった。
今まで興味のなかったことにも目を向けられるようになると、年齢や趣味の違う人とも会話できるようになった。
本当に周りの人に恵まれていたと思う。
そして職場に新しく人が入ってきて、私は先輩になった。
後輩さんはコミュ障だった。
人と目を合わせない、挨拶もちゃんとできない、笑顔を作れない、注意されたらはいと言うけど直さない、声が小さくてなんて言ってるかわからない…etc.
あんまりひどいので業務に支障が出るレベルで、ちゃんとやるか辞めるかして欲しいという要望もでるくらいだった。
数年前まで自分もコミュ障だった私としては、かわいそうだったしなんとかしてあげたかった。
「こういう時はこんな風に言うとわかってもらいやすいよ」
「そういうやり方だと待ってる人を無視してるみたいに見えるから、少々お待ちくださいって一声かけてあげてね」
「そういう時無表情やと怒ってるみたいに見えるよ。少しでも笑顔作ってね」
「わからない時はわからなくていいから、わからないってはっきり言ってね」
私は後輩さんに、可能な限り優しく、具体的に言い続けた。
後輩さんの態度はだいぶましになり、辞めろと言う人はいなくなった。
めでたしめでたし。なんだけど。
もう、なんか、後輩さんのことをどうでもいいと思う私がいる。
フォローに走り回る私に、お礼の一言を言ってくれたこともない。
わかってる。そんなん言えるくらいならコミュ障じゃないよね。
常に受け身で、優しくしてもらえるのを待ってるだけの態度の彼に対する軽蔑が抑えられない。
もちろんいじめるつもりは無いし、表面的な態度は変えない。
でも、今まで嫌いだと思ってたいじめっこが自分の中にも住んでいることを発見し、正直やりきれない気持ちだ。
後輩さんは、人をイライラさせるのが上手すぎる。
いじめっこにならないでいるためには忍耐力が必要になってしまうのだ。
(もちろん、忍耐せずに素直にいじめてる人もいた。部署替えでいなくなったけど)
※ある程度ネタバレあり。
昨日の深夜遅くにアニメ映画『魔女っこ姉妹のヨヨとネネ』の地上波放送をやっていたので見ました。
アニメーションや背景、音楽は非常に良く出来ていて楽しめましたし原作への興味もわきましたが、映画の話が面白かったかというと、うーん。子供に見せたいか、というとさらにうーんという出来だったので何が気になったか整理するために引っかかった点書きます。
1.死について重く考えているのか軽く考えているのかわからない
この映画では魔法世界の『魔の国』と我々の世界そっくりの『現代社会』の2つの世界が舞台となります。一番の違いは当然魔法が使えるか使えないかなのですが、その次に重要な違いが命の重みです。魔の国では寿命以外の死はないようです。魔法で再び蘇ることが出来るからです。そのため現代社会に迷い込んだ魔女のヨヨは、死や怪我を恐れる現代人とのすれ違いを生んでしまいます。このシーンはちょっと泣けますし、物語的にもいい描写だと思います。
一方で、この映画が進むにつれて事件が広がり様々な被害が起きていきます。人々が怪物化してしまうというのを発端として、ビルや街が次々と魔の国の上空に転移されていったり、奇怪な植物が街を飲み込んだりして、最終的にその破壊は地球規模にまで広がります。で、最終的に怪物化は治りビルも元の場所に戻っていくのですが、その描写がどう見てもめでたしめでたしで終われるレベルじゃないのです。例えば怪物化に関しては物語中で交通事故を引き起こしているようにさまざまな事故を起こしているだろうことは想像に難くありません。ビルと街の転移が拡大してからは東日本大震災以上の災害が地球規模で起きているようにしか見えず、まさにカタストロフィとしか言いようがありません。実際に、この災害がまだそれほど大きくなってない段階で既にヨヨのペットの猫ビハクは巻き込まれて死にかけてる訳ですし、最低でも数百万数千万単位で人が死傷していることは明らかです。
しかし、この大災害を引き起こした主因となる現代社会の人物の責任はそれが意図しなかったものとはいえ問われないのです。責任が問われないばかりか、罪悪感に感じている様子すらありません。みんなこれ納得出来てるんでしょうか?一つ可能性があるのはみんなが願いかけるシーンにおいて、その願いの魔力でケガ人や死人が復活していた可能性ですが、それって結局魔法頼みでテーマに沿うのか疑問ですし、責任という点が解消されたとは思えません。一匹の猫が死にそうになる事件や、一人の人間が死んで娘が遺されたという事への情感あふれる描写に対して、多数のその他大勢の死に対する描写や感情が皆無なのはあまりにもアンバランスに過ぎると思います。
事件のそもそもの原因を考えると、12年前に魔法世界で起きた戦争の影響で魔法世界の人間が現代社会に転移したことが原因です。要は現代社会は魔法世界のゴタゴタの余波で壊滅的な被害を受ける被害者に見えるのです。しかし、主人公姉妹の祖母であり大魔法使いのおヨネなど魔の国の上層部はビルの転移による魔の国の被害を異世界からの攻撃と侵略と捉え、その転移を止めるために既にボロボロの現代社会への攻撃し全てを破壊しようと準備します。ヨヨというチャンネルがあり現代社会の情報も得てるわけですし、描写を見てるとおヨネは異世界に戦艦を転移される事も可能なようです。事件解決の使節団を送るなど他の対応は取れそうなのにいきなり攻撃を計画というのは非常に無責任にしか見えませんし、そもそも被害のほとんどは森で起きており、上述の通り魔の国では死んでも大抵は復活出来るため、果たして魔の国の被害がどれほどなのかも全然実感が湧きません。
戦争への後悔や反省などは原作で回収してるネタかもしれませんが、その辺りはもうちょっと描き様がなかったのではないでしょうか?原作キャラらしいのはほぼ全員好感持てましたがおヨネだけは納得いきませんでした。
願いと呪いについては例えばまどかマギカでも大きなテーマの一つであり、まどかマギカでは願いと呪いはそれこそ表裏一体のものでしたが、ヨヨとネネでは願いが他者のためであれば純粋な善きことであり自分のためであれば純粋に悪しきことであると完全に分別されて描かれているように見えます。他人の幸せを願うことが一般的に善きことであり、他人の不幸を願うことが悪しきことなのは納得がいくのですが、自分の幸せを願うことが単に我がままだと断じられるのはストンと納得出来ません。例えば孝洋の両親の願いは果たして家族を無視した自分の幸せだけを望んだ願いだったのでしょうか?子供にも理解しやすくするために分かりやすくという目的もあるのでしょうが、そういった配慮は子供を下に見ている様で余計に見せることを躊躇われます。
もともとオスとメスでは、どの生物もメスがオスを選別する側だが、人間の場合はさらに顕著だ。
というのも
基本的に性行為が出来るということは、能動的に動き回れる一定以上健康な個体であり、つまり群れに貢献する立場の個体だ。
特に原始人類の生命線である炎の管理や、暖を取る衣服を作る技術、動物性と違い切らすと即飢えに繋がる植物性栄養源の採取など、群れのライフラインは概ねメスの管轄にあった。
そいつが一匹無駄に死ぬのは群れにとっての損失となる。社会性が強ければ強いほど、そういう損失は個体が子供を残すことより重要だ。
群れの構成員が一匹増えるか、一匹減るかという、五分五分のギャンブルなので、必然的に成功確率が高い間は挑んで良いが、成功確率が下がる年齢になると、メスはとっとと閉経して、以降生殖から解放され、単純に社会を維持する活動に専念するようになる。
更にそもそも生まれた子供は、これまた二足歩行の弊害で、他の哺乳類に比べ極めて未熟児の状態で生まれてくる。
成体まで持っていくには、多分なリソースを注ぎ込まねばならず、あまり育てるのに乗り気がしない子供は、原始社会では産まれてまもなく母の手で間引きされた。
選んで選んで、なんなら一生産まない方が群れへの貢献になるなら、一生産まない選択肢も下手に産むよりは良いことであり、それでもなお育てると選んだ子供だけを群れに加えて良い。
女性はひたすらに選ばなくてはならない性だ。
一方男はリスクがない。
時間がたてばたつほど精子は劣化し、それを示す加齢臭によって女性に避けられるため、選ばれる確率は落ちていくものの、別にそれでうっかり選ばれたとしても、特に子供が出来ないか、問題児が出来ても間引けば良いので、とりあえず生殖能力を維持し続けても群れの害にはならない。
ひょっとすると上手い具合に年を食っていても、育てるに値する子供が生まれる確率もないではないし、棚ボタ狙いも込めて、生殖能力は維持され続ける。
かくして例え一生涯相手にされないままでも、性的な存在であることから免れない。
選ばれることがノーリスクな分、選ばれるに越したことはなく、逆に一生選ばれないというのは、自身が無価値な存在であるということをダイレクトに突きつけられる。
なんで自分はこんなに求めているのに、向こうは誰もが片っ端から自分を断り続けて、自分抜きの方が幸せに生きられるというのか。選ぶ側になれるものならなりたい。選ばれたがる必死な相手から、自分は断れる立場になりたい。
しかし基本的にリスクがある側が、リスクと天秤にかけて選ぶ形になるのは当然だ。リスクのせいでそもそも、相手を求める度合いが釣り合っていないのだ。
一方そんな女達も、ノーリスクで選ばれる側に立てる男を羨む。
自分ではなく相手が「選んだことによるリスクの全て」を背負う。相手はそれだけのリスクを背負う覚悟を持った上で選んでくれる。そんな立場。
選ぶものと選ばれるものでは、結果は常に選ぶ者の責任になるが、その全てを負わなくて良い。選ばれずともデメリットはない状態で、あれやこれやつまみ食いする自由がある。
出来るものなら何の責任もなく、そういう立場になりたい。そう羨む。
しばらくして時代が下り、人口密度が高まると、部族闘争が増え、男の地位が高まり、やがて男達がライフラインを握って、全てを支配する文明の時代がやってくる。
初期は誘拐婚などで、オスが好きなメスを強制的に選ぶ方式ができる。
ただこれ、選ばれたがる相手の中から、優越を持って自分が選ぶ立場になれるようなものではない。
どっちかっつーと、選ばれるせいで女性は不幸になる。つまり女性としては選ばれないに越したことはない。女が男に選ばれたがってくれない。結局形的には選べても、根っこは元のままである。
あるいは交換婚が発生する。女を村の財産として別の村と交換する方式だ。
村と村の関係の円滑化にはなるが、やっぱり女性は嫌がるので、実質誘拐婚と同じである。
やがて社会構造が複雑化し、階級が生まれたあたりで、なかなか上手い制度が生まれる。
上位婚・下位婚。身分の高い男性が、低い女性を選んで結婚する。
社会の中で一番高い身分は大体男性が占めるので、最下層の男性を除けば、誰もがそれなりに結婚機会に恵まれる。
めでたしめでたし……か?
しかしオスにとっては、メスとくっつければそれだけでプラス事象だが、メスにとっては自分が選んだ相手以外とくっつくのは、一生独身であることよりも悪いマイナスでしかないことは、どうあがいても変わらないのだ。いくら文明が発達しても。
女は嫌な相手と結ばれるマイナスを帳消しにするだけの、生活環境の向上が約束されてようやく選ばれたがるようになる。
いずれの場合も、金や地位が女を選ぶ権利を持っているのであり、男は金や地位を持つことは出来ても、女を選ぶ権利を手にすることはないのだ。
相手が地位があれば、それを失うリスクが発生する、と一瞬は考えられる。
男がリスクを推してでも女を選ぶ、そんな幻想が成立するように。
しかし実際のところリスクなんて形式的なレベルくらいしかなく、大した障害もなく男は女を選べてしまう。大した覚悟もいらないままだ。
結局このシステムは、擬似的に男を選ぶ者に、女を選ばれる者にしようとはしてくれるけれど、本質的にお互い選ぶ立場にも選ばれる立場にもなれないものだ。
全員が全員、生物的なくびきと無関係に生きられるほど、余裕に溢れているわけではない。
そして中には、膨らんだ幻想を現実とごちゃまぜにしていく人たちもいる。
今でもはてなには、女同士では絶対に仲良くなれないのがデフォだとか、婚期逃して後悔する女とか、あり得ない女の幻想物語を書き散らす人がいる。
今でもブログ界隈には「仕事と私どっちが大事?」的な質問で自分を選んで職場での不幸に耐えたり、複数の女性をリスクなしに渡り歩いた結果職を失う、ありえない男の幻想物語を書き散らす人がいる。
「お前らも男に選ばれないことで不幸になれよぉぉぉぉ」という男の怨嗟と「お前らも女を選ぶことで不幸になれよぉぉぉぉ」という女の怨嗟が漂っている。
どちらも現実には叶わない夢であるがゆえ、怨嗟の声は終わらない。
女にとって独身より下手な男に目をつけられることのほうが不幸だ。女性は嫌いな男をどれだけ断り続けても、無事閉経すればむしろ男に目をつけらずに済む平和な状態になり、後は女同士で楽しく年を取っていくものだし、男性は女をどれだけほいほい軽率に選んでも、まったくリスクを背負わず、何度失敗を繰り返そうが男性社会での信用を失わず、そのまま平和に生き続けるものだ。
考察が合ってるかどうかはしらんが。
いやでも本当に、ハーレムものはいかにして、主人公に選ばれない女の子を不幸にするかに血道をあげて、逆ハーものはいかにして、主人公を選ぶ男の子を不幸にするかに血道をあげてるからなぁ。
基本ハッピーエンドものだから、両者とも不幸になる可能性を匂わせた上で、概ね結ばれた上で不幸を回避するけども。
ハーレムものだと大体、女の子は何かしか問題抱えていて、主人公と仲良くなりつつも、問題が肥大化して行き、何とかしなければならないと思った主人公の行動が、彼女を救ってめでたしめでたし。
逆ハーだと地位が高かったりするキャラは、大体それを失うリスクを犯してでも主人公を選ぶ展開、ってのをやるためにその地位持ってる。地位を失っても二人で新しい人生歩んで、それはそれで幸せ、的な結末がデフォ。
それぞれドス黒い感情を、上手く綺麗な世界に昇華しているというか。
あ、あと青年漫画・少女漫画の、異性の三下悪役とかも特徴的だよなぁ。
青年漫画でヒロイン苛める意地悪な女の子が、主人公とかに声かけた挙句振られて「女として屈辱」みたいな。
ねーよ。声かけた男に選ばれないのは、大した屈辱でもないよ。はんっ、空気よめねー奴、って思う程度だ。
どっちかっつーと声かけてもいねーキモイのに、声かけたと勘違いされて付きまとわれるほうが、よっぽど屈辱的で不幸だ。
逆に少女マンガで、ワルな男の子が所属するワルな組織で、そいつが主人公選んだせいで、「掟破りだ!!」って、男の子ボコボコにしにくる悪人仲間の男。
ねーよ。ボスの女ちょろまかしたとかでもない限り、こいつが食い扶持に困ったら女のところに転がり込ませときゃいいな、いざとなったらソープに沈めて金づるに出来るし上手くやっとけよ、ってくらいだ。